メモ書き

湖城マコト

きみがわるい

 あるアパートの一室で、住人である若い男性の遺体が発見された。

 死因は首を吊ったことによる窒息死。自殺の可能性が高く、事件性は低いと見て、警察は事実関係を捜査している。


 なお、遺体の傍には遺書と思われる、一枚のメモ書きが残されていた。


『きみがわるいきみがわるいきみがわるい

 もうたえられない

 ぼくはこのせかいからきえる』


「被害者の部屋にはこのようなメモ書きが残されていました。文面から察するに、被害者は何かに恐怖を抱いていたようですが、心当たりはありませんか?」


 警察官が、被害者の友人であるA太郎にそう尋ねた。


「……彼は、怯えていました」

「何にですか?」

「笑われてしまうかもしれませんが、彼は霊の存在に怯えていたのです」

「霊ですか?」

「はい、私も霊の存在を信じているわけではありませんが、彼がそのことに悩み、様子がおかしくなっていったのは事実です……気味が悪いというのも、そういうことだと思います」

「なるほど。被害者は霊の存在に悩み、追い詰められていたと」


 被害者が精神的に追い詰めらていたというのは重要な手掛かりだ。

 まだ未確認の情報だが、被害者の部屋が事故物件だったという噂もある。霊の有無についてはともかく、例えば思い込みで霊的な存在に恐怖心を抱き、精神に異常をきたしていた可能性も考えられる。


「……そうだと思います」


 唇を噛みしめ、A太郎は声を震わせた。


「こんなことになるなら、もっと真剣に相談に乗ってやればよかった」

「あまり自分を責めてはいけませんよ」

「……いえ、私の責任です。あいつは人見知りで友達が少なかったし、私がもっと気にかけてやるべきだったんです」

「……」

 

 何も言わず、警察官はA太郎の肩を優しく触れた。確かに、いくら第三者が宥めたところで納得できるものでもないだろう。


「それでは我々はこれで。またお話しを伺う機会もあるかもしれませんが、その時はご協力をお願いします」

「分かりました」


 A太郎は一礼して警察官を見送った。


 ――メモ書きを見せられた時は冷や冷やしたが、何とか誤魔化せそうだ。


 警察官を見送った後、A太郎は醜悪な笑みを浮かべていた。

 

 被害者の自殺の本当の理由は霊に怯えていたからではない。A太郎が被害者の精神を極限まで追い込んだためだ。

 A太郎にとって被害者は、暇つぶし用の玩具だった。

 人見知りで友人のいなかった被害者と親しくなり、友人と呼び合えるような関係へと発展。相手にとって自分の存在が大きくなったところで本性を現し、徹底的に人格を否定し、絶望の底へと突き落とす。

 絶望した時の相手の顔を見るのが快感で、A太郎はこれまでに何度も似たようなことを繰り返している。


 自殺したと聞いた時には流石に驚いた。精神崩壊一歩手前まで追い込んだことは数知れず、命を断たれたのは始めての経験だったからだ。

 普段のA太郎は社交的で仲間想いの好青年で通っている。万が一遺書に自分の名前でも書かれていたら一大事だ。


 だが、二つの幸運が働いたことで、自殺の理由をまったく別のものへとすり替えることに成功した。


 一つ目の幸運は、文章が平仮名で殴り書きされていたことだ。よっぽど追い詰められていたのだろう。漢字ではなく平仮名だったことで、文章の本来の意味を悟られずに済んだ。

 二つ目の幸運は、『きみがわるい』という文面を『気味が悪い』と解釈可能だったことだ。被害者の部屋が事故物件だったのは事実だし、被害者が霊的な存在に怯えていたというA太郎の証言にも信憑性が増した。


 もしもあのメモ書きが漢字で書かれていたなら、こうなっていたであろう。


『君が悪い、君が悪い、君が悪い

 もう耐えれらない

 僕はこの世界から消える』


 人見知りの被害者は他人を名前で呼ぶことに強い抵抗を持っており、親しくなった後もA太郎のことを『きみ』と呼んでいた。このメモ書き――遺書には、A太郎に対する確かな怨嗟えんさが刻まれていたのである。


「また、新しい玩具を探さないとな」


 被害者の死はA太郎の心境に何ら変化をもたらさなかった。A太郎は懲りることなく、次なるターゲットとの出会いに想いを馳せていた。




 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

メモ書き 湖城マコト @makoto3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ