桜下の武士

荻原 数馬

第1話 桜散る季節

「桜の下には死体が埋まっているというが、はてさてこれは死体の種類によって咲きかたが変わるものだろうか」


 同輩どうはい斉藤玄馬さいとうげんまの見舞いに来た竹崎小一郎たけざきこいちろうがそのようなことを言われたのは、まだ春の遠い肌寒い日であった。

 布団の上で身を起こす玄馬の体はひどくせこけており、そのくせ目だけはギラギラと光っていて一種の凄みをただよわせていた。

 そんな風貌ふうぼうの男に突然、桜の下の死体がどうのと話を振られたのだ。小一郎が面食らうのも当然であろう。


 沈黙を話を続ける許可としたのか、あるいは最初から小一郎の意見なぞ聞く気がなかったのか、玄馬は続けていった。


「つまりだ、その死体が男と女で、あるいは若いか年寄りか、死因が事故死か病死かで桜の咲きかた育ちかたが変わってくるのだろうかと、まあそういう話だ」


 玄馬の両親はすでに亡く、妻をめとることもなく子もいない。この一風変わった男の病床びょうしょうを訪ねる者は小一郎ただひとりである。

 それだけに、小一郎もまた玄馬とウマが合うところがあり、桜と死体の関係性について、知ったことかと突き放すのではなく真剣に考察こうさつを始めた。


「桜の下に死体が埋まっているとなぜ美しく咲くのか、それが問題だな。単純に養分が必要だからか、あるいは魂のようなものを吸い上げているかだ」


小一郎の着眼ちゃくがんに、玄馬は満足げにうなずいた。


「養分であればそもそも埋める死体はただの肥料扱いで良い訳で、人間である必要性は無い。だが言い伝えでは、埋まっているのは人間の死体だ。やはり血と魂を吸い上げて美しく咲くのだろうか? いやいや、畑の作物とて肥料の種類によって出来が違ってくるのだから、養分説も捨てるのはちと早いか……」


 玄馬はしばらく考え込むような仕草しぐさをして、小一郎のほうを見てにやりと笑った。その目に、異様いようとも危険ともいえる光が宿っている。


「やはり、実際に試してみるしかあるまいなあ?」


「試す、とは……死体を埋めるつもりか?」


「左様。できれば桜を十本ばかしずらりと並べて、それぞれ老若男女、さまざまな人種を埋めて咲き具合の違いを見比べて見たいものだが……」


「玄馬、おぬし辻斬つじぎりか墓荒らしでもやらかすつもりか?」


「さすがにそこまでは、な」


 友人が多少、狂気におかされているとはいえ倫理観まで失っていないことにひとまず安堵あんどした。しかし、これから何を言い出すかわかったものではないという点で安心しきることはできなかった。


「わしもこのような体であるしな……」


 玄馬がさびしげに薄い布団をぽんぽんと叩く。病を得ていなければやるつもりだったのか、といいかけて小一郎は口を閉ざした。冗談にしてはあまりにも悪趣味である。万が一、玄馬の口からやるつもりだなどという言葉が漏れたらなんと反応すればよいかわかったものではない。

 小一郎の戸惑とまどいを察してか、玄馬は笑っていった。


あんずるな、辻斬りなどするつもりは毛頭もうとうないぞ。それよりもな、おぬしを友と見込んで頼みがあるのだ」


 この話の流れで頼みがあるなどというのはろくでもない話だと確信しつつ、友と見込んでと言われてしまえば、無下むげにはできぬ小一郎であった。


「わしが死んだらな、桜の下に埋めて欲しいのだ。できればその後、どんな変化があるか観察してくれ。死体が桜の成長に影響するならば、さぞかしひねくれた木になるだろうよ。ふ、ふ……」


「なんだおぬし、斉藤の墓に入る気はないのか」


二駄二人扶持にだににんぶち雑兵足軽ぞうひょうあしがるの家なぞいつ絶えても惜しくはないが、さすがに先祖に顔向けはできぬわ。墓の中が居心地悪くてかなわぬ」


 面白い冗談が言えたとばかりに玄馬は暗い笑みを浮かべていたが、小一郎にしてみれば友人の生死をネタにされては反応に困る。


 ひとしきり笑ったあと、玄馬は急に黙りこんで真剣な眼差まなざしで友と見あった。今日の見舞いだけでなく、床にせってからでもなく、知己ちきを得てからの十年間、このような表情は見たことがない。


 自然と、小一郎は膝を正して話を聞く体勢をとった。


「なあ、頼むよ小一郎どの。わしはもうすぐ死ぬ。わかるのだ、もってせいぜい三日だろう」


「なにを弱気なことを。そのようなことを言うておったら治るものも治らぬぞ。さ、布団をかけてもう寝ておれ」


「聞いてくれ、つまらぬなぐさめでわしの遺言ゆいごんを聞き流さんでくれ……」


 突如とつじょ、玄馬は小一郎の胸に飛び込んだ。その震える幼子おさなごのような姿に戸惑いを覚えつつも、小一郎はその肩を強く抱いた。


「わしはな、いつ死んでも惜しくはないと本気で思うておった。野垂のたれ死にこそ男の本懐ほんかいだと」


 顔を伏せたまま、くぐもった声の玄馬の告白を、小一郎は黙ってうなずきながら聞いていた。


「だが死を意識した今、本当に恐ろしくなった。いや、死ぬことがではない。何も残さず路傍ろぼうの石のごとき死を迎えることが、だ。生きていようが死んでいようが世になんら影響を与えぬ小物なれど、確かに存在していたのだという証を、爪痕つめあとを残したいのだ。なあ、小一郎。小一郎どのよ。どうかわしの願いをきいてくれぬか。わしは桜となりたいのだ」


「わかった、約束しよう。おぬしの遺体はきっとわしが桜の下に埋めてやる。どんな花が咲くか見届けてやろう」


 小一郎の力強い返事に、玄馬は表情を明るくしてパッと顔をあげた。


「おお、まことか! 友として誓ってくれるか!?」

「誓うとも。玄馬よ、死ね。安心して死ね。後はこの竹崎小一郎が請け負うとも」


 身を離し、側に置いていた刀を引き寄せる。金打きんちょうという、刀のつばを打ち合わせるちかいの儀式ぎしきを行おうとしたのだが、刀を少し抜いたところでふと気がついた。


「いかん、これ竹光たけみつだったわ」


「どうもまらん話だなあ。構わん、それでやってくれ」


 小さな長屋の一室に、コツンと小さな乾いた音がした。二人は顔を見合わせ、ひとしきり笑った。


 その後、玄馬は激しく咳き込み、伝染うつるといけないからと、看病しようとする小一郎をなかば無理矢理に追い出した。


 そうまで言われては長居するわけにもいかず、また数日後に様子を見に来るとだけ言い残して小一郎は帰路きろについた。


 それが斉藤玄馬の生きた姿を見た、最後の日となったのである。

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