第二話 双子のガイドと第六感(?)

《ここは、君が作った世界》。



 ナロルはまるで自分たちのためにしつらえたかのような、うってつけの大きさの桟橋にイカダをつけた。

 ぴょん、と軽やかに飛び移るとその瞬間足元がぐらぐら揺れる感覚に襲われた。


「お、おわ、おわわわ」


 ふらふらと酔っ払いのように珍妙な足裁きで、あちらへこちらへ……そして今脱したばかりの海へダイブ――

 ――する前に、ナロルの身体は何者かの腕によって支えられた。


「はえ?」

「大丈夫ですか?」


 ナロルを救い上げたのは長身の女性だった。小柄なナロルと身長だけ見れば二倍近くもあるのではないかと思われる。ぼん、と過剰なまでに胸とお尻が膨らみ、お腹のところでキュッと細く引き締まっている見事なプロポーション。その全身は純白のドレスに覆われていた。装飾は控えめで、爽やかな青空にもぴったりマッチしている。


「あ、ありがとうございます……」


 ナロルは彼女の柔らかく甘い香りに顔を赤らめながら礼を言った。


「いいえ、長旅だったんでしょう? 足がふらつくのも無理はないわ」


 女性は柔らかな大人の笑みを浮かべた。何がどうというわけでもないが、ナロルにはその笑みが「大人」であると感じたのだ。

 なんで長旅だと足がふらついても無理はないんだろうと考えながら、ナロルはたった今恩人となったばかりの女性をまじまじと見つめる。

 鍔が大きい黄土色の帽子を被り、それで直射日光を防いでいるおかげか肌はシルクのように白かった。眼は帽子に隠れてよく見えず、大きくて三日月のようなきれいな形の唇が目立って見える。


(すごく、綺麗な人だなあ……)


 そんな感想を抱いていると、ふと風が吹いて帽子がめくれ上がり眼と眼が合った。

 恥ずかしくなって慌てて顔を逸らすと、なんとそこにも同じ顔があってナコルを見つめていた。

「え」

 まったく同じ形をした二つの口が同時に開いた。

『『ハジマリ・ワールド』へようこそ~』

「ええええええ!」


 ナロルの首が左右にカクカク忙しい。見比べても違いがどこにも見られない。浮かべている微笑という表情すら同じだ。

 まるで壊れた振り子(壊れた振り子?)のようになってしまったナコルを見て、二人のそっくりさんの笑みが「微」から「苦」に変わった。


『あらあら、驚かせちゃったかしら』

「異なる二人の人間の顔貌、体格、その他様々な要素が相似する場合に考えられる可能性としてもっとも考えられるのは一卵性双生児、つまり同じ卵子より生まれた双子です」


 まだ欄干に結びつけられ水面をするする揺らめいていたイカダがそう言った。

 二人は驚きの表情を浮かべた。


『喋るイカダ? 珍しいわ』

「いいえ、イカダではありません。私は機械です。キカイ科キカイ族キカイ種、正真正銘完全なる非・生命体なのです」


 そう言うと、誰も手を触れていないというのにイカダは糸がほどけるようにするすると分解されて、ナロルの元へ飛翔した。しばらくするとイカダの姿は完全に失われ、小さな茶色のウエストポーチに形を変えてナロルの腰に収まっていた。チャックを少し開けて、小型化した例の白い筒が顔を覗かせている。


 この瞬く間の変貌に、二人の女性は右手の平を口元に当てるというまったく同じポーズで驚きを露わにした。


『まあ、なんてこと』

「私達はずっと一緒に旅をしているのです。私は機械として、この子のナビゲーションを担当しています。機械ならではの正確無比な情報をもって」

 そしてレンズをいまだ釣り合わない振り子であるナロルの方に向けた。


「そろそろ現実を受け入れてください」

「え? あ、うん……」


 キカイの冷静な呼びかけでようやく気を取り戻すナロル。

「彼女たちは『ハジマリ・ワ~ルド』の名物、双子の美女ガイドなのです。私もこの世界のことを紹介することはできますが、折角なので彼女たちにお任せするのが良いでしょう」


すると二人の笑みが「微」から「苦」、そして「喜」に移行した。


『感謝いたします、キカイさん。ここは《ハジマリ・ワ~ルド》の入り口には違いないのですが、そもそもここがすべての始まりなので、他の世界からあまり旅人さんが来てくれないんですよ~。それで私たちいつも退屈で退屈で』

「では、早速始めましょうか。えーっと、お名前は――」

「ナロルです!」


 ピシッと姿勢を正して応える。


『ナロルさん、ですね。わたくしたちは先ほどそちらのキカイさんが仰った通り、ここ『ハジマリ・ワールド』のガイドを勤めております』

「わたくしは海音と申します」

「わたくしは空音と申します」


 二人は基本的に言葉を重ねてまるで一人で喋っているかのように振る舞っている。それに合わせた仕草もほぼ同じ。


「ウミネさんと、ソラネさんか……。よし、覚えた。よろしくね!」

「『よし、覚えた!』と威勢がよろしいのは結構ですが、ナロル。果たしてお二人の見分けがつくのでしょうか」


 と、キカイは釘を刺すように発声した。

 顎に人差し指を当てて考える素振りをするナロル。


「うーんと、こっちがウミネさんでこっちがソラネさんだよね」

『ご名答。ですがこれは当たって当然ですね。では、こうすればどうでしょうか』


 二人はアイコンタクトし、互いに背中合わせとなった。

 そしてぐるぐるぐるぐる……と回転し始める。最初にナロルのほうを向いていたのはウミネで、次はソラネ、ウミネ、ソラネウミネソラネウミネソラネウミネソラネウミネソラネウミネ……。まったく同じ顔がぐるぐると何度も眼前に現れてナロルはくらくらしてしまう。

 数秒後、元通りに横並びになる二人。


『さあ、どちらがソラネでしょうか』

「こっち」


 ナロルは即答した。

 崩れ落ちるようにしゃがみ込むソラネ。ウミネはぽかんと口を開けてそれを見つめる。


『ど、どうして判るんですか! じゃあ、こうしてみるとどうかしら』


 ポーチ(キカイ)でナロルの両目が覆われた。どうやらガイド達はナロルが二人を目で追って覚えていたのだと勘ぐっているらしい。


「そこまでムキになる必要はあるのでしょうか」


 為す術もなく宙に持ち上げられるキカイがそんな疑問を呈すが、誰からも答えは返ってこない。

 しばらくしてから『もういいですよ』と声が掛けられてナロルの視界が開く。


『どちらがウミネではない方でしょうか』

「えっえっ」


 突然ちょっとだけ捻った問いを出されてナロルはテンパった。頭の中をひねくり回すのが彼女にとって一番の苦手事なのだ。

 それでも時間を掛けて答えを出す。


 正解だった。


『えー! そんな馬鹿な~』


 今度は二人ともが崩れ落ちてしまった。事実上の敗北宣言である。


「二回連続で当てたこと自体は確率的に見るとそれほど驚くべき事象ではありません。二分の一掛ける二分の一で四分の一、つまり二十五パーセントです」

「へえ~」これはナロルの生返事。本当はまったく理解していない。

「ナロル、貴方は当てずっぽうで選んだのですか。あるいは何か決める根拠があったのでしょうか」


 ナロルは不思議そうな顔をした。


「え、普通にわかるよ。キカイはわからないの?」

「……はい。五感センサーを完全稼働させても二人を識別することはできません。私は正直ですが、少し悔しいです」

「へえーそうなんだ。何でだろ」

『長年ここでこのクイズを出しているのですが、完全に見破られたのは貴方が初めてです。ふ、不覚……』


 しなしなしな~と力が抜けて横座りになる双子。まるで甘えて誰かを誘惑しているかのようなポーズになった。


「五感センサーで判別できない二人を見分けられるということは、消去法で考えるとナロルには第六感が備わっているという答えが導き出せます。科学的に証明されていない概念なので、この答えは私にとって不覚です」

「だいろっかん?」

「第六感とは――(中略)――以上、広辞苑より引用」

「こうじえん?」

「広辞苑の意味をお知りになりたいのですか」

「ううん、やっぱりいい」


 ナロルは首を振った。


『最初は私たちを見て驚いたじゃないですか……。なのにどうして……』


 ガイドが往生際悪くそうぼそりと呟くと、


「え? それは、見た目が同じだったからだよ。どっちがどっちかはずっとわかってたけど、やっぱり二人とも同じ顔してるなんて凄いよね! 不思議すぎるよ」


(ウミネとソラネにとっては)憎らしいほどに明るい笑顔でそう返すのだった。



 三人と一機はいまだに桟橋に立っている。

 しかもその内二人は脱力して地べたに座り込んでしまっている始末だ。

『ハジマリ・ワールド』に来たのに、なかなか始まらない冒険。


 この、進みも戻りもしないある意味無為な時間こそが、ナロルにとっては《わくわく》の一つなのだった。

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