血を吐いた話

 あまりにも明るくて、目が眩んだ。見回すと、何もかもが白い。衣服も、ソファーも、机も、壁も、鉄格子も――。


 広い部屋にはソファーと机以外に物は無く、殺風景だった。ただ、ソファーはかなり柔らかそうだ。それなのに鉄格子が嵌まっている。ちぐはぐな印象の部屋だった。そして、やはり何もかもが白い。

 白い部屋。


 白い、部屋。


 白い、白い、白い――――――。



「――うわぁぁあぁぁあぁぁぁあああぁっっ??!」


 発狂する、部屋。

 そう、いつか白い部屋は人間を発狂させると読んだ。あぁ、白い、白い、白い……。

 あの色の在った世界は、少年は、色は?


 混乱していると、胸痛がした。

 何かが記憶の海から、浮かんできそうな痛み。痛くて、苦しくて、引き摺り込まれる。混乱。混沌。濁流の、中に。



 ――――。



 不意に、音がした。それで、音のする方へ目を向けた。


 ――色が、在った。

 床に、と、赤が白を穿って。


「ひ……、あ、ははは……?」


 それが、可笑しかった。楽しくなって哄笑すると、広い部屋にそれは響いて、色が在って、楽しくて、楽しくて――――。



 笑いながら顔を上げた。




 瞬間、何かが、見えた。



 その物体を認識する前に、脳内が閃光で反転する。



 “necrophobia“死”恐怖症


 “thanatophobia“死”恐怖症



 耳元で、透き通る声がした。悪魔の囁きの、フラッシュバック。



「あぁ、君は――“thanatophobia“死”恐怖症”なんだね」



 絶叫が迸った。


 それは、死体だった。




 ――――痛みが迸った。


 壁を殴って、殴って、殴り続けた。


 何かを咬んだ。強く、強く。歯を潜り込ませて、千切って。ふと金属の味がして、左腕を咬んでいたのだと知った。


 つまり、自傷していた。結果的に生まれた痺れが、再び濁流に引き摺り込む。



 ――。


 ――。


 

 あぁ、痛い! 鋭いも鈍いもわからないほどに! あぁ、この苦痛のうちに死んでしまうのか?

 否、そもそも、何故自傷していたのだろうか!


 わからない、わからない! あぁ、白、赤、ローズマリーの、花畑だ……!




 がつん、と鉄格子が啼いた。手錠を打ち付ける度に。がつん、がつん、がつん――。

 泣いて、啼いて。それで血を流す腕の痛みが引くわけもなかったが。


 何度も何度も腕を振り回し、正気と狂気の狭間で、手首が痣に染まっているのが見えた。

 ――青紫。


 口の端から零れる血が、赤く塗り替える。


「―――あぁ!」



 


 腐蝕した、花畑だった。


 そして少年は、ただ見詰めている。ただ、見下ろしている。冷ややかに、蔑むように。もう彼は微笑んでいなかった。

 それでも、彼は美しかった。



「死んでしまえば良かったんだ」

 彼は、ぽつりと呟いた。


「“thanatophobia“死”恐怖症”の癖に……」



 時が止まっているようだった。


 宙のオブジェは、もう何も流していなかった。

 毒に犯され尽くした世界。とうに壊れきった世界に、虚しく歌が漂うようだった。



 少年は、黒衣を翻す。

「――君なんか、死んでしまえば良かったんだ」



 彼の投げたナイフは、信じがたいほど遠くまで飛んだ。そうしてオブジェの中心に突き立った。


 とん、と胸を叩かれたような気がした。一瞬の後、それは身体が反転するのではと疑うような歪みに変わる。



 ごぽり、と心臓が啼いた。肺が軋んで、ざわりと気道を撫でた。血を吐いて、やっぱり可笑しくなって、嗤った。


 少年が再び右目を抉った気がしたが、どうでもよかった。どうせ、視界に変化は無いのだから。

 それよりも、ただただ可笑しさに嗤い続ける方が、幸せだった。





 壊れきった世界は、ネクロポリスのように時間さえも死に絶えている。

 壊れきった世界だ。少年と、死にかけのローズマリーと、箍が外れた人間が、不幸幸福の中に生きていた。


 透き通った、歌と共に。

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幻想 月緒 桜樹 @Luna-cauda-0318

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