第三話 《世界城》と風船と
ガイド二人が気を取り戻すのを待ってから一行はようやく桟橋を離れた。
二人に先導されて歩きながらナロルはずっと気になっていたことを尋ねる。
「あのおっきなおにぎり?三角形みたいなのってなんなんだろ?」
と、空にまでそびえ立つ巨大な建造物を指さした。
『ああ、あれは《世界城》です』
「せかいじょー?」
『《世界城》は世界に一つだけ存在している大きな城のことです。城には《世界王》が住んでいて、世界全体を支配しているのです』
「へー」ナロルによる何の理解も出来ていない感丸出しの棒読み。
。
「端的に言えば、世界で一番偉い人が住んでいる城ということですよ」
と、キカイが補足するとようやく理解できたようで、
「そうなんだ、すごい! あとで行ってみよう!」
『それがよろしいでしょう。実は空に浮かぶたくさんの風船を飛ばしているのは《世界王》なんですよ。とても気さくで優しい方なので、お二人の訪問も歓迎していただけると思います』
ナロルは素晴らしい出会いの予感に胸を高鳴らせ、空、そして《世界城》を見上げた。
鮮やかな青空にくっきりとした色彩の風船がまあるくまあるく粒々と漂っている。
「『粒々と漂う』という表現はおかしくありませんか」
「えっ、私何も言ってないよ?」
「……独り言です。あるいは、バグのようなものです」
「バグ?」
「バグとは――」
略。
あまりにカクカクとした単語が続き、オーバーヒートしかけたナロルを尻目に、双子は何やら大仰だが地味な建物の前に立った。木で出来た、何の塗装も飾り付けもされていない良く言えば自然の赴きそのままに閉じ込めた建築物だ。正面にはノブもついていない、おそらくは両側から押し開けられるタイプの簡易な扉。
『こちらが私達の詰め所です。二人分なので少し大きめなのです』
「へー、いいなあ。私もいつかこういうお家に住みたいよ」
「家でなく詰め所です。では、ちょっとこちらで待っていてくださいね」
「了解!」
二人が詰め所の中へ姿を消すと、束の間訪れるスキマ時間。
改めて、ナロルはついに世界への旅に漕ぎ出した今現在の状況に対する感慨やらなんやらをキカイへと向けて口にした。
「いやあ、いよいよこの時がやってきたって感じだねー。もう、早くいろんなところへいってみたいよ。きっといろんな人と出逢って、面白いお話をいっぱい聞くこともできるよね。わくわくするなあ」
「ですが、ナロル」と心なしかぴしゃりとした調子でキカイは釘を刺した。「先ほどの《世界城》についての説明すら満足に理解できないようでは、道行く人がしてくれる面白い話を面白い話として受け止めるのは難しいと思われます。きっとちんぷんかんぷんで、0と1で出来た機械語と同じにしか聞こえないことでしょう。もちろん人間にとっての、という意味ですが」
ナロルはやばい、と口に手を当てた。明らかにおろおろとしている。
「はっ、そうだね。私、知らないことばかりだ……というか、私が何を知ってるかさえあんまり知らないよ。どうすればいいんだろう」
「簡単なことです。勉強するのですよ」
「べんきょう?」
いつものように辞書的な意味を説明してから――
「本来なら、こうして旅することも十分な勉強になるのですが、ナロル。貴方には旅によって色々なことを学ぶための前提となる知識もありません。ですので、ある程度はみずから勉強する必要があるでしょう。まあ、貴方に知識がなさすぎること自体は仕方のないことなのですが……」
と、その時になってようやくウミネとソラネが扉の向こうから姿を現した。
『お待たせして申しわけありません。入門旅人さんのために餞別をお渡ししているのですが、なにせ滅多にないことですので準備に手間取ってしまって……』
そして双子の手にあったのはそれぞれ一本の細いヒモだった。ひょろひょろと上へ昇ってゆくそれを見上げるようにすると、空に漂っているのと同じ風船が浮かんでいた。
「はい、どうぞ」
「はい、こちらもどうぞ」
訳も分からず風船を受け取るナロル。双子から受け取ったので二つを両手に掲げることになる。
「これ、くれるの?」
ナロルのこの言葉は本当に貰えるか否かを聞いているというよりは、むしろなぜこのタイミングで?という疑問と困惑の方がより多く含まれているようだった。
『はい、もちろん。《ハジマリ・ワールド》では入門旅人の方に風船を身につけていただく決まりになっているのです』
「へー、面白いね。私とキカイで二人分だから二つ?」
『そのとおりです』
ナロルは早速、風船の片方を自分の背中にくくりつけた。そしてもう一つをキカイのパーツに引っかける。
「私は非生命体なのでこういった場合は頭数に入れるべきではないのでしょうが、頂けるというのなら頂きましょう。私はありがたく思います」
キカイは回りくどい物言いをするタイプの機械らしい。
『風船は必ず周りの人に見えるようにしておいてくださいね』
「どうして?」
ナロルが尋ね返すと、なぜか微笑む二人。
『それはあとのお・た・の・し・み』
「えー。なんだろう。楽しみだなあ」
愛おしそうにナロルは風船を撫で回し、ゴム特有の耳障りな高音が出てぞぞぞと鳥肌を立たせた。
「それとこちらも差し上げましょう」
妹のソラネがふたたび手渡してくれたのは茶色の革袋だった。なにやらずっしりと重量感があるようだ。
「なんだろ」とすかさず袋の口を閉じていた紐をほどき、手を中に突っ込んだ。
そして出て来たのは鈍く輝く小さな金属製の円盤。つまりそれは……。
「1500マニネです」
「ま、まにね?」
キカイに聞いてみるも、『マニネ』の意味を教えてくれることはなかった。どうやら広辞苑にも載っていない言葉らしい。
『マニネというのは《ハジマリ・ワールド》で使うことのできるお金です。……お金は分かりますよね?』
キカイはすらすらとお金、つまり貨幣の役割を説明した。これは広辞苑というよりは、元々キカイの記憶媒体にインプットされている情報を噛み砕いて説明した形になる。
「すごい! 魔法みたい! なんでも交換してもらうことができるなんて!」
『ええ。旅のお供にお好きなものをご購入ください。でも、私たちのオススメは……』
するとウミネとソラネは突然まじまじとナロルの身体を見つめ始めた。
「え、なになに?」
なんだか恥ずかしくなって胸を両手で隠すポーズをとる。
双子は揃って口を開いた。
『まずはその服装を綺麗にしたほうがいいのではないでしょうか』
その時になって、ナロルは初めて自分の格好がどうなっているのかに気づいた。それはまるで、鏡がない世界で水滴に映る自分の顔を見て驚くような、そんな有り得ない新鮮さがあった。
そうして発見した自分の姿は、思いのほかみすぼらしい格好だった。
白いTシャツはぴったりと身体にあって着心地は良いものの、至る所が黒くくすんだり擦れて微妙に透けてしまっていたりもする。セクシーとは到底言えない、見るだけでもの悲しい光景がナロルだ。
下は膝上十センチ程度の黒いスカート。こちらも埃が目立って半ば灰色と化していて皺くちゃになってしまっている。
「あ、えーと……」
ナロルは珍しく口ごもった。
自分の身体とソラネウミネの身体を交互に見やる。比較すると、二人の姿はあらゆる意味で対照的と言えた。
なんだか情けなくなってしまったナロルは顔を赤らめた。大人と子供という成熟度の違いを差し引いても歴然としている女性としての魅力の度合い。
「うん……そうだね……。まずは服を買うことにするよ」
ナロルは誰に言うでもなく、小声でそう呟いたのだった。
無限世界を旅するナロル ~『わくわく』を求めて~ 瀬田桂 @setaK
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