第5話

 黙ってわたしは彼の後ろをついていく。男の子の中なら平均的な体格でも女のわたしからしてみたら充分に大きい。もし襲われたら抵抗できるだろうか。そんな想像をしたら体が強張った。


 いつもとは違う方向の電車に乗り、知らない街並みを横目に車両に揺られる。雪村くんもわたしも無言。

 何駅かすぎ、雪村くんが電車を降りたからわたしも黙って降りる。

 改札を抜け住宅街を進む。築年数の古そうな集合住宅が彼の自宅だった。

 外階段を4階も登ると、塗装の剥げかかった鉄の扉の前で雪村くんは立ち止まった。


「今なら引き返せるけど」


「そんな気はないし」


 不安を感じ取られないようにそっぽを向いて答える。


「ふん。可愛げのない女だ」


 そう言って鍵を扉にねじ込む。

 あたりはすでに夕方。西日が玄関に差し込み、お世辞にも綺麗とは言えない生活感の見て取れる廊下を橙に染めている。

 雪村くんは空のペットボトルが入ったゴミ袋を跨ぎ襖を開けた。そこが彼の自室のようだった。


「何してんの。早く入りなよ」


 玄関から動けないわたしに言う。覚悟を決めて靴を脱いだ。


「適当に座って」

 六畳ばかりの和室。勉強机と椅子に本棚。そしてくたびれた布団が丸まるベッド。

 わたしは警戒を解くとこなく、出口のすぐそばに立ったままだ。


「どうしたの。こっちに来てベッドに座りなよ」


 きっちり締めていた学校指定のネクタイを緩めながら雪村くんは言う。


「お構いなく」


 つっけんどんに答える。奥村くんはネクタイをハンガーにかけて、ちらりとこちらを見て蔑むように笑う。


「君は死んだ友達の一番奥に立ち入ろうとしているんだ。それなのに、自らは何も差し出さないなんておかしいだろう。等価交換さ」


「意味、わかんない」


「知ってる? 僕たちくらいの男の子はね。みんな女の子の体に夢中なんだ」

 
 反応したら負けだ、と思い無視する。


「女の子はどうしてそう扇情的なんだろうね。柔らかそうな唇。細い指。いい匂いのする髪。簡単に折れてしまいそうな華奢な肩。頬ずりしたくなる白い太もも。短かすぎるスカート。意識しているの? 男を欲情させたいって思ってるの?」


 喋りながら距離を縮めて来る。わたしは黙って彼を睨みつける。

 吐息が耳にかかる距離に顔を近づけてくる。総毛立つが悟られないように必死に全身に力を込める。

 彼の細い指がわたしの髪をすくう。


「きれいにトリートメントしているね。男って髪の毛だけでも興奮する奴がいるんだよ。知ってた?」


「キモい」睨みつけて吐き捨てる。


「そうかもね。でも高田はどうだった? 高田だって男だろう。君のその体に興味あったと思う?」


「あんたとナツを一緒にしないで」


「一緒さ。高田と僕は一緒さ」


 そう言って少し悲しそうな顔をして、髪の毛から手を離すと背を向け勉強机に戻っていく。

 雪村くんが離れたのを見計らって、ゆっくりとできるだけ静かに深呼吸する。


「ナツはあんたとは違う」


 もう一度言う。少し声が震えた。

 勢いよく振り向いた雪村くんがずんずん近寄って来て、わたしを押し倒した。


「男の部屋に来るってことはどうなるかくらい想像できるだろ」


 わたしに覆いかぶさってきた雪村くんを睨みつける。


「クズ」


 雪村くんの細い指が頬を撫でる。そのまま首筋を這いブラウスのボタンに手をかける。

 冷たい手だった。不快な感触に全身が震えそうになるのを必死に耐える。瞳から目は逸らさない。


「……ふん」


 吐き捨てた雪村くんは立ち上がり、ベッドに腰掛けた。


「高田は君を性欲の対象としては見てなかっただろう」


「それが何」


「僕もそうだ」


「怖じ気づいただけじゃないの」


 起き上がりめくれかけたスカート、ブラウスを直す。

 ちらりとわたしを見た彼の瞳は、さっき触れられた指のように冷たかった。


「僕たちは付き合っていた」


「……どういう意味」


「そのままだよ。高田と僕はつきあっていた。僕も彼も男性に対してしか恋愛感情を持つことができない人間だったからね」


「嘘だ」


「嘘ならどんなに良かったか。君はさっき言ったよね。キモいって。本当にそう思うよ。僕も高田も君たちから見たら気持ちの悪い生き物だろうね」


 わたしはなんと言葉をかければいいのか、わからなかった。


「幼い頃から好きになるのは男の人ばかりだった。異常だと気付きながらも、誰にも打ち明けることができなかった。だけど、高田と出会って世界が開けた。高田も僕と同じだったから。彼の仕草を見てすぐに気づいたよ。女性に興味がないことは。彼もそうだったんだろう。僕のことをわかってくれた。僕らはすぐに恋に落ちた。同じ秘密を持つ者同士だったからね。……だから君は安心していい。僕は高田と同じように、君にはなんの性的魅力も感じていないよ。脅かすようなことをしてすまなかった」


 雪村くんは頭をかきむしって、悲しそうな瞳で笑った。


「本当にナツが同性愛者だったっていうの」


「ああ。少なくとも、今年の春まではね」


「それってどういうこと」


「親にバレたんだ。いや、打ち明けたと言っていたな。親なら理解してくれると思ったんだろう。でも、酷い言葉をかけられたんだ。泣きながら電話してきたよ。俺は人間として不良品なのか。俺たちは汚いのかって。ひどくショックを受けて」


 そんなことがあったなんて知らない。


「誰にも言えるわけないだろう。親にもそんな風に罵倒されたんだ。友達になんて言えるわけない」


「なんで言ってくれなかったんだろ。わたしにはなんでも話してくれると思ってたのに」


「知られたくなかったんだよ。一番の親友だから。僕にも経験がある。中学の頃にね。親友だと思って打ち明けたのに、次の日にはクラス中に知られていていたことがね。あれは堪えたな。友達が一瞬でいなくなるんだ。あいつと二人きりになったら襲われるぞ、なんて陰口叩かれて。だから僕は知ってる人が誰もいないこの高校に来た。誰にも打ち明けず、貝のように過ごそうと思っていたんだ。でも高田に出会えた。初めて世界が輝いて見えた。二人だけの秘密だった」


 俯いたまんまでボソボソと呟く声が部屋にこぼれ落ちる。


「全然知らなかった」


「でもね。君は覚えていないかもしれないけど、彼は一度君に打ち明けようとしたことがあったと言っていたよ。『もし俺がホモだったどうする?』って。もちろん、シャイな彼のことだから、冗談っぽく言ったんだろうけど、君は『気持ち悪いこと言わないでよ』と返したそうだ。高田はショックを受けていたよ」


 記憶にない。けど、絶対に言ってないとは言い切れない。自分の無意識な発言がナツを傷つけていたなんて。なんて酷いことを言ってしまったんだろう。


「僕は高田が君に打ち明けようとしたことが妬ましかった。二人だけの秘密だと思っていたのにってね。だから、君の返しに内心ほくそ笑んだ」


「わたしが……。ナツのことをわかってあげられたら……」


 わたしもナツを死に追い込んだ一人だったんだ。自分のことは棚に上げて、まさか自分にその責任の一端があるなんて思いもしなかった。


「気に病むことはない。人は無意識に差別をする。外国人がみんな納豆が嫌いだとか、イタリア人が陽気だとか、そういう偏見と一緒だからね。それに君だって真剣に打ち明けられていたら、反応はまたちがっただろう」


「……でも、わたし何にも考えてなくて、ナツが同性愛者だなんて思いもしなくて、酷いことを言っちゃってたんだ。ごめんね、雪村くん。ナツが死んでしまった原因はわたしにもあったんだね……」


「仕方ないことだよ。でも、高田は君のことを本当に好きだったんだ。恋愛感情はなかったけれど、親友だと思っていた。だからこそ、君には打ち明けてもいいかな、と思ったんだと思う。本当は僕以外に、しかも女性である君に高田が秘密を打ち明けようとしたことに嫉妬心はあったよ」


「……ごめんなさい。ごめんなさい」


 後悔の気持ちが頬を伝う。

 なにより、ナツにとってはとっても勇気を出して打ち明けようとしたことを、無下にしたことすら、記憶にない自分が悔しいし悲しいし、申し訳ない。

 でも何の弁明にもならない。

 わたしは覚えてもいないところでナツを傷つけていた。ナツは傷ついたんだ。


「傷つけようとして投げかける言葉は案外人を傷つけない。無意識の刃の方が人を深く傷つけるんだよね」


 いつ言ったかなんて覚えてない。人を傷つけていたのにそのことについてすら、覚えていなかったなんて。


「親にバレてから、ずっと酷い言葉を投げかけられて高田は参っていた。マトモにならなきゃいけないって自分を否定ばかりしていた。学校ではいつも通りにバカやってはしゃいでみせていたけれど、夜になるといつも電話がかかってきたよ。僕たちは間違っている。男同士で恋愛をするのはおかしい。女の子と付き合って普通にならなきゃいけないってね。それであいつは柊木亜紀さんと付き合おうとしたんだ」


「なんでアキだったのかな……」


 わたしじゃなくて。


「彼女には一度、告白されていたらしい。その時は友達としてしか見られないと言って断ったそうだけど」


 そうだったんだ。わたしはアキのことも何にも知らなかったんだな。


「でもね。僕は許せなかった。だって、僕たちはお互い好き合っていたんだよ。それなのに、男と恋愛をするのはおかしい、なんていう根拠のない世間の常識に惑わされて、自分を否定するなんて馬鹿げてる。それで、あの日、僕は彼を止めようとした。自分に嘘をついてまで、女性と付き合うことはないんだって。好きでもない相手と付き合うのは相手にも失礼だって。でも、それは彼を悩ませるだけだった。もっと言い方があったんだ。高田の悩みより僕自身の感情を優先してしまった。僕としたことが頭に血が上って、柊木さんが階段の下にいることにも気づかなかった。全部聞かれたと思った。でも、それでもいいと思った。僕たちが同性愛者だとバレて学校中から奇異の目を向けられたとしても、彼を奪われるくらいなら一緒に地獄に落ちた方がマシだと思ったんだ。僕には彼しかいない。彼にも僕しかいない、そう思った。でも、彼は違った。絶望してしまった。僕だけが彼の気持ちをわかってあげられたのに、僕は彼を救うことができなかった。自分の気持ちばかりを優先してしまったんだ。だから君のいう通り、僕が彼を殺したんだ。きっと」


 夕焼けが部屋までオレンジに染めて、うなだれる雪村くんのくしゅくしゅの癖っ毛も染める。


 これが真相。

 わたしはナツのことを知っていると思っていたけど、本当は何にもしらなかったんだ。見たい部分だけを拡大して虫眼鏡で覗くみたいに、彼を責めるならその責めはわたしにも帰ってくる。ナツは悩んでいたんだ。わたしは全然気づけなかった。

 なんでも話してくれる友人なんて勝手に思って甘えてたんだ。

 サインを見逃して傷つけた。


「知らなければよかった、と後悔したかい、真実は時に残酷だ。知らなくてもいいことを知った人は、心に重りを括り付けられる。足輪をつけられ、歩くこともままならない囚人のようだね。僕は一生彼の死を背負って生きるんだ。わかりあえた人はもういない。いくら季節が変わっても、もう僕の心は冬のままなのさ」


 窓の外、もう蝉の声は聞こえない。

 夏が終われば蝉は死ぬ。当たり前だ。


 夕日のきらめく六畳間で立ち尽くし、自分の罪の重さに悔いることしかできなかった。




 とぼとぼとぼ。

 夕闇の中、一人歩く。


 蝉の死骸などない道を。

 鈴虫が遠く鳴いている。


 わたしは一人。

 これからもきっと。


 ポケットが震えた。

 スマホを取り出す。


「ハル……。ユキ君と会ったの?」


 アキだった。


「うん」


 アキもきっと階段下で話は聞こえていたのだろう。どうしていいかわからず、選択肢を間違えた。


「アキ。ごめんね。わたし……」


「ううん。気にしないで。でも、誰にも言わないでね」


 わかってる。ナツは誰にも知られたくなかったんだ。死後に他人にとやかく言われたくないだろう。

 泣きそうだけど、嬉しさもこもったアキの声が受話器から聞こえる。


「ありがとう、ハル。これからも友達でいてくれる?」


「もちろん。わたしの方こそ、ごめん」


「いいんだ。私、動転しちゃってて、色々考えられなくて、あんなこと」


「わたしも全然気づかなくて、気を遣えなかった。わたしにも責任があるよ」


「ううん、そんなのいいの。ホモなんてキモいから死ねばいいと思ったけど、本当に死ぬとは思わなかっただけだから……」



 終わり

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【短編】蝉の声 ボンゴレ☆ビガンゴ @bigango

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