足元に渦巻く瘴気の臭いが、平凡な日常を塗り替える――

今のところ、タイトル以外に情報がない非常にミステリアスな本作だが、「彼方から」という言葉がまとう匂いによってなんとなく察知してしまう人もいるだろう。
これはクトゥルーである。

とはいえ、それを知っているかどうかは作品を味読する上ではあまり関係ない。
敏感な嗅覚を持ち、名前が匂いと絡んでいるためそれをコンプレックスに思っている女性・樋口香織を中心に描かれる不気味な日常描写が目玉だ。

舞台となるある工場に務める人々が、部長に対しての恨みを晴らすべく、裏で異形の存在を召喚する呪いに手を染めていたというのがストーリーラインだが、その呪いに巻き込まれてしまった香織の狼狽や精神の失調が、塩素剤や煙草、冷房の止まった工場のむせるような湿気や腐敗臭の描写とともに調理され、崩壊への調べを奏でている。

実は香織の嗅覚ではなく、異形の存在の異臭こそが問題だったわけだ。
また、無機物の叙述など情景描写にも卓越したものがあり、ただ読んでいるだけで、言葉によって少しずつ狂っていく世界を読者は共有させられてしまう。力作である。

(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=村上裕一)