第3話 偽物の炎
「おい、ガキ。連れてってやるが条件がある。トーン港へ行くには道が二通りあることは知っているな?」
「さあ、知らね」
「ああ!? 何も知らずについてこようとしたのかよ」
怒りを通り過ぎて、ため息が漏れる。頭を抑えるロークに代わって、ジルが説明を買って出た。
「トーン港へは二通りの行き方があるんだよ。一つは、厳しいけど近い道。もう一つが遠いけれども緩やかな道……」
すかさずロークが続ける。
「今回は今日中に……できれば、夕方に帰ってくる予定だからな。一つ目の道を通りたいところだが、お前……ついてこれんのか?」
それはカンタに聞いているというよりも、自問自答をしているように見えた。だが、そんな質問の意図など介さず、「大丈夫だって! オレ、ちゃんと歩くし!」と、明るくカンタが答える。
「あ、歩きはしないよ」
「へ?」
ジルの言葉に、ロークが付け加える。
「これに乗ってくからな」
親指で指したのは、さっきロークが跨がっていた音を動力に動く音動二輪車。カンタは「かっけ〜!」と目を輝かせたが、二人は反対に不安そうな顔を浮かべた。
不安は大きいが、時間が惜しい。二人は音動二輪車にカンタを挟むようにして三人乗りし、一路トーン港を目指すことにした。
出発して十分。
道はまだまだ穏やかだ。
「カンタくん、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫!」
さらに十分。山道へと差し掛かった。
整備されているとは言い難い、ガタガタの道を右へ左へ……ひどいときには300度くらい曲がりながら進む。
「カンタくん、大丈夫?」
「すっげー、超楽しい!」
数分程度、曲がりくねった道が続く分には絶叫マシンに乗った気分で楽しいかもしれないが、これが一時間も続く頃には……。
「カンタくん、大丈夫?」
「…………」
二人の不安は見事的中。夢と希望に満ちあふれたキラキラした瞳のカンタは今、澱んだ瞳で猛烈に襲い来る吐き気と戦っていた。二人が心配していた乗り物酔いだ。
「おえ」
「乗ったまま吐くなよ!」
「んだごどいっだっでー……」
「ロークさん、カンタくん限界です! 一回その辺に停めて……」
「それ、本気で言ってんのか?」
「え……」
ロークは振り向かず続ける。
「もし本気で言ってるんだとしたら、学生からやり直しだな」
「ど、どういう意味ですか!」
そう叫んだ瞬間だった。
地鳴りと共に、三人を取り囲むように突如巨大な火柱が上がる。だが不思議なことに「地鳴り」はただただ揺れるだけで、岩が揺れる轟音も聞こえず、欠けた岩が落ちる音も宝石には変わらず……周囲は静寂に包まれていた。
これは……。
「
原因不明の音から生じた化け物。その形は多種多様だが、森羅万象に由来するものが多いとされる。
目の前の岩と岩の亀裂から炎が猛々しく吹き上がるが、何か違和感を覚えた。しかし、その違和感の正体を考えるよりも先に、ロークが右手に力を込める。
「炎に見えるが所詮は音だ。突っ切るぞ!」
「えっ……炎の中を行くのか?」
素っ頓狂な声を上げたのはカンタだ。彼の顔は乗り物酔いも手伝ってか、真っ青を越えて蒼白になっている。
「火だぞ……こんな中飛び込んだら」
ごくりと息を呑むカンタになど目もくれず、ロークは右手をぐっと手前に倒し、スピードを勢いよくあげた。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
「待てるか!」
その時だった。
「……あ」
急発進の揺れに負けて、カンタの体がふわっと宙に浮いた。彼に掴まって音動二輪車に跨がっていたジルも必然的に道連れとなる。
「!」
数秒後、二人の体は地に打ち付けられた。
だが……地に体を打ち付けた音も、二人の痛みに上がる声も、何も聞こえない。いつだって見えるはずの煌めく宝石の欠片だって見えなかった。
「 」
カンタが何か声をあげる。
だが、カンタの声は真横で俯せに倒れ、痛みに喘ぐジルには届かない。気づかない。
「 !」
カンタが闇雲に大声を張り上げるごとに、炎の勢いが増していく。だがそれに気づくことはできず、カンタは火に音という名の燃料を注ぎ続ける。自分の発した声が聞こえないのが災いして、張り上げる声はどんどん大きくなっていった。
「 !!!」
ようやく気づいたジルがカンタの口を手で塞いだ時には、遅すぎた……。火柱は業火となり、大蛇を模した巨大な炎の化け物へと進化を遂げていて、二人は反射的に叫び声を上げながら逃げ出すしかなかった。
「!!!」
だが、逃げた先にも炎。
音の炎に360度ぐるりと包囲されては逃げ場がない。しかもここはヤツのフィールド。声はもちろん足音ですらヤツの餌となり、音となった瞬間に食われてしまう。
ジルは「絶対に喋っちゃダメだよ」と口に立てた人差し指を当て、チャックを締めるような動作をして見せた。カンタは強く頷きながらも、目は泳ぎ、冷や汗が止まらない。ぐるぐると目が回るような感覚の中、口だけは必死に閉じていた。口からの酸素供給がないせいか、鼻息が荒くなる。妙に喉が渇き、汗が噴き出す。それが周りで火が焚かれているせいだ、と思うのは仕方がないかも知れない。
偽物の炎など、見る機会はなかったはずだ。
「 !!!」
火に焼かれる妄想にとりつかれたカンタは、パニックを起こし泣き叫び始めてしまった。声は音。
(喋っちゃダメだ!)
両手でカンタの口を必死に抑える。彼の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。それでも手のひらの隙間から叫ぶカンタを止めようと、とっさに口に腕を突っ込む。
「 !」
(ぐっ……!)
パニック状態のカンタはつっこまれているのがジルの腕だと知ってか知らずか幾度となくジルの腕を噛んで抵抗する。しかし痛みに負けて離す訳にはいかない。制服が唾と血と涙でぐちゃぐちゃになって色が変わっていく。
(耐えろ耐えろ耐えろ……ここで、不協和音にカンタくんを食わせる訳にはいかないんだ!)
必死に歯を食いしばり、耐えるジル。
(カンタくん、頼むから落ち着いて!)
「!!!」
だが、そんな願いも我慢も空しく、カンタはジルの腕を喰らう勢いで強く噛みつき、その噛みついた腕を揺さぶり、さらにもがきにもがいて口を離した。ジルの痛みに喘ぐ声がカンタに届く前に消える。
「 !!!!」
カンタは泣きながら、何かを訴えようとしていた。だが言葉は届かない。声は音になった瞬間、食われるからだ。音を食らう化け物、
「 !!」
「 !!」
「!!!」
(こうなったら仕方ない……!)
狂ったように叫ぶカンタに、ジルは痛みに堪えながら銃口を向けた。銃筒には、ジルが見た音宝石がセットされている。
その向けられた銃口に、カンタはさらにパニックを起こす。わあわあと叫び、あらん限りの声を出して拒否する。撃たないでくれ、と唇が動く。だが……撃たない選択肢はもう残っていなかった。
(カンタくん、ごめん!)
ジルは暴れるカンタに焦点を合わせ、引き金を引いた。
「!」
音宝石が勢いよく発射され、カンタの体の中心部へと吸い込まれていく。
音宝石がカンタの体内の骨に当たり、弾けた。その瞬間、カンタの体いっぱいに音が再生される。
「早く帰ってきてね……」
それは、カンタの母親の声。夫へ向けた言葉だったが、奇しくも今のカンタの心に重く……暖かく響いた。
「母ちゃん……」
乱暴に開けた封筒から他の音宝石がこぼれないよう、ぎゅっと握って蓋をする。雑だが、気にする余裕などない。
その時、カンタの側に煌めく宝石の欠片が見えた。
銃を撃った一角だけ、風圧によって
「カンタくん! 絶対に喋ったらダメだ! あの炎は
言い終わるより、
「うわあああああっ!」
「カンタくん!」
炎の大蛇は大口を開け、カンタを頭からすっぽり飲み込んだ。炎がカンタを包み込み、轟々と火柱をあげながらさも燃え続けるかのように炎を振るわす。
よく見れば服も全く焼けておらず、これが偽物の炎だと簡単に理解できるのだがパニック状態のカンタには見抜けない。それどころか、完全にパニックに陥ってしまっている。
「!!!!!!」
「カンタくん! 騙されないで。これは偽物の炎だ。君は燃えない! 君は死なない!」
「あああああああ!」
ジルの声は届いているのか、届いていないのか。恐怖に囚われたカンタは叫び続けるだけで、目すら合わせられない。
「カンタくん、こっちだ! 手を……伸ばして!」
ノイズの炎に当てられながらも、手を伸ばしカンタを連れだそうとするジルを拒むように、大蛇を象る火柱はさらに勢いを増しカンタを上へ上へと突き動かす。完全に浮いているような状況に、パニックと恐怖で限界を突破したカンタは訳がわからなさげに泣きながら笑っていた。
(僕がしっかりしなきゃ……)
ジルは自分の頬を二度叩き、銃筒にもう一度音宝石を込める。
(と言っても……僕の能力じゃ脅かし程度にしかなんないけど。やらないよりはきっとマシだ)
銃をカンタに向け、引き金を引く。
だが何発撃っても炎が先に銃弾を喰らい、
「……そ、そうか! これも音だから
「バーカ、今頃それに気づいたのかよ」
聞き慣れた声に顔を向けるより先に、視界を灰色の煙が包み込んでいく。それは、ちょうど目の前で上がる炎から立ち上る煙のように見えた。
(そうか……違和感の正体は、これだったのか)
炎に目が釘付けのジルの真後ろに立ったロークは、煙管を咥え勝ち気に微笑む。
「炎に煙は付き物だろ。こんだけの炎が上がっていて、煙がないとはちょっと手抜きが過ぎるんじゃねぇか?」
煙管から、白い煙が上がり目の前の炎を包み込んでいく。
「カンタ、食われんなよ。自分をしっかり持っとけ」
「!」
カンタが炎の中から不安そうにこちらを見下ろすのが見える。
「黙って俺に助けられるのを待ってろ」
頼もしいロークの声が届いたのか、カンタは小さく頷いた。口が一文字に結ばれ、涙が瞳一杯に溜まっている。
(僕の言葉じゃ、こんなすぐ落ち着いたりしなかったくせに)
なんて、ひとりごちている場合ではない。
「ジル、何をぼさっとしているんだ。援護しろ」
「は、はい!」
煙管から上がった白い煙が、カンタがいる場所を中心に炎をぐるりと包囲している。白い煙は、ロークが見た音が煙管という音魅道具を介して具現化したもの。そこを指差し、ロークはジルに指示を飛ばす。
「あそこを狙って撃て」
「白い煙、ロークさんの音を……ですか?」
「ああ、音と音をぶつけて弾けさせる。外すなよ」
「……わかりました」
ロークが用意した音が、何の音かはわからない。だが、そんなこと問題ではなかった。ジルはその音を邪魔しないよう、なるべく小さな音の弾を装弾し、カンタの周りに渦巻く白煙に向けて銃をぶっ放した。
的は広い。
ジルの放った銃弾は見事白煙ど真ん中に吸い込まれ……そして、弾けた。
「帰っておいで」
「カンタが無事で本当に良かった……」
「カンタをどうか、よろしくお願いいたします」
それは、息子を想う母の声……。
音からなる白煙に木霊する母の声はカンタを包み、無防備の彼を優しくそこから救い出す。
「母ちゃん……」
カンタは母の声からなる白煙に包まれ、ようやく安心した顔を見せた。恐怖に支配され
「何が愛されていないだ」
そんなカンタの様子を見て、ロークは呟く。
「こんな真っ白な煙、久しぶりに見た」
白煙は真実の煙。
一片の曇りもないのは、その言葉に嘘偽りが一切混じっていない証だ。
諦め悪く白煙に包まれるカンタを追う炎の大蛇。だが、まもなく炎の大蛇を象った
音は音を以て制す。
それがこの世界の理であり、
「こんだけしっかり封じておけば大丈夫だろ。回収部隊にはあとで俺から連絡しておく」
「わかりました」
ジルとロークの能力では
戦いは終わった。
再び、
「そういえば、音便の音……使っちゃいました。どうしましょう、ロークさん」
「ま、いいんじゃねぇか? 生の音を運んでるだろ」
カンタの寝顔を見て、ジルは笑う。
「あはは、そう言われてみればそうですね」
ロークとジルの暖かさに挟まれて、カンタは夢の中にいた。
「カンタくん、よだれつけないでっ」
「寝てるヤツに言ったって仕方ねぇだろ」
「……じゃあ、ロークさんはつけられてもいいんですね?」
「ああ?」
不機嫌そうな声で、ロークはキッパリと言い切る。
「俺につけたら、即バイクから下ろす」
「ですよねー」
風圧で音宝石が後ろへ流れていく。
その色を見るまでもなく、それが本気であることを理解しているジルは制服のポケットからぐしゃぐしゃに丸まったかぴかぴのハンカチを取り出し、カンタの口元をそっと拭った。
「下ろされるよりマシだと思って」
「それ、この前自分の鼻水拭いてたヤツじゃねぇの?」
「あれ、そうでしたっけ?」
ロークは信じられないという視線をジルに送る。だが、ジルは悪びれず「音動二輪車から下ろされるよりはマシだよね」と笑った。
「はー……今だけはこいつに同情する」
「えー?」
言われている当人は、未だ夢の中。
「にしても、いつの間にリンナさんと連絡を取ってたんですか? あれ、ロークさんの単音便ですよね?」
「うっせぇ」
ロークの単音便は音の煙で作った「使い鳥」を使ったちょっと特殊なもの。音の煙を届けて依頼主の元で再生し、さらに音を持って帰ることが可能という非常に便利なものなのだが、まだ実験段階。実用段階には至っておらず正確性にも欠ける。それでもそれを使ったのは、リンナに彼の無事を一刻も早く伝えたかったからだろう。
「ほーんと、優しいですねぇ」
「ああ?」
苛立ちいっぱいの音を流し見ながら、ジルは笑う。
「あ……トーン港が見えてきた!」
山に聳え立つ木々の合間から、トーン港が望む。山を下れば、トーン港はもう目の前。まだぐっすり夢の中にいるカンタを乗せて、音動二輪車はトーン港へ向けて、一気にスピードを上げた。
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