苔の駅――遥か昔の約束――

四葉くらめ

苔の駅――遥か昔の約束――

   1


 歩いていたらこんな駅を見つけた。

「これはまた……随分苔苔にされてるわね~」

 雪路がよく分からない感想を述べながら、線路から駅を見上げる。

 その駅は全体が苔で覆われてしまっていて、これが元々駅だったことを危うく忘れてしまいそうになる。駅と言うよりも今では『オブジェ』とでも呼ぶべきだろう。

「結構歩いたし、この駅で少し休もうか」

「う~ん、苔だらけだけど……ま、いっか。涼しそうだし」

 夏の日差しの中を歩いてきたものだから背中の辺りがじっとりと張り付いてしまっている。しかし、この駅の周りだけはなぜか日が当たっていない。

 きっと長年こんな感じでこの駅には日が当たっていないのだろう。だから苔がこんなに生え放題なのだ。

「よいしょっと。ほら、雪路。捕まって」

 先に駅のホームによじ登り、雪路が上に上がるのを手伝う。

「ありがと」

 ホームを歩きベンチを探す。

 すぐに見つかりはしたもののベンチも苔だらけでとても座れるような状態じゃなかった。

「まあ、タオルでも敷けばいっか」

 と言ってさっさとタオルを椅子に敷き、雪路は座ってしまった。

「ほら、晴道も早く座んなさいよ」

「はいはい」

 そう返して、同じようにタオルを敷き雪路の隣に座る。

「くはぁ。やっぱり暑い時に飲む水は美味しいわ」

「それにここは過ごしやすいね。苔のおかげで随分と温度が周りに比べて低そう」

 汗ももう結構引いてきている。これならまたすぐに次の駅へと向かうことができそうだ。

「貴方は誰かしら?」

 突然、雪路が声を出した。

 見つめる先は、とうの昔にその役目を終えた自販機。その奥だ。

「貴方達こそ誰、ですか?」

 自販機の後ろから、ゆっくりと顔だけを出して問いかけてきたのはまだ小学校高学年程度の女の子だった。

「ああ、怪しまないで。貴女を傷つけたりはしないから、ね?」

「僕たちは……まあ旅人、かな? 駅から駅に歩いて見て回ってるんだ」

「じゃあ、外から来たんですか?」

「まあ、そうなるね」

 僕がそう答えた途端、少女の顔がパッと輝き自販機の中から全身を出す。

 僕はその身体を見て目を見開いた。

 何と言っても驚くほどに白い。

 顔から首、手、脚まで全てにおいて白かった。

 その肌はもう女性的な白さというよりも、病的な白さと言った方が合っているほどに白い。

 あの肌の下で本当に血が流れているのかと疑ってしまう。

 その白さもあってか少女は今にでも風に吹かれて散ってしまうような儚さを醸し出していた。

「ジロジロ見過ぎ」

「そ、そんなに見てないって――」

 ジト目で雪路が指摘してきて、慌てて目を逸らした。

「あのっ!」

 いきなり少女が少し大きな声を上げる。

「太陽について教えて下さい!」


   ◇◆◇◆◇◆


 少女の名前は咲穂というらしい。先祖代々、この駅に繋ぎ止められているのだとか。 

「この駅の周辺には日差しが全く指さないんです。一年中ずっと。お母さんが言ってました。この駅は神様のお怒りを買ったんだって。そのお怒りを鎮めるために私たちがこの駅にいつもいなくちゃいけないんだって」

 なるほど。つまりこの少女は生まれてからずっとこの駅にいるわけだ。この日光の指さない駅にずっと……。

「食べ物とかはどうしてるの?」

「それは村の人達が毎日持ってきてくれます。別に友達もたくさん来てくれるから寂しくは無いんですけど……」

「とか頑張って言ってみるけど、やっぱり寂しいのね?」

「……はい」

「まあそりゃそうよねー。こーんなジメジメしたところに一年中いたらそりゃ退屈よ。

 神様のお怒りなんてほっといて出ちゃ駄目なの?」

「ねぇ、雪路。言うにしても少しはオブラートに包むなりなりなんなりしなよ」

「あ、いいんです。私も神様なんて本当にいるのかな? って思ってますし。ただ、私はやっぱり出られないんです。付いてきて下さい。

 そう言って咲穂ちゃんは歩いて行ってしまう。僕と雪路は慌てて後に付いて行った。

 付いて行くと改札が見え、そこから外に出られるようになっている。

「外に出てみて下さい」

「いいけど……」

 何をやらせるつもりなのか訝しげに思いながら僕と雪路はもう動かなくなった改札機を抜ける。普通に駅から出ることができた。

「もし私が同じように出ようとすると頭痛が起きるんです。少しだけなら我慢できるんですけど、駅から離れれば離れるほどに頭痛は急激に酷くなって10mと離れる事はできません」

「出ちゃ駄目なんじゃなくて、本当に出られないんだね」

「はい」

「ほら、戻りましょ。晴道。

 咲穂ちゃんも太陽の話が聞きたかったのよね。ベンチに座って一杯話してあげるわ」


   2


 それから夜になり、周りは暗くなった。太陽が指さないと言っても光が全く入って来ないわけでは無く『日差し』が入って来ないのだ。だから昼と夜は随分と明るさに差があった。

 咲穂ちゃんは既に寝てしまっている。

「ねぇ、晴道」

「神様のお怒りを鎮めようって?」

 まあつまりはそういうことだ。今雪路が言おうとしていた事は。

 咲穂ちゃんに太陽を見せてあげる。

 雪路はこれをどうやればいいかと相談しようとしたのだろう。

「まあ、つまりそういうことよね」

「って言ってもねぇ、神様の怒りもなにもそれがなんなのか分からなければどうしようもないし、これがオカルト的な物なのか、科学的な物なのかすら分からないんだよ?」

「そうだけどさー。このままじゃ咲穂ちゃん可哀想じゃない」

 ああ、もう止めて欲しいなぁ、この顔。

 少し悲しげに目尻を下げる。そんな風にされると断り切るのが難しくなる。

「……まあ、急ぎの旅でもないし、明日一日この駅を調べるぐらいはいいんじゃない?」

「本当!? ありがとう!」

「はいはい。それじゃおやすみー」

「おやすみっ」

 はぁ、ホント、僕は雪路には弱いなぁ。


   ◇◆◇◆◇◆


「どう? 何か見つかった?」

 僕の問いに雪路は煎餅を片手に首を振る。

 煎餅は咲穂ちゃんが差し入れてくれたものだ。ちなみに僕の右手には熱い緑茶の入った湯のみが握られている。

「そっかぁ。こっちも何にもだよ。

 う~ん、何か違和感でもあったらよかったんだけど……」

「あ! そうだ。違和感で思い出したんだけど、一か所変なところがあったのよ」

「変な場所?」

「20センチ四方ぐらいのスペースの場所なんだけど、そこだけ苔がすっごい沢山生えてたのよ。」

 そこだけ沢山?

「それはどこにあったの?」

「ホームの下よ。ほら、ホームの下って退避場所ってことで空間あるじゃない? あそこにあったの」

 まあ確かにそういうところは苔の生えやすそうな場所ではあるが、でも一か所だけ生えやすいなんてあるのか?

 咲穂ちゃんもつれて雪路に案内してもらう。

「これは知ってた?」

「い、いえ。初めて知りました。そもそもホームの下なんて初めて来ましたし」

「ちょっと汚いかもしれないけどさ、ここに手の平をあててもらっていい?」

 サイズ的には丁度手を開いて当てられるぐらいの範囲だ。

 咲穂ちゃんが手を当てると一瞬目を見開き身体がビクンと震えた。

「咲穂ちゃん!?」

 咲穂ちゃんが手の平を当てたままこっちを見る。

「咲穂、とはこの人間のこと?」

「何を言って……?」

「ちょっと雪路は黙ってな」

 小さくそう言って僕は一歩前に出る。

「初めまして。晴道という者です。できましたら貴女が誰なのかをお聞かせ願いますか?」

 隣で雪路が吐きそうな顔をしている。

 いや、まあ僕がこんな丁寧に話してることなんてないけどさ、だからってその顔はどうなんだ?

「昔は、日差しの神とか呼ばれていたわ。最近は、名前なんて呼ばれて無いわね」

「ここには貴女がいるのにどうして日差しが指さないのですか?」

「違うわ。私が眠っていたからここには日差しが指さなかったのよ。私はここで苔を育てなければならないから。だから私は眠らなくてはいけないのよ」

「なぜ苔を?」

「約束……」

「…………」

「名前は知らないけど、旅人との約束。

 彼は言ったわ。『この辺りは暑い。だから涼しい駅も無くちゃいけない。だからこの駅に苔を生やしたいんだ。沢山。沢山。だから少しの間でいい。寝むっていてくれないか?』って。だから私は眠らなければいけないの」

 それは一体いつに交わされた約束なのだろう。小さいながらも一つの駅が完全に覆われてしまうほどの年月。この日差しの神は自分の仕事も忘れて約束を守ろうとしていたのだ。

「それなら、もう起きても大丈夫ですよ。

 あなたは沢山の、本当に沢山の苔を生やしたんです。

 だからもう起きて大丈夫ですよ」

「本当?」

「ええ、起きて実際に見てみたらいい。きっと驚きますから」

「分かった。じゃあ見てみるわ」

 そう言い終わると突然咲穂ちゃんの身体が崩れ落ちた。

「おっと、大丈夫? 咲穂ちゃん」

「す、すいません。ちょっと力が……」

 その顔はちょっと赤くなっている。元が白い分頬の赤さがやけに目立った。

「大丈夫だよ。それよりも外に行こう。

 いいもんが見られるよ」

「……?」

 咲穂ちゃんをおんぶしてやり、陰から出る。

「眩しい!」

 そう、眩しい。

 日差しが、光の奔流が僕等を一気に包み込む。

 空は真っ青に晴れ渡り、その一点には煌々と輝く太陽。

「凄いです! 日差しってこんなに暑いんですね!」

「どう? 中々にいい物でしょ?」

「はい! ありがとうございます」

「別に僕は何もしてないよ。雪路があの場所を見つけたおかげさ」

「何言ってんだか。あの神様説得したのあんたじゃない。

 にしても、結局神様の仕業だったってわけね」

「怒りじゃなくて約束だったけどね。後は教えてくれる人がいなかっただけなんだ」

 きっと、旅人はここに戻ってくるつもりだったのだろう。なんとなくそんな気がする。しかし、結局戻ってきて日差しの神を起こすことはできなかった。

 日差しの神は旅人が起こしてくれるのをずっと待っていたんじゃないだろうか?

「でもじゃあ怒りを鎮めるためにっていう話はどこから出てきたのかしら?」

 ん、待てよ。もしかして……。

「つまりは、こういうことじゃない?

 旅人の男はさ、戻ってくるって言って戻ってこられなかったんだよ。日差しの神の所に。それで日差しは失われたまま。きっと人々は思ったんだ。『旅人が約束を破ったから神はお怒りになったのだ』って。さて問題。こんな時責任を取らされるのは誰だと思う?」

「責任ってそんなの旅人以外にいないじゃない! 責任を誰かに取らせようなんて無理よ!」

「いいや。いる。旅人の家族だ」

「家族って。旅人なのに家族がこの村にいたの?」

「恋に落ちたんですね?」

 僕の答えに雪路は訝しげな顔で、咲穂ちゃんは優しい顔でそれぞれ言葉を口にした。

「咲穂ちゃん正解。つまり旅人はこの村で家族ができたんだ。

 旅人が男か女かは分からないけど、旅人にはこの村で子供ができた。結局責任は旅人に残された奥さんあるいは夫と、その子供が負わされたんじゃないかな。

「ってことは咲穂ちゃんは……」

「そ。その旅人の子孫ってわけさ。

 咲穂ちゃんはその旅人に代わって日差しの神との約束を果たしたんだよ。

 よく頑張ったね」

「ありがとうございます……」

 そう言って、咲穂ちゃんは僕の首に巻きついた腕に少し力を込めた。

「もう行ってしまうんですか?」

 咲穂ちゃんが名残惜しそうに僕と雪路に言った。

 今いるのは線路の上でホームからは少し離れたところ。つまりは駅の外だ。咲穂ちゃんは完全にあの駅から解き放たれたのだった。

 今はお見送りと言うことでここまで来てくれている。

「まあ、当ても無いし、何か期限があるわけでもないんだけどねー」

「僕達は止まるわけにはいかないからね。ずっと、いつまでもいつまでも先に進み続けたいんだ」

「もう、戻ってはこないんですか?」

 少し寂しそうな顔で僕を見上げる。

 昨日の日差しでもう既に肌は少し焼けていて、頬もほんのりと赤くなっていた。

「ま、先に進むっていっても戻って来ないってわけじゃないさ。いつかまた会えるって」

ガスッ

「いっつ! 雪路、なにすんのさ! いきなり頭殴るなんて!」

「あんたがてきとうなこと抜かしてるからでしょうが! あれよ! きっと例の旅人もあんたみたいな約束したせいで結局戻って来れなくて~ってなったんだからね! だから不用意に女の子と約束すんな!」

「何そんなに怒ってんだよ……」

「あ、あはは……。

 それじゃあ気を付けて下さいね」

「ああ、ありがとね。咲穂ちゃん」

「それじゃあ、またね!」

「ええ、さようなら!」

 そうして、僕等は苔の駅を後にした。


   ◇◆◇◆◇◆


「ねぇ、雪路」

「何?」

「どうせ雪路もまた会いたいって思ってるんでしょ? 咲穂ちゃんに」

「な、なんでそんなことが分かるのよ」

「だって雪路は人との別れの時『さようなら』って言わずに『またね』って言うでしょ? 今回もそうだったし」

 つまり彼女は人との別れを一時の別れとして受け止めているのだ。どんな時でも。

「別に……、そんな意識してるわけじゃないわ。癖よ、癖!」

「はいはい」

 まあ本人がいうならそういうことにしておこう。

「ねぇ」

「ん?」

 今度は雪路から話しかけてくる。

「咲穂ちゃんはこれからどうするんだろう?

 もうあの駅から自由に動けるんだから、他の所に行ったりするのかな?」

「まあそりゃ、学校にも行くだろうし、友達とも遊ぶだろうし、遠くに行ったりもするだろうね」

「そうだよね……」

「でも、咲穂ちゃんならそれでも定期的にあの駅の苔を手入れしてくれるんじゃない? だから心配する必要なんてないよ」

「そうよね! 咲穂ちゃんなら大丈夫よね!」

 そう。大丈夫だ。

 きっとあの子なら1カ月経っても、1年経っても、10年経っても、遥か昔にあの駅で交わされた約束を覚えていてくれるだろう。

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苔の駅――遥か昔の約束―― 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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