十二月第三土曜日

 口は、何のためにあるのだろう。呼吸をするため、水を飲むため、物を食べるため、声を出すため、言葉を交わすため。それから、愛撫のためという場合もある。でも、呼吸は鼻からでもできるし、水や栄養は点滴すれば直接血管から採り入れることができる。愛撫は、手や性器でもできる。

 口でしかできないのは、声を出すことと、言葉を交わすこと。

 誰かに自分の考えや感情を、伝えたり、吐きだしたり、ぶつけたり。

 たとえそれが著しく正確性に欠けていたとしても、僕たちはそれくらいしかやり方を知らない。

 そんなことを考えながら、目の前の女性の口を、唇を見ていた。

「君はさ、どうしてこんな仕事してるの?」

 女性は、細い煙草を吸いながら話した。細い煙草は、煙も細くて薄いような気がする。

「どうしてだろう。お金のためでもあるし、それから単純に女の人が好きだから」

「なるほどね。お金ももらえてエッチもできるんだもん、一石二鳥か」

 僕はセックスが好きとは言ってないんだけど、そこは訂正せずにいた。

「でもさ」

 彼女は煙を吐いてから言った。

「みんながみんな、抱きたいような女じゃないでしょ? ババアとか、すごいデブとか色々いるんじゃない? そういうのも平気なの?」

「平気だよ。それぞれ、求められるものも違うし」

「すっご、どんなのでも勃つの? オバケみたいな女でも?」

「オバケみたいな人には会ったことないけど、求められたらちゃんとするし、できるよ」

「うへー。ま、でもバックなら顔見えないもんね。私もひとのこと言えないというか、ブスだけどさ」

 そう言って彼女は嫌そうな顔をし、煙草をもみ消した。そしてすぐ新しい一本に火を点ける。脚はせかせかと貧乏ゆすりをしていて、なんだか僕が来てからずっとイライラしているみたいだ。でも、そういう女性はめずらしくない。落ち着かなくって、喋りすぎたり、黙ってしまったり、ずっと怒っていたり、僕が会ってきた人たちはみんな、なにかの調整が効かなくなってしまったみたいに見えた。

「あ、飲みたいものとかあったら、勝手に開けていいよ」

 そう言って彼女は、ホテルの小さな冷蔵庫をあごで示した。

「お姉さんは、何か飲む?」

「いらない」

 聞くと、即座にそう返ってきた。

 そう言われると僕も飲んではいけないような気がして、冷蔵庫には手をふれずにいた。

 煙の向こうから、再び彼女がたずねる。

「どれくらいこの仕事してんの?」

「正確には覚えてないけど、三年以上は続けてるかな」

 本当はもっともっと長い。

「若いのにけっこうやってんね。今いくつ?」

「二十三」

 ということにお店のホームページではなっているはずだ。

「わっかー、すごいね。どう? こういう仕事してると女なんてバカだしちょろいなとか思っちゃう?」

「思わないよ」

 それは本当。

「じゃあ、逆に女が嫌になったりしない?」

「しないよ。色んな人がいて楽しいよ」

「ふっ、すごいね」

 煙が、少しだけ彼女の鼻から出た。

 彼女はしばらく黙って煙草を吸った。

 ホテルの部屋には大きな音で音楽が流れていた。でも僕は全然音楽を聴かないから、それが何という音楽なのか、日本人が歌っているのか外国人が歌っているのかさえも分からなかった。

 煙草を消してから、彼女は言った。

「私としたい?」

 声が、さっきより少し震えているような気がした。気のせいかもしれない。

「したいよ。気持ち良くしてあげたい」

「そんなこと言って、自分がしたいだけじゃないの?」

「それもあるけど、呼ばれたからには満足してもらえるようにがんばるよ」

「仕事だから?」

「どうだろうね」

 そう言って、僕は彼女にふれた。


 行為の後も、彼女はすぐ煙草に火を点けた。

「はー、気持ち良かった」

 まさに、煙とともに吐き捨てるように彼女はつぶやき、そして僕の方を向いた。

「君は気持ち良かった?」

 僕は笑って答える。

「気持ち良かったよ、すごく」

「男の人って、相手がどんな人でも出しちゃえさえすれば気持ちいいんでしょ? 便利だよね」

「そういうもんでもないよ」

「で、出した後は、女のことがどうでもよくなるんだよね」

「それも人によるんじゃないかな」

 少なくとも、そうなってしまったら僕の仕事はできない。

「それは気持ちがあるかどうかってこと?」

「うーん、むしろその人の性格とか、振る舞いの問題じゃないかな」

 だって、僕には気持ちがなくても、仕事はできる。

「振る舞い……ね」

 そう言ってもう一度煙草に口をつけ、それから彼女は言った。

「でも、男の人のそういうの、ちょっとわかるかも」

 そのとき、今夜初めて彼女と目が合った。

「私、どんな相手でも、入れてもらえさえすればそれなりに気持ちいいし、終わった後は相手のことがどうでもよくなるんだよね。……あ、違うな、多分、最初っから相手のことはどうでもいいんだ。だから恋人とか面倒くさいだけだし、したくなったらネットで相手を探すようにしてたの」

 彼女の口が、セックスの最中よりもずっとずっと饒舌に動く。

「私みたいにブスでも、女ってだけで簡単に相手が見つかるんだよね。でもさ、そういう相手も長くは続かないわけ。向こうに奥さんいる場合は危ないから早めに切るし、お金払いたいとか言われることもあるけど、そういうのは自分の価値が下がりそうだからいらないし。……だから、援助とかじゃなくて妻子持ちでもない人を探すんだけど、そうなると今度は何度か寝てるうちに向こうが付き合いたいとか言ってくることがあって。一回、そういうのでストーカーにも遭ったし、すごく面倒くさいんだよね。……あ、ごめん、水取ってもらっていい?」

 言い終わるまで、彼女は僕の目の奥を射抜くように見ていて、一瞬もそらさなかった。

 僕は、枕元のミネラルウォーターを彼女に手渡した。

 彼女はまだ半分以上残っていた煙草をもみ消して、ごくごくと喉を鳴らしながらミネラルウォーターを飲んだ。

「アリガト」

 一気に半分まで減ったペットボトルを僕に返し、彼女は大の字に伸びた。

「あーあ、どうしてエッチするだけじゃダメなのかなぁ~」

「はは、なにその言い方、おもしろい」

「言い方?」

「うん。どうしてお腹は空くのかな~、みたいだね」

「なにそれウケる。君、ヘンな男の子だね」

 そして彼女は体ごとこちらを向き、僕の頬に、両手で包むようにしてふれた。

「……きれいな顔だね、うらやましい」

「ありがとう。お姉さんもきれいだよ」

 僕はちゃんと嬉しくって笑う。

「お世辞はいらない。ブスなのは自分で知ってるから」

 彼女はそのまま僕に顔を近づけて、キスをした。深くて濃厚なキスで、ハッカみたいな煙草の味がした。

 顔を離し、彼女は今夜初めて笑って言った。

「けど、キスは上手いってよく言われるんだ。どう?」

 本当に、とびきり上手なキスだった。

「うん、すっごく気持ちいい。ごちそうさまでした」

「こちらこそ。けっこうなお点前でした」


 ハッカみたいな味の煙草を吸うためにある彼女の口。

 セックスの後にミネラルウォーターを飲むためにある彼女の口。

 とびきり上手なキスのためにある彼女の口。

 その口から、うっかり零れ落ちたような、彼女のたくさんの言葉。

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