第9話 終章

 ――こうして、二カ月以上前から超常特区内で発生していた連続記憶操作事件は、無事解決した。

 この事件を起こした少年犯罪組織カラーギャング黒巾党ブラック・パースは、首領リーダーを含めたその全員が警察に逮捕された。

 事件の主犯格であり、資金提供者スポンサーでもある『無縫むほう真理香マリカ』も、同様に御用となった。

 事件の被害者は少なくても一〇〇人を越えるが、さいわい、事件の関係者の一人である観静リンが自作した記憶復元治療装置のおかげで、被害者の操作された記憶は、全員、無事元に戻った。

 この事件による死者は、奇蹟的にも、被害者、加害者、ともに0人であった。だが、加害者である黒巾党ブラック・パース党員メンバーの一人だけが、瀕死の重傷で警察病院にかつぎ込まれたものの、これも幸い、一命を取りとめた。

 警察の懸命な捜査にも関わらず、進展らしい進展もなければ、解決らしい解決もできずに終わったと思われていた状況下での、急転直下と言うべき解決劇であった。

 その功績は、警察よりも、『ヤマトタケル』という、謎の少年によるところが大きく、警察も重要参考人として、姿を消したその少年の行方を追っている。

 とはいえ、重要参考人なら、解決日当日に保護した三人の陸上防衛高等学校の生徒だけで充分に事足りた。

 だが、その三人の口から語られたその内容は、超常特区だけでなく、第二日本国全体を震撼させるに充分すぎるものであった。

 超心理工学メタ・サイコロジニクスの本当の産みの親が、無縫むほう真理香マリカの母親、無縫むほう美佐江ではないこと。それは、重要参考人の一人である観静リンの母親、飯塚佐代子であること。一連の連続記憶操作事件の首謀者が、超常特区のアイドル、無縫むほう真理香マリカであること。そして、無縫むほう真理香マリカの犯行目的が、現在の天皇に成り代わって即位すること。などなと。衝撃の事実が次々と明るみになったのだ。

 特に、畏れ多くも、現在の天皇を簒奪し、自身が即位する手段が、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークと、記憶操作装置を併用した、記憶改竄による全国民の洗脳というのは、衝撃だけではく、戦慄をもともなった。一歩間まちがえれば全国規模で大混乱パニックに陥るところであったが、観静リンが無償で提供した記憶復元記憶装置の存在を、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークなどのメディアを通して全国に提示したので、それは最小限におさえられた。

 その後、しかるべき機関が調査した結果、観静リンの証言は事実だと判断され、それにより、観静リンは一躍時の人となった。

 小野寺勇吾ユウゴや鈴村アイも、その恩恵をこうむった。


「――まさか他人ひとの不幸をあざ笑っていたあの女子が、超心理工学メタ・サイコロジニクスの本当の産みの親の娘である上に、こんな不幸と重い過去を背負ってたなんて、とても信じられないわ。今でも……」


 小柄な女子生徒が、昼休みの陸上防衛高等学校の校舎裏を歩きながら感想を述べる。

 後輩の観静リンに関する様々な情報が記載されたA ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークの各記憶掲示板メモリーサイトを、ひととおり閲覧し終えてから述べた感想である。

 時の人だけにその情報量は膨大で、自分の脳裏ではとても投影処理しきれないほどであった。


「――人は見かけによらぬものということわざの好例ね」


 その隣を歩く大柄な女子生徒が率直に応じる。


「――事件が解決してから六日経つけど、いまだ熱は冷めやまぬようね。ま、無理もないけど」

「ホントよねェ。A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークは元より、感覚同調フィーリングリンク放送の枠も、それに関連する報道や話題で今でも埋め尽くされているし、まさに観静リン旋風だわ」

「これとくらべると、無縫むほう真理香マリカの失墜ぶりは目を覆わんばかりね。自業自得と言えばそれまでだけど」


「逮捕された翌日には『院』の称号を剥奪されちゃうし、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークではアンチがものすごい数で沸いて来るし、こっちは完全に祭り状態ね」


 小柄な少女が言うと、あることに気づき、それを口にする。


「――でも、無縫真理香マリカの無実説も、一部のメディアでは流れてるみたいよ。本人の記憶を探っても、それらしきものはみつからなかったらっていうのがもっぱらの根拠だけど」

「その説ならもうくつがえされたわよ。自分に記憶操作をかけて、事件に関する記憶を隠滅した事実が発覚したからね。記憶復元治療装置で記憶を元に戻された事で。まったく、ムダなあがきを――」


 そこまで言って大柄な少女が口の動きを止めたのは、ある光景が視界に入ったからである。


「――あれ? あの女子たちは、たしか――」


 小柄の少女も認めたそれは、見覚えのある三人の女子生徒が、こちらに背を向けて、誰かをイジメている光景だった。

 一週間前の放課後で見かけた光景と同じであった。


「――これって――」

「――もしかして……」


 二人は立ち止まって顔を見合わせると、三人の女子生徒たちの奥に視線を行き渡らせる。

 そこには、糸目の少年が、樹木を背に、三人の女子生徒と向かい合っている姿があった。


「――アンタなに生意気にも感覚同調フィーリングリンク放送に出演してんのよ。ヘタレのくせに」

「――そうよ。事件じゃなにひとつ活躍できなかった士族の恥さらしが、よくもまァいけしゃあしゃあと」

「――いったいどういう神経をしているのかしら。人間カメラの前で堂々とあることないことのホラを吹くなんて」

「――それでアタシらがアンタを見直すと思ったら大間違いよ。だれがそんなんでダマされたりするもんですか」

「――ミーハーな平民どもと一緒にしないでちょうだい。観静リン旋風のおこぼれに預かって売名行為をするこの卑怯者が」


 三人の女子生徒は、糸目の少年――小野寺勇吾ユウゴを寄ってたかって口々になじる。

 なにも言い返さずに沈黙しているのをいいことに。


「……やはり……」

「……ねェ……」


 二人は再び互いの顔を見合わせる。例のイジメっ子三人組である。


「――行きましょう。止めに」


 大柄な少女が大股で再び歩き始めるが、


「――待って」


 小柄な少女が呼び止める。


「――アタシたちが止めに行くまでもないみたいよ」


 そう答えた小柄な少女の視線は、ある方向に固定されたままであった。大柄な少女も、それにつられて、小柄な少女のそれに、自分の視線をそろえる。その先には、自分たちとは別方向から、イジメの現場へ向かっているショートカットの少女の姿があった。


「――あら、観静リンじゃない。うわさをすれば、だね」


 大柄な少女が軽いおどろきの声を上げる。


「――彼女ならきっと止めるわ。あの女子たちのイジメを」


 小柄な少女が期待に膨らませたまなざしで眺めながら言う。


「……前回のようなやり方で?」


 大柄な少女は懐疑と不安を調合した口調で尋ねるが、小柄な少女は聞いてなかった。

 一直線にイジメの現場へと向かう観静リンに見とれて。

 そして、三人の女子の背後まで観静リンがやって来たその時――


「――やめなさいっ!」


 叱咤の声が上がった。

 だが、それはリンが上げた声ではなかった。

 勇吾ユウゴと三人の女子生徒たちの間に割って入ったツーサイドアップの女子が上げた声だった。


「――あら、鈴村」


 リンアイの姿を認めて思わず漏らす。


ユウちゃんをイジメるなっ! ユウちゃんをイジメるヤツは例え皇族でも許さないわよっ!」


 平民であるアイは、勇吾ユウゴをかばいながら士族の子女たちに対して啖呵を切る。


「……な、なによ、アンタ……」


 三人のリーダー格であるウェービーロングの少女が、その迫力に押されて思わずひるむ。


「アンタなにこいつをかばってるのよ。アンタだってこの前までこいつをイジメてたじゃない」

「――そうよ。なんで態度を一八〇度替えたのか知らないけど、アタシたちの邪魔をするなら」

「――鈴村もイジメるっていうの?」


 最後のセリフは、三人の少女たちの中から放たれたものではなかった。

 リンが放ったセリフであった。

 背後から聴こえたその声に、身体ごと振り向いた三人の少女たちは、今になってようやく観静リンの存在に気づく。


「……あ、アンタ――いえ、あなたは……」


 ウェービーロングの少女が、困惑と動揺をむき出しにした表情と口調で言い直す。


「――いいよ。別に、イジメても。これもまた『吉事』としてコレクションにするから。ささ、やってやって」

『……………………』


 リンに煽られた三人の少女たちはあからさまにひるむ。それによってイジメづらくなる事は元より、煽ったのが現在いまでは時の人である人物ならなおさらだった。うかつな暴言や暴行はメディアに取り上げられるだけでなく、自分たちの勇吾ユウゴに対するこれまでの行いも世間に知れわたることになる。いくら士族の子女でも、自分たちの行いが、正しくも明るくもないことくらいは、さすがに自覚している。三人の少女たちは、しぶしぶの態でこの場から立ち去っていった。


「――ユウちゃん、大丈夫? ケガはない?」


 それを最後まで見届けずに、アイは身体ごと背後を振り向いて、そこに立っている自分の幼馴染に、気遣いの言葉をかける。


「……う、うん。大丈夫……」


 勇吾ユウゴは戸惑いながらも返事をする。


「――よかった。なんともなくて」


 それを聞いて、アイは心から安堵する。


「――安心して、ユウちゃん。これからはアタシが守ってあげるわ。ユウちゃんをイジメるイジメっ子から」

「……で、でも、僕は……」

「――あらあら。どういう風の吹き回しなの? 鈴村」


 二人のそばにいるリンが、からかうような口調で声をかける。


「――今まであんなに憎んでいた小野寺をかばうなんて。いったいどんな心境の変化で、イジメる側からそれを守る側に回ったの?」

「そんなの決まってるじゃない。あの時ユウちゃんが身をていしてアタシを守ってくれたからよ」


 勇吾ユウゴの幼馴染は当たり前のように答える。アイの言う『あの時』とは、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局の中央端末室で、久島健三ケンゾウに斬られそうになった時のことである。


「……アタシ、嬉しかったわ。とても。やっと、やっと、自分のうちにある勇気を振りしぼれるようになったのね。あきらめずに信じて、ホントよかった……」

「……………………」

「……今までゴメンね、ユウちゃん。それを呼び起こするためとはいえ、七年間もイジメ抜いてて。でも、これからはアタシがユウちゃんを守り抜くわ。全力で。これでこれまでの事が帳消しチャラになるとは思ってないけど……」

「……鈴村、さん……」

「……ユウちゃん。これからはアタシのことを『アイちゃん』って呼んでくれない? 七年前のあの事件に遭うまでの時のように……」

「……………………」

「……ダメ、かな……。……ダメ、よね……。そんな虫のいい話……」

「――ううん。そんな事ないよ」

「――っ!! それじゃ――」

「――これからもよろしくね、アイちゃん」


 勇吾ユウゴは晴れわたった糸目の笑顔で言って手を差しのべる。


「……うん、ユウちゃん……」


 涙まじりにうなずいたアイは、勇吾ユウゴと同じ表情でその手をにぎった。

 身体の芯まで届くような温かさに、それは満ちていた。


「――ほら、アタシの言った通りだったでしょ、小野寺。アンタはヘタレじゃないわ。勇気あるオトコよ。それは鈴村だって認めたじゃない。だから、安心しなさい」


 リンが闊達な口調で言う。だが、それを聞いた勇吾ユウゴは小首をかしげる。


「……えっ!? 言ってましたっけ? そんなこと、観静さん……」

(――あっ、いけない――)


 リンは思わず舌を出しそうになる。


(――小野寺の脳内仮想空間でやり取りした事は、それが終わった後、すぐに記憶操作で消去したんだっけ――)

「――観静。もしかして、だれかに記憶操作されたんじゃないのっ!? それって」


 アイが危機感を募らせた声を上げる。


「急いで記憶復元治療を施さないとっ!」

「そうですね。でもいつどこでそれを――」

ユウちゃんもなに他人ひと事のように言ってるのよっ! ユウちゃんだって記憶操作された可能性もあるのよっ! ホラ、観静っ! 早く記憶復元治療装置で記憶を復元して――」

「……ええ、わかったわ……」


 せっつかれたリンは、エスパーダー状の小型機器を、ブレザーのポケットから取り出すと、自分の左耳に取りつけて作動させる。


「――それにしてもよかったですね。記憶復元治療装置が無事見つかって。僕たちが黒巾党ブラック・パースに捕まってからずっと行方不明になっていましたけど」


 勇吾ユウゴが言っている間にも、記憶復元治療を自身にほどこし終えたリンが、勇吾ユウゴにそれを手渡す。受け取った勇吾ユウゴは、それを自分の左耳に装着すると、すぐに作動させる。


「――どう? 二人とも――」


 アイ勇吾ユウゴリンを交互に見やって心配そうにたずねる。


「――アタシは異常ないわ」


 リンは答える。


「――ユウちゃんは?」

「――僕も大丈夫です。記憶操作はされていないみたいです」

「……そう。よかった……」


 アイは胸に手を当てて安堵する。無縫真理香マリカとは比較にならないほど小さいが。


(――こっちもね――)


 それはリンも同様であった。どちらの意味においても。

 あの時、リンの記憶操作によって消去された、勇吾ユウゴの脳内仮想空間でやり取りした勇吾ユウゴの記憶は、記憶復元治療でも元に戻らなかったのである。記憶復元治療は、身体の五感を通して覚えた記憶を元に、脳内の記憶中枢に再構築して復元する原理だが、脳内仮想空間のような、五感を通さずに覚えた記憶までは復元できないのだ。だが、これはあくまで理論上の話で、まだ実証されてはいなかった。それがたった今、実証されたのである。


(――ユウちゃんの脳内仮想空間でやり取りしたのは正解だったわ。……ぶつちやけ、ユウちゃんに記憶操作をほどこすのは心苦しかったけど、あんな恥ずかしい記憶を小野寺が覚えていると考えると、恥ずかしくてまともに顔も見れないからね。あんなことになるとわかっていても……。鈴村やユウちゃんには悪いけど、ホント、よかったわ――)


 内心で罪悪感に苛まれながらも、リンは安堵の表情を浮かべる。だが、


「――でも、なんであんなことを言ったの? 観静」


 不意にアイに問われて、たちまち狼狽してしまう。


「……あっ、あれはね、きっとだれかと間違えたのよ。以前、似たような場面シチュエーションがあったから」

「……………………」

 あわてて言いつくろうリンを、アイは疑惑のまなざしで見つめるが、


「――おっ。ここに雲隠れしておったんか」


 リンの背後から、聞き覚えのある関西弁の声が聴こえて来たので、そのまなざしは疑惑とともに声の聴こえた方角へ逸れて行った。

 リンはそれに釣られて身体ごと振り向くと、太い眉をした短髪の少年が、声に遅れて歩いて来た。陸上防衛高等学校憲兵MP科一年、龍堂寺イサオであった。


「――なんの用なのよ。取り調べなら、アンタの気が済むまでつき合ってあげたでしょ。これ以上は勘弁してほしいわね」


 リンが不機嫌そうに言うと、龍堂寺イサオは手を振る。


「――いやいや。そないなことやない。お前にあやまりに来たんや」

「……あやまりに?」

「――お前の言うてたことは全部ホンマのことやったんやな。真理香マリカが怪しいって。せなのに、ワイ、全然信じのうて」

(――あ、そうか。そう言えばイサオも記憶復元治療を受けたんだっけ――)


 リンが思い出したかのように内心でつぶやくと、引き続き不機嫌そうに口を開く。


「――本当ホントよね。アンタなら信じられると思って打ち明けたのに、信じるどころか、その真理香マリカにいれこむなんて、アタシに対する当てつけとしか思えなかったわ。小野寺とは大違いね」

「……そ、そないなこと言うたって、しゃーないやろ。記憶操作されておったんやから。それに、ワイに記憶操作したのは、真理香マリカだけやなく、お前もやろ」

「仕方ないでしょ。あの時点で信じてもらえなかった以上、アンタにこの事を記憶したまま放置しておいていたら、アタシの身に危害が及ぶかもしれなかったからね。アンタの口って綿よりも軽いし、実際、真理香マリカがアンタに近づいてきたから、消去しておいて正解だったわ」

「……うう、あんまりや……」


 イサオは泣き出しそうな表情になる。もっとも、観静リンも、先程のように口を滑らせて自爆しかけたので、他人ひとのことは言えないのだが。


「――観静さん。気持ちはわかりますけど、どうか龍堂寺さんを許してあげてくれませんか」


 そんなイサオをかばったのは小野寺勇吾ユウゴであった。


「――あの事件の後、龍堂寺さんと警察は事後処理と並行して、僕たちや被害者の救済に全力を挙げてくれたのですから」


 それも懸命に。


「……小野寺がそこまで言うなら……」


 そこまで言われたリンは、不承不承な表情と口調で、勇吾ユウゴの懇願をうけいれた。


「――おおきにィ~、小野寺ァ~。やっぱ持つべき者は友達ダチやなァ~」


 イサオは感激のあまり勇吾ユウゴにすがりつく。


「……アンタ、いつから小野寺と友達になったのよ」

「――たった今からや。男の友情に時間は関係あらへんのや」

「……ホント、調子がいいんだから。中学の時からちっとも変わってないわ……」


 リンは軽く憤慨するが、許したことに後悔はしてないようである。


「――ま、記憶は変えられても、性格までは変えられないからね。記憶操作は」


 そして、そのように結論づける。


「……記憶操作……」


 それを聞いて、アイは小声でその言葉を反芻する。


「――アタシね。今回の事件を通して、色々と考えた末にわかったことがあるの」


 その前置きに、一同が本人に視線を集中させて傾聴する。


「――記憶ってやっぱり命よりも大切なものだってことが……」


 アイは実感のこもった口調で言う。


「……記憶は自分の過去の情報を記録するだけの脳機能の一つじゃないわ。物心ついてからそれを積み重ねてきたこれまでの自分が、現在いまの自分であることを示すための唯一の証であり、それを共有シェアしてきた人達をつなげる大事な掛け橋なのよ。『想い出』という名の架け橋のね」

『……………………』

「――なのに、それを記憶操作でイジるのは、その人を冒涜する以外の何物でもないわ。ましてや、真理香マリカのように、自分の罪から逃れるために、自分に記憶操作を施して、都合の悪い事を忘れるなんて、もってのほか。記憶操作は、人間ひとが手を出してはいけない禁断パンドラの箱なのよ」

「……鈴村……」

「……けど、手を出してはいけないとわかっていても、手を出したくなるのもたしかよ。事実、アタシも手を出したくなったわ。強制ではなく、自らの意思で。でも、アタシは思いとどまった。なぜなら、記憶は命よりも大切なものだということを思い出したから――いえ、ユウちゃんが思い出させてくれたから。たとえそれがイイ想い出きおくとイヤな想いきおくが合わさった玉石混合であっても、どれも決して忘れたりしてはいけないのよ。同じあやまちを繰り返さないためにも」

「……アイちゃん……」

「――もしかしたら、一度目の記憶操作で、アタシがユウちゃんに対する記憶があんな風になったのも、強くて勇気のあるユウちゃんになって欲しいという、アタシの強い願望がそうさせたのかもしれないわ。記憶操作装置の誤動作なんかじゃなくて……」

「……………………」

「――だからね、ユウちゃん。これからはできるだけいい想い出を作って行こう。記憶操作なんかで創られた想い出じゃなくて」

「うんっ!」


 勇吾ユウゴは元気よくうなずく。だが、


「……でも、できれば観静さんや龍堂寺さんもその中に入れたいんだけど……。いいかな、アイちゃん」

「もちろんっ! 二人さえよければ――」


 快諾したアイはその二人を見やる。


「――そら当然やろ。ワイと小野寺はマブ友達ダチなんやから」

「……まァ、アンタたちがそこまで言うのなら……」


 イサオリンはそれぞれの個性で異口同音に承諾する。


「――ありがとう。アイちゃん」

「――いいのよ、ユウちゃん。友達は多い方が楽しいから」


 アイは満面の笑顔で応える。


「――それじゃ、さっそくアタシたちの想い出を作りましょう。さァ、ユウちゃん。昼休みが終わるまで、アタシと一緒に実戦訓練しましょう」

「…………ヤダ…………」


 幼馴染の拒絶に、アイは目をむく。


「――なに言ってるそばからイヤがってるのよっ!」

「だってイヤなんだもんっ! 闘いなんて、ボク嫌いだし……」

「情けないこと言わないでっ! それでも須佐すさ十二闘将の一人なのっ!」

「それでもイヤなものはイヤなのっ! 痛いし苦しいし辛いし、全然楽しくないもんっ!」

「それも想い出のうちに入るって言ってるでしょ! ユウちゃんはだれよりも強くなれる可能性があるのよっ! あの須佐すさ十二闘将最強の戦士、日本武尊やまとたけるのみこと様よりもっ! だって、ユウちゃんには勇気があるんだからっ!」

「……で、でも……」

「――それに、首席で卒業しないと、専業主夫になる許可が得られないんでしょ! なら、誰よりも人一倍努力しないと。そのためにも、アタシと一緒に実戦訓練よっ!」

「……………………」

(――やれやれ、そんな事しなくても、ユウちゃんはすでにヤマトタケルなみに強いのに――)


 リンは内心でつぶやく。二人の幼馴染が繰り広げている押し問答を、白けた眼差しで眺めながら。


(――メチャクチャになってもいない小野寺の記憶を元に戻そうと奔走する事といい、鈴村ってホント、ムダな努力が好きねェ。まァ、それは専業主夫志望のユウちゃんも同じなんだけど――)


 ため息まじりの感想を、糸目の男友達に対してつけ加えるのも、忘れずに行った。


「――おしっ! ワイも手伝ったるでっ! 観静っ、お前も加われやっ!」


 事情の知らないイサオが、そんなリンをうながす。うながされたリンは、諦観のまなざしと口調で勇吾ユウゴを諭す。


「――あきらめなさい、小野寺。これがアンタの選んだ道よ。そして、イヤなことを強要されて不幸ザマァ~ッ。ギャハハハハハッ!」

「ええェ~ッ……」


 勇吾ユウゴは情けない声を上げる。ヤマトタケルと同一人物とは思えないほどの。

 ――そして、四人の少年少女はにぎやかな雰囲気くうきを漂わせながらその場を去って行った。


「――行っちゃったね」


 四人の後輩を見送った小柄な少女が、大柄な少女に言う。

 その表情は青空のように澄み切っていた。


「……………………」


 それは、無言で見送った大柄な少女も同様であった。


「――今日は暑くなりそうね」


 大柄な少女が言うと、ごく自然な動作で空を見上げる。

 雲一つない初夏の青空が縦横無尽に広がっている。

 記憶操作する余地のない、青一色の空であった。


                               ――完――

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才能と志望が不一致な小野寺勇吾のしょーもない苦難1 -想い出という名の記憶の架け橋- 赤城 努 @akagitsutomu

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