第4話 わたしも起こり
すべては起こり、だとしたら、わたしも起こりということだ。
どうあがいても、それは否めない。
たとえば、
ハリボテになるがために、5枚ペタペタと貼り付けたとしよう。
わたしは、
口下手 どうもA君のようにペラペラ喋れない
モテない 告白してくれる子もいないし
不器用 図工がいつも中以下だったし
優しい ときどき、言われてうれしい誉め言葉なんで
博学 何でもよく知ってるね~って言われるし
という5枚。
わたしが起こりという意味は、
この貼られた5枚が、今の今、瞬時に全部剥がれ、
剥がれた刹那、一瞬にして5枚が貼っついてわたしが出来上がる、
という具合だ。
だからその剥がれた刹那、一瞬にして4枚が貼っついて……
も、あり得るということになる。
あ、博学、落っことした!
これはあちこちで、意外と頻繁に起こっている。
何かに気付いたとき、一瞬にして人は変わっているのである。
要らないと気付いて、執着しなければ、変われているのだ。
変われないよ、自分はダメなままだ、
なんてことはないのである。
今この一瞬に剥がれたものを、次の瞬間に貼らなければいいだけだから。
『あちこちで、意外と頻繁に起こっている。
何かに気付いたとき、一瞬にして人は変わる』
ハリボテに気付くたいせつさは、ここにある。
自分がハリボテになったのは、
今ここに起こったものを、つかんだためだ。
無視して流すこともできたのに、自らつかんでハリボテになった。
好きだったから、
便利に使えるから、
隠れ蓑になるから、
つかんだのだ。
言い訳はできない、自分で貼り付けたのだから。
言い訳をしないならば、
そうです自分でやりました、とそれを認めさえすれば、
自分で剥がせることが見えてくる。
わたしは起こりである。
ハリボテは、今の今、瞬時に全部剥がれ、
剥がれた刹那、一瞬にして貼っついてわたしが出来上がる。
一瞬一瞬、起こりの刹那、わたしは変わっていいのである。
変われるのである。
むしろ、少しずつ変わっているのである。
いつも同じではいられない、それがわたしだから。
わたしは起こりだから。
できない自分
ダメな自分
情けない自分
惨めな自分
寂しい自分
嫌われる自分
ぜんぶハリボテに貼り付けたもので、
瞬時に剥がれたのに、刹那、貼られる時にまた持っていただけ。
ハリボテに気付いて、明らめた瞬間、それが貼りついていないわたしになる。
そんなことは朝飯前なのである。
次の瞬間、また同じハリボテでいるなら、
それはもう、自分で選んだからに他ならない。
つかむのは癖だから、
もう同じハリボテにならないという意志が大切だ。
わたしたちは線香花火のような存在なのだ。
明滅を繰り返し、明滅するたびに、変化する。
同じでいることの方が不自然なのだと知ることが大切だ。
自分はこうだという思い込みや執着は過去のものだ。
ハリボテは過去のもの、記憶が保持しているだけだ。
ならば、何を貼り付けているか見極めて、
欲しくないものを明らめて、
新しいわたしとして出現しよう。
シュッ、シャッと明滅する線香花火のように、
瞬間瞬間、ちがうわたしで輝くために、
わたしというハリボテに執着するのをもうやめよう。
剥がれたハリボテを、慌ててまた貼り付けたりしないよう、
目を覚ましてハリボテの自分を観察しよう。
つづく
本当のわたしを生きる? 仲條杜環 @towa-n
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