Lv.4「これが恋……!?」 「違います」
十二時に駅前で。
そうマスターと約束をしたんだけど、時間になってもまだ来ない。
「遅刻とか、マスターらしくないな……」
いつもなら何分も前に、誰よりも早く来てるのがマスターだ。
来ないってことは、もしかしてこの駅じゃなくて前ヶ崎駅の方だった?
でも瀬川の家の方の、こっちの駅だって確認はしてある。
となると普通に遅刻? それとも事件とか、事故? 探すに行った方がいいか?
そう考えていると、目の前のロータリーに一台の車が停まった。
車種とかはわからないけど、高そうだと一目でわかる、そんな車だ。
「……もしかして」
見つめる俺の前で、車のドアが開く。
そして黒髪をなびかせた、長身の女性が颯爽と降りてきた。
「すまない、道が混んでいてな。少し遅れてしまった」
「やっぱりマスターか。別に遅れたって程じゃないよ」
急に予定を空けてもらったのはこっちなんだから、謝るのは俺の方だし。
「っていうか、車で来たんだな」
「駅前にあると言ったが、車で五分ほどはかかる。迎えに来た方がいいと思ってな」
「それ歩いて行ける距離じゃん……」
間違いなく駅前の範疇だぞ。
運動部みたいに体力があるわけじゃないから、送ってもらえるのはありがたいけど。
「では乗ってくれ」
「ういうい」
マスターに促されて、後部座席に入る。
うっわ、座り心地が凄い。
「こんにちは」
「あ、こんにちは。失礼します」
運転手っぽい雰囲気のおじさんとかに連れて来てもらったのかと思ったけど、意外にもスーツを着た女の人が運転席に居た。そりゃそうか。マスターが男の人と二人で車にって、ちょっと微妙だもんな。
「運転を頼んだのは、家の仕事を手伝ってもらっている篠原君。こちらは友人の西村君だ」
「よろしくお願いします」
頭を下げると、スーツの女の人、篠原さんはクールに言う。
「……篠原です。西村様のお話はかねがね」
「何の話を聞いてたんですかねっ!?」
お姉さんとは初対面なんですけど!?
「マスター、俺の噂とかしてんの!?」
「い、いや、そういうわけではないのだが……友人の少ない私が学校の話をすると、必然的に君の話題もだな……」
「くう、責められねえっ」
困ったように言うマスターと、苦しむ俺。
そんな二人をルームラー越しに見つめて、篠原さんが微笑んだ。
「お話通り、仲がよろしいのですね」
「当然だ」
「そこで胸を張れるのが凄いよな……」
瀬川なら照れて否定してるところだし、俺も恥ずかしいんだけど。
「では向かってくれ」
「はい。出発致します。申し訳ありませんが、ベルトをお締めください」
「あ、はい」
シートベルトを締めると、車がするすると前に進みだした。
ほとんど音がしないし、揺れもしない。なんだこの車。
「よくわかんないけど、いい車だなー」
「うむ、私もよくは知らないが、いい車だぞ」
「知らないのかよ」
「車種や値段、性能ぐらいはわかるが……」
「十分なのでは」
「この車が作られた理念、デザインした者の信念など、知らないことは沢山ある」
そこまで知らなくてもいいだろうに。
マスターの中では、ぱっと見のスペックよりも大事なことがあるのかもしれないけど。
「うーん、俺もいつか車とか必要になるだろうけど、これは無理だろうなあ」
「なんだ、自動車に興味があるのか。やはり男の子というところか」
「車に興味があるわけじゃないけど、将来的には、やっぱ要るだろ」
「なぜだ?」
マスターは不思議そうに言う。
「前ヶ崎で普通に暮らしていく分には、公共交通機関で困ることは少ないだろう。自家用車が必要というわけでもないはずだ」
「……確かに」
言われてみればその通りだ。別に車なんて要らない。
なら、なんで必要だと思ったんだろ?
将来的に俺が車に乗る必要がある……? 将来的……将来……。
「……ああ……わかった……」
「どういう理由だったのだ?」
「想像した『将来』に、当たり前みたいにアコが居たからだ……」
「はっはっは、なるほどな。君の思う理想の夫像、父親像を想像して、車が必要だと考えたわけか」
「大丈夫かな俺……」
かなりアコに汚染されてる気がするなあ。
父さんに車でどこかへ連れて行ってもらうなんて、小さい頃にしかなかったけど、やっぱそういうイメージが残って――いや待て、俺は別に夫でも父親でもないぞ。
「普通の男子高校生は将来の家庭像とか考えないって。冷静になれ冷静になれ」
「私は将来のことを頻繁に考えているが」
「マスターはそうだろうね!」
責任とか重そうだからな!
話している間に、五分ぐらいはすぐに経った。
車はしばらく走った後、駅からさほど離れていない一角で速度を落とし、ゆっくりと駐車場へ入っていく。
「よし、着いたぞ」
「……着いたの?」
え、ここなの?
繁華街とは言わないけど、まだお店が多くて、全然住宅街って感じじゃない。
近くにマンションも何軒かあるけど、ここは明らかに普通のビルにしか見えなかった。
車から外に出てみたものの、やっぱりマンションの駐車場って感じじゃない。
なんかこう、お店の駐車場、的な。
「うーん、マンションって感じじゃないな」
「うむ、普通のビルだ」
「へ? じゃあまさか、ビルに住んでんの!? これ一棟まるごと家!?」
普通にでかいし、高さも六階建てぐらいはあるぞ!
じりじりと引いていく俺に、マスターは呆れ顔で、
「そんなわけがあるか。上二階がプライベートスペースになっているだけで、下層はテナントとして貸している。懇意の会社が事務所に使っているのだ」
「……そ、そうですか」
ビルごと所有してるのは間違いないのね。
いやしかし、ビルって住めるんだな。
「看板も何も出てない謎のビルって結構あるけど、こうなってるんだなあ」
「使い方は自由、よくあることだぞ」
「私も特殊な例だと思いますが……」
そう言いながら前を歩く篠原さんに案内されて、エレベーターに乗り込む。
「お嬢様、上階の方でよろしいでしょうか?」
「ああ、直接私の部屋に向かう」
「かしこまりました」
篠原さんはエレベーターのスロットにカードキーを通すと、六階のボタンを押した。
何なの、それ通さないと上までは行けないの?
そのシステムってゲーム以外でも存在したの?
「……ホテルなどでも、スイートがある区画はエレベーターでキーが必要な場合が多いのですよ」
「あ、そうなんですね」
俺の視線に気づいたのか、フォローするように言う篠原さん。
スイートと同レベルって時点で、庶民には怖いです。
「ちなみに上階っていうのは」
「最上階とその下が我が家の空間なのだが、下が来客用のリビングスペース、上に個人の部屋があるのだ」
「……なるほど。そういや自宅にエレベーターがあるって言ってたけど、こういう意味だったんだな」
このセキュリティだと、五階から六階に移動するのにビルの階段を使うって感じじゃないだろうし。
そう思ったんだけど、マスターは軽い調子で首を横に振って、
「いや、本宅にも搬入用のエレベーターはあるぞ」
「だからどんな家なんだよ」
アコ達は一回遊びに行ってたけど、どこまで大きな家なんだよ。
俺が震えている間にエレベーターは六階まで上がった。
チーン、と音を立ててドアが開くと、そこには普通の家みたいな玄関が。
「こうなってんのか……家みたいだな……」
「私の希望だ。靴のままの方が簡単だが、自宅では靴を脱ぎたいではないか」
「わかる」
スリッパに履き替えて、ふかふかした絨毯の床を踏む。
この上で寝られそうなぐらいによく沈む。
「では後ほどお茶をお持ちします」
「頼む。ではルシアン、こっちだ」
頭を下げた篠原さんと別れて、絨毯の床を歩いていく。
ビル自体がそれなりに大きいのはわかってたけど、中を歩くと本当に広いな。
この一階だけで俺の家よりでかいんじゃないか。
歩くこと十数秒、マスターは少し大きめのドアの前で足を止めた。
「ここが私の部屋だ。さあ、入ってくれ」
言って、ドアについた機械にカードを触れさせる。
ブー、と電子音が鳴って、鍵が開く音がした。
わーお、はいてくー。
「お邪魔しまーす……うわあ……」
「なんだそのリアクションは」
「余りにも予想通りなもんだからさ」
マスターの部屋はやたらと広い割に、高級感と住心地が両立した、過ごしやすそうな空間だった。
プライベートゾーンなんだろう場所には仕切りがされていて、くつろぐ空間とそれ以外が分割された、部屋なのに家みたいな構造。
俺の部屋とかは比べ物にならないぐらいに高級な雰囲気の部屋だ。
それなのに部屋のメインのスペースにはパソコンデスクがどんと据えられ、上にはモニターが二枚並んで置かれてる。
どう見ても場違いなのに、それがマスターらしい。
「こんな大きなモニター、二枚も使えるのか?」
「もちろんだ。本宅はこれどころではないぞ?」
ふんすと鼻息も荒く言う。
ここはここで気に入ったゲームスペースなんだろうけど、本当の自室はもっと気合が入ってるんだろうな。
見てみたいような、怖いような。
「パソコン用の椅子も良い物を使っているが、とりあえずはそこのソファに座ってくれ」
「うい」
テーブルを囲んで置かれたソファに腰を下ろす。
うわあ、うちのリビングのより柔らかい。なんか世界観がおかしくなりそうだ。
「マスター、普段はここで生活してるんだ?」
「学校にはこちらから通った方が近いのでな」
「それで、よく瀬川が帰りに送ってもらってるのか」
「彼女の家は帰り道にある、何の問題もない」
「同じ駅前だもんなあ」
あの車で送ってもらえるなら電車より楽だし、羨ましいぐらいだ。
「もちろん本宅に帰らなければならない場合もあるがな」
「なんか色々と家の用事があるんだっけ?」
「基本的には顔見せと挨拶程度だが、まあしておいて損のあることでもない」
「そういうもんですか」
「頻繁に会う親戚はお年玉の額が多い、というのと似たような話だ」
簡単に言うけど、そんな生易しいもんかなあ。
と、コンコンとノックの音が。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
「うむ、入ってくれ」
「失礼致します」
篠原さんの声と同時にドアが開き、お茶の乗ったカートがガラガラと入ってくる。
後に続いて姿を見せた彼女は、さっきまでのスーツとは違う、白と黒のモノトーンに、長いスカートの衣装に、服を着替えていた。
衣装……っていうか、これは……メイド服、だと……!?
「リアルメイド……! 初めて見た……!」
「……またか」
感動する俺に対して、額を押さえるマスター。
どしたの、メイドさんだぞメイドさん。
いや本人は見慣れてるのか。
「西村様、どうぞ」
「ど、どうも」
本物のメイドさんに給仕されて緊張する俺に、篠原さんは余裕のある笑みを浮かべていた。
メイド篠原さんが置いたカップには真紅の紅茶が。
これも高いんだろうなあ、大事に飲もう。
「ではごゆっくりどうぞ」
「うむ……すまないな……」
やっぱり、なんでか渋い顔をして見送るマスター。
しかし凄いなあ、自宅にメイドさんとか居るなんて。
俺なんてどうしてもメイドを置きたかったら、アコに頼んで着てもらうしかないぞ。
……結構あっさりやってくれそうだけど。それは置いといて。
「いやー、本物のメイドなんて初めてだよ。感動だなー」
「待て、違うぞ。彼女はメイドなどではない!」
感動してる俺に、マスターは強い口調で否定した。
「え、でもメイド服着てたじゃん」
「確かに着ていたが、違うのだ!」
「どう違うとおっしゃるので」
「彼女は両親の秘書のようなものなのだ。今日はこちらに控えていたので、運転を頼んだだけで、普段はスーツを着ている」
「……ならどうしてメイド服なんて着て来たんだよ」
「恐らくは、君の驚いた顔を見るためと……私を呆れさせれば満足だったのだろう……」
ぐったりと言うマスター。
要するに世話をしてるお嬢さんがお友達を連れてきたから、ちょっとからかうためだけにメイド服に着替えてお茶を持ってきた、と。
「……愛されてんなマスター」
「小さい頃から世話になっている。迷惑な姉のようなものだ」
「クールに見えて悪戯好きな姉かあ……」
俺から見ると素敵だけど、やられる側のマスターは大変だろうな。
「じゃあメイド服は普段は着てなくて……いや、待ってくれ、それはおかしいぞ」
「何がおかしいと言うのだ」
「文化祭で家からメイド服持って来たじゃん」
「うっ」
ぐぬっ、と胸を押さえるマスター。
「あれはその、だな。確かに本宅は大きいため、手伝いを頼んでいる人間は居るのだ。何ならハウスメイドと言えなくもない」
「やっぱメイドさんが居るんじゃん」
「違う。そちらも来客に失礼のない服装なら良しという契約なのだ。なのだが、以前に故あってメイド服を用意してからは、来客のない日はメイド服で仕事をしていて……」
「完全にメイドじゃん」
「むしろメイドは困るのだ……皆、来客のたびにスーツに着替えているのだぞ……」
マスターは疲れた声で言った。
まあお客さんの前でコスプレみたいにメイド服を着るわけにもいかないだろうから、必要な時はちゃんとした服に着替えるわけか。
なんかもうそれ、メイド服を着てる必要あるのか。
「正直言って、もはや彼女達の趣味の域だ」
「ご両親はそれで怒らないの?」
「面白いから良いだろう、とのことだ」
「マスターのご両親だなあ」
「不本意だ」
むー、と頬をふくらませるマスター。
年下みたいに見えてちょっと可愛い。
「でも、なんだかホッとしたよ。友達が居ないとか言ってたけど、周りには素敵な人が居るんだな」」
「ああ、友人と言うには少し違うが、支えてくれる大人は居る」
マスターも微笑んで答えた。
そうだよな、ちゃんとした人に可愛がられて育たないと、こんな真っ直ぐな人にならないよな。
「逆に俺なんて、ネトゲがなきゃマスターと全く接点がなかったぐらいだし」
「そんなことはないだろう、同じ学校の生徒だ」
「でもリアルのレベルが違う感じがしてさ」
ゲームで長い間会っていたからこうして普通に話してるけど、リアルが初対面だったら緊張して紅茶なんて喉を通らないよ。
「そういう意味でネトゲは凄いよなあ」
「むしろ、私など及びもつかない、とてつもない大金持ちが居てもおかしくはないだろう」
「そういや対戦ゲーで友達になった外国の人が石油王だったって話、聞いたことあるな」
「恐ろしい話だな……私も石油王の邸宅を訪問するのは気が引けるぞ……」
「俺が今そういう気持ちなんだぞ」
「それは失礼をした」
「全くだ。もっと庶民的な家も用意しておいてくれ」
「うむ、両親に相談しておこう」
「ごめんやめて」
「はっはっは、冗談だ冗談」
そんな生活環境の違いも、冗談にして笑い合える。
そうだよな、緊張するとか気がひけるとか言ったところで、それはそれって流せるから友達なんだ。
話しながら、俺も紅茶を口に運ぶ。
うん、美味い。
「美味いけど、美味い以上のことがわからない……」
「それで良いのだ。美味だというだけで篠原も喜ぶだろう」
「だといいんだけど」
おっと、話に夢中になってた。
ちゃんとお礼を言って、お返しを渡さないと。
「それで本題なんだけど」
「うむ」
「ええと……バレンタインデーに、マスターからチョコを貰っただろ」
「そうだな」
「で、今日はほら、ホワイトデーだろ。なので、お返しを……」
鞄から取り出したクッキーの袋と、こちらは袋に下げていた、大きめの箱をテーブルに置く。
「チョコレートありがとう。これからもよろしく……ということで、つまらない物だけど、受け取ってください」
「これは……い、頂いて構わないのか」
「もちろん、お返しなんだから」
そんな恐縮されるようなものじゃないし。
「クッキーは俺が焼いたから、口に合うかわかんないけどさ」
「なっ……手作りだと……!?」
戦慄した表情で言うマスター。
俺そんな料理下手なイメージあった!?
「私もまだ成功していないというのに……」
「……それは頑張ってくれ」
割と大変だったから、気持ちわかります。
「それで、こちらは?」
「クッキーだけだと何だから、ちょっとしたプレゼントを」
「プレゼント、だと? 開けてもいいだろうか?」
「どうぞどうぞ」
うきうきとプレゼントの箱を開くマスター。
中には――一彼女をじっと見つめる、一頭の豚が居た。
「……シュヴァインか?」
「違う。違わないけど、違う」
正確には豚型の置き物だ。
豚さんではあるけどもシュヴァインではないのです。
「ここを見てご覧なさい。背中に切れ込みが入っているだろ?」
「うむ」
「なんとこの豚さん、ここからお金を入れられるのだ」
「……貯金箱か」
「そう、その通り」
これは豚さんではなく、豚さんの貯金箱なのだ。
「ううむ、噂には聞いていたが、私も実物を見るのは始めてだ」
「俺も豚さんの貯金箱を見てちょっと感動した。実在するんだな―って」
「しかし何故これを私に?」
「……それはだな」
ごほんと咳払いをして、姿勢を正す。
「マスター、よく課金してるよな」
「うむ。欲しいアイテムや良いサービスがあれば課金は惜しまぬぞ」
「だよな。うん、まあそれは仕方ない。欲しい物があってお金があるなら、買いたければ買えばいいと思う――しかし!」
「しかし?」
「マスター、欲しい物なんてないのに、課金したいからって理由で課金してる時があるだろ」
「うっ……どうして知っているのだ、ルシアン」
「わからないわけないだろ」
課金したいなーってオーラを出しながら課金アイテムを眺めた後、全く必要のないガチャを始めるマスターの様子を何度も見てるんだから。
というわけで用意したのが、この貯金箱なんだ。
「そこで、この豚さんの貯金箱だ。課金したいけど欲しい物がない時には、こいつにチャリンと入れて課金した気分になればいいかなと」
「ううむ……なるほどな……」
俺のプレゼントに、マスターはとても気まずい表情で言う。
「この貯金箱はありがたく使わせてもらうのだが……課金欲求は貯金で解消できるものではないと……いや、気持ちは本当にありがたいのだぞ?」
「ふっ、そう言うと思ったぜ」
「なん……だと……?」
俺を舐めないでもらいたい。
貯金箱にお金を入れるぐらいで、マスターが満足できないのは予想済みだ。
「こいつはレトロな外観だけど最新式でさ、Wi-Fiに繋ぐと、お金を入れたのがネット越しにわかるようになってるんだ」
「ネット越しに……ということは……」
「ああ、この貯金箱の接続方法を共有すれば、マスターが貯金箱に課金したのが全員に伝わるんだよ」
「それは……なるほど、面白いではないか!」
「だろ!」
そう言うと思った
課金欲求は貯金箱じゃ満たせないだろうけど、皆から「また貯金してる!」って言われたら満足できるんじゃないかと思ったんだよ。
「課金したい、でも我慢しなきゃって時に五百円なり千円なりを入れれば、それで我慢したのが俺達にもわかるんだ。これなら使えそうだろ」
「課金した上に、呆れられずに褒められるわけか。さすがはルシアン、素晴らしい発想だ」
「いや褒めるかはわからんけども」
手元からなくなったわけじゃないけど、財布からお金が減ってることは間違いないわけで。もちろん無駄な課金をするよりいいけどね。
「というわけで使ってくれると嬉しい」
「ああ、ありがたく利用させてもらおう」
ぽんぽんと豚の頭を撫でるマスター。
「それにこのデザイン……シュヴァインに監視されているようで身が引き締まるな……」
「もう課金はするなって言ったでしょ、とか言いそうだよな」
可愛らしい豚さんなのに、俺達の間ではツンツンしたイメージになってしまうのだった。
「……しかしルシアン、この貯金箱、かなり高価なのではないか」
「あー、まあ、安くはないけども」
実際、他のお返しと比べると、一番高価ではある。
買う時にちょっと勇気が要るぐらいの値段でした。
「ほら、マスターには手作り以外に、高いチョコももらっただろ」
「むしろあちらがメインだったのだが」
「手作りの方が嬉しかったからさ」
手作りより市販のチョコがメインだとは思えないって。
でも高い物をもらったのは事実なわけで。
「高いチョコをもらっちゃった分、ちゃんと返さなきゃって思ったのは、ちょっとある」
「そんな気を使う必要はなかったのだが……」
「わかっちゃいるけど、な」
「ううむ、申し訳ないな……」
すまなそうに言ったものの、マスターはすぐにふにゃふにゃと気の抜けた笑みを浮かべて、
「しかし……いや、嬉しいものだな。こう私のことを考えて贈られたプレゼントというのは」
「喜んでもらえたなら良かった。マスターは欲しい物は全部自分で買ってそうだから、ちょっと緊張してたんだ」
「後輩からの贈り物だ。一生の宝物だぞ」
「大げさな。満タンになったら割るしかないんだぞ」
「うむ。いつか満杯になった日には、皆で使うとしよう」
「……それはマスターが使ってくれ」
マスターの貯金箱なんだからな。
しかもマスターのことだから、硬化じゃなくてお札とか入れてそうだし。
結構大きな貯金箱だから、かなりの額になるぞ。ちゃんと自分で使ってもらわないと。
「ともかくちゃんと渡せて、喜んでくれて良かった。チョコありがとうな、これからもよろしく」
「ああ、こちらこそ、だ」
これで目的は達成だ。
なんだか気が抜けて、ふう、と息を吐いた。
「……それで」
と、マスターは真剣な表情で俺を見つめて、言った。
「そろそろ本題に入るとしようか」
「え……本題?」
「ああ。他に用があるのだろう、ルシアン?」
「いや、今のが本題だけど」
「……?」
「…………?」
疑問符を浮かべたまま、二人で見つめ合う。
他にって、何の話?
「い、今のが本題なのか? ホワイトデーはついでで、私に何か相談があるのでは!?」
「どうしてだよ、何を相談するっていうんだ」
「最近アコ君の目が怖いだとか、シュヴァインと喧嘩をしただとか、セッテともっと仲良くしたいだとか、そういった話があるものだと」
「何もないよ! っていうかアコの目が怖いってどゆこと!?」
そりゃ確かに、最近のアコはマジな目をして抱きついてくる時とかあって、ほんのり怖いけど!
「くう、どうしてみんな、話があるって言うと相談事だと思うんだよ!」
「今までは大抵そうだったではないか」
「……かもしれない! いつもごめん!」
「気にすることはないぞ。むしろ私は皆に頼られる方が嬉しいのだ。ルシアンの相談に乗るのは至福の時間だぞ」
「ありがたいけども!」
言われてみればよく相談とか頼み事とかしてるもんなあ。
そう考えるとなんだか申し訳ない。
「と、とりあえず今回はマスターにお返しをするのがメインだから! いつもありがとう!」
「そ、そうか。私のためだけにわざわざプレゼントを選んで、休日に会いに来てくれたわけか」
「そういうこと、だけど」
「…………」
会話に謎の間が空いた。
と、俺と顔を見合わせていたマスターが、ゆるゆると顔を下に向けて、膝の手をもじもじと動かし始める。
こ、これはまさか、照れておられる?
「マスター?」
「いや……そのだな……」
顔を上げないまま、普段はしない上ずった声で言う。
「原因がわからないのだが、なぜか頬が熱く、鼓動が激しいのだ。なのに頭はふわふわと浮くようで、妙に瞳が潤んで……」
そこでマスターは、はっと顔を上げた。
「これが恋……!?」
「違います」
「やはり違うか」
むむむと首をかしげるマスター。
「指先がチリチリして、口の中はカラカラなのだ。目の奥も熱いのだが……」
「待って、それ俺が死んでるやつ」
どっかで聞いたやつだから!
しかしマスター、普段は自信満々なのに、他人に褒められたり好かれたりするのに慣れてないからなあ。
お礼を言われたりすると、こうやって照れちゃうんだよ。
「まあ深呼吸でもすれば収まるって」
「うむ。すー……はー……」
マスターは何度か深呼吸をした後、紅茶をくっと流し込む。
「……うむ、落ち着いた。恋ではないな」
「その辺のコントロールはしっかりしてるよな」
「マインドセットは帝王学の基礎だぞ」
だからなんで帝王学を……いや、今更もういいけど。
「して、冷静になって気づいたのだが」
「お、どした?」
「私にお返しを渡したということは、他の者にも渡さなければならないのではないか」
「そうそう、今日中にみんなのところをまわらないといけないんだ」
「やはりか。では余り長居をさせるわけにはいかんな」
「別に急ぐわけではないんだけど」
あとはアコと秋山さん。予定のわからない二人だし。
わざわざ招待してもらったのに、用だけすませて帰るってのも申し訳ないし。
しかしマスターは頼りがいのある笑みを浮かべると、
「先程も言っただろう? 私は皆に頼られた方が嬉しいのだ。自室への招待は、また改めて本宅で行おう」
「どんな大豪邸か想像するのも怖いけど……わかった、今度お邪魔します」
「うむ、それで良いのだ。では駅まで送るとしよう。篠原君に声をかけて……」
ソファーを立って歩き出したマスターが、部屋のドアノブを握る。
その手が、ガチャっと音を立てて止まった。
「……む?」
「あれ、どうかした?」
「ドアが開かぬのだ」
がちゃがちゃとドアノブをいじるマスター。
確かにドアが開かないみたいだ。
「なんでだろ、鍵でも閉まってるのかな」
「内側から開かない鍵などおかしいだろうに」
「でも実際に開かないしわけだし……」
「むむむ」
悩む俺達に、部屋の外からの声が聞こえた。
「お嬢様……西村様……」
「あ、メイドさん!」
「篠原君か、助かった。部屋のドアが開かないのだが、そちらに何か異常はないだろうか?」
「はい、電子施錠をさせていただきました」
「そうか、ならば……は?」
「え、ど、どゆことですか!?」
固まる俺達に、ドアの向こうの篠原さんが言う。
「電子キーの方を操作しまして、ロックさせて頂きました」
冷静な声で、さらっと恐ろしいことを!
「篠原君、どうしてそんなことをした!?」
「お嬢様が始めて連れてきた男性……これはぜひとも旦那様と奥様にご紹介をしませんと、と思いまして。お夕食は四人分用意致しますので、お時間までこちらでお待ちください」
「待った待った待ったー!」
何か勘違いされてる!
俺はそういうのじゃないから!
「違うんです! マスター……杏さんとはただの友達で、何もないんで! 御両親に紹介とかそういうのは要らないですから!」
「杏、さん……」
「マスターも照れてないで言って! もしかして俺、マスターに手を出す悪い虫だと思われてるんじゃ……」
「いいえ、そんなことはございません」
「……あれ、違うの?」
「はい、西村様のお立場は存じ上げております。お嬢様と共通のご友人と交際中ですとか」
「……どこまで俺の話が漏れてるのか気になりますけど、まあ、そうです」
あっさりと否定されて、ほっとしたものの、逆に疑問が増えた。
なら俺達を閉じ込める必要ないよね!?
「じゃあなんで食事なんて……」
「以前の件から、旦那様も奥様も、西村様に興味があると仰っていまして」
「以前……? 何かあったっけ……?」
「伯父の件だろう。全員そろって会食中にやって来たではないか」
「あああああっ」
よもやお見合いかと思って突撃したら、伯父さんが居ただけだった事件とかあったな!
あれが原因か!
「そ、その件はまた改めて、全員で説明を……」
「いえ、そちらは問題ありません。というかもう、言ってしまいますと」
扉の向こうから、静かに、でもはっきりと楽しそうに言う声が。
「旦那様、奥様、お嬢様、そして西村様でのお食事。ああ、お嬢様のとてもとても楽しいお姿が拝見できそうで……楽しみでならないのです」
「マスター! この人ダメな人だぞ!」
「だから言っているではないか……迷惑な姉のような人だと……」
「ではお時間までごゆっくり」
「待ってー!」
行っちゃったー!
困ったな、さすがに夕食まで一緒に居たら、アコと秋山さんにお返しなんて渡せそうにない。
「ど、どうしよう」
「……決まっているだろう」
マスターは瞳をきらりと輝かせて言う。
「二人でこのビルから脱出ゲームだ!」
「やっぱそうなるよなー!」
ダンジョンを出るまでがクエストです。
マスターの別宅潜入ミッションは、脱出ミッションへ姿を変えたのだった。
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