第103話 「勇者パーティーで聖女だったボクは……」
「どうして、ここに……?」
突然現れたテレアを見て、ノンは呆然と固まってしまった。
今は治療院で待機しているはずの彼女が、どうしてこの場所にいるのだろうかと。
しかし、すぐに彼は悟る。
パステートにもらった転移チョーク、あれを二本だけ治療院に置いてきたのだ。
テレアはそれを使い、この無人島までやってきた。
だが、なぜわざわざこのタイミングで来たのかは、ノンにはまったくわからなかった。
「あれれぇ、青いお姉さんと一緒にいた白いお姉さんだぁ。もしかして遊びに来てくれたのかなぁ?」
「……」
一方でゴーストは、一度見たことのあるテレアが現れて、わざとらしく首を傾げた。
テレアはそんなゴーストを完全に無視し、ノンにだけ視線を注ぐ。
今のテレアには、青ウサギに変えられてしまったマリンの姿すら見えていない。
意中の相手に目が釘付けになっていた。
そしてテレアは、いまだに呆然と固まるノンに、ここに来た目的を打ち明けた。
「告白しに来た」
「はっ? 告白? って、誰に?」
「あなたに」
「……な、なんで?」
なんで。当然の疑問だとテレアは思った。
向こうに気持ちがバレている今、告白なんて本当に今さらだろうし、そもそもこのタイミングで言う必要はどこにもない。
不思議そうに戸惑ってしまうのも当たり前である。
ノンはその動揺を、言葉に乗せて示した。
「……今、戦ってる最中なんだけど」
「うん、知ってる」
「……ものすごいピンチなんだけど」
「うん、知ってる」
「……マリンもウサギになっちゃってんだけど」
「うん、知ってる」
「……」
それでも絶対に告白をする。テレアのその頑固な意思を見て、ノンは唖然とした。
唖然というか呆れていると言った方が的確だろうか。
戦いの最中に告白なんて聞いたことがないから。
でも、今がいいのだ。今じゃなきゃダメなのだ。
今ならたぶん、上手くいく。
この胸に宿った熱い気持ちは、熱い今のうちだからこそ晒け出せるものなのだ。
するとノンも、“なんだかよくわからないが、何かテレアなりに考えがあるのかもしれない”といった感じで、とりあえず納得した様子で頷いてくれた。
「えっ、お姉さん今から告白するのぉ? 何それすごく面白そうだねぇ。三角関係だ三角関係。うんうん、ぼくに構わずに好きにやってよぉ」
と、敵からも許しが出たということで、テレアはノンの正面まで歩いて行って覚悟を決める。
今からこの人に、改めて告白をする。
いや、これはたぶん、告白ではない。
言ってしまえばこれは、ただの懺悔だ。
そしてテレアは、無表情で、無動作で、無機質な声音で、真っ白な気持ちを告白した。
「ボクはあなたが好き」
「……」
思ったよりすらすらと唇が動いてくれた。
するとノンは驚くように目を丸くし、頰をほんのりと赤く染めた。
そしてテレアの方も、顔には一切出さなかったが、実際は頰を熱くしていた。
改めて想いを口にするのは、想像以上に気恥ずかしかった。
自分にもそういう感情が宿っていたのだと、今一度思い知らされる。
ともあれ、敵も面白がるように黙って見ているだけなので、構わずに続けることにした。
「顔が好き、声が好き、少し寝癖の残った髪が好き」
ノンは黙って聞いてくれている。
呆気にとられている、と言ったほうが的確かもしれない。
頰を赤くしてあわあわと口を開閉させているのがその証拠だ。
もっと困らせてやりたい。そんな思いから、テレアはさらに胸の内を晒した。
「不器用なところも好き、無愛想に見えて優しいところも好き、落ち着いてるようで挙動不審なところも好き。……あと、回復魔法がショボいところも好き」
「……バカにしてんのかお前」
少しふざけた真似をしてみると、やはりこの人は淡白なツッコミを返してくれた。
そんなところも、やっぱり好きだ。
だから……
「だから、ボクと付き合ってください」
「……」
なんだかんだで言えずにいたことを、テレアは改めて伝えることができた。
その緊張のせいで心臓が高鳴る。
じわりと両手に汗が滲む。
頬が溶け落ちそうなくらい熱を帯びている。
同じようにノンも、緊張した様子で喉を鳴らしていた。
やがて彼は、不意にこちらから視線を逸らす。
なんだか気まずそうな表情で、しばし黙り込んでしまった。
静けさのせいで、海のさざめきがいつもより大きく聞こえてくる。
そんな中で、ノンの返事だけは、残酷にも確かに耳に届いてきた。
「ごめん」
「……」
ドクッと、心臓が鼓動する。
“ごめん”。このたった一言には、マリンの握る聖剣なんて目じゃないほどの、強烈な切れ味が宿っていた。
結構きついな、これ。
うん、でも大丈夫。
自分は全然、大丈夫だ。
自分にそう言い聞かせていると、ノンはこんな状況なれど、真剣な返事をしてくれた。
「僕は嘘が苦手だから、正直なことを言うけど、今は恋愛よりも他に頑張りたいことがあるんだ。自分の時間を全部そっちに使いたいし、誰かと付き合っても相手をおざなりにしちゃうと思う。そんな半端な気持ちで、テレアの想いに応えることはできない。だから、せっかく想いを告げてもらって申し訳ないんだけど、テレアと付き合うことは……」
ノンの、絞り出すようなその声を遮るように、テレアは言った。
「うん、知ってる」
「……」
この人にフラれることも。
この人がフったことを悪びれることも。
そしてたったこれだけで、この人のことを嫌いになれないことも、テレアは全部知っていた。
最初にマリンはこう言った。テレアのことをフれば、テレアがノンを諦めて天職が戻るかもしれないと。
しかし、ちゃんとこの人にフラれたとしても、『聖女』の天職は戻ってきていない。
それもそのはずだ。当然のことなのだ。
だって……
(それでもやっぱり……この人が大好きだから)
簡単に諦め切れるものじゃない。
乙女の恋はたった一回の失敗で消えるほどヤワなものではないのだ。
ゆえに告白してフラれるだけで、『聖女』の天職が戻ってくるわけもなかった。
じゃあ、どうして傷つくだけとわかっていたのに、こうしてわざわざ告白をしたのか。
それは、ケジメのためだ。
(たぶんボクは、元々誰のことも好きじゃなかった)
聖女なのにみんなに対して無関心で、誰のことも好きじゃなかった。
そんな中で初めて覚えた“好き”という感情。
本来ならばそれは、世界中の人々に平等に向けなければならないもの。
しかしあろうことか、自分はそれをたった一人の人間に向けてしまった。
それに対するケジメだ。
それは今済んだ。だから今度は、償いの時間だ。
「だからボクは、同じくらいみんなのことを好きになる」
「……」
「あなたを好きな気持ちと同じくらい、みんなのことも大好きになる」
それが自分の償い。
みんなを好きになることで、等しい愛を注ぐことができる。
ノンを好きでいるまま、みんなを平等に愛することができる。
たとえ“好き”の形が変わってもいい。“好き”の意味はたった一つじゃないから。
もちろん、それが簡単にできるはずもない。
今まで誰に対しても無関心だった自分が、誰に対しても関心を持って愛情を向けるなんて、きっと途方もない時間を要することになるだろう。
ならば、それだけの時間を掛ければいいのだ。
そう、この人が時間を掛けて、みんなを好きになったのと同じように。
「だからあなたが、その一人目」
瞬間、テレアの体が黄金色に輝き始めた。
その現象に、目の前のノンだけでなく、傍らのゴーストも目を丸くする。
しかしテレアだけは、こうなるだろうと確信していた。
黄金の輝きに身を任せていると、やがてそれは体の中に溶け込むようにして収束していった。
テレアは直感する。『聖女』の天職が舞い戻ったと。
(なんか……懐かしい)
体の内側に言い知れぬ温もりを感じる。天職の恩恵を肌で感じる。
まだ、みんなを愛することはできていないと思う。
それでもこうして天職が戻ってきたのは、きっと“みんなを愛する”という意思を持つだけでよかったのだ。
初めて愛を知り、それをたった一人だけに向けるのは勿体ないから、それを気付かせてくれるために『聖女』の天職が自分から離れたのかもしれない。
そう思ったテレアは、流されるままに生きてきた自分を捨て、人知れず一つの目標を掲げた。
(これが終わったら旅をしよう)
傷ついている人たちを、時間を掛けて治してあげよう。
世界中の人たちと、時間を掛けてお話しをしよう。
この人が教えてくれた“好き”を、時間を掛けてたくさんの人たちに届けよう。
そう決意したテレアは、変わらず無表情のまま、純白の頰に一筋の“涙”を流した。
――――
テレアの天職が戻った。
黄金色の輝きを放ったテレアを見て、僕はすぐに直感した。
マリンが『勇者』の天職を取り戻した時と、まったく同じ反応だ。
なぜ突然、『聖女』の天職が戻ったのかは定かではない。
確かなことは僕にはわからないけれど、テレアの涙を見て、大体の察しはついた。
みんなのことを好きになる、か。
それなら僕は……
「んっ? 今の光は何かなぁ? 白いお姉さんはいったい何をしたのかなぁ?」
黄金色に輝いたテレアを見て、ゴーストはわざとらしい様子で首を傾げた。
その声を耳にして、僕は遅まきながらハッと悟る。
今はまだ、戦いの真っ最中だ。油断してはいけない。
いや、今はそれよりも、この好機を生かす手立てを考えるのが先決だ。
このタイミングでテレアが来てくれたのは僥倖だ。
さらに『聖女』の天職まで元に戻ったとなれば、形勢は一気にこっちに傾く。
その意思を読み取ったかのように、テレアは青ウサギとなったマリンに手を伸ばした。
「訪れる春の別れ。残留する夏の厳しさ。瞬く間に消えゆく秋の儚さ。心身を冷ます冬の寂しさ。それらをほぐすは愛の言葉…………『エクスヒール』」
長い詠唱を終えると、テレアの右手に真っ白な光が灯った。
それは青ウサギと化したマリンを眩しく照らし出す。
間違いなく回復魔法の光。
聖女の力を行使したテレアを見て、僕の直感が確信へと変わった。
これなら、こうなってしまったマリンも治療できるはずだ。
絶体絶命の危機を一転させ、最大最高の好機に変える力があるはず。
期待の眼差しでテレアの治療を見守っていると、やがて彼女の手に灯る光が次第に収束していった。
そして完璧に消え、治療が完了したと示してくれる。
だが……
「あれ……?」
マリンの姿はそのままだった。
ぶるぶると怯えるように震える青いウサギのままである。
なんでマリンは元の姿に戻ってないんだ?
聖女の回復魔法を使ったっていうのに。
テレアの……聖女の回復魔法でもダメだっていうのか?
「あははっ、そんなことしても無駄だよぉ。ぼくの魔法は“回復魔法”なんかじゃ絶対に治せないからさぁ」
「……」
ゴーストのその勝気な台詞に対し、テレアは淡白な声音で返した。
「うん、知ってる」
「……?」
治療が失敗したのにもかかわらず、なぜかテレアは何ともないという様子だった。
その余裕はいったいどこから来るのだろうか?
相変わらずの無表情のせいで感情が読み取れない、なんて思っていると、テレアは再びマリンに右手をかざしながら、おもむろに口を開いた。
「聖典をめくるは優しい微風。教会を照らすは星の瞬き。栞代わりに挟むは天使の羽。うたた寝の少女に聴かすは聖女の賛美歌……」
聞いたことのない詠唱文だった。
少なくとも回復魔法の詠唱ではない。
解毒魔法でも解呪魔法でもない。
テレアはいったいどんな魔法を使おうとしているのだ?
引き寄せられるようにテレアの右手に視線を注いでいると、やがて彼女は艶やかな唇に、初めて聞く魔法の名前を乗せた。
「ブレス・オブ・テレア」
一際眩しい白光が、マリンのみならず僕とテレアも明るく照らし出す。
あまりの眩しさに、僕は両目を手で覆ってしまった。
これは回復魔法……なのか?
「悪いものを取り除いて、なかったことにする魔法。ボクだけの、特別な魔法」
「……」
それはもはや、回復魔法ではない。
悪い事象だけを取り除き、なかったことにしてしまうなんて。
言ってしまえばそれは、時間を都合の良い形で巻き戻す『回帰魔法』だ。
当然そんな人智を超越した魔法を使えば、ウサギになったマリンも元通りになる。
僕とテレアの前には、すっかり見慣れた青髪の美女が立っていた。
これが本当の、最上級天職の聖女の実力。
究極の回復魔法。
「あ、あれっ? テレア? なんでここにいるのよ?」
「おはよ」
意外そうにするマリンに対し、テレアは相変わらずの様子で返した。
そんなやり取りを見せられて、人知れず僕も安堵する。
絶体絶命のピンチから一転、一瞬だけいつもの日常が顔を覗かせたので、つい緊張が緩んでしまった。
一方で、自分の魔法をあっさりと解かれてしまったゴーストは、しばし放心した表情で固まっていた。
少ししてから、ハッと我に返る。
「へ、へぇ、すごいねお姉さん。まさかぼくの魔法をあっさりと解いちゃうなんてさぁ。いったい何者なのかなぁ?」
「……」
相当自分の魔法に自信があったのだろうか、ゴーストの声は心なしか震えているように聞こえた。
その動揺を煽るため、というわけではないだろうが、テレアは何も言わずに視線だけを返す。
ゴーストの頰から、余裕の笑みが薄れていった。
「まあ、後々厄介になりそうだからぁ、先に倒させてもらうね、お姉さん」
言うや、ゴーストは懐から杖を取り出してこちらに突っ込んできた。
瞬く間に手の届く距離まで接近されてしまう。
「――っ!?」
僕もマリンも、不意を突かれたせいでほとんど反応が間に合わなかった。
ゴーストの杖の先端が、テレアの腹部に突き立てられる。
「はい、トランス」
変身魔法の光が、テレアを襲った。
「テレア!」
やられた――!
一番守らなければならない存在のテレアを、先に無力化されてしまった。
せっかく聖女の天職が戻って戦線に復帰できたというのに。
と、自らの油断を悔いていると、テレアの全身を変身魔法の光が包み込んだ。
ゴーストのイメージに沿って、彼女の姿が変わっていく。
やがて光が消えると、そこには変身魔法によって変貌させられたテレアがいた。
恐る恐るテレアの姿を確認すると…………テレアはテレアのままだった。
「えっ?」
変身魔法が直撃したはずのテレアは、黒髪美女のままだった。
いつもの無表情で無感情で無動作のテレアだ。
いったいどういうことだろう?
変身魔法を掛けたゴーストも戸惑った様子で固まっていた。
と、そこで僕は、あることに気が付く。
僕たちが立っている砂浜の地面に、大きな円形の“魔法陣”が展開されていた。
白浜の上でもはっきりと見える、白く光る魔法陣。
「この魔法陣は……」
聞いたことがある。
聖女だけに許された高位の回復系スキル――『聖域』。
魔法陣の範囲内にいる者に対して回復魔法を行使できる、いわば回復魔法を広範囲化する能力だったはずだ。
魔法の対象者を任意に選ぶこともでき、味方と敵を区別して治療することも可能らしい。
しかも一度使った回復魔法の効果を、魔法陣の中でしばらく“持続”させることもできるようだ。
テレアは先ほど“回帰魔法”を使った。
つまり、この聖域内は今、常に『ブレス・オブ・テレア』が掛かる状態になっているのだ。
怪我や毒や呪いといった悪い事象は、聖域内にいる限り完全に無効化される。
テレアに変身魔法が効かなかったのも当然だ。
こんなのを間近で見せられてしまっては、こう思わざるを得ない。
「あぁ……こりゃ敵わないわ」
思わず苦笑が漏れてしまう。
応急師なんかとは比べ物にならない。
回復速度では優っていても、本当にそれだけだ。
それ以外で絶望的な差がある。
密かに自嘲的な笑みを浮かべていると、魔法が不発に終わったゴーストが動揺を見せた。
「あれ、効かない? なんでだろう? どうしてだろう?」
そして奴は、ダメ元と言わんばかりに魔法を連射した。
「トランス! エイジング! クローン!」
「……」
そのすべてが回帰魔法によって無効化されてしまう。
テレアはただ無反応で突っ立っていた。
「あ、あははっ、全然わからないなぁ。なんでぼくの魔法、まったく効かなくなっちゃったんだろう? おかしいなぁ、よくわかんないなぁ」
最大の好機。
そうと思った僕とマリンは、各々武器を構えてゴーストを取り囲んだ。
「さーて、悪ふざけはここまでだぞ、ゴースト」
「あの厄介な魔法が効かないならこっちのもんよ。何も気にせずに突っ込むことができるんだから」
「……っ!」
ゴーストはわかりやすく歯を食いしばった。
次いで、不利な状況と見るや、その場から逃げ出そうとする。
それをみすみす見逃すはずもなく、僕とマリンは魔法が効かないのをいいことに、がむしゃらに奴に飛びかかった。
「「うおりゃぁぁぁ――――!!!」」
大の大人が二人掛かりで、見た目は小さな男の子を確保する。
端から見たら完璧に事案な光景だった。
ともあれ僕たちは、ゴーストの魔法を食らいながらも、それを無効化しながら突っ込んでいった。
そしてようやくして、ゴーストライターなる魔族を取っ捕まえた。
「きっちりと罪を償ってもらうからな、ゴーストライター。楽しみにしておけよ」
思い切り小さな男子に乗り掛かりながら言う。
するとゴーストは、最後の悪あがきだろうか、悔しそうな表情をきょとんとした顔に変えた。
「えっ? つみ? ぼくに何の罪があるって言うの? ぼく、何か悪いことしたかなぁ? 罪に問うなら魔法を使った魔族たちの方じゃないかなぁ? ぼくはただ……」
「その言い訳はもう聞き飽きたっつーの!!!」
あまりにしつこかったので、頭を引っ叩いて黙らせてやった。
まったくこのクズ魔族が。
悪事を誘発した時点でお前も犯罪者だっつーの。
「お前も他の魔族たちと同じようにきっちりと罰を受けてもらう! それで目一杯反省してもらうからな!」
そう怒鳴るや、僕はゴーストの袴の懐に手を突っ込んだ。
ますます事案臭が強くなったが、構わずに弄り続ける。
やがて懐の中から何本かの魔法の杖を取り出し、その内の一本に目を付けた。
確か『トランス』の杖はこれだったかな。
これをゴーストに使って、とりあえず二度と魔法を使えない姿に変身させてやる。
そのまま独房にぶち込んで、反省するまでずっと閉じ込めておいてやる。
と思って、さっそくトランスの魔法を使おうとすると、傍らからマリンが声を掛けてきた。
「私にやらせて頂戴。ウサギに変えられたせいでイライラしてるのよね」
「んじゃ、あとはマリンに任せたぞ」
トランスの杖とゴーストをパスし、僕は引き下がる。
いったいどんな姿に変身させるのか、少しだけ気になったけれど、マリンは他の杖も使ってとことんまで懲らしめてやるつもりらしかった。
そんな風にマリンがゴーストに仕置きをしている中、僕は改めてテレアの方に向き直る。
テレアが来てくれて本当によかった。
一時は本当にどうなることかと思ったし、正直もうダメだと諦めかけていた。
でもテレアのおかげで突破口が開けて、戦いに勝つことができた。
今一度その気持ちを言葉に乗せて伝える。
「ありがとな、テレア。おかげなんとかなったよ」
「うん」
相変わらずの淡白な返答。
こんな時くらい、もっとはしゃいだらいいのに。
強敵を倒し、大切な天職も元に戻った感動的な場面なんだから。
でもまあ、今はこの無感情な様子に、むしろ安心感すら覚えてしまう。
一時は勇者パーティーの回復役という居場所を僕から奪った、とても憎い相手だと思っていたけれど、話してみれば意外と面白い奴だとわかった。
間違ったことをしたら謝ることができるし、相手を敬ってお礼を言うこともできる。
勇者パーティーの他のメンバーたちに隠れているだけで、実はテレアが一番の常識人なのかもしれない。
なんて思っていると、不意にテレアが小さく唇を動かした。
「こっちも、ありがと」
「んっ?」
「あなたのおかげで、やりたいこと、見つけられたから」
やりたいこと?
あぁ、あのことか。と僕はすぐに悟る。
みんなのことを好きになる。
それで具体的に何をするつもりなのかはさっぱりわからない。
でも、とりあえずまあ……
「人に流されずに、本当に自分のやりたいことを見つけられたみたいでよかったよ。もしそのやりたいことに手助けが必要なんだったら、僕が手を貸してやる。僕にできることならなんでもするからさ、いつでも頼ってくれよな」
と、言った瞬間――
心なしかテレアの瞳が、キラッと光った気がした。
「じゃあ、今すぐ叱って」
「そっち方面以外なら、なんでもするからさ」
僕は強調するようにそう補足した。
せっかくの良い台詞が台無しになるから、そういうのは控えてほしい。
とにかくまあ、自分のやりたいことを見つけられたみたいで本当によかった。
みんなを好きになると決めたテレア。
きっとそれを実現させるのはすごく遠い話になるだろう。
そもそも難しすぎて実現すら不可能かもしれない。要はこれは“幻想”だ。
でも、テレアがそう決めたのなら、僕はせめてそんな彼女の背中を押してあげようと思う。
悩んでいたら相談に乗ってあげようと思う。
くじけそうになっていたら励ましてあげようと思う。
休める場所を探していたら治療院を開けておいてあげようと思う。
だから……
「だから、何も気にせずに頑張ってこい。僕も自分のやりたいこと、精一杯頑張るからさ」
「うん」
お互いに自分の目標に向かって、ひたすらに突き進むと誓い合った。
こうして僕たちは、不可解で不快な事件の元凶を捕らえ、テレアの天職も元に戻すことができたのだった。
まだ、あれこれやらなければならないことはたくさん残っている。
でも、それもきっと時間を掛けて解決していけるはずだ。
だからとりあえずは一件落着……ということで、僕は背中を伸ばしながらマリンとテレアに言った。
「うぅーん! それじゃあ、そろそろ治療院に帰るかぁ。あっ、それよりもまず先にゴーストを町に連れて行った方がいいかな? なあ、どう思うマリ……」
と、マリンに尋ねようとした瞬間――
突然、視界が揺れた。
「あ……れ……?」
ゴーストを取り押さえているマリンの姿が、まるで陽炎のように揺らめく。
そのまま僕は揺らぎに押されるようにして、力なく地面に倒れた。
視界がぼんやりとして、おまけに耳まで遠くなってくる。
マリンとテレアが何かを言っているみたいだったが、僕には何も聞こえなかった。
すると突如として、僕は急激な眠気に襲われた。
いや、これは眠気に襲われたのではない。
元よりあった眠気を、改めて自覚したと言ったほうが正しいだろう。
緊迫した状況から解放されて、気が抜けてしまったせいかもしれない。
そういえば僕、いつから眠ってなかっただろう?
どれだけ動き続けて、戦い続けただろう?
その疲労が今になって、心身に牙を剥いてきたみたいだ。
(眠い、きつい、頭痛い……)
瞼を開けているのすら辛くなり、気が付けば僕は真っ暗な世界に落ちていた。
たとえ聖女の回復魔法を使っても、蓄積した疲労までは消せなかったみたいだな。
なんでも治してくれる万能魔法、というわけではないらしい。
さすがに眠気に関しては、魔法に頼らず『ちゃんと寝ろ』ということなのかも。
相変わらず、かっこよく終わらせることができない宿命みたいだな。
もう、再三に渡って言っていることだけど。
本当に二度と、治療以外の依頼は受け付けないぞ。
僕は絶対に、今度こそ、平穏なスローライフを手に入れてみせる!
とりあえずこれが終わったら、しばらくはゆっくり休もうと思います。
儚くも思えるそんな想いを胸に、僕は夢の世界へ意識を落とした。
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