最終章 女神ローマは艶然と微笑む


 月明かりが中央大路を歩く俺たち四人を優しく照らしている。


 セウェルス帝の前を辞した俺達は、要塞を出るべく門に向かって中央大路を歩いていた。軍人でもない俺達が、要塞内に宿泊して、多くの軍団兵達に姿を見られるわけにはいかない。


 アルビヌス帝の陰謀は、公にならずに、闇の中に永遠に葬られるのだから。


「セウェルス帝に報告も終えたし、これで全部、おしまいね」


 弾むような足取りで歩きながら、アマリアが晴れ晴れとした笑顔を見せた。


「そうだな」

 俺の気のない返事に、アマリアが不快そうに眉を跳ね上げる。


「ずいぶんと杜撰ずさんな返事ね。ローマ市民権を得て浮かれるような、あなたの性格とは思えないけれど?」


「浮かれる理由は、あるさ。なんてったって、人頭税じんとうぜいを払わなくていい」


 アマリアの言葉に、俺はおどけて肩をすくめた。俺の返事に、アマリアは大仰おおぎょうに眉を上げて驚きの顔を作ってみせる。


「あら、真面目に税金を払う気があなたにあったなんて、驚きね」

「払う金があれば、の話だがな」


 俺はアマリアと視線を合わせて、笑みを交わした。

 ちなみに俺は、今まで属州税を払った覚えがない。払える当てのない貧乏人の俺から奪うよりも、金持ちの属州民からせっせと税金を取り立てたほうが、徴税請負人も私腹を肥やせるというもんだ。


「あなたには、人頭税の免除よりも、控訴権のほうが重要ではなくて?」


 アマリアが明るい茶色の瞳を悪戯いたずらっぽくきらめかせて俺を見る。


 ローマ市民権を得れば、人頭税を免除される他に、様々な恩恵を得られる。裁判での控訴権も、恩恵の一つだ。


 アマリアの言葉に、俺は思い切り唇をひん曲げて不快感をあらわにした。


 俺の顔が面白かったのか、アマリアは声を立てて、楽しげに笑う。

 アマリアが、俺がレプティス・マグナで冤罪で処刑されかかった事態をからかっているのは明らかだ。


「二度も濡れ衣を被らされて、たまるか。身が保たないぜ」


 憮然ぶぜんとした気持ちを隠さず吐き捨てると、何が面白いのか、アマリアが再び笑う。


「あら、あなたには、女神ローマの加護があるでしょう?」


 アマリアは、俺のテュニカの胸元を指差した。アマリアに指摘されて初めて、俺は贋金を入れた革袋を首から下げたままだと気がついた。


「加護、ね。女神の気まぐれが、いつまで続くことやら」


 俺は呟くと、紐を通して下げていた小さな革袋を、胸元から引っ張り出した。

 中身をてのひらの上に出すと、真新しい銀貨が、月明かりを反射してきらきらと輝く。銀貨の表にはセウェルス帝の横顔が、裏には女神ローマが打刻されている。


「こいつは、セウェルス帝に献上し忘れたな」


「木箱の奥底にでも仕舞って、人目に触れさせなければ、問題はないだろう」

 俺の呟きにウィリウスが答える。


 アマリアが四枚の内の一枚を、細い指先で、ひょいとつまみ上げた。


 アマリアが摘んだ銀貨だけ、裏面の真ん中に大きな傷が入っている。街道で男と戦った際、俺の命を救ったのは、この銀貨だった。

 心臓を目がけて突き出されたグラディウスの切っ先を、銀貨が受け止めてくれたのだ。


「自分達が陰謀のために作った贋金に、計画を阻止されるなんて、皮肉ね」


 アマリアが空へと銀貨を指で弾く。夜空を背景に、銀貨が星のように煌めく。


「女神ローマを悪事に使おうだなんて、罰が当たったのさ」


 俺はアマリアが受け止めようとした銀貨を、右手を伸ばして横から奪い取った。


 改めて銀貨を見て、俺は初めて、女神ローマの肖像がミュルテイアの面影をたたえていると気がついた。見る者の心をとろかせるような笑みが、そっくりだ。


 まじまじと銀貨を見つめていると、アマリアがからかうような笑みを浮かべる。


「そんなに見つめていたら、女神ローマが、恥ずかしがって逃げてしまうわよ」


「そんなに殊勝しゅしょうな性格をしているもんか」


 俺の反論に、その通りだと言わんばかりに、絹糸のような月光を反射して、銀色に輝く女神ローマは、艶然えんぜんと微笑んでいた。


                                  [了]

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