一撃必殺のプレイボール

@izayoi_yuuki

第1話 逃げるべきかやるべきか、それが問題ね

「ふあぁぁ。平和ねぇ」


 穏やかな陽気に満ちた、暇を持て余す放課後。1人の少女が湧き上がるあくびを噛み殺しながら、うーんと伸びをしていた。そのままべたーんと机に貼り付く。その顔には一切の緊張感がなく、溶けかけの雪○大福のように締まりがない。


 彼女の名前は千鳥かなめ。普段はすらりとした肢体やその整った美貌で、道行く人を振り向かせるほどの容姿を誇っているのだが、今はとても人さまに見せられないレベルにまで崩壊してしまっている。


 まったく。なんで何もすることのない、うららかな放課後というものはこんなにも気持ちがいいのだろうか。


 そのまま、明後日へと迫った恭子達とのショッピングに思いを馳せていく。


 軍資金はある。いつもはひもじい思いをしているかなめの財布であるが、今月はどこかの戦争オタクが暫く留守にしていたこともあり、バイト代として人質交換された諭吉さんが、潤沢に財布の中でルンバを躍っている。


(帰りには、とりあえずパフェでも食べるかしらね)


 かなめは夢想する。目の前に置かれたエベレストのようなチョコレートパフェ! ナイアガラのように掛かったチョコレートの滝! さすがにこの量は食べきれまいと不敵に笑う店主! おののく恭子と瑞樹! しかしかなめは余裕の表情を浮かべながら、山頂に白銀の匙を今、豪快に突き刺したぁ!


 などと、妄想の中で無駄に壮大な食べ方でパフェにかぶりついていると、その場の空気を一瞬で引き締めるような、凛とした声が教室内に響いたのだった。


「時に相良くん、野球というものを知っているかね」


「肯定です」


 灰髪のオールバックに真鍮縁の眼鏡。いかにも怜悧な印象を与える男が質問し、ぼさぼさ頭にへの字口、だが妙にハキハキした声の頬にバッテン傷を持つ男が答えた。


 生徒会長の林水敦信と、生徒会長補佐・安全保障問題担当の相良宗介である。


 前者は陣代高校の陰の支配者と囁かれ、教師にすら対等以上に扱われる知恵者。後者は子供の頃から戦場を歴戦した経歴を持つ戦闘のプロであり、日本の常識をこれっぽっちも持ち合わせていない歩く安全保障問題だったりする。


 そんな異色の二人が、平和な高校の一室で野球の話を始めている。


(絶対ろくな話にならないわね……)


 かなめは鍛え抜かれた危機回避能力をフル回転させると、そのまま気配を殺し、抜き足差し足、扉へと足を向けることにした。


「では、野球というものがどのような競技であるか、説明してくれたまえ」


「はっ。軍を名乗る部隊チーム同士が弾を撃ち合い戦果スコアを奪い合います」


「ふむ。よろしい」


 宗介の説明は明らかに、仕事帰りのサラリーマンがビール片手に観戦したり小さな子供が目をキラキラ輝かせて観るような競技ではなかったが、なぜかこの怜悧な生徒会長はその言葉がベストアンサーだとでもいうかのように満足した面持ちで目を伏せていた。


「そう。これは死合なのだよ」


 ゴクリッ


 一回の高校生が口に出すには、あまりと言えばあまりに物騒な表現が飛び出してきた。


(あぁ、嫌な予感がする。きっと今日もまた一波乱あるんだわ。そう。昨日のように)


 かなめはこの先の展開に一抹の不安を感じ、息をのんだ。


「時に千鳥君。君は明後日の土曜日は暇かね」


(ほらきたー!)


 既に左足が扉の外に出かかっていたかなめに、容赦なくその声は降り注いだ。まるでタイミングを読んでいたようないやらしさがある。というより、およそこの男がそういったタイミングで声をかけてきた場合は、まず間違いなく故意であるとかなめは確信している。


「いえ! 大事な! 外せない用事があります!」


 それでもかなめは、自分が迎えるはずの穏やかで温かな未来を堅守するべく声を張った。


「ふむ……。それはこの生徒会の任務よりも優先されるべき、と、そういうことかね?」


「はい!」


 林水の勿体つけた言葉がかなめの身体にネットリとまとわりつき、数秒の静寂が流れた。かなめの頬に、いやな汗が伝う。


「千鳥君。君にとって友人とのショッピングがそれほど重要なものとは思わなかったよ」


「うぐっ」


 やっぱり知っている!


(どうせそんなことだろうと思ったわよ! 乙女の純情を弄んでそんなに楽しいの!?)


 もういっそ、パフェを食べる妄想をしていたことまでも見透かされているのではないだろうか? と半ばかなめが自棄になっていると、


「仕方ない。適度な休息も生徒会の業務を執行するためには必要だろう。では、君はショッピングに行き、パフェでも食べていたまえ」


(いやぁ! 見透かされてる!)


 自然と涙は溢れ、張りのある美しい頬を伝って零れ落ちた。


「ではこの件は相良くんに一任しよう」


「はっ!」


(この戦争バカに!?)


 事態はかなめの予想通り、最悪の方向へと全速力で舵をきっていた。この手の依頼を宗介が一人でこなせたためしが無い。いつも必ず大失態を犯し、その尻拭いはかなめが押し付けられるのだ。


 実際は、むしろかなめが起こした問題を宗介が解決した事件もいくつかあるのだが、そんなことはかなめの脳内からきれいさっぱりスッキリと抜け落ちている。


 いつも問題を起こすのはソースケであり、自分はその尻拭いなのだ。それはかなめにとって疑問の余地もない絶対の真実であった。


「それでその任務内容とは」


「近く、明後日の土曜日に、硝子山高校と野球の壮行試合が行われる。相良君にはその試合の為の、人員確保及び監督業を遂行してもらいたい」


「はっ! ……しかし人員確保からですか? 我が校には既に野球部員が在籍していたと記憶しておりますが」


「ふむ。実は先日、その野球部員全員が襲撃にあい、試合に出ることの叶わぬ身体にされてしまうという非常に痛ましい事件が起こったのだよ」


 ポタポタ


 生徒会室の扉の横に、大量の汗が水たまりを作り始めていた。


(昨日のアレだ――)


 かなめは、その事件に心当たりがあった。


「犯人はどうやら頬に傷のある男子生徒と、やたらハリセンを振り回す青髪の美しい女子生徒だったいうことだが……さて誰の事だか。心当たりはあるかね?」


 かなめは、その事件に心当たりがあった。


(昨日のアレだ――! )


「さ、さぁ? 全然心当たりはないですね! う、うははは」


 乾いた笑い声が、虚しく生徒会室に響く。


「まぁいい。既に過ぎてしまった事件よりも、問題は、このままでは硝子山高校との壮行試合を棄権しなければならないというところにある」


 ごまかせたのだろうか? いや、パフェの妄想すら看破してくるホームズやポワロのような男が、あまりにも証拠過多な昨日の事件の犯人を分かっていないわけがない。


 今のは、おそらくかなめの罪悪感を煽り、明後日の試合に巻き込もうという計算に違いない。だが、そうはいかない。女子高生にとって週末の友人とのショッピングは、現代国語や数学以上の必須科目なのだ。屈するわけにはいかない!


 かなめはまるで、圧倒的な軍勢からアラモ砦を護り抜こうとした、あのデビィー・クロケットのように気迫を漲らせた。


「棄権しては、いけないものなんでしょうか?」


 怜悧な生徒会長は、ふむと言うと、表情も変えず淡々とした口調で空を仰いだ。


「知っての通り野球は人気スポーツだ。日本におけるスポーツ興業の面では、他に人気の高いサッカーや大相撲等に大きく溝を開ける収益を叩き出している。ファンの中には野球を国技と称す者も多く存在すると聞く。当然、我が校のobや教職員の中にも野球に入れ込んでいる者は多く存在するということだ」


「……そうですか。まぁ、今回は我慢していただくということで……」


「仮に、これが中止するということになった場合、結果は火を見るよりも明らかではないかね?」


「暴動の危機ということですね」


 これまで黙って聞いていた宗介が、物騒な合いの手を挟んだ。いつも通りの余計なタイミングで、いつも通りずれている。


「その通りだよ相良くん」


 そしてこの反応である。ついていけない。かなめは呆れながら、自分が逃れる隙を伺っていた。


 しかし、かなめは逃げられなかった。というのも、話の顛末を聞いてから判断しなければ、後で膨大な後悔となってかなめに押し寄せることを、かなめはこれまでの経験から察知していたからである。これぞ歴戦の危機察知能力であり、かなめの持つウィスパードの能力に起因しているのかもしれなかった。かなめはその場を離れることができず、頬を引きつらせながら危険人物2人の会話に耳を尖らせた。


「自分も時たま見るニュースで、縞々の服を着た男たちが勝敗の結果に一喜一憂して身投げする様子を見たことがあります。あれほどの熱意を向ける対象を奪ったとあれば、それを奪った相手に対する憎悪はいかほどでしょうか。報復殺人に及ぶレベルかと推測します」


「うむ。一説では、酒席での野球の話は、政治や宗教の話に匹敵するタブーだとも言われている。それを中止にしなければならないとなると、少なくとも校内は内乱状態になることを覚悟しなければならないだろう」


 ゴクリッ


 どこからか唾を呑み込む音が聞こえた。


「いや、そんな大げさな……」


 まるでテロの危機に備える特捜班のような緊張感を醸し出し始めた2人に、かなめは苦笑した。いつも通りのこととはいえ、この2人の会話は本当にズレている。


 しかし、野球好きにとっては死活問題となる今回の件を過小評価するかなめの瞳を、林水は底冷えのするような怜悧な瞳で覗き込んだ。


「これが大げさな話であれば良いのだがね。劣悪な環境に身を落とした群衆は考えるだろう。この状況を作り出した元凶はなんであったかと」


「う!」


 その言葉はかなめの中心を貫いた。確かに大げさな話ではあるが、どちらにしろ野球という娯楽を奪われた生徒やメンツを潰されたOB・教師達が、なんらかの行動をもってかなめと宗介に手を伸ばしてくる可能性は大いにあった。というか必定である。


 つまり林水は『自分の蒔いた種を刈り取れ』と言っているのであって、それ以上でもそれ以下でもなかった。


(でも、でも、ショッピングとパフェは捨てがたいのよね)


 ここまできても、かなめの腹は座らない。彼女にとってショッピングとパフェがどれだけの価値を持つのか、はたまた平和な日常というものを渇望しての抵抗なのか、それは彼女にすらわからない。


「では相良くん、くれぐれもよろしく頼む。一人で大変かとは思うが、本件は非常にナイーブな案件だ。適切に処理してくれたまえ。詳細はここに書いてある」


「は!」


 宗介は自信満々といった体で、うやうやしく書類を受け取った。体中からこんこんと溢れ出る光り輝かんばかりの確固たる自信に、どこからそんな自信が湧くのか、いつも迷惑を被っているかなめの身体は戦慄き震える。


 そういえば以前各部でナンパをする勝負をした時には、自信満々に『ガールハントなど簡単だ』と言い放ったのち、本当に檻を使って女の子を狩っていたような……。


「はぁ……」


 かなめは、大きく息を吐き――しばらく息を止め――大きく息を吸い込み――人生とこの世の全ての不条理に思いを馳せながら、


「あーもー分かったわよ! 私も行けばいいんでしょ!」


 悲痛な咆哮を放った。その悲しみに満ちた声は生徒会室を飛び越し、学校中を震わしたという。


 だがしかし、叫びを向けられた相手は満足そうに、あるいはキョトンとして、その魂の慟哭を受け取ったのだった。



※なお、昨日のアレについては掘り下げませんので、各人想像の翼をもって補完してくださいまし。

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