第11話 混乱

 ジルは混乱していた。

 突然の告白に理解が追いつかない。

「つまり……不協和音ノイズは音魅道具が作り出してるって言いたいんですか?」

 ジルはロークの返答を待たずに続ける。

「そんなバカな……!」

 思わず顔を起こした勢いで風に呷られ、慌ててロークの服をぎゅっと掴む。ロークは不穏な話をしながらも、スピードを全く落としていない。音動二輪車バイクは猛スピードで山を登っていく。

 雪が降り積もったコンチェルト山脈の険しい山道をトップスピードで駆け抜けつつも、不協和音は引き離せない。ゴゴゴゴゴゴ……という地鳴りが常に真後ろにある感じがする。だが岩の波が起こったはずの場所の地面は、何も起きていないかのように静かだった。石に降り積もった雪も真新しい真っ白な雪化粧をまとったまま……。先日襲われた時には、地面は波打ち、悲惨な足元になっていたというのに。

「そうですよ。不協和音は偽物……! カンタくんの時だって、不協和音の音は偽物の炎でカンタくんや他のものを焼くことはできなかった。でも、音魅道具を通した音魅の音は違います。音火はものを焼くことができるし、料理にだって使える……」

「そうだな。だが、音火が原因の火事はこの400年、一度も起こっていないこともまた事実だ」

「……それは」

 そうだ。音魅学校で習ったことだ。音魅道具には、三つの決まりがある。


 一つ、人の役に立つ力を生み出すこと。

 二つ、人の害になる力は徹底的に排除すること。

 三つ、罪を犯した音魅道具と音魅は然るべき処罰を受けること。


「音火は……人や家、山などを燃やす力を持たないんでしたね」

 ロークが頷く。

「そうだ。もしその設定が生きたままの音魅道具から不協和音が生まれているとしたら……カンタを焼かなかったのも、さっきの地震で被害が全くなかったのにも合点がいく」

 ジルは押し黙った。

 確かにロークの言い分にも一理ある。でも、本当にそうなのだとしたら……。

「不協和音が人を襲う理由は……」

 今度はロークが沈黙した。

 二人が静かになるのと反対に不協和音の勢いは増すばかり。音動二輪車のスピードが徐々に緩まっていく。

「チッ……音が足りねぇ。ジル、お前何か喋れ!」

「何かって……雑すぎません!?」

「うるせぇ!」

 ジルはムっとして言い返す。

「じゃあ、静かにしてますね」

「バカか、今は売り言葉に買い言葉をしてる場合じゃねぇだろ。生意気言うのはいいが、時と場合を考えろ」

 いつの間にかコンチェルト山脈とアントラクト山脈の狭間に来ていた。みるみるうちにスピードが落ちる音動二輪車を何とか制御しようと、ロークが右手を倒す。だが、スピードの落ちる速度は増すばかり。

 真後ろに迫っていた不協和音が二人を取り囲む。

「チッ……ジル、下りろ。応戦する」

「応戦ったって、戦えるのロークさんしかいないんですけど!」

 何度も言うが、ジルに対物・対不協和音ノイズの戦闘能力はない。母親の一件で、人に取り込まれた不協和音を人から排除することは可能だとわかったが、それでも戦闘で役に立たないことに変わりはない。

「んなことはわかってる。お前は声を出して、俺のサポートだけしてりゃあいいんだよ」

「音出し要員って訳ですね」

 冷めた目でジルは言う。だが、そんなことを言っている場合ではないことも同時に悟る。ここはきっと完全なる相手のテリトリー内。風の音も、草木が揺れる音も、動物の鳴き声も、全て不協和音の取り分。ロークの取り分は、ジルの声くらいしかない。

「叫べ、ジル」

「はい……うわあああああああああああっ!」

 煙管キセルの音魅道具で灰色の煙を吸い寄せ、灰色の煙を吐く。煙は蛇の形を模し、土の不協和音を威嚇し、縛っていく。

 みるみるうちに、土の不協和音は捕らえられた。ひとまず地鳴りは止み、辺りの音が聞こえるようになったことを確認してから、ロークは煙管から口を離す。

「雑な叫び声だな」

「うるさいですよ。いきなり叫べっていう雑な注文をする方が悪いんです」

「なら、次は俺への感謝の気持ちでも叫んで貰おうか」

「はいぃ?」

 素とも不機嫌とも取れる声色に、ロークは吹き出す。

「お前、正直者だなぁ」

 二人の声を糧にしたのか、再び不協和音が息を吹き返した。凄まじい地鳴りと共に、ジルの足元に大きなひび割れができる。

「ジル!」

 とっさにロークが抱きかかえたから助かったものの、あのまま突っ立っていたら今頃、奈落の底だった。ロークの顔に冷や汗が流れる。

「ありがとうござます」

 ジルは笑った。

 その顔に冷や汗は一筋も流れていない。

「お前なぁ……あのまま抵抗もせずに飲み込まれる気だったのかよ!?」

「え、そんな訳では」

 ジルがふと視線を上げた瞬間……。

「ロークさん!!」

 伏せてと言うべきか、飛んでと言うべきか、逃げてと言うべきか……。悩んで言葉は続かなかった。不協和音が起こしたであろう土の波が、二人を目がけて一気に襲いかかる。

「ぐっ……」

 とっさに背中を丸め、ロークはジルの頭を包み込む。土は二人を飲み込み、激流となって下流へといざなう。

 二人は完全に濁流に呑まれていた。しかも水ではない、土の濁流だ。石や岩、土の壁。様々な障害物に当てられ、ロークは痛みに喘いだ。だが、その声も不協和音の餌にしかならない。喘ぐ声も、ジルの悲鳴に似た叫びも、全てなかったことのように静寂だけがこの場を支配していた。

『ロークさん……!』

 自分を庇いながら流れるロークが、目を開ける。離していい、庇わなくていい、そう言いたかったが、声はでなかった。その代わりに……涙が零れた。

 目の前で傷ついていくローク。今度は自分がロークを庇おうと手を伸ばそうとするが、ロークの抱きしめる力が強すぎて抜け出すことができない。そうしている間に、大きな岩が前方に見えた。ジルはロークに当たらないようになんとか方向を変えようともがいたが、この濁流の中だ。思い通りには動けない。

『ロークさん!!』

 ジルの思いも空しく、二人はロークの背中から真っ直ぐ……大きな岩に吸い込まれるようにぶつかった。ロークの背中が岩に激突する。その衝撃でロークが喘いだが、ジルを抱きしめる手の力は緩まなかった。

(どうして……そこまでして、庇ってくれるんですか)

 気付けば、濁流の勢いは徐々に衰えていた。濁流の合間から、雨が差し込んでくる。

(そうか……雨が降り出したんだ)

 正しく、恵の雨だった。

 雨は土を洗い流し、濁流を消していく。

『助かった……』

 消えゆく意識の中、ジルはそう呟いた。


 濁流が消えると、二人は全く知らない場所に横たわっていた。いくら衝撃から守って貰っていたとはいえ、土の濁流の中。空気が足らず、ジルはいつの間にか気を失ってしまっていたらしい。

 先に目を覚ましたのはジルだった。目の前には高い岩壁が聳え立ち、後方には清らかな水の流れを有した河が流れ、その周りにはまだ薄らと雪が残っている。どうやらここへ流されてしまったらしい。

 そしてすぐ側で仰向けに倒れているロークを見つけた。

「ロークさん!」

 声が耳に届いた。近くに不協和音ノイズはいないらしい。だが、油断はできない。してはいけない。ジルは注意しながらロークに駆け寄った。

 ロークの身体は擦り傷だらけだった。だが幸い、目立つ大怪我はなさそうだ。骨折などしていないか身体のあらゆる場所を触り、腫れがないか調べる。

「…………良かった。大きく腫れているとこはないみたい」

 いくつか打ち身らしき痣はあったが、あの濁流に呑まれたんだ。このくらいの外傷で済んだのなら、儲けものだ。

「ぐ……」

「ロークさん、気付きましたか!?」

「ああ……」

 身体を起こそうとしたところで、また声が漏れる。

「あちこち打ってるんですから、安静にしててください」

「んなこと言ってる場合かよ。不協和音捕まえねぇとどうにもならねぇだろうが。あと……俺の音動二輪車バイクどこだぁ?」

 言われて初めてなくなっていることに気付く。探しに行こうと起き上がろうとするロークを止め、ジルが立ち上がる。

「ロークさんはここでじっとしててください。音動二輪車は僕が探してきます」

「その必要はない」

 どこからともなく聞こえてきた声に、ジルはロークの顔を見る。誰かわからない、見当もつかないジルに対し、ロークは小さくため息をついた。それも、ものすごく嫌そうに……。

「……総官、姿を見せてください」

「そう急かすな」

 ロークの視線の先、河原の中で何かが跳ねる。

 次の瞬間、水がぐっと盛り上がったかと思うと、そこには音魅役所最高責任者……通称、総官。シド・ノーマンがいた。

「総……官?」

 ジルの目がまん丸になる。

 その隣で、嫌そうな顔をするロークに向けて、シドは笑う。

「やあ、ローク。無様な姿だね。助けてあげたお礼はまだかな?」

 愛想良くにっこり笑ったその顔に、ロークも笑って返す。

「礼には早すぎるでしょう。まだ全ての不協和音は捕らえられていない」

 ロークは煙管を咥え、灰色の煙を吐き出す。煙の蛇は地を這い、岩壁の間に隠れ潜んでいた不協和音を捕らえた。

「君もまだまだだねぇ……」

 シドは勝ち気にそう笑うと、パチン──と指を鳴らした。その次の瞬間、不協和音が潜んでいた岩壁に集中豪雨が降り注ぎ、あっという間に岩肌を剥ぐように流し去ってしまった。

 あまりの光景に、ジルはぽかん……と口を開けたまま見つめるしかなかった。

「よく見ておけよ、ジル。もうすぐ不協和音の正体が見える」

「え……」

 ジルがロークの顔をみようとした時だった。轟音の雨がピタリと止まり、岩肌の中から巨大な機械が現れた。

「あれは……音魅道具?」

「やはり……」

  河原の中にいたシドは二人の視界からいつの間にか消え、巨大な機械の周りに溜まった泥水から再び姿を現した。そしてその機械に触れたかと思うと、水の膜が機械を包み込んだ。

「ま……待ってください!」

 ロークの声に、シドが振り向く。

「それは、私たちが追っていた不協和音と何らかの関係があると思われる機械です。私が調べます。総官の手を煩わせるまでもありません!」

「何、部下を労るのも私の仕事でね」

 シドは飄々と嘯く。

「これは私が運ぼう。音動二輪車で運ぶには骨の折れる大きさであることだし、それに……これは長年私が探してきたものでもあるからね」

 愛しそうな目でシドはそれを見た。

「しかしっ!」

 ロークの言葉は、シドによって遮られた。

「ローク、まさかとは思うが……私を疑っているのかい?」

 言葉に詰まるロークを見て、シドは笑う。

「正直者は君の方だ。真実と嘘を視覚的に……直感的に見る君は、嘘を憎んでいる」

 水はあっという間に巨大な機械を宙に浮かした。

「すごい……これが、総官の力……」

 感嘆の声を上げるジルに、ロークは複雑な顔を浮かべる。

「せめてもの温情で、これは君に返してあげるよ」

 そう言うと同時に、近くの雪溜まりに音動二輪車が出現する。

「山の中にまるでボロ雑巾のように捨てられていたよ。音魅道具は貴重なものだ。君たちに与えられた音魅道具は特にね。大切にしたまえ」

 シドは言い終えると、巨大な機械と共に姿を消した。ロークが音動二輪車に跨がり、一気に崖を駆け上がってシドの居た場所を確認したが……既に跡形もなく消えてしまった後だった。残されたのは巨大な機械があった窪みだけ。

「…………くそ。もう少しだったのに」

 焦りを意味するガーネットが岩肌を転げ落ちていく。

「……ロークさん」

 この時、下っ端のジルには、何がどうなっているのか……さっぱり理解することができなかった。

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