5 カナルゼン・カラフ

「陛下が、王太子殿下にサリュ様のことを物語はじめたときは……さすがに、私も驚きました」

「それはごめんなさい。先代の花舟流しの際は、あちらこちらでカラフの名ばかりが出たせいで、カナルゼンも綱渡りだったのでしょう? 掘り起こすような真似をしましたね」

「まあ、確かにそうでしたが……それよりも先王陛下方のことを、あのように安らかに話されるとは、思っていなかったものですから」

 クストル王国の王位継承典礼の儀式を終え、披露目を控えたカナルゼンの女主人は、緊張というものを纏わずに「最初の何カ月かは、ほんとうに泣いてばかりだったものね」と、かろやかに笑みさえした。彼女の夫である新王が控えの間を訪れるまでの間に装いをなおさなければいけないというのに、少女はめまぐるしく整えられるかたわら、カナルゼンに問いかける。

「それで、旧西海流刑島の輝石の採掘は、その後いかが?」

「順調ですよ。あとは陛下が輝石の名付けの許可をくだされば、さらに良いのですけれどね」

 女王の額には、彼女が夫に望んだとおりに、小さなシュリアがおかあさまから贈られた、持参石の額飾が煌めいている。

 淡い紫の輝石に、名はない。

 実をいうとこの持参石は、イシュリシアが即位して間もない頃に『新たに発見された』宝石である。そのため、名付けの権限を持つのは女王その人に他ならないのだが――彼女はただ、リトカリタの古語で輝石と。そう呼べばよいとだけ言って、名を付けようとはしなかった。

「でも仕方ないわ、浮かばないのだから。しあわせだったおもいでの結晶で、たったひとつ形で残っている、亡き王と妃の愛情だけれど。それでもおとうさまとおかあさまの、旅立たれたきっかけになった――西海鎮守征の島での採掘ですもの。どう名付けろと言うの」

 結いあげた黒髪の上に、真白の花冠を戴きながら、イシュリシアはそっと嘆息する。

 カナルゼンとて気持ちはわからないでもないのだ。ただ、そう感傷に身を任せ続けてはいられないのが政である。

 彼女が幼い時分から、カナルゼンとのえにしが続くこの女王に付き従って、はやくも十年。

 カナルゼンが先の王を、人に知られずとも結果として弑し。そして彼の継嗣として立った女王イシュリシアを、北東海域守護の将軍が束ねる彼女の母方の一族とともに支えきったのは、後世において激動の時代とでも語られるに、まことふさわしい世情だった。

 南方の諸島王国の年若き王とうまみのある貿易をはじめたと思ったら、とたん幼い少女王へと代が変わったのだ。乱れる世にて疲弊を続ける西大陸の諸国からすれば、さぞおもしろい事態だったろう。ゆえ、リトカリタは婚姻という政略によって、隣国と手を結んだ。

 幼い後継者が即位できる年齢に育つまで、摂政として立っていた先王妃が国を守らなければならなかったクストルと、状況の似た国同士ではやばやと手を結んで繋がりを強めたのだ。しかしてことは王統同士の婚姻であるから、どちらの家臣団からしても、苦渋の決断だった。

 そこへきての、リトカリタの西海流刑島における新輝石発見の報だった。

 正しくは隠匿されていた新輝石が、先代セシャルトリエ王の名のもと流刑島へ派兵、駐留していた王軍により再発見されたのであるが……新輝石が発見されたという事実に変わりない。

 己が権威の傘下で輝石を発見し、隠匿していたのは、やはりというか、かつて刑罰をも司っており、そして掌中に輝石を隠し籠めたまま廃族となったカラフ一族であった。

 サリュがイシュリシアに託した持参石もこの輝石だった。

 カラフ家はどうやら、王位簒奪計画を進めるに際して密かに採掘もおこなっていたようであるから、廃族カラフが王位簒奪を企てた背景には、輝石の存在もあったのかもしれない。

 かくしてあかされた輝石であるが、世情は乱れ、王国の現状も盤石とは言えなかったため、この十年、リトカリタ女王の名のもとに、その存在ごと隠されてきた。

「名付けないままでしたら、そのうちに……イシュリシア石、いや、リシア輝石――なにか陛下の御名か、御名に通じる音で、呼ばれかねないと思いますが」

「それは……複雑だわ」

 けれどもそのような惑乱に満ちた世情だったからこそ、彼はカラフの名のままで生き残れたのかもしれない。ゆえにカナルゼン・カラフは、一度額ずいた以上は仕え続けるべきであった先王を弑したことを、不遜にも悔いてはいなかった。しかしもしも、王の掌中で籠められ続けたかの血族の少女の言葉のままに、毒を仕込まずにいたらと。この十年で幾度も、そんな思いは脳裏をよぎり続けている。それももう、とおい昔の話としてではあったが。

 イシュリシアは、白い結婚をとうとう破ることとなる新王妃に相応しく、真白いクストル風の装束に身を包んで、彼女を飾ってきた侍女たちとともに鏡を覗き込んでいる。

 そうたたぬうちにそっと控えの間の扉が開かれ、彼女と同じく豪奢な衣装を纏った少年王が部屋に入ってくる。年上の少女のかたわらへ身を寄せた少年へ、カナルゼンも礼をとりながら、これから民衆の前へ姿を披露する、年若い王と王妃が寄り添い立つのを盗み見た。

 ながく夜の最中にあった王国の、そして女王自身の、ひさかたぶりの夜明けともいうべき、この日。リトカリタ秘蔵の輝石ははじめて、王と王妃の姿とともに、公の場にあらわされる。

 かくて手を取り合って控えの間を後に、あかるい方へ歩きだすふたりの後姿みつめながら。

 カナルゼン・カラフは不意に、かつて見送ったふたりを、あざやかにまなうらに思い描いた。

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亡き王、あなたと夜明けに臨む 篠崎琴子 @lir

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