坂本龍馬と鬼小町
純太
坂本龍馬と鬼小町
パンパン、パパンッ!
土佐藩邸内の剣道場で、竹刀のぶつかり合う音が響く。
立ち会っているのは、
2人の竹刀が慶応三年12月の空気を切り裂いていく。
翌朝、龍馬は京を離れることになっていた。その前に、並の新選組隊士よりも強いと聞く咲と立ち会ってみたい、と言い出したのだ。土佐藩の藩士と
審判を務めているのは、海援隊の
一本目は咲が取った。電光石火の
龍馬は国事に
しかし、その後は、どちらかと言えば、龍馬が押している。
類い希な反射速度と敏捷性を持つ咲に対し、龍馬は
(強い)
と咲は感じていた。
龍馬は
しかし、それにしても……。
涼介と秀一も、剣術家のイメージがない龍馬の意外な手強さに驚いていた。龍馬はまるで、咲の戦い方を知っているかのように試合を運んでいる。
そして、三本目。
咲は戦い方を変えた。打ち合いを仕掛け、その中で隙を突こうとしたのだ。
「面ッ、面ッ、小手ァーー!」
と積極的に打ち込んでいく。
それを竹刀で
(こん
***
龍馬はかつて、剣術で身を立てようとしていた時期がある。
この道場に「
歳は龍馬より2つ下だが、剣術はめっぽう強い。道場主である千葉定吉の娘で、十代の頃に北辰一刀流・小太刀術の
名を
龍馬は18歳のときに16歳の佐那子と対戦し、一方的に打ち負かされた。
(なんちゅう女子じゃ)
と龍馬は舌を巻いた。
やがて龍馬が腕を上げ、2人は良きライバルになった。
佐那子は美しい。
後に剣術師範を務めた
さらに、この頃は年相応の華やぎと可憐さをまとっている。
龍馬はこの少女に
佐那子も龍馬に惹かれていき、2人は自然と恋仲になった。
時代は幕末。ペリー提督率いるアメリカの黒船艦隊が、嘉永六年に浦賀、翌七年に横浜に来航し、世相は混沌としている。龍馬は、志士としての生き方と剣術家としての生き方との間で揺れ動きながら、佐那子と剣を交え、その体を抱いた。
「佐那、佐那」
とこの恋人の名を呼んだ。
***
龍馬が二度目の江戸遊学で、道場の塾頭にまで上り詰めると、佐那子の父・定吉は龍馬を認め、2人は婚約する。
生まれた時代が違っていれば……。
龍馬は佐那子と結婚し、夫婦で北辰一刀流の道場を切り盛りする……そんな人生があり得たかも知れない。佐那子はそういう幸せを夢見ていた。
しかし、時代が急変する。
安政五年、幕府が朝廷に無断でアメリカと日米修好通商条約を結んだことに怒った尊皇攘夷派の志士たちが、抗議の活動を活発化させる。大老・
国元の土佐では、幼なじみの
龍馬はこれに参加する。
剣術は「道」ではなく、人殺しの手段になっていた。
土佐勤皇党は、開国派の参政・
その龍馬を救ったのが、幕府の軍艦奉行・
勝を通じて、龍馬は「世界の中の日本」、それを強くするための「貿易」「海軍」「デモクラシー」という考え方を学び、志士として急成長を遂げていく。
その間に、薩摩藩はイギリス艦隊との
龍馬はその時代の
慶応二年1月、薩長同盟成立。
同年から翌年にかけて行われた第二次長州征伐で、幕府軍が長州藩に敗北。
慶応三年10月、大政奉還。
それらの歴史的事件に龍馬は関与していく。
剣術家を志していた若者は、革命家・坂本龍馬になっていた。
と同時に、佐那子が夢見ていた幸せの機会は永久に失われた。
***
パンパン、パパンッ!
今、白い剣道着に身を包んだ咲が、龍馬には佐那子に見えて仕方がない。その可憐な姿、向こう気の強さ、美しい剣捌き。すべてが「鬼小町」を
「佐那、すまん」
と龍馬は心の中で詫びていた。
「あしゃ、剣術家には向かん男じゃ」
龍馬が佐那子とともに捨てたのは、剣術家としての人生だった。
革命に命を捧げる、その生き方に千葉家の娘を巻き込むわけにはいかない。
咲が面を打つ。
龍馬が竹刀で捌き、胴を返す。
咲がこれをひらりとかわし、引きながら龍馬の小手を打つ。
龍馬がそれを抜き、逆に咲の面を狙う。
「佐那、すまん」
史実では慶応三年11月15日、龍馬は京の近江屋で斬殺される。
その
しかし、その夜、家人が佐那子の部屋に入ろうとすると、
「おまんは日本一の女剣士になれ。あしゃ、あしの道を行く」
龍馬がドンッと踏み込み、鍔迫り合いに持ち込む。咲がそれに応じると見せかけて、押そうとしたところを引き、小手を打つそぶりだけ見せ、さらに引いた。
龍馬が追いかける。
それを見た咲が飛び込むのと同時に手元をふわりと浮かせた。
(面……いや、突き)
と龍馬は判断する。
飛び込み面と見せかけた遠間からの突きは、かつて龍馬が何度も佐那子に痛い目に遭わされた技だ。それを竹刀で捌こうと、龍馬も手元を上げる。
しかし、次の瞬間。
咲の竹刀が消えた……ように龍馬には見えた。
咲は面を打つために竹刀を振り上げたのでも、突きを放ったのでもなかった。竹刀を右肩に
龍馬越しに咲を見ている涼介は、
(突きじゃねぇ、担ぎ技だ)
と思った。
咲は着地すると、左足を斜め後ろにスライドさせつつ、上体を素早く回転させた。龍馬のがら空きの胴めがけ、竹刀を鋭く振り下ろす。
剣道では、相手の右胴(向かって左側)を打ち、そのまま裏に抜けることが多い。それに対して、左胴を打つことを「
突きをフェイントに使った担ぎ逆胴だ。
バシンッ!
咲は、龍馬の中に残っていた佐那子への思いとともに、逆胴を叩き斬った。
(やっぱり、佐那)
2人は開始線に戻り、互いに礼をする。
龍馬は、小手と面をはずし、爽やかな笑顔をつくると、言った。
「おまんの方が一枚も二枚も上じゃった」
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読んでくださり、ありがとうございました。
以下は余談です。
安政の大獄のとき、京で捕縛・投獄された一人に楢崎将作という医師がいました。将作は赦免されて間もなく病死。楢崎家は没落します。長女である
その龍の境遇を哀れむとともに「面白い女じゃ」と気に入り、自分の妻にしようとしたのが、坂本龍馬です。千葉佐那子との婚約から6年後のことでした。
佐那子という婚約者を捨て、龍と結婚した龍馬はひどい、とも言えるのですが、革命家としての道を歩み始めた龍馬と剣術家の佐那子は生き方が違ってしまっていた。幕府から命を狙われる人生に佐那子を連れてはいけなかっただろう、とも思えて、そこにあったかも知れない龍馬の決断を書こうとしたのが、この短編です。
本編である『チェスト!幕末坂高校剣道部』は明日、第一部最終話を投稿します。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884728921
(了)
坂本龍馬と鬼小町 純太 @jun_al25
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