おわりに

この作品のすべて 叙論文

注:これはあくまでも筆者の解釈に過ぎない。今も、真意はどうだかわからない。



 ◎第一項

 物語は、露木 談がライトノベル『IMMORTALE《イモー・テイル》』の著者となり、その思想を世間に流布することになったX年一月に端を発する。そこから同年三月、六月、一二月……と順次刊行され、駒木野桐香の失踪事件が起きたX+二年三月までに小説は全七巻に達していた。内容はいたってシンプル。育った境遇や心身に何かしらの欠陥を抱えた人々が、『世界一価値のある宝物』を求めて古塔を登る。その道中さまざまの考えに出会い、果てに管理者カサネの手で葬られることで自分の唯一性(=生涯)を認めて――自分を、完成させる。そういう筋書きだった。

 当時二五歳、そのなかに、どうしてこのようなものが出来上がったのか。たいがいに彼は幸福を『至上の死』と説き、みずからの生涯の反省によってのみ得られる全肯定の心こそが人間理性の到達すべきところだと考えていた。にもかかわらず、またそれが、『累の塔』にしか実現されないものだと決めつけていた。ようするにそれは宗教への背信であって、彼はカサネの行為と塔の実存を認めながらも「必ず現代にあらわれることがない」と信じ切っていたわけだ。いやむしろ「現代にあらわれてはならない」とさえ思っていた。

  『IMMORTALE(IMMORTALとTALEの合成語)』すなわち不死者譚とは、

  これがカサネと塔による理想世界の話であるという語意のほかにも、

  未来永劫変わらず「実存しない」という契約の物語だったのである。

 しかしX+二年四月、そこで遭遇したものとは、談の予知の範疇にあるはずもないものだった。それが駒木野桐香改め四条 霧架。空想の偉人カサネが有していた『塔の管理者』たりえる権能をすべて持ち合わせた現代の少女。この時点で、談の心はすでに破たんしてしまった。ファンタスティックな現象をいかに処理しようかという思考にいたるすきもなく、談の脳内は「宗論を果たすことができなくなる恐怖」にすっかり侵されていた。ただ諦めの悪いことに、それから一ヵ月間は何か異様な事態になるようなことは一度としてなかったのだ。彼が霧架を絞め殺したという経験もまた無いことになっていた。

 そのような時分にいよいよ、あの「累の塔」が現れる。


 ◎第二項

 塔には観念的な(目に見えない)七つの試練がある。それは階層をへていくごとに精神を老いさせ、第8階層で確実に当人を死ねるようにするためのものである。死とは往々にして受け入れられざるものだから、痛みを伴わないで、なおさらに自分の逞しく生きてきた姿を客観視することによる普遍的安心を与えて、後顧の憂いなく『至上の死』にいたれるようにするのが塔の管理者の務めだ。カサネ然り霧架然り彼女たちが敵対するときに『必中必殺の投擲術』を発揮するのがその証拠。だがこれは断じて人間を痛めつけるものではなく、「第8階層で」「挑戦者を」死にいたらしめるためだけの権能である。

 と、このとき、紀ノ章において、なぜ霧架と累にはそれぞれに投擲術が適用されなかったのだろう。これは筆者の独自な見地なのだが、まずもって生と死は対をなすべき言葉ではない。生とは生きていること、死とは生きていたこと。生きていたことの裏解釈は、生きていなかったこと――存在しないことで、つまり無だ。死の真意の対義語は無であり、生とはそこにある命の状態を知るための判断材料にすぎないのである。よって今から生を奪おうとされる対象は絶対的に存在するべきもの(=死あるもの、現実)となり、すでに死を経験し、存在するべきではない塔の理屈によって今も生かされている管理者や管理者候補たちは、奪おうとされる命を持たないもの(=フィクション、論理)ということになるので、結果塔による略式的救済プログラムが行われることもありえない。

(忘れてほしくないのは、この物語が現代ロジカル・ファンタジーであるということ。塔はたとえ自分の理想世界の内部にふさわしくない現象が起こっていたとしても、論理の上にさだめられた措置をとるしかないのだ。みずから望み選んだ職業環境や人間関係に四苦八苦する現世人のわれわれの心と意志のように、その原理はとてつもなく矛盾している。)


 ◎第三項

 次に、紀ノ章最大の転換点といえる第7階層での霧架の自問自答は、一体なんだったのかということ。考えられる可能性は、やはり『契の間』しかない。

 カサネの塔は人間一人ひとりが自己満足のあと「存在の記憶」を世界から抹消することを推奨している。そこにはエニシの力が関係する。他者と一度むすばれたエニシは双方の了解なしにまったく切れるということはなく、表面的な関係解消後も永劫続いてしまう。これが引き起こすものは、むすばれた最中に当人が常識を見失うようなことがあって、誰かをたよろうとすると、エニシによってその人の冷静に思考する時間が食い散らかされる「無分別の状態」である。この無分別を一つ残らず駆逐するために「存在の記憶」を消す必要があると考えられ、『契の間』は挑戦者全員に第7階層で「一番の理解者との邂逅かいこう」を経験させる。では霧架にとって「一番の理解者」が、どうして駒木野桐香(つまり過去の自分自身)だったのか。これを究明せずして、本作を理解したとは言い切れまい。

 とはいえ、本文においては全部の前後関係があいまいにしか描かれてなかった。あくまで筆者の食わずぎらいに依るのだが。

 しかし描かれなかったのは、これが四条 霧架のふびんさを伝えるための小説ではないからだ。

 このたびの命題は「塔すなわち超然論理の必要性」である。

 かんたんに言えば、駒木野桐香は救われたかった。風俗にこなれることを肝に銘じよと教える家で、彼女は育った。それでいて個性なくして人士ならずと自立的であることを求められた。そこにケイオスの極致たる社会の縮図は確かにあった。やがて彼女は生活のなかに『IMMORTALE』を見いだし、心のよりどころとするようになった。のちに起こった失踪事件がどういう経緯なのかしれないが、落ちのびた先で彼女はきっと『四条霧架』に相対したはずだ。


【「でもどうしたって、できっこないことがある。自分には叶えられる、何か願いにかなえる限界が決まってる。そんなの超越できない。絶対の『宝物たからもの』なんてないのに、それを真面目に追っているわたしたちがたぶん誰よりも無力に打ちのめされるんだ。たった一回ほかのことに気を取られただけで、だから、きっとやめちゃうよ……独りきりの理想郷なんて、行きたくないよぉ……」】

                             紀ノ章其ノ下より


 『亜門ロキ』にあらず露木 談に同様、桐香も『累の塔』を信仰する以上は自分が何をやっても救われないことがわかっていた。だから河川敷の下で、自殺を選ぼうという気になった。はっきりと……何もなさないで背信をはたらくより、何もなせないまま殉死することのほうが彼女には善良な姿に映っていたのではないのか?


【「そうね。わたしを変えてくれたのは累ちゃん。保ってくれたのがロキロキ。どっちも、大好きなんだよね。……だから、終わらせるために、ここへ来て? 四条 霧架になったんでしょ?」】                        

                             紀ノ章其ノ下より


 無念の死、何も果たせなかった死、自分すら意味・価値をつけられない桐香の自死を、そうして『四条霧架』はみちびいてやろうとしたに違いない。どうやってか塔を現象化させ、そこに実際の救いを見つめさせた。このときの彼女の思想が起点となり、「駒木野桐香を救うための」四条 霧架が成立したと考えられる。

 『四条霧架』は言うなれば概念に等しい。そんな彼女は霧架の味方だったはずだ。けれども、第7階層であえてあのようなざれごとを展開したそこには、霧架のなかに渦巻く「『宝物ほうもつ』と『至上の死』の価値の差異」という問題がひじょうに影響しているのだ。

 何気ない文を引用しよう。


秀継ひでつぐは今や、実感よりもっと高位の悟りについて理解していた。思い出しもした。ここでの「宝物ほうもつ」と言う呼名が、執行される儀式そのものを示しているのだと、そんな誰かの忠言を。だからごうごう、うなるようにたいて木材を破裂させる勢いのともりと、人跡ばかりつのった虚無空間とは、儀式をおこすための必要に違いない。憶測にやがて根拠と論証がまつわりついた。】

                             纏ノ章五日目より


 ここには『宝物』という語が第8階層での死全体を指すものだと書かれている。

 続いて『至上の死』について。


【いままで『至上の死』――ただ一人きりの価値の素晴らしさを説いていたはずの彼女。】

                             紀ノ章其ノ下より


 先ほどの桐香の卑屈な言葉の横にそえられていた。つくづく感じるがこの世界観の作者は憶測だが、これを他人に読ませようと思って書いてなどいないだろう。あまりに抽象的で、あまりに言葉足らずで、あまりに姑息な描き方をしている。

 さておき紛らわしいのだが、『宝物』は塔の金看板である『世界一価値のある宝物』を指し、対して『至上の死』はそのなかでも限定的な価値(=客観的な生涯の肯定だけではなく、実感をともなった主観的な生涯の肯定。霧架ないし桐香が望んだのはカサネに殺害されるという未来だったと推測する)を示しているわけだ。これがのち累を殺害し、管理者になることで談の生死を掌握したいというゆがんだ思考につながってしまう。

 これまでの記述を顧みて事実、第1階層でイレギュラーな『巨軀の魔物』が霧架の胴を刎ね飛ばしたこと、第7階層で二人の霧架が出現したことは、『契の間』の契約をうながすという意味合いで共通しているとわかる。また、起こりは違えども結果的に両方成功しなかった。よもや塔は彼女の『生涯データ(=運命論的解釈により、人が誕生してから死亡するまでの記憶をデータ化した観念。塔はこれを網羅することで各階層の試練を作る)』の奥深くに、将来「四条 霧架を救うための」カサネとなる可能性を発見して、それを契約する保証としたのではないか……このような無情すぎる説を、結論とは言いたくないが。


 ◎第四項

 もっとも、これを察知していたからこそ、本作の並びが時系列どおりになっていないとも思えなくはない。

 雨宮秀継を取り巻く人間関係と『宝物』の事情についてはこのさい論及しない。

 「四条 霧架を救うための」カサネとは、纏ノ章最終において登場したぼろきれの少女のことを指す。むろん指摘するまでもないが彼女は四条 霧架の成れの果てであり、今回諸般の事情で描写しなかった紀ノ章と纏ノ章の中間部分で「『契の間』で契約をした談を殺害してしまった」ゆえの正体となっている。

 談は古塔が現前した時点で自分の存在を、ひいては『IMMORTALE』をこの世から消し去ろうと画策していた。なぜなら彼自身もカサネに屠られることを望んでいたからである。それが霧架のかさね殺害によって阻害され、かつまた自分の思いえがいた理想郷を無分別の人々に踏みにじられ、彼の心は疲れ切っていた。それがある日(明確にはX+一五年一二月)輪廻・セレスタインの招待した挑戦者の存在によって、霧架が談を殺害するという「偶然じこ」を引き起こしてしまった。

 それが世界にどのようにして波及したのか、詳説の労をとるまでもない。

 桐香の救済のためにはたらいた『四条霧架』をはね除けて、最愛の累が懸命に生きた記憶を俯瞰ふかんすることもせずに、いよいよ霧架が心酔した露木 談のために塔を征服していたという事実は――この「偶然」をきっかけに暴露・崩壊させられた。ぼろきれ以外のあらゆる衣服を失ってしまった姿はその唯一目に見える効果だったのだ。

 このときの彼女は生きる希望どころか、自分が何者であるかさえ忘却していた。頭のなかに残っていた、みずから生み出した『契の間』をついぞ使わなかった「カサネ」という誰かの名前を自分のものとして名乗っていた。この現状を打破しようとできるものは、あのとき輪廻しかなかった。輪廻は一人きり、五年間カサネの代わりに管理者を務めたが、どうしたら救えるのかと考えあぐねた末に世話を放棄し、せめて彼女の精神破壊を助長するだけの挑戦者もとい犠牲者を『セレスタイン酒場』で食い止めようとしていた。――これこそ、纏ノ章前部で描かれなかった事件のあらましである。雨宮秀継は幸か不幸か、カサネを救える切り札として認められ、彼なりに『至上の死』を迎える結果となった。


 ◎叙情文

 正直なところ、この作品は完全が過ぎる。論理はあたりまえだが、キャラクターたちの出生も家柄も考え方の何もかも資料に占められていて、とてつもなく窮屈で頭がつかれる内容になってしまっている。だがここにもしも創作に携わっていない人間――つまりわたしのような筆者や読者たち――が想像する余地を見いだせるとすれば、『契の間』の能力と、カサネ(=霧架)・輪廻たちの記憶にまつわる設定などは、なんとなく穴ぼこだらけに思えて来ないだろうか。彼女たちはどこまでの範囲で露木 談を失っているのか、考えてみると、意外にさっきまでのセリフが別の側面を見せてくれるかもしれない。筆者にはおもしろく記述できない。それでも塔を願う世界と人々には、幸福を追求する強い宗旨と自分の理性を信ずる知性、そして昨今のサブカルチュアに欠けている「生命への尊敬」「知への尊敬」を感じることができるのではないか。……そんな幼稚な〆方しか、わたしは知らない。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法の力が消えていく 屋鳥 吾更 @yatorigokou10

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ