語りたいという気持ちが、日常を物語に変えていく

評論ジャンルの「評論」というタイトルの作品を取り上げるのはある種滑稽だが、内容は評論というよりはエッセー、エッセーよりかはブログ、ブログよりかは私小説といったもの。

語り口に悩んでいるところもあるが、いったん話し始めると饒舌でみずみずしく、作者の思考と記憶の世界を味わうことができる。
文体だけで作品を評価しがちな私だが、この文章を読んでいると、新しい酒には新しい革袋、ではないが、よき経験(内容)こそがよき文体を呼ぶという感じもしてくる。

作者は映画をきっかけに英語を勉強しだし、今はアメリカで結婚し生活しているとのこと。
それからパンセクシャルのポリアモリーで、上司をきっかけに知ったエリオット・スミスという歌手に耽溺していた。
そういったことについて語りたいという気持ちが文章を成立させているが、この衝動は尊く感じる。

とはいえ、おそらくこの経験自体は、彼女にとっては日常の蓄積でしかないはずで、だとすれば物語とは、やはり語り方と、語りへの情熱によって生まれるものなのだろうと、結局のように思わされた。

(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=村上裕一)