音に魅せられた世界
さかもとゆかり
音魅郵政課
第1話 新しい依頼
物心がついた頃から、世界は煌めきで満ちあふれていた。ルビーにサファイヤ、ダイヤモンド。夢中になって、図鑑で調べた。それが他の人には見えないんだって気づいたのは5歳の頃。そして、僕はそれの正体が音だと知った。ロークさんに教えられて……。
「ありました! ここですよ、ハーピー・リンナさんのおうち!」
ジルが指さしたのは、レンガで作られた小さな家。カラフルなレンガからなる家は、小さいながらにも一見して家主のこだわりが随所に散りばめられていることがわかる。ドアの前にファンシーなくまモチーフのレリーフが飾られ、花壇の花と共に彩りを添えている。
「えらく少女趣味な家だな」
「うわ、他人の趣味をとやかく言うの国家公務員として御法度ですよー。可愛らしい家じゃないですか」
「それはただの主観だろ」
依頼人の家で間違いがないことを確認し、
ロークが駐車を確認する傍らで、一足先に玄関へ立つ少年。彼も同じく特別国家公務員、音魅郵政課の一人で、名はジル。名字はない。
玄関先に取り付けられている訪問を知らせる為のベルを鳴らすと、返事より先に赤子の声が聞こえてきた。
「あ、起こしちゃったかな」
「……らしいな。あとで謝っておけよ」
ため息交じりのロークに、ジルが半ばムキになって反論する。
「でも、ベルを鳴らさないとぼくたちが来たってわからないじゃないですか」
「わかるわからんの問題じゃない。ほんの少しでも悪いと思ってるなら謝っとけ。どうせ、悪いと思ってんだろ?」
「バレバレですかぁ」
図星のジルは頭をかきながら、笑った。
ちょうどその時、女性がドアを開けた。
「お待たせしてすみません」
花柄のゆったりとしたワンピースを着た女性は、クマの着ぐるみのような産着姿の赤ん坊を抱いていた。その小ささと、頭まで耳付きのもこもこフードで覆われているからか、ぬいぐるみのように見える。ふたりの出で立ちは、この家の雰囲気そのままで、きっとこの家は彼女の趣味を存分に取り入れて建てたんだろうなぁ、と簡単に想像できた。
依頼人を前に、ロークはパッと姿勢を正し口元には微笑みを称え、口を開く。
「こちらこそ、お忙しい時間にお邪魔して申し訳ありません。音魅郵政課のローク・エンディです。ご依頼をいただき、誠にありがとうござます。早速ご依頼の件をお伺いしたいのですが……その前に」
ロークの大きな手が促すように、ジルの背中を押す。
「あの、同じく音魅郵政課のジルです。先ほどはベルで赤ちゃんを起こしてしまい、すみませんでした」
ペコっと頭を下げるジルに、リンナは朗らかに微笑んだ。
「ご丁寧にありがとうございます。でも、ちょうど良かったの。この子の声を届けて欲しいから……」
「出産のご報告ですね?」
「はい。いろいろと手続きがあるんですよね? 散らかっていますが、上がってください」
彼女が依頼したのは「音」の配達。それを専門で引き受けているのが、音を「見る」ことができる能力者、音に魅せられた者……。通称「
リンナの家はこの周辺の家には珍しく土足厳禁の家だった。玄関の小上がりには手編みであろうマットが敷かれ、至るところにクマのぬいぐるみや木の実や枯れ葉で作ったリーフが飾られている。
物珍しさと独特な世界観に飲まれ、ジルの口から思わず感嘆の声が漏れる。
「うわぁ……かわいいクマがたくさん。これはリンナさんが作ったんですか?」
「ええ、そうなんです。昔からこういうのを作るのが好きで」
「すごいですね! どれもお店で売っているのみたいです!」
「実は……今はお休みしているんですが、こういうリーフや手芸品を作る教室をやっているんです」
「教室ですか? すごい!」
「趣味を仕事にするなんて素敵ですね。ところで、音便についての説明と収録をする場所をお借りしたいのですが……」
ジルには「余計なことを言うな、めんどくさい」という顔を向けながらも、リンナに対しての切り替えは流石としか言いようがない。完璧な営業スマイルと営業トークで、迅速に仕事を終わらせる為だけに動く。迅速に進めるには、ある程度の信頼関係は非常に重要で、それには優しげな笑顔と適切な進行が必要であることを彼は熟知していた。
家人であるリンナが先に家へ入り、その後にロークが続く。
「この部屋でお願いします」
案内されたのは、リビング。ここにも手編みと思われる絨毯が敷かれていて、その上に赤ん坊を寝かしたり、あやしたりする為の揺り籠が置かれている。
「ロークさん、待ってください〜」
「待ってるから、早く脱げ」
リビング真横にあるキッチンへ消えるリンナに軽く会釈をし、ロークはジルの様子を窺いに一度玄関へ戻った。正確には、キッチンと続き部屋になっているリビングに残り、彼女と二人きり(赤ん坊は除く)になるのを避ける為だろう。依頼人とは必要以上に関わることを、彼は好まない。
「?」
玄関に座り込んで靴を脱いでいる時、誰かの視線を感じてジルは振り向いた。
「あれ……」
「ああ?」
しかしそこに不審な人影はなく、不機嫌そうに待つロークがいただけ。おかしいな、と思いながらもジルはロークにすまなさげに目配せを送り、目線を靴紐に戻す。靴紐は堅く結んでしまっていて、なかなかほどけない。
「お茶、ここにおいておきますね」
「お構いなく」
リンナからそう声が掛かった十数秒後、小上がりスペースで待っていたロークは、苛立ちを隠さない声をジルに向ける。
「まだか?」
「すみません、あと少し……」
焦るとさらにほどけない。
しびれを切らしたロークは、先に説明した方がスムーズだと確信したらしい。
「収録までには来い」
「ま、待ってください!」
踵を返すロークを慌てて追い、靴紐をほどかずに靴を脱ごうとしたが脱げず、そのままの勢いでつんのめるようにこける。その衝撃であごを強打し、さらに舌まで噛むというドジっぷり……。それを見下ろして、ロークは深いため息をついた。
「ゆっくり脱いでこい」
ロークが見えなくなって、ジルはさらに焦りながら靴紐と舌とあごの痛みと格闘する。どうしてこんなに堅く結んでしまったのか、どうしてさっき焦って脱げもしないのに脱ごうとしてしまったのか、自分を恨まずにはいられなかった。
「……ん?」
やはり背中に視線を感じる。
今度は慎重に十分に視線を引きつけたところで、ばっと振り返った。
「げ、見つかった……」
そこに居たのは、7,8歳の男の子。リンナによく似た顔立ち。きっと彼女の子供だろう。
「えっと……かくれんぼ?」
「ちげーよ、音が見えるとかいう変なヤツが来るっつーから、見張ってたんだよ」
「変なヤツぅ?」
ジルは目を見開いた。
「音魅は国家公務員だよ。変なヤツじゃないよ!」
「こっかこけっこっこー?」
「国家公務員!」
あんまりな言い間違いに、ジルは勢いよく言い返す。
「なんだ、それ」
「えーっと……国の為に仕事をしている人たちのことだよ」
「ふーん、それってエライの?」
「エライ……かな? エライかどうかはわからないけど、憧れの職業のひとつではあると思うよ」
「ふーん?」
噛み砕いて伝えたつもりだったが、まだ子供である彼には難しかったらしい。とりあえずわかった風にふんぞり返り、「んなことよりさ」と話題を切り替えた。
「お前、音が見えるんだろ? オレにも見せてみろよ」
「見せてみろと言われても……」
「なんだよ、そんなこともできねーのかよ? 音が見えるっつーから、楽しみに……」
「楽しみにしてくれてたんだ?」
ぱあああっと破顔するジルに、焦って顔の前でブンブン両手を振る男の子。
「ち、ちげーよ! 楽しみになんかしてねぇ! ただ……そ、そう! オレがウソかどうか確かめてやるんだ」
「ウソかどうかねぇ……」
ようやく靴紐をほどき、靴を脱いだジルは座ったまま近くに転がっていた小さな赤い宝石に手を伸ばし、拾い上げた。赤色の宝石、ルビー。これはわくわくしている時やハラハラしている時など、感情が高ぶっていることを示す宝石。
「すっごく楽しみにしているように見えるけど?」
「はぁ?」
「音はウソをつけないから。ほら……君の音、真っ赤でキラキラしてる。わくわくしてる証拠だよ」
「見せてみろ」
ぐいっとジルの手を引き寄せ、宝石を乗せているであろう手のひらをのぞき込み眉間にしわを寄せる。
「……どこにそんなのがあるんだよ?」
「ここにあるんだけど…………やっぱ見えないよね」
「どこにもないじゃん!」
「あるよ、ここに。君には見えないけど、確かにここにあるんだ」
「はぁ?」
もう一度目をこらしてのぞきこむけれど、少年にはやはり見えないらしい。
「ないじゃん!」
「あるってば」
「証拠はあんのかよ」
「証拠ぉ?」
ジルは頭を抱えた。
「証拠もなにも、あるものはあるんだけど……」
「だって見えねぇもん」
生産性のない会話だ。音を見ることができるのは、音に魅せられた者。通称、音魅だけ。ただし同じ音魅でも音の見え方は十人十色。その見え方にある程度のレアリティは存在するものの、多種多様の見え方が存在する。ジルの音が宝石に見える能力はSSランク。音魅の歴史が始まって約400年。過去をさかのぼっても、音を宝石で見る能力を持つ者はジルとあと一人しかいない。とは言っても、宝石とは言え石は石。音を石で見る音魅はCランクゆえに、C+ランク程度と言う者もいる。
諦めずに手のひらの中を上から下から右から左からと角度を変えてのぞき込んでいる男の子に、ジルはウソだと思ってないじゃんと心の中で微笑んだ。
「証拠になるかはわかんないけど……」
ジルは開いていた手をぐっと握り閉め、そのまま石を握りつぶした。
その瞬間。
「なんだよ、そんなこともできねーのかよ? 音が見えるっつーから、楽しみに……」
「なっ……!? 今の声、どこから」
「音を割ったから、音がはじけたんだよ」
にっこり笑って説明する。
「音をわる? どういうこと?」
「さっき言った音の宝石を割ったんだよ。音を割ったらはじけるから、君の耳にもまた届いたんだ」
「よくわかんねーけど、すっげー!! ってことは、また今の音が宝石になって……また割ればまた聴けてってこと?」
興奮気味の男の子に、ジルは困ったように眉を寄せた。
「そうならいいんだけど、音がはじけた音はなぜか見えないんだよね」
「へ? そうなんだ?」
「うん、仕組みは僕にもよくわかんないけど」
男の子が目を白黒させながらジルに何かを聞き返そうと口を開いた時だった。
「ジル。靴を脱いだんなら、さっさとこっちへ来い!」
「は、はい!」
依頼のことなんてすっかり忘れてしまっていたジルはロークの声に飛び上がり、半ば条件反射のように奥の部屋へと走り込んだ。
「お待たせしました! 音魅郵便課、収録担当のジルです! 本日はご依頼ありがとうございます。一生懸命がんばりますので、よろしくお願いいたします」
依頼人であるリンナにぺこりと頭を下げたジルに、ロークが眉をひそめる。
「がんばるようなことか……?」
「いや、その……言葉の綾というやつで……」
確かに音を拾うくらい、朝飯前というか……音を宝石で見るジルにとっては、河原で石を拾う作業と変わらない。要するに、超簡単な作業だ。
呆れ顔のロークにたじろぐジル。そんな中、リンナが「収録担当?」と首をかしげた。
「音魅は音魅ですよね? 収録の担当とか、その……役割分担があるんですか?」
一般の人にとって音魅は遠い存在。国家公務員としてあちこちで働いているものの、直接関わる機会は意外と少ない。
「一言で音魅といっても、音の見え方は千差万別でして。その中でも彼は音を宝石で見る音魅。収録にはもってこいの人材なんです」
「音が宝石に?」
宝石と聞いて、リンナの目が輝く。
「今も……私の声が宝石に見えているの?」
ジルは、リンナの声を拾って手のひらにのせた。
「はい、ここに」
差し出された手のひらを嬉々としてのぞき込むリンナだったが、やはりそこにはただ手のひらがあるだけ。何とも残念そうに肩を落とした。
「どんな宝石なの?」
「多分ですが……ムーンストーンという宝石です。青みがかった半透明の白で、所々ピンク色にも輝いていて、とてもキレイですよ」
「素敵……私も見てみたいわ」
「音魅道具を介せば見えるようにはなるのですが……彼の音魅道具は見えるようにするにはとても不適切というか、不便というか」
ロークの視線に応えるようにジルは腰にぶら下げていたガンホルダーから、白銀に光る銃を抜いたその時。
「きゃあああああああああ!」
「ああ、ごめんなさーい! 撃たないので、手を下ろしてください〜!」
思わず手を上げるリンナに、今にも泣きそうな声を上げるジル。だが、そう訴えるジルの手もなぜか一緒に上にあがってしまっている。
「ジルも落ち着け。リンナさん、彼は音魅道具を見せようとしただけで撃つつもりはありませんよ。驚かせてしまって申し訳ありません」
優しく諭され意図をようやく理解したリンナはほっと胸をなで下ろし、恥ずかしそうに笑いながら両手を下げた。
「こちらこそごめんなさいね。でも、急に銃を取り出すんだもの。びっくりするじゃない」
「やっぱり銃なんて物騒ですよね……」
今度はジルがしょんぼりと肩を落とした。
「武器っぽい音魅道具なんて今時流行らないですよ。それに、武器っぽいだけで全然武器として使えないし……」
「音魅道具は自分では選べないんだ。諦めろ」
はぁ……と大きくため息をつく後ろから、「かっけー……」とつぶやくような声が聞こえた。
振り向くと、そこには男の子が目をキラキラさせて立っていた。
「君は?」
ロークの問いに答えたのは少年ではなく、リンナだった。
「上の息子のカンタです。カンタ、おふたりに挨拶して」
「こんにちは」
「上にも息子さんがいらっしゃったんですか。お若くいらっしゃるので、こんなに大きな子がいるとはとても見えませんね」
「そんな……」
営業モードのロークに、ジルはいつも心の中で悪態をつく。
(ロークさんは、信頼関係を作る為とかスムーズに進行させる為とか言うけど……口説いているようにしか見えないから!)
だが、思っていても口に出しては言えない。
そんな大人たちの事情なんて露知らず、カンタは興味津々にジルの音魅道具である銃をのぞき込む。
「この銃って本物!? 触ってもいい!?」
聞くより先に手が伸びている。
「カンタ、ダメよ。危ないでしょう!」
悲鳴にも近い声で注意するリンナに、ロークが優しげに微笑み掛ける。
「危なくないですよ。この銃の引き金は音魅でなければ引けませんから。それに彼の音は、物理的には攻撃できませんしね」
「はい……?」
依頼人と話しながらも、ロークはテキパキと依頼の準備を進める。とはいえ、準備するものなど封筒と宛名を書いて貰うことくらいしかないのだが。
「では、始めさせていただきます。まずは届けたい音を録らせてください。単音便でよろしかったですね?」
「はい」
音を届けるには2種類ある。比較的安価だが、一度しか再生できない「単音便」、値段は上がるか何度も再生することができる「繰音便」。
単音便には、ジルを含め「音を石で見る」能力は打って付けだ。なんの道具もなしに収録でき、再生できる。届けたい音を拾い上げ、専用の袋に詰める。そして住所を貼り付け、届ける。それだけだ。この袋には音魅以外の者でも音を「割る」ことを可能とする仕掛けが施されていて、受けとった人はこの袋を叩き、音を割ることによって届けられた音を聞くことができる。この特性を生かし、音を石で見る能力者の多くは郵政課に配属されている。
指定された赤ん坊の泣き声と、リンナの声を拾い上げ袋に詰めるジル。能力の特性上、届けられる音には「声」以外の雑音は一切入らないので非常にクリアに聞こえるのも利点だ。
「収録完了しました」
本当はカンタの声も入れるはずだったが、なぜかカンタが拒んだ。あとは住所を書いて貰い、届けるだけ……。リンナが書いた住所を見て、ロークが手を止めた。
「トーン港ですか」
「主人は漁師なんです。長い航海に出ていて、この子が生まれたことも知らないの。もうすぐ漁から帰ってくる時期だけど、漁の出来によっては燃料を補充してすぐにまた航海にでてしまうから、せめて報告だけでも……と」
「そうでしたか」
ロークは事情をさわりだけさらりと聞くと、タイミングを見計らってぱっと立ち上がる。
「では、確かに単音便をお預かりしました。ジル、行くぞ」
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