第2話 少年少女たちの様々な悲喜惨劇

 『超異変』という宇宙規模の自然災害によって、『一周目時代』の人類は、日本人をのぞいて滅亡し、弥生やよい時代の水準レベルにまで文明が衰退した。

 そのため、最先端を誇っていた数多くの科学技術テクノロジーが失われた。

 『パソコン』や『スマートフォン』は元より、その技術体系に分類される『電子工学エレクトロニクス』も、例外なく遺失技術ロストテクノロジーとなった。

 それから約千年が経過した現在、ほぼ日本人で再構成された『二周目時代』の人類は、繁栄と動乱を繰り返しながらも、『一周目時代』における二十一世紀前期の水準レベルにまで文明を回復させた。

 『一周目時代』の日本の歴史を、およそ二倍の速度スピードでなぞりながら。

 特に、四十年前に始まった『第二次幕末』の動乱から現在にいたるまでの進歩と発展はめざましく、『一周目時代』の元号におきかえるなら、『明治』前期からいきなり『令和』の時代に跳躍ワープしたようなものである。

 まさしく、躍進の四十年であった。

 だが、寸分の狂いもなく、『一周目時代』の日本の歴史をなぞったわけではなかった。

 『一周目時代』の世界に存在していなかったものが、『二周目時代』の世界には存在しているからである。

 『テレポート交通管制センター』、『エスパーダ』、『テレハック』、『精神感応テレパシー通話』はその一例である。

 それらはすべて、『超心理工学メタ・サイコロジニクス』という科学技術テクノロジーの産物である。

 『擬似二十一世紀日本』とも言える現在の『第二日本国』では、『超心理工学メタ・サイコロジニクス』は現在の文明において重要な下支えとなっているのだ。

 『電子工学エレクトロニクス』が二十一世紀以降の『一周目時代』の世界文明を支えていたように。

 そして、首都の南方に点在する、そこに一番近い浮遊諸島群のひとつ――通称『超常特区』は、最先端の超心理工学メタ・サイコロジニクス技術が導入されている地域である。

 第二日本国国防軍陸上防衛高等学校が、この行政区画に設立されたのも、その恩恵を在校生に受けさせるためであった。

 国防軍が優秀な人材を得るための供給地として。




「――ちょっとォ。黙ってないで何か言いなさいよっ!」


 そのようなわけで、陸上防衛高等学校の校舎裏から上がった、そこの在校生らしき女子の怒声は、だが、放課後の喧騒によってかき消された。


「――そうよ。このまま見逃してくれると思ったら、大間違いよっ!」

「――アタシたちをなめないでちょうだい。そんな態度を取っている限り、絶対に許さないんだからっ!」


 それに構わず、その左右にいる二人の女子も、怒声を上げた少女のそれに唱和する。

 三人とも、一五、六才の年齢と性別にふさわしく、それなりに可愛い容姿を、ウェービーロング、ボブカット、ポニーテールの髪型で、それぞれ彩っているが、険のありすぎる目元が、せっかくの美貌を台無しにしている。

 だが、当の本人たちはまったく意に介していなかった。

 ひたすら恐い顔で睨んでいる。

 うつむいたまま立ち尽くしている一人の生徒を。

 三人の女子生徒はその生徒と対峙していた。

 校舎裏に植えつけられている一本の樹木にまで追い込んで、怒声を浴びせているのだ。

 午前までの授業が終わってから、休みなく。

 四人とも陸上防衛高等学校指定の紺色の学生服ブレザーを着ている。

 雲一つない晩春の青空から、垂直で降りそそぐ真昼の『陽月ようげつ』の日差しがとてもまぶしい一日である。


「――もしかして、このことを『見聞記録ログ』に保存したり、精神感応テレパシー通話で誰かにこっそり知らせたりしていないでしょうね。そんなことしたら、あとでもっとひどいことするわよっ! 『個人用記憶掲示板メモリーサイト』に掲載アップしたり、『A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク』に流したりしてもねっ!」

「――ちがうと言うなら、『思考記録ログ』を見せなさいよ。なにも言わなくても、なにも考えてないわけはないからね」

「――とぼけたってムダよ。『エスパーダ』をつけているかぎり、見たことや考えたことを忘れたり曖昧になったりすることなんかないんだから。絶対に」


 三人の女子生徒はよってたかって一人の生徒をことばの暴力でごつきまわす。四人の右耳の裏に装着してある三日月状の小型機器が、『陽月』の陽光をにぶく反射させている。

 『エスパーダ』とは、装着者の精神エネルギーをエネルギー源に、様々な『超能力』や『超脳力』を引き出し、行使することができる、『超心理工学メタ・サイコロジニクス』の結晶とも言える三日月状の小型機器である。

 『精神感応テレパシー通話』、『見聞記録ログ』、『思考記録ログ』、『個人用記憶掲示板メモリーサイト』、脳内記憶の完全保存も、エスパーダの機能としてそれにふくまれてある。

 ひらたく言えば、『一周目時代』の二十一世紀の世界に存在していた『携帯電話ケータイ』や『スマートフォン』のようなもので、現在の『二周目時代』の第二日本国では、その時代の全盛期並に普及している、一種の携帯情報端末なのである。

 『A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク』も、『一周目時代』のコンピューター用語で言うところの『インターネット』――通称『ネット』に相当する。


「……………………」


 沈黙をつづけるその生徒に対して、三人の女子生徒は剣呑な雰囲気をまとってさらに詰め寄る。


「……やだ、イジメかしら……」


 そこへ、偶然イジメの現場付近を通りかかった一人の女子生徒が、おびえた表情で様子をうかがう。後髪を首元で二つに結った少女である。小柄で背が低いので、その物腰はリスを思わせる。


「――どうやらそうみたいね。それも、一年の女子同士で」


 そんな小柄な少女の背後から、別の女子生徒が歩いて来る。首元で結んだ長い髪を前に垂らしている、大柄で背の高い少女である。ガクブルする少女とは対照的に、堂々たる態度で、四人の生徒をながめるその姿は、巨人さながらの迫力があった。二人とも陸上防衛高等学校の二年生で、イジメの現場にいる四人の生徒たちの先輩にあたる。


「――なんとか言いなさいって言ってるでしょうがっ!」


 三人のリーダー格らしきウェービーロングの女子生徒が、沈黙を守りつづける相手にたまりかねて、その生徒の肩を突き飛ばす。突き飛ばされた生徒は背中から樹木にぶつかる。叩きつけられるほどではないにせよ、無痛ではすまされない暴力行為である。

 だが、それにより、思わぬ事実が判明した。

 二年の女子生徒たちに対して、自身の姿を見せたそのイジメられっ子は――

 

「――やだ、男の子じゃないっ!?」


 小柄な女子生徒が驚きの声を上げる。先入観でつい女子だと思い込んでいたのだ。よく見れば、髪型は男子がするマッシュショートであるし、顔立ちも端正だが女性的ではない。身長も女性にしては高めである。そしてなによりも、身にまとっている紺色の学生服ブレザーが、女子用ではなく、男子用であった。

 つまり、あのマッシュショートの男子生徒は三人の女子生徒にイジメられているのだった。


「……あの男子、もしかして……」


 大柄な女子生徒が声をもらす。


「――知ってるの?」


 小柄な女子生徒の問いに、大柄な女子生徒はうなずく。


「――ええ。間違いない。あの垂れ気味の糸目、見間違えようがないわ」


 答えた大柄な女子生徒は、一拍を置いてから、


「――小野寺おのでら勇吾ユウゴよ」


 それは、今年入学した歩兵科一年の名であり、その一人である。


「――『小野』の名字に『寺』という称号がついているってことは、あの男子、『第二次幕末』の動乱で武名を挙げた『士族』の子弟なのね。うらやましいわ。あたしたち平民より社会的待遇が良い上に、そんな家柄の士族出身なら、エリート軍人としての将来を約束されているのも同然で」

「――でも、それが原因でイジメられているようね。同じ士族の子女から」


 それが糸目の男子生徒の前にいる三人の女子生徒らしい。糸目の男子生徒を突き飛ばしてから、なおも浴びせ続けている罵倒のセリフが、それを証明していた。


「――アンタのようなヘタレがアタシたちと同じ士族の子だと思うと、ホント、ムカつくわ」

「そうよそうよ。これじゃ、アタシたちまでもアンタと同じ目で周囲から見られるじゃない。アンタと一緒くたにされたら超迷惑なのよ」

「オンナだからってナメないでちょうだい。『第二次幕末』の動乱じゃ、オトコどもに勝る活躍で新時代を築いたオンナたちの娘なのよ、あたしたちは」

「その上、それに嫉妬してあたしたちの陰口をたたくなんて、最低ね。これだからオトコは」

「今まで幅を利かせていたオトコの時代はもうおわったのよ。オンナをバカにするヤツは、どんなオトコだろうと絶対に許さないからね」

「……別にアンタたちが新時代を築いたわけじゃないでしょうに……」


 最後のセリフは、三人の女子生徒たちの先輩にあたる、大柄な女子生徒がつぶやいたものである。たしかに、新時代を築いた女性たちはエラいが、その子女までもがそうとはとても思えななかった。大勢で一人をイジメるような手合いは、特に。


「……けど、あの男子も、情けないといえば、ちょっと情けないわ。少しは男らしいところを見せれば、あの女子たちも見直すでしょうに……」


 小柄な女子生徒が控えめな口調で批評するが、大柄な女子生徒は同調しなかった。


「――いずれにしても、やはりやめさせるわ。見てしまった以上、見て見ぬふりはできないし」


 だが、小柄な女子生徒は懐疑的であった。


「……で、でも、聞くのかしら。平民に過ぎないアタシたちの言うことを……」

「なに言ってるのよ。先輩であるアタシたちがこれを見過ごしたら、それこそあの女子たちにナメられるわ。やはりやめさせないと――」


 そう言って大柄な女子生徒は足を動かす。

 そのつま先を三人の女子生徒たちに向けて。

 その時だった。

 自分たちや三人のイジメっ子とはべつの女子生徒のすがたを視界の端に認めたのは。

 その女子生徒は、二人の女子生徒とはべつの方角からイジメの現場へむかって歩いていた。

 それも、颯爽さっそうとした足取りで。

 ショートカットの頭髪をなびかせたその横顔は、意を決したような凛々しさがみなぎっている。

 それもあいまってか、三人のイジメっ子たちとは比較にならないほどの美貌であった。


「――なんだろう、あの女子。もしかして、イジメを止めに行くのかな?」


 小柄な女子生徒が期待に弾ませた声でつぶやく。


「……あの女子は、まさか……」


 それに対して、大柄な女子生徒が上げた声は、遠雷に似た響きがこもっていた。

 そんな二人の女子生徒の視線を横に受けながら、ショートカットの女子生徒は、三人の女子生徒と、一人の男子生徒の間に割って入り、突然の闖入者に動揺する三人の女子生徒を背に、一人の男子生徒とむかい合う。そして、その気配に気づいて見上げた涙目の糸目の少年の眼前に、「ビシッ!」と聴こえそうな勢いで指を突きつけると、おもむろに口を開いてこう言い放った。


「――オトコの癖に女子にイジメられて不幸ザマァ~ッ! ギャハハハハハハハッ!」

「うわぁーんっ!!」


 糸目の少年――小野寺おのでら勇吾ユウゴは鳴き声を上げた。

 これ以上ないくらいに。


「加担したァーッ!! 三人の女子たちのイジメにィーッ!!」


 大柄な女子生徒も糸目の少年に並ぶ大声を上げる。ボケにツッコむお笑い芸人よろしく。


「――うん、いい表情かおだ。やっぱ自分の不幸をまぎらわせるには、他人の不幸をあざ笑うのが一番ね。くぅーっ! 他人ひとの不幸はいつ食べてもゲキウマだわっ!」

「サイテェーッ!!」


 小柄な女子生徒も同級生クラスメートのそれに倣う。そんな二人をよそに、ショートカットの少女は勝ち誇った表情でつぶやく。


「――よォーし。今のやり取り、『吉事』としてちゃんと見聞記録ログに保存されてあるわね。それも鮮明に。それじゃ、さっそく記憶銀行メモリーバンクにバックアップして、個人用記憶掲示板メモリーサイト掲載アップしとこおっと。クフフフ、新たなコレクションの誕生よ♪」


 邪悪ともれる表情だった。


「すんなぁっ!! そんなもんっ、コレクションにっ!!」


 小柄な女子生徒はさけぶが、ショートカットの少女の耳には入らなかった。その耳の裏にあるエスパーダに触れて、いま自分が言った作業を実行している最中なので。むろん、それらの作業は自分の脳内なので、傍からだと突っ立っているようにしか見えないが。

 一通り脳内作業の終えたショートカットの少女は、表情を恍惚うっとりとさせてさらに言う。


「――エスパーダってホンット便利ね。特に、記憶の忘却や劣化の心配がないのは。もうこれ無しの生活は絶対に考えられないわ。これからも、アタシの見聞記録ログにどんどん保存して、ガンガン脳内再生おもいだして笑いまくってやるわ。アンタの『吉事』をね」

「ヒッどォーいっ! なんて女子かしらっ! 他人の不幸をコント感覚で楽しむなんてっ!」


 嘲笑と哄笑をまじえたショートカットの少女の宣告に、小柄な女子生徒はふくれっ面で憤慨する。さきほどまで抱いていたあわい期待は、皿よりもきれいに裏切られたのだから、それは一入ひとしおであった。


「……思い出した。あの女子観静みしずリンだわ。工兵科一年の……」


 その隣で、大柄な女子生徒がげんなりとした口調で言う。


「えっ!? 観静リンって、あの――」


 それを聞いた小柄な女子生徒は、観静リンという後輩の女子生徒に関するうわさを思い出す。

 他人が不幸な目に遭っている場面の収集を趣味としている、新入生きっての問題児である事を。

 それは大柄な女子生徒も耳にしていたが、実際にその場面を目撃したのは、小柄な女子生徒も含めて、これが初めてであった。


「――どうやらうわさは本当だったみたいね。他人の不幸は蜜の味っていうけど、あの女子はそれを体現した人間そのものだわ」


 言いながら、大柄な少女は、イジメの現場を、あらためて眺めやる。

 正確には、ショートカットの少女を。


「……な、なによ、アンタ……」


 横からいきなり割って入って来た闖入者に、ボブカットの少女が、動揺のおさまらぬ口調でようやく問いかける。


「――ささ。どうぞ続けて。アタシなんか気にせず。アタシはただこいつの『吉事』を見聞記録ログに記録したいだけだから。ほら、さっさとこいつをイジメなさいよ。別に止めやしないから」


 だが、リンはその問いには取り合わず、むしろイジメを扇動する。


『……………………』


 三人の女子生徒たちは苦虫をかみつぶしたような表情で沈黙する。


「……い、行こう、みんな……」


 リーダー格らしきウェービーロングの少女が、他の同級生クラスメートたちとともにこの場から離れ始めたのは、しばらく経ってからであった。


「――あれ? 続けないの? ねェ、どうしてやめちゃうのよ」


 次々と歩き去って行く三人のイジメっ子たちを、リンは次々と見送りながら問いかけるが、無論、答えた者は一人もいなかった。


「――せっかくエスパーダの記憶容量を空けたのに、ムダになっちゃったじゃない。もう」


 残されたショートカットの少女は文句のひとつを垂れると、樹木に背中を預けている糸目の少年を肩越しにかえりみる。

 そこにいるのは、観静リンと小野寺勇吾ユウゴの二人だけとなった。


「……これってイジメから助けたことになるのかな?」


 一部始終を傍観していた小柄な少女が、視線を固定させたまま、同級生クラスメートにたずねる。


「……少なくても結果的にはそうなったみたいわね……」


 そう答えた大柄な少女も、同級生クラスメートと同様の状態であった。

 そこへ――  


「――こらァッ!! またユウちゃんをイジメたわねェッ!!」


 甲高い叱咤の声が、別の方角から塊となって飛来した。

 先輩じぶんたちではなく、後輩の二人に向かって。

 勇吾ユウゴは声が聴こえた方角に視線を動かすと、ツーサイドアップの黒髪と紺色の学生服ブレザーをなびかせながら猛然と走って来る一人の女子生徒の姿を視認した。


「……鈴村すずむら、さん……」


 糸目の少年はオドオドとした声と表情で、同じ科の同級生クラスメートの名字を呼ぶ。すると、勇吾ユウゴの前に立ち止まったツーサイドアップの少女は、実年齢よりもやや幼い童顔に、ムッとした表情をかぶせて、糸目の少年をにらみつける。


「――ユウちゃんっ! アタシのことはアイちゃんって呼んでって何度も言ってるでしょっ! アタシたち幼馴染なんだから、他人行儀はやめてっ!」

「……ご、ゴメン……」


 勇吾ユウゴは声と全身を震わせてあやまる。

 そのおびえようは、三人の女子生徒たちにイジメられていた時よりも上であった。


「――おっ。今度は鈴村すずむらアイ小野寺おのでらをイジメるのか」


 そんな二人の間にリンが割り込む。


「――いいわ。もっとやって。アンタならあの三人以上のイジメっぷりが期待できるから」


 それも、嬉々とした表情と口調で。


「なに言ってるのよっ! それはアンタでしょうがっ! アタシはユウちゃんを守りに来たのよっ! あの三人やアンタのイジメからっ! そんなヤツらといっしょにしないでっ!」


 鈴村アイというツーサイドアップの少女は、勇吾ユウゴに対した時以上の剣幕でリンにせまる。


「そっちこそ何言ってるのよ。それを言うなら、アンタだって、この前まで小野寺を――」


 リンは抗議の声を上げて応戦するが、最後まで言い終えぬうちに相手にさえぎられる。


「――とにかく、これ以上ユウちゃんをイジメるなら、このアタシが絶対に許さないわっ! 日本民族の総氏神、『天照大神あまてらすおおみかみ』につかえる大神十二巫女みこ衆の筆頭巫女であるこのアタシがっ!」

「……大神十二巫女衆って、どこから引っ張り出して来た中二設定なのよ……」


 リンはあきれた口調で感想を述べる。おそらく当人の脳内からひねり出した妄想だろうが。


「――それに、ユウちゃんは本当はとても強いんだからっ! 天照大神あまてらすおおみかみの弟神、『須佐之男命スサノオノミコト』を守護する須佐すさ十二闘将の一人に選ばれるほどの。そんなことしていたら、いつか必ず仕返しされるわよ。そうなっても、アタシは知らないからねっ!」


 しかも、一度スイッチが入るとブレーキが利かなくなるタイプらしい。とはいえ、これ以上延々とツーサイドアップの少女の脳内中二設定を聞かされたくはないので、リンはブレーキとなる疑問を相手に投げつける。


「――ならどうしてたった今からでも仕返ししないの? 須佐すさ十二闘将とやらの一人に選ばれるほどの強者なんでしょ、その男子。最初からそれを示しておけば、女子にイジメられる上に、その女子に守られるなんていう、男子にとって屈辱の極致な思いを味わう事もなかったのに」


 リンの指摘は鋭かった。アイはとっさの反論もできず、視線をそらして黙り込む。だが、それも長くなかった。さきほどまでとは別人のような暗い表情と重々しい口調でふたたび口を開く。


「……ユウちゃんがこんな男子になってしまったのは、この『超常特区』で起きている一連の連続記憶操作事件に巻き込まれたからなの……」

「……連続記憶操作事件……」

「――ええ。ユウちゃんはその事件の時にされた記憶操作で、これまで自分が積み上げて来た数々の武勇伝の記憶を消去されてしまったのよ。その影響で、強くて勇ましかったユウちゃんの性格はすっかり真逆になってしまって、今では見る影もないわ。この通り……」


 アイ勇吾ユウゴを一瞥すると、話を続ける。


「――しかも、記憶操作されたのはそれだけじゃなかったわ。幼い頃から築き上げて来たアタシとユウちゃんの想い出も書き換えられていたの。その事実を警察病院で知った時、突然死するほどのショックを受けたわ」

「……鈴村、さん。あの、僕はその……」


 これまで沈黙していた勇吾ユウゴが、ツーサイドアップの少女に声をかける。

 だが、それは藪蛇やぶへびでしかなかった。アイは悲痛な表情で幼馴染を見つめる。


「……うう、かわいそうなユウちゃん。自分やアタシのことをなにひとつ覚えてない上に、間違って覚えてるなんて。でも安心して。ユウちゃんの記憶はこのアタシが絶対に元に戻して見せるわ。それまではユウちゃんを守ってあげる。大神十二巫女衆の筆頭巫女であるこのアタシの名にかけて」

「……まだ引っ張る気なの、その中二設定。超能力は科学的に認知されていても、霊能力までは科学的に認知されてないのよ、現在いまの『二周目時代』の世界じゃ。いいかげんにしないと、中二病患者扱いにされたあげく、アンタまでもイジメの対象になるわよ……」


 リンが再びあきれた表情と口調をつくって注意する。どうせ聞き入れないだろうが、それでも注意せずにはいられないのである。


「……観静さん。チュウニ病ってなんですか?」


 勇吾ユウゴがショートカットの少女にたずねる。


「――一周目時代の平成日本以降に蔓延していたと伝えられている思春期特有の精神疾患よ。この人はそれをこじらせているの。しかも和風のね」


 リンが表情と口調を変えずに答えると、今度はアイに質問する。


「――それで、どうやって小野寺の記憶を元に戻すの? アタシが警察や病院で聞いた話じゃ、小野寺以外に連続記憶操作事件に巻き込まれた被害者の記憶は、いまだ戻らないそうだけど」

「あんなところでユウちゃんの記憶が戻るわけないでしょう」


 アイはきっぱりと断言する。


「――これは既存の科学や常識では絶対に解決できない事態なのよ。だからそれにとらわれない、柔軟な発想でその方法を色々と試さないと」

「――例えば?」

「――八つ首の邪蛇、八岐大蛇ヤマタノオロチたおした際に入手ゲットしたと伝えられる霊剣『天叢雲剣あまのむらくものつるぎ』をかざしたり。邪馬台国の女王、卑弥呼ひみこが愛用していたと云われる霊鏡『青龍三年せいりゆうさんねん銘方格規矩四神鏡めいほうかくきくししんきょう』に映したり。伝説の陰陽師、安倍晴明あべのせいめいが記したとされる七十二種の霊符『太上神仙鎮宅霊符たじょうしんせんちんたくれいふ』を貼ったりと、どれも霊力の高い霊的道具アイテムを駆使してユウちゃんに施したわ」

「…………で、どうなったの? 小野寺の記憶は…………」

「……どれも効果はなかったわ。おかしいわねェ。天照大神あまてらすおおみかみに仕える巫女であるこのアタシのハンパない霊力と合わされば、ユウちゃんの記憶を元に戻すことなんて造作もないはずなのに……」

(…………こいつ、ガチだわ…………)


 リンは心の中で断言する。その間にも、アイの独白は続いている。


「――きっとユウちゃんは人為的に得体の知れない強力な妖怪の妖力に当てられてこうなってしまったのね。いえ、もしかしたら性質タチの悪い悪霊や邪霊に憑りつかれたのかも。でなければ、記憶操作されたりなんかしないわ。ああ、なんてかわいそうなユウちゃん……」

「…………かわいそうなのはアンタの頭脳脳みそだよ、鈴村…………」


 というセリフを吐き出したい衝動を、リンは懸命にこらえ、胸中でつぶやくに留めた。


「……うう、どうしてユウちゃんの記憶が戻らないの。幼い頃から一緒に過ごしてきたアタシとの想い出きおくが。ありとあらゆる手段を尽くしているのに、思い出す気配すらないなんて……」


 今にも泣き崩れそうになるアイに、勇吾ユウゴが恐る恐るといった態と口調で語りかける。


「……そ、それはですね、最初から記憶操作されてなんかいないからです、僕は。僕は鈴村さんの言うような人間ではありませんし、そんなきれいな想い出でもありません。本当は……」


 そこまで言って不意に口を閉ざすと、今度はアイが言い始める。


「――それはそうよ。記憶操作された時の記憶も記憶操作で消されたんだから、その自覚がなくて当然だわ」

「……………………」

「――でも安心して。ユウちゃんの記憶はアタシが必ず元に戻して見せるわ。大神十二巫女衆の筆頭巫女であるこのアタシが。だからそれまで我慢して。そのためなら、アタシ、なんだってするから。ホラ、そんな暗い表情かおしないで。あなたはあの須佐十二闘将の一人なんだから」


 アイ勇吾ユウゴの手を取ってまくし立てる。

 大切な幼馴染だと信じて疑わない眼差しと勢いで。

 糸目の少年を見つめるその瞳には、そんな熱い想いが、強烈な光となってこもっていた。

 本人に誓ったセリフにも。


「……懲りない人だねェ。どうあがいてもムダな努力なのに……」


 リンが肩をすくめてつぶやくが、アイの耳には入らなかった。


「――ま、どっちにしても、強くなっていることに越したことはないわね。陸上防衛高等学校に入学した以上、それは必須なんだから。弱っちいままじゃ、卒業もままならないわよ」


 リン勇吾ユウゴに忠告する。


「――うん。そうよね。記憶はすぐに戻らなくも、強さならすぐに戻せるわ。それだけの資質があるのは、誰よりもアタシが知ってるし」


 アイリンの言うことに同調する。


「――それに、ユウちゃんは百人以上の門下生を抱える小野寺流総合武術道場の跡取り息子だもの。将来軍人として活躍して、ハクをつけて後を継いでくれないと困るって、小野寺家の当主であるユウちゃんの母さんが言ってたし、アタシだってそう思うわ」

「――そうなんだ。それじゃ、女子にイジメられたり守られたりしていては、なおのこと情けないわね。道場の跡取り息子以前に、男として。その気持ち、よくわかるわ」


 リンアイの意見にしきりにうなずく。


「――さァ、ユウちゃん。鍛錬室トレーニングルームに行って実戦訓練しましょう。その間に、アタシはユウちゃんの記憶を元に戻す方法を探すから。相手はいつもの先生にするのよ、いいわね」

「……………………」

「――どうしたの、小野寺。行かないの?」


 リンが怪訝そうな表情と口調でたずねる。すると、勇吾ユウゴは、かなりためらった末に、


「……ヤダ。行きたくない……」


 と、首を振ってことわる。


「どォーしてよっ?!」


 思いも寄らぬ返答に、リンは思わず素っ頓狂な声で問い返す。


「……だって、実戦訓練は痛いし恐いし辛いし苦しいし、ちっとも楽しくないんだもん。第一、僕、闘いは嫌いだし……」


 小声で答えた勇吾ユウゴの口調は、すねた幼児のそれであった。とても将来道場の師範となって門下生を指導する男子のセリフではなかった。予想の斜め上を行く理由に、リンは荒々しい口調で再度たずねる。


「だったらなんでこの学校に入ったのよっ!? 卒業後は防衛大学に進学ないし軍務の従事が推奨されている教育機関なのにっ!」

「入りたくて入ったわけじゃないんだもんっ!! 僕はっ!!」


 勇吾ユウゴの声が慟哭どうこくとなって校舎裏にひびきわたる。放課後の喧騒を圧するほどに。女子たちにイジメられた時でさえここまで上げなかった糸目の少年の叫びを、はじめて聞いたリンは、その迫力に、これも自分の意思に関係なくのけ反り、息をのむ。


「……母さんがどうしても入れって言うんだもん。僕は軍人にも道場の師範にもなりたくないのに、無理矢理決めされられたんだ。僕の進路と将来を。そんなものより、僕にはなりたいものがあるっていうのに……」


 勇吾ユウゴは今にも泣き出しそうな表情と口調で自分の本心を吐き出す。


「……それじゃ、なんなのよ。アンタが軍人や道場の師範よりもなりたいものって……」


 リンが三度勇吾ユウゴに尋ねたのは、だいぶ時間が経ってからであった。そして、その質問に対する返答は、二度目の時よりもさらに予想の斜め上を行くものであった。


「もちろん、専業主夫だよ」

『……………………………………………………………………………………………』


 校舎裏の一角に表現しがたい沈黙が下りた。

 校舎からあふれ出る放課後の喧騒が遠くに聴こえる。

 少なくてもリンの耳にはそう聴こえた。


「……なんで専業主夫なのよ。よりによって……」


 リンの四度目の質問も、かなりの時間が経過してからであった。


「だって楽しいんだもん。闘いとちがって」


 自慢げに答えた勇吾ユウゴの表情は心底うれしそうであった。ただでさえ極細の糸目がさらに細まる。


「僕の父さんだってそうだし、僕も将来家庭を持つなら、父さんのようになりたいと思ってるんだ。僕にとって、専業主夫は天職なんだ。父さんの家事を手伝って、それがよくわかった。観静さんならわかるでしょ」

『わかってたまるかァーッ!!』


 リンは絶叫に等しい声を張り上げる。

 これまで二人の問答を黙って聞いていたアイのそれとハモらせて。


ユウちゃんの天職がそんなもののわけがないでしょ! 本当はとても強いのに、情けないこと言わないでっ!」

「そりゃイジメたくもなるわよっ! そんな動機と志望じゃ! 現にアタシも本気でアンタをイジメたい衝動が心の底からわき起こってるんだからっ!」 

「第一、専業主夫は、大体が消極的な理由でなる職業であって、将来の夢として積極的に目指す職業じゃないわ。オンナのアタシが言うのもなんだけど、いくら男卑女尊になりつつある世の中だからって、自らそれに手を貸すような真似をしてどうするのよっ!」

「悪いことは言わないわっ! そんな将来、粗大ゴミとしてゴミ処理場に投げ捨てなさいっ! それがアンタ自身のためよっ!」


 アイリンは交互に批判や説得をするが、


「ヤダッ! 僕は専業主夫になるんだっ! 誰が何て言おうが、絶対になってやるっ!」


 勇吾ユウゴはかたくなに拒絶する。イジメっ子の女子たちや、いまここにいる二人の女子になすがままだった時とはまるで別人であった。


「……なんでこんな時にかぎって意志の強さを発揮するのよ。それなら、あの女子たちのイジメに対して発揮した方がよほど有益で効果的でしょうに。意志の強さのムダづかいね……」


 リンがため息まじりに感想を述べると、勇吾ユウゴの幼馴染であるアイにたずねる。


「……これも記憶操作された影響なの?」

「……いいえ。アタシがユウちゃんと初めて出会った時からずっとそう言い続けているわ……」


 アイは首を振って答える。リンはふたたび尋ねる。


「……小野寺の両親はこの事についてなにか言わなかったの?」

「なにか言うどころか猛反対だったわ。特に、ユウちゃんの母さんは」

「……でしょうね。けど、それで引き下がる小野寺じゃないのは、あのかたくなな態度から見て明らか。さぞ盛大な母子口論おやこケンカに発展したのは、想像にかたくないわ」

「……ええ。それは高等学校への進学直前まで続いたわ。でも、そこで仲裁に入ったユウちゃんの父さんが提案したある条件を満たせば、母さんも息子が専業主夫になる事を許したそうよ」

「――条件って?」

「――陸上防衛高等学校を首席で卒業すること」

「………………………」


 リンが口を閉ざしたまま沈黙しているのは、その条件の意味をよく吟味しているからであった。そしてそれがわかった後、リンは諦観の眼差しを専業主夫志望の糸目の少年にむける。


「……それって事実上の職業軍人コースじゃない。それもエリート中のエリートの。そんな優秀な人材を周囲や軍上層部が放っておくわけないじゃない。専業主夫なんてもってのほかよ」

「そうなのよォ。その事実に気づいた時には、もうこの学校に入学した後だったわ。だから今でもそのジレンマに苦しんでるわ」

「……闘うのはイヤだけど、そうしないと首席での卒業は望めない。でも首席で卒業したら、専業主夫にはなれない。それでも専業主夫になるには、首席で卒業しなくてはならない。けどそのためにはイヤな闘いをしなければならない。でもそうしないと――って、……やっぱり詰んでるわね。これ……」

「ええ。だから、本人には言わないでね。もしその事に気づいたら、絶望してグレるかもしれないから……」


 アイは小声で言って視線を転じると、口を閉ざしたまま立ち尽くしている幼馴染の姿を見やる。一度はことわった鍛錬室トレーニングルームでの実戦訓練だが、幼馴染が言っていた例のジレンマで苦しんでいるのか、頭を抱えて悩んでいるご様子である。


「……提案した父親も、結局、息子を軍人の道に進ませるつもりだったのね……」


 リン勇吾ユウゴを眺めながらそのように結論づける。アイは否定しなかった。


「……そういうことになるわね。ユウちゃんは厳格な母よりも温厚な父の方を慕っているみたいだから。もし父親の真意を知ったら、これもグレるかもしれないわ……」

「……気を使うわねェ……」


 リンはげんなりとした口調でぼやく。


「くれぐれも気をつけてね」


 アイが念を押すと、まだ悩んでいる勇吾ユウゴに対して口を開く。


「――いいわ、ユウちゃん。実戦訓練はしなくても。それはユウちゃんの記憶を元に戻してからにしましょう。よく考えたら、記憶操作された状態で鍛えても、そんなに強くはなれないでしょうから。だからアタシにつき合いなさい。アンタの記憶を元に戻すのを」

「……う、うん。わかった……」


 勇吾ユウゴは戸惑いながらもうなずいた。

 意味ありげにリンを一瞥してから。


「――それじゃ、さっそく――」


 それに気づいた様子のないアイは、希望に燃え上がった口調と表情で口を動かし始めるが、


「――で、どうやって小野寺の記憶を元に戻すの?」


 リンに問いかけると、その表情のまま動作停止フリーズする。


 身体行動だけでなく、精神活動の意味でも。


「……………………」


 冷や水をかけられたように硬直する。


「……………………」


 予想に違わぬ反応リアクションに、リンは肩をすくめながらも構わず続ける。


「――方法はあらかた試しつくしたんでしょ。さっき言ったことも含めて。にも関わらず、この有様ザマじゃん。言っとくけど、非科学的な霊能力と熱意だけじゃ小野寺の記憶は戻らないわよ」

「……そ、それはそうだけど……」


 アイは苦々しい表情を作って黙りこむ。それを見て、リンはやれやれと言いたげに肩をすくめる。


「……ほ、方法ならまだあるわ」


 苦しまぎれとしか喩えようのない口調でアイが声を絞りだしたのは、しばらく経ってからである。


「――例えば?」


 リンに意地悪く促されても、アイの口調に変化はなかった。


「……く、口寄せよ。口寄せ。記憶を元に戻すことができる神霊をアタシに憑依させて、ユウちゃんの除霊を代行させれば、あるいは戻る……」


「……と、本気で思ってるの?」


「……無理だわ。いくら大神十二巫女衆の筆頭巫女であるアタシでも、神クラスの降霊にはアタシの霊力と肉体が持たないわ。第一、成功したためしがないし……」


「でしょうね。さっきも言ったけど、超能力は実在していても、霊能力までは実在していないのが、『二周目時代』におけるこの世界の認識なんだから。大事なことだから繰り返し言わせてもらうわよ」

「……………………」


 アイは苦々しい表情を作って黙りこむ。それを見て、リンはやれやれと言いたげに肩をすくめる。

 一度目と同じく。


「――はァ。不甲斐ない筆頭巫女ねェ。それでも天照大神あまてらすおおみかみに仕える巫女の一員なのォ?」

「……うるさい。ユウちゃんをいじめていたアンタにだけは言われたくないわね。それも、地獄の閻神えんしん邪鬼神王ジャキシンノウの娘である悪邪鬼女アクジャキジョなんかには……」


 無責任な感想を述べるリンに、アイは中二病的な毒舌で報いるが、精彩はいちじるしく欠いていた。ついさっきまで小野寺勇吾ユウゴを触媒に意気投合していた二人の雰囲気ムードは、これをもって険悪なそれにとって変わる。リンはそれを押しのけて言う。


「――ねェ、もうあきらめたら? ここまでやっても戻らないんじゃ、どうしようもないじゃない。最初ハナからそれで戻るとはまったく思ってないけど」

「……………………」

「――悪いことは言わないわ。ここは失った記憶なんかこだわらず、最初いちから友達の関係をやり直した方が双方のた――」

「――そうだわっ!」


 突然、アイが声を上げる。リンの説得を無意識に中断させて。


「――まだあそこが残っていたわっ! なんで今まで気づかなかったのかしらっ!」

「……な、なによ、あそこって? もしかして警察署――」

「ちがうわよっ! 『記憶銀行メモリーバンク』よ、記憶銀行メモリーバンク


 アイが念を押すように訂正する。


「――あそこならきっとユウちゃんの記憶があるはずだわ。だってあそこはこの世に生を受けた者たちの思念や霊体が集合する霊地だもの。それは記憶だって例外じゃないはずよ。そこでこの悪邪鬼女アクジャキジョ生贄イケニエユウちゃんの記憶降霊の儀式を執り行えば――」

「オイコラ。勝手にアタシを生贄イケニエササげるな」


 リンが眉間に眉をよせて文句をいう。


「――それに、記憶銀行メモリーバンクは、エスパーダの利用客が自分の記憶を預けるインフラ施設なのが実際のところでしょうが。要はその施設に小野寺の記憶があるかどうか調べたいんでしょ。勝手に設定を変更しないで」

「――よしっ! それじゃ、さっそく向かわくちゃ。さァ、行くわよ、ユウちゃんっ!」

「……聞けよ、アタシの話を……」


 リンのセリフや存在を無視して、アイは歩き出す。


「――ホラ、なにぼっとしてるのよ。アタシについて来て、ユウちゃん」

「……うん……」


 先を行こうとするアイにうながされて、勇吾ユウゴは乗り気でない足取りでその後に続く。

 観静リンも。


「――ちょっと。悪邪鬼女アクジャキジョは別について来なくていいわよ。あっち行って。しっシッ」


 アイは野良犬でも追い払うかのようにリンに対して手を振る。


「――生贄イケニエは要らないの?」

「あれは言葉のアヤよ。ヤぁねェ、真に受けちゃって。アンタこそ中二病じゃないのォ?」

「~~~~~~~~っ!!」

「――いいから、アンタは来ないでちょうだい。いいわね」

「~~ヤダわ」


 リンの拒絶に、アイは目をむく。


「なんでよっ!?」

「アタシにとってぜひ観ておきたい場面シーンがこの先にあるからよ。アンタが行く記憶銀行メモリーバンクで」

「なによ、観ておきたい場面シーンって?」


 アイがいぶかしげな表情と口調でうながすと、観静リンは邪悪な笑みを浮かべて答える。


「そりゃもちろん、アンタがそこで絶望する場面シーンよ。さっき収録したような『吉事』を、アタシの見聞記録ログに収めたいからね。期待してるわよ。他人の不幸はいつ食べてもゲキウマだから」

「なに言ってるのよっ! あるに決まってるでしょ! 不吉なこと言わないでっ!」


 アイは両肩をそびやかして憤激するが、リンに堪えた様子はカケラもなかった。


「~~勝手になさいっ! どうせアンタが期待する場面シーンなんて起こりっこないわ。絶対に。アタシは天照大神あまてらすおおみかみの手厚い加護を受けた大神十二巫女衆の筆頭巫女なんだから」


 さけぶようにアイリンに言っておくと、もはや一顧だにせず、一直線に歩き続ける。


「――あら、そう。それじゃ、勝手にさせて貰うわ。筆頭巫女さま」


 不純にまみれた笑みを浮かべて、リンは、先行するアイの後を、同じ歩調と速度スピードで、引き続きついて行く。そして、横に並ぶ形になった勇吾ユウゴを横目で一瞥すると、右耳の裏に装着してある三日月状の小型機器に手を置く。

 それを一瞥した勇吾ユウゴも、やや遅れてそれに倣う。


(――本当に元に戻るのかなァ。操作された記憶――)


 勇吾ユウゴが声帯を使わずにリンに語りかける。

 エスパーダにある機能のひとつ、『精神感応テレパシー通話』である。ゆえに、交信者以外の聴覚機能で聴こえる心配はない。テレハックされてない限り。


(――大丈夫よ。完全じゃなかったとはいえ、一度は元に戻ったじゃない。今度も成功するわ。ただ自動調整だから、それが終わるまでまだ時間がかかるけど――)


 そう応じると、リンは左耳にもある三日月状の小型機器に触れる。


(――それまでは、鈴村さんの行動や言動に合わせなくてはならないんですよね――)


勇吾ユウゴは確認の質問を述べる。


(――ええ、そうよ。……まったく、散々面倒と迷惑をかけて。無知とは幸せね。真相を知ったらどんな反応リアクシヨンするか――)

(――今まで大変な思いをして来ましたからね、観静さん。今回の連続記憶操作事件を始め――)

(――なに言ってるのよ。大変なのはアンタもでしょう。それに、本当に元に戻して――)

「――ユウちゃん」


 突然、アイが幼馴染である糸目の少年に声をかける。肩越しに勇吾ユウゴを顧みて。


「――なっ、なに?」


 驚いて精神感応テレパシー通話を切った勇吾ユウゴは問い返す。


「――記憶が元に戻ったら、あの頃のアタシたちに戻ろうね。幼馴染として付き合っていたあの頃に。幸せだったあの頃に」

「……う、うん。そうね……」


 短く応えた勇吾ユウゴの表情には、どこか罪悪感に似た翳りがうすく差していた。


「……………………」


 そんな糸目の少年の横顔を、リンが複雑そうな表情で見やっている。


「――さァ。一刻もはやくユウちゃんの記憶を元に戻すわよォ」


 その二人の先を歩いているアイの念頭には、その事しかなかった。

 三人の同級生クラスメートは、三様の思いを胸中に込めて、陸上防衛高等学校の校舎裏を後にした。


『……………………』


 ただ、そんな三人の後輩を茫然と見送った二人の女子生徒の胸中は、ほぼ一様の思いで埋め尽くされていたが。




 『超異変』という宇宙規模の自然災害によって、ビックバンから続いていた一周目時代の天体環境は、根本的なまでに激変した。

 『空宙くうちゅう』という造語に言い換えられるほどに。

 一言でいってしまえば、『空気のある青い宇宙』である。

 絶対零度の上に、星とその光が点在する漆黒の空間だったそこは、人間や動物を始めとする炭素生命体が生存可能な気候と自然環境となったのだった。

 地球型惑星の表層や、人工的に構築した環境に限られていた『超異変』以前の宇宙とは比較にならないほどの、炭素生命体の生存可能空間の拡大であった。

 太陽系の恒星は、『空宙』では『陽月ようげつ』、恒星を公転する惑星や惑星を公転する衛星は、『浮遊大陸』や『浮遊島』に、それぞれ相当する。

 『陽月』を周回する『浮遊大陸』や『浮遊島』の地表は、すべて、『陽月』を真上に公転している。

 その際、遠心力で重力も発生しているので、公転する浮遊大陸や浮遊島に、多少の差はあれど、一周目時代の地球のそれと差異はない。自然環境や天候に関してもほぼ同様である。

 『第二日本国』は、陽月ようげつ系第四浮遊大陸の軌道を公転するそこに建国された列島国家なのである。

 その列島国家の南方に点在する、首都に一番近い浮遊諸島――『超常特区』も、複数以上の浮遊島群で構成された、都道府県に相当する行政区画である。

 陸上防衛高等学校は、そのひとつ――『学校区島』と呼ばれる、一周目時代に存在していた東京二十三区の面積に等しい浮遊島に建てられてある。

 上半分だけを見れば、一周目時代でもよく目にした、ごくありふれた島の情景だが、下半分に視線を下げると、中華鍋のような形の、ゴツゴツとした茶系統の色の岩がむき出しになっていて、その島を浮かばしているものは、空気以外なにひとつない。

 接頭語の通り、まさしく、宙に浮かんでいるのだ。

 剣と魔法の異世界ファンタジーの創作物では、よくある光景といっても差し支えなかった。

 山のふもとから伸びている幾本かの河川の水流が、浮遊島の端から、滝のように下方へ流れ落ちるそれも、その際に上がる水しぶきでかかる虹も、そして、浮遊島の上下問わずに漂う様々な形の雲も、そのような想像を補強する要素となっていた。

 だが、本物のファンタジー物ではない証拠に、浮遊島と浮遊島の間に架かっている橋の主材料が、現在の文明レベルに相応しく、鉄筋やコンクリートといった無骨なもので構成されている。

 それでも、一周目時代の人類から見れば、充分に幻想的な情景だが。

 そんな浮遊島を背に、小野寺おのでら勇吾ユウゴ鈴村すずむらアイ観静みしずリンの三人は、その橋の上を走行している。

 勇吾ユウゴは『ホバーボート』、アイリンの二人は『ホバーバイク』という乗り物に分乗して。

 両者ともエスパーダと同様、超心理工学メタ・サイコロジニクスに基づいて作られた乗り物である。

 精神エネルギーを込めると、念動力サイコキネシスのように浮遊する特殊な材質でできているので、走行中の振動は皆無で、速度スピードも乗り手によってはスクーターなみに出せる。

 ただし、動力源は搭乗者の有する精神エネルギー――つまり人力なので、そのあたりは自転車と同じである。消費するエネルギー源と駆動伝達方法が異なるだけで。

 三人が向かっている先には、背後の『学校区島』よりは一回り小さい、もうひとつの浮遊島がある。そこは『市街区島』と呼ばれ、人家や店舗は元より、『A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局』や『テレポート交通管制センター』などのエスパーダ専用のインフラ施設もある。

 無論、三人の目的地である『記憶銀行メモリーバンク』も、その中に建てられてある。


「――ねェ、どうして『テレタク』という神通力を使って瞬間移動しないの? アタシ、一瞬でも早く記憶銀行メモリーバンクと称する霊地に着いて、ユウちゃんの記憶を取り戻したいんだけど」


 ホバーバイクの後部座席に乗っているアイが、運転しているリンに不満げにたずねる。


「……あのねェ。『テレタク』は神通力じゃないし、記憶銀行メモリーバンクは霊地でもないわ。お願いだから中二世界ワールドを展開するのはやめてくれない。ガチで混乱するから」

「……もう、しょうがないわねェ。これだから耐性のない人は困るわ」


 リンの懇願を、しぶしぶともやれやれともつかない態度で受け入れたアイは、その類の言葉ワードを外してたずねなおした。

 『テレタク』とは、テレポート交通管制センターが運営するテレポートタクシーの略称で、超常特区ではホバーボードやホバーバイクに次いで利用者の多い移動手段である。空間転移テレポートなので、移動時間が全く掛からず、乗り物や運転手といった機器デバイスや人員が不要の上に、それらの乗り物とちがって利用者の精神エネルギーを消費しないのが利点だが、その代わり利用料金の支払いが発生する。資本主義国家の企業ビジネスとして運営している以上、至極当然の対価である。


「……そ、そんな。信じられない。瞬間移動の神通力を行使する代償が、霊力や道具アイテムではなく、ただの金銭おかねだなんて。中二の世界じゃ、通貨の概念なんて存在しないのに……」


 それを聞いて、アイは愕然となる。


「――残念だったわね。慈善活動ボランテァアじゃなくて。悲しいけどこれが現実なの」


 リンが冷然と告げる。しかもテレタクを要請するには、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークを介した精神感応テレパシー通話が不可欠である。そしてA ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークの利用も無料ではない。A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局に利用料金を支払っておかないと、精神感応テレパシー通話を含めた精神感応テレパシー通信もできないのだ。それもあいまって、懐具合の悪い人には、気軽には利用できない交通手段なのである。


「――で、どうするの? アンタがアタシたちの分まで払ってくれるなら別に構わないけど」

「……………………」


 アイはあからさまに躊躇する。彼女もまた、なんのためらいもなくポンと出せる程、懐が暖かくないのである。だが、


「……いいわ。アタシが出してあげる。エスパーダの店頭販売の副業アルバイトで稼いだこのお金で」


 かなりためらった末、そのように了承した。

 懐から取り出した財布から、八枚ほどの紙幣を取り出す。

 鈴村アイの全財産と言っても過言ではなかった。


「――あら、そうなんだ。それじゃ、テレポート交通管制センターへの連絡と支払いは、アタシがやっておくわ。そんな財務状態じゃ、精神感応テレパシー通話さえも厳しいみたいだから」

「ホントッ?! それは助かるわっ! じゃ、お願いね」


 浮遊島間の橋を渡り終え、『市街区島』の大通りの脇道にホバーバイクを停止させたリンに、アイは自分の紙幣を手渡す。その間、後続の勇吾ユウゴも、その後ろにホバーボートを停止させる。

 大通りの左右各所に設置されてある防犯カメラのひとつに、自分たちの姿が映る停止位置でもあった。

 自分たちの現在位置を、テレポート交通管制センターの管制員に視覚的に教える為である。

 普通、空間転移テレポートするには、その前に、空間転移テレポートする先の位置を視覚で確認しなければならない。人間が脚で跳躍ジャンプする前に着地点を確認するように。テレタクの場合、テレポート交通管制センターの管制員が、利用者から精神感応テレパシー通話でその要請を受けると、利用者を空間転移テレポートさせる前に、利用者の現在位置と、利用者が希望する空間転移テレポート先の位置を、無数に点在する防犯カメラを通して、視覚的に確認する必要があるのだ。そして、空間転移テレポートする距離に比例した運賃の算出作業とその先の安全確認を、それも含めて済ませた後、利用者に提示した利用料金の硬貨や紙幣を空間転移テレポートで受け取り、空間転移テレポートに必要な精神エネルギーを利用者に空間転移テレポートして、始めて実行に移せるのである。ゆえに、テレタクを利用するには、防犯カメラの前に姿をさらさなければならないのだ。

 アイから紙幣を受け取った観静リンは、さっそく早速エスパーダに手を当ててテレポート交通管制センターに精神感応テレパシー通話する。精神感応テレパシー通話に限らず、エスパーダを思考操作する時は、それに触れる必要があるが、設定を変更すればフリーハンドでも可能である。だが、それだと誤動作を起こす可能性があるので、通常ではそれが標準デフォルトとなっている。

 その間、アイ手持無沙汰てもちぶさたになり、無意識に周囲を見回す。

 大通りに沿って建ち並ぶ商店や、その手前にある歩道を歩く通行人たちが目に入る。

 すると、大通りの向こう側にあるその中から、一軒のレンガ造りの建物に目がとまる。

 正確には、一階と二階の間に掲げてある横看板に。

 その看板には、ゴシック体の文字フォントでこう書かれてあった。

 『記憶銀行メモリーバンク超常特区支店』と。


「……ちょっと待て、観静」

「――どうしたの、鈴村」

「『どうしたの』じゃないわっ! もうとっくに到着してるじゃないっ! なのにどうしてテレタクを利用する必要があるのよっ!」


 ホバーバイクから降りたアイの指摘に、リンは舌打ちする。


「――ちっ、気づいたか。あと少しだったのに」

「なにがよっ!?」

「アンタから金をせしめるのがよ。ここからそこまでの短距離なら、運賃はほとんどかからないから、ほぼ全額おつりとしてあまる計算になるわ。それをアンタに内緒でアタシのものにするつもりだったんだけど、寸でのところで気づくとは、ホント、惜しかったわ」

「返せェーッ!!」


 アイは叫ぶと同時に、リンの手から自分のお金を取り返す。ひったくるようだったので、危うく紙幣がちぎれそうになったが。


「……まったく、なんてヤツなのかしら。危うくボられるところだったわ……」


 アイは嫌悪を込めた口調でつぶやきながら、取り返した自分の紙幣を自分の財布に押し込むと、地団駄を踏むような足取りで歩き始める。

 むろん、行き先は記憶銀行メモリーバンクである。

 ただ、その間には交通量の多い二車線道路の大通りが横たわっているので、横断歩道のある交差点まで回り道しなくてはならなかったが。


(――あそこに、ユウちゃんの記憶が――)


 アイは青信号になった横断歩道をわたりながら感慨にふける。これであの頃のアタシたちに戻れる。幸せだったあの頃に。そう思うと、歩く速度スピードも否応がなく上がる。

 しかし、


「キャッ!」


 横断歩道をわたり切ったところで、突如足を止めてしまう。

 ガラスが割れるような物音が、二車線道路の歩道に面した建物から響いたからである。

 鈴村アイが向かっている方角――すなわち、記憶銀行メモリーバンクから。

 今の物音は、記憶銀行メモリーバンクの玄関に張られたガラスの自動ドアを蹴破ったものであったのだ。

 自動ドアを蹴破った者が、歩道のど真ん中で慌ただしく左右を見回している。

 黒のジャケットと黒のスラックス、そして黒のニット帽と黒のハンカチで全身と顔をおおった黒ずくめの服装であった。

 それに続いて現れた二人も、同様の身形みなりだった。

 体格から見て三人とも男性――それも自分とは同年代の少年のようだが、明らかに模範的な一般人ではなかった。


「――なっ?! なにあれっ!?」


 アイが立ちすくむ。それは、歩道を歩いていた通行人たちも同様の状態におちいっていた。


「――あの恰好は――まさか――」

「――知ってるのっ!? 観静っ! アイツらをっ!」


 勇吾ユウゴとともに追いついてきたリンに、アイが反射的に問いかける。


「……間違いないわ。アイツら、『黒巾党ブラック・パース』よ」


 二カ月前からこの超常特区で暗躍している犯罪組織の通称を、リンは口にする。彼等こそ、現在進行形で連続記憶操作事件を引き起こし続けている張本人れんちゅうなのである。


「――『黒巾党ブラック・パース』っ?! それじゃ、アイツらがユウちゃんの記憶を――」


 そう言って、アイは周囲を見回し続けている三人の黒ずくめの少年たちをあらためて見つめる。


「……でも、なんで黒巾党ブラック・パースが、記憶銀行メモリーバンク強盗の真似事を――」

「それはもちろん、記憶銀行メモリーバンクに預けられてある利用者の記憶情報を強奪するためでしょう」


 リンの返答を聞いて、アイは焦りの声を上げる。

 

「げっ?! それってマズいじゃないのよっ!」

「……ど、どうしてなのですか、鈴村さん」


 勇吾ユウゴがどもりながらも問いかける。


「わからないのっ! 黒巾党アイツらが盗み出したあの中に、アンタの記憶が入っているかもしれないのよっ! 記憶操作される前のっ!」

「……え、あ、うん、そ、そうだね、たしかに……」


 反応リアクシヨンの鈍い幼馴染に対して、アイは一瞬いらだつが、


「――こうしちゃいられないわっ! 今すぐに黒巾党アイツらを捕まえないとっ!」


 そう叫ぶと、リン勇吾ユウゴをその場に残して駆け出す。

 逃走を開始した三人の黒ずくめの少年たちを追って。


「――こらァッ! 待ちなさァいっ! ユウちゃんの記憶を盗るんじゃないわよっ!」


 アイは走りながら制止の声を放つ。


「アンタこそ待ちなさいっ! 追いついたところで何ができるっていうのっ!」


 リンアイに対して制止の声を放つが、こちらも無視されてしまう。入学してから二カ月も経ってない陸上防衛高等学校の生徒の戦闘力では、返り討ちにあうのがオチである。

 三人の黒ずくめの少年たちも、アイの制止の声を無視して、歩道の通行人たちの間を縫って疾走する。その後をアイが追う。


「――まったく、世話のかかるわね。小野寺、急いで鈴村を――」


 苦々しくつぶやきながら、リンは右後ろにいるはずの糸目の少年に振り向くが、


「……あれ?」


 その姿はどこにもなかった。

 いくら辺りを見回しても。

 ――その頃、鈴村アイは、二車線道路の歩道を左折して、建物と建物の間の路地裏に入っていた。黒ずくめの少年たちがそこへ逃げ込むところを見たからである。けど、


「――いないっ!?」


 そこの十字路で見失ってしまう。


「……くっ、いったいどこへ……」


 その中心に立ち止まったアイは、四方に視線を巡らすが、どの方向にも人影は見当たらない。


「……早く追いかけないと、ユウちゃんの記憶が……」


 アイの顔に焦慮の汗がじわりとにじみ出る。

 その直後であった。

 頭上から一個の人影が降って来たのは。

 その者は青白色に光る刀身をかざしていた。


「――ッ!!」


 アイは背中から青白色の斬撃を受け、顔面から地面にたたき伏せられる。ツーサイドアップの少女の全身に激痛と麻痺が駆けめぐり、声にならない悲鳴を上げる。意識も飛びかけるが、かろうじてそれは失わなかった。しかし、完全に意表を突かれた不意打ちだったので、自分の身になにが起きたのか、瞬時には把握できなかった。だが、それでも、次第にわかり始める。頭上に潜んでいた黒巾党ブラック・パースの一人に斬りつけられた事を。

 意識が回復しつつあるアイの視界に、黒靴を履いた六本の足が垂直に映る。

 三本の青白い刀身も、並んで。

 三人の黒ずくめの少年が、各々の手に握っている『光線剣レイ・ソード』から伸びているものであった。

 『光線剣レイ・ソード』とは、エスパーダやホバーボートなどの乗り物と同じく、超心理工学メタ・サイコロジニクスの理論に基づいて作られた銀筒状の端末武器である。

 三〇センチ程の長さがあるそれに、所有者の精神エネルギーを集中させると、端末孔から青白色の刀身が具現化する仕組みになっているのだ。

 無論、その仕様や用途は剣や刀と同じだが、従来の実体剣や実体刀の大きな相違点は、殺傷能力を調整できる点にある。

 鈴村アイの背中から一滴の血も流れないのも、殺傷力を竹刀しない並に加減してあったからである。

 それでも、まともに受ければ激痛は避けられないし、しかも麻痺様式パラライズモードなので、無力化させるだけの威力は出せるのだ。

 三人の黒ずくめの少年は、うつ伏せに倒れている鈴村アイを見下ろしている。そして、かろうじて顔を上げたアイの視線が、中央に立っている黒ずくめの少年のそれと衝突する。すると、その黒ずくめの少年は、光線剣レイ・ソードを振り上げ、振り下ろそうとする。

 鈴村アイの頭上に。

 アイが思わず顔を伏せた、その直後――


「――ぐがっ!!」


 その黒ずくめの少年はもんどりを打った。

 正面から横飛び蹴りライダーキックの形で飛来した一個の人影によって。

 顔面に足刀を受けたその黒ずくめの少年は、そのまま一回転して吹き飛び、路地裏の片端にある積荷に激突する。そしてその場に倒れ込み、白目をむいて気絶する。飛び蹴りの衝撃で黒のハンカチが取れたその顔面は、へし折られた鼻血によって染まっていた。


「……だ、だれ……?」


 アイは目の前に着地した、黒ずくめの少年を蹴り飛ばした人影を見上げて問いかける。日本国国防軍陸上防衛高等学校の男子用学生服を身につけたその少年は、背後に倒れている鈴村アイを肩越しに見下ろして、顔と視線を合わせる。アイの双瞳に、オールバックの髪型と三白眼に似たツリ目の、端整だが野性的な顔立ちの美少年イケメンが映る。誰だが知らないが、アイを助けてくれたのは確かである。アイの表情から安堵の笑みが零れる。それを見て、オールバックの少年も胸をなでおろす。そして、前方に視線を戻すと、そこに立っている二人の黒ずくめの少年を睨みつける。


「~~てめェら、よくもやりやがったなァッ!!」


 オールバックの少年が上げた咆哮は、肉食獣のそれよりもはるかに大きかった。

 その迫力に、二人の黒ずくめの少年はひるむが、なんとか立ちなおり、光線剣レイ・ソードを振り上げて逆襲する。二本の青白い刀身の切っ先は、だが、相手に届く前に刀身ごと消失する。光線剣レイ・ソードの所有者たちが、オールバックの少年によって撃ち倒されたからであった。

 麻痺様式パラライズモードで放たれた『光線銃レイ・ガン』の二連速射で。

 この拳銃ハンドガンもまた超心理工学メタ・サイコロジニクスの産物のひとつである。

 二人の黒ずくめの少年はその銃撃で意識が飛んだのか、倒れたまま動かない。それを確認したオールバックの少年は、


「――だいじょうぶか、オイッ!」


 必死の形相で鈴村アイに呼びかける。


「……だ、だいじょうぶ。背中が痛いけど、骨は折れてないみたいだから……」


 アイは苦痛で顔をゆがませながらも、自分の足で立ち上がる。

 その様子に、オールバックの少年は再び安堵の笑みを作る。だが、突如その表情が引き締まり、視線を転じる。まるで危険な気配を感じ取った野性の獣のように。それが何なのかを察すると、無言でその場から走り去って行った。


「――まっ――」


 アイが呼び止める間すらなく。

 十字路の路地裏には、両脚で立っているアイと倒れている三人の黒ずくめの少年たちが残された。

 だが、それもつかの間であった。


「――鈴村っ!」


 聞き覚えのある声がアイの耳に侵入した。アイが振り向くと、ショートカットの少女が、二車線道路から差し込む陽光を背景に走り寄って来た。ショートカットの少女――観静リンであった。


「――その様子じゃ、やっぱり返り討ちに遭ったわね。でも、無事で良かったわ」

「――そりゃそうよ。だってあの人が助けてくれたんだから」

「――あの人が助けた? アンタを? だれ、そいつ?」


 気絶状態で横たわっている三人の黒ずくめの少年たちを見やりながら、リンは問い返す。


「――須佐すさ十二闘将最強の戦士、『日本武尊やまとたけるのみこと』よ」

「………………………………………………」

「――なによっ! その白い目はっ!」

「……アンタねェ。いい加減にしなさいよ。現実に中二設定を食い込ませるのは。いつか現実と妄想の区別がつかなくなるわよ」

「仕方ないでしょ! 本当の名前なんて知らないんだもんっ! なら好きに呼んだ方がいいじゃないっ!」

「だからって神話に出てくる偉人の名称を仮称なんかに使うんじゃないわよっ! 自称なら仕方ないけどっ!」

「なに言ってるのっ! アタシにとってはそれに匹敵する人物なのよっ! あの人はっ! バカにするとアンタでも――」

「……あのー……」


 これは観静リンが発した科白ではなかった。二人の少女は声のした方角に視線を動かすと、


「――ユウちゃん」


 糸目の少年――小野寺勇吾ユウゴがそこに立っていた。


「――小野寺。今までどこに行ってたのよ。アタシよりも先に動いたのに」

「……ご、ゴメンなさい。鈴村さんを追ってたら、途中で道に迷っちゃって……」


 勇吾ユウゴがもうしわけなさそうにあやまる。


「……………………」


 リンは無言で勇吾ユウゴを見つめる。いま言った勇吾ユウゴの言葉を額縁通りに受け取ってない様子である。そして、何か言おうと口を開きかけたその時、


「――こらァッ! そこでなにしとるんやぁっ!」


 不審者でも見つけたような怒鳴り声が、十字路の路地裏にひびきわたった。


「――げっ?! この関西弁は、もしや……」


 それを聞いた観静リンの表情が、苦々しいそれに変わる。そして、その表情のまま声のした方角に視線を動かすと、観静リンにとって予想に違わぬ人物が、路地裏の奥に立っていた。

 勇吾ユウゴと同じく、日本国国防軍陸上防衛高等学校の男子用学生服を着用しているが、右腕には紫色の腕章をはめている。これは、現在は警官として活動していることを意味していた。

 日本国国防軍陸上防衛高等学校憲兵MP科一年、龍堂寺りゅうどうじイサオであった。

 勇吾ユウゴとは同学年のはずだが、二十歳ではないかと思えるほど顔がふけている。それに加えて、不機嫌そうに眉間にしわを寄せているので、なおさらそのように感じる。短髪に太い眉をした強面の、こう見えても十六歳の少年である。

 事件発生からそれほど経過してないのに、警察がこれほど迅速に現場へ駆けつけられたのは、ひとえに、テレポート交通管制センターの空間転移テレポート交通システムを活用したからである。すでに現場では、その保存と目撃者や関係者の事情聴取を始めている。


「――これはこれは、龍堂寺警部。偶然ね。こんなところで出会うなんて」


 リンはふてぶてしい表情と態度で短髪の少年警察官に応じる。

 一瞬前まで苦々しい表情を作っていた人物とはとても思えない変貌ぶりである。

 その表情と態度に、イサオは強烈な怒気に駆られ、憤激する。


「――とぼけるんやないっ! 記憶銀行メモリーバンクから通報があったんやっ! 黒巾党ブラック・パースらしき一団に襲われたと。それは観静、お前のことやろっ!」


「――ちょっとォ、言いがかりはよしてくれない。アタシはたまたま犯行現場に居合わせただけで、そしたら、そこの中二女が無謀にも逃走する犯人を追いかけに行ったから、しかたなく止めるために追いかけたのよ」

「――せやならなんで警察に通報しないんやっ!? 事件に遭遇したらそれをするのは市民の義務やろがっ! これじゃ、怪しまれても文句は言えへんでっ!」

「だからってそんな理由でアタシを犯人だと決めつけるなんて、相変わらずね、アンタ……」


 イサオの剣幕に気圧されもせず、リンは悠然と応対する――にしては、どこか苦悩感があるが。


「……ねェ、この二人、もしかして知り合いなのかしら? 仲は悪そうだけど」


 アイ勇吾ユウゴの耳元で囁くように問いかける。


「――観静さんの話では、中学時代からの知り合いだそうです。けど、それ以上の事は……」


 勇吾ユウゴが答えている間にも、両者の口論は続いている。


「――おまいは昔からそうや。他人の不幸をあざ笑っては、その光景を見聞記録ログに収めて掲載アップする悪趣味なヤツやからな。一体どないな幼少時代を送ればそないな性格になるんや」

「そこまで詮索されたくないわね。話しても信じてくれなかったアンタには。小野寺とはおおちがいだわ」

「――どういう意味や、それっ!? なんでここで小野寺の名前が出てくるんやっ!」

「――とにかく、アタシは黒巾党コイツらとはなんの関係もないわ。警察に連行されても、それしか答えしかしないから、この際この場ではっきりと言っておくわ」


 リンは拒絶の意思を示すが、イサオはなおも食い下がる。


「――せやならおまいの見聞記録ログと思考記録ログをワイにテレメールで提出せい。いまから一時間前までのヤツを。黒巾党ブラック・パースとは無関係やと言い張るんなら、別に問題はあらへんやろ」

「いいわ。見せてあげる」


 そう言ってリンは、それらをイサオに送信して見せるべく、右耳の裏に手を置くが、


「――あれっ!? ないわっ! アタシのエスパーダがっ!」


 その事実に激しく狼狽する。どうやらここへ来る途中で落としてしまったようである。


「――あーん。なんて事なの。今から拾いに戻っても、中身はもう消えるちゃってるし……。あーあァ。まだバックアックしてない『吉事』が……」


 リンは弁解まじりの嘆き声を上げる。

 エスパーダは、装着者の肌から離れると、見聞記録ログや思考記録ログなどといった記憶媒体ストレージの記憶情報が消失してしまうのである。

 これは、精神エネルギーを蓄積する技術の小型化が、現在の超心理工学メタ・サイコロジニクスではまだ実現していないことに起因している。

 そのため、エスパーダ内の記憶情報を保持しておくには、常に肌身離さず装着し続けなければならないのだ。

 無論、それはいつ衝撃などで外れて消失するか、常に懸念と不安を抱かなければならないことを意味する。

 そのようなわけで、それらを解消ないし緩和するために建設されたのが、『記憶銀行メモリーバンク』という施設なのである。そして、この施設の利用が有料なのは、言うまでもない。


「――なにうてんねん。エスパーダならおまいの左耳にあるやないか」


 イサオが指差して指摘する。


「……こ、これはエスパーダじゃ……いや、エスパーダだけど、故障してるみたいだから、記憶情報はなにも残ってないわ」


 リンは言いつくろうような口調で慌てて説明する。


「――もしかして、これですか?」


 そこへ、勇吾ユウゴが控えめに、左の掌に乗せた三日月状の小型機器を観静リンに見せる。

 それは観静リンのエスパーダだった。ここへ来るまでにそれを見つけて拾ったようである。


「――ありがと、小野寺。でも記憶情報は残ってないから、今更装着しても復活しないけど」


 リンは礼を言いながら、勇吾ユウゴから受け取った自分のエスパーダを、自分の右耳に装着する。


「――でも、常に装着しておかないと、危険ですからね」


 勇吾ユウゴはそう言ってお礼の言葉に応える。

 エスパーダには、一種のセキュリティ機能も備わっていて、これがないと、テレハックやマインドウイルスなどといった脅威から、装着者の個人情報や精神を守れないのだ。

 ゆえに、これもまた常時エスパーダを装着しなければならない理由のひとつとなっている。

 それでも、装着者のマインドセキュリティレベルによっては完璧とは言えず、第二日本国では、大きな社会問題のひとつに数え上げられているのだ。

 この点、インターネットの普及で情報社会に移行した一周目時代の世界事情と差違はない。


「――で、見聞記録ログと思考記録ログは?」


 イサオに再度催促されて、リンは対応に困惑し、思案する。そして、その末に、


「……ゴメン。消えちゃった。てへ」


 と、かわいい声と表情で答える。だが、


「……ならしゃーないな。おまいら全員しょっぴいたるわ。記憶銀行メモリーバンク強盗の重要参考人として、とりあえずな。警察署しょの取調室でみっちり絞ったるさかい、覚悟するんやな」


 イサオは冷然と告げる。そんなうわべだけのかわいこぶりっこでオちる龍堂寺イサオではなかったようである。


「ええェッ?! そんなァ~ッ!」


 心底困ったような口調で声を上げたのは鈴村アイであった。


「アタシユウちゃんの記憶の無事を確認しなければならないのよっ! 警察にかかずらわっているヒマなんてないのにィ……」

「――それは後回しや。どうせ黒巾党コイツらしたのはおまいらじゃないんやろ。おまいらの実力的に考えて。だれがやったんか、なんか知ってるんなら、詳しく聞かせてもらおうやないか」


 同年代の部下たちが三人の黒ずくめの少年を連行する様子を背景に、イサオは自分と同じ学校に在学している三人の同級生クラスメートに、そのように宣告した。


「……ううっ。巻き込まれちゃったァ。観静のとばっちりで……」


 アイは今にも泣きそうな表情でぼやく。


「……………………」


 これに対して、勇吾ユウゴは、文句や泣き言を垂れることは、ついになかった。

 ――こうして、小野寺勇吾ユウゴ、鈴村アイ、観静リンは、超常特区管轄の警察署へ連行された。

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