第12話 音動二輪車の不調
総官が去ってから、暫く。二人の間には重苦しい沈黙が流れていた。
日は徐々に西へと傾き、刻々と時間は過ぎていく。このまま
あまりに気まずい沈黙に、自然と川に目が向く。
川の水が日の光に反射して煌めくと同時に、さざめきから生まれた音宝石が水の流れに漂いゆらゆらと煌めいては川底へ沈んでいく。魚が跳ねる音、水鳥のさえずり。その全てから色とりどりの宝石が生まれ、ある宝石は岩肌に残り、ある宝石は木々の葉に乗り、またある宝石は川に落ちて沈んでいく。ジルにとっていつもの光景ではあるが、それでもやはり美しかった。
そんな景色をどれくらい眺めていただろうか。
「帰るか」
絞り出した声に、ジルはロークを見た。既にジルに背を向け、
既に運転席が埋まった音動二輪車の後部座席に跨がり、しっかりと音動二輪車に掴まる。その一連の動作を確認してから、ロークは音動二輪車に音煙という動力を流し込む。いつも通りの決まった手順……だが、今日はいつもと音が違った。
「ロークさん、何か変じゃないですか?」
「……俺もそう思っていたところだ」
2人はすぐさま音動二輪車から下り、点検することにした。とは言っても、音動二輪車をいじる腕も知識もないジルは点検するロークの隣で見ているだけだが。
「あの濁流でおかしくなったんでしょうか」
ジルの不安は的中。暫く音動二輪車を診ていたロークは溜息交じりに立ち上がった。
「ダメだな……。具合が悪いのは、こいつの中らしい」
音動二輪車の心臓部を軽く叩く。
「幸い何とか動きそうだ。このまま修理に寄ろう」
アントラクト山脈を下り、首都リズムハートへ帰る道を進み、途中リズムハートへ行く道と田舎へ下る道に分かれる大きな三差路で右に折れる。そこから1時間もすると民家の姿は消え、青々とした緑の草原や森がジルの瞳の中を流れるようになった。
山にはまだ冬が残っていたが、平野では春を迎えたばかりらしい。あちらこちらで新芽が芽吹き、色とりどりの花が風に揺れている。特に首都リズムハートでは見かけない珍しい花々や動物がジルの目を引く。
「ここ、
「ああ、それがどうした?」
不思議そうな声に、ロークも不思議そうな声を返す。
だが、そんな声色など微塵も気にせず、ジルは周囲を見渡しながら驚きの声を上げた。
「うわぁ……たった2時間くらいで、こんな場所へ行けるなんて!」
珍しいカラフルな鳥が木々から飛び立ち、二人の頭上を飛んでいく。その不思議な鳴き声は例えようがなく、ジルは落ちてきた音宝石に手を伸ばしたが、音動二輪車を操縦しているのはローク。あと一歩というところで、音宝石は地面に転がり、ジルは悔しそうに下唇を噛む。
そんな背後のやり取りに気付くはずもなく、ロークは音動二輪車を走らせ続ける。
「ここは環境保護区だからな」
「環境保護区?」
聞き慣れない単語だ。聞き返す声に、音宝石を取り逃した悲しさと悔しさがほんの少し滲む。
「結構前に、荷物検査付きのゲートを通過しただろ? あっこから先が環境保護区。絶滅危惧種を始めとする希少生物、希少植物を保護している一般人は立ち入り禁止の場所だ」
「へぇ……そんな場所があったんですねぇ」
「知らないのも無理はない。希少生物の盗難を防止する目的で、この場所の存在は一般には公開されていないからな」
ここでジルに一つの疑問が浮かんだ。
「あの、音動二輪車の修理に来たんですよね?」
「ああ」
「じゃあ……どうして
だって、音動二輪車は音魅道具だ。
ロークは少し考えてから口を開いた。
「説明するより、見る方が早い。もうすぐ着く」
「……はい?」
そこから数分走ると、小さな村が見えてきた。そこが今回の目的地らしい。遠目からでも、ただの家ではないことが一見してわかる。鉄製の壁に、鉄製の屋根。どの家にも煙突が生え、その所々からもこもことした煙を吹き出している。凍えるような冬は終わりを迎え、季節は春だと言うのに──。
その中の一軒、白銀の鉄壁で覆われ、所々に使用用途のわからない機械が取り付けられた円柱型のド派手な家の前に音動二輪車は停車した。太陽光を浴び、壁がキラキラと目映いほどに輝いている。
「……驚かないのか?」
「何をです?」
首をかしげるジルに、何か思い当たったらしく「ああ」と声を落とす。
「なるほどな」
「……どういう意味ですか?」
その言い方が妙にカンに障った。
「音を宝石で見るからには、さぞやキラキラしたものを見慣れているんだろうな、と」
「……それ、嫌味ですか?」
「いや、嫌味ではないし深い意味もない。この建物を見て驚かないことが不思議というか……」
「お前が初めてみた時に驚いたから、同じように驚かない部下にイラっとしたんだろ?」
頭上から不意に降ってきたのは、色気をまとった女性の声。華やかな薔薇に似た宝石がカランと鉄壁を伝うように転がり落ちる。
その転がった宝石の軌跡を上に辿っていくと……そこには、二階の窓から顔を出した女性がいた。長いと思わしき銀色の髪を不思議な眼鏡付きのターバンでかき上げ、おでこを露わにしている。この距離からでもわかる長い銀色の睫を有した瞳が、見る者に神秘的な印象を与えていた。
「うるせぇよ」
ロークは口の端で笑い、ジルに向き直る。
「いいか、ジル。あれが絶滅危惧種の人間、化学者だ」
「化学者……?」
それは教科書でしか聞かない単語。そして、記憶にない自分の父親も──。
ジルは不思議そうな顔で彼女を見つめた。
「あの……化学者って、具体的に何をする人でしたっけ?」
ロークの旧友、化学者でもあるアリシャ・コネリーは環境保護区に隠れ住む化学者の1人。化学者とは、音以外の動力を探し、音魅以外でも音魅道具のような便利な道具を使うことができる世界を目指す者のこと……アリシャはそう説明した。
「で、本題に移ろうか」
アリシャが目線をジルからロークへ移す。
「あたしの所にきたってことは、音動二輪車の不調だろ?」
「ああ、心臓部から異音がする」
「エンジン部か? 見せてみろ」
真剣な面持ちで音動二輪車を囲む二人。そこに入る余地はもちろん、父親のことを聞く隙もなく、暇を持てあましたジルはその辺をぶらつくことにした。とは言っても、アリシャの家の周りをほんの少し探索するくらいだが。
アリシャの家の外壁にはいつくか窓が取り付けられていて、ジルの身長でも簡単にのぞき込むことができる。それもそのはず。この家は背の低いアリシャに合わせて作られていて、普段チビと言われる身長のジルでも比較的大きい人の部類になる。ついでに言えば、普段から高身長のロークは巨人だ。玄関のドアだって屈まなければ通れない。これは彼女からの、背が高いヤツは傅いて通れという隠されたメッセージだったりもするらしい。
そしてその窓から見えた光景に、ジルは驚いた声をあげた。
「すっごい既視感がある……」
足の踏み場のないゴミ屋敷。まるで自分の部屋を見ているかのようだ、とジルは口の端を引きつらせた。
「ジル、戻って来い。どこだ?」
その怒声にも似た呼び声に、何とも悪い予感を抱えて音動二輪車の方へ戻ると……そこには頭には三角巾、口にはマスク代わりの布をあて、手には雑巾らしき布を掛けたバケツと箒を持ったロークが立っていた。
「お前も準備しろ」
そう言って渡されたのは三角巾らしき布、2枚。
「……あの、これは一体?」
状況が飲み込めず恐る恐る尋ねるジルに、なぜわからないと言いたげな面持ちでロークが言い放つ。
「掃除するに決まってんだろ。アリシャが音動二輪車を修理する間、俺たちでこの家を掃除するんだ」
「…………はぃぃ!?」
ジルの叫びが空に響いた。
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