第13話 音魅道具の真実
「どうしたらこんなに汚くなるんだ!」
どこから湧いたんだと叫びたくなるほどの埃にまみれながらロークが叫ぶ。
ランプの上には埃が数センチほどで積もり、拭いても拭いても落ちないほど汚れがこびりついている箇所も山ほど。普段使っているという部屋の大半は山積みになった分厚い本に埋め尽くされ、さらに本の間にはあちこちアリシャが書き散らした書類やメモが挟んである。
「これじゃあ、何がどこにあるのかわからなくならないか……?」
ロークの素朴な疑問に、アリシャに代わってジルが答える。
「だいたいわかりますから、必要な時にその辺りを探すんです。それで大抵は見つかるので、散らかっていても問題ないんですよ」
あまりのドヤ顔に、ロークが吠えた。
「それが、しょっちゅう書類やら何やらを失くすヤツの台詞か」
あまりに的確なつっこみに、ジルは乾いた笑いを浮かべ「あ……こんな所にも汚れが」と汚れてもいない床を慌てて拭き始めた。
音魅役所郵政課に配属されて4ヶ月。課の大掃除は1年に1度の頻度なので、一緒に掃除をするのはこれが初めてだ。とはいえ、確かにその片鱗は常に散らかった鞄の中や、書類を失くす頻度で感じ取ってはいたが……。
「ジル……お前、片付けとか掃除が本気で苦手だろ」
「あ……え、その」
ロークの鋭い視線がジルに突き刺される。あーだこーだと言い訳を連ねるジルだったが、やがて。
「はい……すっごく苦手です」
そう白状した。
時間にして、およそ3時間。
ようやくメインで使っている一室の片付けが終了した。本は部屋の壁一面に備え付けられている本棚に収納され、背表紙が整然と並んでいる。書類は分類して封筒に入れ、ペンはペン立てへ。訳の分からない工具や部品は木箱に収めた。床や長年手入れされていなかったであろう本棚の棚は水拭きした後にから拭きで拭き上げ、窓も美しく磨いた。ジルの見る水晶には輝きは劣るが、それくらい輝かせるつもりで。
「きれいになりましたね……!」
「ほとんど俺の手柄だがな」
溜息交じりの上官に、ジルは乾いた笑いを向ける。
「お前、ほっっっっんとに片付けとか掃除が苦手なんだな」
「だから言ったじゃないですか。すっごく苦手だって」
「苦手にも程があるだろう。雑巾の使い方を知らないとか、どんだけだ」
掃除が始まって暫くして、搾っていないびしょびしょの雑巾で床を拭こうとして、ロークに止められていた。
「いやぁ、誰にも教わらなかったものですから」
「教わらなかったって……学校は? 掃除の時間があっただろ」
「僕、飼育係だったので。常に飼育小屋の掃除を……」
「10年間ずっとか?」
「はい」
嬉々として言うジルに、ロークは頭を抱えた。
「んじゃあ、部屋の掃除は?」
さすがに雑巾を使うだろうと言いたげなロークに、ジルは自信満々に言い返す。
「掃除はルームメイトがやってくれてました」
「はあ?」
「いや、僕も手伝おうとしたんですよ? だけど、ルームメイトに手伝わなくて良いと言われてしまって」
どうしてかなぁ? と言いたげなジルに、ロークは大きく溜息をついた。
「まあ、わからんでもない」
床の拭き方を教えて一息と思ったら、床を拭いた雑巾でそのまま机の上を拭こうとしたり、窓を拭こうとしたり……。ジルは衛生意識が非常に低い。部屋をここまで散らかすアリシャのことだからあまり気にしないかもしれないが……それでも、床を拭いた雑巾で机の上を拭かれるのはきっと不本意であろう。
「えっと……隣の部屋も掃除ですか?」
「実に嫌そうだな」
ロークの能力上、真実か嘘かはわかってもその音に含まれている感情まではわからない。だが、そんな能力に頼る必要がないほど、ジルの声は実に嫌そうだった。
「え……いや、それほどでは…………」
ごにょごにょ言い訳をしている時だった。
「お二人さん、ちょっと出てきてくれまいか?」
まるで薔薇の花びらのような
「ああ、今行く」
その場に置いてあった掃除道具を手にロークは玄関へと足を向けた。それに倣ってジルも足元の雑巾を拾い上げ、上官の後ろを追いかける。
玄関を出て右。カーブを描く円柱型の家をぐるりと周り、半周行かないくらいの位置に彼女はいた。ちょうど声がした窓の下らへん。音動二輪車の前にしゃがみ込み、ロークに何やら説明をしている。そんな彼女の周りに宝石の小山ができるくらい話し込んでから、ロークが音動二輪車に跨がった。
「エンジンを掛けてみてくれ」
「エンジン?」
ジルは聞き慣れない単語を繰り返す。その訳がわかっていない様子のジルを見て、アリシャは「音魅って生き物は、本当にしょうが無い生き物だね」と困ったように笑った。
「音魅道具という機械に頼って生きているくせに、化学や機械のことをちっとも理解しようとしない。機械を作る技術は、あくまでも化学の力なのにね」
「音魅道具が……機械?」
「その認識すらなかったか」
嫌味ではない、ただ認識を改めたという口ぶりだった。
「まあ、仕方あるまいよ。シドは徹底的に機械という言葉を取り除き、音魅道具の成り立ちを音魅たちに隠した。音魅道具を作るのも直すのも、音魅が忌み嫌い、対抗勢力である化学者の力が必要だからね」
「忌み嫌ってるなんて、まさか!」
その反駁にアリシャは一瞬目を見開き、そして笑った。
「君はおもしろい音魅だね。化学に偏見を持っていない。音魅学校で教わらなかったのかい? 化学者の反音魅思想やその存在悪について」
教育とは洗脳だ、そう言った者がいる。
確かに音魅学校では化学者が悪だと教えるし、化学者が起こしたクーデターによって多くの音魅と化学者が命を落とした歴史も教わる。それでも……ジルは、化学者を嫌うことはできなかった。その理由はずっとわからないままだったが、今思えば、化学者である父との記憶には残っていない思い出のせいなのかも知れない。覚えていないから、言い切ることはできないが──。
「僕は……音を宝石で見る音魅です」
「ほぉ?」
アリシャは興味深げに笑い、ジルの話を聞く体勢を取った。
「僕の目には、世界は煌めいて映ります。音魅の音も、一般の方の音も……化学者の方はアリシャさん以外わからないけど……。それでもみんなの音は一律でキレイです。優しさのにじみ出たエメラルド、心配を意味するラピスラズリ、焦りと戸惑いのガーネット、わくわくとトキメキのルビー。それは動物も同じ。僕はこの煌めいた世界が、もっともっと煌めけばいいと思ってます。僕の目だけじゃなくて……みんなの目に映る世界が眩しいほどキラキラ煌めいていることを願っています」
「それは意外だね」
アリシャは音動二輪車の試運転をしているロークを遠目に見た。試運転と言いながら、視界に映るロークは小麦の粒ほどの大きさにしか見えない。やけに遠くまで行ったものだと口の端で笑い、ジルを見る。
「これは……押しつけられたか」
独りごちた声はジルには聞こえず、ただ
「ロークは随分と君のことがお気に入りのようだ」
「よく邪険にならされてますが……」
「いつもヤツの後ろに乗っているんだろう?」
「は、はぁ……それは、まぁ」
任務なのだから、二人一組で移動するのが当たり前だ。質問の意図がわかっていない様子のジルに、アリシャは続ける。
「これは言うとヤツが怒るだろうから、内緒にしたまえよ?」
続けられた言葉に、ジルの目が見開く。
「えー、うっそだぁ!」
「嘘じゃないさ。冗談は言うが、嘘はつかないよ。誰かさんと一緒に育ったせいでね、嘘をつく意味が見いだせないんだ」
「もしかしてロークさんと育ったんですか?」
「母親同士が仲良かったんでね。必然的に幼い頃の私の遊び相手はあれだった。あれに化学への不信感がないのは、うちの両親が原因だな」
「アリシャさんの両親は、化学者だったんですね?」
今度はジルが聞く体勢をとる。
「ああ、あのクーデターに巻き込まれて亡くなってしまったが、二人とも立派な化学者だった。音魅道具の製作にも関わっていてね、その縁で私も暫くの間携わらせて貰った」
「えっ、音魅道具ってアリシャさんたち化学者が作ってたんですか!?」
「さっきも言っただろ」
アリシャは呆れたように笑った。
「音魅道具は機械。私たち化学者でなければ作れないものだ。音を燃料にする音魅道具は音魅にしか動かせない。ここまではわかるね?」
ジルは力強く頷く。
「では……燃料を変えればどうなる?」
「燃料を変える?」
すぐにはピンとこなかった。それもそのはず。ジルには音魅道具の仕組みがイマイチ理解できていない。いや、それはジルだけではない。多くの音魅が音魅道具の構造や仕組みなど理解しないままに使用していた。それどころか、誰も疑問に思ったことはないだろう。
音魅道具はこの世のものではないオーパーツ。
だから仕組みもわからないし構造など理解できないで当然だ。そう思い込まされていたからだ。音魅道具を音魅に渡す仕組みも不思議としか言いようがなく、その儀式は音魅道具を神聖化させることに一役買っていた。
ジルはその神聖な儀式を昨日のことのように覚えている。
音魅学校最高学年になると、一人……また一人とお呼び出しが掛かり、音魅道具を授かる。その順番は不明で、出席順でも音魅学校へ来た順でも、誕生日順でも名前順でも、ましてや成績順でもない。ジルが呼ばれたのは、その学年で一番最後だった。ジルは音魅に売られてきた音魅。自由などない。死ぬまで(正確には決められた金額を払い終えるまでだが)音魅役所で働くのだから急ぎもしないし、焦りもなかった。
名前を呼ばれた時「ああ、僕にもくれるんだ」と思った覚えがある。そして教官に連れられ、音魅役所の最高階へと向かった。螺旋状の階段が天まで続くように聳え立つのを見た時は、正直貰わないでこのまま帰ろうかとも思った。
教官の叱咤を浴びながら、長い長い長い階段を上り終えた先にあったのは白地に金の装飾や縁取りが施された荘厳な雰囲気のドア。教官に開けるよう指示され、ジルがその取っ手に手を掛ける。想像以上に重いドアで、全体重掛けて必死に押しても開かず、教官に「引くんだ」と呆れられたことも記憶に新しい。
そうして入った部屋の中にいたのは、音魅役所最高責任者であるシド・ノーマンだった。
「やあ、ようこそ。君がジルだね」
シドは気さくに笑ったが、教官は直立不動でにこりともせず「さようであります」と敬礼した。
「ジル、こちらへ」
手で示されたのは、裁判で犯人や証言者が立つようなお立ち台。目の前には大理石か何かで作られているのであろう立派な柱のような台があった。お立ち台に立たされ、毎朝言わされている音魅としての心得十箇条なるものを言えと命じられ空で言い終えると、儀式は始まった。
「願いなさい。自分に最も相応しい音魅道具を与えよ、と」
「はい」
そう返事したもののどこへ向かって言っていいかわからず、結局シドを見ながら復唱した。
「僕に最も相応しい音魅道具をください」
シドは、「私に願ってどうする」と笑ったが、それは発動した。どこからともなくトランクが目の前にあった柱の上に現れたのだ。
「これは……」
「開けてみなさい。その中身が君の音魅道具だ」
シドの言う通り開けてみると、そこには白銀に光る銃が一丁入っていた。
この一連が音魅道具を授かる儀式。
ジルは思い返して笑う。音魅道具は音魅道具が使用者を選ぶというが、音魅道具が機械だというならそれはきっとデタラメだ。急に現れた音海道具は、大方シドが水を操る能力でどうにかしたに違いない。
「種も仕掛けもあったとは……びっくりです」
急に笑い出すジルにアリシャは怪訝そうに眉を寄せたが、訳を聞いて笑った。
「シド・ノーマンの小細工には、毎度笑わせて貰うね」
「毎度?」
「ああ」
詳しくは語らなかったが、アリシャとシドには何らかの因果関係があることは確かだろう。
「さて、話を戻そう」
アリシャは未だ帰ってこようとしないロークを横目で見てから、ジルに改めて向き合った。
「君は、太陽信仰という言葉を聞いたことがあるかい? 簡単に言うと太陽を崇め、太陽から恩恵を受け、それに感謝して暮らす……というようなものだが」
ジルは大きく目を見開いた。
「知ってます……僕の故郷は太陽信仰が広く信じられている、コンチェルト山脈の果てと呼ばれた村ですから」
「コンチェルト山脈から……音魅が? 珍しいこともあるものだね」
アリシャは真顔で続けた。
「あそこで発症した音魅は惨殺されると聞いていたんだが、まさか音魅役所が救出している例があったとは」
「惨殺!?」
「知らないのか? 太陽信仰が浸透している場所で音魅は異質な存在。特に音魅道具との因果関係が信者の反感を買っていてね。音魅とわかった子供はよくて捨てられ、最悪の場合は……」
ころん……と寂しさを意味する琥珀が転がる。同じコンチェルト山脈でそんなことが起こっていたなんて今の今まで知らなかった。だが確かにコンチェルト山脈出身の音魅は少ない。いや、寧ろジル以外聞いたことがない。ジルはその宝石を見つめ、助からなかった音魅たちを悼んだ。
「……ロークさんが助けてくれたんです」
「そうか、ヤツが……」
アリシャは少し悩んだ素振りを見せたあと、言葉を続けた。
「私の母もコンチェルト山脈の出身でね。知っているかな、コンフェティという村だ」
「コンフェティ? 僕の母……あ、実の母ではなくて育ての母なんですけど」
育ての母というか、育児放棄状態ではあったが。
「
「あ、ああ! そうか、お前がジルか!」
ようやく合点がいった風に、アリシャが叫んだ。
「君が、彼の息子か!」
彼の息子。
それは、つまり。
「お父さんを知っているんですか?」
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