第5話 記憶の行方

「――小野寺っ! 今までどこに行ってたのよっ!」


 応接室を出たリンは、その右から廊下を歩いてきた糸目の少年に詰問調で質す


「……そ、それは、その、トイレに……」


 勇吾ユウゴは答えるが、口調はたどたどしく、視線も相手からそらしたままで、表情にいたっては完全におびえ切っている。その様子は、まるで母親に叱られた子供のようであった。


(……記憶銀行メモリーバンク強盗の時も、高級マンションの時も、そして強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズが廃寺へ突入した時も、全部、ヤマトタケルとは入れ違いで、鈴村やアタシの前に姿を現している。これを偶然の一致として片づけるには、無理があるっていうものだわ……)


 リンはそんな勇吾ユウゴを探るような目つきで見つめるが、


「……そ、そういえば、今回捕まえた黒巾党ブラック・パースからなにか有力な記憶じょうほうは入手できたのでしょうか?」


 話題を変えるように、今度は勇吾ユウゴが質問する。あまりにもの不自然さに、リンは思わず苦笑してしまうが、それを指摘することなく素直に答えた。


「……龍堂寺の話じゃ、有力な記憶じょうほうはなにひとつ得られなかったそうよ。身元も記憶も、これまで捕まえた黒巾党ブラック・パースと一緒。やはり黒巾党ブラック・パース首領リーダーを逃してしまったのは痛かったわね」

「……………………」

「――いったいだれのせいなのかしらねェ」


 リンは皮肉っぽい口調で声高に言う。この場にいる者といない者に対して。


「――まァ、いいわ。それよりも、アンタでないとどうにもならないことが起きて困ってるのよ。ちょっと助けてくれない?」

「……なんでしょうか?」

「――アタシについてくればわかるわ」


 そう言い置いてきびすを返して歩き出したリンの後を、勇吾ユウゴは黙ってついて行く。

 二人がたどり着いたのは、警察署の休憩室であった。応接室と比べると殺風景だが、広さは教室なみにある。その一角の簡素なテーブルに、ツーサイドアップの少女が、両腕を下に敷いて伏せている。


「……ううっ、どうして、どうして。今度こそ、今度こそはと思ってたのに……」


 ツーサイドアップの少女――鈴村アイは涙で両腕を濡らしながら嗚咽気味につぶやく。さきほど、龍堂寺イサオから、小野寺勇吾ユウゴの記憶を元に戻すのに役立つような情報を、逮捕した黒巾党ブラック・パースからなにひとつ得られなかったことを告げられ、深く落ち込んでいるのだった。期待する都度あう裏切りに、アイの心はついに折れてしまったのである。


「……なんとかしてよ……」


 リンはすがるような目つきで勇吾ユウゴに頼み込む。


「……でも、自動調整の方が終われば、なんとかしなくても……」

「――わかってるわ。けど、それでも、お願い。とてもじゃないけど、見てられなくて……」


 リンに背中を押されて、勇吾ユウゴは、休憩室の出入口から、アイの背後まで歩いて行く。そして、そこで立ち止まると、かなりためらった末、おっかなびっくりに口を開く。


「……鈴村さん。鈴村さんが僕の失った記憶を元に戻そうと頑張ってくれているのはとてもうれしいです。けど、もういいのです」

「……………………」

「――僕は記憶を失った状態のままでも、別に苦しくも辛くもありませんし、不安もありません。大切なのはこれまでの想い出きおくではなく、これから築き上げる想い出きおくではないでしょうか」

「……………………」

「――ですから、鈴村さん。僕の失った記憶にこだわるのはやめましょう。観静さんが言った通り、そんなことに時間を費やすより、最初いちから想い出を築きなおした方が……」

「……そんなこと……?」


 アイは不意に言葉を発する。テーブルに顔を伏せたままであったが。だが、


「――そんなことですってっ?!」


 突如上体をはね起こし、涙で濡れた顔で勇吾ユウゴをにらみつける。それとともに放たれた声も、声帯が張り裂けんばかりに甲高く、激烈であった。


「――それじゃ、どうでもいいって言うのっ!? 大切な幼馴染と共有していた大事な想い出をメチャクチャにされたアタシの気持ちなんか、どうでもいいって言うのォッ!?」

「……す、鈴村さん……」

「アタシはよくないわっ! ユウちゃんはよくてもっ! 幼い頃からの大切な友達が、ある日突然、認知症のように記憶の食い違いをするようになってしまった。アタシに関する想い出きおくも、すべて。それを知った時の衝撃ショック、アタシは現在いまでも忘れてないわ。ユウちゃんにはわかる。大切な幼馴染と共有シェアしていた大事な想い出きおくをメチャクチャにされたアタシの苦しみや辛さをっ!」

「……………………」

「――いえ、わかるわけないよね。でなければ、そんなセリフ、言えるわけないもの。アタシの気持ちをわかってくれるのは、やはり大巫女長さましかいないわ」

「――その大巫女長さまのことなんだけどね、鈴村。無縫院は――」


 リンが口をはさむが、アイの耳にはまったく入らなかった。


「――アタシはこれからも探し続けるわ。ユウちゃんの記憶を元に戻す方法を。例えそれが中二病的な方法であっても。アタシにとって、想い出きおくは命よりも大切なものなんだから。だれがあきらめたりするもんですかっ!」

「――鈴村さん。放課後でも言いましたけど、僕は記憶操作されてなんかいませんし、鈴村さんとの想い出きおくはあなたが思っているような――」


 勇吾ユウゴが説得するように告げかけるが、鈴村アイはすぐさま悲しみに暮れて、それを妨げる。


「……ううっ、かわいそうなユウちゃん。アタシの事、なにひとつ覚えてない上に間違って覚えてるなんて。あの黒巾党ブラック・パース首領リーダーめ。ユウちゃんの想い出きおくをメチャクチャにしておきながら、まんまと逃げおおせるなんて、絶対に許さないっ! ユウちゃんの記憶を元に戻したら、絶対に泣きっ面をかかせてあげるわっ! 悪霊や邪霊を憑りつかせたり、呪符を貼って呪ったりなどして」


 アイは握り拳をつくってかたくなに誓う。


「……………………」


 その姿を見て、勇吾ユウゴはこれ以上、なにも言えなくなった。


「……で、これからどうするの?」


 いつの間にか勇吾のそばに来ていたリンが、げんなりとした口調でアイにたずねる。


「――もちろん、ユウちゃんの記憶を元に戻すわ。なにがなんでも」

「――でも、その方法はあらかた――」

「やり尽くしてないわ。まだ残っている。口寄せというのが」

「……でも、それは無理だと、昼間、本人アンタが言ってたんじゃ……」

「ええ。でも、もうこれしかないわ。それに、これまでの『試練』で、アタシの霊力と肉体は飛躍的に強化されたわ。これなら、きっと――」

「……………………」


 リンもまた、これ以上かける言葉がなかった。愛の中二病について行けずに。アイは続けて独白する。


「――でも、これはさすがに大巫女長さまに協力をあおぐわけにはいかないわ。とても危険だからね。それに、これ以上は迷惑をかけられないし」

「……………………」

「――それじゃ、さっそく女子寮に戻って準備を整えるわ。それまで待っててね、ユウちゃん」

 椅子から立ち上がったアイは、そう言い残して休憩室を小走りで去って行った。

「……行っちゃった……」


 それを見送った勇吾ユウゴは茫然とつぶやく。


「――そうだっ! 早く追わないと――」


 そして、思い出したかのように追いかけようとしたその時、


「――待って、小野寺。ようやく終わったわ」


 リンの言葉を聞いて身体ごと振りむく。

 おどろきと期待に満ちた表情で。


「――終わったって、まさかっ!?」

「――ええ。自動調整が、たった今ね」


 リンが心得たようにうなずく。


「――よかったァ……」


 勇吾ユウゴが安堵のひと息をつくと、顔を上げてエスパーダに触れる。


「――それじゃ、さっそく精神感応テレパシー通話で呼ばないと――」


 だが、そう言った後、


「――でも、いいの? 本当に……」


 リンが心配そうな表情で尋ねる。


「――真相を突き止めるためとはいえ、そんなことしたら、アンタが今の鈴村よりも苦しくて辛い思いを――」

「――いいんです」


 リンの言葉をさえぎって、勇吾ユウゴは頭を振って答える。


「――このままではいけないのです。絶対に。例え、それが心地いいものでも……」


 今度は真剣きわまりない表情で。


「……それに、ここでやめたら、これまでの観静さんの苦労が……」

「……わかったわ」


 リンは覚悟を決めた表情をつくって応える。


「――それじゃ、兼ねてからの打ち合わせ通り、例の場所に連れて行くわよ。もちろん、アイツらには嗅ぎつけられないようにね」

「――はい。では、さっそく――」


 そう言って勇吾ユウゴは右耳に装着してあるエスパーダで精神感応テレパシー通話した。




 その頃、無縫院真理香マリカは、警察署の事務室で、署員達から謝辞と賞賛の嵐にさらされていた。


「――ご協力、本当にありがとうございます。さすが稀代の天才科学者、無縫院美佐江さんの娘ですね。ますますあなたのファンになりました」

「――母親ゆずりの頭脳を持つ無縫院さんが、一日警察署長として警察署に来ていなければ、今回の事件は解決できなかったでしょう。無縫院さんには本当に感謝しています」

「――これからもよろしくお願いします。なんといっても、無縫院さんは超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親の血を受け継いでいる才女なのですから」


 それらを笑顔で受け流した無縫院美佐江の娘は、事務室を後にすると、一転して陰鬱な表情に変わる。闊達な笑顔がウリのアイドルとは思えない表情である。ファンが見たらさぞ落胆がっかりするであろう。


「……やはりみんな、あたし自身を見て、賞賛してくれないのね……」


 警察署の廊下を歩きながらつぶやいたそれも、表情のそれにふさわしいものだった。


「……だったら、なおのこと達成させないと」


 しかし、あらためて決意を固めると、表情から陰鬱さが消え、厳しいそれにとって代わる。


「――そのためにも、あの案件を――」


 そして、警察署のとある執務室の前で足を止め、そのドアをノックする。


「――失礼するわよ」


 いささか無遠慮に入室してきた真理香マリカを、デスクに座っている部屋の主は、そこから立ち上がって迎える。


「――おお。真理香マリカはん」


 部屋の主である龍堂寺イサオは、よろこびに富んだ表情をつくって応える。


「――事件解決、おめでとう、龍堂寺くん。これでもう二度と起きないわね」


 デスクの前まで来た真理香マリカは、イサオに祝辞を述べる。


「――ホンマや。これで超常特区の住人も安心して暮らせるようになるし、ワイら警察の評判も上がるやろう。これまでずっと下がりっぱなしやったからなァ」


 イサオも笑顔で応えるが、不意に表情を曇らせる。


「……せやけど、事件の被害者の記憶を元に戻すことがでけへんかったのが心残りや。あと、逮捕した黒巾党ブラック・パースから事件の真相を聞き出すことも。これまでと同様、必要最小限の記憶しか残されておらへんかったわ……」

「……そうね。そこは逃げ延びた黒巾党ブラック・パースの残党が頼みの綱だと言いたいところだけど、望み薄ね。自分に記憶操作していたらそれまでだし……」

「……結局、真相は完全に闇の中や。黒巾党ブラック・パースの犯行目的や理由もわからずじまいやったし」

「……鈴村にあわせる顔がないわ。小野寺くんの記憶を元に戻す為にあんなに頑張ったのに」


 真理香マリカの美顔にもかげりが差す。


「――真理香マリカはん。どうか落ち込まんといてェ。真理香マリカはんがおらんかったら、事件は解決にすら導けへんかったんやから」


 それを見て、イサオが慌ててはげます。


「――ありがとう、龍堂寺くん」


 真理香マリカは晴れわたった笑顔をイサオに見せる。性別に関係なく、無縫院真理香マリカのファンの心をわし掴みにするアイドルの笑顔である。


「――はうっ!」


 それはその一人である龍堂寺イサオも例外ではなかった。心を打たれ、たちまちメロメロになる。

 その後、無縫院真理香マリカの脳内で、精神感応テレパシー通話の着信音が鳴りひびく。真理香マリカはエスパーダに手を置いてそれに出ると、興奮に満ちた声が、着信音以上の大音量で脳をゆらした。


(――大巫女長さまっ! 聞いてくださいっ! ビックニュースですっ!)

(――ど、どうしたのよ、鈴村。そんなに興奮して――)


 その声によろめきながらも、真理香マリカが訊くと、アイは興奮のおさまらぬ声でこう答えた。


(――ユウちゃんの、ユウちゃんの記憶が戻ったんですっ! たった今ユウちゃんから精神感応テレパシー通話で知らせて来たんですっ!)

「――なんですってっ!?」


 真理香マリカは思わず声に出す。それに構わず、アイはまくし立てるように言い続ける。


(――なんでも、転倒して地面に頭を打ったら突如記憶がよみがえったって――)

(……そ、そんな、バカな……)

(――それを聞いた時、アタシ、びっくりしたわ。一周目時代にもあったそんな原始的な方法で記憶が戻るなんて。遺失技術ロストテクノロジー再現研究所でそれを見つけた時は一笑に付したけど、それで戻るんなら試せばよかったわ。頭部に外傷を負っちゃうのが玉にキズだけど――)

(――ちょ、ちょっと待って、鈴村――)

(――大巫女長さま。これまでユウちゃんの記憶を元に戻すのに協力してくれて、本当にありがとうございました。それなのに、この大事を大巫女長さまにお知らせしないのは、恩を仇で返す行為だと思って、こうして知らせた次第です。それでは、大巫女長さま、さようなら)


 真理香マリカが呼び止めるヒマさえ与えられずに、アイ真理香マリカとの精神感応テレパシー通話を切った。


(……そ、そんな、そんなこと、ありえない……)


 エスパーダから手を降ろした真理香マリカは、愕然とした表情でつぶやく。


(――小野寺くんの記憶が元に戻るなんて、ありえない。絶対にっ!)


 そして、美人に似合わない形相で激しく頭を振る。それに遅れて、ツインテールの黒髪も激しく波打つ。


(……なぜなら、記憶操作されたのは、小野寺く――)

「……真理香マリカはん どないしたん?」


 メロメロの状態から回復したイサオに、怪訝そうな表情で尋ねられると、真理香マリカは、意識を現実の水面に引き上げる。


「――いっ、いえ、なんでもないわ……」


 真理香マリカは言葉を濁す。イサオは納得しなかったが、再びたずねた内容はまったくの別件である。


「――そうや。真理香マリカはん。今度の単独ライブ、いつなんやろか。事件に追われて行く時間ヒマがあらへんかったから、できれば日程を教え――」

「――ゴメン、龍堂寺くん。急用ができたから、これで失礼するわ」


 真理香マリカはおなざりな別れの言葉を述べると、速い歩調で龍堂寺イサオの執務室を後にする。

 今度はイサオが呼び止めるヒマも与えられずに。


(――精神感応テレパシー通話に出ない。なにかあったんだわ、きっと――)


 廊下を速足で歩いている真理香マリカは、アイからの応答がないのを見てそのように判断する。


(――これで確信したわ。やはり彼女はクロだということが。急がないと――)


 真理香マリカは廊下を歩く速度スピードを更に上げながら、別の相手に精神感応テレパシー通話する。そして、それに出た相手に、緊張をはらんだ声で告げた。


(――久島、緊急事態よ。急いで観静の居場所を突き止めて――)




 前述の通り、二周目時代の『空宙』は、空気のある青の空間だが、そのすべてが必ずしも青一色ではない。

 一周目時代の宇宙のように、漆黒の空間も、ごくわずかながらも存在する。

 二十四時間で一周する第二日本国の浮遊列島の公転軌道上に、それがあるのだ。

 その中では、一周目時代の夜とほぼ同じ環境になるのである。

 夜の時間は、季節によっては、長くても十二時間、短くても八時間くらいである。

 『陽月ようげつ』の光も、その空間の中だと、月程度の明るさしか差さない。

 唯一の違いは、一周目時代の太陽であり、月でもある『陽月ようげつ』が、朝夕や昼間と同様、常に真上にあることである。

 そして、常に満月であり、それ以外の半月や三日月などといった形に見えることはない。

 このように、二周目時代の空宙は、自然環境だけではなく、天体環境においても、一周目時代と、根本的に違うのである。

 しかし『雲』は存在するので、一周目時代の天候のように、それで陽月の光がさえぎられることはある。

 これは二周目時代の朝夕や昼間にも起こる現象である。二周目時代の夜も例外ではない。


「……はぁ、はァ、ハぁ、ハァ……」


 そんな暗闇に覆われた市街区島の歩道を、ツーサイドアップの少女が、息を切らしながら疾走している。

 疲労の色が濃いにも関わらず、その表情は元気溌剌はつらつであった。


「――ユウちゃんの記憶が戻ったっ! ついに、ついに戻ったんだっ!」


 ツーサイドアップの少女――鈴村アイは喜声を上げる。


「――遂に、遂にあの日々が戻って来る。ユウちゃんとの楽しい日々が、想い出きおくと共にっ!」


 そう思うと、それだけで天にも昇る気分であった。

 鈴村アイの脳裏に、小野寺勇吾ユウゴと過ごした楽しい日々の想い出が走馬灯のようによぎる。

 大巫女長や大将軍に、大神十二巫女衆や須佐十二闘将の一人として、日本武尊やまとたけるのみこととともに、それぞれ任命された儀式。

 霊能力を高めるために一緒に受けた様々な修行や鍛錬。

 そして、幾多の魑魅魍魎ちみもうりょうを巧みなコンビネーションと霊力で退治した数々の戦い。

 なにもかもが懐かしかった。

 無論、これらはすべてアイが作り上げた中二病的な妄想だが、その元である脳内の源記憶は、そうした要素をひとつ残らず排除した内容である。

 アイは二車線道路の歩道から路地裏に続く角を曲がると、そのまま直進する。

 記憶の戻った勇吾ユウゴが、その先で待っているのだ。


「――ユウちゃん、ユウちゃんっ! ユウちゃんっ!!」


 アイは大事な幼馴染だと思っている糸目の少年の愛称を連呼する。

 そうしている間に、アイ勇吾ユウゴが指定した場所の前に到着した。

 路地裏に建てられた四階建ての空きビルに。

 陽月の光で薄く照らされたそれは、老朽化が激しく、今にも倒壊しそうであった。

 テレタクで急行しなかったのは、指定の場所に防犯カメラが設置されてないからである。


「……ここに、ユウちゃんが……」


 アイは呼吸を整え、玄関の引戸ドアを開けると、空きビルの屋内に入り込む。

 外におとらない暗闇がビル内の廊下に広がっている。


「……ユウちゃん。どこにいるの?」


 アイの声に不安の微粒子が混入するが、それでもそれを振り払って奥へと進む。

 その時だった。

 突然、アイの首筋に木刀でなぐられたような衝撃が走ったのは。

 アイはあっけなく廊下に倒れ伏す。


「……だ、だれ……?」


 朦朧もうろうとする意識の中、うつ伏せに横たわったアイは、何とか首を動かして横目で見上げる。

 そこには二人の男女が立っていた。

 陸上防衛高等学校の学生服ブレザーを着た、糸目の少年とショートカットの少女であった。

 鈴村アイにとって、どちらも見知った顔である。

 だが、


「……ど、どうして、こんな、こと……を……」


 たどたどしいつぶやきを残して、アイの意識は闇に落ちた。




「――待ってェッ!! 置いてかないでっ!!」


 それは、自分を捨てて一人で逃げる少年の後姿であった。


「――いやァッ!! 来ないでェッ!!」


 それは、血にまみれた拳と顔で自分に近づいてくる少年の前姿であった。

 どちらも七年前の光景である。

 前者のそれと後者のそれの時間差は約二時間。どれも同じ日に起きた一連の出来事だった。

 だが、どちらの光景に映っている少年は同一ではない。どちらも自分と同じ年頃だと思うが。

 しかし、前者の少年なら知っている。

 自分を捨てて、一人で逃げた少年なら。

 その少年の名は――


「――はっ?!」


 目が覚めた鈴村アイのそれに映ったのは、照明のぶら下がった灰色の天井であった。

 右を向くと灰色の壁があり、一瞬、七年前に監禁されたあの場所かと思ったが、それは右に視線を転じた時、思い違いだったと悟る。


「……鈴村、さん……」


 そこには、それから一六歳に成長した幼馴染の少年が、アイの枕元に立って見下ろしていた。

 マッシュショートの髪型に糸よりも細い目をした少年――小野寺勇吾ユウゴの姿が。


「……小野寺……」


 アイは呆けた顔で糸目の少年を名字で呼ぶ。


「……アタシ、どうして、ここに……」


 アイ寝床ベットから上体を起こすと、寝ぼけた目と声で尋ねるが、直後に重大な事を思い出す。


「――そうだっ! ユウちゃんの記憶が戻ったんだったっ!」


 我に返ったような声を上げて寝床ベットから飛び降りるアイ。目が覚める直前まで見ていた夢のことなど、すでに意識の外へ追いやっていた。


「――ユウちゃんっ! 思い出したっ!? 思い出したよねっ! あの強くて勇ましかったユウちゃんの記憶がっ! ユウちゃんと一緒に楽しく過ごしていたアタシと同じ想い出きおくがっ!」


 勇吾ユウゴの両肩をつかみ、前後に激しく揺らす。


「……すっ、鈴村さん、そっ、それは……」


 勇吾ユウゴはなにか言おうとするが、この状態では満足に舌を動かせない。そこへ――


「――ああ、それね。あれ、ウソよ。小野寺の記憶が元に戻ったっていうのは」


 勇吾ユウゴのものではないそのセリフを聞いた瞬間、鈴村アイのすべての動作が停止する。

 さすがに心臓までは停止しなかったが、精神的にはそれに等しい、それは衝撃ショックだった。


「…………なっ、なんですってェッ?!」


 素頓狂な声を上げたのは、だいぶ間をおいてからであった。衝撃的な告白にしては、あまりにもあっさりとした口調だった。アイはその声がした方角に顔と視線を動かすと、ショートカットの少女が、小野寺勇吾ユウゴのそばにたたずんていた。


「――アレね、鈴村アンタをここへ誘導するためについたウソなの。こんなウソでも、しかも小野寺につかせないと釣れないからね。――っていうより、これでしか釣れないわ」


 ショートカットの少女――観静リンは悪びれもなく話す。


「……ウソ……」


 アイがそうつぶやいたのも、かなり時間が経ってからであった。


「……ほ、本当です。鈴村さん……」


 とどめの一言を放ったのは、当の本人である小野寺勇吾ユウゴだった。

 それを耳にした瞬間、鈴村アイの脳内は真っ白になり、大切な何かが崩れ落ちた。


「………………………………………………」


 勇吾ユウゴの両肩からアイの両手が滑り落ち、だらりと垂れる。


「――ま、そういうことよ」


 リンがそっけなく総括する。

 罪悪感の欠片もない口調であった。

 その直後だった。

 アイの心の奥底から、ありとあらゆる負の感情が無尽蔵に沸き上がって来たのは。

 それらに共通しているのは、二字熟語で言い表すのなら、まさしく『殺意』であった。


「――ア・ン・タ・っ・て・ヤ・ツ・はァァァァァァッ!!」


 アイは憎悪と呪詛の念にたぎらせた声を張り上げる。むろん、観静リンに対して。

「ギャハハハハハッ! ダマされたァ~ッ! 不幸ザマァ~ッ!!」 


 だが、リンはそんなアイを指差してあざ笑う。


「――今の様子、『吉事』としていただいたわっ! 今まで収集した中では最高傑作よっ! 永久保存版として残しておくこと決定ねっ! よかったね、アイちゃん」


 その笑い声に、子供のようにはしゃぐそれが続いた。


 ブヅンッ!


 アイはキれた。

 その音が聴こえたように、本人はしたが、そんなものなどまったく意に介していなかった。

 そして、窒息しそうな殺気を全身から放ちながら、猛然とリンへと進み出す。

 リンの首を絞め上げるために。

 鬼すら全裸で逃げ出すほどの形相で、その両手を伸ばす。


「――アイちゃんっ!」


 だが、その声を聴いた時、アイはその場に立ち止まる。

 自我を取り戻したような表情を、声の主に向けて。

 周囲に放っていた殺気もウソのように消えていく。


「……ユウ、ちゃん……」


 アイの表情が驚愕のそれに変わる。勇吾ユウゴが記憶操作されて以来、初めて下の名ではっきりと呼んでくれたのだ。鈴村アイの記憶では。

 鈴村アイにとって、その呼称は、記憶操作される前に使っていた愛称でもあったのだ。


「……そうか、ユウちゃん、ついに、記憶が……」


 感激にむせるアイの脳裏に、幼馴染である勇吾ユウゴとの想い出が、幼稚園の入園式を皮切りに、時系列順に浮かび上がる。

 幼馴染として苦楽を共にした日常の日々。

 多種多彩な学校生活や行事を通して育まれた仲。

 それは、鈴村アイにとって命よりも大切な想い出きおく――  

 ――のはずであった……  

 ……のだが、


「……どういうこと……?」


 しかし、たった今思い出したその想い出きおくは、途中から蜃気楼のようにぼやけていた。

 まるで枕元で見た夢みたいにひどくあやふやで、今にも消えそうであった。


「――どうして鮮明に思い出せないのっ!? ここに来るまでこんな事なかったのにっ!」


 アイの背筋に動揺と恐怖の悪寒が上下する。


「――一体どういうことなのっ!? どうして、こんなにおぼろげなのっ!?」


 それでもアイは懸命に勇吾ユウゴとの想い出を鮮明に思い出そうとする。

 だが、ダメだった。

 何度繰り返しても想い出きおくは鮮明にならない。

 代わりに鮮明になったのは、それとは別の想い出きおくであった。

 その瞬間、鈴村アイの頭上に驚愕の稲妻が落ちた。


「……そう、だったわ……」


 アイは力なくうなだれる。

 アイは思い出した。

 本当の事を。

 それにより、今までアイが抱いていた数々の疑問が次々と氷解する。

 何をしても勇吾ユウゴの記憶が元に戻らないのも。

 勇吾ユウゴに記憶操作された自覚がないのも。

 これならすべて辻妻があう。

 そう。小野寺勇吾ユウゴは最初から記憶操作されてなどいなかった。

 それもそのはずである。

 記憶操作されていたのは、他の誰でもない、鈴村アイ自身だったのだからっ!

 それも二度もっ!

 記憶操作で封印されていた本当の記憶が、それを証明していた。


「………………………………………………」


 アイは茫然と立ち尽くしたまま沈黙する。驚愕の事実に、甚大な衝撃ショックを受けて。


「……どうやら元に戻すことに成功したみたいです。鈴村さんの記憶……」


 勇吾ユウゴは安堵の一息をつく。


「――今回の『記憶復元治療装置』の自動調整は、前回のそれよりも精度が上がったからね」


 そう言ってリンアイの左耳の裏にあるエスパーダ状の小型機器をはずし取る。


「……二人とも、どういうことなの……?」


 アイは混乱の渦を脳内や胸中に抱いたまま説明を求める。


「――要するに、アタシたちは操作されたアンタの記憶を元に戻すために、今まで動いてたのよ。アンタの行動に付き合う形でね」


 それに答えたのは観静リンであった。


「――ま、動いてたと言っても、この装置の自動調整が終わるのをただ待ってただけだけど」


 リンは説明しながら、右手にある三日月状の小型機器をアイに見せる。エスパーダに似ているが、これが鈴村アイの記憶を元に戻した記憶復元治療装置なのである。よく見ると、通常は右耳に装着するエスパーダと違って、左耳用の構造になっている。


「――前回、初めてアンタにこれを使った時に、適度に調整したそれが狂ってしまってね。それが完了したのはついさっきなの。なんせ最近完成させたばかりの自作品だから」

「……観静が作ったの、これ」

「――ええ、そうよ」

「……そ、そうなんだ……」


 アイはそれを見つめたまま応じる。表情は放心と戸惑いの二色が浮かんでいるが。


「……で、でも、本当にアタシの記憶は元に戻ったの? それで。元に戻った記憶が本物だという証拠はどこにあるの? どうやってそれを証明するの? もしこれも偽物の記憶だったら……」


 ややあってからその事に気づき、危惧を覚える。アイの背筋がふたたび悪寒に支配される。


「――それは大丈夫。記憶復元治療装置の原理上、まずありえないから。アタシが保証する」


 だが、それに対して、リンは自信満々の表情で告げ、その理由を説明する。

 記憶復元治療装置は、人間の五感を通して覚えた、言わば『身体で覚えた』記憶を元に、脳内の記憶中枢に再構築して復元する原理となっている。黒巾党ブラック・パースの記憶操作は、対象者の脳内記憶をいじるだけで、『身体で覚えた』記憶までは及ばない。つまり、元に戻った記憶はすべて本物なのである。体験や体感をした限りにおいて、だが。


「――だから安心しなさい。まだ試作段階だから、復元しきれてない記憶が残っているかもしれないけど、復元した記憶においては、偽りはないわ」

「……そっか、そうなんだ。よかった……」


 アイの表情からようやく安堵の笑みがこぼれる。だが同時に不思議に思う。どうしてリンは記憶の操作や復元に関する技術的知識・情報ノウハウに精通しているのか。その上、開発の着手すら誰もしていない記憶復元治療装置を自作し、成功させるなんて。その開発力と技術力は、超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親、無縫院美佐江に次ぐレベルである。


「――まったく、アンタには散々手を焼かされたわよ。黒巾党ブラック・パースの目をあざむくためとはいえ、操作されてもいない小野寺の記憶を元に戻そうと奔走するアンタの行動や言動に合わせるのは。ウサ晴らしにアンタから『吉事』でも収集してなけりゃ、とてもやってられなかったわ。そんな状況だから、アンタから必要以上に離れるわけにもいかなかったし」

「うっ……そ、それは……」


 リンがこぼしたグチに対して、アイはうめいたきり何も言えなくなる。リンはさらに畳みかける。


「……それに、アンタさっき警察署でこんなこと抜かしてたわね。『大切な幼馴染と共有していたその想い出をメチャクチャにされたアタシの気持ちなんか、アンタにはわからりっこない』って。そりゃアンタのことだよっ! 小野寺じゃなくて」

「……………………」

「――まったく。記憶復元治療装置の存在を周囲に知らせてもいい状況だったら、即座にツッコミたかったわよ。小野寺の苦労が忍ばれるわ」

「……小野寺……?」


 幼馴染の名字を耳にした後、鈴村アイはその本人を見やり、直視する。


「……そうだ。そうだったわ……」


 その口から漏れ出た声は、とても静かであった。

 それも、嵐の前に似た――


「――あ、いけない。忘れてた」


 リンが自分の口元をおさえるが、すでに手遅れであった。


「――アイちゃん?」


 勇吾ユウゴも思わず鈴村の名を口にした直後、後悔の念に囚われたような表情になる。


「……呼ばないで……」


 アイが発したその声は激しく震えていた。

 恐怖ではなく、怒りで。


「――アタシの名を気安く呼ばないでェッ! あの時アタシを見捨てて逃げたくせにィッ!!」


 その口から放たれたそれは、怒気を極限まで凝縮させた怒号そのものであった。

 そして、勇吾ユウゴに放ったのはそれだけではなかった。

 鈴村アイの右拳も、その怒号に続いた。

 大振りだったので、躱そうと思えば躱せそうな速度スピードだったが、勇吾ユウゴは躱さなかったのか、それとも躱せなかったのか、いずれにせよ、アイの右拳は相手の左頬に命中した。

 大振りな分、威力も高い一撃だったが、勇吾ユウゴはよろめなかった。顔の向きはさすがに曲がったが、ゆっくりと正面に戻したその顔はとても暗く、だが同時に落ち着いてもいた。

 まるでこうなることを予期していたかのような、それは表情と糸目である。

 殴打で刻まれた左頬のアザは見るからに痛そうだが、痛がる気配は微塵もなかった。

 痛くないわけがないはずなのに。


「――アタシが記憶操作された事をいい事に、よくもその間は馴れ馴れしく接して来てくれたわねェッ!! この卑怯者がァッ!!」 


 アイは二撃目を入れるべく、ふたたび右の拳を大きく振りかぶるが、途中で静止する。

 観静リンによって、静止させられたのだ。

 大きく振りかぶったアイの右腕の手首を、リンが宙でつかんだのである。


「――放してェッ!! 放してよォッ!!」


 アイはつかまれた腕を振りほどこうと必死にもがく。

 まるで首輪に繋がれた鎖を引きちぎろうとあがく猛獣のように。

 張り上げる声も、勇吾ユウゴをにらみつける眼光も、まさしく猛獣の如くである。

 殺意にいたっては先程のそれよりもはるかに濃度があった。


「やめなさいっ! 気持ちはわかるけど、今はこんな事してる場合じゃないでしょうがっ!」

「うるさいィッ!! 知った風な口を利かないでェッ!!」


 振り上げた左腕をもリンに掴まれても、アイは叫び暴れるのをやめようとはしない。勇吾ユウゴをにらむ眼光も、殺意によるぎらつきが増している。膂力はリンの方が上であったが、それでも、激情に身をゆだねたアイの動きをおさえるのに全力を出さなければならなかった。


「~~記憶操作されたとはいえ、あんな重大な事を忘れてたなんて。その上、本当は物凄くヘタレなのに、物凄く強いと思い込まされたアンタをイジメから守ってたなんて、自分の愚かさを呪いたい気分だわっ! アタシに優しくされて、さぞ嬉しかったでしょうね、ええェッ!」

「……………………」


 なおも罵倒を続けるアイに対して、勇吾ユウゴは口を閉ざしたまま沈黙している。

 反論や弁解もせずに。

 記憶が元に戻った鈴村アイの脳裏に、七年前の出来事がよぎる。

 記憶操作されたことのない小野寺勇吾ユウゴの脳裏にも、同時に。

 それまでは仲のいい幼馴染として、アイ勇吾ユウゴは、二人の出身地である、とある地方の町で、日々を楽しく過ごしていた。

 そこまでは記憶操作による改竄の影響はなかった。

 だが、七年前に起きたある日の出来事を境に、それは一変した。

 陽月ようげつが夕日の輝きを放ちつつある下校中の路上で、当時九歳だった二人は、四人の暴漢に襲われたのだ。

 正確には、『第二次幕末』の動乱で敗れた元士族崩れたちに。

 後日判明したことだが、その元士族崩れの暴漢たちは、道場の息子である小野寺勇吾ユウゴを人質に使って、その母親である道場の師範をおびき出し、果たし合いで勝つことで、第二次幕末の動乱で失墜した名誉を挽回しようと目論んだのだった。

 無論、これは立派な犯罪行為であり、当時の法律に当てはめても同様であった。

 つまり、鈴村アイはそれに巻き込まれたのである。

 にも関わらず、小野寺勇吾ユウゴはその場から即座に逃げ出したのだ。

 恐怖で腰を抜かして動けなくなった幼馴染を置いて。

 その後、アイはそのまま暴漢たちに誘拐され、山奥の小屋に監禁されたが、幸い、その日のうちに、自分と同い年の、だが見知らぬ少年に助けられたので、事なきを得た。

 それからであった。

 勇吾ユウゴに対するアイの態度が変わったのは。

 アイ勇吾ユウゴをいじめ抜いた。

 七年の間、一度目の記憶操作をされるまで、ずっと。

 これが、黒巾党ブラック・パースの記憶操作で書き換えられる前の、勇吾ユウゴに関するアイの本当の記憶であった。

 そしてそれは、記憶操作されたことのない勇吾ユウゴのそれと、ほぼ符合していた。


「――放しなさいって言ってるでしょっ!!」


 アイは全身の力を込めてリンに掴まれた両腕を振りほどこうとするが、


「――こっちも止めなさいって言ってるでしょうがァッ!!」


 叫ぶと同時に出したリンの頭突きを後頭部に貰い、そこをおさえながらその場にうずくまる。


「……ようやく、おとなしく、なったわね……」


 それを見て、リンはぜェぜェと息を切らしながら言う。そして、何とか呼吸を整え終えると、


「――さァ、鈴村。アンタからどうしても訊きたいことがあるわ」


 前置きの質問をする。


「……なによ、訊きたいことって」


 静かに立ち上がった鈴村アイは、後頭部を押さえたままうながす。まだ殺意の残滓はあるが、気分は落ち着きつつあるようである。


「アンタが黒巾党ブラック・パースに記憶操作されたその経緯と理由、そして黒巾党ブラック・パースの目的と正体についてよ」

『!』


 アイ勇吾ユウゴは驚いた表情をリンに向ける。その質問は、一連の連続記憶操作事件の核心を突くものであり、アイにとっては始まりの元凶であった。リンは更に問いかける。


「――いったいなにがあったの? どうしてアンタは黒巾党ブラック・パースに記憶を操作されたの?」

「……………………」

「――連続記憶操作事件の被害者と同様、何かまずいものでも目撃したからだと思うけど、それがなんなのか、最初いちから順を追って話してくれない? この事件、まだ終わってないから」

「…………わかったわ」


 しばらくの沈黙を置いて、アイは落ち着いた口調で語り始めた。

 すべての始まりは、陸上防衛高等学校に入学してから、まだ半月しか経ってない仲春のある日のことであった。

 その日の学校も、入学前から続けているエスパーダの店頭販売アルバイトも休みだったアイは、朝方から市街区島のショッピングモールを一人で寄り歩いていた。当時金欠だったので、ウインドウショッピングで済ませざるを得なかったが。夕方にはそれが終わり、女子寮への帰路に着くため、近道となる人気ひとけのない路地裏へ入ったその時、アイは偶然目撃してしまったのだ。

 黒ずくめの少年たちが、遺失技術ロストテクノロジー再現研究所に所属する超心理工学メタ・サイコロジニクスの科学者を拉致する場面を。


「――それが黒巾党ブラック・パースだったわ……」


 その場面を目撃したアイは、逃走する間さえ与えられずに黒巾党ブラック・パースに捕縛されると、どこかの空きビルに拉致され、そこで科学者もろとも、一度目の記憶操作を施されたのだ。


「――アタシは拉致された時と黒巾党ブラック・パースに関する記憶を消去させられたわ。一緒だった科学者にいたっては、超心理工学メタ・サイコロジニクスに関する技術的知識・情報ノウハウも。その後、アタシとその科学者は、アタシたちを拉致した現場の路上に放り捨てられたわ。まるで何事もなかったかのように……」

「――そう……」


 そこまでの話を聞いて、リンはアゴをつまむ。つまりアイも、連続記憶操作事件の他の被害者と同様の処置を受けたのだ。ここまではリンの想像通りである。


「……けど、どうして小野寺に関する記憶も書き換えたのかしら? 自分たちの犯行を隠蔽するために記憶操作したんなら、そんなことする必要はないはずだけど……」

「知らないわ。そんなこと。どのみち、迷惑な話よ。まったく」


 アイはそれにふさわしい表情で言い捨てる。

 いずれにしても、鈴村アイは、記憶操作された自覚のないまま現場で解放された後、何事もなかったかのように超常特区での生活を続けた。むろん、そのような状態では警察に被害届など出すはずもなく、周囲もアイの異変に気づかなかったので、事件化はされなかった。こういった事例は、連続記憶操作事件では無数にあった。

 だが、それに違和感を覚えた陸上防衛高等学校の生徒が、一人だけいた。


「――それが小野寺勇吾ユウゴだったのね」


 リンが言うと、アイは不承不承の態でうなずく。勇吾ユウゴもうなずくが、表情は暗いままである。

 幼稚園、小学、中学、そして高等学校でもアイと一緒だった幼馴染の糸目の少年は、自分に対する態度が一八〇度豹変した上に、自分が操作されてもない記憶を操作されていると思い込んでいることで、アイが超常特区で起きている連続記憶操作事件に巻き込まれたのではないかと疑い始めだ。一カ月後にそれが確信に変わると、警察に相談しようと警察署へと足を運んだ。

 それを止めたのが、そこで出会った観静リンであった。

 勇吾ユウゴが彼と同じ士族の子女たちにイジメられている現場を、何度か見かけたことのあるリンは、彼に、警察は当てにならない上に、捜査情報などが犯人側に漏れている可能性があるからだと、その理由を話す。独自に一連の連続記憶操作事件を追っている、だが見ず知らずのショートカットの少女の言葉を、素直に信じた勇吾ユウゴは、だとすれば、これからどうすればいいのか、その場で途方に暮れる。そこへリンが、自分が密かに自作している記憶復元治療装置で、操作されたアイの記憶を元に戻す提案をする。勇吾ユウゴはこれも素直に応じ、完成次第、さっそく実行に移した。無論、当人には秘密裡に。鈴村アイには、観静リンやその装置の存在も知らせなかった。そこからそれらの存在を黒巾党ブラック・パースに知らせない為の、それは用心であった。黒巾党ブラック・パースからすれば、記憶復元治療装置と、それを自作した者の存在は、絶対に看過しえぬものに違いないのだから。

 何れにせよ、これが記憶操作された人に対して施した、記憶復元治療装置の初使用だった。

 しかし、結果は必ずしも良好とは言えなかった。黒巾党ブラック・パースに関する記憶が蘇らなかったのだ。完成したばかりの試作品なので、無理もなかったが、それでも、それ以外の脳内記憶の復元には成功した。しかし、復元された記憶が原因で、アイは激怒し、その場から勇吾ユウゴの元を去って行ってしまった。その様子を、別室から勇吾ユウゴ感覚同調フィーリングリンクしてうかがっていたリンは、勇吾ユウゴとともにアイを追ったが、発見した時には、すでに二度目の記憶操作を受けた後であった。

 おそらく、黒巾党ブラック・パースによって。

 それが二度目の記憶復元治療を施される前までの鈴村アイだったのだ。


「――一度目の記憶復元治療の時は思い出せなかったけど、今度は思い出したわよね。一度目の記憶操作に続き、二度目もそれで消去された、黒巾党ブラック・パースに関する記憶情報を」

「……うん……」


 小さくうなずいたアイは、その内容を話し始めた。

 一度目の記憶操作を施されてから、これも一度目の記憶復元治療を受けるまでの間の、黒巾党ブラック・パースに関する記憶は、前述の通り、たいした情報は得られなかった。しかし、そこから先のそれは、黒巾党ブラック・パースの実態にせまる内容であった。

 一度目の記憶復元治療を受けた後、そこから飛び出した鈴村アイは、自分が拉致された黒巾党ブラック・パース隠れ家アジドの場所を思い出し、一人そこへ向かった。そして空きビルの中に潜入すると、素顔をさらした黒ずくめの集団を発見したのだ。一味の会話を盗み聞きした結果、黒ずくめの一味が、自分を拉致した黒巾党ブラック・パースであることを知った。だが、そこで黒ずくめの少年の一人に見つかってしまい、闇夜に染まった超常特区の市街区島を舞台に、必死に路地裏を逃げ回った。だが、ついに捕まり、二度目の記憶操作をされてしまったのだった。

 それが、今から一週間前の出来事であった。


「――それじゃ、思い出したのね。これまで黒巾党ブラック・パースについて見知ったことを、全部」

「ええ」


 リンの確認の質問に、アイがうなずく。しかし、


「――でも、なんで小野寺との記憶をまた書き換えたりしたんだろう。それも、一度目と同じく。さっき観静が言ったように、自分たちの犯行を隠すために記憶操作したんなら、そんなことする必要はないはずよ。なのに、どうして二度目も……」


 それでも、ぬぐえない疑問点があって、頭から離れない。


「――それはたぶん――」


 リンがそれに答えかけたその時、


「――あぶり出すためじゃよ。鈴村の記憶を元に戻した人物とその装置をな」


 聞き覚えのある、だが口調だけは異なる声が、部屋の中に響いた。

 三人が同時に振り向くと、その視線の先にある部屋のドアから、一人の少女が入って来る。

 ストレートロングの髪をなびかせながら。

 芸能界のアイドルのように瑞々みずみずしくて愛くるしいそれは、これも見覚えのある容姿だった。

 ただ、表情だけが、三人の知っているそれではなかった。

 能面のような禍々しい薄笑いをたたえていた。


「……あ、あなたは……」


 勇吾ユウゴが驚愕で喉と声を詰まらせる。


「……やはり、アンタだったのね……」


 リンも怒気をはらんだ声でつぶやく。

 その間にも、ストレートロングの少女の背後から、次々と黒ずくめの少年たちが部屋に侵入し、左右に広がる。

 黒巾党ブラック・パースの一味であった。

 中央に立つストレートロングの少女も、頭部以外は全身黒ずくめの格好である。


「……………………」


 アイは目の前に現れたストレートロングの少女の素顔をまじまじと見つめる。

 それにより、まだ完全に整理がついてなかった鈴村アイの記憶が、急速にととのう。

 空きの多いジグゾーパズルに、次々とピースが当てはまるかのように。

 そしてそれは完成した。

 そう。鈴村アイは知っている。

 一度目の記憶復元治療を受けたその日の夜、黒巾党ブラック・パースの一味が潜む空きビルに潜り込んだ時に目撃したではないか。

 目の前にいるストレートロングの少女を。

 その時に、ストレートロングの少女が、黒巾党ブラック・パースの一味だという、衝撃の事実を知ったのだ。

 そして彼女こそが、一連の連続記憶操作事件の主犯格であり、首謀者なのである。

 アイは完全に思い出した。

 二度にわたり鈴村アイの記憶を操作した人物を。

 その人物が、アイの目の前に立っているっ!


「~~アンタだったのねェ~~」


 アイがその口から紡いだ声は、ほとんど怨念に近かった。


「~~すべてはアンタの仕業だったのねェ!」


 そして、一歩前に進み出ると、こう言い放った。


「~~どうしてアタシにこんな事をしたのっ!? 答えなさいっ! 無縫院真理香マリカァッ!!」




 アイは激烈な口調で目の前に現れた真理香マリカを問い詰める。無論、『こんな事』とは、鈴村アイの記憶を、勇吾ユウゴにとって悪くない方向に操作した事である。


「――目撃された犯行を隠したいんなら、目撃者のその部分の記憶を消去するだけで充分なはずよっ! なのにどうしてなんの関係のない記憶まで書き換えたりするのっ!? 第一、なんの目的で無差別に他人の記憶を操作して回るのっ!?」


 それも、まくし立てるように、次々と。

 真理香マリカは薄笑いをあざ笑いに変えて口を動かす。


「――別に無差別ではないぞ。ちゃんと特定の人間を狙って記憶操作しているのじゃ。それは警察署でわらわが言うたはずじゃが」

「……超心理工学メタ・サイコロジニクス技術的知識・情報ノウハウを有する科学者や技術者を、か?」


 リンが確認の質問をする。


「――そうじゃ。超心理工学メタ・サイコロジニクス技術的知識・情報ノウハウを有する者は、『計画』の障害となる可能性が大きいからのう。だから片っ端から消去して回っていたのじゃ。それはそれが保存されてある記憶銀行メモリーバンクも例外ではない」

「……『計画』……?」


 勇吾ユウゴがつぶやくと、リンは得心のいった表情を作ってうなずく。


「――なるほどねェ。それじゃ、それ以外に記憶操作されたヤツは、その犯行の目撃者というわけね。鈴村のようなヤツの」

「その通りじゃ」


 真理香マリカはあっさりと肯定する。なにもかもお見通しといいたげな口ぶりである。

 それもそのはずである。なぜなら、一連の連続記憶操作事件の首謀者は、ほかならぬ無縫院真理香マリカなのだから。真理香マリカ黒巾党ブラック・パース間者スパイとして超常特区の警察上層部に食い込み、そこから状況を操作コントロールしていたのだ。黒巾党ブラック・パースには警察の捜査情報を流す一方、警察には黒巾党ブラック・パースに関する偽の情報を与えることで。


「――じゃが、勘違いしないで欲しい。鈴村の場合、小野寺との想い出きおくまでいじるつもりはなかったのじゃ。どうやら記憶操作装置に誤作動が生じてのう。それで誤って小野寺にとって都合のいい記憶に書き換えてしもうたようなのじゃ。こちらの都合の悪いことに」

「~~誤って、ですってぇっ!?」


 アイがうなり声を上げる。信じられないといった表情で。


「――しかし、一度書き換えてしまったものは仕方ないからのう。そのまま放置するしかなかったのじゃ。書き換える前の記憶がどんなものなのか知らぬでは、記憶操作のしようがない。それに、書き換えた記憶の復元など、亡き母でさえもできぬことじゃったし、もしそんなものがあったら、『計画』に多大な支障を来してしまう。だから超心理工学メタ・サイコロジニクス技術的知識・情報ノウハウの独占や消去をはかったのじゃ。そんなものを編み出させぬために」

「――ところがあった。記憶の復元ができる装置の存在を、アンタは知ってしまったというわけね。記憶が元に戻った鈴村と出会ったことで」


 リンの先取りを、真理香マリカはまたもや肯定する。


「――そうじゃ。われら黒巾党ブラック・パース本拠地アジトである空きビルでのう。あの時は驚いたわ。記憶操作したはずの鈴村が、それを実施した空きビルに辿り着いておったのじゃから。記憶が元に戻らぬ限り、絶対にありえぬことじゃ。鈴村にテレハックするまで、とても信じられなかったわ」

「――そしてそれを作った人をあぶり出すために、一度目と同じ内容の記憶操作を鈴村に施したというわけね。そうすれば、また鈴村の記憶を復元しようと、そいつらが動き出すから」


 リンが苦々しく述べると、あることに気づく。


「――という事は、その段階で、だれが鈴村の記憶を元に戻したのか、目星はついてたのね」


 リンの確認の質問に、真理香マリカはまたしてもうなずいで肯定する。


「――鈴村にテレハックした時点でのう。もしおぬしが鈴村の記憶を元に戻した人物なら、再度それを実施する可能性が極めて高いからのう。黒巾党われらの手がかりをつかむためにも、放置などできぬじゃろうし、もしそうなれは、わらわが抱いた疑惑は確信に変わる。そして、事実その通りであったわ」

「――アンタのマンションにアタシたちを誘ったのは、やはり罠だったのね。アタシたちを捕えてそれを確認するために」

「――そうじゃ、観静。本当は確証を得るまでは手出しする気はなかったのだが、なかなか尻尾を出さなくてのう。『計画』のこともあって、痺れを切らして強硬手段に出たのじゃよ」

「――つまり、アンタのマンションで黒巾党ブラック・パースの人質となって現れたのも、警察の応接室での発言も、すべて自作自演の茶番劇だったのね。アタシや警察をミスリードさせるための」

「……………………」

「――さすがはアイドル。手の込んだ脚本シナリオと演技だわ。その割には、三流のお笑い芸人のコントよりもおもしろくなかったけどね」


 皮肉っぽく総括するリンの口調に嫌悪感が増すが、すぐに急降下し、嘲りに取って代わる。


「――ま、結局それらは全部失敗に終わったけどね。ヤマトタケルの乱入と奮闘で。ついでに言うと、記憶銀行メモリーバンク強盗もね。どちらも党員なかまが捕まってしまう事態になったんだから」

「……残念じゃがのう……」


 真理香マリカは素直に認める。


「――じゃが、それは大したことではない。これも想定の範囲内であったのじゃから。――というより、布石よ。『計画』をより安全に実施するためのな」


 この時期に入ると、警察の警戒は戒厳令レベルにまで強まり、さすがの黒巾党ブラック・パースも身動きが取りにくくなっていた。テレタクの利用は状況と立場上できなかった。黒巾党ブラック・パースにかぎらず、テレタクを犯罪者の逃走に悪用されないよう、テレポート交通管制センターと警察が協議して対策を練っていたからである。うかつな利用は警察に察知されるだけではなく、空間転移テレポートする先を、目的地ではなく警察署の留置場内に誘導されるのだ。そのため、黒巾党ブラック・パースの移動手段は、警察の警戒レベルの強化をあいまって、いちじるしく制限されていたのだ。『計画』の実行に支障をきたすほどに。

 そこで考えついたのが、警察を対象に実行したおとり作戦である。あらかじめ記憶操作した下っ端を使い捨てのエサとして警察に与え、それで事件が解決したと思わせる事で、警戒を解かせる。それが法林寺で実行したおとり作戦の狙いであった。記憶銀行メモリーバンク強盗事件や無縫院真理香マリカ襲撃事件はその一環でもあった。そしてそれは、記憶銀行メモリーバンクや観静リンの記憶媒体にある超心理工学メタ・サイコロジニクス技術的知識・情報ノウハウの消去も兼ねていたのだ。そこまでいかなくても最低限の目的は果たせると。


「――じゃが、ヤマトタケルという輩が、色々と小癪な真似をしてくれたおかげで、最低限の目的とは別の不安要素が生じてしもうたが、まァ、『計画』に影響するほどでもあるまい」


 真理香マリカが苦々しく言うと、今度は自分に酔いしれているかのように話を続ける。


「――おとり作戦が成功し、われら黒巾党ブラック・パースが動きやすくなった今、ようやく本格的に手をつけられるようになった。鈴村の記憶を元に戻したと思われる観静の処置にのう」

「――けどその矢先、鈴村が観静と小野寺アタシたちたちの誘いに乗って、観静と小野寺アタシたちもろとも消息を絶ったという事態に直面してしまったのね。さぞあせったことでしょう」


 リンが愉快そうに述べると、真理香マリカはけわしい声と表情で確認する。


「――という事は、おぬしらも見当がついていたのじゃな。わらわが怪しいって事を」

「当たり前よっ!」


 リンが強い口調で断言すると、一転してそれを疑惑に変えて問いかける。


「――でもどうしてアタシたちがこの空きビルにいる事がわかったの? 鈴村をここではない空きビルで気絶させた後、居場所を特定されないよう、特区中の空きビルを転々としたのに」


 リンの疑問に、真理香マリカは唇の両端を更に吊り上げて答える。


「――それはのう、鈴村のエスパーダに精神波発信機を埋め込んであるからじゃ。二度目の記憶操作を施した際にのう。それで居場所が特定できたのじゃ」

「なんですってっ!?」


 叫んだアイは右耳のエスパーダに手をやる。


「――それだけではない。精神波発信機には、強制的に感覚同調フィーリングリンクされる機能があるのじゃ。だから鈴村愛おぬしが五感で感じ取ったものはすべて無縫院真理香わらわに筒抜けであったわ。無論、ここで交わしたおぬしたちの会話もな」


 そのように説明する真理香マリカの口調には、嘲笑の微粒子が色濃くまざっていた。アイはそれを聞くに連れて、じょじょに顔面が蒼白になる。


「……そ、それじゃ、アタシは……」

「――そう、単なるエサじゃ。おぬしの記憶を元に戻した人物を釣り上げるためのな」


 アイを見つめる真理香マリカの瞳には、憐れみと蔑みの光が入り混じっていた。


「――フフフフフフフ、本当、滑稽であったわ。書き換えられてもない小野寺との想い出を元に戻そうと、必死に奔走するおぬしの姿は。本当はそんないい想い出でもないのに、そうだと信じて疑わぬのじゃからのう。おぬしの記憶を操作した張本人わらわの言うこともな。おぬしはそんなわらわをひたすら無邪気に絶賛しておったのじゃ。大巫女長などと呼称して」

「……………………」 

「――どうじゃ、おぬしの言う、命よりも大切な想い出きおくとやらを取り戻した感想は」

「……………………」

「――その様子では、相当な衝撃ショックを受けておるようじゃな。ま、それも当然か。ほんに、おぬしは最高の道化師よ。これだから止められぬのじゃ。他人の記憶を操作するのは」


 無縫院真理香マリカの声には、もはやあざけりの調子を隠そうと努力する様子は見受けられなかった。一語一語が侮蔑の弾丸となって、鈴村アイの身体に撃ち込まれる。


「……なっ、なにを言うっ!」


 おびえた、だが強い口調で言い放ったのは、これまで沈黙していた小野寺勇吾ユウゴであった。


「……もっ、元凶もとを正せば、ぜっ、全部おまえが悪いんじゃないかっ! あっ、あい――じゃない、すっ、鈴村さんを記憶操作でもてあそぶなんて、ぼっ、僕は許さないぞっ!」


 勇吾ユウゴは震える声でどもりながらも、最後まで言い切った。啖呵を切るというには、滑舌が悪く、迫力もとぼしいが、それでも、勇気を振り絞って言ってのけた事に、リンは感銘を覚えた。


「――ほう、では、どう許さぬというのじゃ」


 真理香マリカはわずかに目を細める。無論、糸目の勇吾ユウゴには遠く及ばないが。


「――うておくが、勇気と気概だけでは、勝つことはおろか、闘うことすらままならぬぞ」


 そう言って右手を上げると、左右に広がっている黒巾党ブラック・パース党員メンバーたちが迅速に動いて、三人を半包囲する。それぞれの手に握られてある光線剣レイ・ソードの青白い刀身の切っ先を、勇吾ユウゴたちに向けて。三人の背後には窓のない壁があるのみなので、そこから逃げるのは不可能であった。


「――これもうておくが、この部屋を含めた一帯にはESPジャマーが撒いてある。だからテレタクによる空間転移テレポートでの逃走は不可能じゃぞ」

「……くっ……」


 真理香マリカに前もって告げられて、リンは歯ぎしりする。勇吾ユウゴも返す言葉もない。だが、


「……たわね……」


 アイだけがなにかをつぶやいていた。勇吾ユウゴリンアイを見やる。


「~~よくもアタシをもてあそんでくれたわねェ~~ッ!!。許さない。絶っ対に許さないっ! アタシは無縫院真理香アンタのオモチャなんかじゃないわァッ!!」


 アイが放った咆哮は、勇吾ユウゴに向けられた先程のそれよりも鋭く大きかった。この場にいる者たちの鼓膜と、倒壊寸前の空きビルを激しく振動させる。

 それは、怒りと憎しみで飽和した、血の涙に等しい咆哮であった。

 アイは今になってようやく実感したのだ。

 自分が無縫院真理香マリカにもてあそばれた事実を。

 それを認識した瞬間、鈴村アイの怒りと憎しみは臨界を越え、爆発したのである。

 アイは一直線に突進する。

 怒りと憎しみで固めた拳を、もてあそんだ張本人の顔面に叩きつけるべく。

 完全に我を忘れていた。


「――あっ、バカッ! やめ――」


 リンは静止の声をかけるが、時すでに遅かった。アイが渾身の力を込めて放ったテレフォンパンチは、無縫院真理香マリカの顔面に届くはるか手前で、横合いから伸びてきた手に掴まれ、そのまま腕をねじ上げられてしまう。


「――ふんっ、バカめ。そんな素人のような突きパンチ黒巾党オレたちを倒せるとでも思ったか」


 アイの腕をねじ上げた黒ずくめの少年は、侮蔑と傲慢を交えた口調で言い放つ。


「――その声は――」


 リンはいまさらながらに気づく。その黒ずくめの少年は、無縫院真理香マリカのマンションや廃寺で党員メンバーを指揮していた黒巾党ブラック・パース首領リーダーであったのだ。今まで一言も喋らなかった上に、党員メンバーと差異のない服装と威圧感だったので、それまで気がづかなかったのだ。


「痛いイタイっ! 離して、離してったらァッ!」


 アイはもがくが、もがけばもがくほど腕が極まり、痛みが増す。


「なにしてるのよっ! 早くアタシを助けてっ! そのために今まで動いてたんでしょ!」


 それでも、痛みに耐えながら、しかし厚かましく、リンに助けを求める。


「……ここに来てまたこっちの足を引っ張ってェッ……」


 頭を抱えるリンを見て、真理香マリカは声を立てて笑う。


「――フフフフ、さァ、どうするのじゃ。仲間を人質に取られて。大人しく黒巾党われらに捕まるか、それとも、仲間を見捨てて逃げ出すか」


 問われた凛は、猛烈に後者を選びたい衝動に駆られた。ただでさえ少ない選択肢を、無意味な特攻の失敗で更に少なくさせてくれたのだから、自業自得として見捨てたかった。大神十二巫女衆の筆頭巫女なら、自力でこの窮地の脱出を願っても、バチは当たらないはずである。だが、


「……そんなの、前者に決まってるでしょう。まったく……」


 と、リンは答えた。和風中二病患者にそれは望むべくもないし、仮に無意味な特攻をかけなくても、さして状況は変わらないと思い直したからである。それに、アイの心情を考えれば、無理もない行動だと許容できる。何れにせよ、黒巾党ブラック・パースの接近に気づかなかった時点で詰んでいた。


「――フフフ、正しい判断じゃ。『計画』に多大な支障をきたしかねないおぬしたちを、黒巾党われらが看過するわけないであろう。ここで仲間を見捨てて逃げても、どこまでも追いかけるぞ」

「……『計画』? なにそれ。さっきからよく聞くけど、アンタ、一体なにをたくらんでるの?」


 リンの問いかけを、真理香マリカは無視して言う。


「――では、両手を上げてゆっくりとこちらに来てもらおうか。二人とも」


 無縫院真理香マリカの要求に、観静リンと小野寺勇吾ユウゴは、したがう以外に方策がなかった。

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