エピローグ

『だから、ボクと付き合ってください』


 薄い意識の奥底で、テレアの声が静かに響いた。

 戦いの最中に告げられた思い掛けない台詞。

 あの時はあんな状況だったから、あまり深くは考えられなかったけれど……

 そういえば僕、女の子に告白されたのって初めてかもしれない。

 結局はそれを断ってしまったけれど、嬉しいというのが僕の本音だ。

 誰かに自分の存在を認めてもらえたような、妙な安心感がある。

 それにきっとテレアも、顔にはおくびにも出さなかったけれど、あれで緊張していたに違いないし。

 頑張って気持ちを告げてくれたのだと思うと、その嬉しさは一層増していく。

 僕はきっとこの先、あの告白とテレアのことを、一生忘れることはないだろう。

 

 そんなことを思っていると、やがて僕は暗闇の中から目を覚ました。

 視界には見慣れた天井の景色が広がっており、自分がどこにいるのかすぐにわかる。

 僕の部屋だ。そして僕のベッドだ。

 窓から差し込む光の角度からして、おそらくお昼に近い時間なのではないだろうか。

 とそこまでわかるや、僕は毛布をずらし、上体を起こそうとする。

 だが、毛布が何かに引っ掛かり、中途半端な体勢で固まってしまった。

 何かがベッドに乗ってる? と思ってそちらに目をやると……


 プランがいた。

 

「……」


 眠っている。

 ベッドの横の丸椅子に腰掛けながら、上体だけをベッドに乗せて寝息を立てている。

 なんか、前に一度だけ見たことがある光景だな。

 見ると、傍らのテーブルには水の入った器とタオルが置いてあった。

 もしや看病でもしてくれていたのだろうか?

 僕ってそんなに重病人だったっけ? なんて呑気なことを考えていると……


「……ん」


 毛布を引いた感触に気が付いたのか、プランがゆっくりと目を開けた。

 しばしぼんやりと固まって、その後おもむろに周囲を見回す。

 自分がどこにいるのか、どこで眠ってしまったのか確認したのだろうか、不意にハッと声を漏らした。

 次いで寝ぼけ眼のまま、僕とぱっちりと目が合う。


「プ、プラン……?」


「……」


 プランはいまだに意識半ばと言った様子だった。

 寝ぼけているのかまだ眠いのか、目と口の両方を半開きにしている。

 そういえばプランの記憶って、結局どうなったんだろう?

 僕が呑気に眠っている間に、どれだけの進展があったのかまるで想像がつかない。

 だから僕は固唾を飲んでプランの反応を伺う。

 するとプランは、次第に眠気が晴れていったのか、つぶらな瞳をみるみる大きくさせて……


 突如くしゃっと、顔面を歪ませた。


「ノ……ノンさぁぁぁぁん!!!」


「うわっ、ちょ……!」


 瞬間、奴は丸椅子を蹴飛ばして抱きついてきた。

 そして僕の腹部に白髪頭をぐりぐりと押し当てながら、わんわんと涙を流し始める。


「よかったッス! 本当によかったッス! ちゃんと起きてくれたッス!」


「お、重い重いっ! 急に抱きついて来るな! いきなりなんだよそのテンション!」


 静けさから一転、僕の部屋は瞬く間に喧騒に支配された。

 ていうか、ちゃんと起きてくれてよかったって……


「まるで僕が植物状態だったみたいじゃないか。なにっ? 僕ってどれくらい眠ってたの?」


 プランの過剰とも思えるその反応に、少々違和感を覚えてしまう。

 まあ、あれだけのことがあった後だし、自分でも思っている以上に寝込んでしまった可能性もある。

 ゴーストの魔法の影響も少なからずあるだろうし、もしや一週間や二週間どころではないとか?

 少しの不安を抱えながら問いかけてみると、プランはぐすっと鼻を啜りながら短く答えた。


「丸二日ッス」


「たった二日かよ」


 一年越しに目覚めたくらいのテンションだったじゃん。

 たった二日で騒ぎ過ぎだろこいつ。

 それでもプランには心配の念が尽きないようだった。


「体に問題はないッスかノンさん? だるかったり頭が痛かったりとか、何かしてほしいこととかないッスか?」


「うん、平気平気。別になんともないよ。言っちゃえばただの寝不足だし、変な病気になったわけでもないからな」


 これはひとえに、僕の体力の無さが招いた結果である。

 普段から鍛えていれば寝込むこともなかっただろう。

 まあ、何はともあれ……


「……その様子を見ると、無事に記憶が戻ったみたいだな、プラン」


「記憶? あっ、そうッス!」


 プランは何かを思い出したようにハッとし、なぜか不意に立ち上がって大きく息を吸い込んだ。

 そしてブイッとピースサインを作るや、すっかり見慣れた満面の笑みを浮かべた。


「ババーンッ! 大盗賊のプランちゃん! 満を持してこの通り大復活ッスー!」


「……」


 僕が目覚めた時のために考えていた台詞だろうか。

 それを無事に言うことができたからか、プランは実に満足げな顔をしている。

 なんかもう、色々と懐かしいな。

 このバカっぽさとか活力ある声とか眩しい笑顔とか。

 記憶を失くしてすっかり大人しくなっていた頃が本当に嘘のようである。

 ただ、今の寝起きの頭にはちょっと厳しく、僕は思わずため息をこぼしてしまった。


「……はぁ、復活しちゃったか」


「えっ? その反応おかしくないッスか?」


 別におかしくはない。

 むしろ前の方がいいという声だって少なからずあるのだから。

 ちなみにその声を上げたのはアメリアで、うるさくなくてちょうどいいと言ってました。

 確かに前のプランはちょっと臆病なだけで、大人しくて超器用な万能娘だったからな。

 これでまた治療院が騒がしくなると考えたら、目に見えない疲れがどっと出てくる。

 でもまあ、それでも……


「とりあえず、おかえりプラン」


「はい、ただいまッス!」


 治療院に一つ笑顔が戻りました。

 

 

 

 二日ぶりに目を覚ました僕は、現状把握のためにプランから色々と話を聞くことにした。

 まずは治療院のこと。

 どうやら治療院は今日も通常営業らしい。

 だけど僕はまだ病み上がりみたいなものだからと、今日はゆっくり部屋で休むようにとプランに言われた。

 そして付きっきりで看病すると言ってきたので、ついでに色々と話を聞く流れになった。

 次に僕が聞いたのは、僕が倒れた後のことだ。

 無人島にいたマリンとテレアは、ゴーストライターを倒したその足で町まで直行したらしい。

 チョークを使って町まで転移門を繋げて、ゴーストを連行。

 あとは冒険者の方々に任せて、もう一本のチョークを使って治療院に帰ってきたという。

 ゴーストが所持していた魔法の杖もすべて没収し、魔法を一切使えない姿に変えたとのことで、これにて悪の元凶は完全に滅びた。

 ちなみに、治療院に帰ってくるまでの間、倒れた僕をずっとおぶってくれていたのはマリンらしい。

 ちゃんとお礼を言っておこうと思った。


 そして、テレアの天職が戻ったことで、魔法の治療も可能になった。

 記憶を失っていたプランと、変身魔法を掛けられていたルベラとシーラも治療ができた。

 それとどうやら、記憶喪失事件が発生していたハテハテ村には、すでに治療に行ってくれたみたいだった。

 僕が眠っている間に、プランがテレアを連れてアヤメさんの所へ向かったらしい。

 転移チョークもあと一本は残っていたので、行きの時に使ったようだ。

 その後三人でハテハテ村まで行き、記憶を失くしていた人たちを聖女の回復魔法で治してあげたそうだ。

 もちろん、アヤメさんの大親友であるヒナタちゃんの記憶も元に戻った。

 二人は仲良しに戻り、僕にもお礼を言っておいてほしいと深く感謝されたらしい。

 無事に事件が解決してよかったと思う。

 まあ、僕がテレアを連れて行くと約束していたので、眠りこけてそれが叶えられなかったのは普通に情けないけど。

 ともあれ、以上が僕が眠っている間の出来事である。


「そういえば、勇者パーティーの連中は今どうしてんだ? また近くの宿屋にでも泊まってるのか?」


 僕は遅まきながら気に掛かる。

 話を聞く限りだと、勇者パーティーの連中は今もノホホ村にいると思われる。

 けど、下の階からまったく彼女らの声が聞こえてこないので、もしや治療院を離れて宿屋にでも泊まっているのだろうか?

 と思ったら、僕の憶測はだいぶ的が外れていた。


「いえいえ、今も治療院に滞在中ッスよ。あっ、でも、ノンさんが眠ってる二日の内に、勇者さんたちはノホホ村の人たちと仲良くなったみたいで、今は色々とお手伝いをしに行ってるッス。ちなみに聖女さんだけ治療院に残って、ヒルドラちゃんと一緒に治療係をやってるッスよ」


「へぇ……」


 テレアだけ下の階にいるのか。

 で、マリンたちは外出中と。

 ならこの静けさも大いに納得できる。

 それにしても院長の僕なしで、聖女とヒールドラゴンの二人で治療院を回している現状はいかがなものなのだろうか?

 なんだか知らず知らずのうちに治療院を乗っ取られていそうでちょっと怖い。

 まあ、ヒルドラに加えてあのテレアがいてくれるっていうのは相当心強いな。


「あ、あの……ノンさん?」


「んっ?」


「その…………聖女さんと何かあったんスか?」


「えっ?」


 突然の問いかけに、思わずドクッと心臓が高鳴る。

 その動揺を見逃すまいと言わんばかりに、プランの目は訝しげに細められていた。

 テレアと何かあったのかどうか。

 何を勘繰られているのかは大体察しがつく。

 僕は密かに唾を飲み込み、シラを切ることにした。


「な、“何か”ってなんだよ?」


「“何か”は“何か”ッスよ。戦いに向かったノンさんたちを追いかけて、無人島に行った聖女さんが、天職を取り戻して帰ってきたんスよ。ノンさんと何かあったって考えるのが普通じゃないッスか? 後輩君もすごく不思議そうにしてましたッスよ」


「……」


 鋭い。いや、そうと考えるのが自然か。

 僕に対する感情のせいで天職を失っていたのだから、僕と何かがあって天職が戻ったと考えるはず。

 特に恋愛絡みで何かしらあったのではないかと疑うのが当然だ。

 あの時、同じ場所にいたマリンはウサギに変えられていたので、たぶん状況を知らない。

 知っているのはゴーストを除けば、僕とテレアの二人だけ。


「聖女さんに聞いてみても、『別に……』しか言いませんし、それにしてはなんだかすっきりしたような顔をしてますし、本当に何が何やらさっぱりわからないんスよ。あの方と無人島でいったい何があったんスか?」


 やっぱりテレアは何も答えていないみたいだな。

 それもそうか。変に言いふらすようなことでは決してないからな。

 となれば、僕も……


「別に、何もなかったけど」


 何も答えないのが筋というものだろう。

 何がなんでもこの秘密だけは隠し通してやる。

 事情を知らない人たちは、どのようにして天職が戻ったのかかなり気になっているはずだが、これだけは致し方あるまい。

 そう考えて口を閉ざすと、プランは依然として疑いの眼差しで僕を見てきた。

 刺すような視線を向けられ続けるが、断固として黙り込む。

 するとプランは納得してくれたのか、“そうッスか”と言って訝しい目を解いてくれた。

 どうやら誤魔化し切れたみたいだな。明らかな動揺を見せてしまった時はどうなることかと思ったけど。

 と、呑気に安堵していると、その安らぎは束の間のものとなった。


「じゃあ、どうやって『聖女』の天職を取り戻したんスか?」


「えっ?」


「ですから、悪口を言ってもデートをしても何をやっても取り戻すことのできなかった『聖女』の天職を、どのようにして元に戻したんスか? 聖女さんとは別に何もなかったんスよね?」


 再び疑惑の視線が注がれる。

 確かに、テレアと何もなかったとなれば、聖女の天職をどうやって取り戻したのかは気になるところだよな。

 プランの言った通り、何をしてもダメだったのだから。

 でもぶっちゃけ僕だって、なんであの時聖女の天職がテレアの元に帰ったのか、正確なことは何一つわかってないんだぞ。

 それでどうやって説明しろと?

 にしても、テレアとのデートの件や、悪口のくだりをまるで見ていたかのようにプランは覚えているようだ。

 あの時、プランの記憶はまだ元に戻っていない状態だったのに。もしや……


「…………プランって、記憶がなかった間の記憶ってあるんだな」


「あっ、はいッス。記憶がなくなってからのことはちゃんと覚えてますッスよ。まあ、みっともない姿をお見せしてしまって、その時の記憶があるのは恥ずかしいんスけどね。……ていうか、巧妙に話を逸らそうとしないでくださいッス」


「うっ……」


 バレてしまったか。

 このまま上手くテレアとの話を遠ざけることができたらと思ってたのに。

 見るからに脂汗を滲ませる僕に、プランは一層訝しい顔で詰め寄ってきた。


「で、聖女さんはどうやって天職を取り戻したんスか?」


「…………」


 僕は毛布を払って立ち上がり、わざとらしく背中を伸ばした。


「さーて、体が鈍ってもあれだし、気分転換がてら散歩でも行くかぁ」


「あっ、話を逸らさないでくださいッス!」


 頑なに口を割りませんでした。

 

 


 結局その後、“僕にもよくわからない”の一点張りでプランを納得させた。

 納得、というか諦めさせたと言った方が正しいだろうか。

 いまだに疑わしい思いは捨て切れていない様子だったけど、これ以上問い詰めても不毛だと感じたのだろう。

 まあ、そのうちもしかしたらテレアの方から話すかもしれないし。

 僕から言うことではないので、この件はとりあえず保留だ。

 その後、体調にも問題がなかったため、午後から仕事に復帰することにした。

 一階へ下りると、まずはアメリアが何気ない感じで『起きたかノン』と挨拶をしてくる。

 プランとは違って落ち着いた様子で、いつも通りのアメリアだった。

 ヒルドラはと言えば、僕の顔を見るや『クゥ!』と鳴いてバサバサと飛んで来た。

 この子にもだいぶ負担を掛けてしまったので、今度目一杯遊んでやろうと思う。

 

 そして、テレアとも再会を果たした。

 彼女は、いつもの僕の特等席――来客待ちをする窓際の席に腰掛けて、外をぼんやりと見つめていた。

 もしテレアがこの治療院の院長だったら、こんな風にお客さんを待っていたのではないだろうかと思わされる。

 するとテレアは僕がやってきたことに気が付くと、なんでもない様子で『おはよ』と言ってきた。

 釣られて僕も『おはよ』と返すけれど、たぶんぎこちなかったと思う。

 テレアは自分の告白のことを特になんとも思っていないようだけれど、僕としてはやはり頭に残り続けている。

 普通に接するのはちょっと難しい。というかなんか気まずい。

 しかしそれを他の人たちに悟られないように、僕も普段通りの態度を心掛けることにした。

 やがて、帰ってきたマリンたちとも二日ぶりに顔を合わせた。

 そしてマリンはと言うと、やれ『寝坊助ノン』だのやれ『おぶってやった礼を言え』だの色々とうるさかった。

 まあ、苦労を掛けたのは事実なので、素直に『ありがとう』と言っておく。

 ルベラとシーラとも久々に話すことができたので、僕は時間を忘れてみんなと言葉を交わした。

 

 気が付けば、夕飯の時間になっていた。

 ゆえに治療院メンバーと勇者パーティーのメンバーで卓を囲むことになる。

 まさかこのメンバーでご飯を一緒に食べることになろうとは思いもしなかった。

 治療院開業以来、最多人数でのお夕飯である。

 プランも大人数が相手ということで、いつも以上に気合を入れてご飯を作ってくれた。

 そして僕も二日ぶりにちゃんとしたご飯を食べ、いつも以上に美味に感じられた。


「ご馳走様でした」


 騒がしかった夕飯を終えて、後片付けに入る。

 そして洗い物が七人分になり、水場が狭いこともあって担当を二人に絞ることになった。

 するとなぜか簡易的なくじ引きで決めることになり、結果僕とマリンが担当することになる。

 各々が自由に時間を過ごす中、僕とマリンはせっせと洗い物を進めていった。

 時折、『水魔法で一気に洗えないかしら』とか『いっそ全部壊して新しいの買った方が早くない?』なんて物騒な台詞が隣から聞こえてきて、心底ヒヤヒヤさせられてしまう。

 そんな中、僕は沈黙を嫌って話を振った。


「テレアの天職を取り戻した時の約束、守ってもらってありがとな」


「んっ? あぁ、記憶喪失の治療の件ね。それなら別にいいわよ、元々そういう約束だったものね。こっちこそ、テレアの天職を治してくれてありがと」


 マリンが相変わらずのサバサバした様子で返してくる。

 遅れてしまったけれど、ちゃんと約束を守ってもらえたのでお礼を言いたかったのだ。

 みんなが聞いているところで改めて言うのは少し気恥ずかしかったので、こうしてちょうどいい機会が訪れてラッキーだった。

 感謝を伝えることができて満足していると、不意にマリンが細めた目つきでこちらを見てくる。


「ていうかお礼なら、テレアに言っておきなさいよ。私は別に何もしてないし、あの子が一番頑張ったんだから」


「ま、まあ一応、パーティーメンバーたちの保護者であるリーダーのマリンに、先に言っておく方が良いかなぁって思ったからさ」


 “あはは”とわざとらしい笑みを浮かべてしまう。

 絶対にぎこちなくなってるな今。

 と思っていると、その動揺を悟られたのかマリンが訝しい目を向けてきた。


「さっきから気になってたんだけど、あんた露骨にテレアを避けてるわよね」


「えっ……」


「ご飯の時はまったく喋ってなかったし、座る席もあからさまに遠ざけてたし。なんなのよあれっ? こっちまで気になってご飯に集中できなかったんですけど」


 意外とよく見ているな。

 いや、見ているのは大好きなテレアのことだけか。

 そのテレアからあからさまに距離をとる人物が一人いたら、マリンだって気が付くに決まっている。

 別に、避けていたわけではない。

 ただちょっと気まずいというか、なんて声を掛けたらいいかわからないだけだ。

 ……それを避けてるって言うんだろうか?


「ちゃんと話してあげなさいよ。あの子の方こそ、改めてあんたにお礼を言いたいって思ってるはずだから」


「僕に?」


 どういう意味だろう?


「テレアがね、“治療の旅”をしたいって言うの。あんたの言ったゴーストの魔法の被害者たちもそうだけど、世界中にいる傷ついた人たちを癒やしてあげたいんだって。その目標のきっかけになったのがあんたって言ってたからさ」


「……」


 だから、改めてお礼を言いたいのか。

 あのテレアが『治療の旅』、か。

 世界中の人々を癒やしていく旅。まさに聖女にぴったりの活動ではないだろうか。

 でも、そのきっかけを作ったのが僕というのは、なんだか少し違和感があるな。

 僕って何かしたっけ? 

 ともかくまあ、テレアとはちゃんと話さないとダメだよな。

 向こうがお礼を言いたがってるのはともかく、僕からは言わなきゃいけないことがたくさんあるのだから。

 あぁでも、まだ緊張して上手く話せそうにない……

 洗い物をしているせいだろうか、人知れず手先を震わせていると、隣でマリンが話を再開させた。


「で、私たちも、その治療の旅に付き合ってあげることにしたわ」


「私たち? って言うと、勇者パーティーが?」


「そっ。テレアの護衛、ってわけでもないけど、旅が上手くいくように色々とサポートをするつもり。ま、近頃は世界中で犯罪者も増えてきてるみたいだし、ついでにそいつらをとっちめるのも悪くないかなって思ったの。勇者らしく変わらず正義のために戦ってやるわよ」


「全然勇者っぽくない口ぶりだな」


 ともあれマリンたちも、また新たな目的が見つかったみたいでよかった。

 やっぱり勇者と言えば旅をしてナンボみたいなところがあるからな。

 となると……


「じゃあ、もう明日にでも旅立つのか?」


 僕は部屋の隅にまとめられた荷物を気にしながら問いかける。

 するとその声音が、図らずも弱々しいものになってしまった。

 それを聞いたマリンは、一度驚いた顔で僕を見て、それから不意ににやけ笑いを浮かべた。


「なになにあんた〜? もしかして私たちがいなくなるの寂しいとか思ってんじゃないでしょうね〜?」


「ち、違うっつの! ただ、今まで賑やかだったのが急に静かになると、なんかその……違和感があるじゃんか」


 別に寂しくはない。 

 大人数での食事が楽しかったというわけでもない。

 ただ、賑やかだった部屋が突然シンとするのは、なんだかこうモヤモヤしてくるのだ。

 という言い訳を重ねるより早く、マリンが泡だらけの手で僕の肩を叩いてきた。


「まあまあ、今回は気長な旅になるだろうし、私たちもちょっとした旅行気分で旅をするつもりだから。あんたが寂しくなる前にまた来てあげるわよ」


「……別に頼んでないし」


 そして泡ついてるし。

 よもやマリンに気を遣われる日が来るとは思いもしなかった。

 でもまあ、なんかちょっとだけ、こいつの言葉に慰められたような気がした。

 

 

 

 翌朝。

 勇者パーティー一行は、言っていた通り旅へ出発することになった。

 僕ら治療院組は、治療院の外でその見送りをする。

 マリン、ルベラ、シーラ、テレアの四人が荷物を抱えて、旅路の一歩を踏み出す瞬間だった。


「じゃあ、魔法の被害に遭った人たちの治療、宜しく頼むな」


「別にあんたにお願いされなくてもちゃんとやるわよ。それはテレアが決めたことなんだから」


 マリンはそう言うや、傍らにいるテレアを一瞥する。

 するとテレアはその通りと言わんばかりにこくりと頷いた。

 僕は深く安堵する。

 これは僕がお願いすることではないのだろうが、一応色々な事件に関わった身として言っておきたかった。

 人知れず満足していると、不意にマリンがこちらに歩いてきて、しかめっ面を近づけてきた。


「ていうかそれは、直接テレアに言いなさいって言ったわよね。私は別に伝言役でもなんでもないんですけど」


「うっ……」


 結局、昨日の晩はあれ以降、テレアと一言も会話をすることができなかった。

 話さなきゃ話さなきゃと思いながらも気まずい思いを振り払うことができず、今に至る。

 するとマリンはテレアを近くに呼び、その後僅かに距離を空けて二人の空間を作ってくれた。

 マリンなりの気遣いというやつだろうか。

 このままだとモヤモヤした空気で終わって後味が悪いから、きちんと締めろということなのかもしれない。

 マリンが呆れた目で見守ってくる中、僕は目の前のテレアにぎこちなく声を掛けた。


「テ、テレア……治療の旅、気を付けて行ってくるんだぞ」


「うん」


 テレアはまったく顔色を変えず頷く。

 僕と違って緊張などまるでしていない様子。

 あの告白の件を気にしていないのだろうか。忘れてさえいるような顔だ。

 むしろ堂々としたその様に、僕は不思議と気圧されながら続けた。


「あ、あと、うちのプランとかハテハテ村の人たちの治療もありがとな。すごく助かったよ」


「うん」


 またも無表情の頷き。

 そして会話が止まる。

 思った以上に話が続かない。

 こちらが話の球を投げたら投げっぱなしで終わってしまうのだ。

 まあ、テレアとのやり取りは元々こんなんだったし、僕もそれにはすっかり慣れたと思っていたのだけれど。

 今はこの沈黙がとても重たかった。

 どう話を続けたらいいか迷っていると、意外にもテレアから話題を振ってくれた。


「こっちこそ、本当にありがと」


「えっ?」


「あなたのおかげで、やりたいこと見つけられたから。だからありがと」


 無人島でも聞いたその台詞に対し、僕は問いかける形で返す。


「やりたいことって、治療の旅ってやつか?」


「うん。それもそうだけど、もう一つやりたいこと、あなたに教えてもらったから?」


「……?」


 もう一つ?

 いったいなんのことだろう? と首を傾げていると、不意にテレアの視線が僕の後ろの方に向いた。

 より正確には、後ろに立っているプランとアメリア、そのさらに後ろの『ノンプラン治療院』に。

 テレアのその視線の意味を悟り、僕は静かに得心する。

 テレアのやりたいこと、それは……


「旅が終わったら、あなたと同じことをする。あなたと同じように……ボクも“治療院”を開いてみたい」


「……」


 テレアが治療院を開く。

 それはすごく不思議な響きを持っているけれど、なぜかしっくり来てしまう言葉だった。

 僕が眠っている間に治療院の仕事を代わってくれて、村の人たちからもすごく好評だった。

 だからテレアには治療院を開く才能があると思う。

 一つの難解な依頼をヘトヘトになりながら解決する僕の治療院と違って、どんな依頼も最上級の回復魔法で一発解決してしまう理想の治療院。

 もしそんな治療院が実現したら、まさに人々の希望となり得ることだろう。


「いつになるかは、全然わからないけど、それでもやってみたい。治療院を開けば、旅が終わっても、傷ついた人たちを治してあげられる。みんなともっとお話ができるから」

 

 だから治療院を開きたいのだと、テレアは強い意思を抱いていた。

 本当にテレアは変わったな。

 自分のやりたいことをはっきりと口にしている。

 人に流されるままに生きていた頃とは大違いだ。

 まあ、顔の筋肉がないのかってくらいの無表情は健全だけど。

 もう少し感情豊かになればお客さんも増えると思うけど、なんて考えながら、僕は正直な思いを伝えた。


「うん、テレアならきっとできるよ。僕よりもすごい治療院を開いて、みんなを笑顔にしてあげられる。それで、もし何か悩んだり困ったことがあった時は、いつでも僕を頼ってくれ。絶対に助けるから」


「うん、期待しとく」


 テレアは短くそう言うと、くるりと僕に背中を向けた。

 そして首を巡らしてこちらを見ながら、控えめに手の平を見せてくる。


「じゃ、またね」


「うん、また」


 僕も同じように手を掲げると、テレアはマリンたちの方へ歩いて行った。

 マリンたちもそれに合わせて振り返る。

 そんな彼女たちの背中を見つめながら、僕は密かに長々とした息を吐いた。

 上手く話せただろうか。

 まだぎこちなかったとは思うけれど、伝えたいことはちゃんと伝えた。

 そしてテレアから聞きたいこともちゃんと聞くことができた。

 どうやらテレアは治療の旅をして、それが終わったら治療院を開きたいらしい。

 テレアならきっと世界でも随一の治療院を開くことができる。

 僕とは比べ物にならないほどたくさんの人たちを救えるはずなので、是非とも頑張ってほしい。

 そして、そんな女の子に想いを寄せられて、本当に身に余る光栄だと思う。

 じゃあどうして告白を断ったのだと、またも不毛な自問自答が頭を締め付けてくるので、僕はそれを誤魔化すように背中を伸ばした。

 やがてある程度までマリンたちを見届けると、僕ら治療院組もくるりと踵を返す。

 次はいつ会えるだろう? なんて柄にもないことを考えながら、ノンプラン治療院に歩いて行った。


「さてと、今日ものんびり仕事しますかぁ」


「ノンさんはまだ病み上がりなので、部屋で寝ていた方がいいんじゃないッスか?」


「盗賊娘の言う通りだな。なんなら今日は私が看病してやってもいいぞ」


 なんてことを言い合いながら、僕たちは治療院に戻っていく。

 遠ざかる背中に少しの寂しさを感じながら、勇者たちとの別れを終えた。

 

 …………と、思いきや、歩いているその最中、ふと後ろから誰かの気配を感じた。

 あまりに朧気な気配だったため、ほとんど何となしに振り返ってみる。

 するとそこには……


「……」


 テレアがいた。

 彼女は今まさに、僕のところに駆け寄ってくるところだった。

 マリンたちを先に行かせたまま、音もなく声もなく僕の背中を追いかけてきたみたいだ。

 彼女はすぐ目の前までやってくると、不意に僕の耳元に顔を寄せてきた。

 そして、訳もわからずに固まる僕に、テレアは小さく囁いた。




「まだ、諦めてないからね」



 

 その言葉に、どくっと心臓が高鳴った。

 耳に掛かる吐息とその熱で、体が燃えるように熱くなった。

 他の誰にも聞こえていない台詞。僕だけに向けられた言葉。

 それだけを言うと、テレアは僕の耳元から顔を遠ざけた。

 言葉の熱に対し、やはり彼女は相変わらずの無表情だった。

 そしてテレアは、トトトと足早にマリンたちの元へ帰って行く。

 僕はその背中を見つめながら、しばしぼんやりと固まってしまった。

 やがて、ある一つの台詞が、途端に脳裏をよぎった。

 

「……プランの言った通りじゃん」


 かつて魔王リリウムガーデンを敗り、世界を救った際にプランが放った一言。

 それがまさに今の状況に、奇しくも適した言葉だった。

 愛を知らなかった一人の少女が、それを知り、大切な力を取り戻して世界を平和に導くような物語。

 癪だけど、本当にぴったりの台詞である。

 僕は、テレアに与えられた熱を胸中に感じながら、人知れず呟いた。




「愛は世界を救うんだな」




 これまた柄にもないことを言ってしまったと、僕は自嘲的な笑みを浮かべた。

 こうして僕は、これから紡がれる聖女テレアの、愛と希望の物語――その始まりの目撃者となったのだった。

 やっぱり僕には、大変身に余る光栄である。



 …………と、今の声だけプランには聞こえたらしく、彼女は“ぷふっ”と小さな笑いを漏らした。


「ノンさん、なに小っ恥ずかしいこと言ってんスか?」


「お前が言ったやつだろうが!!!」


 今日ものんびり営業中。治療とは関係のない依頼はご遠慮ください。


 


 勇者パーティーで回復役だった僕は、田舎村で治療院を開きます 第2部 おわり

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勇者パーティーで回復役だった僕は、田舎村で治療院を開きます 空 水城 @mizukisora

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