第17話 転生者からの手紙

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「何やってるんですかっ!? 本当に、警察呼びますよ!」

「いいから! 君も手伝ってくれ美里くん! このドアを壊して開けるんだ!」

「……はぁ?」 

「中に殺人鬼が、『不死身男』がいるかも知れない! 女性が引きずり込まれていくのを見たんだよ!」

「何をいって……」

「手伝おう」

 金龍と美里の後ろから、体格の良い男が声を掛けてきた。その男、雨竜警部補は金龍と一緒になり、トイレのスライドドアに付いたパイプを全力で引っ張る。何回も勢いをつけて引いていく内に、鍵の部分が緩んでいくのを感じた。

 だが雨竜は、ドアを壊しながらも考えていた。

 『不死身男』の顔を少しでも見たことがあるのは、道警の中でも自分だけだ。ならば何故この男は、環奈を引きずり込んだのが『不死身男』だと断定できた? 折茂環奈が二回連続で不死身男の犯行現場に遭遇した情報も、一般には出回っていないはずだ。

 ――この男も、何者だ?

 思考している間に、鍵が壊れてスライドドアが開いた。


「なんや、騒々しいな。もうバレてもたんかいな? お前、何人かにつけられとったんとちゃうか? 環奈。それとも、『不死身男』が尾行されてたんかな。どっちやと思う?」

 関西弁だが、その声は間違いなく神威のものだった。環奈は、次々と襲い来る異常事態に頭が追いつかなかった。

 顔を整形したり、あるいは特殊メイクで神威そっくりにすることは、現代の技術ならある程度は可能だ。でも声まで作り変えることは不可能だ。そんな技術は確立されていない。

 超高性能のボイスチェンジャーや、あるいは録音した神威の声を自分が喋る声に合わせて一文字づつ綺麗に再生するにしても、何らかの機械がなければできない。そんなものを今彼は持っていないし、持っていたとしても電話から聞こえるような機械的な音声で、自然な声の響きにはならない。

 じゃあ、彼は神威なの?

 『不死身男』は神威お兄ちゃんで、無差別殺人鬼で、そして私を殺そうとしているの?

そんなの嘘でしょ。有り得ない。何の目的で、何の意味があってそんなこと……。

「はよってまわんとな。邪魔が入る前に……」

 男の服装は前に見た黒いダッフルコートではなく、ただのスカジャンとジーンズに、野球帽だった。それ故に、環奈は油断してしまったのだ。というより、彼はそれを狙って毎回同じ格好をしていたのかも知れない。黒のダッフルコートを印象付ける事で、違う服装をしてきた時に、不死身男だと認識できなくさせる為に。

「ほな、さいなら。もう二度と、「生まれ変わって」なんて、ぉへんようにな……」

「……は?」

 その時、トイレのドアが開いた。

「あいつだ! ナイフを持って立ってる! 美里くん、警察に連絡をっ!」

「なんや、金龍ジンロンかいな……。絵描きは大人しく、アトリエにでも引きこもっとれや」

「え?」

 秘書の林美里は、状況を飲み込めていなかった。ナイフを持ち、金龍が『不死身男』だといった男が、金龍ジンロンの名を親しげに呼んだからだ。それも、未だに日本のファンには「金龍きんりゅう」と日本語読みで呼ばれることの多い彼を、中国語読みで。

 美里が金龍の姿を確認しようとすると、彼はすでにナイフを持った男に向かって飛びかかっていた。

 その様子を雨竜は後ろから見ていた。本来ならば警察官である彼が一番に不死身男に向かっていくべきなのだろうが、タックルをした金龍という男の動きがあまりに素早かったのだ。それに、目に飛び込んできた衝撃的な事実を、まだ受け止め切れてもいなかった。

 『不死身男』の顔は、資料で見た「折茂神威」と瓜二つだ。

 いや、これは折茂神威本人で間違いない。そう思えるほどに。

 雨竜が固まっている間も、不死身男と金龍はもみ合いを続けていた。そのせいで、不死身男の被っていた野球帽はとっくに脱げている。

 だが普段絵を描いているだけの金龍には、不死身男を押さえておくだけの筋力はなかった。相手のナイフを持った手を掴んでいた金龍だったが、掴まれたままの右手で、不死身男は力づくで金龍の腹にナイフを突き刺した。

「このナイフに塗ってあるんはな、『ギンピー・ギンピー』いうオーストラリア産の植物毒や。輸入するのに苦労したんやで。植物のトゲに刺されると、硫酸で皮膚を焼かれるような痛みが、最長二年は続く。大抵の人間は痛みに耐えかねて自殺してまう……。ホンマはちょっとかすり傷つけて、長い間苦しめる予定やったのに、お前のせいで台無しやんけ」

 不死身男は、金龍に刺さったナイフをドリルの如く回し、彼は悲鳴をあげる。

「もう肝臓の動脈に刺さってもてるやん。これやとナイフ抜いたら、毒が効く前に失血死や。慶一をクロスボウでった時も、硫酸ストリキニーネいうこの世で一番苦しい死に方する毒使こうたのに、あいつも効いてくる前に死によった。せっかく苦労して準備した、なるべく残酷に苦しめたろういう『芸術性』……。お前なら理解できるやろ? なぁ金龍ジンロン?」

「……分かりたくも、ないね……。早く、こいつを捕まえて……」

 自分の腹に刺さったナイフを、不死身男の手もろとも両手で押さえつけながら、金龍は雨竜に目で訴えた。我に返った雨竜は不死身男の足を捕り、彼を床に叩きつける。

 不死身男はすぐ上着のポケットからスタンガンを取り出したが、雨竜はその手を掴み防御した。同じ手は二度喰わない。そう思った瞬間、彼の後頭部に鈍痛が走った。

「フェイントや、ダボが……」

 倒れた雨竜をどかして立ち上がった不死身男は、もう片方の手にスラッパーと呼ばれる小型の打撃武器を持っていた。そして、地面に尻もちをついたままの環奈を見下ろす。

 彼が環奈に向かって一歩踏み出そうとした時、トイレの外からサイレンの音が聞こえてきた。

「ちっ、最近の警察は動きが早いな……。まぁええわ。金龍にナイフも奪われてもたし。ほな、また会おな。可愛い可愛い俺の妹。環奈ちゃん。もっとも『折茂環奈』なんて人間は、もう存在してへんのやけど……」

「……え?」

 不死身男は、そのままドアを通って立ち去っていった。

 その後、ドアの外から現われた林美里が、腹から出血が止まらない金龍に駆け寄っていく。その手にはスマートフォンが握られており、画面には「警察・サイレン・音声」と表示されていた。

「本当に……優秀だね、美里くんは……」

 金龍は、息も絶え絶えにそういった。

「僕なんかの秘書じゃ、勿体ない。本日をもって、君はクビだ……。もっと良い職場に、再就職を……」

「何バカなこといってるんですか。もうすぐ、本物の警察と救急車が来ます。それまで……お願いだから、死なないで……」

 彼女はどうにか止血しようと試行錯誤していたが、動脈に達している腹の刺し傷から出血を止めるなど、道具の揃った救急救命医でもない限り不可能だった。

「環奈を……そこにいる女性を、呼んでくれないか……」

「えっ?」

 美里が彼女を呼ぶ前に、放心状態だった環奈の方が彼の声に反応した。

「環奈……。僕らの、可愛い妹。『真相』なんて、知らない方が幸せなんだよ……」

「何で、私の名を知ってるんですか……。あなたは、『あなたたち』は、誰なんですか?」

「何でも、知ってるさ。ハリーポッターも、ホグワーツも、『大草原の小さな家』も……。あの寒い小屋には、二度と戻りたくないな……」

 彼の呼吸は段々と浅くなり、声も小さくなっていく。

「僕は、僕らは『誰でもない者』で、君の兄だ。そうともいえるんだ……。でもあいつは、不死身男は、神威であって神威じゃない。だから、気にしないでいいんだよ。君のお兄ちゃんは、殺人鬼なんかじゃない……」

「分からないです……。何をいってるのか、分かんないよ……」

「泣かないで、環奈。『生まれ変わり』は……『輪廻転生』は、可能なんだよ。科学的にね。僕らは、神威の『生まれ変わり』で、『前世の記憶』を持ってるだけなんだ……」

 環奈の混乱は、頂点に達しようとしていた。兄は、神威はまだ生きている。生きている人間が、生まれ変わるもへったくれもない。仮に連絡が途絶えた数か月前に死んでいて、神威が他の人間に輪廻転生したとしても、今は生まれたての赤ん坊でなければおかしい。こんな大の大人が、しかも何人もの人間が神威の生まれ変わりだなんて、科学的にも宗教的にも矛盾しているのだ。

「君が、残酷な『真相』に辿り着きたいなら、折茂学の家に行く前に、調べるといい……。『藤樹エレーナ』について。あいつが父親なら、エレーナは母さんだ……」

「藤樹……エレーナ……?」

 環奈は、何故かその名前に聞き覚えがある気がした。

「一度、真実に……辿り着くと……決めた、なら……立ち止まっちゃ、ダメ、だ……よ。たとえ何人、死んでも……。君は、悪くな……いん、だ……から……」

 あぁ、これで楽になった。と金龍は思った。

 環奈が罪の意識を背負って生きていく事こそが、最悪中の最悪だ。「兄」が妹を庇って死ねるのなら、それは幸せなのだ。罪悪感なんて、覚える必要はない。

「今日も、美里くんは綺麗だな……」

「何バカなこと、いってるの……」

 林美里は、金龍の手を握りながら泣いていた。

 もう開くことのない彼の口に、大粒の涙が滴り落ちていた。


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「お、意識戻らはりましたか。派手にやられましたねー。雨竜さん。待ってて下さいね。今病院の先生呼びますんで」

「……何でお前が、ここにいるんだよ。伊神」

「いやいや、たまたま『爆弾魔ボマー』の事件調べるためにこの辺に来とったんですわ。ほいだら本部から、雨竜さんが病院に運び込まれたって聞きまして。お見舞いと事情聴取に来た訳です。幸い、傷の方は大したもんやないらしいんで、面会謝絶でもなかったですし」

「目覚めてすぐにお前の顔見るなんて、今日の運勢は最悪だべな……」

「失礼ですねー。まぁ『不死身男』に殴られて気絶した時点で、運勢は最悪だと思いますけども」

「そうだ、不死身男だ……!」

 雨竜は少しづつ覚醒していく意識の中で、事件の記憶を思い出していた。

「至急、本部に連絡してくれ、伊神! 道内……いや、全国に指名手配するようにってな! 『不死身男』の正体は、折茂環奈の義兄……『折茂神威』だ!」


 同じ病院の中で、環奈は何人かの警官と共に待合室にいた。

 彼女は被害者であって容疑者ではないのだが、病院に運び込まれた後に死亡した林金龍の秘書、林美里の提案で、警官に護衛してもらうことになったのだ。彼女の証言で環奈が不死身男に狙われていたことが分かったので、警察もそれを了承した。そして当の林美里は、どこかに姿を消している。

 刑事たちにはサッポロファクトリーで襲われた時のように、何度も同じ質問をされた。特に、林金龍リンジンロンとの関係について。

 彼は世界的な画家だったらしい。だとすればなおさら、自分とは関係がないし、聞いたこともない。環奈は芸術には無頓着だったし、国際的な一流の画家の知り合いなどいるはずもなかった。

「あの……これを渡すようにと、リンからいわれています。受け取ってください。私には、これらが何を意味しているかは、分かりませんが……」

 どこかから再び現れた林美里は、布に包まれた二枚の絵と封筒を持っていた。まず絵の方を見ると、一枚目は『ハリーポッター』の中に出て来る白いフクロウ、それに作中の魔法学校の女性教師で「変身術」を担当する『マクゴナガル先生』が、猫から人間へと戻る瞬間が見事に表現されていた。素人目にもそれは素晴らしい絵だと分かるが、驚いたのはその点ではなかった。

「何で……どう考えても有り得ない。どうして知ってるの?」

 環奈が思わずそうこぼしてしまうのも無理はなかった。

 彼女は確かにマクゴナガル先生が好きで、変身を解くシーンは特にお気に入りだったが、それを誰かに話したことなどなかったのだ。そう、義兄の神威にさえも。彼女の脳内にしか存在しない記憶を、何故この世界的な画家は知っていたのだろうか? 何をどう考えても理屈に合わない。

 環奈の全身に、鳥肌がたった。それはさながら、誰かに頭の中を覗かれているかの如く異様な感覚だった。

 続けて、封筒を開く。それは、ある種の遺言であった。


 ――やぁ環奈。君がこれを読んでいる時には、僕はもう死んでいると思う。まぁ遺書なんだから当然なんだけどさ。

 何で会ったこともない僕が、君の名前を知ってるのかとか、今まで君を庇って死んだ「岩島鴎」や「堺慶一」、それにこの僕、世界的な画家の「林金龍」は何者だとか、色々疑問はあると思う。でも僕は感性で動く芸術家だし、あまり論理的な説明は上手くないんだ。


 ……率直にいうと、僕らは神威の一部なんだ。

 というか、僕ら『家族ファミリー』は、かつて「一人の人間」だったんだ。

 「折茂神威」という名のね。

 あの殺人鬼の、不死身男でさえも。

 正確には、神威の「壊れた破片」っていった方が良いかも知れない。

 ……うん、やっぱり上手く説明できない。


 この件に関しては、あの折茂学に直接聞いた方が良いよ。彼は父親としては世界最悪だけど、医者や科学者としては一流の人間だから。

 そう、君の疑問は、『前世の記憶』は科学的に説明できるんだ。全てね。それだけは保証する。

 その「真相」を知るのが幸せなことだとは、僕には決して思えないけど。

 でも僕は君の探求心を尊重する。そして「僕ら」は、君を守る為に生まれてきたんだ。だから、これでいいんだ。妹を守る為に死ぬ兄貴なんて、スペシャルにカッコいいだろ?

 決して、罪悪感なんて抱いちゃいけないよ。君は君の人生を生きるんだ。 

 たとえ僕らや、「君自身」が、何者であったとしても。

 あとは、藤樹エレーナについて調べるんだ。彼女と折茂学の名前を一緒に検索すれば、君なら大体のことは分かるはずさ。彼女も科学者だ。論文を探すといい。

 最後に、一つだけお願いがある。これは、君のこととは関係ないんだけど……。やっぱり、素直になれなくてさ。馬鹿は死ななきゃ治らないってヤツだよ。だから――


 その次の一文を読んでから、環奈は二枚目の絵を手に取り、その裏にある、額縁と絵の隙間に手を突っ込んだ。するとそこから、銀色の指輪が出てきた。

「あの……これをあなたに渡してくれって、書いてありました」

 環奈は、林美里に指輪を渡した。その輪の内側には、彼女の、林美里のイニシャルが刻んであった。

「何で、死ぬまで素直になれないんですか? 本当にバカな人……」

 美里は手のひらに置いた指輪を、優しく握った。

「はじめに、告白してくれなきゃ。順番が、違うじゃないですか……」

「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」

 涙を流す彼女の横で、環奈もまた、謝りながら泣いていた。

 二枚目の絵に描いてあったのは、『大草原の小さな家』だった。それはただのイメージではなく、環奈の実家、南幌町にある折茂学の家の外観そのままだ。

 もう何を犠牲にしてでも、真相に辿り着かなきゃだめだ。それが自分の義務だ。

 殺されてしまう前に。行かなきゃ。

 大草原の、小さな家に。

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そして誰でもなくなった None @ICEBURN

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