中華(?)ホラー

 3.

    “  人喰虎注意  ”


 図書館の掲示板に貼ってあった、達筆な筆文字に目が吸い寄せられた。

 は漢字五文字を頭の中で文章化する。


 人ヲ喰ウ虎ニ注意セヨ


 なんとなく言いたいことはわかる。

 なぜかというと、一度だけ虎とすれ違ったことがあるからだ。あのときの虎以外思いつかない。

 しかしあの虎はすでに酔いがさめて人を喰う気分はなくなっている筈だ。


 それにしても……と、貼り紙を凝視する。

 まったく同じもの学校で見かけた。

 もし予想が合っていれば、ワタナベと名乗る少年が無許可で貼り付けたのだろう。


『七時になりました。閉館します』


 アナウンスに追い出されるように外へ出た。

 10月は終わりにさしかかり、夜の街は過ごしやすくなった。

 すっかり日の暮れた夜空の下はネオンライトの看板や青白い街灯で非常に明るい。


 まだ七時。家では妹が暴走しているだろうから、帰路につくには早すぎる。

 繁華街をうろついて時間でもつぶそうかと考えていた時、声をかけられた。


「やあ。クワバラさん」


 本名と関連していないで彼を呼ぶ人物は一人しかいない。

 隣のクラスのワタナベ(仮名)が歩道橋の階段を一段とばしで降りてきた。

 軽やかに降りる姿は猫のようだ。


「また散歩? 飽きないね。虎がうろついているってのに、危機感がたりないや」


 呆れたワタナベは持っていたタバコを吸いこむと、盛大にため息をつくように息を吐いた。


「おい高校生! 大人に見られたら大目玉をくらうぞ!」

「ヘーキ! この辺りの大人たち、煙が魔除けになるって知ってるから」


 ワタナベは細い目をさらに細めた。日向ぼっこをしてくつろぐ猫のようだ。


「この前は酒を飲んで、今日は虎除けの煙か。いろんな対策があるんだな」

「ああー、懐かしい。あの時の酒はね、虎に食べられないための予防よ。でもチョウキになったから通用しない。酔っ払って逃げ切れずに虎に食われちゃう」


 困ったもんだとワタナベは首をかしげた。耳飾りの鈴がちりんと鳴った。


 チョウキ。初めて耳にした単語だが、キは漢字にすると“鬼”だろうと検討はついた。


“鬼”はいろんな種類があるとワタナベは言っていた。

 霊魂。妖怪。精霊。

 虎の鬼。つまり虎の魂だろうか?


「詳しい説明、また今度ね。いま忙しいから」

「そうなのか。忙しそうには見えないが」

「アナタ、これから夜の街、徘徊するの? だったらあの歩道橋を渡って繁華街へむかうといい」


 ワタナベは突き立てた親指をクイッと背後の歩道橋へ向けた。どうやらワタナベの来た方向は安全のようだ。


「煙をまき散らせながら歩いたから、追い詰められた虎がこの辺りをうろついている。ほら、はやく逃げて」


 すれ違うときになって、ワタナベが宝剣を抱えていることに気づいた。

 目を疑った。この人は怪異の知識こそあれど、戦闘が向いているイメージではなかったから。


「あ……明日はちゃんと学校に来いよ」

「寝坊しなかったらねー」


 手をヒラヒラと振ってワタナベは街灯の少ない曲がりくねった道を歩く。

 ……虎退治? できるのか?

 ワタナベは危機回避能力が高いだけだ。みずから危険に近づいて猛獣に立ち向かうような性分ではない。


 しかしなんとかなるだろう。

 虎を倒せるかどうかは問題ではない。

 ちゃんと無事に逃げられるのなら十分だ。


 ワタナベは大丈夫だとして、問題は街の人が虎に食べられてしまうこと。

 しかし余計な心配だった。

 街へ着くとあらゆるお店でお香が焚かれているようで、独特な匂いが混ざり合っていた。

 虎避けのお香だ。直感でそう思った。


 ◇


 さて翌日、学校がおわると図書館で時間をつぶしていた。

 すると、まだ五時なのに閉館のアナウンスが流れた。


 なにかの間違いかと思ったが、そうではなかった。

 そそくさとカウンターへ行き貸し出しをしてもらう人もいれば、本を棚にもどし素直に出ていく人もいる。

 文句を言う人など誰もいない。


「クワバラさん⁉︎ まーた危ない場所をウロチョロしてる。でも死相、でてない。不思議ね」


 ワタナベが昨夜の宝剣を持って図書館に入ってきた。

 それだけで理解した。

 館内にヤバい何かが潜んでいる。


「放課後は主に図書館で時間を潰している。まさかここに何かがいるだなんて……」

「マァ、分かっていたらここにいないか。クワバラさん、肝心なときに襲われないからセーフ。意外と運いいね」


 褒められても嬉しくない。


「ああ! もういらっしゃったのですね。気づくのが遅くてごめんなさい!」


 図書館の職員が慌てて駆け寄ってくる。

 そして「気づかなくてごめんなさい」とペコペコと頭を下げた。必死に謝られるとかえって居心地が悪い。ワタナベはニコニコ笑って何も言わないので、彼が代わりに「今来たところですから」と伝えた。


「はじめましてタチバナさん。虎を回収します。ワタナベと呼んでください」

「え、タチバナって私ですか? わかりました。よろしくお願いします」


 全然ちがう名前を呼ばれた職員は戸惑いながらも結局うなずいた。

 カタコトでしゃべるから、名前を読み間違えられたのだろうとスルーしたらしい。

 どう無理をすれば「タチバナ」になるのか、謎であるが。


「まさかこんな若い子が来てくださるとは思いもしませんでした。制服を着てるってことは、学校帰りでしたか。お疲れさまです」


 タチバナ(仮)は深々と頭を下げた。

 自分たちより年の離れた大人が、腰の低い態度で接してくれる。

 彼は苦笑いを浮かべた。

 年下にも敬意を払っているというより、自分に自信がない故におどおどとした態度にあらわれているように見えた。


 不相応という言葉が浮かんだ。

 彼にとって大人というのは、自分より年下の人が敬語で接してくるのが当たり前だと思っている人か、相手が年下だからと優しくしてくれる人のどちらかである。

 年下相手にへりくだる大人はタチバナが初めてだった。


「みんな、やりたがらないです。ワタシ、お金ほしいからやってるです。アルバイト」

 ワタナベがへらへらと笑った。

「勇敢な人でないと続けられないアルバイトですね。あ、虎さんは奥の書庫にしまっています。ついてきてください」


 二人組で回収しにきたと勘違いされたのか、彼までカウンターの奥へ通された。

 ところで虎をしまっているとはどういうことだろう。

 閉じ込めているの言い間違いだろうか。

 もし「しまっている」で合っているのなら、ワタナベは動かなくなった虎を回収するのだろうか。

 しかしそうなると持参した宝剣の説明がつかない。


 タチバナが重たい扉を慎重に開ける。

 書庫に入ったものの、すぐに止められる。


「持ってきます。二人はここにいてください」


 タチバナが書庫の奥へ姿を消す。

 すぐ後ろは半開きの扉。すぐに外へ出られる位置だ。

 逃げ道を残してくれた意味を考えると、気持ちが引き締まった。


「お待たせいたしました。虎さんはこちらにいらっしゃいます」


 タチバナは60センチの巨大絵本を台車にのせて運んできた。

 絵本? 虎はどこだ? まさかこの中?

 檻や鎖で虎の動きを封印していると思っていただけに目を疑った。


「この中に虎が! よく気がついたですね!」

「館長は霊感が強くて、一目で察知しました」


 パチパチと拍手をおくるワタナベに、いえいえ自分の成果ではありませんと慌てて首を振るタチバナ。


 しかし決して和やかではない。

 その場にいる誰もが、虎が飛び出してくるのではないかと内心焦っていた。


倀鬼ちょうきについて自分なりに調べてみました」

「さすが司書。情報は見つかった?」

「はい。問題を解決するには虎を殺すしかないのですね」


 タチバナが同情的な雰囲気で苦笑する。

 でも仕方ありませんよねと、同意を求めるよう二人に目配せをした。

 何も知らない彼はワタナベに視線を向ける。説明を促した。


「倀鬼というのは、虎に食べられた人の魂を指すよ。そいつ、虎の言いなり」

「つまりその虎は少なくとも人間を一人は食べたのか」

「そう。ビョーキの人ね」

「使役された倀鬼は、虎が罠や猟師に捕まらないように協力させられるのです」

「捕まらないように……。じゃあ、少なくとも絵本の中に閉じ込められているわけではないのか」

「素晴らしいクワバラさん! カン、いい。たんに隠れているかもしれないケド、待ち構えている可能性、忘れちゃダメ」

「はは、おそろしいです」


 タチバナは愛想笑いに失敗したような表情で絵本を見下ろした。


 ワタナベは宝剣を図書館職員に渡し、しゃがみこんだ。そして絵本に手を伸ばす。


「あ。やっぱり待ってください。私が絵本をひらきます」


 絵本を挟んでワタナベの正面にいるタチバナが待ったをかける。

 手に力をこめているせいで、宝剣がカタカタと震えている。

 その位置も充分に危険だ。


「しっかり持っていてください。これ以上、あなたを危険な目にあわせたくありません」


 そしてワタナベは勢いよくページを開いた。

 その瞬間タチバナは息を飲む音が聞こえた。

 見開き一面が虎柄で埋まっていた。

 蛍光ペンのような色彩の黄色は間違いなくこの前すれ違った虎だ。


「寝ているね。フン、呑気な虎め」


 そのとき、二つの目が目がカッと見開いた。

 その場にいる全員が死を直感した。

 すかさず後ろへ跳ぶワタナベを追いかけるよう虎が飛び出してきた。


「うわ! まるで餌を見つけた目ね! ハングリータイガー!」

「ワタナベ! 悠長なことを言っている場合か!」


 もっと距離をとれ。そう言う前に、飛びかかろうとする虎が

 虎の背後で待ち構えていたタチバナがしなやかな背中を踏みつけた。そして首を切断するつもりで宝剣を振りかざした。

 猛獣の上ほど足場の悪い場所はない。だが何の問題もなかった。

 渾身の一撃が急所となり、虎は動かなくなった。


「……おや、血は流れないのですね。掃除しなくてすみそうです。それではあとはお願いします」


 首が半分取れかけた虎の上でタチバナは深々と礼をした。その態度に怯えも勇ましさもない。

 ただ、任された仕事をこなしただけだと本人は思っているのだろう。


 だからこの人に宝剣を渡したのか。

 納得していると、ワタナベが口笛を吹いた。


「ブラボータチバナさん! さすがです」

「あ、あれ⁉︎ 肉と骨が無くなって皮だけになってしまいました」


 急速に虎の体が変化していく。

 みるみるうちに萎んでいき、脱ぎ捨てた衣服のように萎びてしまった。


「うん、虎ね、もう人を食べないです。あとは回収するだけです」

「そうですか。よかった」


 タチバナは何度も頭を下げた。

 命の恩人はあなたの方ですよと言いたかったが、聞く耳を持たないような気がした。

 ワタナベはあっという間に虎をたたみ、唐草模様の風呂敷につつんだ。


「本当にありがとうございました」


 何度も頭を下げるタチバナに見送られ、二人は図書館を出た。

 太陽は山の奥へ隠れてしまったが、空はまだ明るい。


「最近、やけに騒がしかったよ。どうしてかな? なにかの予兆かな?」


 ワタナベがのほほんとした調子で呟いた。


 緊張感のないせいで、深刻な話をしているのかわからない。

 そもそも、どうしてと尋ねられても、平凡な人生を歩んできた彼には答えられない。


「予兆? なんの?」

「わからない。けど、これから先、簡単に解決できないこと、起きるかも。なんとなくね、そう思うよ」


 ワタナベはほほえみながら、「困ったねー」と言った。

 ワタナベの言うなんとなくの予感はたいてい当たる。信じたくないが、ワタナベの想像している最悪な事態が起こるだろう。


「心配せずとも、何とかなるだろうな」

「そうなの?」

 ワタナベはキョトンとしてあたる。

「だってお前、避けるのは得意じゃないか。だからワタナベを心配しない」

「うーん。ま、そうだね」


 それじゃあこれから先は……と、ワタナベが隣を歩く友人に目を向ける。


「ワタシ平気。でもクワバラさん、違う。仲良くしない方がいいね」

「まったく同意見だ。巻き込まれるのはごめんだ。ところでこのあとワンタンスープを飲みに行かないか?」

「今から?」

「今日の危険は過ぎ去った。一緒にいられるのは今のうちだ」

「そうね。じゃあ、行きましょう」


 二人は並んで繁華街へ向かった。



 2.

 金華地方の猫は3年飼われると怪をなす。

 おもに人を化かすがそれだけではなく、こいつが原因で猫の姿を見ることができなくなってしまうという。


「……で、月に向かって口を開けるようになったら第一の兆候ね。その猫、月の精を吸ってるよ」


 と、そこで言葉を区切り、ワタナベはアクビをした。

 ワタナベのアクビは独特だ。手で口元を押さえようとはせず、上を見上げて大きく口を開ける。


 ぽっかり浮かんだ満月の真下でアクビをするものだから、はワタナベが金華の猫と同類ではないかと疑ってしまう。


「無防備ではないか? 魂をとられても知らないぞ」


 からかった途端、カプンとワタナベが口を閉じた。

 キョロキョロとせわしなく黒目を動かしたあと、ニヤリと目を細めた。


「脅かしたってビビるもんか。キシャなら犬をそなえればいいだけのこと」

「キシャ……。あ、カシャ(火車)だな。発音が間違っているぞ」

「ん? 鬼車キシャで合ってるよ。頭が九つの鳥で、人の精気をねらうよ」


 ちなみに火車の元になったのが鬼車といわれていると、ワタナベはつらつらと説明した。

 しかし火車は猫の姿だ。似ているのは名前の音と役割だけ。

 また猫か。彼は内心うんざりした。


「鳥のくせに犬が苦手なのか」

「もともと十の頭だったけど、犬に噛みちぎられた。火車のほうも犬、苦手かな? 猫だし」


 また猫か。彼は話を切り上げたくなった。


 二人は繁華街から少し離れた人通りの少ない路地裏を進んでいる。湿気の多い道は、野生の生き物が盗んできたであろう生ごみが転がっている。


 意外と人の行き交う場所で、近道として利用する人が多々いる。

 今回二人が狭い道を通っているのは、の相談がきっかけだった。


「この先に、的中率100%の占い屋があるのだけど……」

「ほー。クワバラさん、占いを信じるの? なんか意外」

「妹の付き添いで行こうとしただけだ。あと、誰がクワバラだ」


 ワタナベは彼を「クワバラさん」と呼ぶ。あだ名だ。

 名前は命と同じくらい大事で、魔物に本名がバレるとよくないという。

 だからワタナベは人を呼ぶ時は、本名を避ける。

 当然「ワタナベ」も本名ではない。


「ん? 行こうとしたってことは……」

「そう。行けなかった。あれが路をふさいでいるんだ」

「なにあれ? 女? いや、猿?」

 ワタナベがギョッと目を見開いた。

「なんだろうな? とにかく、髪が長いから女だと思っていた」


 四つん這いでうずくまる全身肌色のそれは、見た目こそニンゲンによく似ているが大きさが桁違いだ。

 どういうわけか、手足が地面に埋まっている。これではどきようがない。


「妖怪博士のワタナベなら、あれの名前と正体を知っていると思って相談したんだ。名前を知っているということは、対処を知っていることだと、聞いたから」

「たしかに、そうだね……」


 ワタナベはンンンと唸っている。


「人型の妖怪なんてあんまナイね。葬式に姿をあらわす霊爽式憑なら、ざんばら頭のニンゲンのようだけど」


 じっくり観察したあと、「うん。やっぱりわかんない」と結論づけるワタナベ。

 しかし焦りの様子は見られない。

 彼から道をふさぐ化物の特徴を聞いたワタナベは、ここへ来る前に酒楼の女店主から酒を借りていた。


「おそらく“患”と同じたぐいと思っていいハズ。患は馬のようだがその背丈は数尺もあり、四本の足は地にめりこんでいる」


 ワタナベは臆せずに巨大なニンゲンに近づいた。

 そして、そいつがかがめば頭が届く位置に盃を置き酒瓶をかたむけた。


「患は憂いから生まれた化物でございます。そして、患には酒と決まっております」


 酒を飲むなり、巨大なニンゲンはたちまち消えてしまった。


「酒は憂いを忘れさせてくれるから、化物を消すことができたのでございます。昔の人の教えね」

「ならその知恵をつかってもう一つの頼みを聞いてくれないか?」

「いいよ」


「金華の猫を退治してくれ」


 ワタナベはいきなりの申し出に「んん?」と目を丸くした。

 だがすぐに「あ、そういうコトね」と納得の表情をうかべた。


 おそらく金華の猫を説明するいきさつを思い出していたのだろう。

 なぜ説明していたのかというと、彼の質問に答えようとしたからだった。


『猫が見えなくなるのは、妖怪が原因なのか?』


「最近、野良猫一匹すら見なくなったんだ」

「もし金華の猫の仕業なら、猫の見えなくなっま人は衰弱してしまう。でもクワバラさんったらピンピン」

「金華の猫は関係ないのか? ではなぜ猫はいなくなったんだ」

「それはビョーキのせいじゃ……」


 耳元でしわがれた声が囁かれたような気がして彼は飛び上がった。

 しかしワタナベは前方の店の方を見た。

 その店の入り口に人が立っている。ローブを着ているせいで年齢も性別も判明しない。


「あなた、易占の人です?」

「そのとおり……。あの通せんぼを解決してくれる人を待っていた」

「アラー。まんまとおびきだされたね!」


 目を細めてほほえむワタナベ。まだ余裕はある。


「もし訪れなければ探すつもりだった。だが……引水の髪飾りを目印に捜索するのは老眼にこたえる」

「む」


 ワタナベは自分の頭に触れた。妹達の趣味で髪に飾りをつけられるのだ。

 本日は、こめかみ辺りに紐でできた亀の水引細工をつけている。


「……あなた、一度もこっちを見ていないのによく髪飾りに気づいたですね」

「職業上、顔は隠しておきたい。だから前もって訪れる人の特徴を占っておくのじゃ」

「占い、ね。占術が達者なら誰にも頼らなくたってその問題を解決できますよ?」


 占い師は「餅は餅屋」と答えた。


「この辺りの猫がいなくなったのは事実……。その結果ビョーキが誕生したのじゃ」

が誕生した? 妙な言い回しだな」


 病のせいで猫が息絶えた。これなら納得がいく。

 しかしワタナベは首を横にふった。


「病じゃないよ。鬼。猫の鬼と書いて猫鬼ビョウキ。この場合、怨霊とでも考えてよし」

「鬼なのに怨霊?」

「海外では魂を鬼と云う。すなわち猫の魂じゃ。さて、なぜ猫はたましいになってしまったと思う?」


 いきなり質問をされて戸惑った。

 生きているのであれば、いずれ死を迎える。

 しかしそれは求められている答えではない。

 なぜ鬼に「なってしまった」ときかれたのだ。


「殺された……」

 声は掠れていた。不正解だと言ってほしかった。


「殺すだけでなく、その人の富まで奪いとる恐ろしい術があります。とくに式神を使った術を蠱毒とよび、最も凶暴なのが猫鬼です」

「そんな」


 ワタナベの淡々とした説明を聞いているうちに、怒りがこみ上がってきた。

 利己的な理由で猫の命を奪うのは間違っている。

 なんだか、落ちついているワタナベにまで腹立たしくなった。


「標的は私じゃ。蠱毒をおこなった奴は、私を狙うために猫鬼をつくりだした。さすがに占い師でも呪いは対処できないと考えての行動だろう……」

「ワタシ、あなたを助ければいいのです?」

「いいや。すでに手を打った……。その後片付けをしてほしい」


 占い師はすっと頭上の月を指しながらこう言った。


「呪術をおこなった人を殺せば、呪いは消えうせる……。ゆえに私は自分の身を守るために……人を殺す」


 力強い宣言に彼は背筋が寒くなった。

 自分の身を守るべく、殺人を決行する人に初めて出会った。

 殺人はよくない。けど、ここで止めたところで占い師が猫鬼に殺されるので、結局死人がでる。


「犬を放った」

「なるほどね」


 脈絡のない一言なのにワタナベは占い師の思惑を理解した。


「何をするのか予想がついたです。フムフム。リョーカイしましたよ」

「ありがとう……。あとはたのむ……」


 ヒラヒラと了承の意をこめて手を振るとワタナベはきびすをかえした。


「用事、済んだ。帰るよクワバラさん」

「お、おう……」


 反射的に返事をした。

 猫がいなくなった真相やこれから起こる恐ろしいことに頭がついていけなくなった。


「ワタナベが呪術そのものを解けば術者もあの占い師も死なずにすむんじゃないか?」


 素晴らしい提案のはずだが、ワタナベはあっさりと却下した。


「もう間に合わないね。ワタシなら呪い返しをするから結局呪った人、不幸になる」


 死んだ方が楽かも。平気でそう言ったワタナベに嫌気がさした。

 どちらも辛い目にあうとして、他の人がこっちのほうがいいなんて決めていいのだろうか?


「クワバラさんはお酒強い?」

 

 ワタナベが、酒瓶を小突いた。まだ残っている。


「未成年は飲酒してはいけない。そういう法律だ」

「今日だけでいい。命を守るため、飲んでほしい」


 真剣な面持ちで酒瓶をさしだされ、つい受け取った。

 小学生のころにお茶と間違えてビールを飲んだ経験のせいで酒はあまり飲みたくない。


「ちゃんと酔っぱらって。でも歩けないのダメね」

「適量を知らない奴になんて無茶な注文をするんだ」

「とりあえず、三口…。いや、十口飲めば?」

「いい加減だな」


 気分が悪くなっても吐くなりワタナベに介抱してもらうなりすればいいかと、苦い液体を喉に流しこむ。限界を感じる一歩手前で口を離した。


 ワタナベの手が伸びて、酒瓶を奪いとった。

 瓶の底を上に向け、くびくびと飲み干した。


「福寿楼に戻るよー」


 歩き出して3歩目でワタナベは倒れた。

 うつ伏せのまま、起き上がる気配はない。


「ワタナベ? どうした?」

「……酔ったよー」

「なんだと!」


 とたんに危機感が襲ってきた。

 頼みの綱であるワタナベが動かなくなった。

 もしなにかあった時、確実に助からない。


「運んでー。おんぶー」

「おい! 背中に乗るな。本当に歩けないのか?」

「うん。でも問題ない。アナタ、運ばせる」

「だからほろ酔いを強調したのか! うっ、重い……」


 赤子ならまだしも同い年をおぶって歩くのはなかなか困難だ。

 しかも相手は自分より背が高い。

 チビ……否、コンパクトな自分が背負われるほうではないのか?

 だいたい、酒に弱いのなら量を考えろよ。


 ぶつくさ不満を言いながら広い道へ出た時だった。発光する黄色いものを見た。

 大きな猫がふらふらとおぼつかない脚で歩いていた。


「……」


 大きな猫ではない。虎だ。

 夜行性の生き物なのに動きがとろい。まだ寝起きなのだろう。

 運がいいと思いながら虎の脇をゆっくり歩いた。

 虎は鼻先を二人に向けたがすぐに歩きだした。


 そのあとワタナベを酒楼の女店主に預け家に帰った。

 そういえばあの時、虎がいたのに驚かないどころか逃げようともしなかったのは酔いが回っていたのだろう。他人事のように数分前の出来事を振り返っていた。



 3.

 今日で10月になる。

 たとえ昼間が暑くても日が暮れると一変して寒くなる。体調管理に気をつけなければいけない。


 ところで体調を崩すと幻覚でも見えてしまうのだろうかと、は神社の階段でじっとしている生き物をみた。


 暗闇で慣れた目でも、かろうじて輪郭を捉えられるくるいだ。詳しく見えない。

 直感で豚だと思った。近くに山があるから猪かもしれないが、豚だといいなと思った。まだ可愛げがある。

 とにかく襲いかかってくる気配はない。


 ふんふんと鼻息が聞こえる。

 シルエットしか見えないが、何故か愛嬌を感じる。

 気のせいかもしれないが、頭を撫でてくれるのを豚が待っているように見えた。


「アレね、へーホーよ。絶対さわらないでね」


 触ろうか迷っていると、カタコトの口調で止められた。

 声の主は、街灯の下で立ち止まった。

 そいつは同じ学校の制服を着ている。なぜか頭に花をつけている。

 校則違反だ。

 しかし珍しいオシャレだ。髪を染める人はいても、頭に花を付ける人は滅多にいない。


「コレ? 我が妹達の趣味ね。よく頭につけられる」


 視線に気づき、頭の花を指でつつく。

 ところで彼は暗い場所で立っている。よく視線に気づけたものだ。


「それよりアナタ、ヘーホーに近づかない。キケン。ダメ」

「あの豚はへーホーというのか?」

「アレ豚の妖怪ね。前と後に頭ついている。犬のように人懐こいけど、手を差し出したらダメ。妖気にあてられて三日間寝こむよ」


 妖怪? 顔が前と後?

 空想的な忠告に思考が追いつけなかった。

 言われてみると、どちらにも尖った鼻が突き出て、耳らしきものがついている。


「嘘だろ……。これは夢なのか?」

「現実よ。クワバラさんは今まで知らずに生きてきたから、理解に時間がかかるかもね」

「あ? クワバラって何だ?」

「アナタのあだ名です。ちなみにワタシ、ワタナベです」


 彼はワタナベと名乗る男子の制服に付いている名札を見て顔をしかめた。


「ぜんぜん違う名前ではないか」

「ワタシ本名、名乗りません。他の人も本名で呼びません。あやかしにバレると危険よ」


 ワタナベと名乗るそいつは猫のように目を細めた。

 理屈はわからないが、身の安全を考慮した策ならば口出ししないでおこう。


「もしかしてお前、噂の転入生か」


 先月隣のクラスに新しい生徒が加わった。

 海外出身だの猫みたいな奴だの、噂耳にする機会が多く、顔は知らずとも存在は知っている。


「学校の教室の窓から見える山があるだろう? その山の麓でワタナベがうろついていたらしいが、まさか登ったのか」


 あの山は化物のすみかと恐れられている。

 もし足を踏み入れたのなら、なぜ元気なのか理由を知りたかった。


 実は、図書館で顔見知りになった先輩が学校に来なくなった。その原因が山に入ったからだと風の噂で聞いたのだ。


 しかしワタナベは首を横に振った。


「3月と9月は山に入っちゃいけないよ。だからこれから猫だの虎だの探すつもりよ」

「なに! そうだったのか!」


 その先輩が学校に来なくなったのは一週間前。山に入ってはいけない9月と重なる。


「どうしたの? 怪奇な相談ならのるよ?」


 とりあえず話してみたらどうかなとワタナベがうながす。


 もともと誰に相談していいのかわからない悩みだが彼ならちゃんと話を聞いてくれそうだ。

 そういう分野の知識を持っている証拠に、ちゃんと「奇怪な」と付け加えた。


 あわよくば解決策を見出せるかもしれないと信じ、説明をはじめた。


 彼は昼休みになると図書室で読書にふけるのだが、同じく図書館で時間を過ごす女性の先輩と顔見知りになった。

 最近は短い会話を交わすようになり、それが密かな楽しみとなっていた。


「その先輩がいなくなってクワバラさんは心配してるのね。お名前は?」

「わからない。ずっと先輩と呼んでいたから」

「二年生? それとも三年生?」

「それは……あれ? どっちだろうか? スカーフの色が思い出せない」


 記憶を蘇らせてみるが、なぜか細かい顔のパーツまでほやけてきた。

 あまり顔を見ていなかったし、会話もほんの数分だ。まだ覚えていなくて当然だ。


 とはいえ情報があいまいすぎる。ワタナベはあごをさすりながら考えていた。


「ソレ、本当に深刻な問題?」

「なんだと?」

「図書室に行かなくなっただけかもしれないし、学校に来なくなったとしてその理由は山と無縁かもよ?」


 指摘を受けて気づいた。

 勝手に学校に来ていないと決めこんでいたが、単に図書室で会わなくなっただけだ。


「そうかもしれない……しかし、いきなりいなくなったりするものか?」

「アナタの気持ち、よーくわかるよ。だからワタシ、責任を持ってその人を探してみるよ」

「ありがとう」


 しかしお礼を言う表情は浮かばれない。

 彼女が学校にいるか否かくらい、調べようと思えばできる。

 なぜ「山に入ってしまったせいで」などとストーリーをつくりあげていたのだろう?


「それでは、彼女の行方がわかったら報告するよ。それまでクワバラさん、待機ね。何もしないで」

「ああ……。頼んだぞ」


 流されるように了承した。


 ◇


「あの人、山に入っていったよ。手遅れになる前に追いかけなくていいの?」


 次の日の朝のことだった。

 下足箱で上靴に履き替えていていると、「おせっかいかもしれないけど……」と女子生徒が声をかけてくれた。


 あの人が先輩のことだと一瞬で察知した彼は靴を履き替えた。

 やっぱり山と関係していた。

 今すぐあとを追わないといけない衝動にかけられて山に向かう。


「こら、クワバラさん」


 校門の手前で、足をかけられて転んだ。腕を細い指が掴む。ワタナベが引き止めてたのだ。


「どこ行くの? 授業、はじまるよ?」

「それどころではない。やっぱり先輩が山に入ったらしい。追いかけないと」

「教えてくれたの誰?」

「知らない子だ」

「なんでその子、クワバラさんが先輩を心配してるって知ってるの?」

「あ……」


 それは……。

 なんでだろう?

 図書館で先輩としゃべっているところを見ていた?

 そうだとしても、わざわざ、入ってはいけない山に行かせるような情報を伝えるのか?

 あとを追いかけても先輩を助けられる可能性は低い。


 振り返ると、眼を大きく見開いた藍色の鬼が大口を開けて迫っていた。

 鰐のような尖った歯を見た瞬間、血の気が引き彼は意識を失った。


「………………はっ!」


 保健室のベッドで目を覚ました。

 跳ね起きると、ぬいぐるみくらいの大きさの猿のような生き物たちがカーテンの外へ逃げていった。

 なんだ今のは?

 いや、そもそもなぜ保健室にいる?

 自分がここにいるいきさつを思い出しているうちに、どこから騙されていたのか混乱してきた。


 先輩がいなくなってから、自分も山に入るべきだと執着していた。

 山に行けば先輩がいなくなった原因が判明すると信じて疑わなかった。

 あの山は危険だと知っているのに。


「クワバラさーん! しっかりしろ!」


 乱暴に扉を開ける音。ワタナベがカーテンを勢いよくひいた。


「お! 無事ね! よかった! さっき一目五先生がいたよ! 保健室、出て行くから、心臓がバクバクしたね」

「イチモク……そんな名前の先生なんて学校にいたか?」


 胸を撫で下ろしていたワタナベは、その問いに大笑いした。


「ちがうよ! 教師じゃなくて妖怪の名前。この場合の『先生』は『〜さん』の敬称」


 一目五先生。

 五匹でまとまって動く妖怪で、そのうち一匹に目がついている。

 こいつらは順番に寝ている人を嗅ぎ、嗅がれた人は命を落とす。


 もし、目を覚ますタイミングが遅れていたら、命を落としていた。


「一目五先生は善人でも悪人でもない人を狙います。クワバラさん、中間だね」

「……」


 言葉に詰まった。

 目立った悪行はせず、困っている誰かのために働いたりしない。

 格好の餌として選ばれて当然だ。


「では、ワタシに付き合いなさい」


 ワタナベがポケットをいじると、チャリンと硬貨のぶつかる音が聞こえた。


 ◇


 そうして二人は平日の午前中に繁華街へ赴き、酒楼の福寿楼で食事を頼んでいた。

 コンビニでしか食料を調達しない彼はにぎやかな店内を見回した。


「勉学に励む学生が授業をサボタージュ。これぞ悪徳よ」

「サボることが目的であるならわざわざ飲食店に立ち入らなくてもよかったのに」

「せっかくなので雲呑ワンタンの汁、食べます。店長のおばちゃんの得意料理。ワタシのお気に入り。ちなみにワタナベは料理名からとりました」

「ワンタンからワタナベ? 安直だな」


 ちょうど料理が運ばれてきた。炒飯。雲呑。回鍋肉。ワタナベのおごりだ。


「クワバラさんが探していたセンパイね、そもそも学校に通ってる人じゃない」


 炒飯を小皿によそいながらワタナベは淡々と言った。

「やはりそうか」

 そろそろ相手の思惑に気づきはじめた彼は冷静に耳を傾けた。


「昨日の晩、事情を聞いていたときからクワバラさんの熱狂ぶりに違和感を抱いていたよ」

「あのときから疑われていたのか!」

「モチロンよ! ワタシでなくても、なんかヘンだって気づくよ」


 冷静になって振り返ると、危険だと知っていながら、なにがなんでも山に入りたがっていた。

 よくないものに目をつけられた影響だろうとワタナベはその場で事態を把握した。


「けどあの時、調べるって……」

「そう。あの時は、冷静に話を聞いてくれるタイミングではなかった」


 たしかにその通りである。


「朝の鬼で確定したよ。いや、案の定だね。クワバラさん、アナタ山に招かれていた」


 そういえば、あの鬼はワタナベがたおしてくれたのだろうか?

 寝起きに見つけた五匹の妖怪のせいで忘れていた。


「護符で追い払ったよ。ていうか、なんで持ってないの?」

「普通の高校生は持たないんだよ」

「人の多い場所なのに襲おうとしていたでしょ? 邪魔が入っていなければやられていたね」


 ワタナベは、自分の身くらい自分で守りなと、呆れている。


「そう言われてもだな、あやかし絡みは今回が初めてなんだ」

「今まで運が良かったのかな? じゃあ、よい経験となったでしょう」


 回鍋肉を口へ放りこんでいるワタナベのもとへ、お団子頭の乙女が近づいてきた。


「店主に伝言を頼まれたよ。あの窓から出てくる大きな腕をどうにかしてくれ。お客が連れ去られるから渋々肉を渡していたけど、堪忍袋の緒が切れそうだって」

「あれまー。大変ね。お、もしやあの腕ね?」


 ワタナベが指を差した方向を見た彼は眼を疑った。

 窓から大きな黒い手がニュッと出てきた。

 明らかに大きさが人間ではない。


「ワタナベくん。なんとかなる?」

「うん。楽勝。任せて」


 どこから取り出したのか、ワタナベは爆竹の導火線に火をつけると黒い手のひらに投げた。

 黒い手は爆竹をつかんで引きこんだ。


 数秒後に炸裂音。そのあとに何かが倒れる音がした。


「はいお終い」

「ありがとう。今日はタダで召し上がってとママンが言ってるわ」

「やったね」


 ワタナベがキュと目を細めた。同じテーブルで食事をとっていた彼とそばにいたお団子少女にまで嬉しい気持ちが伝わってきた。


「クワバラさんに良いとこ教えてあげる。福寿楼は縁起物を食材にしている」

「魔除けの食材でもあるのか?」

「そーよ。まあ、陽の季節に陰の食べ物をとりこんでバランスを取るようなもんよ」


 わかりにくい例えだ。平凡な高校生はそんな理由で食事を摂らない。


「食事で魔を寄せつけない。簡単でしょう? だからちょくちょく食べにきなさい」


 妖怪の知識が豊富なワタナベは、目を伏せて雲呑を啜った。


「今度、妹の誕生日祝いにここへ連れて行こうと思う」

「妹? 本当にいるの?」

「もうすぐ二十歳になる」


 分けてもらった炒飯をすくって口へ運んだ。思わず美味しいと呟いた。

 ワタナベは得意げにわらった。


 これがすべてのはじまり。

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