【短編】蝉の声

ボンゴレ☆ビガンゴ

第1話

 蝉の歌。


 蝉の死骸がぽとぽと地面に落ちてたから、とぼとぼ歩きながら数えてみた。


 とぼとぼとぼ、いーち、にーぃ。

 ぽとぽとぽと、さーん、しーぃ。


 一斉に土から這い出してきて、一斉に死ぬ。一斉に。いっせいに。


 みんなで死ねば寂しくないのかな。

 ひとりで死ぬから寂しいのかな。


 今更ながら考えてみると「死」って地球上のどこにでも転がっている身近なものなんだよね。外国では戦争やテロで毎日殺し合いをしているし、国内だって殺人事件やら交通事故やら病気やら過労死やらで毎日毎日人は死んでいるし、人間に限らなくたって、毎日食べるお肉は可愛い豚さんや牛さんの死の上で得られてるものだし、外を歩けば蝉だってカエルだって、時々猫だって道端で死んでたりするわけだし、家にゴキブリが出れば叩き潰して殺すし、つまり『所詮この世は弱肉強食』ってなわけ。


 いつでも「生」の傍らには「死」があって、それはコインの裏表みたいに密接に関係している。


 ……で、思った。

 わたしは18年も生きてきたのに、どうやら、このいつか向き合わなきゃいけない「死」というものから目を逸らしていたみたい。

 まだ幼い頃に初めて「死」を知った時、誰にでも終わりが来るということが怖くて、母親の布団に潜り込み、泣きじゃくったこともあったのに。


 だけど、見えない死の影を恐れていた少女も、年を重ねるにしたがい一人でも寝れるようになったし、考えてもわからないことを考えるのは時間の無駄だと思うようになった。


 人間のすごいところは『考えることができるのに考えない』ことだと思う。

 大事な問題なのに、棚に上げてほったらかしにして生きていけるのだ。

「死」そのものへの恐怖は少しも軽減されていないというのに、わたしはそれを目に入れないことで遠ざけてきたのだ。


 でも、夏の残滓の真ん中で気がついてしまった。小さな蝉の死骸を数えながら思い出してしまったのだ。

 そっか。

「死」はいつでも近くに居たんだね。


 考えなければ怖くない。

 考えなければ存在しない。

 そうやって、逃げてきたツケが回ってきたのかもしれない。


 濃い影を引きずって抜け殻みたいに歩いてく。


 とぼとぼとぼ、ごお、ろく

 ぽとぽぽと、しち、はち


 小学生の頃は男の子と一緒に虫捕りにも行ったし、平気で素手で掴めたのに、今はとてもじゃないけど昆虫を触ったりはできない。

 汚いし気持ち悪いと思っちゃう。なんでだろうね。子どもの頃にはできたことが大人になるにしたがって出来なくなったりするんだ。どうやら年を重ねることが成長ってことじゃないのかもしれないな。


 とりとめのない思考を巡らせながら自転車置き場を通り抜けて正門に向かう。

 それにしても、こうやって下を向いて歩いていると蝉の死骸ってホント多い。毎年こんなに落ちてたのかな。それとも今年に限って、もっといえば今日がたまたま多かったのかな。

 まあ出てきた分はもれなく全部死ぬんだから多くても不思議ではないのかな。

 当たり前だけど、生まれたらみんな死ぬんだ。誰だって。わたしだって。



 昼休みの校舎からは生徒のはしゃぐ声。

 蝉の声より騒がしく、蝉の声より中身のない、無意味な喧騒。


 みんなでいるから煩い。

 ひとりなら、みんな静かにしてるのに。


 ひとりぼっちで生きていくのと、みんなで一斉に死ぬのと、どっちが幸せなんだろうか。

 気がつくと思考はループしている。


 とぼとぼとぼ。

 ぽとぽとぽと。


 思考の渦に飲み込まれていたから、校門前に見慣れたローファーが待ち構えているのに気づかなかった。


「……ハル、帰っちゃうの?」


 はっとして顔を上げる。アキだった。

 しまった。気付かれないように黙って教室を出たのに。

 避けていた相手が突然目の前に現れたことに動揺する。

 てか、わたしのことを正門で待ってたってことは、わたしが蝉の死骸を数えて歩いてるところも、もしかして見られてたのかも、とか思っちゃって、なんか恥ずかしさが込み上げてきて、取り繕うように言葉を探した。


「あ、あのさ、蝉って成虫になってから一週間で死ぬとかよく聞くけど、実際は一ヶ月くらい生きるんだって」


 ……何を言ってんだわたしは。


 蝉の死骸を数えてた、なんて正直に言ったらバカみたいだから言えなかったけど、頭の中を空にして蝉の死骸を数えてたもんだから、結局頭の中は蝉でぎちぎちで、蝉のことなんか五分前に校舎を抜け出した時まではわたしの脳みそには1ミリもなかったのに、そんなんだからどうでもいい蝉雑学を披露しちゃったんだ、ってそんな自己分析してる場合じゃない。てか誰から聞いた雑学だっけコレ。


 アキは「そうなんだ」とだけ言って黙った。気まずい空気が二人の間に流れた。


「じゃ、このひっくり返って死んでる蝉は一ヶ月も前に外に出て来た蝉ってことなの?」


 アキは足先で死骸を蹴転がした。

 コロリと回転してうつ伏せになった蝉。うつ伏せになると、死んでるかどーかって分かり辛い。虫は大体腹を天に向けて脚を全部折りたたんで死ぬもの(多分)で、蝉は腹を天に向けて脚を全部折りたたんでいるって事実をもって、「死んでいる」と見なされるわけで、その姿勢を発見した人間の脳はそこから「あ、夏が終わる」ってところにまで一気に飛躍して、急に、君と夏の終わり将来の夢、とか言い出したり、津波のような侘しさが胸に押し寄せたりするもんで、そうでもなきゃ夏の終わりなんて実感しないのかもしれない。


 アキに蹴転がされた蝉はまだ生きてたみたいで、ジジジ、と力なく鳴いた。


「きゃ、生きてたっ!」


 自分で蹴っ飛ばしたくせに、慌てて飛び退いている。虫だって一生懸命生きてんのに、なんで虫ってだけで(特に女子に)こんなに嫌われるのかな。生きてるだけでまるで害悪。哀れ。


「生きてるだけで殺されるのって虫くらいだね」


 わたしが言うと「え? だって怖いじゃん」と身も蓋もないことをアキは言う。生きてるだけで怖がられるってかわいそうだよ。と笑いそうになったけど、ぐっと奥歯を噛んで口を閉じた。

 再び沈黙。


 そうだ。死んだと思ってカウントした蝉が実はまだ虫の息(虫なんだからどんな状況でも虫の息だよね)で、アキに蹴飛ばされたことで、最後の力を振り絞って鳴いて自分はまだ生きてるってことを証明したから、わたしはカウントをひとつ減らさなきゃいけないんだ。

 あ、でも、そうすると今まで死んだと思って数えていた『腹を天に向けて脚を全部折りたたんでいた蝉』もホントに死んでたのかどーか、曖昧になっちゃうわけで、でもわざわざ来た道を戻って全部の蝉を蹴転がして、生きてるか死んでるかを確認するなんて馬鹿なことをする気にもなれなくて、いやいやそもそもなんで死んだ蝉を数えてたんだっていうそもそも論になっちゃって、そういえば虫は力を抜くと脚が自然とたたみ込まれる、だから木につかまったまま寝れるんだってのは誰から聞いたんだっっけ、とか余計なことを考えちゃって、そうだ、ナツに教えてもらったんだ。あいつ「夏休みカブトムシ捕まえに行かね?」なんて誘ってきて、「虫なんか触りたくないからやだよー」なんて言って断ったけど行けばよかったな、最後の夏休みだったのにな。

 なんて思ってハッとする。


『そうだ。ナツはもう。死んじゃったんだ』


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