最後のステージ
顔を覆って震えるケイティ。
ウロウロするリチャード。
そんなふたりのまわりが、にわかに騒がしくなってきた。
「なんだ、なんだ?」
「イアフォンCMの子だってさ」
「ケイティ・ジョーだと?」
若手女優は嗚咽を押し殺し、顔を上げた。
「ごめんなさい、もう大丈夫」
こぼれた涙をぬぐい、笑顔をつくった。
このところ猛烈に演技に入れ込んでいるミサは、とうてい満足していなかっただろう。途中から本物の感情が満ちてあふれた、最低の芝居に。
「このことは、友達のコにはいわないわ。もちろん誰にもいわない。ふたりだけの秘密。ほんとうにありがとう」
そう気丈にいうことで、ミサはリチャードと自分自身を救った。
彼は何かいいたそうだったが、何も口に出さないまま彼女を見つめた。
顔をあらわにした有名人を、いつしか大勢の一般人が取り囲んでいた。
「ホンモノだ」
「実物はホロより美人だなあ」
「握手してくれよお!」
「サイン! サイン!」
色めき立った群れが、じりじりと迫る。
「いやん、どうしよう。ゲリラサイン会の時間はないんだけど」
わめいたり泣いたりしたのが、いけなかった。
その時、人間をかき分けて何かが近づいてきた。
保安局の屋根なし無人カートだった。
「ぼくが呼んだ。さあ、乗って」
リチャードが笑う。
「大好き!」
ミサが頬にキスする。
群衆がどよめく。
離れぎわに彼女はサングラスと帽子を手渡した。大よろこびする彼に、さらにメーカー不明のインナーイアフォンを差し出した。
「わたしが宣伝してるのとは違うの。リチャードにはピッタリよ」
昨晩ミサが徹夜で組み上げたプレゼントだった。
その生活必需品の内部には、どんなメーカーのハイエンド機種をも凌駕する数々の能力が、これでもかと詰め込まれていた。言語翻訳機能、暗号化機能、代謝解析機能、微振動発電機能などなど。これで軽く20件以上の特許を取得できた。彼女にその気はなかったが。
「ゴーゴー、ケイティ・ゴー! ゴー、ケイティ・ゴー!」
カートが動きだすと、リチャードはフリ付きで叫んだ。まぎれもなく彼が最初に始めた応援コール「ゴー・ケイティ」だった。ほとんど人のいない客席で、かつて毎日のように彼はこれを叫び、ミサは聴いた。
集まったひとびとも、呼応して叫ぶ。
「ゴーゴー、ケイティ・ゴー! ゴー、ケイティ・ゴー!」
カートの上で、ミサは両脚を広げて立ち、みんなに向いた。
両手をまっすぐ上に伸ばす。
右手だけゆっくりと顔の前に下ろしていき、手のひらで顔をおおう。
直後に勢いよく目かくしを取りはらう。
瞳はゾーンに入っていた。
身体を回転させ、ステップを踏む。
脚を投げ出し、腕をひらめかせ、腰をねじり、胸をのけ反らせる。
メジャーデビュー曲「パステルマシーン」がスタートした。
「ゴーゴー、ケイティ・ゴー! ゴー、ケイティ・ゴー!」
完璧にシンクロするリチャードのコール。
一方、声を張るミサが左手に握るものは、二人にだけ見える透明なマイク。
マイクは魂のシャウトを、電流にも電波にも変換しないまま、全ての周波数帯域で完璧に空中へ拡散させた。
前後左右に揺れる世界一小さなステージは、鬼気迫る神がかったライブを乗せていた。
それは語り継がれるケイティ・ジョーの伝説となるに違いなかった。
通りに出ても、オーディエンスは出口から声援を送った。
ケイティは、歌って踊った。過換気の寸前まで、汗を飛ばした。
コールが続くなか、遠く小さくなるリチャード。
素朴なその掛け声が一番好きだったことを、ミサは彼にうち明けてはいなかった。
もっともっと、ずっと聴いていたかった。
(ごめんね、リチャード。とうとう、いい出せなかったけど、ケイティ・ジョーは今日かぎりで引退なの。これからあたし、大仕事があるから)
Bメロが終わるころ、ミサはこころの中で呼びかけた。
(ありがとう、いままでのことも、今回のことも。イアフォンなんかじゃ足りない。恩はかならず返すよ)
まぼろしの音の渦の中心で、彼女はサビを叫んだ。
ミサとケイティ(異端児とアイドル女優) 瀬夏ジュン @repurcussions4life
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