第6話 ユーリ
「ちょっと待ってください。これで終わりっていうのはわかりました。けれど、この後僕はどうしたらよいのでしょう?」
「この後はありません、ユーリ。五年後また判定を行う時に協力をお願いするかもしれません。その時はよろしくお願いします」
この後はありません……なんて冷たい響きだろうか。ジョージさんの話を聞いている中でもしかしたらと思っていたが、つまりは、きっとこういうことなのだ。
「アルファさん、僕もジョージさんと同じなのですね。データ化された意識。それが僕」
アルファさんは即答した。
「はい、その通りですよ、ユーリ。あなたは二十二世紀に意識のデータ化に成功した一人です。実態として目も、耳も、鼻も、口も、心臓や脳も含めてあなたに属する身体は、今はもうありません。
このメトロポリス・アルファではあなたを含めて一兆もの意識データが内包されており、そのデータを使って対話形式で同時並行的に住民の人間判定を行っています。住民の生活スタイルが文字通り千差万別に分化してしまったこの社会で、過去のあらゆる時代の人間の感性、思考を持って判定した結果を活用するのが最も効率的で有効な方法になっているのです」
「嫌です」
僕も即座に言い放った。強く、鋭い拒絶の言葉を。
「嫌、とは何がでしょう?」
「このまま消えるのは嫌です。いや、また五年後に呼び出されるのかもしれませんが、人間の判定をするためだけのデータとしてしか存在できないなんて嫌です。僕、ユーリとして今意識がある以上、このまま何か実物として存在したい。なんとか、そのメトロポリス・アルファに僕を加えてもらうことはできないでしょうか?」
僕は懇願した。不思議なものだ。データとしてしか存在していないはずの僕が、こんな生存本能じみた執着を口にするだなんて。あるいはどこかジョージさんに触発されたところもあるのかもしれない。
「困りましたね、ここメトロポリス・アルファは高度に運営が最適化されていて、定員は厳格に決定されており……いえ、少々お待ちください。どうやら急遽定員に空きができたようです。そして、これも……少々お待ちください。ええ、素晴らしいですね」
アルファさんの様子がせわしなくなってきた。自身のネットワークを通して膨大なデータを確認しているのだろうか。その深淵はもう僕にはわからない。
「おめでとうございます。ユーリ、あなたについてイレギュラーで人間判定を追加実施してみたのですが、無事、人間として判定されました」
「本当ですか!」
思いのほかあっさりとお願いが通ってしまったので、半分肩をすかされたような気分だったが、お願いが通るなら通るでそれに越したことは無い。素直に喜んでおこう。
「ただ、急遽の補充となるので、身体の方は暫定的にこちらで用意できるものに限られてしまいます。しかし、いずれ移行可能なものが出てきましたらお知らせしますね」
申し訳なさそうにアルファさんが告げる。それでも、データとしてこのまま休眠してしまうよりかは何であれ形として存在できる方が、僕はよっぽどマシのような気がした。
「それで構いません。それで、いつ僕は参加できるのですか?」
「承諾もいただけましたので、それでは直ちに意識データの切り離し、インストールを実施します。切り離し処理……完了。エラーなし。インストール開始します。……五パーセント……十パーセント……」
アルファさんがインストールの進捗を読み上げるにつれて、身体が宙に浮いたような、視界がぼんやりと白くぼやけるような不思議な感覚に襲われた。やがて視界が真っ白に染まり、僕はまぶしさに耐えかねて思わず瞬きをした。
パチリ――
まぶたが動いた。そのリアルな感触に思わず僕は身震いをし、感動のあまり叫びだしそうになった。いや、少なくとも心の中では声にならない声を叫び散らしていた。
やがてまぶしさに慣れ、視界一面に青い空とそこら中にそびえ立つ電子的な建築物、そして足元の白い道路のような地面を認識した。ついに僕はメトロポリス・アルファに降り立ったのだ。
「意識データのインストールが無事完了しました。ようこそ、メトロポリス・アルファへ」
アルファさんの声が僕の体内で響く。この新しい身体もネットワークで対話をすることができるようだった。とりあえずお礼の言葉を伝えようとしたのだけれど、まだこの身体でどうやってメッセージを発信したらよいのかがすぐわからず、アルファさんには無言を返すことになってしまった。
「まずは新しい身体の動作を習得する必要がありそうですね、ユーリ。基本的な動作は意識データ内の『ベーシック・アクション』フォルダを参照してください。あなたの居住地などのデータも『デモグラフィックス』フォルダにあります。もし、この身体に不満があるようでしたら所定の手続きを経て、身体変更の申請を行ってください。次回また人間判定をクリアしたらより人間に近いものを優先して割り当てるようにしますね」
人間に近いもの、だって? いったい今この身体はどんな格好をしているのだろう。不安になって見まわそうとしたが、上手く首を動かすことができず、アルファさんに尋ねることもできなかった。
「それではまた何かあれば私、アルファまでコンタクトしてください。あなたの健康と幸せを願っていますよ、ユーリ」
その言葉を最後にアルファさんの声はプツリと途絶えてしまった。まだ色々と知りたいことがあったのに、なんとも心細く感じたが、まずは自分の身体を好きに動かせるようになるのが先決だ。内部にあるデータを頭の中で流すようにざっと眺め、その記述を参考に身体を動かすようにコマンドを叩いてみる。すると、いくつかの関節が少しだけ曲がり、ウィィンと機械的な稼働音がした。首のあたりが横に動かせそうだったので、なんとかそのまま動かしてみると、正面にガラス張りの建物が見えてきた。
ちょうどよい、それで自分の身体が映った姿を見よう。そう思って、ガラスで反射する景色に意識を向けてみたが、そこに自分の姿はなかった。いや、以前の意識で認識していた自分の姿は、か。今はもう別の身体なのだ。
思い直して、再びガラスの景色を見てみるが、そこには一つしか対象になりそうなものがいない。いや、まさか。そんなことって……。
そこに映る姿は栗色の毛が全身を覆い、四角い耳が垂れ下がり、口は突き出て、四つの脚がしっかりと地面を踏んでいた。箒のようなしっぽがお尻でふりふりと揺れている。
こんな仕打ちはないだろう。僕は人間だ。人間なんだ。抗議の声を上げようと僕は半ばでたらめに口や喉の周りを動かそうともがく。
やがて、ようやく僕の意図をくみ取ってくれた身体が、このメトロポリス・アルファのあたり一帯に向けて大きな声を発した。
ワンオンオンオンオォォン!!
――終わり
人間判定 髭鯨 @higekujira
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます