3:奇跡を見せる魔法使い
軽々しく神秘の名を口にする連中は、こぞって同じような喋り方をする。つまり、さも自分たちには奇跡の力があるのだと言わんばかりの。
だが彼はそうではなかった。魔法使いと名乗った少年は、代わりに野良仕事を引き受けるような気軽さで言った。
「……願い? 願いを叶えると言ったのか?」
「ああそうだ」
少年がうなずく。
「アンタの願いを叶えてやる。何でもいいから言ってみな。まあだいたいは叶えられる。病気を治してくれとか、大金をくれとか、好きな相手を夢中にさせたいとかな。ダメなのは三つ。死者を生き返らせる。過去を変える。それから不老不死。どうしてだかわかるか? どれも実在しないからさ。死者はもうこの世に存在しない。時間の概念は人間の発明で、有るように錯覚しているだけで過去は存在しない。不老不死もそうだ。空も大地も海も存在するものはすべて滅びる。だから無理。実在しないものはどうにもならない。実在するものならどうにかなる。簡単だろ? さあ、願いを言いなよ」
パウロは――自分が緊張していることに気付き、フッと鼻で笑った。
「冗談でそんなことを言うのはやめた方がいいな。信心深い者たちは未だ魔女や魔法を信じている。本気に取られて火あぶりなんて目に遭ったらどうする」
「冗談か。そう聞こえたか? だったら冗談でもいい。アンタには願いがないのか?」
「強いて言うなら、この寿命が尽きるまで楽器作りを続けたいくらいだな」
「無欲だな。そういうところも気に入った。欲深な人間は死ぬまで満足しないからな。アンタは幸せな人生を送れるよ。でも本当にいいのか? たとえばその膝を治すとかでもいいぞ。関節、痛むんだろ?」
咄嗟にパウロは右ひざに目をやった。七十数年も自分を支え、共に老いぼれた右ひざ。
「……どうして膝のことを? ああ、いや、わかった。キミは辻占いで生計を立てているんじゃないか? だったらキミの恰好もわかる。占い師は人の細かい所作から、まるで相手の過去を見抜いたように言うからな。さっきキミを支えた時に右ひざをかばっていたのかな。それか歩いている時に無意識に左足に重心を乗せていたのか。うっかり信じるところだった。才能があるよ、キミは」
「疑り深いな。おれの言うことが信じられないか? 気持ちはわからなくないが、世の中にはアンタの知らない側面もある」
ヨハネスが指をパチンと鳴らした。彼の手にしたオークウッドの杖、先端からぶら下がる鉄製のランタン。少年の合図と共に、杖の先端にぶら下がるランタンに火が点いた。
「今のはどうだ? インチキ占い師の技法と同じ何かか? まだ信じられないなら、こんなこともできる」
少年が大きな杖を一振りした。汚れの染みついたテーブルに純白のテーブルクロスが敷かれ、焼きたての白パンが積まれたバスケットと、ワインの入った銀のグラスが置かれている。すべての変化がパウロの目の前で、瞬きの一瞬で起こった。
パウロは震える手で、銀のグラスに手を伸ばした。香りは本物のワインのように思える。恐る恐る口に含むと、酸味とかすかな甘みが舌の上で広がった。白いパンに触れると指先から柔らかさと熱が伝わって来る。たった今オーブンから出したばかりのように熱い。思わずパウロは指をひっこめた。
「これでもまだ疑うか? 本当なら叶えてやる願いはひとつだけど、それはサービスだ。食べていいぜ。おれも食べたいところだけど、魔法は自分のためには使えないってルールに反するからな」
目の前の光景を理性は否定する。こんなことが有り得るはずがない。だが目も鼻も舌も触れた指先も、パウロの眼前に広がるすべてを現実だと伝えている。
「それで願いは? 何かひとつくらいあるだろ?」
混乱が収まるのをヨハネスは待ってくれなかった。少年に質問され、咄嗟にパウロの頭に浮かんだのは一つの光景だった。
砕け散る黄金の尖塔。焼け落ちる街。炎と煙。逃げ惑う人々の悲鳴。もうずっと昔に起こった、若き日の悪夢。
「何か願い事を見つけたって顔だな」
少年が美しい唇を歪めて笑う。
パウロの知る限り、人を甘言で惑わし願いを叶えようと囁くのは悪魔の所業だ。甘い夢を見せて破滅させ、そして最後に魂を奪っていく。
無邪気な彼の笑みが、パウロには悪魔の笑いにも思えた。
だがたとえ彼が何者であるにせよ、本当に願いがかなうのなら。
「……会いたい人がいる。だが、もうずっと昔に死んでしまった」
「なるほどね。生き返らせることはできない。だがもう一度会いたいってのが願いなら、叶えてやる。最期の場所さえわかれば何年前に死んでいようと平気だ。会いたいのは誰だい?」
「本当に……本当に、そんなことが可能なのか?」
ふと、窓から差し込む光が陰った。太陽が雲に隠されたらしい。日陰になった室内に、ぼんやりとランタンの光が揺れる。
「奇跡を起こすのが魔法使いの役目だからな」
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