第7話 右手にバットを左手に計略を

 硝子山高校のベンチでは、キャプテンが演説を繰り広げている最中だった。


「いいかお前たち、今日の試合の大切さをもう一度確認するぞ」


「何度目だよ」


「何度だって言うさ、俺はあいつと仲が良かったんだからな」


 そういうと、硝子山高校野球部キャプテンは、涙をこらえて天を仰いだ。


「泣く子も黙る硝子山ラグビー部。その名前を出せば、誰だってビビッて頭を下げるような一目置かれた存在だったんだ」


「実際、あいつら迫力あったよな」


「それが、あの、『二子玉川の悪夢』のせいで今や見る影もない! いつもなにかに怯えていて、『やつらが来る、やつらが来る』ってうわ言を呟いて……。くそう。陣代高校ラグビー部には、どんな恐ろしいやつがいるっていうんだ! 俺たちは、あいつらのためにも陣代高校にだけは負けることができないんだ!」


 涙を目にためながら、こぶしを握るキャプテン。周りの部員たちの拳にも自然と力がこもっていく。


 そんな空気をまったく読まず、ずかずかと土足で入り込んでくる男がいた。


 バッテン傷にへの字口の男である。


「今日はよろしく頼む。オーダー表の交換というやつをやりたいのだが」


「あ、あぁ。よろしくな。これだ。頼む」


 硝子山高校キャプテンは、慌てて涙を腕で拭うと、相手チームのリーダーとオーダー表の交換をした。その後ろには、威圧感たっぷりのラグビー服を着た大男が二人立っている。


 ラグビー服を着た、威圧感バリバリの巨漢が立っている。


「お、お、お、お前らかぁぁぁぁ!!」


 刹那、飛び掛かりそうになったキャプテンを、慌てて他の部員が抑えつけた。宗介の手にはグロックが握られ、郷田と石原は宗介の前に割って入っている。


「どうやらやる気は充分のようだな。はやらなくてもすぐに仕合は終わる。すぐにだ」


 宗介は、相手チームのリーダーを見下すような態度で挑発した。その横では郷田と石田が同じように馬鹿にした態度で『はっ』だの『へっ』だの嘲笑している。


「こ、この野郎ぉ!」


 その態度を見た硝子山高校ナインは、半分が怒り、半分が制止に回った。試合開始前から一触即発の空気である。宗介と郷田、石原は、血気にはやる相手をしり目に悠然と立ち去っていった。


 この態度こそが、宗介の仕掛けた罠の一投目だったことに、まだ誰も気づいてはいない。



 そんなこんなで、遂に試合が始まった。今度は夢ではない。


 動揺する硝子山高校ナインに対し、挑発的な、あるいは無表情な陣代高校ナイン。グラウンドの外には、両校のobや教師、学生などが数十人単位でメガホンを片手にウキウキしている。


 陣代高校ベンチはというと、かなめは未だにひざを抱えて遠くを見つめ、恭子がそれを慰めている。小野寺と風間はクラスメイトの内輪話に夢中で、試合のことなんかまったく見ていない。その横では、ラグビー部の面々がしかめっつらで直立不動のままジッと宗介の方を見つめながら待機していた。


「プレイボール!」


 球審が手をあげ、試合開始の声が高らかに響き渡る。それに合わせ宗介の腕が滑らかに動いた。胸に手を入れ、振りかぶり、バッターに向かって構え、タマを放とうと撃鉄を引き上げ、


「なにやってんのよアンタは!!」


 スパコーンッ!


 かなめのハリセンにしばかれた。


 ひざを抱えた状態から、銃を構えた宗介を見止めるや、眼をカッと開き、砂煙を巻き上げて突進するという、みごとな瞬間芸であった。


「痛いぞ千鳥」


「痛いぞじゃねーわよ! アンタはほんとに! 殺す気なの!?」


「問題ない。麻酔銃ノンリーサルウエポンだ」


「なにも問題なくねーわよ!! くの!! くのくのくの!! アンタを永眠させてやろーかしら!」


 容赦ないかなめの蹴り足に、硝子山高校ナインは凍り付いている。いきなり銃を取り出した男にも驚いたが、ボ○トのようなスピードで駆け抜けてきたこのマネージャーにも驚いた。


「痛いぞ千鳥」


「いい!? あんたの仕事はね! この白球に力を込めて! 相手のバッターを打ち取るために! 全力で球を放り込んでくることなのよ! 分かった!?」


「了解した」


 目を丸くする硝子山高校ナインをすべて無視し、かなめは宗介に白球を押し付けると、大儀そうに首に手を当てながら大股でベンチへと戻っていった。


「はぁ……」


 ベンチにドサリと腰を沈め、大仰にため息を吐き捨てる。横に座っていた恭子が苦笑いしながら『カナちゃんも大変だね』などと他人事で慰めてきた。まったく、こんなはずじゃなかったのに。今頃は本当は自分がマウンドに立っていたはずなのに。


 そんなことを考えていたせいで、かなめの思考はいつもよりガードが甘くなっていた。


(ん? ちょっと待ってよ?)


 ようやく、自分の失言に気が付き、顔をあげる。


(あたし今、なんて言った!? あの単細胞に!)


 だが残念かな。かなめが気づく数秒前に、宗介は動き始めていた。


「力を込めて」


 伸びをするように腕をしなやかに振り上げ。


「相手のバッターを撃ち取るために」


 これでもかというぐらいに脚を振り上げ。


「全力でぶつける!!」


 かなめの頭が上がると同時に、宗介の掌から全力で硬球が投げ込まれた。まっしぐらに相手バッターの頭めがけて。あぁ、もう間に合わない。


「ヒィッ!」


 ゴインッ!


 白球は、バッターが自分を護ったバットに当たった。力なく宗介の前へと転がっていく。


「仕留めそこなったか」


 不本意そうな表情で宗介がつぶやく。


「なにやってんのよ!!」


「問題ない。次は仕留める」


「そうじゃなくてぇ!!」


 かなめがベンチから叫んでいるが、いつも通り会話は成立していない。


「は、走れ! 走れ!」


 硝子山高校ベンチから声が上がった。


 このまま宗介が一塁に送球する前に駆け抜ければ、内野安打である。ハッとしたバッターは、弾かれたように全力で一塁へと走りだした。


 ボムッ!!


 豪快な爆発音が炸裂すると、哀れな犠牲者が宙を舞った。


 ドサッ


「ブービートラップは成功」


 試合開始前に宗介が仕込んだ地雷が作動したのだ。


「……」


 誰も声を出せない、時が止まったかのように無音の空間。さっきまでの応援の声はどこに消えたのか。


 あまりの光景に、硝子山ベンチはもちろん応援席も、陣高ベンチまでも凍り付いていた。


 哀れな生徒は一塁の一歩手前に落ち、それでも本能か一塁ベースに向かって手を伸ばす。


「軍曹殿! 一塁です!」


 それを見止めた郷田が、声を上げる。


「なに?」


「ボールを拾って、こちらに送球です! ランナーの息の根を止めないと!」


「了解」


 言うや否や、宗介は転がっている白球を拾い上げ、的確なコントロールで送球した。


 バコンッ!


「あうっ!」


「よし。仕留めた。一塁基地ベースの防衛に成功」


 白球は一塁ベース上の郷田にではなく、一塁手前で伸びていた哀れな硝子山ナインのヘルメットに直撃した。もちろん狙い通りである。


「ふ、ふ、ふざけんなぁ!!!」


 ようやく我に返った硝子山高校野球部キャプテンが、ありったけの声を振り絞って抗議の声をあげた。あまりの怒りに、野球選手にとっては神器に等しい金属バットを、力任せに地面へと叩きつけてしまっている。


「おかしなことを言うな! 敵の侵略経路が分かっているというのに、トラップ一つ仕掛けない愚か者などいない!」


 しかし宗介は異次元の常識を振りかざし、毅然と抗議を突っぱねた。


 一瞬、怯んだ表情を浮かべた硝子山キャプテンではあったが、わなわなとわななくと、力の限り金属バットを振り掲げ――、


「ら、乱闘だぁぁぁぁ!!!」


 グラウンドを震わす魂の絶叫に、硝子山ナインは次々と金属バットを掲げると、咆哮をあげながら宗介の元へと躍り掛かった。


「うおおおおおお! 乱闘だあああ!!」


「軍曹殿! 乱闘です!」


「任務成功。作戦通りだ」


 先ほどまでの無表情とは打って変わって狂喜に目をらんらんとさせる郷田に向かって、宗介は淡々とした口調で、しかし得意げに笑った。そして、大きく息を吸い込むと、


「貴様等! これよりオペレーションRANTOを発動する! 母校の名誉を守るため、立ちはだかる敵をせん滅しろ!!」


「サー! イエッサー!」


 グラウンドは割れるような轟音とともに、暴力に支配されていった。








「やっぱり負けたか……」


「でも、やれるだけはやった、よな?」


「あぁ。何人かは、倒せた」


「俺のために跳び出してきてくれて、すっげぇ嬉しかったよ」


「色々あったけど、これからは俺たち、一緒に一枚岩で甲子園を目指せそうだな」


「あぁ」


 戦いは終わった。


 グラウンド上に倒れながらも、どこかやり切った表情を浮かべる硝子山ナインたち。今はもう、すべてを出し切った余韻に浸り、傷ついた身体を転がしながら結束を深め合っている。


 その姿をしり目に、未だ倒れず健在なのは、宗介、一成、郷田、石田、マロン、ショコラ、ワッフル、そして、ベンチで頭を抱えながら項垂れるかなめと、こっそり応援席近くまで退避した恭子だけであった。


 その他のラグビー部の面々は、倍以上いた硝子山ナインと壮絶な乱闘の末、相打ちし、小野寺と風間もまた、ベンチにいたラグビー部が飛び出すときに巻き込まれて無事戦死している。


 頭を抱えるかなめと裏腹に、宗介や一成、郷田は誇りに満ちた表情を浮かべ、応援席からはやんややんやの喝采が鳴り響いていた。


「いやぁ、やっぱり野球は乱闘するぐらいが一番ですなぁ」


「えぇ。我々が若いころは、毎試合のように飛び出したものです」


 好き勝手に過去に浸って悦に入るobや、興奮した面持ちの生徒たちをしり目に、宗介が誇らしげに胸をそらしながら動き出す。まるで、戦争を終結させたエースパイロットが勲章を受け取りに行くように。


 辿り着いた場所は、スコアボードの前。チョークを無造作につかみ取った宗介は、カッカッカッと力強くスコアボードに数字を書き込んだ。


“9―0”


 かなめにはその数字の意味が分からなかった。


 宗介は自分の書いた数字を見つめ、満足げに頷くと、大きく息を吸い込んで観客の歓声に負けないように声を張り上げた。


「野球規則、没収試合の項目にはこうある! 『一方のチームが競技場に9人のプレイヤーを位置させることができなくなった場合、その試合は9―0で相手チームの勝ちとなる』! 我々はまだ9人のプレイヤーを配置させることができるぞ! 規定に則り我々の勝利だ!!」


 球場を沈黙が支配した。


 しじま。観客の思考が追い付くまで、数秒のしじまを要した。


 そして歓声が轟いた。


『ワァァァアァァァァッ!!』


 観客席から興奮の声が沸いた。同時に反対側からは、『やられたぁ!』だの、『認められないぞ!』などのクレームが響いている。アンパイアも巻き込まれて倒れているので、グラウンドに異論を挟める者はいない。少しの時間がたつと、陣代高校応援席と硝子山高校応援席の間で、場外乱闘が始まっていった。


「あ、あんた、まさか、元からこうやって勝つつもりで?」


 かなめは、ベンチからよろよろと立ち上がると、目を白黒させながら宗介に詰め寄っていった。


「我々は野球において素人だ。プロフェッショナルに勝つためには、自分の最も得意な条件で戦うのは当然のことだ」


 どこまでも勝ち誇った表情で、戦いのプロフェッショナルは満足げに胸をそらしたのであった。





「さぁ、約束通り硝子山高校は片づけた! 次はお前だ相良! 今日こそお前に勝って部室を手に入れる!」


 呆れるやら感心するやらしていたかなめの横で、一成が嬉々とした表情で腕まくりをしながら宗介へと指を突き付けていた。


(あぁ、そういえば、なんかそんな話もしていたわね)


「無駄な戦いだとは思うがな。いいぞ。かかってこい」


 宗介も無機質な動きで応えると、かなめを丁寧にベンチの方向へと押し返した。


 ワッフル達の気声が響き、郷田と石原の瞳も獰猛な光を帯びていく。


 林水会長閣下との約束は護り抜いた。後は、部室とマネージャーを護らねばならない。呉越同舟していた仲間は、今や敵となった。


 本日最後の戦いが始まりを告げる。

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