第5話 新しい任務
翌朝。
「起っきろ〜〜〜!」
宣言通り、マルコがジルの目覚まし時計を買って出ていた。しかも起きなければどんどん近づいてくるというスムーズ機能付き。
「朝だぞー。つーか、きったねぇ部屋だな」
脱ぎ散らかした服に散らばった書類、山積みになったあげく雪崩を起こしたのであろう本たち。ありとあらゆるものが散らばっていて、足の踏み場もない。学生時代は2人部屋だったからギリギリのラインで衛生状態が保たれていたジルの部屋。しかし役所務めになって個室が与えられると、みるみるうちにゴミ部屋へと化していった。片付けが苦手で掃除嫌い。おまけに日々慣れない任務でくったくたの毎日だ。ジルにとって部屋は、とりあえず帰って寝られる場所であればそれで良かった。
「起きろって。遅れんだろ」
「もう少し……」
布団に潜ろうとするジルから、がばっと布団を引き離す。
「だーかーらー、時間だって!」
「まだ6時じゃん! 6時半に起きれば十分だよ!」
はがされた布団を奪い返し、諦め悪く布団をかぶる。だが、マルコも諦めない。一度頼まれた以上、起こすのは義務であり責任。彼は想像以上に責任感が強いタイプだったらしい。
「6時半は遅すぎるだろ。つか、今だってめちゃくちゃ遅い方だし。最低でも集合時間の1時間前に起きなきゃ飯が食えねぇだろ」
そういうマルコは今、まさにこの瞬間も現在進行中でチキンをむっしゃむっしゃと囓っている。
「マルコ……僕は食欲よりも睡眠欲を選びたいんだ」
その時マルコは信じられないようなものを見たとでも言いたげに、目をかっぴらき、おまけに大事なチキンまで落としそうになった。何よりも食欲を優先する彼にとって、ジルの発言は天変地異レベルの驚きがあったのかもしれない。
だからマルコは真剣な面持ちで、声を潜めてジルに忠告した。
「お前、それ病気だぞ……」
「はぁ?」
ジルは呆れて言った。
「マルコの方が、病気だよ!」
結局マルコの根気に負け、6時半には食堂にジルの姿があった。音魅食堂のモーニングは自分で好きなものを好きなだけ取るというバイキング制。毎日、主食が1〜2種類、おかずが2〜3種類、スープが1種類並ぶ。その中から、好きなものをチョイスして食べるのだが……。
「マルコ、取り過ぎじゃない?」
「へ、少ないだろ」
マルコのお皿はお皿の原型を留めないレベルで、文字通りの山盛りになっていた。しかも本来一人一枚のはずのお皿を一人で二枚も。
「ジルこそ少なすぎだろ。もっと食えよ。オレのを分けてやろうか?」
「いや、いらない」
朝から大盛りの総菜を食べられる胃をジルは知らない。パン1個とスープをさっと食べると、ジルは先に席を立った。
「先行くね」
「集合時間まで、まだあるだろ?」
もっと食ってけと言わんばかりのマルコに手を振り食器を片付けると、小走りで
時刻は6時40分。今日こそは、ロークより早く着けるかもしれない。そんな期待に胸を膨らませながら、音魅郵政課のドアを開けると……。
「ああ?」
既にロークと他数人が今日の配達の確認をしているところだった。郵政課の副課長を始め、ローククラスの上官までが勢揃いしている。どうやら今日は月に一度の早朝会議だったらしい。ロークはすぐにジルから視線を外し、壁に掛かっている地図に向き合って話を続ける。
「依頼された郵便物がある以上、行くべきでしょう」
「依頼と言われても……引き受けた訳ではないのだろう?」
「こちらの都合で一旦保留にしているだけです。その発言は、引き受けて良いと捉えてよろしいのですか?」
ジルは聞き耳を立てながら、出勤名簿に時間を記入する。ついでにロークの欄を確認すると、そこには6時と書いてあった。
(月に一度とはいえ、朝の6時から会議なんて意味あるのかな? 夕方とかにすればよくない?)
なんて一人、心の中でぼやいている時だった。
「しかし、リスクが高すぎます。コンチェルト山脈には化け物が住んでいるという噂もあるんですよ?」
「コンチェルト山脈……?」
聞き覚えのある地名にジルの手が止まり、吸い寄せられるように会議の方へと顔が向く。
「ん? あ、ああ……そういえばジルくんはコンチェルト山脈にある村の出身だったよね?」
「え、そうなの!? 本当にあんなところに住んでいる人がいるんだぁ……」
「ちょっと、それ失礼だから!」
コンチェルト山脈の果てと呼ばれた小さな村。そこがジルの生まれ育った場所だ。
「俺が行くのなら、文句はないですね?」
ロークがそう啖呵を切る。
「文句はないが……無理に行く必要はないと上からも言われている。通常業務に差し障るのなら、許可できん」
通常業務に差し障る前提でそう言い切ったのは、音魅郵政課副課長のアジェットだ。ルールに忠実で、石頭の頑固者。この早朝会議の発案者も彼だ。
「今月の早朝会議は以上だ。皆、通常業務に戻り、励んでくれたまえ」
一番に席を立ったのは、アジェットとその秘書をしているミランダ。二人に従うように郵便業務に直接関わるローククラス以上の上官は早々に音魅郵政課から姿を消した。
「ちっ、老害が」
「聞こえるわよ」
「もう行っただろ。つーか、なんだって上のヤツらはああもコンチェルト山脈を避けるんだ? あんな事故、ただの偶然だろ!」
「ローク」
静かに窘めたのは、ロークと同期のテレサ。スタイル抜群の美女で、学生時代にはミス音魅に選ばれた経験あるとか……。ちなみに彼女は郵政課に一番多い「音を石で見る音魅」で、ジルと同じ収録を担当している。
(あの事故って?)
本当はそう尋ねたかったが、とても聴けるような雰囲気ではなかった。
「くそっ……!」
ロークは乱暴に郵便帽を取り、目深にそれをかぶる。
「ジル、行くぞ。時間だ」
「えっ、あっ……はい!」
慌てて自分の机から鞄と郵便帽を取り、後を追う。鞄の中はぐちゃぐちゃだが、それを気にしている暇はなさそうだ。
「ジルくん」
ドアを開けようとした時、後ろから声がかかった。呼び止めたのは、テレサだ。
「かなり苛立っていると思うから、フォローしてあげてね」
「フォローと言われましても」
主語がなくとも、すぐにわかる。
「僕より5歳も年上なんだから、自分でコントロールしてくれたらいいのにと思います」
「あら、年なんて関係ないわよ」
テレサは笑って続ける。
「人の中身は、見た目ほど成長しないものよ。ジルくんは私のこと、大人だと思うでしょう?」
「は、はい……」
(ついでにロークさんのことも。大人げはないけど)
「ふふ、きっと本当の私を見たらびっくりするわよ。こんなに子供だったのかーって。自分とちっとも変わらないじゃないって」
「えー?」
信じられないという目で、ジルはテレサを見る。
「本当よ。上っ面の皮だけが厚くなって、無理矢理大人の振りをしているだけなの。聞き分けがいい、わかったような振りをね……」
そう言う彼女は目を伏せ、少し悲しげに見えた。だからジルは、その空気を払拭するように、敢えて茶化すように返した。
「ロークさんも、子供ですかね?」
「あの人はどう見ても子供でしょ」
楽しそうに笑うテレサに、ジルも笑う。
「あ、いけない。子供は待つのが嫌いなの。ほら、早く行ってあげて。怒って先に行っちゃってなければいいけど」
「うわ、それあり得ますね」
ジルはテレサにペコっと頭を下げ、小走りでロークの後を追った。
「遅い!」
音動二輪車の前で、ロークは仁王立ちで待っていた。
「テレサさんに呼び止められまして」
「どうせ俺が怒ってるから注意しろだの何だのっちゅー話だろ」
「あー……そんな感じです」
「ああ?」
ロークは苛立ちを隠さず、
「乗れ」
4ヶ月前、任務初日には一人で乗れさえしなかった音動二輪車。今はすんなり乗れる。
「今日はパストラルへの配達ですよね?」
「ドヤ顔で言ってんじゃねぇぞ」
「え」
振り向いてもいないロークの後ろでジルはにやける口元を慌てて抑える。
「煙でバレんだよ。いい加減覚えろ」
「は、はい……」
しゅんとするとほぼ同時に、音動二輪車が走り始めた。
「今日の予定は丸々空けてるな?」
「空けてるも何も、今は研修生の身ですよ? 上官であるロークさんが決めたスケジュールに従います」
「言ったな?」
見ずとも、勝ち気に笑う顔が目に浮かぶ。しかも何か企んでいるような声。
「あの……ロークさん。まさかとは思いますが、パストラルへ行ったあと、コンチェルト山脈へ行く気じゃあ……」
「よくわかってんじゃねぇか」
ジルは盛大にため息をついた。
「どうせ止めても行くんですよね?」
「止めるのか?」
一応聞いておく、といいたげな声にジルは笑った。
「止めませんよ。そんなことだろうと思ってましたし。でも、出発する前に一度官舎へ寄って下さい。春とはいえ、あそこはまだ雪深いでしょうから、制服だけでは凍えてしまいます。暖かい服とスノーブーツは必須ですよ。あと、日帰りなんて到底無理なので、外泊届けを出しましょう。幸い明日から二連休ですし……」
コンチェルト山脈については、当然ながら出身者であるジルの方が詳しい。
「……言っておくが、お前の故郷へ寄る予定はないぞ」
「寄って欲しいなんて、言う訳がないでしょう……僕は、売られた子なんですから」
一瞬の静寂が二人の間を流れる。
「……バーカ。自分で言って、自分が傷ついてちゃあ世話ねぇなぁ」
「買い取った人がよく言いますね」
そう笑うジルに、ロークも破顔する。
「違いねぇ」
準備を整え、コンチェルト山脈へ……と言いたいところだが、まずは大きな荷車を引いてパストラルへ配達業務に向かう。
「はー……毎度のことながら、この瞬間だけは郵政課を辞めようかと思うな」
「貴重な音魅道具である音動二輪車にこんな荷車をつけるのは郵政課くらいのものでしょうしね」
「だろうな。人の扱いが荒いのなんのって。俺は上役に嫌われてるからなぁ……」
ジルはかねがね不思議に思っていた。この上司はこうも不遇な目に遭ってまでどうして郵政課に居続けるのだろう、と。本来ならば裁判課や軍部にいるはずの貴重な能力。しかも自分の意思で郵政課へ転課する条件として、特命課を兼任している。そこまでして、なぜ……?
「あの、ロークさん……」
「おい、後ろから俺たちを追ってくる巨漢は知り合いか?」
「へ?」
バックミラー越しに人影を捉えたロークはスピードをゆっくり落とす。バックミラーに映る景色はほぼほぼ荷車に占領されているというのに、よく気づいたものだ。ジルは何度も確認しようと後ろを見るが、なかなか見えない。荷車が少し左へ傾いた時、チラっと巨大な人影が見えた。一瞬だったが、見間違えるはずがない。
「マルコ!?」
「マルコ? チビガリだったガキか?」
ロークが驚くのも無理はない。今でこそ巨漢の彼だが、入学当初はガリガリで背もジルといい勝負のチビだった。追記しておくが、今でも身長はそこまで高くない。ジルより少し高い程度だ。
ロークはブレーキを掛け、荷車との距離を測りながらゆっくりと停車した。
「お、追いついたぁ……」
本人はそれくらいハッキリと喋っているつもりだろうが、ぜぇはぁと上がった息のせいで全く聞こえない。
「えーっと、マルコ? どうしたの?」
「ぜぇ……ぜぇ、はぁ……ぜぇはぁ、ぜぇ」
「全然わかんないんだけど」
肩で息をしながら、手に持つ風呂敷を突きつけてくるマルコ。
「受け取れ……ってこと?」
当然だと言わんばかりに、マルコはジルに半ば無理矢理風呂敷を押しつける。
「あ……ありがとう?」
誕生日は近いがまだ先だし、でも……もしかして誕生日プレゼント? なんて逡巡している間に、上がった息が整ったらしい。
「俺、遠征班サポート係だから……上司に、二人に食料を届けてこいって言われて」
「お前……軍部にいるのか?」
ものすごく意外そうに、ロークが目を丸くする。
「はい……この能力が生かせるのが遠征班サポート係か食堂・物販課だったんですけど、後者の方の上官たちになんか拒否されて……」
「拒否? 何があったんだ?」
「さぁ……そんなのオレの方が聞きたいっすよ!」
本人はそう吠えるが、理由がなんとなく想像できるジルは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
食料を受け取って、再び出発。
「軍部の方は、僕たちがコンチェルト山脈に行くことをわかっているんでしょうか?」
「十中八九、あいつの仕業だな」
「あいつ……?」
「ああ、めんどくせぇから突っ込むな」
あの音動二輪車の持ち主ですか……とここまで質問がでそうになったが、懸命に飲み込んだ。
二人を乗せた音動二輪車は、一路パストラルを目指してスピードを上げた。
パストラルは北の町。行くだけで半日かかるこの町は、馬車よりもスピードがでるロークたちが配達を担当することが多い。とはいえ、同じくらいの距離にある町は山のようにある為、最近では各所にある音魅郵政課駐屯所に大型の配達所を併設する動きが活発だ。音魅が国の役所を管理し始めて400年。この動きはあまりにも遅すぎる。だが、それには訳があった。音魅の人口は全体のわずか1%にも満たない。首都を中心に配属すると、地方に音魅は行き渡らない。それでも人々の生活に必要不可欠の音魅は地方にも最低限は絶対に必要で、なくてもライフラインが保てる郵便配達業務は後回しにされがちだ。都市部では音魅が行っている一般荷物の配達も、地方では音魅以外の一般人がしていると聞く。
音魅が発見された当初は、まだ音魅がいなくても世界は回っていたという。しかし人々は、次第に音魅の能力に依存するようになった。食事も音魅ならば音魅道具であるオーブンに音を入れるだけで作れる。水も遠くの水源から引いてこずとも、音魅なら音から生み出すことができる。火も、植物も、鉱石も、国から至急される音由来の物資に頼りきりになっていき、現在では音魅なくして生活が立ち行かないまでになっていた。
配達を終えたのが、夕方の4時すぎ。
コンチェルト山脈にある村へ配達する小さな荷物だけが荷車に残った。それをジルの鞄にしまい、荷車をパストラルの音魅郵政課駐屯所に預ける。首都リズムハートへの荷物を積み込み、音魅の下請け業者が首都まで運ぶ手はずになっている。
「さて、行くか」
「はい」
目指すは北の果て、コンチェルト山脈。二人を乗せた音動二輪車は灰色の煙を吐き出しながら北へ向かって走り出した。
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