Lv.8「この恨みは必ず晴らします」

「よし、五分前か。アコは……まだ居ないな」


 今日だけで何回か来た駅に再びやって来た。

 電車が定刻通りに来てくれたのでちょっと早めに着けたかな。

 

 今回は駅が待ち合わせ場所だから電車で来たけど、実際のところ、アコの家に行くなら自転車の方が楽だったりする。

 位置関係は、前ヶ崎駅→俺の家→アコの家→この駅、って感じになってるので、距離的には自転車で問題ないぐらい近いんだよね。

 二人乗りで一緒に学校に行きたいな、なんてアコと話したこともある。

 違法だから諦めたけども。


「ルシアンー!」


 そんなことをぽけーっと考えていると、長い髪の女の子がとてとてと走ってきた。

 ああ、約束の時間より前なんだからそんなに急がなくていいのに。

 ……あと、人前でルシアンって言うな。


「おまたせしましたー!」

「全然待ってないって。大丈夫か?」

「ルシアンに気づいてから急いだだけなので、平気ですっ」


 平気と言いながらも少し息を切らせているアコ。

 顔色は大丈夫かな、と彼女を見つめて、違和感に気づいた。

 あれ、いつもより――。


「アコ、なんか今日はちょっと……」

「はい? ……はっ!」


 アコははっとこちらを見て、ふにゃっと表情を崩して言う。


「ルシアン……かっこいい……!」

「へ? いや俺は別に」

「ちょっと眉をカットしてますよね!? 髪も少しだけワックスで整えてますし靴もピカピカで……ああ、シャツとボトムが凄く合ってていつもよりもっと素敵です!」

「待った待った! 先にやらないでくれ、それ!」


 アコを見た瞬間にぼーっとしちゃってリアクションの先を越された!

 いやアコの方が凄く可愛いからね!?


 普段と変わらない大人しい服装で、露出が激しいとかそういうんじゃない。髪だっていつもと同じように顔を隠すぐらい長いままだ。

 でも髪の一部を編み込んで後ろにまとめていたり、普段はつけない女の子らしい時計が手首にあったり、主張しない程度にリボンのようなチョーカーが首に巻かれていたりして、凄く頑張ってくれてるのがわかる。

 普段のアコそのままに、無理のない範囲で、自分が可愛いと思う姿に少し近づいてみたような感じ。

 たまに瀬川とか秋山さんとかに改造されてることがあるんだけど、そういうちょっとアコの方向性からズレる可愛さではなく、彼女自身が可愛く思って欲しいことがそこに現れてるみたいで――。


「――それで可愛いっていうのを頭の中でまとめたかったのに! なんでアコが先に褒めるんだよ! 俺なんて褒めてもしょうがないだろ!」

「理不尽ですー! ルシアンはいつも素敵で、私の心の中では大絶賛なんですよ!? それがちょっと漏れちゃっただけじゃないですか!」

「俺のことなんてどうでもいいの!」

「ルシアンの方が大事ですよう」


 着飾って来てくれても平常運転のアコである。

 っていうかいつも心の中で俺のこと褒めてたのかよ、やめろよ恥ずかしい!

 今日は秋山さんが悪ノリして色々してくれたけど、普段はその辺りに転がってるオタク男子なんだから!


「……って、こんな駅前で長話をするのも変か。どうしようかな」

「じゃあじゃあ、お茶をする、っていうの、しますか? 喫茶店も何軒かありますよ」

「お、アコ行きつけの店があるのか?」

「いえ、前を通りがかったことがあるだけです」

「……なるほど」


 アコらしい話だった。



   †††   †††   †††



 アコが案内したのは駅から少し離れたところにある、落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。

 店内には穏やかなBGMが流れていて、席と席の間には広めの距離が空いている。俺とアコでも気楽に話ができそうだ。


「良い店を知ってるなあ、アコ」

「チェーンのお店でしかコーヒーなんて飲まないので、緊張します!」

「右に同じ。どれ頼めばいいんだ? この一番安いブレンドでいいのかな?」

「ブレンドさんってブロントさんとちょっと似てますよね」

「九杯でいい」

「謙虚ですねえ」

「飲みきれないけどな」


 いやしかし、この無意味だけど何も気にしなくていい楽な会話。

 ああ、しっくりくる。これがアコだよ、俺の嫁だ。


「やっぱり落ち着く……なんだか今日はずっと、アコに会いたいなーって思ってた気がする」

「ど、どうしたんですか、急にデレルシアンになってますよ!?」

「俺がデレてないタイミングなんてほとんどないだろ」


 一年ぐらい前からデレデレだっつーの。

 そんな話をしていると、注文の決まったタイミングを見計らったかのようにやって来る店員さん。


「ブレンドを、ホットで二つ」

「お、お願いします」

「かしこまりました。少々お待ちください」


 恐る恐る注文をして、ほっと息を吐く俺達。

 いずれどんな店に二人で入っても気後れしないようになるんだろうか。

 今のところはまだまだ緊張するな。


「――で、と。今日の本題なんだけど」

「いきなりメインクエストですか!?」

「だってこのために来たんだし」

「まずはサブクエを埋めるものかと思ってたので、心の準備がっ」

「心の準備をするのは俺の方だと思うんだけど」


 まあね、前置きなしで本題っていうのは風情がないとは思うんだ。

 ただ俺はもう、いつ渡そういつ渡そうって考えながら会話するのキツイんです。


「俺はメインクエを先にやるタイプだから諦めてください」

「ルシアンはいつもそうですよね……わかりました」


 びくびくと緊張した様子で膝の上に手を揃えるアコ。

 なんでアコが怯えるんだよ。こっちの方が怖いんだから。


「では、こちらお返しのクッキーになります。お納めください」

「頂戴いたします」


 最後に残ったクッキーを、そっとテーブルの上に置く。

 それをうやうやしく手元に引き寄せるアコ。

 喫茶店で何やってんだ俺達。


「……これ、ルシアンが作ったんですか?」

「基本的にはそうかな」

「ふわー、ほわー、はうー」

「そこまで感動しなくても」


 アコならもっと上手に作れるだろうに。

 でもそんなことは関係ないらしく、アコはクッキーを捧げ持つようにして、心底嬉しそうに言う。


「大事に食べますね! 一日に一枚……いえ、一日に半分ずつ!」

「今日中に全部食べてくれ」

「そんな酷いことできませんよう」

「手作りのクッキーなんて、賞味期限は一週間ぐらいなんだから」


 俺が作ったものでアコがお腹を壊すなんて絶対嫌だぞ?

 

「ちなみにルシアンは私のチョコ、すぐに食べたんですか?」

「少しずつ大事に食べた」

「やっぱりー! 自分だけズルいですー!」


 い、いや、それでも一週間以内には食べたし!

 常に冷蔵してたし!


「こちらブレンドになります」

「あ……ありがとうございます」


 と、俺達の前にコーヒーカップを置く店員のお姉さん。

 彼女はクッキーの包みと俺達を一瞬だけ見比べて、穏やかに微笑んだ。


「どうぞ、ごゆっくり」

「ど、どうも……」

「ありがとうございますー……」


 アコと二人、小さな声でお礼を言う。

 色々察された気がして恥ずかしい!

 でも余計なことを何も言わない辺りプロっぽい感じでなんか格好いい!


「えっと、ここで食べるのは良くないので、しまっておきますね」

「そうしてくれ。それにさ、クッキーはメインじゃないんだよ」

「違うんですか?」

 

 クッキーの袋をテーブルの上に置いて、アコが不思議そうに言う。

 そうです、メインはこっちなんです。

 鞄の中に残された、最後の袋を取り出す。


「こちらをどうぞ」

「は、はい。大きな袋ですけど……もらっていいんですか?」

「もちろん。これはホワイトデーのお返しと……日頃のお礼」

「……え、私にプレゼントですか!?」


 その通りです。

 みんなも意外そうだったけど、アコもそういうリアクションなんだな。

 ネットとかだと、何倍返しとか言って高い物を返すように書いてあるけど、やっぱ普通はそんな想定しないのかな。


「私はチョコしか渡してないですけど、もらっちゃっていいんですか?」

「いいのいいの。こういう機会でもないとアコにお返しできないし」


 アコは物欲を基準にしたおねだりは全然しないからなあ。

 精神的、肉体的おねだりはするんだけどね。

 

「それにアコからはゲームでもチョコもらったし。あれはあれでお返し考えてあるけど」

「そっちもお返しあるんですか!?」

「あるある」


 それはゲームでしか返せないからまた後で。


「でさ、ちょっと好みに合うか自信ないから、今確認してもらってもいいかな。場合によっては二人で選び直しに行ってもいいし」

「ルシアンからもらった物に不満なんてないと思いますけど……はい」


 ぱりぱりと袋を開けていくアコ。

 秋山さんよりずっと不器用なのが見ていてわかるけど、それでも丁寧に開けようと頑張ってくれてるのが嬉しかったりする。

 そして、開かれた袋の中身は、


「えっと……あっ! エプロンですか?」

「その通りです。どうだろ、アコが使ってた柄とは違う感じなんだけど……」

「きゃー! ありがとうございます、嬉しいです! 毎日使います!」

「柄とか何も気にせず喜んだな……」

「そこは問題じゃないんです!」


 俺はその点を問題にしてご確認をお願いしたんですが!

 白、ピンク系のエプロンを着てるのを見たので、モノトーン系でちょっとゴシックな、アコに似合いそうなのを選んだつもりなんだけど。


「俺が着て欲しいってだけで決めたから、ちょっとアコの好みとは違うかなって心配でさ」

「むしろルシアンっぽくて嬉しいです! えへへへへー、これでルシアンのご飯を作りますね!」


 店の中で目立たないように、それでも精一杯嬉しさを表現しようとして、その場で上下に揺れるアコ。

 そこまで喜んでもらうと選んだ甲斐があるよ。

 女の子のエプロンをお店で探すっていう苦行を行ったからな!


「……でも、エプロンってちょっとだけ意外です」


 と、ようやく落ち着いたアコが、エプロンをたたみながら言った。


「意外だったかな? アコっぽいと思うんだけど」

「その、来月からの新学期に備えてもっと実用的な、バレッタとかヘアクリップとか入ってるのかなって、開けながら思ってたので」

「あー、前に渡したことあるもんな」


 クリスマスにヘアピンを渡したのはよく覚えてる。

 アコの家で会う時とか、たまにつけてくれてたりするんだよ。


「でもこんな大きな袋にヘアピン入れないだろ」

「はい、なので、学校の椅子で使える姿勢の良くなるクッションとか入ってるんじゃないかなーって、色々考えちゃいました」

「そんなのあるんだ。いいな、買ってこようか」

「余計なことを言っちゃいました!」


 いやいや、いい情報だよ?

 先生からの印象は授業態度で決まるところがあるからね。

 新クラスでは姿勢よくまじめに授業を受けた方がいいんだ。


「アコが使ってくれるなら本当に探してくるけど」

「いえいえいえ! 欲しかったわけじゃなくてですね!」


 大慌てで首を振るアコ。

 そんなに否定しなくてもいいのに。


「ルシアンがくれるのはそういうステータスアップ装備品かなって思ったので、ちょっと意外でした」

「……まあ実際、学校で使う物とか、アコが普通っぽくなるようなアイテムとか、考えたんだけどさ」


 エプロンってなんだか奥さんっぽいし、俺からアコに渡すのはちょっとアレかなとか色々思ったんだよ。

 それでもあえてエプロンにした理由は単純で。


「バレンタインのお返しに何を贈ろうか、って考えてたら、頑張ってチョコ作ってるアコのエプロン姿しか思い浮かばなかったんだ」

「あの時、そんなに印象深いことありましたっけ? カレーチョコですか?」

「瀬川のヤバさも印象に残ったけど、そこではなく。普段のアコが台所にいるっていうのが、妙に心に残ったみたいで」


 見慣れた台所に、アコがエプロンをつけて立っている、あの光景が頭から消えなかったんだよね。

 それに、口にだすのはちょっと恥ずかしいけども。


「あと、ほら……アコの飯はいつもとても美味いので……日頃の感謝をここで言おうかなと……」

「日頃の……! やりました! ルシアンの胃袋を握りましたっ!」

「自分で作るよりずっと美味いんだもんなあ」

「練習した甲斐がありました」


 えへへーとふにゃふにゃの笑みを見せるアコ。

 

「ちなみに瑞姫みずきちゃんより私の方が美味しいですか?」

「俺はアコの方が好きだけど……妹と比べるのってなんかシスコンっぽくて嫌だな」

「じゃあお義母かあさんと比べると?」

「うちでは母さんの味ってレトルトの味なので」

「……そうなんですか」


 どんな人なんだろう、と不安な表情を見せるアコだった。

 いつか会うことになってしまうのかな。大丈夫かな。

 我が母ながら恐ろしいんだけど。


「というわけで、いつもありがとう。これからもよろしく」

「こちらこそです」


 真面目に言うと、アコはちょっと照れた顔で頷く。


「これからも、ずっとずっと、よろしくおねがいします」

「……うん、よろしく」


 真顔で恥ずかしいこと言うんだもんなあ、アコ。

 自分の顔が真っ赤なのがわかって、机に視線を下ろす。


「え、ええと。こんな話ばっかりしてると俺のイメージだけでエプロンを贈ったみたいだけど、一応まともな理由もあるんだ」

「ずっとちゃんとした理由でしたけど、他にもあるんですか?」

「後はさ、エプロンって気に入ったのを着けると思うけど、同時に作業着でもあるだろ。予備があって困るってこともないかなと」

「今日からこれが一番のお気に入りです!」

「メインのエプロンが格下げに!」


 喜んでもらえたのはありがたいけど、そこまで大事にしなくていいからね!

 いや本当に、ほっとしたけどさ。

 羽織るだけとはいえ、女の子の着るものを選んだ経験なんてほとんどないんだから。


「ああ、なんだかやっと終わった気がする……長い一日だった……」

「今日はそんなに色々あったんですか?」

「そうなんだよ」


 袋に戻したエプロンにぽんぽんと触れて尋ねるアコ。

 そうそう、言ってなかったか。


「今日はチョコをくれた人、みんなに……瀬川、マスターと秋山さんにもお礼をしてたんだよ。なんだかんだ全員喜んでくれて良かった」

「しゅーちゃん達にも、ですか? 先に会ってたんですか?」

「ああ。みんなにもクッキーとお返しを渡したよ」

「……喜んでくれたんですね」


 幸いなことに、みんなびっくりしながら喜んでくれました。


「秋山さんは喜んだと困惑したの間ぐらいだったけど」

「ルシアンのセンスですもんね」


 なんだ戦争か。俺のセンスは普通の女の子から見たらダメだと言うのか。

 本当のことを言っても名誉毀損は成立するんだぞ 。

 ――しかしアコ、リアクションが薄いな、と思ったら。


「……私より先にしゅーちゃん達に会って、同じようにお返しのプレゼントを渡してたんですね……」


 へー、と無感情に言う。

 ……はっ! もしやアコ、自分が後回しにされたと思ってらっしゃる!?


「ち、違うからな、アコを後回しにして他の人を優先したわけじゃないぞ! 次の予定があるからって適当に切り上げなくていいようにアコを最後にしたわけで、むしろメインとして大事にしてだな! それにアコは寝てるだろうなーって思ったのもあって!」 

「いえいえ、そんな心配はしてないです。別に妬んでたわけじゃないんです」


 みんなお友達ですし、とさらっと言われた。

 あれ、本当だ。別に怒ってる空気じゃない。


「じゃあ一体何が気になったので?」

「今日この日に、みんなにもお返しを渡すって、ルシアンが自分で考えたんですか?」

「う゛っ」


 俺の発案じゃないと一瞬にしてバレてた。

 やっぱりそうか、わかっちゃうのか。


「……ごめんなさい、瑞姫のアドバイスです」

「シュシュちゃんですか。なるほど、納得です」


 はいはいと頷く。

 俺一人なら変だけど、瑞姫の名前が出ると理解できるのか。


「やっぱ俺は普段から気が利かないんだな……」

「違います違います」

 

 ふるふると首を振るアコ。

 え、違うの? そういう意味ではない?


「じゃあ何がおかしかったんだ?」

「ええと、その……うう、どう言えばいいんでしょう。こういう時にマスターが説明してくれるといいんですけど」

「アコなりの言い方でいいから、教えてくれ」

「えっとえっと」


 促すと、アコはうんうんと考えた後、


「自分で言うのはちょっと恥ずかしいんですけど」


 そう前置いて、ほんのりと目をそらしながら言う。


「ルシアンって、大事な時はいつも私のことを一番にしてくれるじゃないですか」

「……? そりゃもちろん」


 言うまでもなく他の人と比べたらアコが最優先だよ。

 なぜなら彼女が特別な存在だからです。


「だからですね、普段のルシアンなら、私のチョコレートとみんなのチョコレートに同じレベルでお返しはしないと思うんです」

「同じにしない……あ、そっか」


 言われてみればそうだ。

 いつもならホワイトデーなんて大事なイベントで、アコと他の人を同じ枠で考えたりしないんだ。


「今日はアコと会って、みんなにはちゃんと明日お礼を言う……っていうのがいつもの俺だよな」

「だと思います。私は、昨日はルシアンと一緒だったんですーって言って、しゅーちゃんにはいはいって言われると思います」

「うん、それが自然だ」


 夫婦なのかそれとは別のナニカなのかはともかくとして、とりあえず俺達は両思いのはずだ。はずなんだ。多分。

 だから、まずはアコ、その後に他の人、って考えるのが普通なんだ。

 みんなまとめてお返しを渡すなんて失礼だーって考えてたけど、本当は悪くなかったのかも。


「だからみんなホワイトデーのお返しに来たって言うと驚いてたのか……」

「きっとホワイトデーは今日じゃなくて明日のイベントだと思ってたんじゃないですかね」


 瀬川なんて、アコについての相談かと思ってたみたいだし。

 自分のターンは今日じゃなく明日だって考えてたんだな。


「あ、もちろん、みんなにお返しをしたのが不満なわけじゃないんですよ? 本当ですからね?」 

「わかってるわかってる。いつもの俺と違うから気になったんだよな」


 必死に言うアコを宥める。

 俺だって突然アコが俺と他の人を同じように扱いだしたらびっくりする。怒りはしないけど驚くよ。


「うーん……アコからもらった人生初の本命チョコと、友達からもらった義理チョコに同じようにお返しをするって変だよな……どうしてこうなった……」

「シュシュちゃんに言われたからですよ」

「瑞姫……あ、そうか、そうだ」


 瑞姫が言ったんだもんな、ちゃんと全員に個別で、当日に渡さないとダメ、って。

 ホワイトデーを忘れててテンパってたこともあるけど、気がついたら瑞姫の言う通りにしてたんだ。


「……あれ? もしかして俺、瑞姫に騙された?」

「騙されてはないと思います。しゅーちゃん達は喜んだんでしょうし。私も別に嫌な思いをしたわけじゃないです」


 うーん、と、まるで秋山さんみたいな余裕のある困り顔をするアコ。


「私がルシアンにとって特別じゃない扱いをさせちゃおうっていう、ちょっとした悪戯だったんじゃないでしょうか」

「悪戯……かあ……またコメントに困る嫌がらせを……」

「やっぱり瑞姫ちゃんとはいつか決着をつけなきゃいけませんね」

「やめて」

 

 バレンタインデーにもアコに対して謎の対抗意識を燃やしてたけど、そのままの流れで、ホワイトデーに悪戯をしたわけか。

 怒るべきところなんだろうけど、瑞姫が学校の男子にチョコ渡すって言ったら、俺も多少の妨害はするかもしれない。

 しかも俺自身が瑞姫のアドバイスに納得しちゃってたし……うん、俺が悪いな……。


「それにアコのおかげでもう一つ謎が解けたよ」

「何かあったんですか?」

「詳しい説明は避けるけど、瑞姫はちょっと反省するぐらい怖い思いをしたと思う」


 なんで秋山さんにあんなに怯えてたのかと思ったら、これが原因だったんだな。

 本当はちょっとした悪戯のはずだったのに、アコと猛烈に相性の悪そうなキラキラ女子が、呼んでもいないのに自宅へ押しかけてきたんだ。

 しかもアコとも知り合いなのに、一人で俺の家までやって来るっていうトンデモ人間だ。

 この人を招き入れたら、原因を作った上に積極的に他の女の子を誘い込んだ、悪の首領みたいになる。これじゃアコと全面戦争になるかもしれない。さりとて客を追い出すわけにもいかない。

 どうしよう、どうしようもない、うわー、ってなって逃げたんだな、瑞姫。

 後からアコにマジギレされないか、アコと喧嘩になった俺が怒らないか、自宅で修羅場が起きないか、とか相当心配したことだろう。


「瑞姫に報告しとくか……」

「この恨みは必ず晴らします、すぐに晴らします、って言っておいてください」

「ほんとやめて」


[英騎]今アコと会ってる


 瑞姫に、そうラインを送ってみる。

 返事はすぐに返ってきた。


[瑞姫]アコさん、怒ってない?

[英騎]怒ってない

[瑞姫]よ、良かった……


 本気で安心した空気の瑞姫。

 まあ、秋山さんが家に来たこと、話してないからな!

 これは墓場まで持っていった方がいいかもしれない。

 どうせそのうちバレると思うけど。


[英騎]怒ってないけどいつかお前と決着をつけるとは言ってる

[瑞姫]の、望むところだよ! 受けて立つもん!

[英騎]望むなよ。受けるなよ


 不戦敗で何が困るっていうんだ。

 そりゃ俺だって瑞姫が彼氏とか連れてきたら、似たようなこと言うとは思うけどね!

 ともかく聞くべきことは聞けた。


「瑞姫、自分が主犯の自覚はあるみたいでちょっと怯えてるから、できれば許してあげてください。あと、受けて立つらしい」

「はい、大丈夫です。私も反省してるので」

「……何を?」


 アコが反省することってあったっけ?


「ホワイトデーなのに朝に寝たこととか?」

「要するにそうなんですけど」


 たはー、と情けない顔をして、アコは残り少ないコーヒーを口に含む。


「私、ホワイトデーのこと、本当に気にしてなかったんですよ。情けないです」

「俺が頑張るイベントだし、アコはそれでいいじゃん」

「そんなことないですよ!」


 ノーノー! と両手を振って、アコは真剣に言う。


「ルシアンの奥さんとしてやるべきことがあるのに、忘れちゃうなんて絶対にダメです!」

「やるべきこと……何だろ?」

「妻として、私も一緒にお返しを選ぶって仕事があるじゃないですか!」


 真顔で言い放つアコ。どうやら本気で言ってるらしい。

 なるほどアコさんのご意見はわかりました。


「じゃあ今日はこの辺で解散にしようか」

「もう帰るんですか!? 私に会いたかったーって言ったじゃないですか!」

「ちょっと後悔してる」


 みんなどっか変な人ばっかりだけど、やっぱアコが一番おかしい。

 だからこそアコだってところもあるんだけど。


「一応確認するけど、どうしてそんな考えに?」

「むしろお返しを奥さんが選ぶって、よくあることじゃないんですか?」

「どうだろ、ちょっとググってみるか。……ああ、いるんだ。奥さんがホワイトデーのお返しを選ぶ夫婦って」

「でしょう? 普通なんですよ!」


 どやっ、と胸を張るアコ。

 いやあなた忘れてた側でしょうに。


「全く義務ではないし。やらなくていいんだぞ」

「やってみたいんです」

「好奇心じゃん!」

「あと、夫へのチョコレートのお返しを選ぶ、っていうお仕事をお母さんと一緒にしてみたいなと」

「仲良し親子なのはいいけどさ!」


 楽しそうに選ぶんだろうなあ、あの二人!


「っていうか、玉置家だと、アコのお母さんがお返しを選んでるんだな」

「もちろんです。ルシアンのお家は違うんですか?」

「そもそも父さんがチョコレートをもらって帰ってきたのって、俺が小さい頃までだと思う」


 昔はもらってきたチョコを瑞姫と一緒に食べた記憶があるけど、最近は全然だ、

 会社の方針が変わったのか父さんの存在感が消えたのかはわからないけど。


「でも、そうか。アコのお父さんは一杯もらってくるだろうなあ」

「もらってきますねー。断ってるそうですけど、それでも沢山残るみたいで……」


 アコのお父さんが何の仕事をしてるのか、俺もアコもよく知らないけど、とりあえずかなりのエリートなのは間違いないらしい。

 しかも渋くて格好良くて、何度か会ってる俺の印象でも、この人は本当に頼れるなあ、って素直に思える。

 まあ沢山もらってくるだろうなあ。


「……ちなみに聞くけど、アコのお父さんにチョコレートを渡した人の家、大丈夫なの? 襲撃されてない?」

「幸いなことに、今のところは」

「本当に幸いだ」


 その辺を制御してる時点で、アコのお父さんは間違いなく有能だよな。

 そうじゃないと夫婦生活がまともにまわらないのかもしれないけど。 

 

「あ、でもお母さん、義理にしては豪華だなーってチョコには直筆のメッセージカードを添えてます。妻名義で」

「超怖え」


 本当にアコの家でチョコ作らなくて良かったな。


「というわけで、私もそういうのがしたかったんです!」

「しなくていいよ、別に自分でできるから」

「瑞姫ちゃんに頼ってたじゃないですか!」

「おっしゃる通りです!」


 そーね! 俺一人じゃダメだったよ!

 でもしょうがないじゃん、初めて本命チョコをもらったのに、その相手にお返しを相談するなんて俺には無理だよ!


「じゃあもしも来年もチョコがもらえたら、お返し選びはアコも手伝ってもらうってことで」

「はいっ」


 にこにこと頷くアコ。

 ま、瀬川は何なら喜ぶかな、マスターは何が好きかな、秋山さんは何が嬉しいかな、ってアコと相談するの、きっと楽しいよな。

 ……他の人からもらえるって想定が全くないのが、我ながら情けない気もするけど。


「お互いへ贈り物をするイベントも素敵ですけど、二人で何かをするイベントってもっと素敵ですよね」

「結婚記念日もそう遠くないしなあ」

「何をしましょうね。リアルでも一応結婚式をする、とかでもいいですよ?」

「しーまーせーんー」


 と、家の話をしていて気づいたけど、結構時間経ってるな。

 さっきは冗談で帰るって言ったけど、実際にもう外は暗いし、今日はアコのお父さんも早く帰ってくるみたいだし。

 ちゃんと夕食までにはアコを家に送らないと。


「じゃ、遅くなってきたし、そろそろ本当に帰ろう。家まで送るよ」

「あ、はい、お願いします」

 

 アコは最後に残ったコーヒーを口に含んで、溶け残った砂糖が口に入ったのか、甘そうに顔をしかめる。


「うう……そろそろお母さん達の時間も終わったと思うので、丁度いいです」

「二人の時間を作ってあげてたのか……本当に両親に気を使ってるな、アコ……」

「ほらあの、明日は我が身、っていうのです」

「俺を見ながら言わないで」


 鞄に大事そうにエプロンをしまい込みつつ立ち上がるアコ。

 一緒に席を立った俺の腹がぐーっと音を鳴らした。

 今日はほとんど何も食べてないんだっけ、すっかり忘れてた。 


「あー、腹減った。ここでケーキでも食べていけば良かったかも」

「お腹が減ってるならちょうど良かったです。ホワイトデーなので、お母さんが頑張って御飯作ってますから」

「ん、それは良かったなー」

「良かったですねー」

「……ん?」

「はい?」


 微妙に噛み合わない会話に、何か嫌な予感を覚えた。

 こういう空気の時って、大体ろくでもないことになるんだよ。


「ええと、ちょっと待ってくれ。アコの家の夕食が豪華だからって、俺に何かいいことあったっけ」

「今日はルシアンも一緒に食べるって伝えてあるので、四人分作ってくれてますよ」

「何がどうなってそんな連絡事項が伝えられた!?」


 伝達ミスってる! 

 ミスっていうかもう捏造されてる!


「ないないない、それはダメだって」

「いいじゃないですかー、食べていきましょうよう」

「んなこと言ってもさ、アコとお母さんだけならともかく、今日はお父さんも一緒なんだろ?」

「ルシアン、お父さんと仲良いじゃないですか」

「悪くはないけど、それとこれとは話が別!」


 普通に話すのが平気なのと、家族団欒に割り込むのは大きな差がある!

 それこそ宣戦布告みたいなもんだぞ!


「悪いけど、ちょっと今回は――」

「――ルシアン」


 そう本気で断ろうとした俺の言葉に割り込んで、アコが言う。

 じーっと、明確な不満を映した瞳が俺を見つめる。


「な、何かご意見でも」

「ルシアン、私は本命チョコだったのに、他の人と同じか、もっと悪い扱いでお返ししたんですよねー?」

「うぐっ!」


 そ、それここで言う!?


「私へのお返しは後回しになってましたしー」

「はぐっ……いやそれは、その……後回しにしたわけではなく、生活リズムが……」

「さっき聞きましたけど、私が居ない間にセッテさんを家に連れ込んでたんですよね?」

「誰から聞いたのそれ!?」

「セッテさん本人からです」

「怖いものなしかあの人!」


 墓場まで持っていくはずが十分じゅっぷんでバレたよ! 最初から言っておけばよかった!


「これから一緒に晩御飯を食べれば、全部忘れて、私はルシアンの特別だなーって感じられると思うんですー」

「こやつ、超棒読みで言いよる……!」


 こちらの落ち度を的確に突いてくる、その優秀さがどうして普段発揮できないんだアコ……!

 でも、そうだよな。

 今回は俺が悪い。むしろその場で代替案を示してくれるのは温情だって気もする。

 行ってみて本当にお邪魔ならすぐに帰ればいいし。


「……わかったよ、ぜひお招きにあずかりたいと思います」

「だからルシアン大好きですー!」

 

 大好きの基準が納得いかないけど、言われたら嬉しいんだよなちくしょう。

 はあ、それじゃ家に連絡しておかないと。


[英騎]ごめん、晩飯食べて帰るから俺の分があったら冷蔵庫入れといて

[瑞姫]アコさんと?

[英騎]そう

[瑞姫]……恨み、すぐに晴らされたね

[英騎]あれってそういう意味だったの!?


 確かに最初から俺を連れて帰る予定だったんだろうけど!

 どうでもいいところだけちゃんと考えてるなあいつ!


[英騎]まあ、飯だけごちそうになってすぐ帰るから、留守番頼む


 既読がついた後、しばらく間をおいて、瑞姫はこう送ってきた。


[瑞姫]やっぱり、アコさんとはちゃんと勝負しないとダメだね

[英騎]お願いだからやめて


 仲良くしてとは言わないから、積極的に喧嘩はしないで。

 少なくとも俺はこれから、あちらの家庭の夕食に突撃しないといけないんだから。


「大丈夫かなあ……」

「私もお母さんもお父さんも、ルシアンなら大歓迎ですよー」

「歓迎されるのもキツイんだよお……」


 長いホワイトデー、最後のクエスト。

 玉置家ダンジョンから生還せよ。

 難易度はおそらく、ベリーイージーで、ベリーハードだ。

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