第6話 天皇簒奪計画

 その日は日曜であった。 

 学業に精励している人にとっては休日でも、就業に従事している人によってはかき入れ時の曜日でもある。

 だが、超常特区の場合、いささか事情が異ななる。

 超常特区の住人たちは、そのほとんどが、十代の少年少女で構成されているので、一週間の予定スケジュールは、学業だけでなく、アルバイトなどといった就業も兼務している場合が多い。

 よって、学業と就業と休養のローテーションは、各個人のそれらに支障がきたさないよう、相互の相談によって公平に組まれてある。

 つまり、超常特区の住人たちにとっては、日曜日が休日とはかぎらないのである。

 超常特区の住人たちは、自分たちの立てた予定スケジュールに従って、学業や就業をこなし、その合間を縫って休暇を取っているのだ。

 しかし、予定スケジュール通りに進まない場合があるのも、この世で営む人たちの、それは常である。

 事故や事件などといった不測の事態トラブルに巻き込まれた場合は特に。

 小野寺勇吾ユウゴ、鈴村アイ、観静リンの三人は、そういった事件に現在進行形で巻き込まれていた。

 黒巾党ブラック・パースが首謀する一連の連続記憶操作事件に。

 その結果、三人は黒巾党ブラック・パース本拠地アジトである空きビルの一室に監禁されるハメとなった。

 超常特区のどこかに建てられた建物なのはまちがいないが、ここに連れてこられるまで目隠しをされていたので、正確な場所は特定できない。

 その上、記憶復元治療装置は元より、エスパーダや財布などといった所持品もすべて取り上げられた。そのため、外部との連絡も取れなければ、テレタクで逃走することもできない。監禁部屋の窓はすべて鉄板で塞がれていて、そこからの脱出も不可能である。その隙間から漏れる陽月ようげつの明かりだけが、現在の時刻を不正確ながらも把握できる唯一の手段であった。

 三人が黒巾党ブラック・パースに捕まってから丸一日が経過しようとしていた。時刻はおそらく午後六時ごろであろう。その間、三人はほとんど口を開かず、陰気な雰囲気をただよわせている。特に監禁部屋の隅にうずくまっている鈴村アイは、胸中に渦巻くありとあらゆる負の感情を表情や全身でむき出しにしている。ゆえに、うかつに話しかけると、それが灼熱の炎となってこちらの身を焼くのは、まさに火を見るよりも明らかだったので、実行できなかった。かといって二人だけで会話するのも気が引ける。精神感応テレパシー通話で会話したくても、エスパーダなしでは無理である。当然、警察やテレポート交通管制センターに連絡することもできない。人によってはエスパーダなしでも精神感応テレパシー通話することは可能だが、負担が著しく、ノイズも激しいので、実用性にとぼしく、使い手も少ない。

 いつまでも続きそうな陰気な沈黙は、だが、ついに破られた。

 鍵穴にカギが差しこまれ、施錠がはずれる音が監禁部屋にひびいたからである。

 監禁部屋の冷たいコンクリートの壁に、それぞれ身を寄せている勇吾ユウゴリンが顔を上げると、開けられたドアから、一人の黒ずくめの少年が入ってくる。

 背後に数人の黒ずくめの少年たちをしたがえて。


「――ふっ。ざまァねェな、小野寺」


 侮蔑をこめたその第一声に、勇吾ユウゴリンは聞きおぼえがあった。黒巾党ブラック・パース首領リーダーである。


「――小野寺家の跡取り息子が、なす術もなく平民出身の少年犯罪組織カラーギヤングに捕えられるとは。士族の子弟とはとても思えねェザマだな、オイ。少しは恥ずかしく思わねェのか」

「――僕を知っているのですかっ!?」


 勇吾ユウゴは驚きの声を上げて立ち上がる。


「ああ、知ってるとも。なぜなら、オレはお前の道場の門下生だったこともあるのだからな」


 そう言って黒巾党ブラック・パース首領リーダーは、顔の下半分を覆う黒のハンカチを引き下ろし、素顔をさらす。


「――お前は――」


 思わず立ち上がって声を上げたのはリンであった。無表情だが時折それをゆがませる、なかなかの美少年イケメンである一つ年上の少年の容姿に、見覚えがあったからである。昨日の警察署の応接室で。

 無縫院真理香マリカのマネージャー、久島健三ケンゾウである。


「……やっぱり仲間グルだったのね、真理香マリカとは……」


 リンが漏らしたつぶやきは苦々しさに満ちていた。真理香マリカが一連の連続記憶操作事件の首謀者だという事実を知った時点で、そのマネージャーにも疑いの目をかけていたが、まさか黒巾党ブラック・パース首領リーダーであったのは予想外であった。

 だが、そんなリンに対して、健三ケンゾウは歯牙にもかけずに小野寺勇吾ユウゴをにらみ続ける。


「――覚えているか、オレの事を――」

「……………………」

「――覚えてねェか。そりゃそうだろうな。ただの平民に過ぎない卑しき身分のオレのことなど、ほまれ高き身分である士族の子弟さまが覚えているわけねェだろうからなァ」


 健三ケンゾウはあからさまに声を高めて言い放つ。

 卑屈と嫌味をふんだんに盛った、それは皮肉であった。

 そして大股で歩き出し、勇吾ユウゴの前で立ち止まると、その胸倉をつかんで相手の顔をひき寄せる。鬼の形相に似たそれでにらみつけられて、勇吾ユウゴはたちまち震え上がり、顔をそむける。


「~~どうしててめェのようなヤツが士族で、オレが平民なんだ。てめェに劣ってる部分など、身分以外どこにもねェのに、その身分だけで――」

「――やめい、久島」


 制止の声は、背後からかけられたものであった。口調は静かだが、この場を圧する威厳があった。黒巾党ブラック・パース首領リーダーは、舌打ちしたそうな表情をひらめかせると、乱暴に勇吾ユウゴの胸倉を放して、数歩下がる。その隣には、制止の声をかけたその主が立っていた。


「……無縫院、真理香マリカ……」


 それを認めたリンが静かにつぶやく。その声に反応したのか、アイが顔を上げて立ち上がると、殺人的な眼光で真理香マリカを睨みつける。だが、真理香マリカはそれを一瞥もせずにリンに語りかける。


「――どうじゃ、気分の方は。黒巾党われらに捕らえられてから丸一日が経つが」

「たった今とても悪くなったところよ。だれかさんが入ってきたおかげでね」

「それは重畳なことじゃ。わらわはそれを悪くするためにここまで足を運んだのじゃから。効果があってうれしいぞよ」

「――そう。それはよかったわね。それよりも、昨夜から気になってるんだけど、その口調はなに? 尊大でババァくさいんだけど」

「普段の口調では黒巾党ブラック・パース資金提供者スポンサーとしての威厳に欠けるからのう。黒巾党ブラック・パースを率いて事を為すには、なにかと体裁をつくろう必要があるのじゃ。周囲の評判を意に介さぬおぬしとはちごうて」

「それはそれは、ご苦労なことで。人の上に立つ者は、役作りもしないといけないなんて、アイドル以上に大変ね。ましてや、売れないアイドルなら、なおさらね」


 真理香マリカリンの間で繰り広げられた、皮肉と毒舌と嫌味の応酬は、どちらに軍配が上がったか、判定は微妙だが、どちらもそれにこだわってないようなので、これは非友好的な社交辞令といったところであった。リンは話題を一転させる。


「――けど、そんなことを言いにここまで足を運んで来たわけじゃないんでしょ。なにをさえずりたくて来たのよ?」

「それはもちろん、一言礼を言いに来たのじゃよ」

「お礼?」


 意外な返答に、アイはいぶかしげな表情になる。真理香マリカは語を続ける。


「――そうじゃ。黒巾党われらの『計画』が実行できるようになったのも、おぬしの母君のおかげじゃからのう。いくら感謝しても足りぬわ。そうであろう、観静リン。いや、飯塚いいづかリンでよかったか」

「えっ!?」


 思わぬセリフに、アイが驚いた表情でリンを見やる。


「……やはり、そうだったのね……」


 リンは静かにつぶやく。その声と瞳には怒気がこもっていた。


「……どういうことなの? 観静」


 アイは困惑の表情を浮かべてたずねる。


「――こういうことです、鈴村さん」


 それに答えたのは勇吾ユウゴであった。


「――無縫院真理香マリカは――いえ、無縫院真理香マリカの母親、無縫院美佐江は、観静さんの母親から大切なものを盗んだのです」

「……盗んだって、何を?」

「――超心理工学メタ・サイコロジニクスをです」


 勇吾ユウゴは押し殺した声で答える。


「――世間ではそれに関する数々の業績や逸話はすべて無縫院真理香マリカの母親が遺したことになってますけど、本当は観静さんの母さんが遺した業績と逸話なのです。一つ残らず、すべて」

「なんですってっ?!」


 アイが驚愕の声でさけぶ。


「……本当なの? 観静……」

「……ええ。超心理工学メタ・サイコロジニクスの生みの親は無縫院美佐江なんかじゃないわ。アタシの母さんよ」


 リンの声と拳が怒りに震える。


「……すべては、九年前のあの日から始まったわ……」


 観静リンの母親、飯塚いいづか佐代子さよこは、二周目時代の偉人では珍しく、現在の超常特区ではなく、首都の北方にある一地方の出身で、大学を中退したフリーの女性科学者であった。夫に仕事と家事を押しつけて、自分は超心理工学メタ・サイコロジニクスの基礎理論の確立という、当時の人達からすれば怪しげな研究に没頭し、偉人にありがちな偏屈な性格もあいまって、近隣の住人たちから常に白い目で見られていた。リンの父親はその生活に耐え切れなくなって離婚したが、一人娘の方は幼いながらも母親の研究に興味を持つようになっていた。夫と異なり、自分の研究に理解をしめす娘を、飯塚佐代子は偏屈なりに溺愛し、それをはげみにますます研究にのめり込んだ。娘もまた、そんな実母を無邪気に応援し、いつしか助手として手伝うようになっていた。もっとも、まだ二桁の年齢に達してないリンにできることと言えば、お茶汲みくらいのものであったが。

 そんなリンの母親に転機がおとずれた。

 飯塚佐代子の研究に興味を抱き、資金提供を申し出た者が現れたのだ。

 それが無縫美佐江であった。

 まだ『院』の称号を授かる前の頃である。

 慢性的な資金難にあえいでいた飯塚佐代子にとって、この申し出は渡りに舟であった。それにより、研究速度スピードは飛躍的に向上し、ついにそれは完成した。そして学会の研究発表会を控えた前日、リンの母親は嬉々として娘に語った。これを世間に公表すれば、二周目時代の人類は、一周目時代の二十一世紀にならぶ繁栄を築くことができると。娘は母の壮大な夢物語に大きな期待をふくらませて、翌日の学会にのぞんだ。といっても、会場の外からこっそり覗くだけであったが。

 だが、発表会の壇上で、超心理工学メタ・サイコロジニクスの基礎理論確立を始めとする研究成果を発表したのは、飯塚佐代子ではなく、無縫美佐江であった。

 リンの母親の姿はどこにもなかった。

 そしてこれらの研究成果は、全て、無縫美佐江が一人で挙げたものだと自ら主張したのだ。

 学会の研究発表会に出席した科学者たちは、なんの疑いもなくそれを信じた。

 観静リンにとって、それは、晴天の霹靂へきれきというべき事態であった。

 発表会が終わった後、リンは母親に問い質した。どうして出資者スポンサーに自分の研究成果を譲りわたしたのか。自分が生まれる前から取り組んでいた、命よりも大切な研究のはずなのに。

 だが、母親の返答は、娘の想像を超えていた。自分はそんな研究に従事していた覚えはないと。飯塚佐代子の記憶には、超心理工学メタ・サイコロジニクスの研究に関するそれがいっさいなかったのだ。

 さらに、飯塚佐代子の研究所は、いつの間にか空家にされており、その中にあったはずの研究資料も、何者かによってすべて持ち出されていた。

 まるで最初からそこで超心理工学メタ・サイコロジニクスの研究など行われてなかったかのように。

 当時、まだ七歳であった観静リンは、幼いなりに自分一人で考えた結果、ひとつしか考えられない結論に達した。

 観静リンの母親が挙げた研究成果は、すべて、名声と栄誉の独占をもくろむ無縫美佐江によって盗まれたのだということに。

 それも、本人の記憶や研究資料ごと。

 記憶操作装置を使って消去されたとしか考えられなかった。

 飯塚佐代子が、研究の過程でエスパーダやA ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークと並行して作製したそれを。

 無縫美佐江はそのためにリンの母親に近づいたのだった。

 リンはその事実を周囲の人たちに触れ回ろうとして、思いとどまった。そんなことをすれば、それを察知した無縫美佐江によって、それに関する記憶を消去されてしまうにちがいなかった。自分の母親のように。もしかしたら、学会の研究発表会に出席した科学者たちも、無縫美佐江によって記憶操作されたのかもしれない。でなければ、大学に在籍すらしてない無名で新参者の研究発表など、誰も頭から信じたりするはずがないのだから。

 いずれにせよ、無縫美佐江が盗んだ飯塚佐代子の研究成果は、無縫美佐江が上げたものとして全国に知れわたり、既成事実化してしまった。そうなってしまった以上、七歳の少女の訴えなど、単なる戯言たわごととして誰も信じてくれないのは明らかであった。


「……許せなかったわ。アタシの母さんの研究成果を盗んだアンタの母を。そして、その恩恵おこぼれを受けたアンタもね……」


 真相に気づいたリンは、『無縫院美佐江』に自分の正体を悟られないよう、自分の姓を父方のそれに変えて、自分の母親の記憶と名誉をとり戻すべく行動を開始した。学業と並行して。

 だが、それは容易なことではなかった。

 前述の理由で、この事実を周囲の人たちに告げられない以上、協力者を得ることは困難であった。それでも、幾人かは協力を試みたが、すべて失敗に終わり、結局のところ、自分一人の力で、実母の記憶を元に戻す装置の作製や名誉挽回を行わなければならなかった。

 また、リンの母親が確立した超心理工学メタ・サイコロジニクスの基礎理論は、そのすべてが娘に受け継がれたわけではなかった。そのため、記憶復元治療装置の開発に時間がかかり、完成したのはつい最近であった。リンの母親はすでに病没してしまっていた。中学二年の真夏の頃である。

 『無縫院美佐江』も同時期に亡くなっていた。その葬式は偉人に相応しく盛大で、感覚同調フィーリングリンク放送で全国に生中継された。

 親類がほとんどいない自分の母親のそれとは比べるべくもなかった。

 この出来事で、リンの心は折れてしまった。記憶復元治療装置の開発も投げ出し、グレてしまった。龍堂寺イサオと知り合ったのもこの頃である。しかし、中学三年の秋から流れ始めた、今回の事件に繋がる、記憶操作に関連したうわさや都市伝説を、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークで知ると、怒りと義憤に燃えた。自分の母親が心血をそそいで創造した超心理工学メタ・サイコロジニクスを、こんな形で悪用されるなど、とても耐えられなかった。リンは自力で更生すると、記憶復元治療装置の開発の再開と並行してそれを追った。だが、前述の理由の通り、警察に協力を求める事はできなかった。『無縫院美佐江の娘』の影響がある上に、『無縫院美佐江の娘』が関与している可能性も否定できなかったからである。なので、それは記憶復元治療装置の開発と同様、一人で行うしかなかった。

 この間、リンは中学を卒業し、高等学校に進学した。その先が、陸上防衛高等学校の工兵科を選択したのは、母親のような科学者になるには、そこが一番の近道だからと思ったからである。

 そして、陸上防衛高等学校に入学してから一カ月が経過したある日、交通違反のキップを処理するために警察署に出頭したリンは、その待合室兼ロビーで、小野寺勇吾ユウゴと出会った。席に座った際、隣同士になった事で。その時に漏らした勇吾ユウゴのひとりごとを、リンが聴いたのを契機に、両者は協力して事態の解決に邁進し、現在にいたるのである。


「――母からは飯塚佐代子には一人娘がおると聞いておったが、まさかおぬしだったとはのう。苗字が異なっておったから、今まで気がづかなかったわ。どうりで見つからぬわけじゃ」


 観静リンの説明を聞き終えて、無縫院真理香マリカは驚きのまじえた感想を述べる。


「――それにしても、さすが飯塚佐代子の娘よのう。超常特区特有の恩恵を受けているとはいえ、記憶操作された人の記憶を復元させる装置を作り出していたとは」


「――受け継いだだけのアンタには絶対に作り出せない代物だけどねェ。それも、元をただせばアタシの母さんからパクったものだし」


 殺意の込めた皮肉をリンは飛ばす。それを聞いて、アイはようやく得心する。なぜリンが記憶復元治療装置を自作できるのか。どうして超心理工学メタ・サイコロジニクス技術的知識・情報ノウハウに深く精通しているのかを。


「……ここまで来るのに、アタシがどれほど苦労したことか。すべては、無縫院美佐江アンタの母親が盗んだものを取り戻すため。これ以上、アンタのようなクソアバズレなんかに悪用させてたまるもんですか。アタシの母さんが長い年月をかけて確立させた超心理工学メタ・サイコロジニクスを」


 リンは決然とした口調で言い放つ。無縫院真理香マリカの率いる黒巾党ブラック・パースが、実母の研究過程で誕生した記憶操作装置を使って悪行をかさねる様は、超心理工学メタ・サイコロジニクスの本当の産みの親である飯塚佐代子の娘にとっては、絶対に許せない行為であった。だが同時に、それによって出てしまった被害者に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいでもあった。実母が生み出した記憶操作装置のせいでこんな事になってしまったのだから、なんとしても記憶復元治療装置を完成させなければならなかった。そしてそれを世間に公開し、実母の業績を盗んだ『無縫院美佐江とその娘』に対して一矢を報いなければ、実母も浮かばれないし、なによりも被害者が救われない。だが、そうすれば、黒巾党ブラック・パースが集中的に自分を狙ってくるのは必至であった。どう考えても、被害者の記憶を復元されては困るに違いないのだから。自分だけしか事態を解決する手段を持ってない以上、事は慎重に運ばざるを得なかった。どれだけ事件の被害者が続出しても。警察署のロビーで勇吾ユウゴに協力を持ちかけたのも、その場で悩みに悩んだ末での、一種の賭けだった。


「――言いなさい。なんの目的で超心理工学メタ・サイコロジニクス技術的知識・情報ノウハウを記憶媒体から消去して回るのっ!? そして、なにを企んでいるのっ!?」


 リンが鋭い目つきと声で問い詰める。今回の事件の首謀者に。


「――それはもちろん、わらわが立てた『計画』を達成させるためじゃよ」

「……『計画』? なによ、それ……?」


 アイが問い返すと、真理香マリカは優越感にひたった表情で言う。


「――そうじゃのう。それくらいなら教えてもよかろう。どのみち、今夜にも実行する『計画』が成功すれば、教えなかったことになるのだから」

「どういうことっ!?」


 もったいつけられて、アイが苛立ちのさけびを放つ。だが、


「……もしかして、記憶操作装置を使った計画?」


 その隣で 勇吾ユウゴが青ざめた表情で問いかけると、真理香マリカは会心の笑みを浮かべて宣言する。


「――その通りじゃ。わらわはそれを使って、この第二日本国の真の支配者にて、全国民の至高の偶像アイドル――すなわち、『天皇』になることなのじゃからっ!」

「天皇にィっ?!」


 アイが素頓狂な声を上げる。


「なに言ってるのよっ! そんなのなれるわけないでしょっ! 皇族でもないアンタがっ!」

「――そうよ。華族とはいえ、皇族の嫡流でもないアンタに、皇位に即く資格はないわ。たとえ、婚姻で皇族の一員になれても。皇位は男系の男子しか即けないのがこの国での決まり。鈴村の言う通り、天皇に即位するのは不可能よ」


 リンアイの言うことに同意する。しかし、


「――そうでもねェさ」


 久島健三ケンゾウが笑声まじりに口をはさむ。


「――なぜなら、記憶操作でねじ曲げればいいからさ。そんな現在いまや決まりを。皇族や国民が記憶している現在いまの天皇やそれらを、無縫院真理香マリカさまに合わせて書き換えれば、それだけで天皇になれる。鈴村そいつの記憶をきたない想い出からきれいな想い出に書き換えたようにな。男系の男子にしか天皇になれないという決まりだって、同様の処置をするだけですむ。実に簡単なことだ」

『――――――――っ!!』


 アイリンは絶句する。それは、驚愕と戦慄をともなった絶句であった。今度は真理香マリカが説明を引き継ぐ。


「――これなら、女性であるわらわが天皇に即位しても、だれ一人文句は言わぬ。そのように記憶をすり替えられておるのじゃからな。脳内記憶は、人間が思考し、行動するにあたって、まず最初に当てにする貴重な情報源じゃからのう。ましてや、脳内記憶の完全保存機能のあるエスパーダを利用しておるのなら、まずそれを疑うことはない。お前たちのように、真相を知っておる者も、記憶操作で闇に葬ればよい」

「……そ、そんな……」


 言葉を失うアイをよそに、真理香マリカは更に続ける。


「――そして、現実と矛盾するものは可能なかぎり操作した記憶と整合させる。我が母が飯塚佐代子の研究所から、超心理工学メタ・サイコロジニクスに関する研究資料を取り除いたようにのう。あれは研究資料を盗むためだけではなかったのじゃ。そこまでせぬと、自分の記憶をうたがい始め、最後には真相にたどり着いてしまう恐れがあるからのう。手間はかかるが、いたし方ない処置だったのじゃ」

「――でも、それにだって限界があるはずよ。全国規模でそんなことを実行するのは。どこかで行き届かない部分が必ず生じるわ。そうなれば、無縫院真理香アンタが言っていたような懸念が現実のものになる。これは青い空を赤だと信じ込ませるようなものだからね。そんなの、空を見上げれば一発でひっくり返るわ」


 リンが鋭く指摘するが、


「――その辺りは大丈夫じゃ。全国規模でそれを実施する方法はちゃんとある。だから安心して記憶操作されるがよい」


 さしたる効果はなかった。


「――冗談じゃないわ。だれがアンタなんかを天皇として崇めたりするものですか。ましてや、アタシの母から超心理工学メタ・サイコロジニクスの研究成果をパクったヤツのクソアバズレ娘なんざを」

「そうよ。アタシだってイヤだわ。あんな思いを三度も味わうなんて。アンタを大巫女長として敬愛していたアタシが超大バカだったわ。観静が邪鬼神王ジャキシンノウの娘、悪邪鬼女アクジャキジョなら、アンタはジャ鬼神王キシンノウの妻、邪鬼悪女ジャキアクジョよっ!」


 リンアイは異口同音で拒絶反応を示す。


「――安心せい。そんな思いはせぬ。なぜなら、その原因となる記憶も記憶操作で消去するのじゃから」


 真理香マリカは優しく諭すが、むろん、それで納得や承服をするリンアイではない。歯ぎしりする二人を、無縫院真理香マリカはあざけりの眼差しでながめながら悦に入る。


「――フフフ。本当、記憶操作というのは便利なものよのォ。都合の悪いことを他者に知られたり覚えられたりしても、これで削除したり書き換えたりすればよいのだから。芸能人の醜聞スキャンダルや政治家の失言を消去するにも、イヤな想い出を忘却するにも。そして、他者を意のままに制御コントロールするにも」

「~~~~~~~~っ!!」

「――これさえあれば、全人類を支配することだって不可能ではない。『天皇簒奪計画』はまさにそのためのものじゃ。やはり天才じゃのう。これを思いついたわらわは。自分自身の才覚がそら恐ろしく感じるわ」

「――アンタって人はァァァッ!!」


 自画自賛する真理香マリカに、アイがうなり声を上げる。


「~~記憶はねェ、命よりも大切なものなのよっ! 少なくてもアタシにとってはねっ! なのに、それをもてあそぶかのように記憶操作でいじくりまわすなんて、他人ひとの記憶を、想い出を、なんだと思ってるのよォッ!!」

「やっかいなものであるに決まっておるじゃろうが」


 だが、無縫院真理香マリカは事もなげに即答してのける。


「――だってそうであろう。一度知られた秘密の拡散を確実に防止するには、その者を殺害する以外に方法がないのじゃから。そのために不本意な殺害を余儀なくされ、罪業を深めた人間は枚挙にいとまがないわ。いつの時代、どこの国でも」

「……………………」

「――じゃが、記憶操作さえあれば、秘密を知られても命をうばう必要はなくなる。わらわが立てた『天皇簒奪計画』も、簒奪やクーデターにつきものの流血は一切ともわなぬ。なんと、人道的な技術なのじゃろうか。技術の発展には大抵そういうものがついてまわるというのに」


 両手を合わせて絶賛する真理香マリカの表情は、まるではしゃぎまわる子供のようであった。


「人道的っ!? 他人の記憶を操作するのがっ!? それも、そんな身勝手な理由でっ!?」


 アイがふたたび激するが、真理香マリカはかまわずに続ける。


「――これを応用すれば、一度A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークに拡散した記憶情報を完全に消去することだって可能じゃ。一周目時代のインターネットでは不可能であった、拡散した情報の完全なる消去を。むろん、記憶操作だって、これまで通り、自由自在にほどこせる。それも、全国民に対して。だから逆に感謝するのじゃな。記憶操作の存在に。本来なら口封じに殺されるところなのだから」

「なに恩着せがましいこと言ってるのよっ! そんなんで感謝するわけないでしょうがっ!」

「強がりを言うても無駄じゃ、鈴村。『天皇簒奪計画』が終了すれば、嫌でもわらわに感謝するようになる。記憶操作で操作された自分の記憶にしたがってのう」

「……くっ……」

「――そう。感謝するのじゃ。わらわの母ではなく、わらわ自身に……」

「……………………?」

「――いずれにせよ、あきらめるのじゃな。おぬしらには決して止められぬ。わらわが立てた『天皇簒奪計画』は壮大で完璧なのじゃから」


 真理香マリカは自信満々に三人の捕虜に言い放つ。鈴村アイはそれ以上言い返せず、無縫院真理香マリカを無言でにらみつけたままふたたび歯ぎしりするが、


「――いいえ。完璧ではないわ」


 リン真理香マリカ以上の自信をもって言い返す。


「全国民に記憶操作をほどこすのは、やはり不可能だわ、無縫院。たとえ周囲の環境を変えても」

「おや? どうして不可能なのじゃ?」


 挑戦的な口調で反問する真理香マリカに、リンはこのように答える。


「――母が作製した記憶操作装置は、頭部にかぶせるヘルメット状のもので、直接対象に装着させないと、記憶操作はできないわ。アタシもエスパーダ寸法サイズの小型化には成功したけど、これも直接対象者に装着させないと記憶操作は不可能な仕様。つまり、全国民にそれをほどこすには、一人一人装着して回らなければならないのよ。その人の周囲の環境を変えるにも。現在いまの第二日本国の人口は一億を下らないのに」

「――そうよっ! 観静の言う通りだわっ! 連続記憶操作事件のように、一人一人襲っては記憶操作してたら、何十年かかるかわかったものじゃないわっ! やっぱり不可能なのよっ! アンタの立てた『天皇簒奪計画』とやらはっ!」


 アイも勇気づけられたようにリンの異論に唱和する。だが、二人がかりで攻められても、真理香マリカは小揺るぎもしなかった。


「――それも大丈夫じゃ。とある施設を使えば、一瞬にして全国民を記憶操作することができる。だから、なんの問題もない」

「一瞬でっ!?」


 アイが驚きの声を上げる。


「……それは、どんな施設――」


 リンがあせりの色をにじませた声で問い返しかけるが、


「――無縫院さま」


 控え目に発せられた呼びかけにさえぎられてしまう。

 この部屋へ駆けつけて来た黒巾党ブラック・パース党員メンバーの声であった。

 その党員メンバー真理香マリカの足元でひざまついている。


「――どうした?」


 黒巾党ブラック・パース首領リーダー、久島健三ケンゾウがうながす。


「――襲撃の準備が整いました。いつでも実行に移せます」

「――そうか。『天皇簒奪計画』もいよいよ最終段階おおづめだな」


 部下の報告に、健三ケンゾウは悦の入った笑みを浮かべる。


「――無縫院さま。それでは、参りましょう」

「――そうじゃな。ここまで来たらもはや空きビルここに用はない。真相を知ったこの三人もな。わらわが退去し次第、適当に記憶操作を――いや、鈴村だけ連れて行け。他の二名はよい」


 指示中に変更したそれに、健三ケンゾウは不信そうに首をかしげる。


「――どうして鈴村だけを?」

「――なに、たいしたことではない。よい余興を思いついただけじゃ。ただこやつの記憶を操作するだけでははちとつまらぬからのう」

「……余興、ですか……」

「――案ずるな。これは人質も兼ねておる。万一にそなえての。不測の事態トラブルはいつどこで起きるかわからぬものだからのう。今回のように」

「――わかりました。オイ、連れて行け」


 後半の科白は、ひざまずいている部下に対して言ったものである。


「イヤッ! 来ないでっ!」


 結束バンドを持って近づいて来る黒巾党ブラック・パース党員メンバーに、アイは抵抗するが、元より膂力でかなうわけがない。あえなく両手を縛られ、連行される。


「――アイちゃんっ!」


 勇吾ユウゴが幼馴染の名を呼んで前に飛び出しかけるが、光線剣レイ・ソードで居合いの構えを取った健三ケンゾウの、牽制を兼ねた迫力に押されて、逆に後ずさってしまう。


「――では、わらわはこれにて失礼する。観静。次に会う時は、わらわが第二日本国の天皇としてじゃ。もっとも、わらわに拝謁する機会など永遠に来ぬであろうが」


 真理香マリカは勝ち誇った別れの挨拶を残して、二人が監禁されている部屋を後にした。それを見届けた健三ケンゾウは、なず術もなく立ち尽くしている勇吾ユウゴをひとにらみすると、監禁部屋のドアを閉ざし、階段を下りる真理香マリカの背後につきしたがう。


「――いよいよですね。無縫院さま」

「――そう。いよいよじゃ。この『天皇簒奪計画』が成功したあかつきには、この第二日本国はわれらのものになる。もうだれにも止められぬ。フフ、フフフフフ」

「――そうですな。フフッ、フハハハハハッ!」


 黒巾党ブラック・パース資金提供者スポンサー首領リーダーは、それぞれ異なる笑い方で笑い声を上げる。


「……ううっ、これからどうなっちゃうんだろう……」


 それらの笑い声を背中で聴いて、鈴村アイは、先行する黒ずくめの少年に連行されながら、恐怖と不安にさいなまれるのだった。




 監禁部屋に残された小野寺勇吾ユウゴと観静リンの二人は、それぞれ結束バンドで両腕を後ろ手で縛られ、背中合わせで椅子に座らされていた。その周囲には、四人の黒ずくめの少年がいて、うち二人は捕虜の監視を、残りの二人は部屋の隅にあるテーブルで、ヘルメットのようなものをいじっている。色々な部品がむき出しになっているそれが、リンの言っていた記憶操作装置である。退室した無縫院真理香マリカの命令通り、勇吾ユウゴリンの記憶を操作するのである。その際抵抗できぬよう、前もって拘束したのも、そのためだった。


「――しっかしよォ。何で殺さねェんだ? その方が後腐れねェのに、手間ヒマかけてまで生かして解放するのか、どうも理解できねェ。これまで記憶操作した連中にしたってそうだぜ」


 捕虜を監視している黒ずくめの少年の一人が首をひねる。ガラの悪い不良のようである。


「――資金提供者スポンサー首領リーダーの方針なんだ。仕方ないだろう。あえて生かして帰すのは、記憶操作で植えつけた偽物の記憶を手がかりに捜査する警察を混乱させるためなんだ。それに、もし殺しでもしたら、事が大きくなって、中央政府の治安機関が介入する可能性が高くなる。資金提供者スポンサー首領リーダーもそれを恐れている。長期に渡って事件が続いてるにも関わらず、大事件としてマスコミが大きく取り上げないのも、被害が被害者の記憶以外に及んでないからなんだ。だから可能なかぎり肉体的には無傷で帰す必要があるんだ。本来なら事件化も避けたかったんだから」


 隣で共に監視している別の黒巾党ブラック・パース党員メンバーの一人が、比較的穏やかな口調で理由を述べる。こちらは幾分紳士的な少年のようである。


「――けっ。面倒くせェ。それよりも、そいつの調整は済んだのか?」


 ガラの悪い少年が、テーブルで作業に従事している黒ずくめの少年にたずねる。


「――ああ。たったいま終わったところだ。これを頭部にかぶせて起動させれば、二人の記憶を書き換えることができる」


 テーブルで作業をしている黒ずくめの少年は、記憶操作装置であるヘルメットを机から持ち上げる。


「……………………」


 それを勇吾ユウゴは無言で見つめている。このままでは二人とも記憶を改竄されるというのに。


「――ちょっと、小野寺、なにおとなしく沈黙してるのよっ! 早くこの絶体絶命の危機ピンチを乗り切りなさいよっ! アンタの力でっ!」


 リンが後ろ目で糸目の少年に命令する。


「――ぼっ、僕がっ!」


勇吾ユウゴはおどろきと困惑の混ぜた声を上げると、リンはさらに言う。


「――これ以上、隠したりとぼけたりしてもムダよ。鈴村や龍堂寺の目はごまかせても、アタシの目はごまかせないわ。顔と声と髪型を変えてもね」

「……えっ?」

「――アタシはすでにお見通しなのよっ! アンタの正体がヤマトタケルだってことはっ!」

「――!」

「――さァ、タケル。さっさとこの窮地を脱しなさい。このままだと、鈴村がどんな余興でもてあそばれるか、わかったもんじゃないわよっ!」

「……アイ、ちゃん……」


 勇吾ユウゴはつぶやいたままうつむく。


「――ふっ、なにをほざいてんだ。その状態でなにができる。ホラ、とっととやっちまいな」


 ガラの悪い少年が、ヘルメットを持った黒ずくめの少年をけしかけるようにうながす。


「……………………」


 勇吾ユウゴはうつむいたまま沈黙している。


「――コラッ! なにやってるのよっ! 早くしてってっ!」


 リンはあせった声で勇吾ユウゴを煽るが、反応はない。その間にも、ヘルメットを形どった記憶操作装置がリンにせまる。そして、リンの頭部にそれがかぶせられる、その寸前――

 突如、監禁部屋のドアが開いた。

 まるで蹴破られたかのように、激しい音を立てて。

 それに驚いて振りむいた黒ずくめの少年の一人が、顔面に殴打を受けてもんどり打つと、二人目も間髪入れずに蹴り倒される。三人目が相手を視認した時にはアゴをはね上げられ、最後の四人目にいたっては光線剣レイ・ソードを抜く間さえ与えられずに床にたたき伏せられた。

 あっという間とはまさにこの事の、電光石火の奇襲劇であった。

 四人の黒ずくめの少年を倒した者は、その全員が気絶していることを確認すると、椅子に縛られている二人に身体ごと顔を向ける。

 陸上防衛高等学校の学生服ブレザーにツリ目のオールバックをしたその容姿は、


「――ヤマトタケルッ?!」


 リンが思わず声を上げる。


「……えっ、ええっ、えええェッ!?」


 そして、目の前に立っているツリ目の少年と背後に座っている糸目の少年を交互に見やる。

 困惑に揺れた表情と声で、慌ただしく。

 同一人物だと思っていた小野寺勇吾ユウゴとヤマトタケルは、まったくの別人であったのだ。


「……う、ウソ……」


 リンが茫然とつぶやいている間にも、ヤマトタケルは、すでに二人の両手を縛っている結束バンドを解き終え、テーブルに置いてある様々な物を拾い上げている。


「――ホラ、お前たちのものだろ、これ」


 そう言って、タケルが勇吾ユウゴリンに投げ渡したのは、財布やエスパーダなどといった彼等の所持品であった。


「――これがないと色々と困るだろ」


 言いながら、タケルも、テーブルに置いてある光線剣レイ・ソード光線銃レイ・ガンを自分の後腰に収めている。


「……ウソでしょ……」


 無意識に、かつ反射的にそれらの所持品を受け取ったリンは、自分の予想が完全にはずれた事実から、まだ立ち直れないでいる。だが、いつまでも茫然と自失しているわけにはいかなかった。そんなヒマがあるほど、時間や事態に余裕はない。


「――記憶復元治療装置と記憶操作装置はある? どちらもエスパーダ状なんだけど」


 ようやく我に返ったリンは、タケルに尋ねるが、首を横に振られたので、今度は自分でテーブルまで行ってそれらを探す。だが、どちらともどこにもない。


「……おそらく、無縫院が持って行ったんだわ……」


 リンは苦々しくつぶやく。


「……アタシが苦労して作った物を……。黒巾党ヤツらはどこへ……」


 そう言って床に転がっている党員メンバーたちの気絶体を見回すと、一人一人の頭部に手を置いて回る。『接触接続タッチアクツス』方式のテレハックで、四人の黒ずくめの少年たちの脳内記憶を読み取っているのである。黒巾党ブラック・パースがどこへ行ったのかを。だが、だれ一人知らないようである。おそらく、記憶操作で忘却させられたのであろう。万一の事態に備えて。つくづく用心深い連中である。


「――とりあえず、空きビルここを脱出するぞ。空きビルこんなところに留まっていてもどうしようもない」


 その結果を、リンから聞いたタケルはそのように提案する。


「――そしたらお前たちは警察に通報して保護してもらえ」

「……ア、アンタはどうするのよ?」


 リンが戸惑いながらもタケルに尋ねる。


「――鈴村を助けに行く。このままだと、黒巾党ヤツらになにをされるかわからないからな」

「……こちらの状況を把握してるんだ、アンタ。でも、それも含めて、どうやってアタシたちの居場所がわかったの? たった今助けに来たばかりなのに。第一、アンタ何者? アンタが小野寺じゃないとしたら、アンタ、いったい……」


 リンが詮索するように色々と疑問を呈する。どうしてもその疑念が払えないのだ。しかし、


「――観静さん。今はこうしている場合ではないと思います。一刻もはやく鈴村さんを助けに行かないと」


 小野寺勇吾ユウゴの意見に、リンは一瞬とまどうものの、


「……そ、そうね。こんなところで詮索してる場合じゃないわ。一刻もはやく黒巾党ヤツらを止めないと」


 最終的には同意する。表情にどこか釈然としないものを残して。


「――どんな方法で全国民に記憶操作をほどこすのかはまだわからないけど、これ以上、黒巾党ヤツらの好きになんかさせないわ」


 リンは決然とした表情で宣言すると、


「――だから、アタシも行くわ。タケルと一緒に」


 その旨を、本人に伝える。それを受けた本人も一瞬ためらうが、


「……わかった」


 こちらも最終的には了承した。


「――じゃ、小野寺は警察に保護してもらえ。オレと観静は鈴村を助けに行く」

「――うん。わかった」


 タケルの指示に、うなずいて応じた勇吾ユウゴは、駆け足で監禁部屋のドアまで行き、それを開けて出て行く。


「――オイ、待てっ! まだ空きビルここには黒巾党ヤツらが――」


 それを、ヤマトタケルが慌てて追う。

 リンもそれに続くが、通ろうとしたドアがタイミング悪く閉まってしまい、再び開けるのに多少ながらも手間取ってしまう。そして廊下に出ると、一〇メートル先の突き当りのT字路で、タケルと勇吾ユウゴがこちらに視線を向けて立ち止まっていた。リンは二人の少年と合流する。


「――小野寺は一歩も動く必要はないわ。テレタクを使えば、一瞬で警察署に行けるじゃない。エスパーダとアタシたちの『眼』があるんだから。わざわざ動き回って黒巾党ブラック・パースに見つかったらどうするのよ」

「――あ、そうだった。脱出って言うから、つい――」


 勇吾ユウゴは思い出したかのように言う。


「――それでは、僕は警察に行ってこの事を知らせます。二人とも気をつけてください」


 その後、勇吾ユウゴはその場からテレポート交通管制センターの空間転移テレポートで姿を消した。

 二人になったタケルとリンは、周囲を警戒しながら、そばにある階段を降りて、一階の玄関に到着する。そこには、合計六台のホバーバイクとホバーボードが横隅に並べてあった。


「――しかし、黒巾党ヤツらはどこへ行きやがったんだろう。やみくもに探し回っても、時間と体力を無駄にするだけだし……」


 タケルは焦慮をにじませた声で独語すると、


「――大丈夫。大体の見当と想像が、徐々についてきたから。黒巾党ヤツらが向かってる場所が」


 リンが落ち着いた口調で告げる。


「ホントかっ?!」


 驚きの声を上げたタケルは、すぐにそれを収め、


「――よしっ! ならただちにテレタクで移動の準備を――」


 自分のエスパーダに手を置き、テレポート交通管制センターに精神感応テレパシー通話する。だが、


「――繋がらないっ!?」


 ふたたび驚きの声を上げる。ついさっき小野寺をテレタクで瞬間移動させた時には繋がったのに、今になって繋がらなくなってしまったのだ。それはリンも同様であった。


「――この一帯にESPジャマーは検出されてないのに、テレポート交通管制センターにかぎらず、どこにも連絡ができない。まちがいないわ。黒巾党ヤツらはやはりあそこへ――」


 状況を把握したリンは、自分の推測に確信を深めると同時に、事態悪化への懸念をつのらせる。


「――だとしたら、急いだ方がいいな。黒巾党ヤツらの行動が思ったよりも速いぜ」


 タケルが先程よりも一段と焦慮をにじませた声で言う。


「――けど、そのための移動はどうやって。テレタクは使えないし――」


 リンが問うている間に、タケルは玄関にある物を発見して、それを指す。リンはその先にある物を見てうなずく。


「――なるほど。それね。それなら、普通に走るよりも速いし、時間の節約にもなる上、体力も消耗しないわ。消耗するのは精神エネルギーだけで」

「――そういうこった」


 タケルは不敵な笑みを浮かべて応じる。


「――あと、もうひとつ、オレも思いついた事がある。聞いてくれないか」


 そして、そう前置きすると、その内容をリンに語る。


「――おとりに使うのね」


 聞き終えたリンが総括すると、タケルは続ける。


「――ああ。この際だ。使えるものは何でも使おう」

「――でも、これをどうやって知らせるの? 連絡手段はたったいま尽きたのに」

「――なに、簡単さ。ここに置手紙すればいい。小野寺が知らせに行ったんだ。いずれここにやってくる。ここ経由になるから、多少は時間がかかるかもしれないが」

「――そうね。それでいこう」


 リンがうなずくと、タケルが指した方角へ歩いて行った。




「――なんじゃとっ?! 隠れ家アジトをヤマトタケルに襲われて、観静と小野寺を逃がしてしまったじゃとっ!? それも、記憶操作をほどこす前にっ!」


 無縫院真理香マリカは、精神感応テレパシー通話による部下からの報告を受けて、思わず声に出す。


(――も、申し訳ございません。ただちに追跡し、捕縛しますゆえ――)


 報告者である黒巾党ブラック・パース党員メンバーは、声と身体を恐縮させて言うが、


(――必要ない。捨て置け――)


 真理香マリカは言い捨てる。


(――今あの三人にかかずらわっておる時間ヒマはない。おぬしらは今すぐそこを離れ、わらわ達に合流するのじゃ。ヤツらに逃げられた以上、隠れ家そちらに警察が殺到するのも時間の問題じゃ)


 いらだちの小波さざなみを残して、真理香マリカ精神感応テレパシー通話を切った。


「――ふんっ! 残念だったわね、この邪鬼悪女ジャキアクジョっ!」


 その背中を、悪意に満ちた声がたたいた。

 ツーサイドアップの少女――鈴村アイであった。

 いま二人の少女は、とある施設の一室にこもっている。 

 そこで無縫院真理香マリカは、人質として連れてきた鈴村アイを監視しながら、精神感応テレパシー通話で、黒巾党ブラック・パース首領リーダーやその部下たちに様々な指示を下していた。その最中に受けた報告がこれだった。


「――これで黒巾党アンタたちも終わりね。タケルたちがこの事を警察に通報して、こちらに駆けつけて来るわ。そうなったら、いくら黒巾党アンタたちでも万事休すよ。だから、観念なさいっ!」


 アイが凄みのある笑みを浮かべて宣告する。だが、宣告された方は、ひるむどころか、アイ以上に凄みのある笑みを浮かべて応じる。


「――それは良かったのう――と言いたいところじゃが、ヤマトタケルや警察の介入も、わらわの想定内じゃ。すでに迎撃準備も整えてある」


 その迫力に、アイの方が尻込みしてしまうが、それでもなんとか言い返す。


「……だ、だけど、それでも、ヤマトタケルならここまで来てくれるわっ! アタシを助けに、必ず。だって、ヤマトタケルは須佐すさ十二闘将の中では最強の戦士なんだからっ!」

「――そうか。おぬしはヤマトタケルを信じておるのか。須佐すさ十二闘将最強の戦士と謳うほどに。実際はどこの馬の骨とも知らぬ輩なのに、小野寺よりも信頼に足ると言うのか」

「アイツの名前なんか出さないでっ! 聞きたくもないわっ!」


 アイが振り払うかのように叫ぶと、無縫院真理香マリカは人の悪い表情をつくって述べる。


「――おやおや。確か小野寺も須佐すさ十二闘将の一人ではなかったのか。なのに無下に扱うとは、ずいぶんとひどい掌返しじゃのう」

「それは黒巾党アンタたちのせいでしょうがっ! 黒巾党アンタたちがアタシに誤った記憶操作をほどこすから、アタシはあんなヘタレで卑怯なヤツに尽くすハメになったんじゃないっ!」

「それはすまなかったのう。なにせ、これまでに例のないことじゃったから。わらわもいまだ原因がつかめず、戸惑っておる。むしろ、なぜそうなったのか、わらわが知りたいくらいじゃ」


 真理香マリカは謝罪と同時に弁解もするが、どれも誠意はないように、アイには感じられた。


「あやまってすむんなら警察はいらないわっ! どうしてくれるのよっ、この記憶っ! これから一生抱えて生きていかなくてはならないのよっ! こんな屈辱にまみれた――」

「――なら、わらわがそれを取り払ってやろうか。記憶操作で」

「――えっ?!」


 アイは顔を上げる。無縫院真理香マリカの意外な申し出に、自分でも意外なほど驚いたのだ。


「……き、記憶操作で……」

「――そうじゃ。おぬしの言う通り、確かにこれはわらわの責任じゃ。イレギュラーな事態とはいえ、そんな理由で納得がいかぬのは当然のこと。ならばその責任、取らせてくれぬか」

「……………………」

「――あの時、闇夜の路地裏でおぬしが言うておった『アレ』とは、七年前の出来事や、小野寺に尽くしてしもうた自分の記憶のことを指すのじゃろう。確かに、おぬしからすれば、イヤな出来事であるし、屈辱であろうな。忘れたい気持ちも、わららにもわかる」

「………………………………」

「――じゃが困ったのう。おぬしにとって、記憶は命よりも大切なもの。『アレ』とてそのひとつじゃ。なのに、それを記憶操作でみだりに変えたり消したりしてしまうのは、おぬしの意に反する行為。はて、どうしたものか――」

「………………………………………」


 アイは口を閉ざしたまま沈黙している。困惑と葛藤にゆれ動いているのは明らかであった。その様を、真理香マリカは意地悪く見つめている。


(――フフフ。迷うておる迷うておる。以前から言うてみたかったのじゃ。一度目の記憶操作に引き続き、二度目になっても、記憶は命よりも大事なものだと、綺麗事をのたまうヤツが、覚えたくもない記憶を覚えさせられた後、この誘惑に勝てるかどうかを――)


 真理香マリカはほくそ笑む。


(――あの時の鈴村なら、なんの迷いもなく受け入れたであろう。命よりも大切なものと言うても、しょせん、口先だけのことなのじゃから。じゃが、今はどうじゃろうか。記憶操作で不快な記憶を消去されたばかりに、同じあやまちを繰り返すハメになったのじゃ。考えなしに飛びつくには、さぞ抵抗があるじゃろう――)

「………………………………………………」

(――フフフフフフ。よい余興じゃ。鈴村が困惑する有様は。記憶操作でもてあそんだ時よりもおもしろい。これこそここまで連れて来た甲斐があったというものよ――)


 悦に入る真理香マリカに、


(――無縫院さま。警察が施設にやって来ました。予定よりやや早めですが――)


 黒巾党ブラック・パース首領リーダー、久島健三ケンゾウの報告が入る。むろん、精神感応テレパシー通話である。


(――施設とはそちらの施設にか?)

(左様です)

(――では予定通りに対処しろ)

(はっ)


 短く言い残して健三ケンゾウ精神感応テレパシー通話を切った。


「――鈴村、おぬしにもいい余興を見せてやろう」


 そう言って真理香マリカは三日月状の小型機器を鈴村アイに投げ渡す。


「――感覚同調フィーリングリンク機能に限定したエスパーダじゃ。これを使って黒巾党われらの五感に感覚同調フィーリングリンクするがよい。そして、それを通して見届けよ。黒巾党われらが警察に勝利するところを」


 真理香マリカは自信満々の笑みで言い放つと、それを受け取ったアイを一室に残して去って行った。


「……………………」


 真理香マリカの後姿を見送ったアイの瞳は、これ以上ないくらいに困惑と不安で揺らいでいた。




 浮遊群島である超常特区は闇夜の支配下に置かれている。 

 だが、それに反して、二車線道路に面した商店街は、むしろ昼間よりも明るくなっていた。

 歩道を照らす街灯や、それに沿って立ち並ぶ店舗や施設から発せられる明かりによって。

 人通りも昼間よりも多く、店舗や施設の出入りも同様であった。

 無論、それは復旧の終えたばかりの記憶銀行メモリーバンクも例外ではなかった。


「――はぁ~っ。よかったァ。なんの異常もなくてェ」


 一人の少女が、安堵の一息をつきながら記憶銀行メモリーバンクの玄関から二車線道路の歩道に出る。

 後髪を二つに結った背の低い少女である。


「――ホントよねェ。記憶銀行メモリーバンク強盗に遭ったと聞いた時はあせったけど、預けた記憶が無事でなによりだったわ」


 並んで玄関を通過したもう一人の少女も、その少女と同じ口調で同意する。

 こちらは長い髪を首元で結んだ背の高い少女である。

 この二人の女子は、陸上防衛高等学校に在学している二年生で、昨日さくじつ、その学校の校舎裏で、小野寺勇吾ユウゴ、鈴村アイ、観静リンの後輩達のやり取りを、遠巻きに見物していた先輩達である。

 もっとも、やり取りというより、コントに近かったのが、二人の正直な感想であったが。

 記憶銀行メモリーバンクを後にした二人の少女は、歩道を行き交う通行人たちの流れに乗って並んで歩いている。


「――うん。どのギアプも破損や欠損もないわ。もしそうなっていたら泣いていたところよ」

「アルバイトでせっせと稼いで買ったギアプだもの。買いなおすハメにならなくてよかったわ」


 小柄な少女の言う事に、大柄な少女は心からこれも同意する。

 技能付与アプリケーションは、精神感応テレパシー通信やテレタクと同様、無料ではない。著作物に著作権があるように、ギアプにもそれがあるのだ。よって、ギアプを入手するには、ダウンロード販売で購入するしないのだ。無論、それ以外に、無料で入手できる方法や場合もあるが、著作権フリーでもない限り、大抵は違法である。


「――それじゃ、さっそく新たなギアプを購入するとしましょうか。記憶媒体ストレージの空き容量は確保したし――」


 小柄な少女は溌溂はつらつとした表情で言うと、右耳に装着してあるエスパーダに手を置く。それを見て、大柄な少女が言う。


「――今は無理よ。A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク接続アクセスできない状態だから。原因はいまだ不明だけど。だからギアプ販売専門の記憶掲示板メモリーサイト精神感応テレパシー通信で申し込んでも、購入は――」

「――できたわよ。なんの支障もなく……」

「……え、ウソ……」


 大柄な少女は、小柄な親友の言葉に驚きながらも、自分もエスパーダに手を添える。


「……ホントだ。A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク接続アクセスできるわ。どうやら復旧したみたい」

「――きっと回線が込んでて一時的に重くなってたのよ。たまにあるわよね。そういう事」


 小柄な少女は肩をすくめる。


「――それじゃ、あたしはテレタクで帰るわ。明日早朝部活だから、早めに寝ないと――」


 そして、大柄な少女に告げると、エスパーダにふたたび手を置いて精神感応テレパシー通話する。だが、


「――あれっ!? 繋がらないわ」


 それを聞いて、大柄な少女は自分も確認する。しかし、その結果、


「……でも、そこだけよ。繋がらないのは。そこ以外の記憶掲示板メモリーサイトには正常に繋がるわ」

「――なんでなんだろう」


 小柄な少女は首を傾げる。


「――きっとそこだけがなんらかの異常が発生したんだわ」


 結論を下したその口調は、断言に等しかった。


「――テレタクを運営する施設、『テレポート交通管制センター』で――」




 八階建てのビルであるテレポート交通管制センターの玄関付近には、警察の強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズが集結している。昨夕の廃寺の時と同様、紺色の屋内戦用の戦闘服を身につけて。その人数は三個小隊分、九十人である。匿名の精神感応テレパシー通話の通報を契機に、ここまで急行して来たのだ。

 ――黒巾党ブラック・パースの残党が市街島区のとある空きビルに潜んでいる、と――

 それを受けた警察は、まずはそこへ向かおうとしたが、その際にトラブルが生じた。テレタクが使えなくなってしまったのである。A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク接続アクセスできなくなったことで、精神感応テレパシー通話で要請できなくなってしまったのだ。仕方なく、強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズは警察車両で黒巾党ブラック・パースの残党の潜伏先まで移動し、空きビルに突入したが、もぬけの殻であった。しかし、そこで発見した置手紙から黒巾党ブラック・パースの残党の行先がテレポート交通管制センターであることが判明し、現在にいたるのである。むろん、そこまでの移動も警察車両である。それが事実なら、テレタクの利用は危険だから。


「……静かやな、不気味なほどに……」


 そこで陣頭指揮を執っている龍堂寺イサオが、八階建てのビルを見上げて、だれとなくつぶやく。


「……ホントですね……」


 そばに控えている部下の保坂ノボルが、不安そうに同意する。


「……少なくてもイタズラじゃなさそうや。警察署しょに殺到する苦情や問い合わせの数を考えても。第一、屋内なかにおるはずのテレポート交通管制センターの管制員との連絡がいまだつかへん。ついさっきA ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク接続アクセスできるようになったにも関わらず。やっぱなんかあったとしか考えられへんな」


 イサオはしばらくの間、テレポート交通管制センターの建物を見上げながら考え込むが、


「――こないなところで考えあぐねいてもラチがあかへん。突入しろ。慎重にな」


 組んでいた腕をほどくと、部下に命令する。

 命令を受けた先頭の強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズの隊員は、ガラス張りの玄関の自動ドアを静かに開けて、静かに内部へ侵入する。屋内は暗く、無人のように静かである事を、イサオは確認する。先頭の部下の五感に感覚同調フィーリングリンクしているので。


(――やはり変や。二十四時間稼働しておかんとアカン施設やのに、まるで閉店ガラガラや)


 そう判断したイサオの脳裏に、匿名の通報者の言葉がよぎる。やはり、黒巾党ブラック・パースの残党の仕業なのだろうか。

 その間にも、先頭部隊は施設の奥へと進む。それに後続の隊員たちが続く。


「――それにしても、黒巾党ブラック・パースが引き起こした連続記憶操作事件は解決したんじゃないのか?」


 隊員の一人が、施設の廊下を歩きながら誰となくたずねる。


「――解決はしたが、その残党がまだどこかに潜伏しているという話だったぞ。廃寺の黒巾党ヤツらを検挙した際、何人か取り逃してしまったし」


 もう一人の隊員が、その質問に答える。


「――けど、その数はわずか五、六人だと聞いたが。もしこの施設が黒巾党ブラック・パースに占拠されたという話が事実なら、とてもその人数では足りないぞ」

「――本当にこのセンターは黒巾党ブラック・パースに占拠されたのか? それって匿名の通報者が契機きっかけでこうなったんだろ。信用できるのかよ、その通報者」

「――やっぱり偽情報ガセじゃないのか」

「――別に偽情報ガセでも構わねェさ。仮に本当だとしても、強襲攻撃部隊オレたちの敵じゃねェし。こっちには戦闘のギアプがあるんだ。それも、相当の経験を積んだ、達人級のヤツを。現に廃寺では強襲攻撃部隊オレたちになす術もなかったじゃねェか。今回も楽勝さ」

(――私語はつつめ。任務中やで――)


 隊長リーダーの注意に、上司と同じ年頃の部下たちは口を閉ざし、眼前の光景に集中する。

 薄暗い廊下がどこまでも続いている。

 その途中に階段や十字路があり、そこに到達する都度、部隊は枝分かれして多方面へ進む。

 今やテレポート交通管制センターは、警察の強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズの隊員たちがまんべんなく施設中に分散されていた。

 各室のドアを開けて内部を調べるが、それでも黒巾党ブラック・パースの一味はおろか、テレポート交通管制センターの管制員さえも見当たらない。


「――どこに潜んでいるんだろう。防犯カメラはどれも機能してないし、お前、わかるか」


 隊員Aが、廊下を歩きながら、ペアを組んでいる同僚の隊員Bを顧みずに訊く。だが、隊員Bからの返答はない。


「――なァ、どう思――」


 隊員Aが再び訊きながら肩越しに振り向くと、そこに映った光景に度胆どぎもを抜く。

 背後にいたはずの隊員Bが、全身黒ずくめの姿に変わっていたのだ。

 紺色の戦闘服を着た強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズの隊員ではなかった。


「――ブッ、黒巾党ブラック・パースっ?! いつの間にっ?!」


 驚いた隊員Aはあわてて光線剣レイ・ソードの刀身を伸ばし、呆けているように見える同年代の黒ずくめの少年に斬りかかり、斬り倒す。麻痺様式パラライズモードなので、気絶しただけだが、それでも、突如出現した黒巾党ブラック・パースと、いつの間にか消えてしまった隊員Bに対して、動揺を禁じえない。

 ――と、思いきや――


「――えっ?! どうしてお前なんだっ?!」


 自分が斬り倒したはずの黒巾党ブラック・パースが、いつの間にか姿が消えていた同僚の隊員Bにすり替わっていたのだ。確かに黒ずくめの少年を斬ったはずなのに、どうして倒れているのが同僚の隊員Bなのか。黒ずくめの少年を斬ったはずの隊員Aは更に混乱した。


「……い、いったい、なにがどうなって……」


 後ずさる隊員Aの背中に、焼けるような衝撃と激痛が走った。斬撃による衝撃である。隊員Aは前のめりに倒れ伏す。そして、隊員Aを背後から斬り倒したのは、同僚の隊員Cであった。その直後、隊員Cは、黒ずくめの少年を斬ったはずの隊員Aと同じ反応リアクションをした。


「――なんやっ!? いったい何が起こっとるんやっ! 敵味方を見間違うなんてっ! 誰か報告せいっ!」


 隊長リーダーイサオは、相次ぐ隊員たちの同士討ちに、恐慌をきたした声で、施設内部にいる部下たちに応答を要求する。


「――オイ、保坂っ! なにが起こっとるんやっ!」


 イサオはかたわらに控えている部下に返答を求める。


「……す、少し待ってください。ただいま分析しているところですので……」


 保坂は落ち着きを保った声で応じる。エスパーダに触れながら。そして、少し待った結果、


「――わかりましたっ! 同士討ちの原因がっ!」


 それが判明し、声を張り上げる。


「――マインドウイルスですっ! 隊員たちが幻覚のマインドウイルスに感染してしまったのですっ! それも、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局からばら撒かれたようですっ!」

「なんやとっ?!」


 今度は龍堂寺イサオが驚愕の声を上げる番になった。


「――そんなバカなっ!? そないなことあり得へんっ! 絶対にっ!」


 A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークは、その名称の通り、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局が管理している。マインドウイルスやテレハックなどといった脅威の出現の監視や防止もそれに含まれてある。なのに、そのA ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局からマインドウイルスが流出するなど、あるはずもなく、あってはならない。

 それに加えて、強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズの隊員たちのマインドセキュリティレベルは、その程度のマインドウイルスに感染してまうほど低くはない。にも関わらず、その防壁を、まるで壁抜けするかのように通過してしまったのだ。まるで防壁を取り除かれたかのように。


「――いったいどないなっとるんやぁっ! マインドウイルスの流出の看過といい、管理局はなにをしとんねんっ!」

「……それが、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局に問い合わせても、異常はないと繰り返すだけで」


 保坂が困惑の表情で上司に報告する。


「そないなはずはあらへんっ! 楢原ならはらっ! もう一度問い合わせいっ!」


 イサオは声を荒げて別の部下に命令する。


(――『A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局から、マインドウイルスが流出した。そして、マインドセキュリティが機能していない。それを無力化できるのは、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局だけ……。ということは、まさかっ!?)


 保坂が沈思の末に思い当たるが、それは口にせず、別のことを上司に進言する。


「――とにかく、隊員たちにワクチンウイルスを投与します。このままでは同士討ちで全滅してしまいますので」

「……せ、せやな。ただちに投与せい。急げっ!」


 その提案を受けたことで、イサオは多少の落ち着きを取り戻し、進言通りの指示を下す。

 その頃、


「――あれっ!?」


 施設内に潜入中の強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズの隊員Dが、目の前の光景の変化に、驚きの声を上げる。

 青白色の刃を交えていた黒ずくめの姿が、強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズの屋内戦用戦闘服の姿に突如変わったのだ。


「……お前、黒巾党ブラック・パースではないのかっ!?」

「お前こそっ!? いったいどうなってるんだっ!?」


 同士討ち寸前であった施設内の隊員たちは、混乱しつつも、とりあえず刀身を収める。


(――幻覚のマインドウイルスですっ! 施設内の隊員たちがこれに感染して、強襲攻撃部隊みかた黒巾党てきに見間違わされたのです)


 保坂が、彼らに精神感応テレパシー通話で説明する。


(――一応、ワクチンウイルスを全隊員に投与しましたので、幻覚は収まった筈ですが……)

(――そんなバカなっ!? こちらのマインドセキュリティレベルは最大なんだぞっ! なのにどしてこうもやすやすと感染するっ!?) 


 施設内の隊員Dが疑問の声をさけぶ。


(――おそらく、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局が――)


 説明していた保坂が、それに答えかけたその時、突如精神感応テレパシー通話が途絶する。


(――オイ、どうしたっ!? オイッ! どうしたんだっ!?)


 隊員Dが繰り返し呼びかけるが、応答はない。


「――くそっ! 精神感応テレパシー通話だけでなく、感覚同調フィーリングリンクまでもが途切れてしまったぞ。いったいなにがどうなってやがんだっ!?」

「……ESPジャマーでも撒かれたのか?」


 傍にいる隊員Eが推測する。先程、隊員Dと同士討ちするところだった、その同僚である。しかし、隊員Dはその推測を否定する。もしこの施設内にそれが散布されたのなら、『直接接続ダイレクトアクセス』での精神感応テレパシー通話も不可能になるはずである。現にその説明を兼ねて隊員Eに試したら、なんの支障もなく伝わった。『直接接続ダイレクトアクセス』はA ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク接続アクセスしなくても精神感応テレパシー通信が可能な方式なので、その線はありえなかった。


「――なら、それで隊長や他の隊員たちに連絡を――」


 隊員Eが提案するが、それは不可能だと、隊員Dは答える。直接接続ダイレクトアクセスでの精神感応テレパシー通信が可能な範囲は、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークよりもはるかに狭く、施設内に展開している強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズの全隊員までに行き渡れるほど広大ではないのだ。少なくても、強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズ精神感応テレパシー能力では。


「……マインドウイルスの感染に、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークを利用した精神感応テレパシー通信の途絶。廃寺に突入した時にはこんな不測の事態トラブルはなかったのに……」


 隊員Eは不安に満ちた表情で廊下の向こうを凝視する。すると、その目の前に二人の黒ずくめの少年たちが出現した。

 なんの前触れもなく、突然に。


「――なっ?!」


 隊員Eは反射的にバックステップして、せまり来る青白色の刃を紙一重でかすりながらも躱す。

 黒ずくめの少年の一人が振るった光線剣レイ・ソードの斬撃だった。

 廊下を滑るように着地した隊員Eは、右手に持っている光線剣レイ・ソードの端末から青白い刃を伸ばして正眼にかまえる。


「――幻覚じゃねェッ! 黒巾党ブラック・パースだっ! 空間転移テレポートによる奇襲だっ! くそっ!」


 隊員Eが苦々しい表情と口調で叫ぶ。かすった感触と気配から見て、今度こそ間違いなかった。

 テレポート交通管制センターを占拠している黒巾党ブラック・パースの一味が、ついにその姿を見せたのだ。

 施設中に散開している強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズの前に、次々と。

 むろん、この施設の機能を使って現れたのである。


「……そうみたいだな。こっちにも現れた……」


 隊員Dも、背中合わせになった隊員Eとおなじ表情と口調でつたえ、おなじ構えを取る。その視線の先では、二人の黒ずくめの少年たちが、光線剣レイ・ソードを手にじりじりと詰め寄ってくる。

 反対側からも、二人の黒ずくめの少年が、同様の得物を持って徐々に相手との距離をちぢめる。

 強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズの隊員Dと隊員Eは、テレポート交通管制センターの薄暗い廊下にて、四人の黒ずくめの少年たちによって挟み撃ちにされた。


「――いったいどうやって廊下ここ空間転移テレポートしたんだっ!? 入り組んだ構造なのに、空間転移テレポートアウトした位置が正確すぎる。ここの防犯カメラはのきなみ死んでるはずなのに、いったいどうやって視覚でその位置を確認したんだっ!?」


 隊員Eが疑問を呈する。


「……視覚ならあるじゃねェか。オレたちのが……」 


 隊員Dの返答に、隊員Eは舌打ちする。


「――くそっ! 今度は感覚同調フィーリングリンクされたのかっ! オレたちの視覚に、テレハックでっ!」

「……ああ。好き放題されているぜ、オレたちはよォ……」


 そう述べる隊員Dの表情や口調に苦々しさが増す。状況は圧倒的なまでに強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズが不利である。特に、情報戦では完全に遅れを取っている。これを打開するには、


「――目の前の敵を倒すしかねぇ。行くぞっ!」


 言うがいなや、隊員Eは光線剣レイ・ソードを振り上げて突進する。

 隊員Dもほぼ同時に床を蹴る。


「――であぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 隊員Eは気合いのおたけびを上げながら一人の黒巾党ブラック・パースと斬りむすぶ。

 二合、三合、四合。

 両者が青白い刃でしのぎを削るうちに、隊員Eは黒ずくめの少年を追い詰める。

 剣術を含めた戦闘の技量では、明らかに強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズがまさっていた。

 むろん、それはエスパーダにインストールした戦闘と剣術のギアプのおかげであるが。

 それに対して、目の前の黒ずくめの少年のそれは、廃寺で戦った黒巾党ブラック・パースと同じ水準レベルであった。


(――よしっ! 勝てるっ!)


 隊員Eはほくそ笑みを浮かべる。だが、側面に回り込んでいだもう一人の黒巾党ブラック・パースが、そこから斬撃を浴びせてきたので、それに対応しなくてはならなくなった。その間、追い詰められていた黒巾党ブラック・パースの一人は、態勢を立て直し、攻勢に転じる。二人の黒巾党ブラック・パースは、今度は二人がかりで強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズの隊員を追い詰める。


(……くっ。二対一では……)


 守勢に回った隊員Eは、一転して苦しげな表情になる。ギアプを使っているとはいえ、戦闘の技量では黒巾党ブラック・パースを上回る強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズでも、複数の敵を同時に相手どっては、不利はまぬがれなかった。一対一であれば、圧倒的な技量を有する強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズの方が有利だが、二対一ではその技量を十全に発揮することができない。普通の人間には、複数の物事を同時にこなすのはとても難しい。仮にこなせても、単数のそれと比較すると、物事を処理する速度スピードは格段に落ちる。それは一人で複数を相手にする戦闘においても例外ではなかった。同士討ちで戦力が半減した強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズは、それを分散したことがアダとなった。施設の各所でさらに分断され、孤立し、追い込まれる。ましてや、テレハックで自分たちの思考が筒抜けでは、形勢の逆転は不可能に等しかった……。

 ……こうして、施設内の強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズは、自分たちより弱いはずの黒巾党ブラック・パースの各個撃破戦法と複数同時攻撃に対応できず、次々と倒されていく。黒巾党ブラック・パースの戦力すら把握できないまま……。


「――ええいっ! 一体どないなっとるんやっ!? なぜ隊員との連絡がつかへんっ!?」


 龍堂寺イサオの苛立ちは、もはや極限に達していた。A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークの原因不明の異常により、それを利用した精神感応テレパシー通話や感覚同調フィーリングリンクといったエスパーダの機能は使えなくなってしまった。そのため、突入した部下たちや、施設内の状況が把握できなくなり、施設内の防犯カメラもすべて機能してないので、強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズの司令部は深刻な情報不足におちいっていた。無論、その状態で的確な指揮などできるはずもなく、直接接続ダイレクトアクセスによるそれも能力的に無理な以上、イサオと直近の部下たちは、テレポート交通管制センターの前で、むなしく立ち尽くすしかなかった。


「――だめです、隊長っ! 何度ためしてもA ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク接続アクセスできませんっ!」


 それは報告した部下の楢原の悲鳴も同様であった。強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズ隊長リーダーは歯ぎしりするが、


「~~しかたあらへん。ワイらも施設内に突入する。おまいら、続けっ!」


 そう言ってテレポート交通管制センターの玄関に向かって駆け出す。それに保坂や楢原などの直近の部下たちが続く――

 ――と思ったが、


「――どしたっ!? はよついて来いっ!」


 龍堂寺イサオが振り返ると、直近の部下たちは凍りついたようにその場に立ち尽くしている。動く気配は――あった。前のめりに倒れる形で、次々と。


「――なっ?!」


 度重なる不測の事態に、今度は茫然と立ちつくす龍堂寺イサオ。そして、初めて気づく。うつ伏せで倒れた直近の部下の一人を、大股でまたぎながら歩いてくる一個の人影の存在に。

 その人影は黒のジャケットと黒のスラックスを身にまとっているが、頭部だけは外気にさらしていた。

 黒巾党ブラック・パース首領リーダー――久島健三ケンゾウであった。


「――ふんっ、他愛たあいもない。A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク支援サポート遮断カットされただけでここまでもろくなるとはな。士族の精鋭を集めた強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズが聞いてあきれるぜ」


 健三ケンゾウは軽蔑を侮蔑をないまぜた口調で言い捨てる。


「……おのれは、真理香はんのマネージャー……。まさか、おのれが、黒巾党ブラック・パースの……」


 イサオの問いはうめきに等しかった。だが、それはすぐにうなりに変わる。


「――おのれェ、警察をダマしておったんかいっ!」

「――ま、そういうことになるな。だが、ダマされる方が悪い。士族が平民ごときに」


 健三ケンゾウは澄ました顔で答える。


「――いつからそこにおったんやっ!? それもいつの間にっ! 今までワイらの背後に潜んでおったんかいっ!」

「――何を言うかと思えば、そんなわけねェだろう。黒巾党オレたちはテレポート交通管制センターを占拠しているのだぞ。空間転移テレポートで貴様らの背後に一瞬で回り込むくらい、造作もない」

「アホなこと言うなっ! この状況でそないなことできるわけあらへんやろうがっ!」


 イサオは怒声を上げて否定する。いくらテレポート交通管制センターを占拠していても、A ・ Sアストラル・スカイ ・ N・ネットワークなしでは、空間転移テレポートすることは不可能である。現在、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークは原因不明の機能不全に陥っているのに、どうして黒巾党ブラック・パースだけが普通に支援サポートを受けられるのか。


「――さァ、どうしてかなァ。それは自分で考えてみることだなぁっ!」


 健三ケンゾウは咆えると同時に、光線剣レイ・ソードの青白い刃を振り上げて突進する。イサオは慌てて右手に持っている光線剣レイ・ソードの刀身を伸ばし、相手の刃を受け止める。


「~~おのれらチンケな犯罪組織ごときに、超常特区の治安を守る警察が負けてたまるかっ! 返り討ちにしたるっ!」


 イサオが咆え返すと、相手の光刃を押し返し、立て続けに斬撃を浴びせる。たちまち健三ケンゾウは防戦一方となる。


「――なるほど、技量ならそっちの方が上か。さすが士族の子弟。資質や適性もさることながら、戦闘系のギアプをエスパーダにインストールしているだけの事はある。仕様スペックも申し分ない。少なくても、それらのない小野寺よりかはマシだな」


 だが、健三ケンゾウは余裕のある口調でつぶやきながら、相手の斬撃を受け止め続ける。とはいえ、このままでは敗北は必至である。そこで、健三ケンゾウは隙を見てバックステップして、相手との間合いを取ると、すかさず脇に差していた短刀を投じる。一直線に向かったそれは、追撃しようと駆け出していたイサオの右耳を掠める。そこに装着していたエスパーダがはずれ飛び、地面に落ちる。


「――どこを狙っとるんやっ!」


 イサオは相手の間合いを詰め、ふたたび斬撃を縦横無尽に繰り出す。だが、


(……くっ、なんや。急に身体が重うなって……)


 その剣さばきには、つい先刻までの、達人のような鋭さキレはなくなっていた。素人が棒っ切れを振り回すような、無駄だらけの動きであった。それにともない、龍堂寺イサオの身体が重くなる。それも急速に。疲労の蓄積によるものであった。本人にとっては予想だにしない事態だった。


「――どうした。斬撃に鋭さキレがなくなってきたぞ。あと体捌きもな」


 それに対して、健三ケンゾウの余裕は、もはや口調だけのものではなくなっていた。相手の攻撃に対する防御も、手を抜いているようにさえ感じられた。まるで子供をあしらう大人のように。


「……おのれ、ワイになにをしくさったぁっ。別のマインドウイルスでも注入したんか……」


イサオが息絶え絶えな声で問い詰めた時には、すでに両足で立っているのがやっとであった。片手で構えている光線剣レイ・ソードから青白色の刀身が消失する。精神エネルギーが尽きたのだ。


「――なんだ、もう終わりか。ギアプを失っただけでここまで弱体化するとは。それでも士族か」


 相手の質問には取り合わずに、健三ケンゾウは侮蔑を込めた眼差しで、疲労でふらついている強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズ隊長リーダーを眺めやる。


「……答えんかい。ワイになにをしたんやぁっ?」


 イサオは息を切らせながらふたたび問いかける。


「――なんじゃ、そんなことさえもわからぬのか。相変わらず愚鈍じゃのう」


 その声は龍堂寺イサオの背後から投げかけられたものであった。

 口調は異なるが、聞き覚えのある声に、イサオはハッとなる。そして、それが聴こえた方角に身体ごと振り返ると、一人の少女が、テレポート交通管制センターの玄関を背に佇んでいた。

 全身黒ずくめの姿だが、頭部だけは外気に素肌をさらしていた。

 そよ風でなびいているストレートロングの髪も、闇夜の色に同化したかのように黒い。


「……あ、あんさんは、まさか……」


 イサオの声に震えが生じる。その髪の所有者の顔を正視したことで。


「――おぬしの卓越した戦闘技能は、エスパーダの技能付与アプリケーションによって引き出されたもの。それをインストールしたエスパーダを破壊ないし外されたら、その装着者の技能は素の状態に戻ってしまう。つまり、ギアプのない状態にな。それに依存し切っておる、素の技能が低いおぬしに、おぬしらと同じギアプを使用しておる黒巾党われらに勝てる道理がなかろう」

「……そ、そんな、バカな……」

「部下とギアプを失ったおぬしに、もう勝ち目はない。大人しくわららに膝を屈するがよい」


 だが、龍堂寺イサオは相手の言葉を聴いてはいなかった。自分の視覚に映っている光景を幻覚だと疑いたい気持ちでいっぱいであった。しかし、いくら首を振っても、何度も両眼をこすっても、目の前の現実は変わらなかった。無縫院真理香マリカ黒巾党ブラック・パースの一員である現実が。


「……ど、どうして、あんさんが、黒巾党ブラック・パースに……?」

「――おぬしにはまこと感謝しておるぞ。警察内部の捜査情報を、黒巾党ブラック・パースに通じておるわらわに遠慮なく渡してくれて。おかげでおぬしら警察の裏をかき続ける事ができたわ。テレハックする危険リスクを冒さずとも。慈善事業でおぬしら警察の信用を得た甲斐があったというものじゃ」

「なっ?!」

「――そして、警部たるおぬしに植えつけたこともな。ほんに、よく踊ってくれたわ」

「……う、植えつけたって、なにをや?」

「――むろん、記憶操作で植えつけたニセの記憶じゃよ」

「――――――――っ!?」

「――わらわがアイドルとして個人的におぬしにしてやった、おぬしが覚えておるその記憶こそ、まさにそうじゃ。おぬしがわらわの熱烈なファンになる契機となったあの出来事ものう。でなければ、だれがおぬしのような下郎にこんなおぞましい記憶を植えつけ、ファンにしたてあげたりするものか。これは、記憶操作を使った一種のハニートラップじゃ」

「……な、なん、や、と……」


 次々と突きつけられる衝撃の事実や真実に、イサオの精神は崩壊寸前となっていた。反駁の言葉もなく、ただただ立ち尽くすだけだった。


「――フフフ。さぞショックであろう。このような事実や真実を告げられて。じゃが安心せい。そんな不幸な記憶、すぐに忘れさせてやる。これまでわらわに尽くしてくれた礼として」


 無縫院真理香マリカが、悪女のような笑みを浮かべて言うと、右耳にあるエスパーダに手を置き、


(――やれ――)


 と、精神感応テレパシー通話で短く指示を出す。


『……………………』


 しばらくの間、テレポート交通管制センターの玄関口付近に沈黙の風が流れる。


「……あれ? あんさんは……?」


 龍堂寺イサオが、きょとんとした表情で、目の前にいるストレートロングの少女にたずねる。


「――テレポート交通管制センターの管制員じゃ。おぬしの背後うしろにいる者ものう」


 真理香マリカが答えると、イサオは肩越しに振り向いて、背後にたたずむ久島健三ケンゾウの姿を確認する。


「――ここで不測の事態トラブルが生じてな。非番の我々が駆り出されたのだ」


 健三ケンゾウ真理香マリカの言うことに合わせる。


「……そう、やったのか……」


 イサオは戸惑いながらも、つい先刻まで光刃を交えていた黒巾党ブラック・パース首領リーダーに友好的な笑みをつくる。


「……あの、それで、ワイはここで、なにを……」

「――なにも覚えてないのかえ?」


 真理香マリカは確認の質問をする。


「……せや。なんも覚えてへんのや。なんでやろ……」


 イサオは首をかしげながら後頭部を掻く。


「――ならよい。久島――」


 真理香マリカが言うと、黒巾党ブラック・パース首領リーダーは、背中に隠し持っている光線剣レイ・ソードで、強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズ隊長リーダーの胴を薙ぎ払った。イサオは後頭部を掻いた姿勢のまま、うつ伏せに倒れる。


「――どうやら成功したようですね。最高のマインドセキュリティレベルを持つ、警察の強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズ隊長リーダーの記憶操作に」


 健三ケンゾウは光の刀身を収めた光線剣レイ・ソードを後腰にしまいながら真理香マリカに告げる。


「――それも、直接記憶操作装置をかぶせずにのう。龍堂寺の部下たちの記憶操作も、それに成功したそうじゃ。セキュリティ機能のあるエスパーダを装着した状態で。たったいまおぬしの部下から報告があったぞ」


 真理香マリカはエスパーダに手を当てて応じる。


「――これにて、最後の実験は完了じゃ。あとはこれを全国規模で実施するのみ」

「――では、もう――」

「――そう。成功したも同然よ。『天皇簒奪計画』は――」


 真理香マリカの言葉に、健三ケンゾウは歓喜に震える。


「――では戻るとしようか。そのカギとなる施設へ」


 真理香マリカがテレポート交通管制センターの建物を見上げて言った後、健三ケンゾウとともに、その場から空間転移テレポートで姿を消した。

 何人かの気絶体を、その場に残して。




「――ちっ、結局、全滅しちゃったわ。まったく、ホンット役に立たない連中よね」


 エスパーダから手を離した観静リンは、失望まじりに言い捨てる。つい先刻まで、龍堂寺イサオの五感に、リンのテレハックで感覚同調フィーリングリンクしていたのだ。テレポート交通管制センターでの戦況を観察するために。だが、それが途切れたことで、そのように判断したのである。


「――ま、仕方ないわ。先日の廃寺の突入時にはあった様々な優位性アドバンテージは、あの施設を占拠されたことで、そのすべてを喪失してしまったんだからね」


 しかし、その後、おだやかな口調で言いなおす。


「――いずれにせよ、黒巾党ブラック・パースから鈴村を助け出すことができるのは、オレたちだけになっちまったってわけだな。黒巾党ブラック・パースの野望をくじけるのも」


 先行するヤマトタケルが、事態を簡潔に要約する。

 二人は今、市街地の二車線道路の左脇を、タケルはホバーボート、リンはホバーバイクに、それぞれ分乗して走行している。目的の施設へ向かって。

 いま二人がそれぞれ乗っている超心理工学メタ・サイコロジニクス製の乗り物は、黒巾党ブラック・パース隠れ家アジトである空きビルの玄関にあったそれらから拝借したものである。

 これがなかったら、おそらく間に合わないであろうから、それらをすぐに見つけられたのは僥倖ラッキーであった。

 黒巾党ブラック・パースの『天皇簒奪計画』を阻止するには。

 黒巾党ブラック・パースがテレポート交通管制センターを占拠しているという通報を、ヤマトタケルたちが間接的ながらもしたのは、市民として当然の義務である。むろん、その行為自体は批判されるべきではないが、批判すべきなのは、その後の行動と意図であっただろう。警察から見れば。


「――警察をおとりに使えば、黒巾党ブラック・パースの注意を引くことくらいはできると思ってたのに、こうもあっさりとやられたら、その間隙を縫って潜入することもままなないじゃないのよ。時間稼ぎすらできないのかしら。ホォンッット、使えないヤツだわ、龍堂寺は」

「――ま、否定はできねェな。警察が犯罪者に負けてしまっては、警察の存在意義がない。このザマじゃ、鈴村の中二的野望も笑い飛ばせられねェぜ」


 と、二人は酷評する。悲惨なまでの信頼の無さである。これも事実なので仕方ないが。

 二人は減速して青信号に変わった交差点を左に曲がると、目的地へと続く脇道に入る。そこで、ヤマトタケルが言う。


「――まぁいい。黒巾党ブラック・パースも警察を撃退した事で油断してるだろう。その辺りを突いてみるか」

「――それを増幅させるためにも、精神感応テレパシー通話しないとね」

「――ああ。もちろんだとも。それじゃ、頼むぜ、観静」


 タケルがイタズラ小僧のような笑みを浮かべて言うと、リンはエスパーダに手を置く。

 目的地はすぐそこであった。

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