02 贈る指輪は、

「真面目に結婚を考えてもいないのに、ただ恋人にもらったプレゼントの指輪を浮かれて左手の薬指にはめるような女に、アタシはなりたくないんです」



 そう、きっぱりと言い切った時の、彼女の表情を、ねいりは今でも明確に覚えている。


 言葉のわりに、さげすむような雰囲気は無く、しかしそれでいて、絶対に相いれないものを見る時のような。ある種の諦観すら感じさせるようなその表情を、彼はやはり、明るすぎる蛍光灯の様に、頼もしいと感じたのだった。



「ねいり?」

「あ、ごめんなさい。聞いていませんでした」

「昨日も寝てないんですか?」

「いえ…少しは」

「…ちゃんと寝てください、とあれだけ言っているのに」

「だって、小梨のいない昼の時間は暇で、起きていることは難しいんです」

「ニートみたいなこと言わないでくださいよ」


 良いですね、自由度の高い職業は。

 キャリアウーマン気質で、オフィス勤めの彼女は、そうって凝った肩をほぐしでもするように肩を竦めて見せた。


「それで?いいのはありましたか?」

「こういうのは、あげる側のひとが選ぶものなんじゃないですか?」


 小梨は、くすくすとお上品に笑う。

 その上澄みの表情も、いつもの豪胆な笑いも、どちらか、だなんて選べないくらいには両方好きだ。


「そういうものですか。でも、ほしい物を選んだ方がみんな幸せになるんじゃないですか?」

「相変わらずロマンスを解さないひとですね」


 他でもない貴女がそれを言いますか。

 そう言おうとして、やめた。

 あとあとこっぴどく怒られることは目に見えているからだ。





「真面目に結婚を考えてもいないのに、ただ恋人にもらったプレゼントの指輪を浮かれて左手の薬指にはめるような女にはなりたくないんです」





 ―――――私は今日、いつの日かそんなことを言い切った貴女に、"左手の薬指"にはめるためだけの指輪を贈ります。



 きっと、貴女は躊躇いもなくその指輪をその位置にはめるでしょう。

 何気ない顔をして。

 だけど、内心は、どうしようもないくらい照れながら。



 だから、私だけは理解していようと思います。



 そんな、いつも平然としてしまう豪胆な貴女が、実は動じることもあるんだという事を。


 そして、そんな貴女が、そうして指輪を受け取ってくれることが、どれだけのことで、どれだけの貴女の覚悟と決断の上にあることなのか、という事を。




「――――――ありがとうございます、」



 まだつけてもいないのにそんなことを言って小さく手にちからを籠める彼女に、思わずねいりは目を細める。



「いいえ。それでも、そうですね。欲を言うなら、」



 そんな、綺麗な声音のお礼ではなくて、もっと。




「ね?」



 貴女なら、分かってくれるでしょう?



 そう、言外に問いかければ、もう、と文句が返ってくる。



「そう言うのは、うちに帰ってからって言ってるじゃないですか」



 困ったように笑う彼女に、彼もまた笑う。



「おや、そんな言いかただと店員さんに誤解されてしまいますよ?」

「え?……あっ、やだ。そういうことじゃないんですよ?」


 店員さんはほほえましそうに目を細めている。


 小さな包みを受け取って、二人は本当に掛け値なく、書類上でも事実上でも"二人の家"となったアパートへと帰路をたどる。



 あの凛然とした表情を見ながら、まるで夢想するように思い描いた、彼女の小さくて華奢な手指の光景がもうすぐ現実になるのか、と思うとどこか現実味が無い様な気さえしたけれど。


 それでも、そう言えば、はじめは小梨がこんなにも自然に自分の隣に立つひとになったということだって、しばらくは全然信じられなかったんだったか、と思い出して彼は珍しく、小さく笑って見せた。



 "日常"だって"常識"だって、かつては必ずイレギュラーだったという事か。



 慣れた様に何の気なしに手をつないで、そして、そのことに彼女が文句を言わなくなったのは何時からだっただろうか、なんて考えてみる。



 ひとより少しだけ永いこと"恋慕"だったものが、ずっとその域を出してやることが出来なかったものがようやく変化する幸福感に、ねいりも、そして小梨も。


 そっと静かに、目を細めてはつないだ手にゆるく力を籠める。





「贈る指輪は、」




 ――――生涯にたったひとつだけ。



そう言って、彼は小さく目を細めてみせるのだった。

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むかしピーターパンだったひとたちの話 @canaffu

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