第30話 最後の晩餐

 


 最後の晩餐ばんさん。あなたなら、なにを召し上がりますか?


 僕は……正直、なにも食べたくはない。食べることは目の前の享楽じゃない。

 明日を生きるために、必要な行為。明日がない自分にはもう必要のない行為。


 飲み物なら、一杯くらい欲しいかな? 違うよ、多恵ちゃん。命の水じゃない。

 お酒はもうたくさんだ。お茶でもコーヒーでもいいけれど、ただの水道水でいい。


 そんなことよりもどうせなら、うつくしい景色がみたい。

 上京したての、まだ夢に溢れていた頃にみたあの景色を。



 もう今ある現実を、未来から見下ろす自分がいる。そして過去から見上げる自分がいる。逆か? どちらの自分も僕をあざけり、そして僕も嘲りかえしている。

 だけど懐かしい、そして愛おしい。たぶん終わりは近い。


 ん? 話の続き? あぁ、いつの間にかそんな話までしていたね。

 彼女の失踪で僕はなにも変わらなかった。仕事が増えたくらいだ。

 彼女は無罪のまま消えた。マスコミから引っ張った現金があった。

 

 暫くはどこへでも行けたんじゃないかな? そのあとは知らない。


 世間は『ああやっぱり』の溜息で沸いたが、すぐに別の興味に移っていった。

 芝谷しばたに省豆しょうごだけが退職を余儀なくされた。一度、会ったことがあるだろ? そう、新鮮なサバを届けてくれた。彼はでも、筋金入りのジャーナリストだった。誰も手をださない危険な仕事をすることで生き延びた。あまりにも危険すぎて、取材中は僕でさえ連絡がつかない。そして、手に余る雑務を回してきた。だから僕の仕事は増えたのさ。収入はそのころが一番よかったかな。


 なぜやめたのか? ふふ、その質問は難しいな。


 仕事は性に合っていた。重宝もされた。価値もあった。予断をなくすことで真実に近づけると信じていた。だけど、真実がいつも正しとは限らないと気づかされた……そのあとで……それを続けることがだんだんと息苦しくなってきたんだ。


 それからは、アルバイトをして、金が溜まったら旅行をした。

 やり方は昔、初恋の彼女の父親に教えてもらった……一緒になんども行ったよね、天満宮巡り。ルポルタージュに失望したら、記憶なんて不思議なもんだ。覚えているはずのない、昔の会話を思い出したんだ。それくらいしか、趣味もなかった。


 どれくらい旅をした? そうだな。事件のあと2年でルポライターをやめてそれからはずっと……あれ? 最初の数回は思い出せるのに、そこから先は思い出せない。酔っているのかな? 飲んでない? まあどうでもいいじゃないか。



 え? 料理を作る? 私は『理想の』だから、それができるって?


 あはは、焼酎好きの負けず嫌いだね。本当にあの絵のレシピはないんだ。



 エビチリにもケチャップ入れないでと頼んだでしょ? それだけなんだよ。トマトも、酸っぱいのも大丈夫なのに、なぜか……ケチャップだけは食べられなかった。

 ケチャップを使わないオムライス。ただそれだけの秘密だよ。

 僕はスプーン持って、彼女の背中しか見ていなかった。だから手元を見ていない。

 味は覚えていても、もうそれを再現することは不可能なのさ。




 ※ レシピ


 〇卵3個を溶いてフライパンに注いで蓋をして極、弱火。


 ……そう。喫茶店ででてくる、薄焼き卵で包まれたのではない。タンポポ風なんかその当時なかった。味もない、分厚く焼いただけの玉子焼き。なぜそれを知ってる?




 〇脂身の多い豚コマ(1×2センチ)を炒める。

 〇玉ねぎのみじん切りとバターをくわえる。

 〇玉ねぎがき通ったら、塩、こしょう。

 〇ご飯を入れてほぐし、ウスターソース。



 ……そう鶏肉じゃなくて近所の肉屋さんで安く売ってた脂身だらけの豚肉なんだ。うちは母子家庭でお金がなかった。300円は夏休みの間だけだった。

 そしてウスターソース。こんなのチキンライスじゃないって同級生に言われたことがあったっけ。だけど、それは僕にとっては……


 多恵ちゃん、その赤いものはなに? 君は多恵ちゃんなのか? 

 僕も知らない彼女の隠し味を、なぜ君が知ってる?



 満月のようなオムライス。


 ケチャップで飾られることのない、ただ黄色いオムライス。




 

 ああ、一口食べたら、それは間違いなく……あぁ、空から光が差した。





「大丈夫か!」

 その声は省豆しょうご。なんだ? またサバを持って来てくれたのか?


「衰弱が激しい。でも大丈夫だ。残暑のおかげで体温はある。まだ大丈夫だ」

 残暑? ここは南半球なのか? エビチリはないよ。もう食べてしまった。






 ※






 白い巨塔。俺はベッドのうえ。ここは北海道のとある病院。

 今は何年の何月何日? チューブが邪魔をして、食事の方法が見つからない。



「まさか、あんたとこんな形で再会するとはね」

 ここは病院だぞ? タバコなんか吸ってるとナースにどやされるぞ。


「俺はとある実業家の依頼で人を探していた。昔捨てた女と実子。それがまさか……連絡を取ろうとしたら、今度はあんたが失踪だ。趣味の旅行で人生終わらせるんじゃなかったのか? まだ探していたのか? 5年前の亡霊を…………」

 そんな話はどうでもいいからタバコを消せよ。そんなもの、もう誰も吸わない。



「ただの人探しのはずが “suicide squadスーサイドスクワッド” (決死隊)になるとはね」



 芝谷がなにを言っているのか、私にはよくわからない。

 脳が正常に駆動するのには、それなりの時間が必要だ。










 ただ、一つだけ言えるのは、これはたぶん……




 彼女が仕掛けた、究極のレシピなのだろう。


 




















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多恵ちゃんの妄想レシピ プリンぽん @kurumasan

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