09 懐かしい光景(2)

 3人は買い出しを終えて帰宅した。夏の暑い中、汗をかきながらの帰宅。美緒の額も汗でじんわりしている。帰宅するなり換気をし、扇風機をつける。強さを強にした扇風機の前に2人で座り、「ああああっ」と声を出す。扇風機の回転する羽により、2人の声が割れる。お互いに顔を見合わせて、笑い合った。

 米美は美緒の世話を繁雄に託し、夕飯の支度を始めた。野菜を洗い、ベテランかのような腕っ節でサービスで貰ったキャベツに刃を通し、千切りにする。


「米ちゃん……どっかの料理教室とか、通い始めたんね?」

「え?」


 そんな米美の姿を、美緒を抱っこしながら後ろから見ていた繁雄が思わず尋ねた。米美は元々料理を作ることが上手な方ではあったが、あまりにも熟練した技のような手際の良さに、繁雄も驚いたようだった。

 米美は、『だって、あんたが亡くなってからもずうっとご飯作りよったんよ』と思ったが、口に出すのはやめた。突然米美の腕に、高千穂の神が舞い降りた、ということにしておいた。

 繁雄と喋りながらも、あっという間にサラダを作り終え、味噌汁作りに取り掛かる。無駄のない、軽快な動き。途中ご飯が炊き上がったのでふわふわの白米にしようと、味噌汁作りの手を止め、空気と絡め合うように軽く混ぜる。

 40年後の台所のように、まだまだ道具の揃っていない環境ではあったが、長年の知恵でその辺も問題なくやり過ごし、食事の準備が完了した。今日はぶりかまと大根の煮物。この魚も、魚屋の店主が安くしてくれた品である。


 時計の針が18時ちょうどを指した。米美はご飯をよそうため、食器棚をあける。米美は食器棚を開けたまま、固まった。そこには、40年経った今でも置いてある、繁雄の食器があった。今でもお供え用の食器として使っているもの。繁雄が事故で亡くなった後もずっと、米美は捨てずに大事にとっておいたのだ。

 その食器を、まだ繁雄本人が使っている。生きていくための、食事を摂るために必要な器に、米美は気持ちを込めて米をよそった。

 ご飯をついでお盆に乗せると、リビングまで運ぶ。リビングでは繁雄が美緒と遊んでくれており、米美が食事が運ばれてくるのを見るとテレビをつけた。このテレビは、美緒が選んでくれた最新型のテレビより随分前のもの。やはり画質もそこまで良くないし、音も少し割れて聞こえる。でも、これもこの時代では一応最先端だったと記憶している。この40年の間に、世の中は進化しているのだということを、米美は実感した。録画機能はついているが、ビデオに録画するタイプのもの。現代のような、Blu-rayぶるぅれいというものではない。


 低いテーブルに食事を並べる。熱々の湯気がふわっと天井にのぼる。ご飯を食べることが大好きな繁雄の目は輝いていた。よだれが出そうなほど、ぽかんと口を開けている。


「米ちゃん、いつもありがとうね」

「いいとよ、当たり前やん。どうしたん?」


 感謝の気持ちを述べられて、米美は首を傾げた。繁雄にご飯を作るのはもう何度もやってきたこと。それなのにどうしてこのタイミングでお礼を言われたんだろうと、疑問に思った。


「米ちゃんやろ、言っとったのは。当たり前と思ったらいかん、感謝の気持ちを伝えないかんって」


 米美はハッとした。

 自分の中で当たり前と思っていることは、自分では分からないもの、気付きにくいものなんだと。


「米ちゃんだけじゃないんよ。『あぁ、あん時こう言っとけばよかったぁ』って後悔したくないけん、俺もちゃんと伝えていかんとね」


 自分だけじゃない。

 後悔したくないと思う気持ちは、繁雄も同じように思ってくれている。

 当たり前のことだけど、当たり前じゃない。ありがとうって言われると、もっと頑張ろうって気持ちになる。ありがとうの言葉が、そのことに気付かせてくれるということを米美は知った。


「ありがとね、シゲさん」


 米美は、気付きを得られたことに対する感謝の言葉をまた、繁雄に伝えた。


 食事をとり終え、ひと段落ついた。米美が後片付けをしている間に、繁雄が美緒をお風呂に入れてくれている。

 いつも通り就寝したら、突然時間が戻っていて、ここで何の違和感もなく生活をしている。どうやったら元の時代に戻るんだろうか、とも考えたが、正直それはできれば先延ばしにしたいし、願わくばこのまま、もう一度人生をやり直したいと米美は思っていた。

 もし繁雄が死なずに生きていられた場合、この後の時の流れはいったいどうなるんだろうか全く想像もつかない。考えても考えても、答えはでない。もしかしたら、繁雄が死ぬことのない並行世界という可能性だってゼロではない。これこそおとぎ話のようだが、現実78歳の米美が32歳の時代まで戻っているので、並行世界といっても全然おかしい話ではない。だが、自分の身にいったい何が起こっているのか、さっぱり見当もつかなかった。

 ただ、78歳の米美がもつ過去の記憶と、この時代の記憶が重なる点が多いことから、過去に戻ってきた線が強いということと、そうなるとやはり7日後に繁雄が事故に遭ってしまうということ。

 ただもしこちらの世界も夢で、今日この後いつも通りに寝て、目が覚めると、繁雄の仏壇がある世界に戻っている可能性だって十分に考えられる。

 それは米美自身にも分からない。まだ、この先何が起こるのか。


 そして米美は眠りにつく。愛する人、繁雄の隣で。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

よねとしげと、おがたまの木 太陽 てら @himewakaba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ