第3話 事件の陰には奴がいる

 翌日。かなめは、なにを言いたいのか今一つぴんとこない古文の授業をやりすごし、


(あぁ、後もう一つ授業を乗り切れば、おいしい昼ご飯が待ってるわね)


 などと、今日も食欲を旺盛にしながらまどろんでいた。


「千鳥。今回の任務は、思った以上に気を引き締めてかからねばならないようだ」


(あら? 今日も何か深刻そうな顔をした勘違い男がいるわ)


 顔を上げたかなめの目の前には、なにやら思いつめた表情でかなめを見つめる総天然男が立っていた。


 昨日のラジオを聴いた後、上の空というか、思案顔というか、なんだかとっても思いつめたような表情をしていたようだったけど、今度はいったいどんな勘違いをしていることやら。


 そんなことをボヘーッと考えながら、かなめはなんだか少しどうでもいいようなアンニュイな気分に包まれていた。


 かなめは自分でも気づいていないが、実は宗介に対して非常に機嫌が悪かった。


 かなめのボヤボヤの頭の中には、昨日の1シーンがずっと小骨のように引っかかっている。


(こいつ……せっかくあたしが作ってあげた料理、無言で食べたのよね。美味しいとも言わず、がっつくこともなく、ただ上の空で。思案顔で)


 宗介といえば、昨日のラジオの後は、必死で野球というデスゲームへの対応を考えていたのだが、“野球”という競技に対する認識がまったく違うかなめとしては、『勘違い男がまた勘違いしている』程度の苛立ちでしか理解されることはなかったのだ。


 そして、プライドの高いかなめは、決して自分のイライラの原因を認めることができないので、(あぁ、なんだか今日はあたし、アンニュイな気分だわ)としかならず、理由もわからぬままに(とりあえず宗介を邪険にしておこう)と、なってしまったのだ。


「あの後、試合の総評を聴いてみたのだが、なんでも無能な指揮官が相手の戦力も考えずに、部下に無謀な任務を与え、ことごとくニルイ基地ベースで射殺させてしまったらしい」


 実際には射殺ではなく刺殺であり、ただの盗塁失敗なのだが、宗介の耳にはいつも聞き慣れた言葉に翻訳されて届いてしまっているようだ。


「最後の攻撃では相手のミスから全ての基地を抑えたが、結局誰も本拠地ホームに帰還することはできずに戦死アウトしたようだ。コードネーム623の兵殺……。見事なコンビネーションだったようだ」


 宗介の頭の中では、弾はクルツウルズ6からマオウルズ2キャステロウルズ3へと渡り、哀れな敵兵が撃ち抜かれていく。彼らの練度にかかれば、敵兵はひとたまりもない。


 なお、実際には6はショート、2はキャッチャー、3はファーストを表す番号であり、兵殺とは併殺のことでありダブルプレーのことである。ちなみにこの623の併殺は、満塁時以外にはほとんど成立しない、わりと珍しいプレイだったりする。


「兵の練度はもちろんのことだが、やはり指揮官の采配こそものをいう。俺は無駄に兵を死なせる愚かな指揮官にはなりたくない。あとはそう、装備が必要だ」


 バシッ


 そこまで言ったところで、宗介の頭になにやら固いものが降ってきた。


「痛いぞ」


「うるさい」


 固いものを降らせたのは言うまでもなくかなめである。そこには『初めての野球』と安っぽいポップな字体で書かれた本が、乗せられていた。


 なんとなくイライラしてはいたものの、その原因が宗介だとも気づいていなかったかなめは、しっかりと恭子から参考書を借りることに成功し務めを果たしていたのである。


「なんだこれは」


「感謝しなさいよ。あんたのために、さっき恭子から借りてきてあげたんだからね。あんたが勘違いしてる野球ってスポーツのルールがそこに詳しく載っているからしっかり読んでおきなさい。なにごとも勉強でしょ? グンソー殿」


 そう言うと、かなめはもう宗介の顔も見ずに、顔を机に突っ伏した。


「ふむ」


 宗介はそのポップな文体にそぐわないやや厚めの本を受け取ると、かなめと本とを交互に見つめていた。なんとなく機嫌が悪そうなことは今までの付き合いから伝わってきた。


 仕方なく宗介はルールブックに目を走らせたが、不機嫌そうなかなめを横目に捉えると気もそぞろなのであった。




 時間は進み、昼休みとなり、さっきまでむくれていたかなめはというと、『ん、おいしー』などと言いながら鼻歌まで歌いだしていた。


 よく分からないモヤモヤは朝の低血圧のせいだと処理されて、今は自分の大好きなおかずが目の前にある。機嫌なんか、そんなもので一変するというものだ。


 そんなかなめの視界の端に、先ほどからマニュアルに目を通したままの状態で凍り付いている男の姿が映っていた。


 ある時を境に固まったまま動かない。「こんなに人が死ぬのか」という、またとんでもないパワーワードを吐いたっきり、全く動かない。


 かなめは一瞬、鼻歌を止め、宗介に喋りかけようかとも思ったが――


 自分でも分からない、まぁいいかという気分が勝ったので、そのまま鼻歌を再開してご機嫌に弁当を食べ続けることにした。


 そう。結局のところ、彼女の解消されたはずの宗介へのイライラは、この瞬間、弁当を食べ終わるまでの間、宗介に意地悪をし終えるまで消え去ることはなかったのである。


 食べ物の恨み? とは、ほとほと恐ろしいものである。




 ところで、これより少し前の時間。


 野球用語の項目をめくっていた宗介だったが、彼の眼は、普段慣れ親しんだ文字を最優先で主人の脳へと運んで行っていた。


“死球”


“刺殺”


“補殺”


“牽制死”


“盗塁死”


“走塁死”


“暴投”


“一死”


“二死”


“三死”


“野球は三死取ったら交代です。表の攻撃、裏の攻撃と繰り返し、9回まで終わると決着になります。9回表の攻撃が終わった時点で後攻側が勝っていた場合はそこで試合終了となります。同点の場合は1イニングずつ延長し、最大12回まで延長します”


 戦場を歴戦し、こと生死に近いところに身を置く男は、憑りつかれたように文字を追った。


(馬鹿な。これでは単純計算で1ゲーム51人~72人の犠牲者が出るではないか)


 流れ出る冷や汗。冷や汗。泳ぐ目。めくられるページ。ページ。


 宗介は思い違いをしていた。林水閣下から指令を受けたあの日。宗介は、指揮官さえ有能で、部下の練度が勝っていれば、1人の犠牲者も出さずに勝利することが可能だと考えていた。


 しかし、このルールを見る限りでは、そもそも3人の犠牲者が出ない限り攻撃が終わらない。犠牲者が出なければいつまでも試合が進まないのだ。


(なにか……なにか特記事項はないのか……)


 宗介は必死で、やや厚めのその本のページを捲っていた。わらにもすがる思いで。宗介は自分の望むルールの条文を探していた。


 正確なルールを確かめることもなく。ただこの試合のルールをひっくり返すなにかを求めていた。


 そして、そこに追い打ちをかけるように、とんでもない刺激的な記録が宗介の目に飛び込んできたのである。




「ふう」


 置かれる箸。閉じられる弁当箱。午後の幸せなひと時を味わい尽くし、また、無意識のうちに甘美な復讐すら終えたかなめは、今日一番の満ち足りた笑顔を浮かべていた。なんだろう。この幸せな充足感は。


 かなめの周囲にいる生徒たちも、みな一様に腹を満たし、幸せな休息時間を謳歌している。


 穏やかな風が吹き、緑と土と太陽の匂いが心地よく。校庭からは生徒たちの活気に満ちた声が響き、教室内では多くの生徒が笑い合い、語り合い、自分の弁当や購買部のパンに舌鼓をうっているのだ。


 そんな中で、ただ1人。相良宗介だけは、まるで氷の世界に時が止まった状態で、孤軍奮闘孤立無援。取り残されたような気分で固まっていた。


 額にはびっしりと脂汗が浮かび、思考はフリーズした。甘くない。この任務は甘くない。会長閣下がなぜ自分にこの任務を依頼したのかが、分かった。


「どう? グンソー殿。ルールは分かった?」


 そんな、悲壮な気分に浸かっている宗介の後ろから、呑気でいて余裕たっぷりな、それでいてどこか温かい声がかけられた。


「千鳥か……」


「どうしたの? えらくびっしりと汗かいてるようだけど」


 かなめは聖母のような微笑で宗介の顔を覗き込んだ。もちろんどうしたのもなにも、宗介がなにか勘違いしていることは知っている。


「野球がこれほど恐ろしい競技だとは想定していなかった」


「どの辺がよ。どの辺が?」


 なおもしょげた犬のように気落ちしている宗介に対し、かなめは呆れ半分、愛しさ半分といった表情で、優し気に訊いた。その所作は余裕に満ち満ちている。


 かなめの好きな野球というスポーツは、そんなに恐ろしい競技ではなかったはずだ。


 そりゃあ、敬愛する前監督の○監督は、ミスをした選手を裏に連れて行って『なでなでしただけ』だとか不穏当な発言もしていたが、その程度の事でこの戦争オタクがひるむはずもない。


 かなめの大好きなICHIR○選手にしたって、年齢を考えると人間かと疑うような活躍をしているが、そんなことに恐れを抱く宗介ではないはずだ。


「見てみろ千鳥。例えば、このページだ」


 宗介がめくったページには、『歴代補殺数記録』という文字が躍っていた。


「この記録レコードによると、一年あたり最も補殺を記録した菊○選手とやらは544人も殺している。この国の殺人事件の件数は、年間で1,000件程度のはずだ。明らかに殺しすぎている。いや……補殺というからには、支援ということか。事件の陰に菊○。ミスリルは把握しているのだろうか」


 この発言には、かなめも一瞬脳みそがフリーズした。まぁ勘違いしているのだろうとは思っていたが、ここまでとは。


 かなめの半分閉じられた眼が、宗介を呆れるように見据えたが、人の感情を読むことを得意としない宗介には、まったく効果が無い。


「さらに、このレコードによると、同じチームの退役、山○浩○に至っては、通算で4,700も補殺した記録を誇っているのだ。4,700もだぞ。信じられん……この国にそんな黒幕が存在していたとは」


 山○浩○さんのことなら、かなめもテレビで何度か見たことがあった。往年の大選手のようだったが、あまり偉ぶらず、芸人からの失礼な突込みも笑顔で受け流すような懐の深い人だったはずだ。暗殺者のドンなどというイメージとは、どう考えても結びつかない。


「もしもーし、ソースケー」


「……そうか。古来競技殺人の場合は事件として立件しなかったと聞いたことがある。戦争中のスコアのように、競技中の殺人は別カウントということか。野球においての殺人は罪に問われず、勲章を与えられるのだな」


 エキサイトして暴走を始める宗介を、呆れ顔であおり見たかなめだったが、途端になんだか馬鹿らしくなって、自然吹き出してしまった。


「ぷっ。あんたねぇ、また変な勘違いしてるみたいだけど、別にそれ、本当に殺しているわけじゃないのよ?」


「そうなのか」


 宗介の表情には呆気と驚愕が同時に浮かび、なんとも趣のある表情になった。


「当たり前でしょ? 選手一人に一億円とかかけて雇っているのよ。そんなにほいほい死なれたら、破産よ破産」


「そういうものだろうか?」


「そういうもんよ。そーいう」


 かなめは人差し指で空中に円を描きながら、余裕しゃくしゃくに宗介を諭してみせた。


 かなめのその表情を見た宗介は、暫くその指を見つめ――ようやく自分の勘違いに納得した様子で『これで、――まをスケープゴートにしないですんだな』等と物騒なことを呟いた。


「しかし千鳥」


「なに?」


「一億円といったら、せいぜいヘルファイア4発分の予算だぞ……軍にとっては破産に追い込まれるほどの損失ではないと思うのだが」

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