第2話 桜舞う季節

 それから三日後、小一郎が玄馬の長屋を訪ねると、玄馬はすでに息を引き取っていた。体にはかすかに暖かみが残り、まるで小一郎が訪ねるタイミングを見計みはからって死んだかのようだ。


 枕元に刀と脇差わきざしを並べ、掛け布団をしっかりとかけ、おかしな表現ではあるが行儀ぎょうぎの良い死に方だと感じていた。


 玄馬の口元にはわずかな笑みが浮かんでいるようにも見えて、安心して逝けたのは自分を信頼し後を託したからなのだろうかと考えると、でも約束は果たさねばならぬと小一郎は決意を新たにした。


 ふと枕元を見ると、二つ折りにした手紙のようなものが置いてある。これは自分にてたものだと確信に近いものをもって躊躇ためらいなく広げると、そこにはかすかに震える字で「こいちろうどのへ」とあった。


 その内容はまず、小一郎へきっと約束を果たしてくれよという念押しであり、続いて桜並木の名所を指定し、深夜に遺体を運び出す計画をつづり、大八車やすきまで用意して置場所を記していた。

 なかあきれもして、感心して、この狂気の友人ともっと話がしたかったという想いを抱きつつ、小一郎は深夜にそっと遺体を運び出した。


 後日、小一郎は斉藤玄馬が行方不明であると組頭くみがしらに報告に行くと、特に深いことを聞かれる訳でもなく、捜索そうさくするでもなく、その件は落着らくちゃくとなった。

 本格的な戦が絶えて百年ほど経ち、侍の大半が用済みの厄介者やっかいものとなった今では足軽小物といえど数が減るのは願ったりということなのだろう。むしろいまさら出てきてもらっては困るといったふうに、斉藤家の断絶だんぜつが早々に決まった。


 決して治らぬ病を得て、世をはかなんで失踪しっそうしたのだろう、という組頭のもっともらしい意見を、小一郎はひどく冷めた眼をして聞いていた。


 小一郎は玄馬の言った「路傍ろぼうの石のごとき死」という言葉を思い返していた。


 厄介払やっかいばらいのような形で、誰もが心のなかで舌を出すような葬式を行い、次の日には忘れ去られるといった茶番劇ちゃばんげきなど、とうていあの男の美意識に耐えられるものではあるまい。


 一生のうちに一人だけでも信頼できる友を持ち、無茶な願いを聞いてもらって桜の一部として生きる。それはなんと甘美な夢であろうか。


 小一郎は少し、今は亡き友を羨ましいと思った。




 それから三十年の時が流れた。小一郎はあの日以来、ことあるごとに桜の様子を見に行っていた。


 死体遺棄したいいきに関わったという罪悪感、それが誰かに見つかりはしないかという不安、そしてどんな花が咲くのだろうかという好奇心が、常に小一郎の頭の片隅かたすみめていた。


 ゴミが落ちていれば拾い集め、虫がついていればつまみ取り、桜を見に来る度に甲斐甲斐かいがいしく世話をしていた。


 木の根本に小便をする酔っぱらいと喧嘩けんかしたことも一度や二度では済まない。


 一本だけ世話をしていては怪しまれるので、結果として四十数本の桜の世話をしなければならなかった。


 最下級といえど、武士が自ら竹箒たけぼうきを持って掃除をする姿は当初、もの笑いの種となり、十年たてば信頼となり、三十年も続くと町の名物となった。


 今では町民たちから”竹崎の旦那”と呼びしたわれ、桜並木の掃除も手伝ってもらえるようになった。事の発端ほったんが死体を埋めたとこだと思えばいささか申し訳ないような気もして、彼は手伝いの町民たちに実に丁寧ていねいに対応し礼を述べた。また、そうした姿はますます彼の評判をあげることとなった。


 桜は、美しく咲いた。これをもって、桜の下に死体を埋めれば美しく咲く、などというのは、風が吹けば桶屋おけもうかかるのごとき暴論であろう。思っていた形とは随分ずいぶんと離れているが、これはこれでよしと、満足している小一郎であった。


 あの世とやらに行ったとき、玄馬への土産話として充分だ。


 余談ではあるが、死体を埋めた桜は他と大差なく、小一郎自身も二十年ほど経って罪の意識が薄れるころには、はてどこに埋めたのかと悩むことがしばしばあった。




 この日もまた、小一郎は孫の手を引いて散歩に出て、桜を眺めていた。


 そこでふと、思い付いたことがある。あいつめ、ひょっとするとわしに墓守をさせたかっただけではあるまいか、と。そう考えると何もかも合点がてんがいくし、玄馬ならばやりかねないことだ。


 だまされたという怒りはいてこない。病死する前の十年と、死別してからの三十年、小一郎と玄馬は確かに友であった。あいつめ、やりやがったなと、イタズラがあざやかに成功したときのような、そんな楽しさが残るのみである。


「じじさま、どうなされました?」


 孫が不思議そうに見上げていた。


「どう、とは?」


「とても楽しそうに笑っていますので……」


 言われて初めて自分が笑っているのだと気がついた。そうか、わしは今笑っていたのかと改めておかしくなった。


「むかし、むかしの友達のことをな、思い出していたのよ。本当に面白い奴で、つい笑ってしもうたわ」


 花びらが美しく舞う街道を、まぶしそうに目を細め、ゆっくりと歩く。


 玄馬、おぬしはこの桜吹雪の一部となったのだな。とても綺麗だ。潔く、美しく舞い散る姿を見れば、桜が武士に愛され続けてきた理由もわかろうというものだ。


 小一郎は隣の孫に聞かせるとも、自分に言い聞かせるともわからぬ声で呟いた。


「桜の下には、死体が埋まっているというてな……」

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桜下の武士 荻原 数馬 @spacedebris

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