第4話
雪村潤。
表情をあまり出さない細身の少年で、少し茶色がかった癖っ毛がくしゅくしゅな理系男子。細い顎にへの字の唇が神経質そうな印象を与えるけど、涼しげな目元の美形ではある。
それまで意識などしなかった隣のクラスの男子を注意深く観察するとわかることがいくつかあった。
基本的には隣のクラスなので接点はないが、いくつかのクラスが合同で行う授業では彼と同じ教室で授業を受けていたことも判明した。そうか、ナツとも合同授業で話すようになったのかも。でも、雪村くん自体が目立つタイプじゃなかったからか二人が会話をしている記憶はない。
授業などそっちのけで、視界の端にいる少年を注意深く観察する。
雪村くんは授業中にふざけたりしないし居眠りなんかもしない真面目な生徒だった。
休み時間になっても、友達と外で遊ぶこともなく、図書室で本を読んでいたりする。あまり仲の良い友人はいないようだ。かといって別にクラスから浮いている感じもないし、宿題を忘れた男子に頼まれれば「またかよ」と笑ってノートを見せてあげたり、授業が終わっても隣の席の女子に勉強を教えてあげたりしていて、クラスの皆から程よい距離感で応対している。
「教授」なんてあだ名で呼ばれているところを見かけたので、一目置かれている存在なのかもしれない。
それこそ、あの日、声を荒げてナツに詰め寄っていたと言われても、とても信じられないような落ち着いた少年だった。
学校が終われば誰かと遊びに行くこともなく、さっさと校舎を出て行く。塾とか予備校とかに行っているのかもしれない。きっと良い大学にいく気なのだろう。彼の人生はナツの死など関係なく未来に向かって進んでいる。
足早に駅の方に歩いていく雪村くんの後をこっそりつけていく。
しっかりした足取り。歩きスマホをするでもなく、音楽を聴くでもなく、まっすぐ歩いていく。早足でついていかないとすぐに距離が離れてしまう。
彼がまたスピードを上げたから、慌てて歩幅を合わせると、急に彼は立ち止まった。
「なにか用?」
振り返りもしないで言う。わたしの事に気づいてたんだ。
わたしが固まっていると、くるりとこちらを向いてつまらなさそうに一言。
「……桜木春奈さん。だよね。1組の」
気だるい表情でくせっ毛をくしゃくしゃと弄ぶ。
「ストーカーってわけじゃないだろうけど、付いて回られるのはあんまり気分のいいものじゃないな」
「あなたに聞きたいことがあって」
「……僕は君に話すことは何もないよ」
「友達に聞いた。あの日、ナツが死んだ日に喧嘩してたって。ナツの死はあなたに原因があるんじゃないの」
言い切って睨む。雪村くんはやれやれ、といった感じでため息をついた。
「友達が急に死んでしまって悲しい気持ちでいるのはわかる。だけどね。死んだ人間にいつまでも縛られていてはいけない。死んだ人間はもういないんだ。受験を控えているこの時期に、探偵ごっこなんかしている場合ではないと思うけど?」
「大切な友達だったんだよ」
「高田のことで辛いのは僕だって同じさ。警察の発表は見たかい? 臨時朝礼の校長の言葉を覚えてないのかい? 高田が死んだのは不幸な事故だよ。本当に不幸なね」
「なぜあの日、喧嘩をしていたの?」
「それを答える必要はないよ。プライベートなことだ」
「アキはあなたが先に階段を降りていったと言ったけど、彼女が帰った後にまた踊り場に戻って喧嘩の続きをしたっておかしくはない」
「君はなんなんだい。僕をどうしたいんだい。高田の死の原因を僕に求めているのか。僕のことを犯人に仕立て上げたいのか」
「本当のことを知りたいだけ」
「だから、それはもうわかっているじゃないか。僕だってショックを受けている。高田がみずから死を選ぶなんて思いもしなかったんだ」
みずから?
その言葉に引っかかる。
「ふざけないで。ナツが自殺だって言うの」
雪村くんが、口を滑らせた、という顔をしたのを私は見逃さなかった。
詰め寄るわたしの目は見ないで彼は吐き捨てるように言った。
「そうか。君は知らなかったんだな。……親御さんと本人の名誉のために事故として発表されたんだよ」
初耳だった。いや、それが本当に事実かどうかはわからないけど、そんな話は知らなかった。
「なんでナツが自殺する必要があるの」
「彼のためにも、それは言えない」
視線を逸らしたままでいう。
「嘘ね。もし、本当にナツが自殺をしたのだとしても、雪村くんが自殺の理由を知ってるわけないじゃない。仲良くしてるところ、見たことないよ」
「君の人生は学校がすべてなのかい。僕は違う。高田も違った。僕たちは……」
そこまで言って言葉を止める。
「いや、なんでもない……。彼が死んで悲しいのは僕も同じだ。そっとしておいてやってくれ。彼のために。彼が死を選んだのはとても愚かな判断だったけど、彼なりに悩んだ末の行動だ。僕は彼の為にも何も言う気は無い」
全然わかんない。ナツはいつだって馬鹿みたいに無邪気だった。ナツに悩みがなんてあるようには見えなかった。ナツはなんでも私に話すと思っていた。それが、自殺を選ぶほど深刻な悩みを抱えていたなんて想像もしなかった。できなかった。今の話は本当なのか、雪村くんの苦し紛れの嘘なのかもしれない。信じられないし信じたくない。
これで話はおしまい、とばかりに背を向ける雪村くんに追いすがる。
「ちょっとまって! なんとも思わないの!? あの日、あなたが現れなければ、ナツはアキにちゃんと告白できて、付き合って、今頃鼻の下を伸ばしてデレデレしてたかもしれないんだよ。ナツは生きてたかもしれないんだよ! 」
叫ぶと雪村くんは立ち止まった。
振り返る彼の瞳が私を射抜く。怒りの炎が瞳の内側で燃えているみたいに、表情は変わらないのに気圧される。
「君は彼のことを何も知らない。勝手な想像で適当なことを言わないでくれ」
彼の静かな圧力に屈しないように、踵に力を込める。雪村くんは静かなトーンに怒りを滲ませた。でも、わたしだって『何も知らない』なんて言われたらカチンとくる。
「あなたに何の責任もないとは思えない」
「なら、僕は何を償えばいい。もう仲直りも謝罪もできない僕は何を償えばいい。遺された僕は何にすがって生きていけばいい。あいつがいなくなって、一番悲しいのは僕なんだ。一番苦しいのは僕なんだ。あとを追って死ぬべきだと思うか。わかってるさ。僕だってそうしたい。だけど」
ふうっと息を吐いて、自らを鎮め落ち着いた口調に戻る。といっても、それはほんのちょっとだけ話すスピードが落ちただけだけど。
「母さん一人を残して僕は死なんか選べない」
目の色が戻った。そうか、落ち着いた印象を受けたのはこの瞳のせいだったんだ。これはクラスメイトに『博士』と呼ばれて苦笑いをしていた少年の目じゃない。絶望しきっている老人の目だ。吐き捨てるように言う。
「僕たちのことなんか、何にも知らないくせに……」
強い仲間意識がこもった「僕たち」という言葉がやけに耳に残った。
「そんなの知らないよ。そんな話で納得できるわけないじゃない」
「君のような幸せな人間が興味本意で聞く話じゃない」
「そんなんじゃない」
「……本気で知りたいっていうのなら」
すこし考えて、雪村くんは何かを思いついたように、ちらりとわたしの身体を見た。
「そうだな……、親は夜遅くにならないと帰ってこないし僕の家に来なよ。人のプライベートに土足で踏み込むんだ。それなりのリスクは覚悟してもらわないと」
わたしの身体を舐め回すように見つめる。
「リスクって何よ」
「君は自分のことどう思ってる?」
「は?」
「容姿についてさ。男達からどういう目で見られてると思う?」
「……この話と関係ないでしょ」
「ないとは言い切れない。いや。こじつけのようなものだけど。ま、いやなら来なくていいよ。その代わり僕は何も話さないけどね」
「変なこと考えてるんじゃないでしょうね」
「ご想像にお任せするよ」
道路の真ん中で対峙したまま黙る。下校する下級生たちが訝しげにわたし達を見ながら通り過ぎていく。
わたしの心にはナツだけ。なぜナツが死んでしまったのか知りたい。しかも、自殺だって?
半信半疑だけど、嘘と決めつけるには彼の表情は真に迫っている気がする。
「いいわ。行ってやろうじゃない」
自棄っぱちで言う。ナツがいなくなって、わたしだけが何も知らなくて、そんな状況がただ嫌だったのかもしれない。ナツが死んで、アキは心に傷を負って、雪村くんは真相を知っていて、わたしだけが何も知らず何も傷つかずのうのうと生きているのが嫌だったのかもしれない。一番の友達だと思っていたのに。
雪村くんは「後悔するなよ」と唇の端を歪め歩き出した。
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