評論:書評・映画・音楽・その他

まみすけ

呼吸と映画

初めて映画館で観た映画のことを覚えている?お母さんやお父さんに連れて行ってもらった映画ではなくて、初めて自分の意思で選んで、見たいと思った映画のことを。

中学に入学して始まった英語の授業に私は戸惑って、劣等感の塊のようなものを背負っていた。感覚的な物事も、文法がどうだこうだと言う事で押しつぶされて、私は何が何だかさっぱりなその語学という厄介な臭いものに蓋をしてしまう寸前だった。

深夜過ぎ、テレビの映画予告コマーシャルにくぎ付けになった私は、居ても立ってもいられない衝動に駆られて、それを見なくてはなんだか人生が終わりのような気さえして、次の日映画の好きそうな友達に相談してみた。案の定彼女も、その映画を見たいと思っていたということで、公開日を待って一緒に映画を見に行く約束をした。

私がテレビのコマーシャルで観た映画の予告はリュック・ベッソン監督のレオンだった。

初めて友達と行く映画館の、ざわめきにも似た感覚。あの遠足の前の日の夜寝付けない感じで、私はその日を待ちわびた。あの予告を見た時から、もうマチルダに恋してた。13歳の私は今考えると結構おしゃれで、若さゆえの大胆さやひらめきがあって、自分で考え付いたことをどんどんと積極的にこなしていた。だけど、結構内気でおとなしかった、クラスではあまり目立たないタイプの人間だったと思う。

ファッションは70年代に憧れて、いっちょ前に装苑とかmcSisterとか写真やモデルのきれいな雑誌を好んでた。母の所有していた70年代のインテリア雑誌や、ファッション雑誌を読んで、ファッションやインテリアの参考にしていた。音楽は母の持ってた70年代の井上陽水、中島みゆき、松任谷由実、甲斐バンド、なんてのを聞いてたし、小学校の頃母にもらったビートルズのホワイトアルバムと、カーペンターズのベスト盤はでかいスピーカーの前に正座して、歌詞を耳で覚えて歌えるようになるくらいまで聞いた。ビートルズはロッキー・ラクーン、カーペンターズは涙の乗車券が一番好きだった。

そして、この映画レオンがきっかけで、私の日常に呼吸と同じように映画が付きまとってくるのだ。

その日友達と二人でバスに乗り、街に繰り出した。郊外から市街地まではバスで30分くらいだったと思う。田舎でバスに乗るのは結構まれなことなので、毎回ドキドキするんだけど、今回は初めての映画館ということもあって、いつもの三倍くらいドキドキした。少ないお小遣い握りしめて、バス賃、映画代、おひるごはん代、全部合わせたらもう何も買えないかもしれない。だけど、よかった。私は、あの映画を映画館で観れるという事だけで幸せだった。

いつも行く大きな映画館とは違い、その映画館は道のビル群の中にひっそりと存在した。隠された秘密の場所のような存在のその映画館は、小さくて、今思えば単館系だったと思うんだけど、不思議な感じの場所だった。真っ赤な座席が印象的で、私はなけなしの500円を払って、人生で初めて映画のパンフレットというものを買ってしまった。それは大きくて、丈夫で、何よりおしゃれだった。友達と席について、私の人生を大きく変える事になる映画を見た。

今思えば、私たちはたぶん13歳か14歳で、その映画はR指定だったので、よく映画館に入れてもらえたなと思うけど、当時の日本はまだ寛大だったんだろうなあ。結構な暴力シーンやきわどいシーンもあったけど、何よりも映像の美しさ、音楽のすばらしさ、マチルダの可愛さ、ゲーリー・オールドマンの危ういカッコよさが勝ってしまい、ますます私はその映画のとりこになってしまった。ぼろぼろに泣いて、私はその映画を見終わった後心に決めたことがあった。いつか、きっと外国の人と普通にしゃべれるようになるくらい、英語頑張る!マチルダと、しゃべる!!しかも、マチルダ役のナタリー・ポートマンと私が同じ年だと知って驚愕したし、うれしかった。

映画のパンフレットはボロボロになるくらい眺めたし、マチルダに憧れ似合いもしないおかっぱにしてみたり、家に誰もいない時を見計らって、マチルダごっこ一人でしたり、それはもう影響受けまくりだった。マチルダのその後の物語を自分なりに考えて小説風にしてたし、スクリーンとロードショウっていう映画の雑誌を買い始めたのもその頃で、ああ、お小遣いがいくらあっても足りませんでした。

レンタルビデオにはまりだしたのもその頃で、100円の時を狙って、大量に駆り借りまくっていた。スプラッターホラーとか、インディペンデント系の映画が好みで、戦争ものや、ドキュメンタリーもよく借りた。そのときは、アニメには全く興味がなくって、今思えばまあ惜しいことしたなあ。邦画に興味が出てくるのは岩井俊二のスワロウテイルを観てからだったし、結構遅かったなあ。それまでは、ずっと、英語の映画ばかり見てて、英語を何が何でも頑張るんだってやけになっていた。

だけど、そんなにうまくいく話はなくて、英語に興味はあるし、情熱だけは人一倍強かったんだけど、なかなか伸びず、理解不能で、今度は雑誌の広告に出ていた海外ペンパル講座っていうのを母を説得してはじめて見た。それが原因だったのか、どうかはわからないけど、そのあたりから私の英語の成績はぐんぐんと伸びだした。英語弁論大会なんてもんまで出場したし、今思うと情熱ってすげえな、不可能を可能にするんだからなあ。

高校は、国際科のある結構遠くの県立高校に行きたかったんだけど、その直前になぜか前から興味があった建築のことが頭から離れなくなって、緑のセーラー服に一目ぼれして、工業高校の建築科を受験した。本当に人生って面白いもので、建築科に行ったにもかかわらず、ある日私は渡り廊下の掲示板に貼られている、交換留学生募集のポスターを偶然見つけてしまい、アメリカに一年留学するんだけど、本当によくできた話だよなあ。今はアメリカで国際結婚して、普通にアメリカ人と英語で意思疎通できている。

まあ、人間あきらめなければ、どうにかなるんだと思うし、あきらめが肝心なこともあるだろうし、なるようになるんだろうな。まあ私の場合は思い込みが強かったっていう事もあるんだと思う。

これが私の初めて映画館で観た映画のお話でした。皆さんは、何か人生を変えた出来事ってありますか?

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