第十一話 運と奇跡 2/3


「先ほどの話だが、私はその戦いの際、ベルクラッセ少佐とは別に彼女の部下だという二人の若いアルヴを見たが、二人とも確かに自分達は既にル=キリアではないと言っていたな」

「それはおそらくクシャナとイブキですね」

 ヘルルーガはうなずいた。

「いい機会なので公爵に一つ訊ねたい。ベルクラッセ少佐もそうだが、ル=キリア消滅後、なぜ彼らは皆、司令官であるユグセル中将と合流しなかったのだろう?」

 ヘルルーガは彼女なりに辛辣な嫌味を投げつけたつもりだった。先ほど感じた感情の変化を再び見られるかと考えたのだが、アプリリアージェはその程度の挑発では顔色一つ変えなかった。いや、そもそも挑発とはとっていない可能性もあった。なぜなら質問の内容はヘルルーガが純粋に疑問として今まで持っていたものだからだ。

「そうですね、それは私にとっても興味深い質問です」

「興味深い、だと?」

 表情は変えなかったが、意外な、ある意味本音ともとれる反応をしてきたアプリリアージェの態度を見て、ヘルルーガの方が少し動揺していた。

「ええ。彼らの事情や考えはル=キリアの司令官ではない今の私にはどうでもいいことです。ですが、これだけは言えます」

「ふむ?」

「たとえ生まれ変わったとしても、私はル=キリアにだけは絶対に入りたくありません」

「はあ?」


 アプリリアージェの発言の意図がわからず、思わず間抜けな反応をしてしまったと感じたヘルルーガは、軽く赤面した。

「いや、これは失敬。よければその理由を教えて欲しい」

「こう見えて、実は私は根っからのアルヴ気質の持ち主なんですよ」

 出だしだけでは、ヘルルーガはアプリリアージェがなにを言いたいのかが理解できなかった。ただ、今になって過去を否定する発言をしていることだけは理解した。


「ル=キリアで作戦をこなすという事は、アルヴ族としての誇りを全て捨て去るという意味です。その辺りはベーレント大臣も色々と噂を耳にされていて既にご存じでしょう?」

「それは、まあ、そうかもしれんな」

 ヘルルーガは曖昧にうなずいた。

 アプリリアージェの言うとおり、ヘルルーガにもル=キリアの噂は嫌というほど耳に入っていた。そしてその噂のほとんどは、誇り高いアルヴ達からは最大級の軽蔑をもって語られる内容であった。つまりはそういう事なのだ。

「その噂を耳にしたベーレント少将は、ル=キリアの隊員は与えられた非人道的な作戦を嬉々として遂行しているとでも思っていましたか?」

 ヘルルーガはその言葉に愕然とした。

 考えてみれば、いやそんな事は考えた事もなかったのだ。なぜならル=キリアとは「アルヴ族の風上にも置けぬもの」という意味と同義であり、それはもう確立された「事実」であった。すなわちアプリリアージェに訊ねられる今の今まで「そんな事は考えた事もなかった」のである。


「いや」

 ヘルルーガはようやくアプリリアージェが言わんとする事がわかったような気がした。だがそうなると単純な疑問が頭をもたげてくる。

「ではなぜル=キリアに配属されたのだ? その配属先をなぜ良しとして受け入れたのだ? 話せる事情があるのなら教えて欲しい。ユグセル公爵ほどの立場ならば、理不尽な辞令など、それこそアルヴとしての矜持に反すると言って断る事も出来たのではないのか?」

「そうですね」

 少しだけ考える「振り」をして、アプリリアージェは続けた。

「ある日突然、私に対してそのような辞令が出されたとしたら、もちろん断る事はできたでしょう」

「と、言うと?」

「辞令が出たから行ったわけではありません。つまり私は命じられたのではなく、志願したのです」


 アプリリアージェの言葉は、ヘルルーガが耳にした噂の一つと合致した。曰く「国王陛下直轄部隊という特権を利用して、堂々と人殺しをしたかったから」というものだ。

「私には他の誰にも邪魔されず、自分の自由にできる部隊が必要でした。それもただの部隊では意味がありません。強力な部隊である必要がありました」

 その言葉も噂通りであった。曰く「国王陛下に突きつけた条件を聞いて驚くな。自分を他の軍から不可侵の立場にある司令官にする事が、配属の条件だっただそうだ」である。ル=キリアは便宜上「海軍」の組織の一部とはされているが、そこには海軍幕僚に繋がる線はなく、国王直轄という文字で囲われているだけで、文字通り全ての軍から独立した部隊なのだ。

「だから、ル=キリアなのか?」

「シルフィードにはル=キリアしかなかったのです。何千年も続く歴史ある軍に、そんな都合のいい部隊を新たに作り上げられるほどの権力も、築き上げる時間もありませんでした。つまり私にとって選択肢はアプサラス三世陛下直轄のル=キリア以外に存在しなかったのですよ」

「必要なのはル=キリアという部隊であって、シルフィード軍という組織ではなかった、ということか」

「ふふ」

 アプリリアージェはそれには答えず、いたずらっぽい声で小さく笑うと、ヘルルーガにとって衝撃的な内容を告げた。

「まあ、国王陛下と私の思惑は完全に一致していましたからね。言わば仕組まれた人事というやつです」

「アプサラス三世陛下が、仕組んでいたというのか?」

「それはもう、なりふり構わずと言うと語弊がありますが、少なくともベーレント少将のような国家と国王への信義に厚い立派な軍人には間違っても教えられないような事までやって、それはそれは強い部隊を用意してくれました」


 アプリリアージェが匂わせた話には、ヘルルーガは心当たりがあった。既に様々な事情というやつを、ヘルルーガは知識として持っていたからだ。

 もっとも当事者の口からそれを仄めかされるとさすがに辛いものがこみ上げてくるのを押さえられなかった。だが、ここまで来て話を逸らすわけにはいかなかった。

「それは凶兵の、話だな?」

 予想に反して、アプリリアージェはその言葉に乗ってこなかった。それどころかその話は終わりと言わんばかりに、ヘルルーガの質問を無視して話を継いだ。


「私にはやるべき事、やらねばならぬ事、いえ、やりたい事があったのですよ。アルヴとしての矜持と引き替えにしてもよいと思える事が」

 質問に答えないということは、肯定ということなのだろう。少なくともヘルルーガはそうとることにした。不確実だが忌むべき情報は、当事者によって裏付けられたのだ。

 同時にアプリリアージェのいう「やりたい事」が何を指しているのか、それもヘルルーガが情報として持っていたものの中に当てはめることができた。


「今お話しした通り、私に関してはそういう事情です。ただし他の面々についてはほぼ先王陛下の勅命に従ったというのが正解でしょう。すなわち」

「陛下の崩御はル=キリアの存在意義の消滅でもあるという事だな。だが本来であれば引き続きイエナ三世に仕えるのが筋ではないのか? 一般論で悪いが勅命を下した先王陛下がお隠れになったからといって命令の効力が消え、軍から離脱するというのは組織としておかしいではないか?」

 ヘルルーガの疑問はもっともだが、実はそうではない。アプリリアージェは珍しく自嘲の色が乗った笑みを浮かべた。

「ル=キリアですが、正しくは国王直轄部隊ではありません」

「なんだと?」


 ヘルルーガは記憶を辿った。少将であった時代に見慣れた軍の組織図だ。目をつぶっていても頭の中で精密に再現する事ができる。そしてそこにあるル=キリアは確かに「国王直轄部隊」と記載されていて、アプリリアージェの言葉と矛盾するのである。

 だがその後すぐにアプリリアージェの口から出た言葉は、ヘルルーガにとっては思いもよらぬものだった。

「もう一度いいますが、ル=キリアは、国王直轄部隊ではありませんよ」

「なにをバカな。私は今でもシルフィード王国軍の組織図を空で書けるのだぞ。間違いなく国王直轄部隊と書かれていたはずだ」

 アプリリアージェはそれでも首を横に振った。

「あなたの頭の中にある組織図とやらがどのようなものかは存じませんが、ル=キリアは国王直轄部隊ではなく、アプサラス三世直轄部隊です」

「え?」

 ヘルルーガは咄嗟には意味を理解しかねた。

「ウソだと思うのなら、そうですね、王立図書館でル=キリアの設置を定めた法を調べてみるといいでしょう。そこにははっきりとそう書かれています。もっともほとんどの場合、慣例的に国王直轄部隊という言葉が使われていました。なぜなら国王とはアプサラス三世陛下に他ならないのですから、あえて国王の名を記載することはないといえるでしょうね。つまりベーレント大臣がこの事実を知らなかったとしても無理もありません。そもそもこれは想定されたもの、いわば織り込み済みの印象操作、つまり『騙し』のようなものですからね。誰も知らなくてあたりまえだと思います。我々ル=キリア以外は」


「ちょっと待ってくれ」

 ヘルルーガはアプリリアージェの話を聞いて、ある一つの暗い疑いが心の中で鎌首をもたげるのを押さえる事ができなかった。

 例の一大事の裏で繋がる、一本の糸が見えた気がしたのである。

「今の話だが、さすがに陛下の側近は知っているのであろうな?」

「それは、法律作成に携わった面々は当然知っているでしょうね。携わっていなくとも、軍を司る立場、もしくはそれに準じる立場の人間で、いい加減な仕事をしていないのであれば、正式な名称が入った法的に正しい軍の組織図くらいは見ていないとおかしいでしょう」

「バード長という立場なら、どうなのだ?」

 ヘルルーガはそう言うと眉をへの字に曲げ、同じように唇を歪ませて眼の前の小さなダークアルヴを見つめた。

 しかしアプリリアージェはそんなヘルルーガを労るように優しい笑いを浮かべて小さくうなずいた。


「さすがですね、ベーレント大臣。でも今さら知らなくてもいい事をわざわざほじくり出すこともないでしょうに」

 ヘルルーガは即座に首を左右に振った。それも大きく。

「いや、ほじくり出しているのではない。例えるならずっと気になっていた地下室の隅にある暗闇を照らす松明がようやく手に入ったような気持ちだ。知る必要はないのかもしれないが、どこかでずっと知りたいと思っていた事だ。そして今は、不本意ではあるがいみじくも歴史に関わる決心をした人間としては、知らねばならぬものだとと思っている。それがたとえ祖国の恥であったとしても、だ」

 アプリリアージェは右手を挙げてうなずき、ヘルルーガを制した。

「でもおそらくは大臣のご想像通りですよ。少なくとも私は同じ考えです」

「やはり、か」

 ヘルルーガは少し浮かし加減だった腰を椅子に深く落とすと天井に視線を向けた。


「おそらくサミュエル・ミドオーバはル=キリア、いえ、もっと正確には私を先王陛下暗殺の犯人に仕立て上げるつもりでいたのでしょう」

「政治的な思惑で幼くして家督を継いだユグセル公爵を軍で囲い込み、誰も干渉できないル=キリアに入れて飼い殺そうとした……アプリリアージェ・ユグセルがそう思い込んで、ずっと逆恨みをしていた、と言われれば、そうだったのかと思う人間は多いだろうな」

「私が幼くして家督を継ぐことになった……いえ、家督を継がねばならなくなった事情については?」

 アプリリアージェが総質問すると、ヘルルーガは天井を向いたままで小さくうなずいた。


 幼い一人娘を領地に残したまま上京中のエッダで客死したファルンガ領主、クラカ・ユグセル筆頭公爵の悲劇を知らぬものの方が少ないと言えた。

 クラカ・ユグセル公爵には妻はおらず、その広大な領地を継いだのは八歳になったばかりのアプリリアージェであった。

「実のところ私には父の記憶がほとんどないのですよ。公務でほぼエッダに詰めていましたから」

「母君は?」

「母にいたっては全く記憶にありません。もともと体が弱かったそうで、産後の肥立ちが悪く、結局私が二歳になる前に亡くなりました」

「そうか」


 ヘルルーガの声に少し沈んだ色を感じたアプリリアージェは一段明るい声色で小さくふふふと笑ってみせた。

「なので、復習だとかかたきを討つなどという意識は私にはないのですよ」

「え?」

「数年に数日、しかも会うのは一回について数分です。そんな相手に子供が情をおぼえるでしょうか? だから幼い私は、そんな父についてに本人にも周りにも恨み言の一つすら口にしなかったそうです。話題にすることすらなかったのです。言ってみれば忘れた頃にたまにやって来る、無愛想なおじさま、といった認識でしかありませんから、悲しめと言われても無理というものです」

「それはそれで……辛い話だな」

「いえいえ、本当にあなたが感情を動かすようなことではないのですよ。形が違えど、私にはちゃんとファルンガに家族はいたのですから。それは血の繋がりよりも濃いものです」

「なるほど、そう言われると拙いながらも私にも心情は理解ができる。下級貴族ではあるが、私も実の父母より乳母や教育係の方に強い感情を持っている気がする」

 アプリリアージェは再度うなずくと少し肩を落とした。

「つまり、バード長はありもしない私の感情をもこの三文芝居の演出として用意していた……のかもしれないという話です」


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