第15話 Circle of Life

 新宿駅東口改札を出たところで待ち合わせをすることになった。他にも待ち合わせをしてるんだろう人たちが多くいて、改札を越えてくるひとたちにさびしそうな目を向けてる。そう、待ち合わせは、さびしいんだ。いつからか、わたしはこの時間を好きになって、待ち合わせにはいつも一〇分以上はやくやってくるようになった。そして、やがて来るだろうひとのことを想う。この時間は、そのひとのことをどれだけ好きか、どれだけ大切かを確認する時間だ。

「想子!」

 声がわりをしたのか、昔よりずっと低い声は、彼のそれであると分からなかった。わたしに近づいてくる彼の姿も、昔よりずっと凛々しく、すっかり男らしくなって、ただ皮肉っぽい笑みには彼の昔の面影を見つけることができた。

「大地くん!」

 わたしは彼の名前を呼んで、大地くんに駆け寄った。


 改札最寄りのスターバックスで大地くんとお茶をすることにした。

「東京、やべーな」

 スターバックスに向かう間も、スターバックスに入ってからも、大地くんは気だるそうに辺りを見渡し、呆れた口調でそう繰り返した。

「大地くんは? いまどこで何してるの?」

 そう尋ねてみた。

 あの日、津波で江泊が破壊された後、大地くんもお姉ちゃんも鞆町にある幸太郎さんの家で生活を始めたことは知ってる。

「どこで何してるんだろうねえ」

 大地くんは昔と同じように、やっぱり気だるそうに言った。

「想子は? 何してんの?」

 大地くんにそう尋ねられた。

「ふつうに東京で女子大生してるよ」

 わたしはそう答えた。

 結局、東京大学には入れなくて、東京にある私立の女子大に落ち着いた。姫ファイブも、もちろん一也くんも、誰も東京大学には入れなかった。そんなもんだ。姫ブルーが神戸大学に入って、それが一番成績がいいくらい。姫ブラックは静岡大学に入って、彼女とは今でもときどきメールのやり取りをしてる。あれ以来、会ったことはないけど。国公立大学に入ったのはこのふたりだけで、姫イエローは就職した、というか、バイト生活をしてるみたい。姫ピンクは受験勉強で精神を病んじゃって、今どこで何してるのかわかんない。みんなとはすっかり疎遠になっちゃった。あと、一也くん。一也くんは、高校卒業後ほんとうに東京まで来てくれて、今でもお付き合いを続けてる。フリーのプログラマをしてるんだって。仕事がすごい忙しいみたいで、すっかり太って髭もじゃもじゃになっちゃったんだけど、昔とかわらずやさしくて、たまの休日には一緒に飲みに行ったりする。飲んだあと、わたしのアパートになだれ込んで、シャワーも浴びず同じ布団にもぐって眠る。でも、なにもしない。最初に拒否したのはわたしで、それを察したあとは一也くんも誘ってこなくなった。「将来が不安だから」と、わたしはそう説明した。嘘じゃない。一也くんとの生活には、結婚とか、子どもを作るとか、そういった具体的な未来像が描けない。金銭的にもそうだし、それ以上に。わたしは、怖くなっちゃったんだ。子どもを作るということが。江泊を離れたあと、わたしは自分が出産する夢をよく見るようになった。気が遠くなるような激しい痛みののち、わたしの膣口から姿を見せたのは、水竜だった。そして水竜はやがてわたしを殺す。わたしを海に還そうとする。わたしはあれ以来、海が怖くなった。海に通じてる水が怖くなった。できるだけ外のトイレは使わないようにしてる。家で用を足すときはトイレの扉をあけっぱなしにしてる。

「創子は? 元気?」

 わたしがそう尋ねると、大地くんは珈琲のフタを外して不器用に啜ったあと、

「おお、もう、六か月」

 と答えた。

 お姉ちゃんに子どもがいること、その父親が幸太郎さんであることは、大地くんからの手紙で読んでしってた。改めて言葉で聞くと、具体的な数字を知ると、ああお姉ちゃんはほんとうに創ったんだなということを実感する。じゃあ、わたしは?

「想子は、子どもつくらないの?」

 大地くんにそう尋ねられた。

「それじゃあ、行こうか」

 わたしはそう言い、キャラペルフラペチーノを半分以上のこして立ち上がった。スターバックスを飛び出してしばらくすると、大地くんがわたしの後ろをついてきた。


 なんか、おなかがうずいて仕方なかった。痛いでもない、苦しいでもない、ただ、トイレに行きたいと思った。

「ちょっとトイレ行かない?」

 わたしは大地くんにそう尋ねた。

「いいけど」

 大地くんの返事は弱々しかった。その覚悟が出来てたのかもしれない。そのためにわたしに会いにきたのかもしれない。

 わたしは大地くんの手を引いて、トイレのなかに入った。

 多目的トイレの床は広くて、けっこう清潔だった。わたしは床に大地くんを押し倒した。わたしは、排泄するのではなく、排泄されたいと思った。青色のトイレのタイルが海みたいに見えた。

 わたしは息を荒げながら、大地くんのズボンを下ろそうとした。ジーンズが肌に密着して、なかなか下ろせない。苦労してるうち、大地くんが自分でズボンを下ろしてくれた。トランクスは、わたしが下した。

 大地くんの白い肌が現れた。しかし、そこにあるはずのものは見当たらなかった。大地くんには、ちんこがなかった。

「創子に切られたんだ」

 大地くんはそう言い、嗚咽を始めた。

「俺はいつか、創子を、ママを殺してしまう」

 大地くんは、水竜と同じだ。ハイドラのもうひとつのかたち。お姉ちゃんに産み落とされ、そして海ではなく、陸で生きることを選んだ水竜だ。

 創りたいひとがいる。創れないひとがいる。ちんこがない男がいる。もっていないひとがいる。わたしと同じだ。想うことしかできないひとがいる。殺すしかできないひとがいる。

 陸を選ぶとは、そういうことだ。

「殺してくれよ」

 わたしは大地くんの頬をめがけ、右拳を思い切り振りぬいた。大地くんの口から白い塊が飛び散った。わたしは左拳で、ふたたび大地くんの頬を打った。赤い血が青いタイルを濡らした。

「ごめんね!」

 わたしはそう言い、大地くんを殴った。

「ごめんね! ごめんね!」

 何度も大地くんの頬を打った。

「ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね! ごめんね!」

 わたしのそれは、大地くんへの想いだった。愛情表現だった。そしてわたしもまた、誰かに、愛されたいと思う。

 気がついたら、青いタイルは真っ赤に染まってた。大地くんの白い身体も、真っ赤に染まってた。わたしは大地くんのかつてちんこがあった場所に口づけをして、立ち上がり、トイレを出た。

 声や音が聴こえたのか、トイレを出たところには人だかりが出来てた。警官がわたしを捕まえようとするのを振り切り、わたしはまっすぐに走った。

 新宿駅はうるさい。まるで「ごめんね」と叫ぶかのように。想いの津波が押し寄せる。とてもそれはさびしくて、誰かを殺そうとしてる。

 わたしは改札を飛び越えて、階段を駆け下り、そのまま線路まで飛び降りた。駅のプラットフォームはなんだか江泊の桟橋みたいに思えた。だとすればこの線路のうえは、海だ。

 電車は、いつまでも来なかった。やがて放送があり、人身事故の影響で電車が止まってることを知らされた。わたしよりも先に、誰かが飛び降りたんだ。誰が飛び降りたんだろう。それは大地くんかもしれないし、ハイドラかもしれないし、あなたかもしれない。水竜だ。

 線路に落ちてる死体は、道端に落ちているコンパクトディスクみたいに意味がない。わたしはそんなふうな、ありふれてるものが好きだ。その死体が、あなたである確率は、どれだけ低いだろう。とてつもなく低いだろうけど、あなたが産まれてくる確率と全く同じだ。

 つまり、イージーな奇蹟だ。

 どこからともなく、エンターサンドマンが聞こえる。冒頭の甘いアルペジオ、そして、繰り返される「Enter」と「Exit」。あなたの耳にも、エンターサンドマンが聞こえるだろうか。死にたいと思うとき、死のうとするとき、それを止めるでもなく、促すためでもなく、ただあなたがあなたであることを証明するために。

 そのうたは、子どもをつくるとき、ママが歌ったんだ。

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天地創想 にゃんしー @isquaredc

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