第十一話 運と奇跡 3/3

「確かにそうだ。今まで知らされていない事がらを少し漏らすだけで、様々な出来事があたかも一本の糸で繋がり始めたと人々は信じ始める。そしてそれらは今となってはもはや事実確認などできないものばかり。しかしだからこそ人というものは一つの出来事には始まりやきっかけがあると考える。そしてそのきっかけが腑に落ちるような出来事であればあるほど納得してしまうものだからな」

 少し間をおいてヘルルーガがそう言うと、アプリリアージェは「全くですね」と相槌を打って続けた。

「やろうと思えば父の死さえ、私が密かに復習を企んでいた背景としての、つまり実に雄弁な状況証拠に仕立て上げることができるというわけです」

「なるほどな」

 ヘルルーガは少しだけ目を伏せてうなづいた。

「何にせよ計画的かつ相当前から時間をかけて綿密に練られ、慎重に仕組まれていたということのようだな」

 アプリリアージェはコーヒーが注がれたカップを少し持ち上げたが、口をつけるでもなくそれをゆっくりとテーブルの上に戻した。伏し目だったヘルルーガはそのカップからゆっくりと視線を動かし、結果としてアプリリアージェの微笑にたどり着いた。その際少し強い視線が注がれたように見えたが、薄い笑みの主は特に表情を変えることはなかった。


「ル=キリアという存在も重要な舞台装置になりえますね。何しろ私はル=キリアの法律上の秘密を知っていて当然の立場にいたわけです。つまりアプサラス三世陛下さえ居なくなれば、私はル=キリアという名の国王が作り上げた檻から開放されるのですからね。意外に誰も知らぬ事、という点がいい感じですよね。後日バード長が種明かしとして用いる情報としては申し分ありません。そしてここからは表に出る現象、すなわち私の正統性と国家に対する貢献の図についての話ですが……」

「それはアプリリアージェ・ユグセルは豊かで広大な領地を誇るファルンガの領主であり、ユグセル公爵家と言えば、現王朝であるカラティア家ともっとも親しい縁戚関係にあるという話だな」

「ご存知の通りユグセル家はカラティア家の縁戚貴族、しかも公爵家の中でも筆頭の地位にあります。そのため私には上位の王位継承権が設定されているわけですが、御存知の通りシルフィードの現行法下では一度定められた王位継承権については、国王であっても剥奪することはできません」

「国王直轄のル=キリアの司令官、ましてや親類でもあり有力領主でもあるユグセル公爵は当然ながら宮殿への相当深部まで出入り自由だろう……と、皆はそう思うだろうな。事実はどうあれ」

「残念な事にそれは事実ですね。加えて私なら周りの者に気付かれずに陛下に謁見することは容易ですし、そもそもル=キリアですからね。私は言わば殺しの専門家みたいなものです」

「その気になればたやすく事を済ませられるだろうな、と誰もが考える」

「ええ。私は密かに王宮の陛下の自室に忍び込み、手口からそれとばれぬよう敢えて毒殺を選んで事を成就した後、何食わぬ顔で今度は王位継承権保持者として正面から堂々と宮殿に舞い戻ればいいのです」

「その時に死亡発表が作戦上の偽装である事を明かせば、なるほどと誰もが納得するだろうな」

「有力領主であり、公爵の中でも最上位の立場である私は、王位継承権上位保持者として王宮内に橋頭堡を作り上げ、まずは誰もが異を挟む事の無い若い王女を玉座につかせる作業に没頭してみせるでしょうね」

「傀儡の国王として玉座につかせるわけだな」

「もちろんです。突然の父親の崩御で、右も左もわからない子供にとって、親切で親身になってくれる血縁者のいう事を素直に聞いてくれることでしょう」

「ル=キリアであれば簡単な洗脳術などはお手の物だろうからな」

「それについては、あとでバード長が誇張して流してくれる情報の一つでしょうね」

「ル=キリアにいた賊が女王陛下に対し、それはそれはひどい事をしたのだと、目を覆い耳を塞ぎたくなるような作り話をでっち上げ、国中に流布させるのであろうな」

「そしてどちらにせよ秒読み段階に入っていたドライアドとの戦争が勃発すれば、私はそのどさくさを利用し、もはや用済みとなった傀儡を始末すればいいわけです」

「たとえば新しい女王を最前線に向かわせ、シルフィード王国の王として先頭に立たせても、誰も疑問に思わないだろうな」

「負けるとわかっている戦いを勝利に導くのは相当に困難ですが、勝ち戦を負け戦に仕立て上げるのは簡単な事ですからね。しかも結婚もしていない新しい女王ですから世継ぎの登場を心配する必要はないでしょう」

「あとは戦争の混乱で色々画策すれば、やがて合法的に王位継承権が回ってくるわけか」

「私の王位継承権はイエナ三世が即位した時点で第二位ですから、あともう一人始末する必要がありますが、まあ世界規模の大戦争であればさほど時を待たずに順番は回ってくるでしょうね。何しろバード長は私の事を『ドライアドの五大老と通じていた』というくらいですから、私の部隊がドライアドといくら戦っても、それはもはや八百長ですし、戦争で命を落とす心配は無いわけです」

「バード長は宮殿警護が任務。エッダに敵兵が攻め込まぬ限り、奴こそ戦場で命を落とす事がない立場のくせにな」

「実際にはユグセル公爵がそういった復讐の筋書きを書いていた、という話を、アプサラス三世の崩御の直後に発表する予定だったのでしょうけれど」

「ルーンでアプサラス三世を操って、ユグセル公爵が父王を殺害するのをこの目で見た、と、エルネスティーネ王女の口からそう言わせるわけか」

「ええ。私がユグセル朝シルフィード王国を誕生させようとしていた奸臣であり、王女の訴えでその奸計の全貌を知ったバード長が、得意のルーンを使って歴史的反逆者を屠った。よってもう安心だ。などと宮廷前のあの広場で多くの国民に説明するつもりだったのでしょうね」

「やはりそうか」

「死人に口なしとはよく言ったものです。本来なら私達ル=キリアは文字通り誰も知らない極秘作成で全員が客死していたはずですからね」

「その極秘作戦という奴がそもそもの罠だったのだな」

「ええ。罪を死人になすりつけた上で、自らが傀儡を操る立場となってシルフィード王国の実質的な指導者の地位を得るという、バード長が長年の歳月を投じて書き上げた壮大な戯曲の台本はほぼ間違いなく、しかも完璧に演じられるはずだったのです。さすがはバード長です。今こうして話してみても、なかなか筋の通った、多くの国民が納得する素晴らしい筋書きだと思います」

「だが、あいつはル=キリアの実力を見誤っていた、ということか」

「いえいえ」

 アプリリアージェはおかしそうに首を横に振った。

「その通りですと言いたいところですが、残念ながらおろかな私はバード長の台本の裏に潜む文字通りの奸計に、まったく気付くことは出来ませんでした」

「まさか、ユグセル公爵をしてもか?」

 アプリリアージェは目を伏せてうなずいた。

「それこそ司令官として失格というものです。結果として生き残ったル=キリアは二小隊のみ。しかも話はお聞き及びかもしれませんが、フリスト小隊は文字通り一度全員死んで奇跡的に蘇生できたからだそうですし、私の小隊に関しては本来なら間違いなく全滅していたと確信しています」

「では、なぜこうして生きながらえている?」

「それは……そうですね。こういう言葉を使いたくはないのですが、運としか言いようがありません」

「運?」

「そうです。ファランドールでも指折りの賢人が長い年月を費やして書き上げた完璧に思える台本であっても、そこには運や奇跡が入り込む余地があるということなのでしょう。私の小隊は本当にただ運が良かっただけ。いえ、運良く奇跡が起こっただけなのです。ですから本来なら私は今こうしてベーレント大臣の前に座ってはいないはずですね。そしてベーレント大臣にとってアプリリアージェ・ユグセルという名前は、掲げる旗が変わっていたとしても、末代まで許すことのできない卑劣な国賊として、侮蔑の対象となっていたに違いありません。もっとも」

 アプリリアージェはそこまで話すといったん言葉を切り、小さく肩をすくめて見せた。

「こうやって色々おしゃべりをしましたが、そもそもバード長本人に確認したわけではありませんし、今のとことは全て妄想の段階ですけれどね」

「いや」

 ヘルルーガは首を横に振った。

「話を聞いた以上、それを妄想と考える方がもはや不自然に思える。そしてユグセル公爵がおそらくずっと以前にそこまで推理していた事に対して、心から尊敬の念を覚える」

「自分が間違いなく死んでいたはずだという立場になれば、罠について考えますからね。誰しもたどり着くでしょうね」

「いや、謙遜はいい。とはいえル=キリアの隊員であれば同じ事を考える者がいてもおかしくはないのではないな。全員とは言わんが」

「例えばフリストならば辿り着くであろうと?」

 ヘルルーガはうなずいた。

「だから疑問が大きくなった。なぜフリスト達はユグセル公爵と行動をともにしようとしなかったのだ? まさかとは思うが自分達が死ぬような目に遭わされたのは、バード長ではなく司令官の計画だとでも考えたのだろうか?」


 ヘルルーガはそう言ったものの、それはあり得ないとわかっていた。もしそうであればフリスト達はそれこそ別の目的の為、つまり逆賊であるアプリリアージェの元へ真っ先に向かうに違いないのだ。そもそもフリスト達の口から、かつての自分達の司令官に対する批難や文句を耳にしたことがない。事が重大であるからこそ、ミドオーバ大元帥には明かしてしかるべきであろう。だが彼らはル=キリアを去り、アプリリアージェも追わず、国籍も違う別の人物の下に付くことを望んだのだ。命の恩人だからというのも理由としては弱い。ル=キリアの、いやシルフィード王国の軍人であればなおの事、恩義と矜持は一体化しないはずなのだ。彼ら全員がおそらくはその矜持にかけてその人物、ミリア・ペトルウシュカの下につく事を選んだ理由。そしてまず間違いなく尊敬、あるいは畏敬の対象であったであろう司令官の安否を確認する前にそれを決断するほどの理由とは一体何だったのか?

 文字通り自分の命をなげうって、かつての同胞を救うために壮絶な最期を遂げたフリストを知っているからこそヘルルーガは思う。そして知りたかった。

 フリスト・ベルクラッセほどの人物が、なにもかも捨てて付き従おうと思ったその理由とは、一体何なのか?


「残念ながら、ベーレント大臣の疑問に私は回答を提示する事はできません。本人に聞いてみるのが一番良いのではないですか? そもそも一度死んだ人間が新しい人生をどう生きようが、私の知ったことではありません」

「そうか。そうだな」

「お役に立てませんでしたね」

「いや、それはいい。ただ『双黒の左』ベルクラッセ少佐は文字通りシルフィード王国を救ってくれた。全てが終わり、私がまだ生きながらえていたら真っ先に彼女の墓に参るつもりだ」

「それはいい考えですね」

 アプリリアージェはゆっくりとうなずくと目を伏せた。

 その様子を見たヘルルーガは、アプリリアージェがその時の情景でも思い浮かべているのかもしれないと思った。勝手な解釈であろうが、そうであればいいと思った。


 会話を重ねるうちに、ヘルルーガは自分の中からアプリリアージェに対する恐怖が消えている事に気がついた。

 つい今し方まで頭の中では武器を置いている場所の再確認をしていた事が嘘のようだ。

 懐には懐剣を忍ばせているし、大机の引き出しには短剣も忍ばせてある。だが懐に手を入れた瞬間、自分は首を撥ねられて血しぶきを上げてこの部屋に倒れるのだろうな、などと考えていたのである。


 そもそもヘルルーガがアプリリアージェの事をまったく知らなければ、不意に現れた侵入者に対し、迷わず剣をとりそれを打ち据えようとしたに違いない。だが幸か不幸かヘルルーガはアプリリアージェの事をよく知っていた。その尋常でない身のこなしも、目にも止まらぬ移動の速さも、その目で実際に何度も目撃しているのだ。殺気などいっさい放たず、一瞬で相手ののど元に剣を突き立てる事ができる冗談のような戦闘力。かつて「試闘」で相手をした者が「あいつの前では、まばたきをしたらやられる」とまで評しているが、目撃者であるヘルルーガはそれが大げさではない事は確認済みというわけである。

 だからこそ、武器ではなく言葉で会話を交わせたのである。皮肉なもので、強い恐怖心があったからこそこうして恐怖心を無くす事ができたのだ。

 そんな事を考えながら、ヘルルーガは服の上から、思わず懐剣の上に手を置いた。

「取って食おうというわけではありませんから、あまり警戒しないでくださいな」

 アプリリアージェはそう言うと、首を傾げて見せた。

「本当に今日のところは確認の為に来ただけですなのですから」

「今日のところは、か」

「ええ」

 軽く頷いたアプリリアージェは、ヘルルーガの目をじっと見つめた。

「そろそろいいでしょうか? 私もいくつか質問があるのですが」


 ヘルルーガは息を吐き、椅子に深く座り直した。恐怖心がなくなったとは言え、完全に安心したわけではない。相手の思惑がまだわからないのだ。取りあえず今日のところは話し合いになりそうだと判断しただけである。相手を安心させておいて首を掻くことなど朝飯前。それがル=キリアであり、アプリリアージェである、というのがヘルルーガが耳にした噂にある。

 そこまで考えてヘルルーガは心の中で苦笑した。

「先に言っておくが」

 アプリリアージェが質問の為に口を開く前に、ヘルルーガは一つ釘を刺すことにした。いや、事前情報を与えると言った方が適切かもしれない。

「わかっているとは思うが、私にも言える事と言えない事がある。ただし口から出た言葉については、そこに嘘偽りはない事を誓おう」

 アプリリアージェはその言葉に笑みを深くすると小さくうなずいた。


「では単刀直入にうかがいます。『あなた方』の狙いはなんですか?」

「そんなものは知らん」

 即答するヘルルーガに、アプリリアージェは目を細めた。

「失礼しました。質問のしかたが曖昧だったようですね。では改めてうかがいます。『あなた』の目的は何ですか?」

「私の目的か」

 ヘルルーガは少しの間目を閉じた。そしてゆっくりと目を開けてアプリリアージェをまっすぐに見つめた。

「このファランドールに秩序ある平和な時代をもたらしたい。と言ったら信じてくれるか?」

 アプリリアージェはゆっくりと首を左右に振った。

「まさか」

 そして「ふふふ」と声を出して笑った。

「絵空事とは言いませんが、まるで『今考えました』というような答えですね」

「それはそうだ。今考えたのだからな」

「なるほど、なるほど」

 アプリリアージェは今度はうなずいた。

「では、今までは特に目的もなく戦っていた、と?」

「悪いか? 降りかかる火の粉を払う戦いというものもある」

「専守防衛、というやつですか」

「もっとも、もともとのその火の粉とは我が軍だったのだがな」

「『我が軍』とは、シルフィード王国軍の事ですね?」

 ヘルルーガはうなずいた。

「宜しければその辺りの話を、もう少し詳しく教えてくださいませんか? シルフィード王国が誇るヘルルーガ・ベーレントともあろう名将が、言い方は悪いですがなぜあっさりと他国に寝返ったのか? その上で秩序ある平和を戦いの目的に掲げるに至ったのはなぜか? 非常に興味があります」

 アプリリアージェはそういうと、腰に下げていた小振りの短剣を鞘ごと外すと、柄をヘルルーガに向けて目の前の卓に置いた。


 それは自分には一切の敵意がない事を表現する作法で、シルフィードの武人間で行われる古典的な習慣であるが、実は同時にもう一つの意味を持つ。「胸襟を開く」という各国共通に認識されていることわざがあるが、歴史あるシルフィード王国軍においては「卓上に剣を並べる」という同義語が存在する。「これから喋る内容には偽りなく、かつ思っている事を隠し立てなく話す」という覚悟を相手に伝えるためのものである。

 本来であれば話をするのはヘルルーガであるから、アプリリアージェがこの行動をとるのは少々奇異に感じるが、相手に同じ行動を促す意味あいがあると考えるべきであろう。


 ヘルルーガは卓の上に置かれた短剣を見て、苦笑いを浮かべた。

「私が先に剣を置くならともかく、落雷で瞬時に相手を葬り去る事ができる怪物が丸腰を主張しても説得力はまるでないな」

 そう言って立ち上がったヘルルーガは、そのままアプリリアージェが卓上に置いた短剣を手に取った。そして空中でくるりと回すと刃の方を掴み、そのままアプリリアージェに向けて差し出したのだ。つまりアプリリアージェの目の前には柄が向けられていた。

 珍しく少し逡巡したアプリリアージェだったが、差し出された短剣を受け取った。ヘルルーガは満足げな微笑を浮かべると、がらりと口調を改めた。

「お気持ちは受け取りました、ユグセル公爵。ならば私もお応えしましょう」

 そしてその後、ゆっくりとした動作で、上着のボタンを上から二つ外した。

「なるほど」

 自らは敢えてシルフィード王国軍の風習に従わず、一般的な言葉の通り「胸襟」を開いて見せた。これはすなわち「自分はもうシルフィード王国の軍人ではない」と改めて伝えたかったからであろう。

 ゆっくりとうなずくアプリリアージェを見るに、その意図は完全に伝わっていたと一定詠だろう。


「少々長くなりますが、お時間はよろしいので?」

 ヘルルーガの問いかけにアプリリアージェは何かを思い出したかのように首を傾げて見せた。

「今日は夜会の予定も入っておりませんので、ご心配には及びません。ただ、一つわがままを聞いていただきたいのですが」

「今の私に出来る事でしたら何なりと」

「不躾なお願いで申しわけありませんが、紅茶を一杯いただけないでしょうか? 少々喉が渇いておりまして」

 アプリリアージェのその言葉を聞いてヘルルーガはハッとした。思いだしたのだ。ユグセル公爵の紅茶好きの噂である。

「うっかりしていたとは言え、これはとんだ失礼を」

 口をつけられぬまま卓上で冷めていた珈琲にチラと目を落とすと、ヘルルーガはそのまま深々と頭を下げた。

「あいにくこの部屋には紅茶の用意がございません。人を呼んでも?」

 アプリリアージェはうなずくと嬉しそうに顔をほころばせた。

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