第2話
夏休みが明けたばかりのある日、専門棟の屋上へ続く階段の踊り場から転げ落ちた男子生徒が死んだ。頭から血を流して死んでいる生徒を発見したのは夜の見回りで巡回していた用務員だった。
噂は早い。
学校で死んだ奴がいるらしい、という曖昧な情報は、その日の夜にはもう生徒たちの元にもたらされた。
それが誰かはわからなかったから、わたしはナツにもアキにもラインした。アキはすぐに既読になったけど返信はなくて、ナツは既読にもならなくて。でも、この時はまさかナツがその『死んだ奴』だったなんて思いもしなかった。
だって、前の日、ナツはわたしにこう言ったんだ。
《明日、アキに告ろうと思う》
照れたように、はにかんだナツの顔が今でも忘れられない。
彼の一言のせいで、わたしはもう打ち明けることができなくなった自分の大切な想いを心の奥にしまいこんで『頑張れ、きっと大丈夫だよ』と返した。
ナツはわたしに何でも話してくれたけど、それは彼にとってわたしが男女の垣根を超えた友情の相手だったからだ。
それは嬉しいけど、辛かった。
でも、わたしは自分の気持ちは心の奥にしまって、自分に言い聞かせた。
一番仲の良い友達が照れながらも打ち明けてくれたんだもの。応援しなきゃって。ちゃんと彼の望む役割を演じようって。
しかも相手がアキ。
綺麗なアキ。可愛いアキ。
高校で出逢った女子の中で一番の馬が合う子。
艶々の黒髪ストレートで、目が大きくて、スタイルも良くて、明るくて、元気で、勉強が出来て、頼りになって、天然で、怖がりで、寂しがり屋で、甘えん坊で、ちょっとボディタッチが多くて、誰にでも優しくて。
そんなパーフェクトな子がいたら、誰だって好意を持つ。年頃の男子ならきっとみんな好きになる。
だからナツがアキを好きになるのだって不思議じゃなかった。
アキとは、どういう人と付き合いたいかってことはキャーキャー言いながら話していたけど、具体的に誰が好きなのかは、お互い言わなかった。
アキはナツのことをどう思っているのかな。告白されたらどう答えるのかな。
チクリと胸に痛みが走る。口に出しちゃいけない、考えることすらおこがましい嫉妬が火花を散らして消えた。
今まで、アキの気持ちを聞くことはできなかった。もし、アキもナツのことを好きだと聞いてしまったら、三人の関係は終わりになる。それが怖くて突っ込んで聞くことができなかった。でもついに向き合わなきゃいけない時期が来たのだ、と覚悟を決めていた。
当日、朝からナツはわかりやすく緊張していた。
そして、授業が全て終わると、ちらりとわたしに目配せした。
《頑張れ!》とだけラインで伝え、気の無いそぶりをしてみたが、結果がどうなったか気にならないはずがなかった。
学校から帰ってもスマホばかり気にしていた。
でも、回ってきた連絡は校舎で誰かが自殺したらしい、という連絡で。
そして。
……全てが過去の出来事になってしまった。
次の日の朝、学校に行くと校門前には人だかりが出来ていて、ナツはまだ既読になってなくて、昨日の噂が本当らしいって現実感が湧いてきて、ナツの姿は見えなくて、モヤモヤって暗雲が胸に立ち込めて、死んだのはどうやらうちのクラスの子らしいって話がどこからともなく回ってきて、でも情報は錯綜してて。
そのうち、死んだのがナツらしいって噂が誰からともなく出始めて、階段から足を踏み外したらしいとか、突き落とされたらしいとかって真偽不明な噂だけが回ってきて、嘘だって思ったけど、クラスのグループラインにもナツからの発言は無くて、わたしが個別でナツに送ったメッセージも依然、既読にならなくて。
嫌な予感がする。なんてドラマの世界の話だけかと思ったけど、本当に嫌な予感がして、そして、夜になって亡くなった生徒がナツだったという公式な連絡が回って来て……。
信じられなくてフラフラとスマホを手にとってナツと交わしたラインの内容を見返した。そこには確かにナツがいて、バカな話とか変な画像とかを送りつけてくるいつものナツがいて、でもやりとりは途中で途切れてて、未読のままで、そして、もう返信は来なくて。
心臓を誰かに掴まれたみたいにギューっと苦しくなって、夏なのに寒気がして、信じたくない信じられないそんなわけない、ってぐるぐる目眩がして。スマホに通知が来るたびに、ハッとしてスマホを取って、でも当たり前にナツからのラインが来るわけはなくて、それでもやっぱりナツが死んだなんて認めたくなくて。
でも、だけど、わたしが認めようが認めまいが、ナツはわたしの前から居なくなってしまって、テレビでも色々報道されて、事故と事件の両面から捜査されたみたいだけど、別に名探偵が現れるわけでもなく、結局の所は不幸な事故だったみたいで、臨時朝礼が行われて、マスコミからの取材もあって、コメントを求められた校長が神妙な面持ちでこう言っていた。
「事故にあった生徒は明るく真面目でクラスの中心人物でした。彼の事はとても悲しいですが、今後、このような事故が起こらないように注意喚起をしていきます」
あなたはナツの何を知ってるの。
たったそれだけの言葉で知ったようにナツを語らないで。
ナツはバカで単純で、優しくて暑苦しくて、でも理科の実験とか興味があることに関しては変なところで繊細で細かくて、体育が好きで数学が嫌いで、弱いものには強くて、押しが弱くて、でも強引なところもあって。背は高くて、でも猫背で、甘いものはあんまり好きじゃないけどチーズケーキは好きで、おでこが狭くて、字が汚くて、モンハンが好きで、箸の持ち方が変で。
あいつのことを考えるといくらでも言葉が溢れてくる。
ナツは『明るく真面目でクラスの中心人物』なんてテンプレで表せる奴じゃない。
間違いだ。きっとわたしの知ってるナツはどこかで生きていて、ナツと同姓同名かなんかの別人がナツということにされて死んだんだ。
わたしはそんな妄想をして自分を納得させていた。
だから、クラスのラインで巻き起こる喧騒はシャットアウトして耳を塞いだ。
お通夜で棺桶の中の彼の顔を見ても、ナツが死んだなんて信じられなかった。寝てるみたいだって誰かがポツリとつぶやいていたけど、教室で寝てたって、屋上で寝てたって、映画館で寝てたって、ナツはこんな寝顔じゃない。これはナツじゃない。死んだ人の顔って無表情ですらないんだ。ナツの横たわる顔が底のない暗闇に見えて、全然ナツに見えなくて、わたしは目をそらした。
だけど、正面には馬鹿笑いしてる、わたしが知ってるナツの写真が額縁に入れられて飾られているし、ナツのお母さんはハンカチに目を伏しているし、お父さんは呆然としてるし、でもわたしはなんだかわからなくて、理解できなくて。
周りを見れば、そこまでナツと仲よかったわけでもないくせにクラスメイトだったというだけで、オイオイ泣く女子がいて、仲良かったはずの男子達は神妙な顔の裏で好奇心は隠しきれていなくて、教師は悲しんでないのに悲しんでるフリをして。
何が何だかわからないまま、頭の整理がつかないまま、お焼香を済ませて、滞りなく通夜は終わって、次の日には彼はあっけなく灰になってしまったみたいで、それで終わりで、あっけなく学校は再開されて、あっけなく日常は戻って、あっけなく受験生の日常が戻ってしまって。
そしたら模試だ最後の文化祭だ模試だ体育祭だ模試だ模試だ、って予定は今月も来月もびっしりで、「死んだ高田の分もお前らはしっかり生きろ」なんて担任は言って、ナツの死すら受験の原動力にさせようとして、けど、ムカつくけど勉強はしなくちゃいけなくて、朝六時過ぎれば朝日が昇って夜七時過ぎになれば夕日は沈んで一日は過ぎる。
わたしにとって大事な大事な世界の中心だった人がいなくなってしまったのに、世界は不思議なくらい普通に存在していて、それどころか加速しているようで、わたしの心だけが置き去りで、でも「ここテストに出るぞ」と言われれば慌てて赤ペンを入れて、結局現実という濁流に飲み込まれていく。
信じられる?
ナツは死んだんだって。
ナツはもうこの世にいないんだって。
わたしは蚊帳の外で、ずっと蚊帳の外で、中で何があったのか何も知らない。
閉ざされたカーテンの向こう側で、もぞもぞ影が動くのがぼやけて見えただけ。
知らないところで事件は起きて、知らないうちに解決していた。
わたしは脇役ですらなかった。
だけど。
でも。
一つだけ。
わたしだけが知ってることがある。
ナツが死んだ専門棟の屋上へ続く階段の踊り場。
ナツはあそこにアキを呼び出していた。ナツが死んだ日、ナツが死んだ場所に、アキもいたはず。それが私だけが知っている事実。
誰も来ないから告白にはもってこいだろ、なんて照れ隠しに鼻を掻きながらナツは言っていた。
その踊り場から転げ落ちてナツは死んだ。
アキは、なんで何も言わないの?
あの日、アキはあの場所でナツと話したんじゃないの?
ナツに好きだって言われたんじゃないの?
わたしがどんなに言われたくても絶対に言われない言葉をナツに言われたんじゃないの?
アキは告白を受けて、なんと返したの?
なんでナツは死んでしまったの?
わたしはなんでもいいからアキの口からあの日のことを話してほしかった。二人の間で何があったのか知りたかった。
アキがナツを殺した、なんてことはないのはわかっている。警察だってちゃんと調べて事故死と結論付けたのだ。
だけど、アキの口から何があったのか聞きたかった。
それを聞いたら、もうアキと今までどおりには話せなくなるような気がしたけれど、でもそのことを聞かないままではアキと普通に接することなんかできなくて、踏ん切りがつかないまま、なんとなく避けるような感じになってしまって、そのままズルズルと日々が続いている。
避けていたのは本人にも気づかれていただろう。
一緒に帰らなくなったし、どこにも遊びに行かなくなった。
アキが寂しそうな顔をしているのは瞳の端に映っていたけど、ナツのことを思うと、もうアキと今まで通り話すことなんかできなかった。
それなのに、アキはいつもわたしのそばにきた。
ナツがいなくなっても、アキはずっと。うっとおしいくらい、ずっと。
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