第8話 死闘と想いの果てに

 鈴村アイと観静リンは、黙々と中央端末室で気絶している黒巾党ブラック・パースの拘束作業をつづけている。

 気まずい雰囲気くうきと言えば、気まずい雰囲気くうきである。

 アイは作業中、しきりにエスパーダに触れるが、その都度すぐに放しての繰り返しであった。

 それは、無縫院真理香マリカが装着してくれたエスパーダ状の記憶操作装置である。

 それは観静リンのものであるが、エスパーダそっくりなので、製作者ですら見分けがつかない。ゆえに、作業中のリンがそれに気づく様子はなかった。装着者が記憶操作装置を作動させようかどうか迷っている気配にも。

 とはいえ、内心でどう思おうとも、永遠に黙り続けるわけにいかないのは、両者とも承知している。にも関わらず口を開こうとしないのは、言い出す契機きっかけをつかめずにいるからなのか、なにを言えばいいのかわからないからなのか、それともその双方なのか、いずれにしても、両者とも相手の後姿を意識するだけの、もどかしい雰囲気くうきを、引き続き漂わせていた。

 だが、永遠に続くと思われた気まずい沈黙は、ついに破られた。

 リンの声帯によって。

 拘束作業の手を休めずに、それは紡がれた。


「――鈴村、アンタが小野寺を嫌ったり憎んだりする気持ち、わからないでもないわ。イジメたくなる気持ちも。でも、それは裏を返せば――」

「わかってるわっ!」


 アイリンの言葉をさえぎって言い放つ。

 それを合図に、二人の拘束作業の手が止まる。


「……わかってるわよ。そのくらい……」

「……………………」

「……でなければ、一度目の記憶操作をされるまで、ずっとイジメ抜いたりしないわ」

「……鈴村……」


 リンの表情に安堵に似たそれが浮かぶ。


「――そうだよね。もし七年前のあの出来事で、本気で小野寺のことを見放したのなら、そんな事しないもの。アタシなら、その時点で幼馴染の縁を切って、永遠に無視するわ。最初から存在なんてしていなかったかのように」


 リンは断言する。簡潔に言ってしまえば、鈴村アイの、小野寺勇吾ユウゴに対する気持ちは、『好きな子ほどイジめたがる』を、いささか深刻化したようなものである。


「――イジメる事で、あの時のウサを晴らすと同時に、うながそうとしてたのね。小野寺の成長と勇気を――」


 端から見れば決してほめられたやり方ではないが、効果が望めないわけではない。女にイジメられる事は、男のそれよりもはるかに屈辱的なことである。そうすれば、それをバネに克服しようと一生懸命努力する。そして、いつかはそれで自分の汚名を返上すると思っていたのだが……


「……でも結局、今回も返上しなかった。事が済んだあとにノコノコとアタシの前に現れただけで。そして、それに対する言い訳も、成長の兆しや勇気を振りしぼった様子もなかった。これじゃ、七年前とおなじじゃない……」


 アイは今にも泣き出しそうな声で言う。


「……どうしてなにも言わないのよ。どうしてイジメられてもなにひとつ抵抗しないのよ。アタシにいじめられるのがイヤなら、アタシから逃げればいいじゃない。その機会はいくらでもあったのに、どうして自分からアタシに近づこうとするのよ。陸上防衛高等学校の入学にしたって……」


 そして、胸中にわだかまる疑問が次々とわき上がる。それに対して、リンは、


「――アンタを元気づけるためよ」


 と、静かな口調で答えた。


「……アタシを、元気つける、ため?」

「――そう。アンタのことについては、小野寺から聞いてるわ。一度目の記憶復元治療で、アンタの記憶を元に戻す際ににね。アンタが小野寺をイジメる理由も、その時に知ったわ。そして、それを黙って受け続ける真意も」

「……………………」

「――アンタから離れたら、アンタは一人で苦しむことになる。七年前の事件に巻き込まれた一連の衝撃ショック心的外傷トラウマに。小野寺はそれを少しでも和らげようと、あえてあなたのそばに居続けているのよ。そうすれば、あの時自分を見捨てて逃げた怒りと憎しみで、それらが癒されるか紛れるかと思って。むろん、それでアンタにイジメられるのを覚悟の上で」

「――――っ!」

「――アタシ、疑問に思ったわ。記憶操作のおかげでせっかくアンタからの風当たりが弱くなったのに、アタシに出会うまで、アンタの記憶を元に戻そうと奔走していたのよ。どう考えても双方にとって不幸にしかならないのに、どうしてそんなことをするのか、その理由を小野寺にたずねたら、こう答えたわ」

「……どう答えたの?」

「――想い出きおくは命よりも大切なものだからって」

「――――――――っ!!」

「――例えそれがどんなにつらくて苦しい記憶でも、そこから目を背けたらいけないって。それは、自分が犯した罪を認めない事と同じ意味だって。だから、そこから逃げずにむき合って生きなければならないって」

「……あいつが、そんなことを……」


 アイは驚愕と茫然が入り混じった表情で独語する。リンは真剣な表情を保ったまま続ける。


「――ま、考えと姿勢は立派だけど、だからといって女の子を見捨てて一人で逃げたのは、やはりどう考えてもいただけないわね。それまで仲良くしていた反動で、アンタが小野寺をイジメたくなる気持ちは、アタシにもわかる。だから、あいつを許してあげてとは言わない。けど、せめてわかってあげてはくれないかな」

「……………………」


 アイは口を閉ざしたまま沈黙する。胸中に渦巻く複雑な気持ちがなんなのか、自分でもわからなかった。そして、その中から浮上したのは、あらたな疑問であった。だがそれは、幼馴染に対してのものではなかった。


「――観静は、どうして協力したの?」

「――協力?」

「アタシの記憶を取り戻そうと奔走してた小野寺に対してよ。どんな経緯いきさつでそうなったの?」

「……………………」


 今度はリンが口を閉ざして沈黙する番になった。

 十日ほど前、観静リンが警察署の待合室兼ロビーで小野寺勇吾ユウゴと出会ったのは、まったくの偶然であった。この時点で記憶復元治療装置は完成していて、あとは記憶操作された連続記憶操作事件の被害者の一人にそれを試すだけだったのだが、その選別が最後の難関であった。

 自分の母親の研究成果と名誉を、無縫院真理香マリカの母親に盗まれて以来、それを取り戻すために行動していた観静リンの人間関係は、希薄と言ってよかった。

 母親と離婚した父親とは折り合いが悪く、この事を話しても無関心であった。

 他に頼るべき人もなく、その事に頭がいっぱいだったこともあって、二桁の年齢にすら達してなかった観静リンは、遊び盛りの女友達との交友をむすぶ余裕もなかった。

 それでも、有力な超心理工学メタ・サイコロジニクスの科学者や技術者たちと邂逅し、相談する機会は、あるにはあった。彼らを味方につけて、公の場でいっしょに証言すれば、事態を打開できるかもしれないと思ったからである。だが、この事を話しても、いくつかの証拠を見せても、彼らはせせら笑うだけで、まったく相手にされなかった。子供のたわごととして受け流されたのだった。

 それは、中学の時に知り合った龍堂寺イサオも例外ではなかった。

 説得に失敗した観静リンであったが、このまま相談した相手を放置するわけにはいかなかった。自分がこの件に関して探りを入れている事実を、『犯人とその娘』に察知される危険が生じたからであった。それを防ぐには、母が遺した記憶操作装置で、相談相手から、その記憶を消去するしかなかった。皮肉にも、母が発明し、それによって母の記憶からそれらを消去させられた忌まわしき装置が、このような形で役に立ったのである。

 だが、情報漏洩防止のためとはいえ、記憶操作装置の使用は、母親から研究成果を盗んだ卑劣な『犯人』と同じムジナになることを意味していた。観静リンにとって、それは絶対に耐えられない行為であった。しかし、自分の存在を『犯人』に知られれば、自分の母親と同じ運命をたどるのは目に見えていた。真実を白日の元にさらすまでは、それを受容するわけにはいかなかった。リンは苦渋の決断を強いられたのだった。


(……相手さえこっちの話を信じてくれたら、こんな事する必要はないのに……)


 そのようなわけで、母親の名誉をとりもどすために取った観静リンの行動は、苦行以外の何物でもなかった。だれも当てにできず、ゆえに友達もできず、リンは周囲から孤立したまま、孤独な小・中学の学校生活を送った。

 その間、無縫院家は、栄華をほしいままにし、それは『犯人』である無縫院美佐江が死去しても続いた。後を継いだ娘の無縫院真理香マリカも、芸能事務所プロダクションのアイドルとして、周囲から尊敬と羨望のまなざしを一身に集め、親密で多様な交友関係をきずいた。

 むろん、彼らは無縫院真理香マリカの正体など知らない。

 陸上防衛高等学校に入学した観静リンは、記憶復元治療装置が完成するまで、小・中学と同じ学校生活が、これからも続くだろうと、この時は思っていた。

 だがそれは、同じ高等学校に入学した小野寺勇吾ユウゴと、警察署の待合室兼ロビーで出会ったことで一変した。

 勇吾ユウゴから一通りの事情を、リンは聞くと、記憶操作されたアイに、完成したばかりの自作の記憶復元治療装置をかける考えが浮かぶ。だが、信じて貰えるかどうか怪しかった。大金を払えば記憶を元に戻してやるという内容の、連続記憶操作事件の被害者を対象にした便乗詐欺事件も、少数とはいえ併発していたからである。中には中二病的な方法のものもあった。鈴村アイもそれに引っかかりかけた。これもその一つではないかと疑われるおそれがあった。

 それに、なによりも、記憶復元治療装置の存在を知ったら、訊かずにはいられなくなるであろう。どうして観静リンが記憶復元治療装置を持っているのかを。それを皮切りに、そこまでに至った経緯を、いろいろと訊いてくるのは明白であった。それは、観静リンにとっては好ましくなかった。これまで有力な超心理工学メタ・サイコロジニクスの科学者や龍堂寺イサオに対して語った真相を、そのまま話さなければならないからである。もし信じてくれなかったら、小野寺勇吾ユウゴにも記憶操作をほどこさなくてはならなくなる。それは、観静リンにとってはなによりもの苦痛であった。

 だが、小野寺勇吾ユウゴは、観静リンから記憶を元に戻す方法があることを知らされても、なにひとつその事について触れなかった。

 鈴村アイの記憶が元に戻っても、それに対する感謝の言葉を述べるだけで、その原理すら訊こうともしなかった。ただひたすら鈴村アイの記憶の戻り具合を訊くだけであった。堪りかねたリンは、ついに自分から訊いてしまった。どうして記憶復元治療装置についてなにひとつ訊こうとしないのか。どうして自分のことについてなにひとつ訊こうとしないのか。

 それに対して、小野寺勇吾ユウゴの答えは、「訊いて欲しくなさそうだったから」である。

 むろん、それで納得する観静リンではなかった。勇吾ユウゴにとってとても大切な事のはずなのに、どうして見ず知らずの人間にそれをゆだねられるのか。どうしてそんな簡単に信じられるのか。

 だが、これに対しても、小野寺勇吾ユウゴは、


「――だって、とてもいい名前だから。記憶復元『治療』装置って。そんな名前をつける人が、悪い人だなんてとても思えないよ」


 と、答えたのだ。

 その言葉に、観静リンは、これまでの労苦がむくわれたような気分に満たされた。亡き母が確立した超心理工学メタ・サイコロジニクスの基礎理論を元に、自分が考案・自作した、操作された人間の記憶を元に戻すことができる、このエスパーダ状の小型装置に、どれだけの想いをこめて命名したか。勇吾ユウゴはそれを汲み取ってくれたような気がするのだ。むろん、本人にその自覚は無いだろうが。

 いずれにせよ、リンはそれによって、小野寺勇吾ユウゴを全面的に信頼するようになった。そして、すべての事情を打ち明けると、勇吾ユウゴはこれも全面的に信じ、以後両者は協力して事態の解決に邁進するようになったのだ。


「――ねェ、どうしてなの、観静」


 アイはなおもしつこく聞き出そうとする。


「……手が止まってるわ。続けるわよ」


 だが、リンは答えないまま、黒巾党ブラック・パースの拘束作業を再開し、アイにもそれをうながす。


「ええェ~ッ。そんなこと言わないで答えてよォ」


 アイは不満の声を上げるが、


「――それよりも、アンタ、今度小野寺と対面したら、どういう態度で接するつもりなの?」


 強引に話題を変えて来た観静リンに問われて、アイは「えっ!?」と言って言葉を詰まらせる。


「――これまで通りイジメ続けるの? それとも、あの事件が起きる前までの仲に戻るの?」

「……そ、それは……」


 言いよどむアイに、リンはしばらく経ってからこう締めくくる。


「――ま、ゆっくり考えることね。今回の事件が終わったら――」

「……う、うん……」


 アイはためらいがちにうなずくと、止まりかけていた拘束作業の手を動かし始める。


(……どうしたらいいんだろう、アタシ……)


 だが、その脳裏では、幼馴染である糸目の少年のことで揺れに揺れていた。

 頭がいっぱいとも言える。

 ゆえに気づかなかった。

 アイの背後から、一人の黒ずくめの少年が忍び寄りつつあることを。


「――鈴村っ!」


 リンが気づいた時には、すでに手遅れだった。




「――さぁて、もう逃げ場はねェぜ、無縫院」


 ヤマトタケルは、目の前にいるストレートロングの少女に宣告する。

 A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局の一角にある主力メイン演算室である。

 部屋の中央には、人間のおよそ一〇倍の体積はある直方体の主力メイン演算機が設置されてある。

 それを背に、無縫院真理香マリカが、ヤマトタケルと対峙していた。

 遠距離射撃戦に適した間合いである。


「――あいつを傷つけたあの野郎にもうらみがあるが、元凶もとをたどればてめェも同罪、いや、それ以上の罪業だぜ。よくもあいつをもてあそんでくれたなァ。この事件の被害者たちも同様にいじくりやがって。楽に終われると思うなよ」


 タケルは憎悪と怨念を丹念にすりつぶした声調とまなざしで無縫院真理香マリカをにらみつける。


「――それはわらわのセリフじゃ! よくもわらわの『天皇簒奪計画』を邪魔立てしてくれたな。そちこそ無傷ただですむと思うでないぞ」


 だが、真理香マリカはヤマトタケル以上の声調とまなざしで返す。


「――はんっ! なにが『天皇簒奪計画』だ。笑わせるな。鈴村みてェなネーミングセンスしやがって。てめェのどこにこの国の支配者としてふさわしい資格があるってんだよ」


 それに対して、ヤマトタケルはせせら笑う。


「なにを言うかっ! わらわには超心理工学メタ・サイコロジニクスがあるっ! これによって第二日本国の営みは劇的に良くなったのじゃぞっ! これだけでも、この国の支配者として君臨するには十分な功績じゃろうがっ!」


 真理香マリカはムキになって反論するが、タケルは興ざめの態になる。


「――功績が聞いてあきれる。事情はなしは全部観静から聞いたぜ。それは観静のお袋さんが挙げた功績だろうが。それをてめェのお袋が記憶操作で盗んでてめェに受け継がせただけじゃねェか。なのに、あたかも自分が挙げた功績のように語ってんじゃねェよ」

「~~なんじゃとォ~~」


 真理香マリカはうなり声を上げる。


「――しょせんてめェは中身がカラッポの人間なんだよ。外見ルックスだけは記憶操作による情報操作で派手にかざり立てただけの。巷で上がってるてめェのアイドルとしての評判も、それで彩色したもんなんだろ。そんなヤツは、中身にふさわしく、カラッポの人生を送るこったな。それが分相応ってもんだぜ」


 ヤマトタケルのさらなる毒舌と挑発に、無縫院真理香マリカの怒りは頂点に達した。


「~~殺してやる。殺してやるぞ。わらわを否定する輩は、みな殺しにしてやるゥ~~」

「――やれやれ。さっそく不殺から必殺への方針転換かよ。ブレまくりだな、オイ。そんなんで今後の第二日本国を統治できるとでも思ってんのか。感情にまかせて物事を決定するのは、オンナの悪いクセだぜ」

「だまれっ! このクソガキがっ! いい加減にしねェとマジぶっ殺すぞっ!」


 真理香マリカはさけびを放つ。初対面の頃にあった瑞々みずみずしさと愛くるしさは見事にはげ落ち、ただのヒステリックな狂女に成り下がっていた。支配者にふさわしいキャラを演じるために変えていた尊大な老女口調すら見る影もない。


「――そっか。なら、オレも必死に抵抗しねェとな。でないと殺されてしまう」


 わざとらしく言いながら、ヤマトタケルは右手に持つ光線剣レイ・ソードの端末から青白色の光刀を伸ばして構える。左手には光線銃レイ・ガンが握られている。

 無縫院真理香マリカも、胸元の谷間から、光線剣レイ・ソードらしき二本の銀筒状の端末を取り出す。


「――白兵戦でこのオレに勝てるとでも思ってるのか。もっとも、遠距離戦を仕掛けても結果は同じだと思うけど」


 それを見て、ヤマトタケルはあざけりの調子を込めて忠告する。


「――たしかに、白兵戦では、おぬしや久島に遠く及ばぬ。ギアプを用いても。わらわとおぬしでは身体能力に差があり過ぎるからのう。じゃが――」


 含みのある事を言って、真理香マリカは両手にそれぞれ持つ二本の銀筒状の端末を突き出す。

 端末孔を相手に向けて。


(――銃撃様式シューティングモードで撃つ気か?)


 タケルは推測するが、危機感は抱いていなかった。こちらには光線銃レイ・ガンがある。相手が射出した光弾を、光線剣レイ・ソードで形成した螺旋円楯スパイラルシールドで防ぎ、その隙間から光線銃レイ・ガンを撃てば、それで終わりである。本人が述べた通り、久島健三ケンゾウよりも劣る無縫院真理香マリカの身体能力では、弾道見切りのギアプをエスパーダにインストールしていても、身体が追いつかず、回避しきれないのだから。

 だが、そこまで考えたところで、タケルの脳裏に不吉な警告音が鳴りひびく。真理香マリカの口調がいつものそれに戻ったことに気づいたことで。それは、無縫院真理香マリカが平静さを取り戻したことを意味していた。ゆえに、あの二本の端末には、そうさせるだけの何かがあるに違いないと、考えを改めたのだ。

 ましてや、ヤマトタケルが逃走した無縫院真理香マリカの居場所をつかめたのは、他のだれでもない、真理香マリカ自身がみずからそれを精神感応テレパシー通信で知らせてくれたからである。それも、自信満々の口調で。それらを併せて考えれば、油断など論外であった。

 ヤマトタケルの予感は的中した。二本の端末が、無縫院真理香マリカの手から順々に浮いたのだ。そして、弾かれたように左右に分かれ、空中を疾走する。


「――!?」


 ヤマトタケルは声のないおどろきの声を上げると、同時に、その場からバックステップして離れる。一瞬前までいた空間を、二条の青白い閃光が、別々の方角からそれぞれ貫く。

 その軌跡は十字を描いていた。


「――『飛行型光線射出端末フライヤービット』っ!」


 無縫院真理香マリカが取り出した銀筒状の端末の正体を、ヤマトタケルは即座に看破する。あれは光線剣レイ・ソードではなかったのだ。

 飛行型光線射出端末フライヤービットとは、その名称のとおり、光線を射出する端末を、念動力サイコキネシス精神感応テレパシー通信で遠隔操作リモートコントロール飛行させることで、あらゆる角度から対象を攻撃する、超心理工学メタ・サイコロジニクスで作られた武器の中では最強の部類に属する兵器である。

 精神感応テレパシー通信で遠隔操作リモートコントロールするという点では、精神体分身の術アストラル・アバターと同じだが、戦闘力としては比較にならない性能がある。その様は、『蝶のように舞い、蜂のように差す』という、一周目時代に使われた形容にふさわしい機動と攻撃をするのだ。

 だが、それだけに、使用者に要求される仕様スペックは、精神体分身の術アストラル・アバターよりも高く、且つ多い。

 飛行型光線射出端末フライヤービットを自在に飛行させるだけの念動力サイコキネシスの力。それを精密に制御コントロールするだけの精神感応テレパシー通信能力。そしてそれらを複数同時に操作できる並列処理マルチタスク能力が必須となるのだ。


「――無縫院真理香あいつがそこまでの高仕様ハイスペックなわけがねェ。いくら質のいいギアプを装備しても、ここまでの性能を引き出せねェし、第一、これが使えるなら、なぜ中央端末室で使わなかった? 奇襲を掛けたオレが下っ端と交戦してる最中にそれで攻撃すれば楽勝だったのに」


 タマトタケルは疑問の声を発する。別々の方角から発射して来る二基の飛行型光線射出端末フライヤービットの光線を躱したり防いだりしながら。


「――それはのう、これのおかげじゃ」


 そう言って真理香マリカは背後にある大きな直方体を指し示す。

 それは、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局の脳とも言える主力メイン演算機である。

 それを見て、タケルは瞬時に気づく。

 どうやら無縫院真理香マリカは、飛行型光線射出端末フライヤービットにを運用するのに必要な仕様スペックを、この高性能な主力メイン演算機に背中から密着、一体化することで代用させているのだ。演算機内部の物理駆動には念動力サイコキネシスが、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークの運営に並列処理マルチタスク精神感応テレパシー通信が、それぞれ使わているのだから、流用は容易である。


「――あとは飛行型光線射出端末フライヤービットのギアプをインストールしたエスパーダを装着すれば、立派な飛行型光線射出端末フライヤービットの使い手の完成じゃ。このわらわのようにのう」

「――だから中央端末室では使わなかった、いや、使えなかったんだな。そこにはそんな機能がある機器は設置されてねェから」

「――そうじゃ。だからおぬしをここにおびき寄せたのじゃ」

「……なるほど。つまり、オレはまんまと無縫院てめェの罠にはまっちまったってわけか……」


 相手の攻撃をしのぎながら、タケルは自嘲気味に得心する。自分自身をエサに、ヤマトタケルを主力メイン演算室にさそい込み、そこの機能を利用した飛行型光線射出端末フライヤービットで、迎撃や反撃をするという罠に。無論、真理香マリカが自分で自分の居場所を教えてくれた時点で、その存在は薄々と感じていたが、だからといって踏み込まないわけにはいかなかった。罠があるなら噛みやぶるまでと覚悟して。だが、こんな罠が張られていたとはさすがに想定外であった。

 しかし、それでも、ヤマトタケルは、一瞬にしてこの罠を噛みやぶる方法を思いつく。


「――アレと一体化してるってことは、そこを狙えば――」


 言いながら、ヤマトタケルは、二基の飛行型光線射出端末フライヤービットから繰り出される青白色の十字砲火を、紙一重で掻い潜りざまに撃ち放つ。青白色の閃光を。

 光線銃レイ・ガンの銃口からほとばしったそれは、無縫院真理香マリカに向かって一直線に伸びる。

 主力メイン演算機と一体化している以上、回避は不可能なはずである。いったん離れてしまったら、飛行型光線射出端末フライヤービットの制御を失い、戦闘力が激減する。それは、無縫院真理香マリカとって自殺行為に等しかった。第一、躱せるだけの身体能力や技量も備わっていない。

 だが、タケルが撃ち放った青白色の閃光は、相手にとどくその直前、八方に拡散・消滅する。

 まるで不可視の壁に衝突したかのように。


「――ビーム撹乱かくらん幕かっ!」


 タケルは思わずさけぶ。これを張られては、相手に光学兵器系の攻撃はいっさい受けつけない。しかも、その範囲は主力メイン演算機にも及んでいる。ゆえに、破壊による主力メイン演算機の無力化も不可能である。実体兵器ならそれは可能だが、今のヤマトタケルにその持ち合わせがない。


「――フフフフフ。残念じゃったのう。この程度のことは想定の範囲内よ」


 真理香マリカはドヤ顔とも取れる表情で嘲笑する。


「――ちっ、まいったなァ、これは――」


 タケルの表情と声にあせりの汗がにじみ出る。噛みやぶるにはあまりにも硬い罠だった。


「――じゃが、反撃する余裕があったとは、少し意外であったわ。なら、わらわも少し本気を出すとしようかのう」


 余裕に満ちたつぶやきを漏らすと、無縫院真理香マリカは、ふたつの巨乳の間から、四本の銀筒を取り出し、空中に放出する。


「――げっ!? まさかっ?!」


 新たに追加された飛行型光線射出端末フライヤービットを見て、ヤマトタケルは焦りの声を吐き出す。二基でさえてこずっているのに、六基も一斉に襲い掛かって来られては、ほとんど絶望的である。


「――いけっ!」


 真理香マリカの掛け声のともに放たれた四基の飛行型光線射出端末フライヤービットは、それぞれ緩急のついた、不規則な直曲線を描きながら相手にむかって接近し、正面から青白色の閃光を斉射する。タケルはバックステップして回避するが、今度は左右に分かれている二基の飛行型光線射出端末フライヤービットに挟み撃ちにされる。タケルは十手様式モード光線銃レイ・ガン光線剣レイ・ソードの光刀でかろうじて受け流す。


「……くそっ、このままじゃジリ貧だぜェ……」


 タケルは焦慮と苦悶をないまぜたつぶやきをこぼす。いくら複数の動作を同時に実行ができる並列処理マルチタスクでも、タケルを中心に全方位から機動攻撃する六基の飛行型光線射出端末フライヤービットに対処するには限界がある。前後左右の四方から攻撃されては、一方向しか展開できない螺旋円楯スパイラルシールドでは防げない。かといって飛行型光線射出端末フライヤービットを狙い撃ちしたくても、黒ずくめの少年たちよりもはるかに的が小さく素早いので、とても命中させられない。ゆえに、タケルの行動コマンドは、防御と回避の同時実行しか選択肢がなく、しかもそれで精一杯であった。精神体分身の術アストラル・アバターで的を散らせたり楯代わりにするどころではない。二基しか放出してなかった時ならそれも可能だったが、六基となった今ではもはや不可能である。その事に気づくのが遅かったのだ。


「――フフフフ。どうじゃ。六基の飛行型光線射出端末フライヤービットが織りなす『多角攻撃オールレンジアタック』の味は」


 真理香マリカは勝利の美酒に酔った表情と口調で対戦相手に感想を訊く。


「――恐れ入ったかえ。この第二日本国の支配者となるわらわの実力に。これで思い知ったのなら、大人しくわらわの支配下に収まるがよい。そして、前言を撤回するのじゃ。わらわには何もないという前言を。そうすれば、命だけは助けよう」

「――はんっ! 誰がてめェの支配下になるかよっ! 中身カラッポのてめェなんざにっ!」


 タケルは吐き捨てるような口調で、相手の降伏勧告を、前言撤回の要求もろとも拒絶する。網目のように射出される六基の飛行型光線射出端末フライヤービット光線ビームを次々と弾き流しながら。


「――なにが『多角攻撃オールレンジアタックの味は』だっ! 結局それだって借り物の力じゃねェかっ! ギアプ同様。なにひとつ自分の力で獲得した事や物のねェヤツに、このオレが負けるわけねェだろうがっ! しょせんてめェは裸の王様ならぬ、全裸の女王様なんだよっ! だったらそれらしくAVにでも出ていやがれっ! 鈴村や観静とちがってプロポーションだけは抜群なんだからなっ!」

「だまれっ、下郎がっ!」


 真理香マリカは叫び声を放つ。


「――キサマに何がわかるっ! 『偉大な母の娘』としかわらわを見ぬキサマにっ! わらわだっておのれを高めるために懸命に努力をしたのじゃっ! じゃが、愚民どもは、わらわが偉大な母の娘だという理由だけで、わらわの努力を全否定する。わらわが立派な人間になれたのは、わらわ自身の努力ではなく、親譲りの才能と血筋のおかげじゃと、愚民どもは信じて疑わぬのじゃ。これまでわらわを褒め称える人々と接し続けて来て、それがよくわかったわ。わらわの真価はそんな親の七光りではないというのに……」


 真理香マリカは六基の飛行型光線射出端末フライヤービットの機動と連射の速度スピードをさらに上げる。


「……このままでは、わらわは未来永劫、偉大な母の影から逃れられぬ生涯と死後を送ることになる。後世の歴史家も、偉大な母の七光りを受けただけの、ごくありふれた名家の娘としてしか、わらわの名は歴史に残さぬじゃろう。偉大すぎる母の光彩に惑わされて。じゃが、母をうらむ気は毛頭ない。うらむのは、わらわを理解せず、わらわ自身を見ようとせぬ愚民どもじゃ!」


 激しさが増した真理香マリカ多角攻撃オールレンジアタックに、タケルはひたすら防戦一方となる。


「――この屈辱を晴らすには、わらわ自身の偉大さを思い知らせるのが一番じゃ。じゃが、わらら自身がそのように努力しても、だれもそうは思わぬ。わらわが偉大な母の娘だと記憶しておる限り。なら、その記憶を変えてしまえばよい。母から受け継いだ記憶操作装置を使って。そして、その発想アイデアを発展させたのがこの『天皇簒奪計画』なのじゃ。久島健三ケンゾウ黒巾党ブラック・パースと手を組んだのも、それに必要な手足を得るためじゃ。奴らは現政権に不満を持っておったからのう」


 それはもはや、六基の飛行型光線射出端末フライヤービットによって巻き起こされた青白色の暴風雨であった。


「――この計画が達成すれば、二度とわらわをそんな目で見なくなる。そして今後、天皇となったわらわの権威や名誉を汚すような記憶は、記憶操作で容赦なく消去する。愚民どもはただわらわのみ崇拝しておればよい。わらわの母ではなく。崇拝せぬ者は、これも記憶操作で無理やり崇拝させる。わらわは支配者なのじゃ! 気に食わぬ記憶を所有しておる者は、一人残らず書き換えてくれるわっ!」

「――けっ! なにが支配者だっ! 何度も笑わせるなっ!」


 それに対して、タケルが負けじと言い返す。相手の攻撃を次々とさばきながら。


「――結局てめェも、てめェの言葉を借りれば、歴史上よく現れる典型的な独裁者じゃねェかっ! 支配の方法が恐怖ではなく記憶操作なだけでっ! はっきり言って陳腐なんだよっ! その視点から見ればなァッ!」


 タケルは六基の飛行型光線射出端末フライヤービット多角攻撃オールレンジアタックを、巧みな防御と回避でしのぎ続ける。


「――それに、そういった都合の悪い記憶は、忘れたり消したりするもんじゃねェッ! 克服するもんだっ! どんなに悲しくても、死ぬほどつらくても、それを背負って生きていく。それが人間のあるべき生き方なんだよっ! 少なくても、オレはそのように実践している。そのオレが、自分のつらい記憶や現実から逃げた臆病者なんかに負けるわけねェだろうがっ!」


 左右からせまり来る青白色の二閃を弾き流したヤマトタケルの心に、過去の記憶が去来する。

 七年前の辛い記憶が。


「――第一、てめェのお袋は、卑劣にも、観静のお袋さんが挙げた成果を奪った只の盗っ人じゃねェかっ! そいつのどこが偉大なんだよっ! その娘にいたっては、その程度のことで努力を放棄したあげく、無償ただで受け継いだそれを悪用して、おのれを立派に見せようとする卑劣なオンナときた。そんなヤツが愚民どもから称えられるわけねェだろうがァッ! 為人ひととなりにふさわしい親譲りの卑劣さだぜっ!」

「だまれェッ!」


 真理香マリカが絶叫に等しい声を張り上げる。だが、


「だれが黙るかよっ! そんなヤツは須佐すさ十二闘将最強の戦士であるこのオレが成敗してやるっ! 中二病を患ってる鈴村がつけた設定だけど、このさい勢いづけに使わせて貰うぜっ!」


 タケルはそれ以上の声で言い返す。


「黙れ、だまれ、ダマれぇっ! その長講なへらず口、二度と叩けぬようにしてくれるわァッ!!」


 ヒステリックに叫んだ無縫院真理香マリカは、さらに六基の飛行型光線射出端末フライヤービットを宙にばら撒く。


「――うおぉっ! さすがにその数はさばき切れねェぞ、オイ」


 一ダースとなった飛行型光線射出端末フライヤービットの群れを見て、ヤマトタケルは苦しげにうめく。


「――だが、だいたいの間合いはつかめたぜっ!」


 回避や防御の手を休めずに、タケルは隙を見て後退し、相手との距離をさらに取る。

 そこへ、飛行型光線射出端末フライヤービットによる一斉射撃が、壁際まで後退したタケルに降り注ぐ。

 しかしそれは、ヤマトタケルが展開した螺旋円楯スパイラルシールドによって防がれる。一閃も残らず、すべて。


「――へっ! やはりな」


 タケルは確信した。タケルが真理香マリカとの距離を取った直後、タケルの側背に回っていた飛行型光線射出端末フライヤービットが、前面にしか展開しなくなった。否、せざるを得なくなったのである。精神体分身の術アストラル・アバターと同様、飛行型光線射出端末フライヤービット遠隔操作リモートコントロールできる距離は無限ではない。必ず限界がある。それをヤマトタケルは、これまでの一方的な防戦で見切ったのだ。限界以上の距離を取られたら、飛行型光線射出端末フライヤービットは相手の側背へまわり込めなくなり、多角攻撃オールレンジアタックもできなくなる。前面に展開して斉射するしかなくなるのだ。そして、一方向からだけの攻撃なら、どんなに弾幕の密度が濃くても、一方向しか展開できない螺旋円楯スパイラルシールドでも充分に防げる。さらに言えば――


「――片手で事足りる分、もう片手が空いたぜっ!」


 タケルは螺旋円楯スパイラルシールドの隙間から銃撃様式シューティングモードにした光線銃レイ・ガンを撃ち放つ。


「――愚かよのう。ビーム撹乱幕の前には、光学ビーム兵器は通用しないと言うたはず――」


 真理香マリカは高笑いするが、タケルが狙ったのは無縫院真理香マリカではなかった。

 タケルが放った閃光は、一基の飛行型光線射出端末フライヤービットに命中し、爆散した。

 まぐれではない。しっかり狙って飛行型光線射出端末フライヤービットを撃ったのだ。


「――なっ?!」


 驚愕する真理香マリカに、


「――前方しか展開しなくなった分、多角攻撃オールレンジアタックされてる時よりもはるかに狙いやすくなったんだっ! 当然の結果だろうがっ!」


 タケルは歓喜に似たさけびを放つ。飛行型光線射出端末フライヤービットにまではビーム撹乱幕を張ってないと確信しての狙撃だった。もし張っていたら、飛行型光線射出端末フライヤービット自身が撃ち放つ光線ビームも、ほとばしった直後に撹乱、消滅するはずなのだから。

 というわけで、タケルは前方から降りそそがれる青白色の光線ビームの水平雨を、螺旋円楯スパイラルシールドで防ぎながら、次々と飛行型光線射出端末フライヤービットを撃ち墜としていく。銃撃様式シューティングモード光線銃レイ・ガンで。


「――くっ!」


 真理香マリカは焦慮の汗をにじませる。主力メイン演算機から動けない以上、相手を多角攻撃オールレンジアタックの間合いに入れる事もできない。それに加え、飛行型光線射出端末フライヤービットも無限に所持しているわけではない。このままではすべて撃墜されてしまうであろう。今度は無縫院真理香マリカがジリ貧になる番である。


「――ならァッ!!」


 真理香マリカは六基にまで撃ち減らされた飛行型光線射出端末フライヤービットを正六角形に正面展開させると、一斉に青白色の閃光をほとばしらせる。ヤマトタケルは螺旋円楯スパイラルシールドで防ごうとするが、


「――なっ?!」


 難なく貫通され、右肩に命中する。その衝撃でヤマトタケルの身体は後方に吹き飛び、背中から背後の壁にたたきつけられる。だが、そのまま床にずり落ちず、何とか両足でダメージのある身体を支えたのはさすがである。


「……くっ、なぜだ……」


 負傷した右肩を、光線銃レイ・ガンを持つ左手で抑えながら、タケルは疑問のつぶやきを発する。今までどんなに密度の高い弾幕の光線ビームを受けても耐えられていた螺旋円楯スパイラルシールドが、今の攻撃にかぎってどうして易々と突き破られたのか。


「――さすがに『一点集中砲火ピンポイントアタック』の火力には耐えられなかったようじゃのう」


 真理香マリカは優越感にゆがんだ笑顔で言う。


「……『一点集中砲火ピンポイントアタック』。そうか、なるほどな……」


 それを聞いて、ヤマトタケルは理解する。無縫院真理香マリカは、残存する飛行型光線射出端末フライヤービットの狙点を、すべて一点に集中させて光線ビームをほとばしらせたのだ。レンズの焦点を合わせるかのように。これなら螺旋円楯スパイラルシールドを貫通させるだけの火力が望める。虫めがねで真昼の陽月ようげつ光を一点に集中させるようなものなのだから。


「……さて、わかったのはいいが、これからどうするか……」


 壁から背中を離したヤマトタケルは、ふらつく身体をどうにか支えながら光線銃レイ・ガンを構える。今の攻撃で光線剣レイ・ソードは破損してしまい、右肩を負傷した。しかし、それだけの被害ですんだのは、螺旋円楯スパイラルシールドで威力を減殺させたからであろう。だが、光線剣レイ・ソードが使えなくなった今となっては、それもかなわない。今度無防備まともに喰らったらさすがに命はない。


「――しぶといのう。じゃが、これで終わりじゃ。さァ、死ぬがよい。ヤマトタケルっ!」


 真理香マリカは六基の飛行型光線射出端末フライヤービットから青白色の火箭を斉射させる。

 一点集中砲火ピンポイントアタックである。

 それを見て、ヤマトタケルは走り出す。飛行型光線射出端末フライヤービットの群れに向かって。

 一点に集中させた青白色の火箭は、標的の移動によって狙点を外されてしまい、そのまま空を切って背後の壁を貫く。それでも、一本の火箭だけは標的の射線上にあったが、それは十手様式モードにした光線銃レイ・ガンの青白い光刃で弾き流された。火箭のすべてがそれに集中していれば、間違いなく耐え切れなかったであろうが、一本だけなら充分である。


「――しまったっ!」


 無縫院真理香マリカは舌打ちに似た声を上げる。タケルは自棄的に飛行型光線射出端末フライヤービットの群れに突っ込んだわけではなかった。一点集中砲火ピンポイントアタックの弱点は、斉射した時の有効射程距離の幅がきわめて短いことにある。それから少しでもはずれると、一本分の火力しかなくなるのだ。だから十手様式モード光線銃レイ・ガンに難なく弾き流されたのである。タケルはそこまで計算して行動に移したのだ。

 タケルは空中に制止したままの飛行型光線射出端末フライヤービットの群れを突っ切ると、そのまま相手を目指して突進する。接近戦に持ちこむ算段のようである。


「――あまいわっ!」


 無縫院真理香マリカが咆えると、六基の飛行型光線射出端末フライヤービットはその場で一八〇度旋回させて、背後が無防備ガラ空きのタケルに向けて斉射する。タケルが真理香マリカに到達する前に、その火箭で倒れるタイミングである。それに背を向けているタケルに、防御や回避は不可能であった。


「――もらったぁっ!」


 真理香マリカは勝利を確信した声を上げる。だが、六本の火箭がヤマトタケルの背中に届く寸前、それらは透明な壁にでも弾かれたように四散し、消滅する。


「――なんじゃとっ?!」


 今度は驚愕の声を、真理香マリカは上げる。


「――てめェが張ったビーム撹乱幕だろうがっ!」


 タケルはさけび返す。タケルはすでに真理香マリカが張ったビーム撹乱幕の内部に入っていたのだ。だからタケルの背後を狙って撃った六本の光線ビームは、標的に命中する前に撹乱されたのである。


「――こっちこそもらったぜっ!」


 タケルは勝利を確信した咆哮を上げると、十手様式モードにした光線銃レイ・ガンを振り上げる。だが、『レ』の字になった銃身からは、青白色の光刃は伸びなかった。


「――ビーム撹乱幕の中で光学ビーム兵器が使えぬのはお互い様であろうがっ!」


 それを見て、真理香マリカは得意満面のドヤ顔でやり返す。


「――さァ、これでどうやってわらわをたお――」


 だが、その後に続く問いかけのセリフは、最後まで言い終えることができなかった。

 顔面を殴打されたからであった。

 ヤマトタケルの右フックで。

 無縫院真理香マリカはそのまま床にたたきつけられ、動かなくなる。白目をむき、口から泡を吹く。

 同時に、ヤマトタケルの背後に展開していた六基の飛行型光線射出端末フライヤービットは、吊るしていた飾り物の糸が切れたように落下し、音を立てて床に転がる。


「――だったら物理で殴るまでさ」


 命よりも大切な少女の顔面を殴った右拳をさすりながら、ヤマトタケルは言ってのける。


「――命よりも大切な記憶をメチャクチャにした報いだ。ざまァみろ」


 そして、唾でも吐きかけるかのようにつけ加える。


「――終わったな。すべてが……」


 しばらく経ってから、感慨にふけるようにつぶやいたその時、


(――タケル――)


 オールバックの少年を呼ぶ声が脳内に響いた。

 観静リンである。

 だがそれはエスパーダによる精神感応テレパシー通話ではなかった。純然たる精神感応テレパシーであった。その証拠に、直接接続ダイレクトアクセスでもたらされたその音声にはノイズが混ざっている。


(――どうした、観静。わざわざ精神感応テレパシーで呼ぶなんて。そっちの方が負担かかるだろ――)

(――したくてもできないのよっ! エスパーダを奪われてっ!)

(――奪われた? いったいだれに――)

(――いいから早く来てっ! 中央端末室にっ! 今ヤバいことに――)


 そこまで言った後、リン精神感応テレパシーが途絶える。


(――オイ、どうしたんだ? オイ――)


 ヤマトタケルは返事をうながすが、応答はない。


「……なにかあったな」


 深刻な表情でそのように判断した時には、すでにその場から駆け出していた。

 なお、光線銃レイ・ガンは、ビーム攪乱幕の中で使用したためか、故障してしまったので、その際に投棄した。




 中央端末室は、手足を縛られた黒ずくめの少年たちが、室内中に散乱していた。

 大半は気絶しているが、中には目を覚ました者もいる。さいわい、その者は手足を縛られているので、身動きが取れずにもがいている。

 だが、一人だけ、気絶してもいなければ、手足を縛られてもいない者がいた。


「……てめェ、おとなしくお寝んねしてなかったのかよ。そのまま永眠すればよかったのに」


 中央端末室へ駆けつけて来たヤマトタケルは、苦々しい表情と口調で問いかける。

 室内の中央で立っている、覆面をしていない黒ずくめの少年に。

 黒巾党ブラック・パース首領リーダー、久島健三ケンゾウであった。


「――だれが永眠なんかするかよっ! この腐った世の中を変えるまで、オレは何度でもよみがってやる。地獄の底から這い上がってでもなァッ!」


 健三ケンゾウは憎悪にたぎらせた声で応える。


『――タケルっ!』


 アイリンが声をハモらせてオールバックの少年を呼ぶ。二人は健三ケンゾウの足元で、両手を結束バンドで縛られた状態で転がっている。そして、そのうちの一人を、健三ケンゾウが無理矢理立ち上がらせる。


「――さァ、起動キーを渡せ。それは現在いまの世の中を変えるのに不可欠なものなんだ」

 健三ケンゾウアイの喉元に光線剣レイ・ソードの青白い光刃を添えて脅迫する。麻痺様式パラライズモードでない。刃様式ブレードモードである。刀身は短刀なみに短いが、それでも人を殺傷することはできる様式モードである。


「――さァ。渡せっ! でないと、こいつがどうなっても知らねェぞっ!」

「――ちっ。またかよ。よく人質を取る連中だぜ。黒巾党ブラック・パースは」


 タケルは嫌悪をこめて舌打ちする。しかし、要求された起動キーとやらは持ってはいない。その旨を正直に言おうかどうか迷っていると、


「――よくやったぞ。久島。さすがわらわが見出した優秀な部下じゃ」


 タケルの背後から賞賛の声が上がった。

 タケルが肩越しに振り向くと、ストレートロングの少女が中央端末室のドアに立っていた。

 黒巾党ブラック・パース資金提供者スポンサー、無縫院真理香マリカである。

 左頬にヤマトタケルが殴打した拳の跡がくっきりと残っている。


「――ちっ。もう目を覚ましやがったのかよ」


 タケルはまたもや舌を鳴らす。真理香マリカはそんなタケルを迂回して、健三ケンゾウの元へと向かう。


「――久島、そのままにしておれ。その間に、わらわがあの端末デスクに、この起動キーを差しこ――」


 無縫院真理香マリカの指示は、だが、最後まで伝えられなかった。

 中断させされたからであった。

 健三ケンゾウが振り下ろした光線剣レイ・ソードの斬撃によって。


「……な、なぜ、じゃ……」


 真理香マリカはおどろきの表情を顔面にはりつけたままの床に倒れ伏す。

 その手に持っていた起動キーが、倒れた衝撃でそこから離れ、床をすべる。


「――口ほどでもねェからさ。それに、オレは士族以上に華族を憎んでるんだ。そしてオンナもな。それにさえ気づかないんじゃ、たかがしれてるぜ」


 健三ケンゾウに言い捨てられて、真理香マリカは歯ぎしりの音を立てたようだが、それっきり無言になる。斬られた胴体から出血していないところを見ると、どうやら麻痺様式パラライズモードに切り替えて振るったようである。


「動くなっ!」


 健三ケンゾウは鋭い声を放って牽制する。その隙を突こうとしていたヤマトタケルの動きを。

 アイの首筋にふたたび刃様式ブレードモード光線剣レイ・ソードの光刃が添えられる。


「――油断のならねェヤツだ。さすが『うら小野』だぜ」

「『うら小野』? なにそれ?」


 リン健三ケンゾウを見上げて問いかける。


「――うわさで聞いたことがある。小野寺の道場の門下生だった頃に。小野寺家には、戦国時代から代々仕える影の一族が存在することを」

「影の一族? それってもしかして――」


 アイがなにかを言いかけるが、それは説明を続ける健三ケンゾウのそれによってさえぎられる。


「――ある時は当主を守り、ある時は主命を果たし、ある時は影武者となる。そこに立っているそいつはその一族の末裔なのさ」

「なんですってェッ?!」


 リンがおどろきの声を上げてヤマトタケルを見やる。健三ケンゾウはかまわず続ける。


「――無論、影ゆえにその存在は学籍にはおろか、戸籍上にさえ残ってない。そいつは当主の息子である小野寺勇吾ユウゴを影から守るために、あるいは小野寺勇吾ユウゴの手足となって、これまで密かに行動していたんだ。当主の命令でな」

「……それで、陸上防衛高等学校の学生服を着ているのに、そこでの在学の痕跡がないのね」


 リンが得心している間にも、久島健三ケンゾウの話は続いている。


「――このご時世、そんな時代遅れナンセンスなヤツが存在するなんて、まったく信じてなかったよ。七年前のあの事件が起きるまで。あの時、一人の少年が四人の暴漢を素手でボコボコに倒しちまう姿を、オレは偶然、見かけたんだ。秘密基地として使っていた小屋の外窓からな。あれはもう人間じゃなかったよ。人間の皮をかぶったバケモノ、もしくは人外だぜ」

「……………………」

「――そして、そのバケモノとは、てめェのことじゃねェのか。ヤマトタケル」

「――えっ?!」


 今度は鈴村アイがおどろきの声を上げる。


「――オレを一度倒した後、てめェは言ってたよな。小野寺流光学兵器ビームウエポン全距離マルチレンジ型戦闘術を会得していると。そう、小野寺流。小野寺流にはケン=ジュウなどという戦闘術なんか存在しないし、小野寺家にはあのヘタレしか息子がいない。そのふたつから導き出せる結論はひとつ、てめェがうら小野であるということだ。違うか?」

「…………ああ、そうだ…………」


 ヤマトタケルが静かに答えたのは、しばらくの間を置いてからであった。


「――やはりそうか。てめェが小野寺勇吾ユウゴの元から離れてここにいるのは、大方、そいつの命令で鈴村こいつを助けに来たってところだろう。七年前の時のように。ケッ。忠実な下僕がいることをいいことに、自分は何もせずにそいつ任せか。まったく、相変わらずヘタレなヤツだぜ」


 健三ケンゾウは嫌悪をこめて吐き捨てる。


「……あの時、暴漢をボコボコにしたあの少年が、ヤマトタケル……」


 アイは茫然とつぶやく。その表情は「ウソでしょ」と言いたげであった。


「――まァ、任せたくなるのも無理もねェか。当時オレよりも年下の、それも、二桁にすら届いてないあの子供ガキが、その時点で、大の大人四人を相手に全員素手でなぐり倒すほどの強さだったんだからな。あまりにもの凄惨すごさに、思わず失禁しちびりそうになっちまったぜ」

「……………………」

「――そんなヤツ相手にガチで闘うのは愚かというものだ。結束バンドで拘束しても、簡単に引きちぎりそうだし、かといって麻痺様式パラライズモードで斬っても効かなそうだ。なら、これしかねェな」


 そう言って健三ケンゾウ光線剣レイ・ソードの青白い切っ先をヤマトタケルに向けて、その刀身を射出した。

 ヤマトタケルはもんどり打って背中から倒れた。

 喉笛に命中したためか、うめき声すら漏らさなかった。


『――タケルっ!?』


 リンアイが悲鳴を上回る声で同時にさけぶ。


「――そう。殺すしかねェ。今まで黒巾党オレたちはだれも殺さないよう暗躍して来たが、よく考えれば、これからはそんなしちめんどくねェ配慮をする必要なんかねェんだ。記憶操作で死体もろとも消しちまえばいいんだからなァ。へへへへ」


 嗜虐的サディスティツクな口調で述べる健三ケンゾウの表情は、快楽におぼれる麻薬中毒者のそれに近かった。


「~~アンタってヤツはァ~ッ~~」


 アイが鬼の形相でうなり声を上げるが、健三ケンゾウはそれを無視して鈴村アイを突き飛ばす。それは、アイとおなじ表情で立ち上がったリンを巻きこみ、床に折り重なって倒れる。


「――悔しいか。なら、手始めに、『天皇簒奪計画』の記憶操作で、オレのことを彼氏として好きになるように記憶操作してやる。自分を助けに来たオトコを殺したヤツを好きになる。くっくっく。このほどの屈辱はあるまい」

『~~~~~~~~っ!!』

「――ふんっ。待ってろ。今すぐやってやるぜ」


 健三ケンゾウが鼻を鳴らして告げると、床に落ちてある起動キーを拾い上げる。そして、もう一度アイリンに振り向き、さらに何か言おうとしたその時、その視界の隅に映った光景の異変に気づき、そこを注視する。

 そこには、あお向けに横たわっているヤマトタケルの遺体――

 ――ではなかったっ!

 ヤマトタケルの遺体があるはずのそこには、消失しつつある青白色の人体しかなかった。

 青白色の人体――精神アストラル体しか。


「――精神体分身の術アストラル・アバターっ!?」


 健三ケンゾウとおなじ場所に視線をむけていたリンがさけぶ。つまり、そこで射殺されたと思っていたヤマトタケルは、ヤマトタケルではなかったのだ。久島健三ケンゾウが撃ち倒したのは、ヤマトタケルが自分の姿に似せてつくり出した精神アストラル体だったのである。


「――ってことは――」


 同様の場所に注目していたアイも、期待と嬉しさの込めた声を上げて健三ケンゾウに視線を転じる。

 そして見た。

 タケルが右拳を振り上げて健三ケンゾウに肉薄しつつある姿を。

 その方角は、鈴村アイから見ると、久島健三ケンゾウの左側からであった。


「――やったァッ!!」


 と、アイが叫ぶか、


「――あまいわァッ!!」


 健三ケンゾウが咆哮とともに放った光線剣レイ・ソードの光弾を、ヤマトタケルはまともに受けてしまった。

 その身体はトラックにはねられたかのように吹き飛び、壁際に積まれたデスクに突っ込む。その衝撃でデスクの山が四散し、崩落したその下に埋もれる。


「――ふぅ~っ。今のは危なヤバかったぜェ……」


 健三ケンゾウは額にかいた冷や汗をぬぐいながらホッと一息をつく。あと少し反応が遅かったら、顔面に拳を受けていたであろう。胸をなでおろす健三ケンゾウをよそに、鈴村アイは崩れたデスクの山を茫然とながめている。そんなアイに視線を転じた健三ケンゾウは、


「――残念だったな」


 と、嗜虐的サディスティツクな笑みを作って告げる。


「~~~~~~~~っ!」


 その科白を聞いた瞬間、アイは心の奥底からこみ上げて来る怒りで我を忘れ、健三ケンゾウに向かって盲目的に突進する。

 結束バンドで両手を後ろ手で縛られた状態で。

 だが、その自棄的な体当たりは、健三ケンゾウがこうるさげに振り払った光線剣レイ・ソードで横っ面をはたかれ、床に横転する。


「……ううっ……」


 あえなく迎撃されたアイは、片頬が赤くはれた顔と身体を起こそうとする。竹刀しない様式モードだったので、激痛に反してダメージは少ないが、それでも意識は朦朧としている。

「――ムダな抵抗をしやがって。よし、わかった。そんなに死に急ぎたいんなら、誰よりも真っ先にあの世へ送ってやる」


 そう宣言した健三ケンゾウは、光線剣レイ・ソード様式モードを、竹刀から刃のそれに切り替えると、ゆっくりと振り上げる。


「……あ、ああっ……」


 アイの声と身体が恐怖に震える。ゆえに、思うように動けない。


「――死ね」


 健三ケンゾウ光線剣レイ・ソードを振り下ろした。

 刃様式ブレードモードにした青白色の刀身が、アイの身体を脳天から両断する、その寸前――

 横合いから飛び込んできた人影によって、それは阻まれた。

 その人影は鈴村アイともつれながら床を転がり、デスクの前で止まる。

 鈴村アイの上にうつ伏せで折り重なっているその人影は、陸上防衛高等学校の学生服ブレザーを着た糸目の少年であった。


「――ちっ。小野寺か。邪魔しやがって」


 健三ケンゾウが吐き捨てるように音高く舌打ちすると、折り重なっている二人の前まで歩いて行く。二人とも気を失っているが、死んでいるかどうかまではわからない。刃様式ブレードモード光線剣レイ・ソードは、対象を斬っても手応えが感じにくい上に、ほとんど出血しないので、見た目では判別しづらい。


「――死ね。今度こそ――」


 そこで立ち止まった健三ケンゾウは再び光線剣レイ・ソードを振り上げる。そして、しばらくそのままの姿勢で二人を見下ろしていると、おもむろにゆっくりとそれを倒す。

 自分の身体ごと。

 久島健三ケンゾウ光線剣レイ・ソードを振り上げた姿勢のまま床に伏した。

 木の棒が倒れるかのように。

 その両眼は白目を剥いていた。

 麻痺様式パラライズモード光線銃レイ・ガンで背中を撃たれて。


「――はァ~ッ。間に合ったァ……」


 肺が空になる程の安堵の一息をついたのは、光線銃レイ・ガンを降ろした観静リンであった。リンは、健三ケンゾウに捕まってから、後ろ手で縛られている結束バンドを自力で外そうと、隙と合間をぬってもがいていたが、その努力がようやく実って、今しがたはずれたのだ。そして、勇吾ユウゴアイ光線剣レイ・ソードを振り下ろそうとしていた健三ケンゾウを、足元に落ちてあった光線銃レイ・ガンを拾って撃ったのだった。


「――二人とも気絶してるだけで大丈夫みたいだし」


 続いて拾ったエスパーダの感覚同調フィーリングリンクで、勇吾ユウゴアイの容態を、それぞれ文字通りの意味で体感すると、リンの安堵感はさらに深まる。


「――それにしても、終わったのね。ついに……」


 リンは周囲を見回しながら、感慨深いひびきを込めてつぶやき、それに浸る。

 ――間もなく、


「――いけないっ!? タケルのことを忘れてたっ!」


 慌てて崩れたデスクの山へ向かい、それを取り払う。結構重い上に、デスク同士で絡まっているので、随分と手間取ったが、何とか全部どかしきった。だが、


「――いないっ!?」


 リンはおどろきの声を上げる。自力で這い出た形跡もないのに、デスクの下に埋もれていたはずのヤマトタケルの姿は、どこを捜しても見当たらないのだ。

 その背後で、床に倒れ伏している真理香マリカが、そばに落ちてあるエスパーダ状の記憶操作装置を拾って、自分の右耳に装着するが、リンはそれにも気づかず、茫然と立ち尽くす。


「……いったい、どういう……」


 そこまでつぶやいて、ある事に気づく。

 それにより、昨日からずっとひっかかっていたことが、ようやく取れた。


「――そういうことだったのね、ヤマトタケル。アンタはや――」


 その後に続いたセリフは、サイレンによってかき消された。

 A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局に到着したパトカーの。

 百貨店デパードのようなその施設の真上には、闇夜を月明りで照らす陽月ようげつが浮かんでいた。




「……う、うーん……」


 小野寺勇吾ユウゴが気がついた時には、真っ白な空間に身を漂わせていた。

 地平線はおろか、天地さえもない、白一色の世界である。

 だが、目が覚めたというのに、意識がはっきりとせず、ボンヤリとしたままなのだ。

 まるで、夢でも見ているかのように。

 上下感覚もなく、自分が立っているのかも横たわっているのかもわからない。


「……こ、ここは……」


 辺りを見回しながら言った小野寺勇吾ユウゴの声も、木霊のように響き、現実味にとぼしかった。


「――アンタの脳内仮想空間よ」


 突然、背後から声をかけられた。

 勇吾ユウゴが身体ごと振り向くと、そこには、自分と同じ陸上防衛高等学校の学生服ブレザーを着たショートカットの少女が、いつの間にか立っていた。


「……観静、さん……」

「――悪いけど、アンタの脳内仮想空間に、アタシの意識を精神感応テレパシー通信で直接接続ダイレクトアクセスさせてお邪魔しているわよ。ここでしか話せない内容だから」

「……な、なんですか? 話って……」


 勇吾ユウゴはどもりながらたずねる。


「――単刀直入に訊くわよ。だから、アンタもはっきりと答えなさい」


 リンが強気な口調で前置きすると、本題の質問を勇吾ユウゴに投げかけた。


「――アンタ、ヤマトタケルなんでしょ」

「………………………………………………」

「……そうなんでしょ、小野寺」

「…………うん…………」


 かなりためらった末に答えたそれを聞いて、リンは安堵に近い笑顔を浮かべる。


「――ありがとう。正直に答えてくれて……」


 そして礼を言うと、不思議そうな表情に変えて語を継ぐ。


「――けど意外だったね。少しはとぼけると思ってたんだけど」

「……これ以上、ごまかせそうになかったから……」


 勇吾ユウゴの声には観念したようなひびきがこもっていた。


「――それじゃ、変身して見せて。『ヤマトタケル』に」


 リンに注文された勇吾ユウゴは、これも素直にしたがった。髪型と目つきと声質をリンの目の前で変える。


「――どう?」


 勇吾ユウゴが変身した姿を、リンはまじまじと見つめる。


「……ホント。別人ね。アタシのような観察力と洞察力の高い人間でもないかぎり、アンタの正体を見抜くことなんで不可能だわ」


 なにやら自画自賛まじりの感想を述べるが。


「……でも、どうしてわかったのですか?」


 髪型と目つきと声質を元に戻した勇吾ユウゴは、こちらも不思議そうな表情でたずねる。


「――最初に怪しいと思ったのは、無縫院のマンションで直接じかに会った時だったわ。顔と目つきと声質は別人だけど、背丈と体格は同じだった。そこだけは自在に変えられないからね」

「……………………」

「――それに、小野寺がいる時はヤマトタケルはいないし、ヤマトタケルがいる時は小野寺がいなかった。そんなことが何度も続けば、いやでも気づくわよ」

「……それじゃ、黒巾党ブラック・パース空きビルアジトで、僕とタケルが同じ場所で同時に姿を現した事象も」

「――ええ。もうとっくに見当がついているわ」


 リンが自信満々にうなずくと、これも自信満々に答えた。


「――『精神体分身の術アストラル・アバター』よ」

「……………………」

「――あの能力と並列処理マルチタスク能力を併用すれば、一人でもおなじ場所で二人二役を同時にこなすことができるわ。精神アストラル体に自分の外見ルックスを彩色する能力があることも。中央端末室で久島に喉笛を撃ち抜かれたその精神アストラル体がいい証拠よ。これなら、黒巾党ブラック・パース空きビルアジトで、小野寺とヤマトタケルの二人が同時に姿を現すことができるわ」

「……………………」

「――その後、久島に襲い掛かって返り討ちにされたヤマトタケルも、実は精神アストラル体。自力で脱出した形跡はないのに、デスクの山をどかした時には、その姿はどこにもなかった。となれば、それしか考えられないわ」

「……………………」

「――どう。頭脳明晰なこのアタシの推理。当たってる?」

「……はい、当たってます……」


 勇吾ユウゴはこれもまた素直に認める。


「……さすが、超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親の娘ですね。記憶復元治療装置を自作したといい、やはり観静さんはすごいです……」


 そして、これも率直に称賛する。他人の不幸をあざ笑う観静リンのような邪心は一切ない。


「やぁねェ。おだててもなにも出てこないわよ。出てくるのは数々の疑問とツッコミの嵐なんだから。だから覚悟してね」


 だが、リンは語尾にハートマークをつけたような口調と笑顔で前置きすると、途端にそれらを消して開始する。


「……アンタ、戦いが嫌いじゃなかったんじゃないの?」

「……はい、嫌いです。でも、苦手というわけでは……」

「……久島が言っていた『うら小野』うんぬんの話は、もしかして鈴村の脳内中二設定でしょ」

「……はい。門下生の間では、いつの間にか噂として浸透してしまって……」

「……アンタは『うら小野』の設定を否定せず、むしろ隠れみのとして利用したのね。小野寺勇吾ユウゴとヤマトタケルは同一人物ではないという……」

「……はい。七年前の事件が起きる前から流布してましたけど、結果的には好都合でした」

「……どうしてそこまでして自分の強さや正体をひた隠しにするの? 鈴村の中二設定の流布の黙認はともかく、こんな手の込んだ一人二役の演技までするなんて。どう考えてもアタシにはメリットが見いだせないわ。――っていうか、デメリットしか見いだせない……」

「……………………」

「――それに、デメリットなのはそれだけじゃないわ。それが原因で、アンタ、鈴村や他の女子たちにまでイジメられてるのよ。ヘタレで卑怯な男だと思い込んで。本当は勇気のあるとても強い男の子なのに。それは誰よりもアンタ自身が一番よく知ってるはずよ。アタシが指摘するまでもなく……」

「……………………」

「――さらに言えば、七年前の事件で、男としてアンタが犯した失態は、その日のうちに挽回したじゃない。それも独力で。なのにどうしてその事も言わなかったの? 言わなかったばかりにアンタは七年間も鈴村にイジメ抜かれたのよ。助けてくれたのがアンタとは知らずに……」

「……………………」

「……別に責めているわけじゃないのよ、アタシは。だけど、このままじゃ、いたたまれなくて……。もし良ければ、教えてくれない? その理由を」


 リンの口調は言いつのるうちに熱を帯びはじめ、最後は彼氏を心配する彼女のそれのように変わっていた。最初は面白半分にツッコむつもりだったのが、段々と本気マジになっていったのだった。

 それを感じ取ったのか、それに答えた勇吾ユウゴの口調も真剣で、おそるおそるながらも、たどたどしくはなかった。


「――怖い人間だと見られたくないからです」

「――怖い人間?」


 リンがオウム返しに言うと、勇吾ユウゴは具体的に述べ始める。


「――七年前、僕は暴漢が怖くて、鈴村さんを置いて、一度は逃げてしまいました。ですが、なんどか暴漢を振り切った後、鈴村さんが心配になって、その暴漢の後を小屋まで尾いて行ったら発見したのです。暴行を受ける寸前の鈴村さんを、そこで」

「……………………」

「――その瞬間、僕の頭はまっしろになって……。気がついたら、暴漢は全員血まみれで倒れてました。僕の顔やこぶしも暴漢の返り血で濡れていました。多分、僕が殴り倒したんだと思います」

「……………………」

「――僕はその姿で鈴村さんに近づいてしまったのです。それも、笑顔で。それは安堵から来たものだったのですが、鈴村さんは……」

「……なるほどね。そこから先はおおよその見当がつくわ……」


 うなずいたリンの表情に得心の色が浮かぶ。

 つまり、心的外傷トラウマを負った原因は、暴漢ではなく、小野寺勇吾ユウゴにあったのだ。たしかにそっちの方がはるかに強烈である。血まみれの雑巾と化した暴漢たちを踏み台に、九歳の少年が返り血に半ば染まった笑顔で近づいて来たら。これはもうちょっとしたホラーなどというレベルではない。その時に浮かべた笑顔は安堵のそれであったのだが、この状況や状態ではとてもそうは見えない。ましてや、この時にかぎって、付近に落ちたその雷光で、薄暗かった小屋が、その少年の姿ごと、一時的に白く照らしたとあっては、火に油をそそぐような演出である。


「――鈴村さんは悲鳴を上げてその場にうずくまりました。暴漢に暴行を受けそうになった時よりもおびえた姿で……」


 勇吾ユウゴの口調に翳りが生じる。それもそうだろうとリンは思う。勇気を振り絞って助けたのに、その報酬がそれでは、落ち込むなというのが無理な話である。特に、九歳の少年にとっては。


「――でも、幸いなことがふたつありました。ひとつは、肉体的にはなんの異常もなかったこと。もうひとつは、暴漢を倒したのは小野寺勇吾ボクだと気づいてないということでした」

「……………………」

「――それを知って、僕は安堵しました。僕と会うたびに鈴村さんがおびえた表情を僕に見せるのは、何よりもつらいですから」

「――でも、その代償に、アンタは鈴村からイジメられるようになったわ。自分を捨てて逃げたと思い込んで。つらくなかったの?」

「――つらくない――と言えばウソになります。けど、鈴村さんにおびえた目で見られるくらいなら、憎しみの目で見られた方がはるかにマシです」


 勇吾ユウゴはゆるぎない口調で断言する。その表情も真剣極まりなかった。


「……小野寺……」


 リンもこれ以上の言葉が出ずに口を閉ざしてしまう。


「――ですから、この事は鈴村さんには黙っていてもらえませんでしょうか。お願いしますっ! 観静さんっ!」

「――ちょ、ちょっと待って、小野寺」


 頭を下げて必死に懇願する勇吾ユウゴに、リンはとまどいながらも楽観論を述べる。


「……そ、それは大丈夫なんじゃない。だって七年前の話でしょ。鈴村の心的外傷トラウマはすでに克服してるんじゃ……」

「……いえ、克服なんてしていません。中央端末室での戦いで、鈴村さんはおびえていました。鈴村さんを人質に取った黒巾党ブラック・パースを、僕がボコボコにするのを見て。まるで、七年前のあの時のように」

「……そう言えば一人だけいたわね。そんな状態のヤツ。それってアンタがやったんだ……」

「……はい。本当はあんなヒドい事をするつもりなんてなかった。けど、あの黒巾党ブラック・パースが鈴村さんを背後から撃った瞬間、頭が真っ白になってしまったんです。あの時の暴漢のように……」

「……………………」

「……だから、あらためてお願いします。鈴村さんには僕の正体を明かさないでください。いえ、できれば、鈴村さんにかぎらず、だれにも言わないで欲しいのですが……」

「……それってどういう意味かわかってて言ってるの?」


 リンは険しさのある口調で問い返す。


「――アンタの正体を隠し続けるってことは、今後も鈴村にいじめ続けられるという意味なのよ。記憶操作される以前までと同様。それでもかまわないっていうの?」

「……かまいません……」


 勇吾ユウゴは静かに答える。


「……………………」


 それに対して、リンはなにも言えなくなる。


「……それに、僕はヘタレですから。鈴村さんや皆さんの言う通り。僕は単にそれにふさわしい報いを受けているだけです」


 だが、勇吾ユウゴが自虐気味につけ加えた科白を聞いて、リンは目をむく。


「なに見当違いなこと言ってるのっ?! アンタのどこにヘタレの要素があるって言うのよっ?! 本当にヘタレなら、暴漢に立ち向かったり、警察すらも完全に翻弄した黒巾党ブラック・パースを、ほとんど一人で壊滅させたりすることなんてできっこないわっ! どんなに強くても、一人で多数に立ち向かえるだけの勇気がなければ、決して。これは、アタシの母さんに匹敵する功績よっ! 未然に防いだ『天皇簒奪計画』がもたらす被害を考えれば。アンタは事件解決に多大な貢献を果たしたのに、どうしてそこまで自分を卑下するのよっ!?」

「……あれは、勇気ではありません……」


 勇吾ユウゴは頭を振って否定する。


「……あれは、ただの、怒気です……」

「……怒気?」

「……そうです。怒りで我を忘れたり、緊張テンションが麻薬のように高揚状態ハイになったり、そんな自分に酔ったりすることで、自分のヘタレさを、戦いが嫌いな自分の気持ちを、一時的に麻痺させているだけなのです。それが切れると、ヘタレで闘いが嫌いな自分しか残りません。現に中央端末室で、鈴村さんと観静さんが久島の人質にされた時は、恐くて自分から危険に身をさらす事ができませんでした。精神体分身の術アストラル・アバターにそれを代用させていました」

「……………………」

「……それだけではありません。僕は怖いのです。自分自身が。怒りで我を忘れると、何をするのかわからなくなってしまう自分が。それによって自他ともにもたらしたのは、恐怖とおびえだけです。だれ一人幸せになれない強さなんて、強さではありません。ただの暴力です……」

「……小野寺……」

「……普段、稽古をイヤがる僕に、父さんがよく言ってくれていました。『強くなれなくてもいい。けど、勇気のある人間になって欲しい』って。けど、現実はこのありさまです。……僕は、強くもなければ、勇気もない、異常な人間なのです……」


 そう言って小野寺勇吾ユウゴは口を閉ざす。


「――それは違うわ、小野寺」


 だが、リンは柔らかい口調でやんわりと否定する。


「……アンタが怒りで我を忘れてしまうのは、それだけ鈴村のことを大事に想っているからよ。むしろアタシには、それが引鉄トリガーとなって『ヤマトタケル』に変身するように思えるわ。それは異常なことでもなんでもないわ。人間ならだれもがなることよ」

「……………………」

「――それに、アンタに勇気がないなんて、アタシには思えないわ。もし本当にないのなら、あの時、久島から身を挺して鈴村をかばったりすることなんかできないわ」

「――!」

「――アンタは強いよ。そして、勇気もある。ただ、精神こころが未熟なだけよ。というより、心技体のうち、『技』と『体』が人外過ぎて、『心』が追いついてないのよ」

「……で、でも、僕は……」

「――もし、仮に全部アンタの言う通りだとしても、このままでいいとは思ってないんでしょ」

「――!!」


 諭すような口調で言った観静リンのセリフに、小野寺勇吾ユウゴはハッとなる。そして、ややあってから、


「…………はい…………」


 静かに、力強くうなずく。暗く沈んでいた勇吾ユウゴの表情に明るい生気が戻る。


「――観静さんの言う通りです。父さんが僕に陸上防衛高等学校への進学を勧めたのも、その『心』を鍛えさせるためでした。なら、その期待に応えませんと。僕自身のためにも」

「――そうそう。それでいいのよ。アンタの辛気くさい表情かおなんて、それこそ見たくもないわ。これからは顔を上げて学校生活を送るのよ。いいわね」

「はいっ! 僕、頑張りますっ!」

「――うん。いい返事ね。それを聞いたら、アンタの両親もさぞ喜ぶでしょうね」


 リンが満足げにうなずくと、勇吾ユウゴはさらに言う。


「――僕、一生懸命『心』を鍛えます。そして、陸上防衛高等学校を首席で卒業して、誰よりも立派な専業主夫になります。子供の頃からの夢だった、あこがれの職業に――」

「…………………………………………………………………………………………………………」

「……あの、どうしたのですか? 観静さん」

「……アンタ、自分の天職は専業主夫だと思い込んでいるけど、アタシから見たら軍人こそアンタの天職よ。今回の一件を通して、それがよくわかったわ。だから悪いことは言わないわ。専業主夫はあきらめて、素直に軍人の道に――」

「ヤダッ!」


 勇吾ユウゴは激しく頭を振ってさけぶ。


「僕は専業主夫になるんだっ! だれがなんて言おうがっ! 絶対にっ!」


 それも、金剛石ダイヤモンドよりもかたくなな態度で。だだをこねる子供のように、リンには見えた。


「……そ、そうは言っても、どうやってなるつもりなの。首席で卒業したら専業主夫になってもいいっていう、明らかに専業主夫にならせない気マンマンな条件を、アンタの両親は出しているのよ。こんな矛盾した条件を満たすような、奇蹟的な方法なんて……」

「あります」


 勇吾ユウゴは断言する。それも、さっきの返事よりも力強い口調で、あっさりと。


「あるのっ?! そんな方法がっ!?」


 リンが意表を突かれたような表情で声を上げる。


「――いったい、どんな方法なのよ。それって」

「――はい。それは、『実戦ではまったく使えない優等生』を演じるのです」

「……実戦ではまったく使えない優等生ィ?」


 口に出して反芻するリンに、勇吾ユウゴはドヤ顔で説明する。


「――はい。よくいるじゃないですか。成績は優秀だけど、実戦となると怖気ついて使い物にならない、机上の空論のようなタイプの優等生が。これを演じ続ければ、首席で卒業しても専業主夫になることも不可能ではありません」

「ええェェ~ッ……」


 リンが上げた声は、なんとも表現しがたい響きがこもっていた。勇吾ユウゴはさらに続ける。


「――幸い、僕は女子にいじめられるような、ヘタレな男子生徒として、陸上防衛高等学校の校内中に知れ渡っています。こんな男子が実戦で使い物にならないのは、誰が見ても明らか。たとえ首席の成績を取って卒業しても、その認識は変わらないはずです」

「……………………」

「――どうですか、この方法。この事に気づかずに入学してからずっと考えた末に思いついたのですけど……」

「…………うん…………まァ…………いいんじゃない…………その方法…………」


 観静リンは、呆れ半分、感心半分の口調と態であいまいにうなずく。


(……そこまでしてなりたいの。専業主夫に……)


 という思いを胸中に強く抱きながら。これもまた、なんとも言えない気分であった。


「――ですから、三度みたびお願いします。僕の正体と本当の実力をだれにも言わないでください。もしこれが知れ渡ったら、『実戦でも使える優等生』として、僕の専業主夫への道は完全に閉ざされてしまいますから」

「…………ええ、いいわ…………」


 観静リンには、これ以上の反駁や意見を述べる気力は、もはや残されていなかった。


「――ありがとうございますっ! はァ~ッ、よかったァ~……」


 勇吾ユウゴは心底安堵した表情でその息をついた。


「――観静さんがいい人で本当によかったです。そして、あの時に出会えた事も。もし観静さんに出会えなかったら、僕も鈴村さんも事件の被害者の皆さんも、みんな不幸のままでした」

「……………………」

「――あ、いえ、違うかな。別に僕と出会えなくても、観静さんならみんなを救えていました。僕と違って観静さんは――」

「――違うわっ!」


 リンは強い口調で言い放つ。勇吾ユウゴの言葉を中断させて。


「――アンタじゃなきゃ、絶対に救えなかった。アンタと出会ってなければ、誰も救えなかった。アタシ自身さえも……」

「……み、観静さん……?」

「……アンタと出会ってよかったのは、アタシの方よ……」


 そう言ってうつむくリンの顔を、勇吾ユウゴはのぞきこもうとする。


「……観静さん、もしかして泣い――」

「――精神感応テレパシー通信を切るわ。そろそろ見回りの看護師さんが来る頃だから」

「えっ?!」

「――とにかく、ありがとう、ユウちゃん。アタシの母さんの名誉を取り戻すために、事件を解決するためにアタシに力を貸してくれて。アタシが言いたいのはそれだけ。それじゃ――」

「――えっ、ちょ――」


 勇吾ユウゴがとまどいながらも声と手を上げかけるが、その直後、リンの姿が消失し、白一色の脳内仮想空間も黒一色に変化した。

 それにともない、勇吾ユウゴの意識も闇に落ちた。




「――ご気分はどうですか」


 十代後半の少女が、寝床ベットに横たわっている糸目の少年に声をかける。


「――あれっ!?」


 目が覚めた糸目の少年――小野寺勇吾ユウゴは、左右に視線を振ると、上体を起こしてふたたびおなじ動作をする。ここも白一色の空間だが、必要最小限の調度品が部屋の周囲に備えられてあるのが、なにもない脳内仮想空間と異なる点であった。調度品のひとつである水差しが、天井の窓から差し込まれる朝の陽月ようげつの陽光に反射して輝いている。


「――大変でしたね。あの連続記憶操作事件に巻き込まれて。ですけど、大したケガがなくてよかったです。寝ている間に見舞いに来ていた方々も心配していましたよ」


 十代後半の少女は、安堵を込めた声調で言う。勇吾ユウゴはその少女に視線を固定させると、


「……ここ、は……?」


 おもむろに、だがたどたどしい口調でたずねる。


「――警察病院の病室です。昨夜、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局で倒れているところを、警察が保護して警察病院ここに収容されたのです」


 白一色の看護ナース服をまとった十代後半の看護師は的確に答える。


「……………………」


 それを聞いた勇吾ユウゴは、相手から視線を外してうつむく。反応の薄い患者の様子に、看護師は怪訝そうな表情でうかがう。


「……どうかされました?」

「……いえ、だれかと話していたような気が……」


 その返答を聞いて、看護師は微笑を浮かべる。


「――きっと夢の中ででしょう。つい先刻さっきまであなたは病室ここ寝床ベットで眠っていたのですから」


 そう応じると、看護師は患者の身のまわりをテキパキと片づけ始める。


「……………………」


 その間、勇吾ユウゴは側方にある病室のドアに視線を動かす。

 引き戸のそれはいま開いている状態なので、上体を起こした勇吾ユウゴ寝床ベットからでも、ドアの向こう側にある廊下が見える。

 その廊下の病室側の壁際には、一人の少女が、エスパーダに触れたまま寄りかかっている。


「……………………」


 そして、ややあってからエスパーダに置いた手を離すと、小野寺勇吾ユウゴの病室のドアに背を向けて、そのまま歩き去って行った。

 ショートカットの髪を揺らしながら。

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