Lv.9「今日は間違いなく最高の一日だった」

 ラスボスの居る家に突撃する、というのは、さっきやった。

 しかし今回はさらにレベルアップしてる。なにせ裏ボスの居る家だ。

 仕方ないと諦めて来たものの、こうして目の前にすると今からでも帰れないかなって本気で考えてしまう。


「行きたくない」

「そんな悲しい顔で言わないでくださいよう」


 泣き言を言う俺に、アコは自分も困り顔で返す。


「私だってドキドキなんですよ? ルシアンとお父さんが喧嘩しちゃったらどうしよう、とか心配で!」

「今更おじさんと喧嘩するとは思えないけども」


 何度か顔を合わせてるけど、娘についた悪い虫、みたいな扱いを受けたことは一度もない。

 なんかこう、その点ではとっくに諦めがついてる感じ。

 むしろ懐かしい物を見ているような、優しい目を向けられることが多い。


「でもさあ、おじさんと一緒に飯ってのはやっぱキツイんだよ」

「おじさんじゃないです、お義父とうさんです」

「いや、俺からしたらおじさんで」

「お義父さんです」

「……(アコの)お父さんな」

「微妙に発音が違う気がしますが、おっけーです」


 そこにこだわる必要があるんだろうか。

 アコのお母さんもお母さんって呼んでるから、別にいいんだけど。

 

「さ、ルシアン、入りましょう。ほらほら」

「わかったよ、ちくしょう」


 玄関を開けて手招きをするアコ。言われるがままに、後に続いた。

 秋山あきやまさんみたいにあっちから来られても怖いから、こちらから行った方がマシだな。


「ただいまですー」

「……お邪魔します」

「ルシアンもただいまでいいんですよ?」

「ゆるして」


 恐る恐る靴を抜ぎつつ、お父さんはもう帰ってるのかな、靴はあるかな、と探していると。


「二人ともお帰りなさい。丁度ご飯ができたところよー」


 やたらと機嫌の良さそうなお母さんがリビングから出てきた。


「ルシアン連れてきましたー」

「ゆっくりしていってね、英騎ひでき

「お世話になります」


 うふふふふー、と笑ってリビングに戻っていくお母さん。

 その後ろ姿を見つめて、アコがぽつりと言った。


「お父さん、もう帰ってきてますね」

「え゛っ、マジで? なんでわかんの?」

「お母さんの機嫌で」

「……なるほど」


 家でも謎な苦労してるんだなあ、アコ。

 さて、お父さんがもう帰ってる、ということは――。


「ああ、お帰り亜子あこ。英騎君もいらっしゃい」

「ただいまです」

「お邪魔します……」


 そうですよね、もうそこに居るんですよね!

 通されたリビングには、アコのお父さんがのんびりと座っていた。

 スーツ姿で会うことが多い人だけど、今日は気を抜いた部屋着だ。なのにやたらと渋くて格好良いんだけど、何なのこのイケオジ。

 そりゃ今でも夫婦仲良いでしょうよ! 俺にはとてもこんな風になれる気がしないぞ!


「夕食時にお邪魔しちゃってすみません」

「いやいや、娘のことだ、突然に言われたんだろう? こちらこそすまない」

「そう言ってくれるのはお父さんだけです……!」


 俺のこと労ってくれるのはお父さんだけだよ! 

 彼女(?)の家で味方なのが父親だけってどういうことなんだ!


「英騎君もゆっくりしていってくれ。遅くなったら車で送ろう」

「何から何まですみません」

「この女所帯だ、仲間が居るのは私もありがたい」


 突然やってきた男にこのリアクション。なんでこの良い人からアコが産まれたんだろう。


「あらあら、仲良しさんね? 夫が息子に取られるのは、ちょっと想定外かしら」


 このお母さんのせいか! なるほどね!


「取りませんよ! っていうか、息子扱いなら嫉妬してどーするんですか!」

「そうですよ! 確かにルシアンがお父さんと仲良過ぎてちょっと妬ましいところはありますけど!」

「ややこしくなるから、アコはちょっと黙っててくれ!」

「ここ私の家ですよ!?」

「ははは、ビシッと言ってくれる息子というのは本当に助かるな」


 グラスを傾けるお父さんは、ちょっと疲れた声だった。

 毎日こんな状態なら、そりゃそうだろうなあ。


   †††   †††   †††


「今日は若い男の子が居るから、沢山作ったわよー。お腹一杯食べてね?」

「いや、食べますけど……凄い量ですね……」


 どんどんと目の前に並べられていく、見た目からも気合の入った料理の数々。

 テーブルに載せられるかもギリギリってぐらいだけど、これ俺が来なかったらどうする気だったんだ。


「さあ、召し上がれー」

「頂きます」

「いただきます」

「いただきまーす」


 食事の開始の合図はちゃんとするのが玉置たまきの流儀らしい。そもそも全員が食卓に揃うって状況が多くない我が家とは違うなあ。

 っていうか、そういうところが色々違うから、他人の家でご飯を食べるのって気をつかう。

 もしも不味かったりしても、絶対に文句なんて言えないし。

 まあアコに料理を教えたのはお母さんらしいから、不味いってことはないだろうけど。

 そんなことを考えながら、手近にあったおひたしっぽい小鉢に箸を伸ばす。


「あ、美味い」

「本当? 良かったわ」


 のほほんと微笑むお母さん。

 うん、美味しい、間違いなく味は良いんだけど……んん?

 色んな料理を口に運ぶにつれて、なんだか違和感が出てきた。

 アコのお母さんって、こういう感じなの?


「……?」

「どうしました、ルシアン?」

「え、いや、どうもしないけど」

「でも何かこう、疑問のありそうな雰囲気でしたけど」

「雰囲気だけで気持ちを読み取るのやめて」


 顔に出ないようにしてたのに、付き合いが長い嫁はこれだから!


「あら、お口に合わなかった? 何か失敗したかしら?」

「そうかな、いつも通り美味しいがね」

「あなたったら、もう」


 照れ照れと頬を抑えるお母さん。奥さんのメンタル管理がめっちゃ上手いすね、お父さん!

 っていうか、違うんです、不味いとか嫌いとかでは全然なく。


「お母さんのご飯、何か変でした?」」

「変じゃない変じゃない。美味しいって。ただその、ちょっと意外というかなんというか」

「意外、ですか」

「アコは味付けが濃い、どーん! って感じの料理を作ってくれるだろ。でもお母さんの料理はこう、薄味だけどすごくちゃんとしてる感じで」


 親子なのに味付けの方向性が全く違うからちょっと驚いちゃったんだ。

 瑞姫みずきも始めのうちは、俺が作ってたような、肉を焼いてどかーん! みたいな料理を作ってたのに。

 なんでだろ、と首をかしげた俺に、


「お母さんの味は、お父さんに合わせてるからじゃないですか?」

「亜子の料理は英騎の好みに合わせてるのよね」


 二人は当たり前のように言った。


「この人は薄味で、一食で味の種類が多い方が好きなのよ~」

「はは、若い子はもっとわかりやすい味の方が好みかもしれないな」

「あなたは昔から手の込んだ料理が好きだったものね」


 え、ということはなに。

 俺が玉置家の味だと思ってたのは、そうではなかったってこと?


「アコ、自分の家の味じゃなくて、俺の好みで作ってたの?」

「だってルシアン、しっかり味がついてる方が好きでしょう?」

「そ、そうだけど」


 自分で作る機会が多かったり、親がレトルト調理品を愛用してたから、正直薄味の良さってわかってないところがあって。

 最近は瑞姫がそういう方面に目覚めつつあるから、ちょっとずつ矯正されてるとは思うんだけど……。


「そんな気をつかうことないのに……自分の好みでいいんだから」

「いえいえ、ルシアンに喜んでもらうことが第一ですから!」


 むふー! と胸を張るアコ。

 そんな娘に、お父さんは少し遠い目をして言う。


「この子は昔からジャンクフードが好きでね。本人の好みもそっちだろう」

「ちょっと目を離すと、買い物カゴにポテトチップを隠してたわよね~」

「私の覚えてない話をしないでくださいー!」

「……好みが同じならいいんだけど」


 そうね、アコの部屋、いつもお菓子が貯蔵されてるもんね。

 引きこもり用だけじゃなく、単に好きなのね。


「……一緒に薄味に慣れようか、アコ」

「塩分は正義ですよう」


 やっぱり、単にアコの好みだったんじゃなかろうか。

 ただでさえ不健康ゲーマーなのに、二人で早死にしないように気をつけないと。


「そういえば、亜子は学校ではどうしてる?」


 ふと会話の途切れたタイミングで、お父さんに尋ねられた。

 学校のアコかあ、最近はどうだったかな。


「意外と、って言うと失礼ですけど、上手くやってますよ」

「英騎君……本当に、か?」

「それはびっくりね……ちょっと信じられないわ」

「みんなして私に酷くないですか!?」


 そんなこと言われてもアコ氏や。去年の春ぐらいを思えば、意外でしかないだろうに。


「俺とは違うクラスなんですけど、なんていうか、癒し系な感じで愛されてますよ。部活の方には仲の良い友達が沢山居ますし」

「そうなのか……それは良かった」

「我が子ながら、癒し系のセンスはあるものね」

「ヒーラーですから!」


 むしろ癒し系のセンスしかないというかなんというか。

 話しかけられても上手く会話がまわらないし、何が得意ってこともないので、ポジションは基本的にペットだ。

 それも正確に言うと、他人のペット。

 瀬川せがわと秋山さんのペットに手を出す輩は居ないみたいで、割と平和にやってる。


「それに、よくこちらのクラスに来てるので、クラスを越えて友達が居ますよ」

「え、友達はルシアン達だけでですよ?」

「いや、お前……友達なんて言ったもん勝ちなのに……」


 なんでそう無駄なところでストイックなのか。

 建前上だけでもフレンドリーな振りをすれば……いや、んな器用なこと、俺達にできるわけないけど。


「来年度はお友達と同じクラスになれるといいな、亜子」

「はい、しっかり先生と交渉しました!」

「バレないように上手くやるのよ」

「後押ししちゃダメでしょうが!」


   †††   †††   †††


「も、もう食べられない……動くのも無理……」

「良い食べっぷりだった。若いというのは素晴らしい」


 食後。

 キッチンで片付けをするアコとお母さんに対して、俺は完全に動けなくなっていた。

 残すわけにはいかんでしょ、と自分の前に出されたものはなんとか食べきったんだよ。その代わり、本当に腹がヤバイ。すぐ帰ろうと思ってたのに動けないぐらいキツイ。

 結果としてお父さんと二人でテーブルに残されるっていう怖い状況になってるんだけど。


「…………」


 アルコールの香りがするグラスを口に運ぶお父さんに、恐る恐る視線を向ける。

 こういう時って何を話せばいいんだ……アコ、お母さん、戻ってきてくれえ。


「……英騎君はまだ未成年だったな」


 と、こちらに視線を向けないまま、お父さんが言った。


「へっ? はい、もちろん。同級生ですから」

「そうだったな……亜子がいつも『夫』と言うものだから、学生だという感覚が薄い」

「家でもあのまんまなんですね、アコ」

「家でも、ということは……学校でも?」

「ほとんど変わりません!」

「すまないな、苦労をかける」


 謝罪というよりは同情に近い雰囲気の言葉だった。

 ええもう、アコのお母さんがアレな以上、お父さんは散々に味わったでしょうね!

 二人で自然と苦笑を向けあった後、お父さんがぽつりと言う。


「……今日は本当にありがとう。亜子の話が聞けてよかった」

「そんな。家族の時間を邪魔しちゃって申し訳ないぐらいで」


 言った俺に、お父さんはキッチンの方に顔を向けて、


「こんな風に、団欒と言えるような家庭になったのは……二年前からだ」

「……? そうなんですか?」

「ああ。当時は今ほど仲の良い親子ではなかった」

 

 懐かしさと、苦々しさのこもった言葉だった。

 ええ、そういう風には見えないぐらいの仲良し親子だけど。


「なんでですか? アコの反抗期とか?」

「反抗期……とは違うものだろう。私達夫婦の至らなさだ」

「……何か揉め事でも?」


 立ち入ったことを聞くのは良くない、と思いながらも、口に出してしまった。

 この人の話を聞きたいと思ったし、俺に話したいと思っているように感じたし、それに――普段は聞かないようにしている、アコの過去のこと、本当はもうちょっと知りたいんだ。

 そう少しの覚悟をした俺に対して、お父さんの答えはこれだった。


「夫婦仲が……良過ぎてな……」

「それ問題なんですかね!?」


 やっぱりこの人も玉置家の人か!

 っていうか、もともとお父さんの名字だもんな!


「夫婦仲が良くて困ることはないと思うんですけども」

「そうとも言えない。過ぎたるは猶及ばざるが如し、ではないが……私達は余りに仲の良い夫婦でありすぎた」

「……ああ」


 少し事情がわかった気がした。

 アコもそれらしいことを言ってた気がする。家庭に居場所がない、とか。


「妻も私も、娘を心から愛しているが、同時にお互いを愛してもいる。父と夫、母と妻の両立というのはなかなか難しいらしい」

「アコ、寂しかったんですかね?」

「そう思わないように努力したつもりだったが……感受性の鋭い子だ。特に、疎外感や忌避感に敏感だ。二人にとって自分は邪魔者だと、そう思っていたのかもしれない」

「ちょっとしたことでも悪意を感じちゃうやつですからね……」


 理由が平和だったから気を抜いてたけど、思ったより真面目な話だった! 

 正直、俺にはちょっと難しいです!

 我が家の両親は仲の良い方だとは思うけど、そもそも忙しそうで二人揃うことが少なかったし。

 実際にアコは、二人の時間を邪魔しないようにって、ちょっと過剰に気にしてるところがあるとは思うけど……こんなアコの家庭に根ざした大問題、俺にどうすればいいんだ……。


「それは、その……今もなんですか? 解決策とかは……」

「いや、今は全く問題ない」

「は?」

「何もかも解決した。二年前にな」


 解決済みの話なの!?

 目を丸くした俺に微笑み、お父さんはコンと軽い音を立ててグラスを置いた。


「二年前。アコが君の――『ルシアン』の話題を出すようになった」

「俺の……?」

「それから私達を見る目に、疎外感ではなく、憧憬が宿るようになった。寂しいとすら言わなかった娘が、羨ましいと言うようになった。私達の話を聞きたいと強請った。恋をしたのね、と聞いた妻に、恥ずかしそうに頷いた」


 その姿は、なぜかリアルに想像できた。

 今よりもいくらか小さなアコが、じーっと羨ましそうに二人を見て、言うのだ。

 『どうすればお母さん達みたいに、仲の良い夫婦になれますか?』と。


「名も知らぬ『ルシアン君』に、私は大層感謝したものだ……まあ、結婚した、夫婦になった、と言い出した時はどうしたものかと思ったが」

「その節は本当に申し訳ないです」

「大事な娘だが……一年もすればあきらめもつく」


 苦笑して、並んでカウンターキッチンに立つアコとお母さんに目を向ける。


「あれからずっと、妻と娘は先輩と後輩――いっそ同志のようにすら見える。恥ずかしい話だが、あんなに良く似た親子だとは思っていなかった」

「仲良く悪巧みをしてるみたいですからね……」

「すまないが、もう少し、付き合ってやってくれ」

「大抵は俺も楽しいんで、構わないんですけど」


 ただ、ちょっとバレンタインデーのことを思い出しながら言う。


「体にチョコを塗るってのは、ちょっとないかなーと」

「私も、二度とするなと言っておいた」

「引きますよねえ」


 というか、やっぱりお父さんもやられたんですね。

 そうだよな、あのチョコの量、一人分には多すぎたし。


「ともあれ、我が家に気をつかうことはない。君が来ると、娘は喜ぶし、妻も若返るようだ。実は私も息子が欲しかったし――」


 どこか若い笑みを浮かべて、お父さんは俺の肩を叩く。


「――被害者が増えて、気分が楽だ」

「二人居ても、食らうダメージの総量は変わんない気がしますけどね」


 しかし、正直に言ってしまうと。


「やっぱりまだ部外者のつもりなので……あんまり歓迎されると、それもそれで気まずいところがあるんですけど……」


 お父さんは目の端だけで微笑んで言う。


「じきに慣れる」

「……そうですか」


 言外に、来るたびに歓迎する、と言われているようだった。

 いや、多分そう言ったつもりなんだろう。マスターとはまた違う方向で、難しい言い回しをする人だし。

 実際、お父さんはいい人だし、俺の苦労を先に味わった先輩のようなところがある。色々お話を聞きたいし、将来のことを考えなくても、仲良くなりたいと思う。


「でも……もうちょっとこう、娘は渡さないぞ、みたいなのがあってもいいんですが」

「何が悲しくて大事な一人娘と縁を切らなければいけないのか」

「流石お父さん、アコのことよくわかってますね!」


 交際に反対だとか言ったら、例えお父さんでも許さないやつだからね!


   †††   †††   †††


 片付けを終えて戻ってきた二人と一緒に、食後のお茶までごちそうになって、気がつけばもう遅い時間になっていた。

 本当はすぐに帰るつもりだったのに、すっかりお邪魔しちゃったな。


「長居しちゃってすみません、そろそろ帰ります」

「おっと、もうこんな時間か。遅くなったし、車で送ろう。亜子も乗っていけばもう少し話もできるだろう?」

「お願いできると助かります」

「あなた、ちょっと待って」


 そう話す俺達に、アコのお母さんが猫のような悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「あなた、忘れてるでしょう?」

「どうした、君も一緒に来るか?」

「 こ れ ♪ 」


 コンコンと、お父さんの前に置かれたグラスに指を触れさせて、


「お酒飲んだでしょう? 飲酒運転はダメよ?」

「…………ああ……」


 言われてみれば、お父さん、お酒飲んでたじゃん。

 ダメじゃん、運転、できないじゃん。

 そんな俺達の視線を受けて、お父さんは崩れるように椅子に座り込む。

 そして額に手を当ててうめくように言った。


「……すまない、気を抜いていた」

「遅くなったら送る、なんて言ったのは自分なのにね? あなたらしくないミスよね~」

「その……息子と酒を飲む、ということに頭が一杯でだな……」

「ふふふ、あなたも英騎が来てくれて浮かれてたのよね~?」

「私が悪かった、やめてくれ」

「帰ってからもずっとそわそわして、何時に来るだろう、もう少しカジュアルな服の方が良いだろうか、って何度も着替えたりしちゃって」

「本当に勘弁してくれ……」


 からかうお母さんと苦しむお父さん。二人をどこか冷めた目で見て、アコがため息をつく。


「お父さん、たまにダメになるんですよねえ……」

「いやまあ、問題なく帰れる時間なんだけど……どうしよう?」

「こうなっちゃったら二人にしておくしかないんで、ほっといて行きましょう」

「……了解。お邪魔しました」

「すまない……また来てくれ……」

「またね~、英騎~」


 仲の良すぎる夫婦に挨拶をして、部屋を出る。

 アコの気持ちがわかるな、あの状態の二人に割り込む気には全然なれないし。


「……アコ、俺達はもうちょっと距離のある夫婦になろうか?」

「なんでですか!? 絶対に嫌ですよ!?」

「ですよねー」

 

 アコの思う『夫婦像』っていうのがあの二人なら、こんな風になるのも納得だよちくしょう。

 

 外は当たり前だけど真っ暗で、昼よりかなり肌寒く感じた。

 門限が有るわけでもないけど、ちょっとお説教は覚悟しなきゃいけない時間になりそうだ。


「よっし、ちょっと急ぐか。んじゃんな、アコ」

「あの、駅まで送りますよ?」

「駅から一人で帰らせるのが怖いって」


 むしろアコには家に居て欲しいぐらいだ。

 何せ今日はまだ、一つだけやり残しがある。


「それより頼みがあるんだけど」

「はい?」

「俺が家に帰るの、ちょっと遅くなりそうだけど……ログインして待っててくれないか?」

「わかりました。まだ全然眠くないので、絶対に居ると思います」

「生活リズムはちゃんと戻すようにな!」


 ええい、夕方まで寝てたやつはこれだから。


「じゃあ俺は帰るな。今日はありがと」

「こちらこそ! ……あの、ルシアン」


 玄関のライトに照らされてアコから伸びた影が、少し不安そうに揺れた。


「また、遊びに来てくれますか?」

「……お母さんに、俺はそんなに食わない、って言っておいて」

「っ、はい! むしろ次は私が作ります!」

「お、楽しみにしてるよ」


 じゃあ後で、と言ってアコの家を離れた。

 いやはや、瀬川の家に行き、マスターの家(?)に行き、秋山さんが家に来て、アコの両親と夕食をとって……マジで大変な一日だった。


「でも……楽しかったかな」


 程良い疲労感と充実感に包まれて、帰宅の途につく。

 ホワイトデーのやり残しは一つだけ。そっちは問題なく済むはずだし、一安心かな。


   †††   †††   †††


 そんな、全部終わったようなことを考えたのがいけなかったんだと思う。


「つ、疲れた……」

「お帰り、お兄ちゃん……大丈夫?」

「酷い目にあった……まさかこの時間に電車が止まってるとは……」


 駅に着いたところ、トラブルがあったとかで、電車が遅延していたのだ。

 しばらく待ってはみたものの、ホームはとんでもなく混んでるし、電車はいつまでも来ない。

 そして一駅ぐらいなら歩こうと思った時には、もう人だらけでホームから出られない状態に。

 

「最初から歩けば良かった……肉体的にも精神的にも疲れた……」

「お母さんが、帰るのが遅くなったことについて説明を求めてたけど」

「これ遅延証明書、渡しといて」

「お預かりします」


 帰るのが遅くなった言い訳が遅延証明書で済むっていうのも変だとは思うけど、そういうタイプのかーさんなので問題なし。

 っと、そんなことより急がないと、もうすぐ日付が変わっちゃうじゃないか。

 慌てて自分の部屋に戻ってパソコンを起動し、レジェンダリー・エイジにログインした。


◆ルシアン:ただいまー


 ギルドチャットにそう打ち込むと、返事はすぐだった。


◆アコ:お帰りなさい、遅かったですね?

◆アプリコット:事故で電車がかなり遅延していたらしい、その関係だろう

◆シュヴァイン:一駅だろうが、歩けやw

◆ルシアン:駅から脱出できたら歩いてたよ!

◆セッテ:おつかれさま~


 とりあえず挨拶が終わったところで、アコに個人チャットを送る。

 約束通りちゃんと待っててくれて良かった。


◆ルシアン:アコ、いまどこだ?

◆アコ:家にいますけど

◆ルシアン:そういう意味じゃなくて

◆ルシアン:……ああ、そうか。家ね

◆アコ:はい、私達の家にいます

◆ルシアン:了解了解、すぐ行く


 リアルで玉置家に居るって意味かと思ったけど、ゲームの方の西村家に居るってことね。 ええい、家を行き来した後だとややこしいな。

 ちょっと遠い西村家への道のりを移動して、海岸沿いに建ったユーザーホームにやって来た。


◆アコ:お帰りなさいー

◆ルシアン:ただいま……っていうのも変だけど


 エプロン――俺が渡したものじゃなく、ゲーム内のアクセサリ――を装備したアコが迎えてくれた。

 料理アイテムの生産をしていたんだろう。


◆アコ:それで、どうしたんですか?

◆ルシアン:あー……そだな、ここなら丁度いいか。ちょっと座ってくれ

◆アコ:はい


 リビングでテーブルを挟んで座る。

 なんだかちょっと、アコの家でのことを思い出す構図だ。

 

◆ルシアン:ええと、もうすぐ日付が変わるけど、今日はホワイトデーだったよな

◆アコ:はい。あ、もらったクッキー一枚食べました! 美味しいです!

◆ルシアン:そりゃ良かった。でもそれ、リアルのお返しだからな

 

 そのクッキーはリアルでもらったチョコのお返しだ。

 つまりまだ、ゲーム内でもらった、あれだけ苦労したチョコのお返しができてないんだ。


◆ルシアン:ゲームの方のお返しはまだ渡してないだろ?

◆アコ:は、はい。でも本当にもらっていいんですか?

◆ルシアン:リアルでもゲームでもチョコもらったんだから、ちゃんとお返しするよ


 というかむしろ、夫婦としてのお返しはこっちがメインなんだから。

 リアルは夫婦じゃないけど、ゲームの俺達は間違いなく夫婦だ。


◆ルシアン:って言っても、そんなに大したものじゃないんだけど

◆ルシアン:ホワイトデー用に今日の日付が入れられるってアイテムがあったから用意してみた

◆アコ:日付が残るんですか! LAだと珍しいですね

◆ルシアン:ああ、だから選んだんだ


 LAはユーザー同士の記念アイテムっぽいものがそれほどなくて、日付を残せるアイテムは地味に少ない。

 そういう意味でレアだなーと思って、頑張って作ったんだ。


◆ルシアン:じゃあ渡すぞ

◆アコ:はいっ


 アコへトレード要請を出す。

 開かれたウインドウに、プレゼントボックス型のアイテムを置いた。


◆アコ:何なんでしょう、ワクワクします!

◆ルシアン:あんまり期待されても困るんだけど

◆ルシアン:でも、ちゃんと今日のために準備したからな、喜んでくれると良いんだけど

◆アコ:もう嬉しいです! ありがとうございます!

◆ルシアン:早いって

 

 そして俺とアコがトレード完了のボタンを押そうとした、その瞬間。


◆ルシアン:あれ?

◆アコ:はえ?


 ドゥン! というSEと共に、トレードウインドウが消えた。

 え、なんで!? 消える理由ないよな!?


◆アコ:どうしたんでしょう?

◆ルシアン:あ、エラーが出てる!

◆ルシアン:ええと……トレード対象アイテムが存在しません……

◆アコ:え? ないんですか?

◆ルシアン:さっきまであったんだけど……うん、ないな…… 


 インベントリから、アコへのプレゼントが消えてる。

 何もしてないのに消えるはずがないんだけど、どこを見てもない。


◆ルシアン:どうしてこうなった

◆アコ:何かのバグでしょうか?


 困惑する俺達に答えを教えるように、でんでんでんでん、とボス戦のようなBGMが流れ出した。

 そして全体チャットがピコンと光り、そこに表示されていたのは、


◆ヴァレンティヌス:ふぉっふぉっふぉっ……浅ましき恋の奴隷達に告げる……


 そんな、NPCからのメッセージだった。


◆ルシアン:ヴァレンティヌス!?

◆アコ:バレンタインデーに戦ったボスの人ですよね!?


 驚く俺達と同時に、ギルチャの方にも反応があった。


◆シュヴァイン:おい、何か来たぞ!?

◆アプリコット:む、臨時イベントか?

◆セッテ:珍しい! 突発? 突発?


 一体何が起きてるのかとチャットを見ていると、連続してぽんぽんとメッセージが流れた。


◆ヴァレンティヌス:ワシを踏み台にしてバレンタインデーを楽しんだ者達

◆ヴァレンティヌス:貴様達は性懲りもなく、ホワイトデーなどというイベントを謳歌した……そうだな……?

◆ヴァレンティヌス:そんなことは許さぬ。このワシが絶対に、愛などという妄想は認めぬ!

◆ヴァレンティヌス:よって――その愛の証を全て奪い取ってやったわ!


 ヴァレンティヌスはそんなことを主張しているらしい。

 はっはっは、なるほどね、そういうことかこの野郎。


◆シュヴァイン:ホワイトデーって何かイベントあったか?

◆アプリコット:愛の証を奪った……? 結婚スキルの封印か? いや、そんなゲームバランスに影響を起こすか?

◆セッテ:そういえば、ちょうど日付が変わったところだから、ホワイトデーが終わったんだね


 話し合うマスター達だけど、俺にはもう謎は解けた。

 そうか、それでアイテムがなくなったのか。

 よくわかった、みんなに説明しようじゃないか。


◆ルシアン:……今年のホワイトデーは、プレゼントが作れたんだ

◆セッテ:プレゼント?

◆ルシアン:そう。名前入り、メッセージ入り、日付入りの、ホワイトデーのプレゼント

◆シュヴァイン:なんだルシアン、知ってるってことは、それ作ったのか?

◆ルシアン:ああ、作った……いま、渡すところだった……のに

◆アプリコット:渡すところだったのに……? 愛の証を奪った? ま、まさかルシアン

◆アコ:ま、まさか!


 状況を理解したのか、目の前のアコが頭上に大きな! マークを浮かべる。


◆アコ:私がもらうはずのプレゼント、あのおヒゲに取られたんですか!?

◆ルシアン:どうも、そうらしい


 普段は余り見ない戦闘ログに、ちゃんと残っていた。


◆ヴァレンティヌス に ホワイトデーの贈り物 が奪われました!


 と。

 くそう、やりやがったなあの野郎、っていうかクソ運営!

 結構苦労して作ったんだぞ! ふざけんな返せ!


◆ヴァレンティヌス:愛の証を返して欲しくば、ワシの元まで来るが良い! 愛の力を、己の実力を持って証明してみせよ!


◆ルシアン:やってやろうじゃねえか!

◆アコ:ルシアンからのプレゼントを奪うなんて……絶対に、絶対に許さないですよヴァレンティヌスさん!


 燃え上がる俺とアコは、すぐさま倉庫と繋がった部屋に駆け込んで、準備を始めた。

 エプロンなんて着てる場合じゃねえぞ!


◆セッテ:盛り上がっちゃってるけど……もしかしてこれ、今から行く空気?

◆シュヴァイン:しゃーねえ、この俺様が手伝ってやろうじゃねえか

◆アプリコット:バレンタインのダンジョンはなかなかに心の踊るイベントだった。その延長戦、悪くないぞ!

◆セッテ:ううう、やっぱりー……しょうがないなあ


 ギルドチャットに流れる、戦闘を覚悟した空気。

 まさか、みんなも来てくれるのか。


◆ルシアン:みんな、手伝ってくれるのか!?

◆アコ:いいんですか、こんな日曜日の……っていうか月曜日の深夜から!

◆シュヴァイン:当然だ、仲間だろうが!

◆アプリコット:この私に任せておくが良い!

◆セッテ:パソコン冷やすのももらったし、おけまるー

◆アコ:……ありがとうございます!


 なんて頼れる仲間達だ!

 月曜日を地獄にしてでも付き合ってくれるお前達の気持ち、無駄にはしないぞ!

 

◆ルシアン:ホワイトデー延長戦だ! ヴァレンティヌスのダンジョンに突撃ー!

◆アコ:おー!


 その後、必死の奮闘の末、アコにお返しを渡した時にはもう日が昇っていたんだけど――ホワイトデーという日はもう終わっちゃったから、その話はまたいつか、機会があったらにしようと思う。

 ただ、一つだけ言っておくことがあるとすれば。

 丸一日使い切って、本当に疲れるホワイトデーだったけど。


◆アコ:ありがとうございます、ルシアン!

◆アコ:だいすきです!


 アコがそう言ってくれたからクエストは大成功。

 今日は間違いなく最高の一日だった。




【クエスト:ホワイトデー大連続クエスト】

 達成度:100%

 結果:大成功

 Quest Clear!

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